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2012年8月の記事

2012/08/30

あとりえチビッコ35周年の集いに寄せて

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8月26日「あとりえチビッコ35周年の集い」を大倉山地中海家庭料理の店≪カヴァヌ―ラ≫のパーテイールームにおいていたしました。24人のあとりえチビッコOBOGとその伴侶の方々が集まり学年を超えて楽しい時間を過ごしました。

私が理想とするアカデミー賞の授賞式的にご挨拶をしました。ちなみにこの日は出席が日本人ばかりだったので日本語でご挨拶しました。

『あとりえチビッコに入会することに決めて下さった子供たちのご両親、私を支えてくれた家族(夫、そして娘たち)、そして、私の家事の手伝いをしてくれ、今は老人ホームにいる母や、もうお墓にいる父に感謝をしています。スタッフに感謝しています(これを忘れた)。
長い年月続きました。音楽を聞いて描くこと、木を使った工作をし、2年に一度展覧会をすることなどをしてきました。子供たちはあとりえチビッコで何かを作り何かを描き、同じ空気の中にいた連帯感みたいなものが学年は違ってもあるのかもしれません。私はそれぞれの子供の知能や手指の発達度に合わせて工作を考え、子供たちに取り組ませて来ました。公とは違う何かをしたい。公ではできないことをしたい。それをずっと考え続け与え続けてきた結果はほぼ間違いはなかったと実感しました。』

会場ではベビー3人が元気に遊んで食べている様子、OBパパと一緒に来たママが子供の世話で大変な様子を見るうち、私が豊田のスキー部OB会の集まりに行き、打ち解けるのに時間がかかったことなどを思い出しました。辛抱強く3時間も一緒にいて下さり、ありがとう。でもきっと相棒たちは「あとりえチビッコ」の楽しさを分かってほしいと奥さんや御主人を連れて来たのだと思います。OBOGの皆さんが仕事や育児の話を活き活きと話すのを私は嬉しく聞いていました。そしてまだシングルでいる方には良いご縁がありますようにという思いも浮かびながら聞いていました。あとりえに来ている時から食いしんぼうだった子がギャル曽根化しているのも嬉しかった。いいのです。みんな自分の花を咲かせている。音楽を1人はパーカッション、1人はギターと歌、そしてまた1人はチェロ。私にはそんな空気の中みんな一緒で嬉しかった。いつもの雰囲気とは違う中での演奏はかえって緊張させたかもしれません。燃焼しきれなかったかも知れません。いろいろ不手際もあったかと思います。

私がおこがましくも核の中心になり、その渦を広げながら続いているサテライトな衛星のような君たち、あなたたち、それぞれの家庭。また1人でも輝き続けている。もうそれは工作でも絵画でもない自分の人生へのペイント、そして自分たちの人生を作っていくこと。いつも言っているように私が携わった部分は僅かです。こうして5年に一度会い、確かめあうことができました。公(おおやけ)でないからこそ、続き、意味あるものになったのです。市井(しせい)の造形絵画教室の先生としてこれからも微力ながら続けます。

今回仕事や遠方のため、出席できなかった、連絡をくれた方たち、「ありがとう!」私の心の中ではみんな一緒でした。また「40周年をしましょう」という応援の声も聞こえたので、あとりえチビッコは私の体力のある限り続けるつもりです。ありがとうございました。 heart01

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2012/08/28

業務連絡 35周年の集いを終えて

あとりえチビッコ35周年の集いは無事、楽しく終わりました。
ご出席いただいた皆様、欠席の連絡を下さった皆様ありがとうございます。
記事の更新にもう少しお時間をいただきたいので、しばらくお待ちください。♪( ´θ`)ノ

