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2011年8月の記事

2011/08/29

夏の終わりに

T_gariba_2 『夏休みもあと、一週間もない。』 昔、この言葉がいやだと長女は言っていたが、自分の子が小学生ぐらいになれば、嬉しいフレーズになるのだろう。八ヶ岳東麓では、朝は八ヶ岳の山頂が少しだけ見え、昼近くになるとモクモクと入道雲の襲来で、ゲリラ豪雨的になり、夕方には上がるが、また夜中から朝にかけて雨が降っている。先週は親戚の子トモ君を横浜に連れて来て、あとりえ・チビッコの生徒たちと一緒に制作させた。

グーグルで募集しているドウ―ドルのデザインをさせてみた。教室ではまだレイナちゃんが夏休み欠席のため制作していない。ドウ―ドルは母の日やクリスマスなどの記念日にグーグルのホーム画面のGoogleがすてきにデザインされているもののことだ。学校単位で募集のために私塾であるあとりえ・チビッコでは審査の対象にはならない。そのため、ブログ上でいずれ発表しようと思う。

トモ君とツタヤのビデオを借りて来て一緒に見た。≪トムとジェリー(名探偵ホームズ)≫とスクール・オブ・ロックのジャック・ブラック主演の≪ガリバー旅行記≫の2本を上映。もちろん甘いポップコーンを食べながらね。笑いどころは、どうしても変なことに集中する、そう、ガリバーのお尻かな? そして、トモ君は3泊してお母さんが迎えに来て戻っていった。ココは天敵のトモ君が帰って行きほっとしたのかもしれない。そして私たちは山小屋に来た。

このところ、もう20年使用しているカーペットがココの不始末で汚れ、臭うので夏の間ならば寒くないからと前回取り払ったが、犬の足の爪にはダメージがあるようで、時々痛そうに鳴く。そのためJマートに行って新しいカーペットを買ってきた。ここでは人も動物も寒いためにトイレが近くなる。どこまでココがペットシートにしてくれるだろうか。ココは躾を失敗している。でも犬にとってのストレスは少ないかもしれない。可愛がりたいから飼ったのであって、躾をするために飼ったのではない。

Hasutya 畑では青梗菜も赤カブも急に葉が溶けてしまった。デイルと大根と紫蘇が何んとかもっている。最近Fさんご夫妻がベトナムからの蓮花茶をお土産に下さった。匂いがハーブのデイルと似ているような気がする。今夜デイルを使ってサーモンの料理をするのでその時にまた一緒に蓮花茶を飲もう。エキゾチックな匂いだ。ベトナムはフランス領でもあったから独特の文化があるのだろう。

今朝のNHKラジオで北杜市大泉町で犬に咬まれた女性が倒れた時に後頭部を打って重体とニュースが流れた。50センチの体長の雑種犬というがどうしたのだろう。そういう点では犬には良い躾が必要なのだろう。でもココは天敵のトモ君がしつこくしても軽く甘噛みする程度だ。さてこの一つ前のブログ≪都会の情報と山小屋での情報≫ではニュースや情報がここではとらえにくいと言ったが、ラジオがここでは一番良いのかもしれない。電波を拾うのに大変ではあるが。

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2011/08/27

都会の情報と山小屋での情報

最後の夏を過ごそうと山小屋に来ている。

昨日は激しい豪雨があちこちであり、ツイッターで、発信される目黒川や、神田川の水位の凄さの写真を見て本当にツイッターが新しい情報源なのだと感じた。というのはテレビもここの山小屋ではニュースが最近流れなくなった。NHKBSのニュースが以前から少なかったが、地デジへの変更で番組の編成が変わり、なおさらタイムリーなライブニュースは無い。ここで下界の事は聞かなくても良いとも言えるが、危険に対しての情報が欲しい時にないというのも、電波と私たちが可哀想な気がする。

