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2011年5月の記事

2011/05/30

困ったら、鎌田先生のブログ

東日本大震災、東京電力原発事故を巡る情報ではツイッター、ブログでいろいろな方の意見を目にしている。自分自身で行動に移してはいないが、この様な状況の中、現実にはアトリエの子供たちのためにストレスをかけない課題を選んでいる。そして自分の消費にはブレーキをかけ過ぎないで経済の失速がないようにと願っている。私たち夫婦が中年期以降の人生設計で決めた事を震災後も継続したいと願っていて、これからもそうするつもりでいる。
私が震災後にインターネットで、特にリードしていると感じた人たちが何人かいる。その一人は諏訪総合病院院長の鎌田實先生だ。ご自身でも被災地に乗り込んでボランティア活動をされて、原発についての考えをわかり易く書いてくださり、こう言う状況の中での日本人としてのスタンスを示してくださっている。原発事故1の記事に始まり、5月30日で原発事故261まで更新している。ご自身がプロフィールに書いていたが父、岩次郎さんが東北の人で鎌田さんを養子にして下さったのでその恩に報いたいと書いていた。放射線量やその計算の仕方など、私たちにも分かるように書いているし、風評被害にならないように、放射線をきちんと計測するように、また、こう言う時だから菅さんに優しい言葉で国民に意思を伝えて欲しいとも言っている。政治家たちが足の引っ張りあいをしないで全力投球して欲しいとも言っている。
私も同感です。何でこんな時に勢力争いをするのだろうか。政治家たちは! この東日本大震災は日本という規模より、地球上の危機なのだから今までの党派などかなぐり捨てて一緒にどんなに下手な作戦でもそれを立ててやり切っていくしかないと思う。菅さんも自分の非力を皆に詫びながらでも、何とかまとめていかないと。

そして何か困ったら鎌田先生が何を言っているか、ブログを開くとその時のタイムリーな疑問への回答を示してくれている。 鎌田實公式ホームページ八ヶ岳山麓日記(http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/blog/)
ちなみに、今日の原発事故261ではホールボデイカウンターで被爆量を調べる事をすべきと言っている。このブログは時間がある時に遡って読むといいと思う。

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2011/05/26

メニューブックを作る

Nemu_1Nemu_2Nemu_3Nemu_4

  昨日はメニューブックを作った。父の日と母の日の間で作ったので、子供たちから両親へのプレゼントです。

お母さんが朝夕の献立に困った時、またお父さんがお母さんに希望の食事の献立を注文する時に、このメニューブックを二人で見て考えるのも良いかと思います。

メニューブックの表紙はお母さんたちの希望の色を選んでいます。この作業はコラージュでもありますがデザイン的な配慮をしないといけない課題です。何人かの子たちがこのような作業を夢中でしていたので、『デザインが上手ね』と褒めました。また、チラシや雑誌を持ってきて貼ったのですが、それには自分の好みが如実に出て、なかなか面白いものがありました。以前にも書きましたが、大昔の生徒、田中望君はこのメニューの課題の時に≪ヨード卵光と鯵の干物≫を貼りました。それはそれは私には新鮮な情景でした。そして今回はトモヤくんが、揚げ物ばかりを選んでいるのが、可笑しいと言おうか、可愛いと言おうか、つまり笑ってしまいました。でも本人は和食が好きと言っているのでそれは願望かもしれません。『食べることが出来ないものをこうして貼ってメニューにすることが出来るのが良いんだ!』などと私のそばで誰かが言っていました。ほとんどの子が疲れたと言って帰りましたが、その後の片付け掃除も大変でした。ここであとりえ・チビッコのジンクス!≪先生が大変な時は子どもたちは大満足して帰る≫でした。指導しながら撮った写真で、画像変更などにより見にくい写真ですが、実際は楽しい作業が出来ました。今回はお料理の写真を切りながらよだれを垂らす子はいませんでした。ちなみになまたまごの田中望君は北海道から横浜に戻り一児の父としてがんばっています。

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2011/05/20

音楽を聞いて描く@ジブリ・ジャズ

今回はとなりのトトロのなかの≪風の通り道≫のジャズバージョン≪ジブリジャズ≫を流しながら描かせた。初めてiPadiTunesから音楽を試聴して買って使った。1枚200円でした。私にとってはCD全曲が入っているものより1曲だけ選ぶので効率が良かった。それに音質も良いので大助かりでした。

子どもたちが知ってはいるが、ジャズ風にしてあるので、言葉を現実の形あるものにイメージを表現しないで描けるのではと選んでみた。何をしてもいいのけれど、全体としてのバランスを取るように言ったのだが、子供たちは分からなかったようだ。説明はしたが分からないのはしょうがないとして、そのままにする。つまり直さなかったということです。10人いたら10人の表現があって良いのだから、すべて自由にして直さないのが良いのでした。だが何か少しの加筆で絵としてのバランスが変化するかもしれないと考えるのは作品を仕上げるまでに必要な事なのです。