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2012/08/25

業務連絡 ☆ 今夜は眠れないかも★

あとりえチビッコ35周年の集いは明日になりました。予定より多くの人が集まることになりました。25人です。
noteパーカッション、ギター、チェロbellの演奏があるようで、すごいことになりそうです。
Babychickたちが興奮しそうですがいい経験でしょう。私はまたもや造形絵画の先生を逸脱して、駄菓子屋のおばちゃん化し、三角クジを作りました。準備OKだけど、私には身に余るheart01 幸せ heart01です。
今夜nightは眠れないかも。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

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2012/08/17

業務連絡

《あとりえチビッコ35周年の集いについて》
cake 現在在籍の生徒さんたちへ
8月26日午後1時よりする予定のパーティーは現在在籍の生徒さんも都合が良かったらおいでください。8月22日のおけいこの時に集いの場所などを書いたお知らせをお渡しします。ここで発表すると会場が大混乱になるといけないので。(笑)  確か予定表で場所を書いていましたね。
会費は親子2人で3000円です。《たぶん美味しい食事》をご用意しています。

wineOGOBさんたちへ
もしも作品が残っていたら、1作品持ってきてください。もちろん片付け上手のお母さんが作品を処分していたらその時は気にしないで下さい。それを持ってあの頃のことを一言お願いします。当日はOBOGによる演奏などもあります。

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2012/08/11

初めてのひとり旅@小学4年

《トモユキの夏》その1
4年生の夏休み、トモユキは叔母の住む埼玉県のとある駅を目指して武蔵野線に乗った。次々と駅名を読み、以前母と一緒に乗った時を思い出していた。トモユキは今日は何か違うと心で思うことがあったが、気づけなかった。わかっていることは一人だということだった。

《トモユキの夏》その2
乗り換えの駅にきて階段を上り別の線に乗った。窓に映る景色は母と一緒の時にも見た。今日はぼんやりしてはいけないんだ。何かが違うと思っていた。母から預かったお土産の菓子を背中のリュックに感じて、約束の駅に着いた。

《トモユキの夏》その3
電車がゆっくりととブレーキを掛け、ドアが開いた。いつも母が教えてくれた電車のドアに触ってはダメよとか、ホームと車両の間に落ちないようにとか、いつもママはうるさいと思っていることが懐かしいような気がしてホームに降り立った。

《トモユキの夏》その4
階段を上がり、今度は階段を下りると、改札口に母の妹がいて、にっこりと笑っている。トモユキもにっと笑って、転ばないようにとか人にぶつからないようにとか思いながら叔母のところまで行き、『あいちゃん、こんにちわ』と言った。

《トモユキの夏》その5
叔母の顔を見ていると嬉しくなって、家を出た時から漂っていたいつもと何か違うその気持ちを忘れていた。この人がお母さんと姉妹なのだと思ったら、胸の中に急に温かいものが流れて、母以外の信頼に足るものを感じた。だがトモユキはそれを言葉には出来ずにいた。

《トモユキの夏》その6
それを言葉にできたのはトモユキが高校に入学し文芸部に入り、『小学生の頃の夏休み』という題で書いた作文であの日の気持ちを言葉に再現した、その時だった。それは『親から自立する心』だった。

孫の始めての中距離移動を想像してみた。ツイッターで書こうかと140字で纏めて見たが、機を逸したのでツイッターに載せるのは辞めた。私にはトモユキが移動している、その時間がとても長く感じられた。『始めてのお使い』的に記録しておこうと思う。
人はそれぞれ無意識に生きている時がある。そういったことにある日気がついたら書いておかなければ忘れる。

ところであとから、トモユキに電車に乗っていて考えた事は何かと聞くと、DSの攻略法と叔父さんと叔母さんに会うのが楽しみだったという。

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2012/08/06

梅ちゃん先生と大倉山記念館

Kinenkan_2 (写真は大倉山記念館ツイッターアイコンより借用)

