光陰矢の如し
山小屋に来ている。連休初日から、中国からの黄砂が酷い。八ヶ岳の山々が二日間見えなかった。
お茶の時に、父が使っていたコーヒーサイホンでコーヒーを入れた。今年は父の七回忌になる。好きな人が亡くなって月日を数えるのはあっという間なのだけれど、よく考えれば、そのあとの母の面倒をみたり、自分の仕事や夫の仕事、子供たちの出来事を思い出せば永い六年だったとも言える。それに来年は夫の母の七回忌にもなるし、簡単に言えば『光陰矢の如し』月日は素早く過ぎ去る。過ぎ去った日はもう戻らない。ときどき見る夢に父が出てくれば、一瞬でも過ぎ去った日に戻る。
山小屋に来るときに車を運転しながら不思議な気がしていたのだけれど、今年の1月15日にここに来た時に、ステイーブンキングの小説を映画化した『ミスト』をTSUTAYAで借りて来て見ている。それについての、日記もここに書いている。
《山小屋で「ミスト」を観る》1月16日
森の中に霧が立ち込めて暴風雨になり、巨大になった昆虫や蝶が人々を襲い、パニックに陥るというものだ。近くにある原発が破壊されたという。私はキングの小説は好きだったが、特にこの映画を選んで借りたわけではない。たまたまビデオの箱が自分の目線に入って来て借りたのだ。
それがちょうど二ヶ月後にそのミストの嵐と同じ様に東日本大震災になり、原発が破壊されて放射線による被害が出てしまった。あの時、映画を見終わっていたたまれない気持ちになった。その時にこの様な事が二ヶ月先に起こるとは思ってもいなかった。厳密に言えば、まだこれから先にどの様な展開が待っているか分からない。日本の常識は世界の非常識の時もあるので、海外からの指摘にも注意深くしていないといけなそうだ。必要以上に敏感になってもしょうがない。
そして不遜ではあるが、私は自分たちにとって残っている時間がそれぞれ分からないので、出来るだけ自分がしておきたい事をこれまで以上に行動に移さないといけないとも思っている。それは今までの自分の揺れ動く心の振動をバランス良く維持しながらのものでありたいが、どうだろうか。
テレビではウサマ・ビンラデインが殺害されたという報道があり、大きなニュースが世界中を駆け巡っている。今年9月11日で十年になる。十年一昔。
昨日は八ヶ岳の吐竜の滝近くの遊歩道を散策したり、まきば公園を歩いた。清泉寮への道では鹿とぶつかった車をみた。予想外に人出は多く、ある意味ではホッとした。
一応、日記として書き留めておこう。
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