それぞれの子供を知っているお母さんやお父さんがその子の作品を見るとその子が彷彿として浮き出てくるような感じがあったらそれはきっと良い作品と言えるのだと思う。今年は作品展をしなかったので保護者の横の交流がないが、その事をもっと頻繁にしたら、ブログの面白い使い方になるかもしれない。今回はナミ、ヒナタお休みでした。

Ongaku_manami

Ongaku_momoka

Ongaku_reina 左からマナミ、モモカ、レイナ。

Ongaku_riho

Ongaku_riko

Ongaku_rin 左からリホ、リコ、リン。

Ongaku_risa

Ongaku_takeshi

Ongaku_tomoya 左からリサ、タケシ。トモヤ。

トモヤクンの絵はさかさまではありません。どの子の絵もクリックすると大きくなってよくわかります。

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2011/05/12

動物を描く@トイプードルのココ

今回は我が家の愛犬トイプーのココを描きました。動くものを描くことで、野毛山動物園での写生会の訓練にもなります。

また子どもたちは連休明けに起きる心理的な圧迫感を持つ子もいるようなので、このような時は気軽に≪可愛い生き物の絵≫を描いて精神的に癒されるようにと配慮しています。このような配慮が気にもならないのならいいが、結構子どもたちの間でささやかれているいじめの噂も気になります。

Coco_manamiCoco_hinataCoco_momoka

左からマナミ、ヒナタ、モモカ。

横浜や千葉の片隅で地震とは関係なさそうでいても、その後の原発で未曽有の大惨事となり、親や先生へ自分の力を超えた何らかの対応が迫っているのではないだろうか。それが子どもたちを変化させているのではないだろうか。何もなければよいがと、おばあちゃん先生は気になる。被災者の方々から見たらまったく論外で贅沢な心配ではあるのですが。

Coco_reina

Coco_rikoCoco_rin

左からレイナ、リコ、リン。

まあこうしたことは心配しすぎでちょうどいいかもしれない。杞憂(取り越し苦労)であれば幸いだ。ぶれない母やぶれないママや、ぶれない婆でいるためには、常日頃勉強して尊敬できる人を探しておきたい。その人物がグローバルな視野に富んだ人であるといいが、自分が勉強不足だと、その話に着いていけず、考えもできず、力不足な母や先生になってしまう。この方の理論ではこう言っているがその線上に自分を置いて考えてみたいとかが、あるのではないだろうか。どちらにしてもお母さんも生涯勉強していて、子供との成長があるのです。婆ばもそうなのです。

Coco_risa

Coco_takesiCoco_tomoya

左からリサ、タケシ、トモヤ。

今回の『ココ』の絵を描かすこととは関係なかったのですが、連休明けの小学校の出来事を知り合いに聞くうちに自分が子育てしていた時を思い出していました。いろいろな子がいて、いろいろな先生がいて、いろいろなお母さんもいて、その時の環境が絡んで教育がなされていくのです。造形絵画はそのほんのちょっとのお手伝いかもしれないし、もしかすると結構大きい領域を占めているかもしれない。とにかく情操教育なのですから。もっといい言葉をさがしているのですが。

Coco_nami_2Coco_riho 左からナミ、リホ。

連休が終わり川上村から帰ったら、希望が丘の中山崇一朗くんからお手紙が来ていました。大倉山記念館でコンサートをするという連絡でした。もう期日は過ぎてしまっていて、残念でしたが、彼はピアノも得意な子でした。絵と音楽は表現方法は違っても目指すところは同じなのです。

そして私は今、次の予定の課題のための音楽を聞きながら、どの曲にしようかと耳をそばだて、梅雨のような空をときどき眺めてブログを更新中です。明日は暑い日になるらしいが。

