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2012年2月の記事

2012/02/26

43回目の出会いの記念日

Sirakaba

私の生活の基盤は夫の仕事の助手なので、その仕事がスムーズに行くように手伝いをしています。それは車で最寄り駅に送り迎えに行くことだったり、電話の対応だったり、山小屋での撮影の準備だったり、写真教室の生徒さんたちとのコミュニケーションだったり、ちょっとした写真のモチーフの調べごとだったり、フリーで仕事をする上には、ことさら取り上げるほどではないにしても、そういう準備や手助けが大切です。

それは結婚した始めからではなく、今から20年弱前から始まったことです。独立したいとその20年前ほどにも言われたことがありました。その時は子供たちを育てるビックウェーブの中にいたので、賛成はできませんでした。

あとりえチビッコのお子さんのご父母の方々はこれからその波が来る場合もあります。急にいろいろな事が出来る訳ではありませんから、徐々に夫婦力を合わせて、一緒にできることを探し、勉強しながら進むことが必要です。子供は親の後ろ姿を見ながら育つと言います。お母さんやお父さんが考え選択し、進んでいくことはお子さんに百の言葉で言わなくても理解できると思います。

ちなみにもうすぐ確定申告の時期でもありますが、私は用紙にその仕事の内容説明に、『助手、絵画指導』と最後に書いて提出する時に毎年言いようのない満足感を覚えます。まあちょっと変ですけど、そしてなんだか自慢しているみたいですけど、同じ仕事をするのならば、そういうプロセスを踏んでいける方が幸せだと思うのです。ただし喧嘩もしました。結構すごいやつも。

ついでに実は今日私たちが知り合って43年目の記念日です。ところが私は今年のバレンタインデーのメッセージに芳州さんには「もう堪忍袋は80%満タンです」と付け加えました。彼の中ではのようです。フフフフ o(*^▽^*)o

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35年前を思い出して

Taihihinata_2Taihi_takeshi_2

左作品はヒナタとタケシ

あとりえ・チビッコの展覧会に向けて子どもたちに作品を描かしている。これから約一カ月がラストスパートだ。以前は大倉山記念館、県民ホールギャラリーで発表したが現在の生徒の人数では面積が広すぎるため、指導している自宅隣の教室を展覧会場にして、これで2回目だ。2年前の前回初めてした時はどうなる事かと思われたが、自分一人で会場作りから、作品指導、招待状作りなどをするのは結構大変だった。そして会場を借りるということは会場係を置かねばならない。ご父母の労をいとわなければならないのが、難しくなってきていた。そこで縮小したのです。

私がこの教室を35年前に希望が丘で始めた当時を思い出している。自分の子を混ぜて6、7人の教室の展覧会をさせていただいたのは横浜銀行希望が丘支店だった。銀行のフロアを会場にして作品を飾った。平面の作品のみを飾り芳州先生にも手伝ってもらいながら始まったあとりえ・チビッコの展覧会だった。私もまだ若く、体力もあり、実際同年輩よりは若く見られ、まあ要するに早―い話がピチピチだった。(ここで自慢話)

今、こうして展覧会を自宅でするということはあの35年前の発展途上に戻ることは出来ないが、ある意味では熟成している。子どもたちを見る目が鋭くないかもしれないが、優しさに満ちていると思う。また経験が積み重なっているゆとりもあると思う。これこそが情操教育なのだと思うことがある。幼児や小学生は大人と違うので、造形活動には制作を促す優しさと厳しさが必要だがその子を長い年月観察しながらの間合いが必要だ。私にはその力があると思う。この指導方法に対して理論的な考査をすることは私自身の能力不足もあり出来ていないが、指導していることは子どもたちに絶対プラスに働くはずだ。そう信じてやってきたしこれからもそうすると思う。

 

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2012/02/14

2012バレンタインデーのメッセージ

Coco2

Saint Valentine‘s Day2012年のメッセ-ジ❤

昨年のバレンタインデーからもう1年が経ちました。2011・311に東日本大震災が起こり、大きく心模様が変わった方もいられると思います。震災直後は被災地の復興を祈る日々でした。そしてそれは今も続いています。