昨日は来る途中の中央道では夜間の2時に起きたトラックと乗用車の事故で、甲府昭和と韮崎の間で通行止めがあり、渋滞が1時間ほど在った。その間の時間はともかく、夜中の2時から午前の10時30分までの間(私たちは始めに6時30分に聞いた)の情報ではトラックと乗用車の事故で通行止めが続いている のみであった。最後10時29分位の交通止め解除の時に事故車の移動は済みましたが、清掃中です。スピードを抑えて走行してくださいとはいった。もっと前にその種の情報をはっきり伝えるべきだと思う。私が運転していたのでツイッターは読めなかった。一般道に降りようと考えたが、私の勘は「中央道」だったのでそのまま走った。そして双葉近くの事故現場を通り、中央道を降りて、長坂のスーパーに行くとレジの人が「硫酸が道路に流れたそうだと」言っていた。その様な事だったらJARTICは走行している車に情報を流してもしかるべきではないか。確かにそこを通るときに変な匂いがした。そういう情報を流すと、車を運転していてパニックになる人が出ると思っているのだろうか。薬品が流れたので処理するのに時間がかかります とか、もっと前に言えるのではないでしょうか? 私は原発報道の時もそう思ったけれど、本当の事を言ってもそれぞれの人が自分で受けて自分で考えて、行動できるような教育が必要だと思うがどうだろう。

これからは「自己責任という言葉」の意味を小学生の時から教えて、「自分で考える事を常にしようとする空気を大切にしよう」という「自己責任」教育のキャンペーンをポンポンポポーンとして欲しい。「みんなで渡れば怖くない」だって車が突っ込んでくる時がある。各自に意識させなければいけないが、それには低年齢の子供たちから始めなければいけないと思うがどうだろうか。そしてそれを各自に意識させる事によって日本人としての新しい自覚が芽生えて、そういう自己責任を持つことが、 つまりは日本の新しい流れを作るって事なのだけれど。こんな巷のお絵描き教室の先生が言っても無理か?

こちらの山小屋周辺ではゲリラ豪雨はなかったけれど、途中の野辺山から川上の橋辺りでは凄かった。滝のような降り方だった。川の中を走るようだった。そして今回は車から荷物を出して鍵を開けて家に入るまでも大変だった。スズメバチが二カ所も家の壁の中に巣を作っているので、芳州先生が歩く後ろを歩兵のように私が付き従い、網を持って援護した。かなりの数のスズメバチがブンブンしていたが私が、「悪い事しなければ、私も悪い事しないからね」と心で唱えていると、蜂たちもこちらには向かって来なかった。

でもその後で近所に他の方達が来ていなかったのでスズメバチ退治に取り掛かった。家の中は芳州先生が壁にドリルで穴を開けて、外は私が7メートルの薬剤噴射をした。本当はやりたくはなかったが、もう少し玄関先をなめらかに歩きたいからなのです。ところで別荘地の方から教えてもらったスズメバチ退治の方法でペットボトルに穴をあけて、蜂蜜や酒や酢を入れて外に置き、中に導入して退治するというのは、今のところ一カ所だけ成功している。置き場所がスズメバチのテリトリーに入っていないようだ。他のペットボトルを今後移動しよう。そしてもう少し蜂蜜を足そう。蜂が蜂蜜でやられるのって、なんだかおかしくない?

ところで夜夢を見た。《手が痛くて、泣きながら、何かをはがしたらそれが蜂だった》 SF映画のように、手のひらからスズメバチが湧き出て来た。読んでいた本で手を挟んでいたかららしい。夢から覚めてほっとしたのなんのって!

一夜開けて朝のうちは青空が出ていたが、正午は黒雲出現になった。そして雨も降り出した。今日もゲリラ豪雨になるのかしら。インタネットのニュースでツイッターでは書き込みで、人を傷つける事件が起きていると出ている。結局道具を使う人のモラルがどこでもネックであり、プライバシーは情報の中でも秘なるものも含まれているということをどこかで学習させないといけないものですね。鬼の首を取ったように芸能人のことを暴いたりするマスコミも悪いお手本になっているのでしょうね。私も気をつけよう。ついサービス精神がもたげるから。