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2011/05/07

鹿のジョナサンたち

昨夜は鹿が山小屋のまわりに来ていた。3頭はいた。
昼間に長坂のjマートで、支柱20本やパインバーク(チップ )、 敷レンガなどを買い戻る。そして畑の周りの柵が一冬を経て、鹿の角で壊れているのを直した。太い支柱や丸太が冬の霜で直角に立っていないものもあり、それを戻すのは女の力では大変な事だ。女と力と又の字で努力となる。ううっ! 左肩がもう半年近く五十肩になっていて、それを庇いながら大きなシャベルで丸太を打ち、前からある丸太とを太い針金で括り付ける。
そして支柱を渡してある横の竹を金属製の支柱に変えた。山側の所から柵を鹿は乗り越えている。現在も難なく乗り越え、偶蹄目の足跡を柔らかい土の上に残している。イマスヨ。
私は畑の中で空を仰ぎながら、『かもめのジョナサン』が高い空に上昇して、自分の可能性に挑戦した箇所を思い出した。畑にはまだ何も生えていないのに鹿が入るということはそういうことなのだろうかと。その様な精神性が鹿に在るのかと思う。そうか《鹿のジョナサン》!
網も以前の残りの物があったので、重ねて張る。そのあとに私は鹿糞をバケツに集めた。奈良公園の鹿の糞の歌を歌いながら集めた。吉永小百合さんはこの歌を歌う時きっとすごく恥ずかしかったのではないだろうかと思う。これから先、きっとこの歌は歌わないだろうとも私は思う。一カ所に30から40粒が黒豆の様に落ちている。それをシャベルで掬う。落ち葉と一緒にバケツの中に鹿の糞が入る。4月はじめには取り集めてブルーベリーの周りに撒いておいたが、その時よりも多く15カ所ほどにあった。鹿が来ているという事だ。
そして夜になり夕食を作り、夕食を食べ、寝る時間になった時、いつもの決まりのように畑の方を懐中電灯で照らして見る。畑の周りには柵に銀色に光るテープを巻いている。懐中電灯の光はそれにも反射して光る。が、だがしかし鹿の眼はテープと違い、それは上下に光る。草を食みながら頭を上下させるからだ。
いた! こちらを見ている。3日前にも鹿がいるのを、娘婿が教えてくれた。何故か彼が来ると鹿が近くに来ることがよくある。不思議なことだ。
私は急いで2階に上がり、広い視野で森を見た。すると、前の家にも2頭いる。懐中電灯の明かりに反応して頭を上下させている。そしてどのぐらい経っただろうか、初めに見始めてから30分ぐらい経っていただろう。道路にある電柱の灯りに鹿のシルエットがノソリノソリと見える。一頭、又一頭暗がりで定かではないが、中位の雌だと思う。ここでは朝の気温は4度だからまだ草もほんの少ししか生えていない。何を食べているのだろうとかわいそうになるが、おっとどっこい。とんでもない。
明日の畑の肥料まきや畝作りをすることがこの鹿のためだとするとガックリする。だが『かもめのジョナサン』のように精神性を表すために私への挑戦とみれば受けて立つ私がいるわけだから、柵を高くして、どこまでも《鹿対人間のドラマ》いや《精神の極みとしての勝負》が在ることになる。だから頑張るってことだ。
iPadから離れよ!鍬を持て!keicoco! 鹿のジョナサン 私は負けないからね!

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2011/05/05

光陰矢の如し

山小屋に来ている。連休初日から、中国からの黄砂が酷い。八ヶ岳の山々が二日間見えなかった。

お茶の時に、父が使っていたコーヒーサイホンでコーヒーを入れた。今年は父の七回忌になる。好きな人が亡くなって月日を数えるのはあっという間なのだけれど、よく考えれば、そのあとの母の面倒をみたり、自分の仕事や夫の仕事、子供たちの出来事を思い出せば永い六年だったとも言える。それに来年は夫の母の七回忌にもなるし、簡単に言えば『光陰矢の如し』月日は素早く過ぎ去る。過ぎ去った日はもう戻らない。ときどき見る夢に父が出てくれば、一瞬でも過ぎ去った日に戻る。

山小屋に来るときに車を運転しながら不思議な気がしていたのだけれど、今年の1月15日にここに来た時に、ステイーブンキングの小説を映画化した『ミスト』をTSUTAYAで借りて来て見ている。それについての、日記もここに書いている。
《山小屋で「ミスト」を観る》1月16日 
森の中に霧が立ち込めて暴風雨になり、巨大になった昆虫や蝶が人々を襲い、パニックに陥るというものだ。近くにある原発が破壊されたという。私はキングの小説は好きだったが、特にこの映画を選んで借りたわけではない。たまたまビデオの箱が自分の目線に入って来て借りたのだ。

それがちょうど二ヶ月後にそのミストの嵐と同じ様に東日本大震災になり、原発が破壊されて放射線による被害が出てしまった。あの時、映画を見終わっていたたまれない気持ちになった。その時にこの様な事が二ヶ月先に起こるとは思ってもいなかった。厳密に言えば、まだこれから先にどの様な展開が待っているか分からない。日本の常識は世界の非常識の時もあるので、海外からの指摘にも注意深くしていないといけなそうだ。必要以上に敏感になってもしょうがない。
そして不遜ではあるが、私は自分たちにとって残っている時間がそれぞれ分からないので、出来るだけ自分がしておきたい事をこれまで以上に行動に移さないといけないとも思っている。それは今までの自分の揺れ動く心の振動をバランス良く維持しながらのものでありたいが、どうだろうか。

テレビではウサマ・ビンラデインが殺害されたという報道があり、大きなニュースが世界中を駆け巡っている。今年9月11日で十年になる。十年一昔。

昨日は八ヶ岳の吐竜の滝近くの遊歩道を散策したり、まきば公園を歩いた。清泉寮への道では鹿とぶつかった車をみた。予想外に人出は多く、ある意味ではホッとした。
一応、日記として書き留めておこう。

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