ところで岩手県三陸海岸地域には明治の頃から『津波てんでんこ』という言い伝えがあるそうです。 『津波が来たら取るものも取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに1人で高台に逃げろ。そして自分は助かり、他人を助けられなかったとしてもそれを非難はしない』という不文律になっているという。津波での犠牲者を減らそうと代々伝えられてきたという。

今回はそれを実践し助かった人もいたが、災害弱者の避難誘導をし、津波に巻き込まれて犠牲になったケースも多くあったようです。現在の人口構成や社会環境が昔と違っているため、そのとらえ方をどうするのか議論も始まっているそうです。少子化の現代こそ『津波てんでんこ』だと思えますが、足の悪い方や幼い子が躊躇なく逃げる良い方法を考えねばなりません。

私は3・11以降、平和時の愛を大切にしようと思っています。抽象的で分かりづらい人はブログに載せますので、お時間がありましたら見てください。こうしてチョコレートを贈ったということはあなたを大切に思っているということです。  

2012214日    WITH LOVE ❤ 豊田恵子

追記:お手紙形式をブログにそのまま載せたため、書体などが違い、時間がなかったため訂正できずにいました。

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2012/02/13

レターパックは明日までに届くかしら?

Yatugatake_1 ポストに入らなかったレターパックの郵便物を川上の郵便局に持って行った。八ヶ岳に笠雲が何層かになって浮かんでいた。たかがバレンタインデーのチョコレートなのに右往左往している自分が恥ずかしいような気持もあって車の中から八ヶ岳を見た。写真を撮るのは荷物を届けてからにしようと郵便局に向かった。システムの不具合だと思うけれど、レターパックが送れなかったことを郵便局の方に一応説明し、ほっとした。郵便局の人たちは真面目な人たちでクレームを言う自分のほうが、変な人のような気がした。帰る途中で写真を撮った。

Yatugatake_2

戻ってからさつま芋をホイルに包んでストーブにのせた。もう少ししたらこの左の写真の煙突から焼き芋のいい匂いがしてくるだろう。

さっそくメール便で送ったチョコレートのお礼の電話があった。ささやかなチョコだけど寒い冬にはなによりのコミュニケーションだと思う。来年はすべて黒猫にしよう。チョコといえどもユーチョーなことは言ってられない。

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2012/02/11

郵貯へのお願いと春の兆し

Kawakami_ken2 今朝はマイナス11度だった。

灯油がなくなったので村に降りて行った。そして川上村役場の蕎麦屋、樹木里に行った。鴨南蛮は大変美味であった。鶏肉ではなく本当の鴨が使われていた。美味しい鴨は食べ終わってからお口の周りが獣臭い。これが褒め言葉であると私は思っているのだが、いけないかしら。

その後、灯油を買ったり、メール便を出したりしたのだが、郵便局で困ったことが起きた。レターパックという、自分がポストに入れるだけで良いという形態なのだが、いざ川上のポストに入れようとすると入らない。そして今日は土曜日で、郵便局はやっていない。村の3か所のポストを見て回ったがすべて入らない。川上村でなくとも日本全国のポストに入らないということになる。一応その包みは封が出来れば厚さはどのようでも構わないものだった。レターパックが黒猫の宅急便と違うことは日にちを指定はできないが500円と少し安いので、10通出すのでそれに決めたのだった。そこで予定より遅れるが、明日早朝ポスト前で郵便局員さんに手渡しすることにした。実はそれはバレンタインデーの本チョコなのですごい困ることになるのです。遅れてしまう地域が出てきてしまうのです。困ったなあ。これは郵貯へのクレームになると思うけど波風立てて贈りたくもないから静かにしていますけれど、こだわって横浜で出さずに、ここまで持ってきたことがかえって裏目に出てしまった。あれは問題です。窓口でないと出せないものもあるとか地方ではポストの口が小さく出せないとか、言ってほしかった。明日12日に出して14日に着いてくれれば問題はないのだが。関西は無理ではないかしら? Kawakami_ken1

ところで、川上村役場では川上犬の赤ちゃんが4匹も元気でいました。私たちがそばに行ったら激しく『抱っこして!ここから出して!一緒に遊んで!』と騒ぎました。4匹皆顔が違っていました。