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2011/08/17

東日本大震災から5カ月とお盆のすいとん

Kawa_hanabi1

8月は日本にとって悲しい記念日が多い。6日が広島原爆忌であり、9日が長崎原爆忌、12日は日航機墜落時事故の日で、15日が終戦記念日となっている。そして11日は東日本大震災から5カ月を経たが、まだまだ仮設住宅が建設できていないというニュースがある以上11日という日は、『あれから6か月』、『あれから7カ月』『あれから8カ月』とずーっとカウントされていくべきものだ。よく考えればいろいろなことが元に戻るまで、これは月単位でカウントされるべき日本にとっての重大事なのだと思う。Kawa_hanabi3

私の今いる山小屋から御巣鷹山は30キロも無い。日航機墜落事故当時は私たちの山小屋はまだ建っていなくて、テントで生活を2日間して、峠を越した民宿の温泉に入りに行った。そこに着いたばかりの時にこの事件を知った。民宿の階段から見たテレビに大きくオレンジ色で川上村と書かれていたので、置いてきた自分たちのテントが丸焼けになってしまったかと驚いたのを覚えている。翌日に戻ってキャンプサイトから自衛隊のヘリが何度も何度も行き来するのを見て、もう一泊する予定を止めて帰ることにした。帰る時にカーラジオから川上慶子さんが救助されたことを聞いて家族で歓声を上げて良かったと言いあった。その時は我が家の長女と同学年だった。あの時はお盆の帰省客でジャンボ機は満員だった。あれから26年がたち、その時に事故に逢い亡くなった坂本九さんの≪上を向いて歩こう≫と≪見上げてごらん夜の星を≫は今回の東日本大震災で、追悼、応援の曲としてよく流れた。日航機墜落の日は現在では航空安全の日、茜雲忌となっているそうだ。

ここ1週間はお盆の時期にも重なり、実家に帰省している家族が賑やかに集まり、山小屋近辺も時には孫や子供の泣き騒ぐ声がそこここで聞こえる。我が山小屋も来客で右往左往していたが昨日で皆帰っていった。

客人を平常私たちがよく行くところお連れしても、たまたま、客人が道の選び方を違えると全く新しい経験をすることがある。不思議な気がする。清里では萌木の村の裏道に滝見をする場所を見つけた。また白州のシャトレーゼのケーキ工場への見学をしに出かけたが渋滞があったため、途中ではあったが、『七賢』の看板を見つけて酒造所見学に変更し、思いがけず日本酒の利き酒を決め込むことになった。私たちには初めての体験だった。醸造の仕方が違い、たくさんの種類の七賢があった。私は絹の味、夫はたる酒が気にいった。明治天皇が滞在したという寝屋や苔むした庭を見、その間のエピソードの説明を受けて、日本という国もなかなか奥が深いと感じた。直営レストラン≪臺眠≫では一階で小一時間も待ったが、ジャズが流れ漆喰の壁が良い雰囲気を醸していた。二階は古民家風の作りになっていて私はとろろ定食を食した。水が良いところはお酒も美味いということだ。

その外出の前日、14日には川上村の花火大会があり、初めて見に行った。村という小さい自治体にしては華々しい花火であった。大きな大輪の花が夜空にバンと咲いてチリチリと小さな花びらに変わっていく時に命の炎のような欠片が3月11日に亡くなった人たちのような気持がした。その時に飛来した心模様はあえて言うまいと思う。あの爆発のエネルギーを私たちは何らかの形に変えていかねばならない。それでこそ花火の目的である鎮魂の思いがあるからだと考えている。

Kawa_suiton いつも夏休みになると母は「戦争中はすいとんを食べたのよ」と家にある野菜ですいとんを作ってくれた。だから私も子どもたちには夏によくすいとんを作る。戦争中は野菜も少なく質素なすいとんらしいが、私が作ると少し豪華なすいとんになってしまう。今日は来客用の残りの食材を使ってすいとんを作った。T君のおじいちゃんの作ったインゲンや茄子や、Sの持ってきたカボチャも入れた。そうそう、手巻き寿司の残りの刺身も入れちゃいました。こうして冷蔵庫はどんどんすっきりとして夏も終盤に向かいます。きっとお絵描きの子供たちのおじいちゃんおばあちゃんも孫たちが帰って、幸福感と脱力感を同時に感じているでしょう。お疲れ様!そして自分にも『お疲れ様!』 なんてね。

