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2012/03/10

鎌田實と松川烈(きよし)とエトセトラ

明日で東日本大震災から一年が経ちます。
ここに東日本大震災で亡くなられた方々《 15854人》行方不明者《3167人》のご冥福を祈り、被災された方々の物質的な回復や精神的な快復をお祈りしたいと想います。(数字は2012・3・9現在)

小学校の同級生に松川烈くんという男の子がいた。彼は二十歳の時に剣岳で滑落遭難し亡くなった。小学校卒業の時から会わずに亡くなったから《男の子》だった記憶しか無い。そのことは2年前のこのブログに『点の記を二度観て』で書いている。私が何故そのことを今日書くのかの理由はこうである。
鎌田實の『八ヶ岳山麓日記』をよく見ている。鎌田先生が東京医科歯科大学出身で松川君より多分1年後輩に当たることを以前知った。そして鎌田先生は今回の地震や原発事故に対して被災地に医療の救援隊を派遣し、お風呂のプロジェクトもし、ブログでは放射性物質に対する考え方や被災地の状況を報告してくださり、不安になる気持ちに映画の新作紹介などを交え、みんなの不安を分かってくれた。日本政府の言っていることが信じられない不信感が漂う中、医師としてこの一年、明るく道を照らしてくださった。
私は同じ時期に同じ場所で学んだ人が一人は20歳で命を落とし、一人は本来の目的であった医師として60有余年働いて、人の命を救い、今回の原発事故では今までのチェルノブイリでの研究を生かす行動に出ている。たくさんの仕事をしてくれた。何という人の命というものは尊いものなのだろうという思いが湧き出てきている。、今こうして鎌田實という人を知ってまた新たに、私の小学校の同級生松川烈君に思いが繋がっている。彼だって、生きていたらきっと、いろんな事ができたはずだ。町の歯科医になって、子供たちの歯の矯正をしていたかもしれない。そしてあの津波に飲まれて亡くなった子供や親や祖父母の多大な損失を思う。経済や損得の問題ではない。
東日本大震災で亡くなった人、特に子供たちの生命の尊さ、生命の重さへと考えが思い至る。あの津波の情景は日本人として、いや、地球人として忘れられない光景だ。残された人の中には『亡くなった人の分まで生きて働きたい』と思っていることだろう。震災にあった子供たちはまだそのようには考えられないかもしれない。でもこれから生きていくうちに、人生の節々でそれを感じるのではないだろうか。
こうして東日本大震災以降、多くの事が変わってしまったことも在るような気がする。もう一年経ったのだからと考えるべきかもしれないが、同じ日本人として修復できない気持ちも残る。いつまで経ったとしてもリセットは出来ない。
だが、私は小さい子供のための造形教室をしている、この波乱を含んだ時代に生きる子供たちのため放射能でも津波でもイジメでも、どんと来い! と心だけは構えている。……と言っていたのは3・11以前の私だ。ガックンチョ!  今は我が身の無力さを知った。それでも、頑張らなきゃならない。それには日本人として知力こそ大切な力のような気がする。まあそれにもいろいろ限界はあるのですがね。それこそ、死んだ人の分も生きないといけないのだから。
頑張らない生き方もあるけれど、頑張る頑張るって言って、現状維持で生きる生き方がある。もしかしたらそうやっていて、何か掴めるかもしれない。何しろ人生はTo be continueなのです。

もう一言、東北の復旧活動をする政府にはより一層スピーデイーにやって貰いたい! もう一年も経ったのだから。日本のプライドにかけて! (一部記事を削除しました)

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