Kawakami_sake ナナーズでは酒粕付きの黒沢酒造の井筒長が売られていた。酒粕が付いているということは新しいお酒という印で、つまり春の兆しということなのではないでしょうか。

 

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春の兆しとバレンタインデー

Sijuukara_009 今、山小屋からブログ更新しています。

雪は道路脇に残り、白樺林の間にはまだ白く残っている。一昨日水曜日に指導した二人絵・コミュニケーション画(私が勝手に名付けた絵の方法)について書くのが先なのだが、ここに来るともう自然に抱かれた感じがして、お仕事はちょっとだけ後回しにさせていただきます。

昨日早朝起きて、ETCのお得な時間帯の朝9時前に中央道に乗ることを厳守できれば、料金は半額になる。談合坂でパンとコーヒーを食し、それからの中央道は私の運転。以前の車の故障は精神的にあまり気にならなくなった。だからと言ってスピードを出したりはしない。例えば120キロとか。木曜日に母の介護施設に行った時に第算京浜で行きと帰りに覆面パトに捕まっている乗用車を見た。行き帰りとも同じナンバーだった。そういうことが頭をかすめたので、スピードは抑えて運転した。甲府盆地を過ぎると八ヶ岳が見えて、山々は白く雪で覆われて、まるでケーキのようだった。遠くから見ているとゴジラの背中のようなゴリゴリが出ているところがあって、なんという山なのか知りたいと思ったが、私は山の名前をいつまでたっても覚えられないので芳州さんには聞かなかった。彼はとても丁寧に説明してくれて夫婦であっても申し訳ない。それなのにすぐ忘れる。映画の話だったら忘れないのだけれど。私が忘れないのはマッタ―ホーンとモンブランと富士山かもしれない。日本の山の名前は何だか似通っている。それに美味しそうじゃない。

毎年続けている今年のバレンタインデーのメッセ-ジを書き、発送手続きもほとんど済んでいるが、文章の段階で、いまいちだった。いくつかのスタイルで考えたのだけれど、地震や原発に考えが及んで、愛を伝えるという、コンセプトが上手くいかず、なんだかひび割れたチョコレートを贈るような気分もした。毎年経済効果も考えて贈っているので、数は多い。昔は馬鹿みたいに100を超えていたが今では抑えている。今年は年をとってきた親戚にも送ったりした。小さい時に私をおぶって子守唄を歌ってくれた叔母にも送った。もしかすると記憶の原点かもしれない。お中元やお歳暮を贈るのと違う意味合いがバレンタインデーにはあると思うのですが、どうでしょうか。

人に死が突然訪れた時にはそのようなことは考えもしないが、明日突然地震などの死が来るかもしれないと1年も考えれば、自分の中にある、固定観念や受け継がれている囚われた考えは捨てようと思う。そんなことを私は考えながらチョコを発送した。中には、送りたいけれど住所が分からずの人もいるけれど、インターネットでできるだけ調べてメールをして確認して送った。だから有名人もいる。毎年もう止めようかという思いもよぎるが、送る人の顔を思い浮かべて発送の準備をすると若い頃の自分を思い出して顔を赤らめたり、胸がドキドキしたりして、2月の寒い時期に自家発電ができることはエコだとまで考えられるのです。永いことしていることなので、もう、誰が本チョコとか、義理チョコとか、営業チョコとかは分かりづらくなっていますが、もちろん夫である豊田芳州が本チョコであることは間違いない事実です。

こちらに来る途中の長坂のJマートではバードフェアをやっていて、鳥の餌を入れる籠や水飲み場の鉄製の置物が多数売られていた。そしてこちらに来て雨戸を開けるとシジュウカラたちが餌頂戴のダンスをする。『はいはい、あげますよ。ヒマワリの種、待っていてね。』 昨日は来てすぐにドアを開けた時にバニラの匂いがした。バニラのビンが地震で割れたのかと思ったが、ビールが破裂していた、ビールも発泡酒だからいろいろな香料が入っているんだと気付いた。何度で凍ったのだろう。

今は何もない森の中だけど、少なくとも花粉は飛び始めた。そして、鹿も清里大橋近くの牧場に出没し始めた。昨日は8頭はいた。探せば春の兆しはあるはずだ。

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