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2011/08/09

ニンニクとピザと私

Kawa_hotarub 朝には3キロの散歩をした。湖の近くにホタルブクロが生えていた。道路際なので、鹿に食べられずにいたようだ。近いうちに来る親戚の子のために水場などを見て、遊びのシミュレーションをした。

数日前に佐久穂町の農産物直売所で買ったにんにくが小振りで美味しい。ただ焼いて食べるだけでなくて何か効果的に利用しようと考えた。そこで丸のままをバターで7個ほどを炒め、半分に切り、それを焼きあがった普通のピザのチーズに載せた。これなら食べる時に転がらないで食感と味を楽しめる。Kawa_piza2

我が家の食事のメニューは和洋折衷が多い。こうしたチーズ料理と豆腐にしたり、前回7/30の料理の写真を見るとわかるように、ミニステーキに厚揚げと大根おろしなどと、必ず和と洋を取り混ぜることにしている。昨日はピザのほかに、焼きにぎり、鶏肉の燻製、ホワイトアスパラガスと長野産アスパラガスをコンポートに飾りドイツを思い出しながら食事にした。

Kawa_piza もう40年主婦をしていると、あの新婚の時の失敗は何だったのだろうと思うほどにメニューの組み合わせも、時間の短さも、美味さも上達している。(フフ言わせて下さい。) でもよく考えると、これはすごく食いしん坊な人がそばにいて、あーだ、こーだとうるさく言ったからにほかならない。あの新婚当時のまずい餃子に始まった大ゲンカを乗り越えてこそ、今日がある。ただ言わせてもらえば、私が素直に付き従い、次に美味しい餃子を作っていくという修羅場を乗り越えたからこそ、今日があることも言わずにはいられない。私自身が正直言って食いしん坊なのだとも思う。

昨日は夕焼けを楽しんで食事にしたいと思っていたが曇って来て半袖では寒くなった。鹿がすぐそばでヒューンと鳴いていた。夜半に外を見ると白樺越しに月がチラチラと見えた。14日が満月だという。にんにくと満月で何か書けそうだけれどね。ペルセウス流星群も見られる日が近い。ところが天気予報を見ると、晴れの日は少ない。今年は特別な年と考慮しよう。

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2011/08/08

プルーンジャムを山小屋で作る

Kawa_purun 昨日は関東一円で雷雲が発生し、あちこちで雷が落ちたようだ。ここ八ヶ岳東麓も雷が鳴り出したのは昼の12時少し過ぎてからで約2時間の間激しい雷の地響きであった。本格的な夏休みが始まったけれど、天候がいまいちで気分は乗っていない。

Kawa_purun2_2 一昨日に佐久穂や小海に行き、4日分の買い物をしてきた。町の駅で買った野菜の中には生のプルーンもあり、こうした天候の時にはジャム作りをして気分を変えると楽しくなる。この間作ったルバーブジャムは少し砂糖を控えたのだが、やはりジャムを大量に作る時は砂糖は普通か多めの方が安心だ。今回は750gを2パックつまり、1.5Kgなので砂糖は50%で700gにした。鍋がテフロンしかないので、2か所で煮ながら量が少なくなってから2つを一緒にして煮た。種を一緒に煮ると良いというので、ハンカチに入れた。意味はまだ調べていない。

Kawa_purun3 父と母もよく年を取ってから二人で楽しくジャムを煮ていた。寿雄と照子を略して寿照印いちごジャムなどとシールを張ってあった。この間、長女の家に行って、台所を片づけた時にうっかりとそのシールの着いた瓶を洗ってしまった。何も入っていなかったからきっと取っておいた瓶だったはずだけど、ごめんね。思い出は継承します。

私と芳州さんは一緒にジャム作りはしたことがない。いつか一緒に作るかしら。私たちがよくドイツに行くとホテルの朝食では大きめの器にジャムが入っている。ヨーグルトに入れたりパンに塗ったり、その手作りらしさがたまらない美味しさだ。今年の夏も山小屋に来る人たちに、この手作りジャムを出せることが幸せな気持ちがする。ジャムはルバーブとアンズとこのプルーンの3種類だ。パンは手作りできないので、清里のプレドールでしょうか。

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