35年前を思い出して
左作品はヒナタとタケシ
あとりえ・チビッコの展覧会に向けて子どもたちに作品を描かしている。これから約一カ月がラストスパートだ。以前は大倉山記念館、県民ホールギャラリーで発表したが現在の生徒の人数では面積が広すぎるため、指導している自宅隣の教室を展覧会場にして、これで2回目だ。2年前の前回初めてした時はどうなる事かと思われたが、自分一人で会場作りから、作品指導、招待状作りなどをするのは結構大変だった。そして会場を借りるということは会場係を置かねばならない。ご父母の労をいとわなければならないのが、難しくなってきていた。そこで縮小したのです。
私がこの教室を35年前に希望が丘で始めた当時を思い出している。自分の子を混ぜて6、7人の教室の展覧会をさせていただいたのは横浜銀行希望が丘支店だった。銀行のフロアを会場にして作品を飾った。平面の作品のみを飾り芳州先生にも手伝ってもらいながら始まったあとりえ・チビッコの展覧会だった。私もまだ若く、体力もあり、実際同年輩よりは若く見られ、まあ要するに早―い話がピチピチだった。(ここで自慢話)
今、こうして展覧会を自宅でするということはあの35年前の発展途上に戻ることは出来ないが、ある意味では熟成している。子どもたちを見る目が鋭くないかもしれないが、優しさに満ちていると思う。また経験が積み重なっているゆとりもあると思う。これこそが情操教育なのだと思うことがある。幼児や小学生は大人と違うので、造形活動には制作を促す優しさと厳しさが必要だがその子を長い年月観察しながらの間合いが必要だ。私にはその力があると思う。この指導方法に対して理論的な考査をすることは私自身の能力不足もあり出来ていないが、指導していることは子どもたちに絶対プラスに働くはずだ。そう信じてやってきたしこれからもそうすると思う。
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