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2011/04/22

私の靴・ぼくの靴@2011春

Kutu_riho

 子どもたちが3月に描く予定だった≪私の靴・ぼくの靴≫を4月に入ってから描いた。3月16日に描く予定だったが、原発の様子も不穏な気がし、地震も気になり私は子供たちの前に立つ自信がなくなったのでおけいこを休みにしてしまった。でも今いる子供たちにどうしても描かせたい課題だったので、今回描かせた。ケンタが居なくてリンが入って描いた。

靴は子どもたちを表すものだ。生徒の一人で足の具合が悪い莉歩ちゃんが靴と詩をかいた。彼女は足に障害がある。そのために装具を付けていた時期があるそうで、その名残が今回の靴にはあった。中敷きの布がよれていた。本当はおうちに描く予定の靴があったのだけど、忘れてこの靴を履いて来てしまったのだという。でも、思い出が詰まっている靴もいいじゃない! 

Kutu_momoka

Kutu_nami

Kutu_hinata左からモモカ、ナミ、ヒナタ。

それぞれが自分の靴を描いた。一応子どもたちが靴を上手く描くための指導方法はある。観察方法ともいえる。靴を描き終えたのちに自分のイメージを広げるまでがまた一工夫なのだけど、物を一生懸命観察して、エネルギーがあったら、その先を描いてみるのは自分でものを考えていく訓練として大切なことです。

Kutu_reinaKutu_rikoKutu_rin 左からレイナ、リコ、リン。

私がかつて日本画を院展の横溝由貴先生のところで習っていた時のことです。何人かの方がモチーフを描いた後にバックの色は何色にしたらいいでしょうかと、よく先生に聞いていた。私はその言葉を聞くたびに?と思った。先生へのへりくだった気持ちなのかもしれないが、失敗しても自分で決め、描くべきだと思う。大人が趣味として描く姿勢と子どもが描く姿勢は違うかもしれないが、絵画はそういう点が子どもが自分で考えることの習慣をつけるのにふさわしい教科なのです。指導者はその事を意識して指導すべきです。

Kutu_risaKutu_takeshi 左はリサとタケシ。 リサちゃんの一見大雑把なデッサンも遠く離れてみると塊として堂々としている。タケシくんはいつも原っぱでお父さんや弟と野球やサッカーで遊んでいる。そんな感じが伝わってくる絵になった。

Kutu_manami

Kutu_tomoya 左のマナミちゃんとトモヤくんは靴を描いてからまわりに桜を描いた。そこで私は携帯に入れてある森山直太郎の『桜』を流した。なんだか、うっと来た。

私はしつこくリホちゃんのお母さんが来た時にも、絵と一緒に『桜』を聞かせた。リホちゃんが『桜はお母さんの好きな歌で、聞かせたらお母さんが歌うかも』と言ったから。お母さんは歌わなかったけど目が潤んでいた。それは花粉じゃないと思うよ!

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