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2011/08/17

東日本大震災から5カ月とお盆のすいとん

Kawa_hanabi1

8月は日本にとって悲しい記念日が多い。6日が広島原爆忌であり、9日が長崎原爆忌、12日は日航機墜落時事故の日で、15日が終戦記念日となっている。そして11日は東日本大震災から5カ月を経たが、まだまだ仮設住宅が建設できていないというニュースがある以上11日という日は、『あれから6か月』、『あれから7カ月』『あれから8カ月』とずーっとカウントされていくべきものだ。よく考えればいろいろなことが元に戻るまで、これは月単位でカウントされるべき日本にとっての重大事なのだと思う。Kawa_hanabi3

私の今いる山小屋から御巣鷹山は30キロも無い。日航機墜落事故当時は私たちの山小屋はまだ建っていなくて、テントで生活を2日間して、峠を越した民宿の温泉に入りに行った。そこに着いたばかりの時にこの事件を知った。民宿の階段から見たテレビに大きくオレンジ色で川上村と書かれていたので、置いてきた自分たちのテントが丸焼けになってしまったかと驚いたのを覚えている。翌日に戻ってキャンプサイトから自衛隊のヘリが何度も何度も行き来するのを見て、もう一泊する予定を止めて帰ることにした。帰る時にカーラジオから川上慶子さんが救助されたことを聞いて家族で歓声を上げて良かったと言いあった。その時は我が家の長女と同学年だった。あの時はお盆の帰省客でジャンボ機は満員だった。あれから26年がたち、その時に事故に逢い亡くなった坂本九さんの≪上を向いて歩こう≫と≪見上げてごらん夜の星を≫は今回の東日本大震災で、追悼、応援の曲としてよく流れた。日航機墜落の日は現在では航空安全の日、茜雲忌となっているそうだ。

ここ1週間はお盆の時期にも重なり、実家に帰省している家族が賑やかに集まり、山小屋近辺も時には孫や子供の泣き騒ぐ声がそこここで聞こえる。我が山小屋も来客で右往左往していたが昨日で皆帰っていった。

客人を平常私たちがよく行くところお連れしても、たまたま、客人が道の選び方を違えると全く新しい経験をすることがある。不思議な気がする。清里では萌木の村の裏道に滝見をする場所を見つけた。また白州のシャトレーゼのケーキ工場への見学をしに出かけたが渋滞があったため、途中ではあったが、『七賢』の看板を見つけて酒造所見学に変更し、思いがけず日本酒の利き酒を決め込むことになった。私たちには初めての体験だった。醸造の仕方が違い、たくさんの種類の七賢があった。私は絹の味、夫はたる酒が気にいった。明治天皇が滞在したという寝屋や苔むした庭を見、その間のエピソードの説明を受けて、日本という国もなかなか奥が深いと感じた。直営レストラン≪臺眠≫では一階で小一時間も待ったが、ジャズが流れ漆喰の壁が良い雰囲気を醸していた。二階は古民家風の作りになっていて私はとろろ定食を食した。水が良いところはお酒も美味いということだ。

その外出の前日、14日には川上村の花火大会があり、初めて見に行った。村という小さい自治体にしては華々しい花火であった。大きな大輪の花が夜空にバンと咲いてチリチリと小さな花びらに変わっていく時に命の炎のような欠片が3月11日に亡くなった人たちのような気持がした。その時に飛来した心模様はあえて言うまいと思う。あの爆発のエネルギーを私たちは何らかの形に変えていかねばならない。それでこそ花火の目的である鎮魂の思いがあるからだと考えている。

Kawa_suiton いつも夏休みになると母は「戦争中はすいとんを食べたのよ」と家にある野菜ですいとんを作ってくれた。だから私も子どもたちには夏によくすいとんを作る。戦争中は野菜も少なく質素なすいとんらしいが、私が作ると少し豪華なすいとんになってしまう。今日は来客用の残りの食材を使ってすいとんを作った。T君のおじいちゃんの作ったインゲンや茄子や、Sの持ってきたカボチャも入れた。そうそう、手巻き寿司の残りの刺身も入れちゃいました。こうして冷蔵庫はどんどんすっきりとして夏も終盤に向かいます。きっとお絵描きの子供たちのおじいちゃんおばあちゃんも孫たちが帰って、幸福感と脱力感を同時に感じているでしょう。お疲れ様!そして自分にも『お疲れ様!』 なんてね。

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