鹿のジョナサンたち
昨夜は鹿が山小屋のまわりに来ていた。3頭はいた。
昼間に長坂のjマートで、支柱20本やパインバーク(チップ )、 敷レンガなどを買い戻る。そして畑の周りの柵が一冬を経て、鹿の角で壊れているのを直した。太い支柱や丸太が冬の霜で直角に立っていないものもあり、それを戻すのは女の力では大変な事だ。女と力と又の字で努力となる。ううっ! 左肩がもう半年近く五十肩になっていて、それを庇いながら大きなシャベルで丸太を打ち、前からある丸太とを太い針金で括り付ける。
そして支柱を渡してある横の竹を金属製の支柱に変えた。山側の所から柵を鹿は乗り越えている。現在も難なく乗り越え、偶蹄目の足跡を柔らかい土の上に残している。イマスヨ。
私は畑の中で空を仰ぎながら、『かもめのジョナサン』が高い空に上昇して、自分の可能性に挑戦した箇所を思い出した。畑にはまだ何も生えていないのに鹿が入るということはそういうことなのだろうかと。その様な精神性が鹿に在るのかと思う。そうか《鹿のジョナサン》!
網も以前の残りの物があったので、重ねて張る。そのあとに私は鹿糞をバケツに集めた。奈良公園の鹿の糞の歌を歌いながら集めた。吉永小百合さんはこの歌を歌う時きっとすごく恥ずかしかったのではないだろうかと思う。これから先、きっとこの歌は歌わないだろうとも私は思う。一カ所に30から40粒が黒豆の様に落ちている。それをシャベルで掬う。落ち葉と一緒にバケツの中に鹿の糞が入る。4月はじめには取り集めてブルーベリーの周りに撒いておいたが、その時よりも多く15カ所ほどにあった。鹿が来ているという事だ。
そして夜になり夕食を作り、夕食を食べ、寝る時間になった時、いつもの決まりのように畑の方を懐中電灯で照らして見る。畑の周りには柵に銀色に光るテープを巻いている。懐中電灯の光はそれにも反射して光る。が、だがしかし鹿の眼はテープと違い、それは上下に光る。草を食みながら頭を上下させるからだ。
いた! こちらを見ている。3日前にも鹿がいるのを、娘婿が教えてくれた。何故か彼が来ると鹿が近くに来ることがよくある。不思議なことだ。
私は急いで2階に上がり、広い視野で森を見た。すると、前の家にも2頭いる。懐中電灯の明かりに反応して頭を上下させている。そしてどのぐらい経っただろうか、初めに見始めてから30分ぐらい経っていただろう。道路にある電柱の灯りに鹿のシルエットがノソリノソリと見える。一頭、又一頭暗がりで定かではないが、中位の雌だと思う。ここでは朝の気温は4度だからまだ草もほんの少ししか生えていない。何を食べているのだろうとかわいそうになるが、おっとどっこい。とんでもない。
明日の畑の肥料まきや畝作りをすることがこの鹿のためだとするとガックリする。だが『かもめのジョナサン』のように精神性を表すために私への挑戦とみれば受けて立つ私がいるわけだから、柵を高くして、どこまでも《鹿対人間のドラマ》いや《精神の極みとしての勝負》が在ることになる。だから頑張るってことだ。
iPadから離れよ!鍬を持て!keicoco! 鹿のジョナサン 私は負けないからね!
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