先週の金曜日に携帯の電話で次女から「大倉山記念館が梅ちゃん先生の場面に出ている」と連絡があった。それは長野と横浜の移動中だったため、昼の再放送は見ることが出来なかった。そこで夜になって見てみた。梅子さんの叔父さんが警察に入れられて面会を申請する場面だった。電話をしてきた次女は学生時代に大倉山記念館でアルバイトをした。事務的な用事や清掃の仕事をしていた。館の周りを箒で掃き、そのテレビの場所は熟知した所だった。私にはその場面は次女が小学校1年生の時の作文に書いてあった場面とオーバーラップする。大倉山記念館を通り過ぎて緑が丘幼稚園と言うところに通っていた。今はもうその幼稚園はない。

「わたしはようちえんにいくときに、大くら山きねんかんのうらのでんきがついているときと、きえているときがあるのは中におばけがいて、つけたり、けしたり、しているんじゃないかとおもっていました」と言う節を思い出すのです。


そしてそこを通って幼稚園に通っていた時の次女が今から4年前に結婚相手を紹介されたのが大倉山記念館だったことも。そしてそれはあとりえチビッコ展が記念館でするのはもう最後になるかもしれないという時でもあった。

そのような事をツイッタ―で書いたところ、大倉山記念館okurayama hallさんから「もう一つの素敵なドラマですね」と帰ってきた。「記念館は豊田さんと深く関わってきたんですね。これまでも、そしてこれからも記念館をどうぞご愛顧ください☆」

何かもう一度力を振り絞って見たいような気がしてきた。

ところで「梅ちゃん先生」の展開は予想外であり、そういうこともあったかと感じた。幼馴染と言うことで私も目黒に住んでいたKちゃんを思い出した。きっと彼も私のことを思い出しているはずだ。だからと言って私は何も新しい展開はないが、弟のメンコを取った時に喧嘩したことがあったっけ。お習字教室に一緒に通った。おせんべを噛む時にどうして人のはカリッと音がして自分のはグチャグチャするんだろうと、彼の顔に近づいたことがあったっけ。空気のような幼い日の幻。

追記:その後Kちゃんからメールがありました。メンコの事で喧嘩したことは覚えていませんということでした。実は私は母からその話を聞いて、そうだと思い込んでいたのでした。私にも記憶になかったような気がするのです。ゴメンね!

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暑中お見舞い申し上げます

暑中お見舞い申し上げます。

 さて今年の夏は飛びぬけて熱くなりそうだったので、省エネのために山小屋で暮すことにしています。省エネとは言いながら、長野への行き来のガソリン代と高速代に対して都会のエアコン代を比較したらどうなるだろうか。ゴー・リターンを少なくすると良いのだが、お互いの仕事と郵便物の点検と母の介護施設訪問などがあり、そこを合理的かつ安全にするのが難しい。
Kawa_natu2  私にとって34度の気温を28度の室温に維持して暮らすことは出来るが、自然の中で庭を作ったり畑を耕したり、森を散策したりする方が生き生きして、自分らしくいられる。今朝から雨が降り出した。昨日までしゃにむに外で庭のレンガを移動したり草を刈ったりしていたので今日は月曜日だけれど安息日と考えてパソコン仕事をすることにした。VAIO君よろしくね。

Kawa_natu5_2  庭と言うものは1年1年変化する。白樺の木も太くなり高さも伸びる。また冬の霜で道に作ったレンガや木の柵は崩れる。脇の灌木は伸びて道を塞ぐ。それがいつの間にか不便と感じることになって、直さないといけないと気がつく。気がつくとまるでデッサンをするように直したくなる。それが私の小さい時からの性癖であり、個性だと思う。今年は鹿に侵入されていないので遣り甲斐がある。

私の父方祖父も庭仕事が好きだった。横浜の反町の斜面の大邸宅の庭を自在に作っていた。本職は洋服の仕立てであった。私にはその血が濃く流れているかと思うが、父方祖母の父親、つまり私にとってのヒ―おじいさんは目黒川の河川を改修していると聞いたことがある。その二つの流れを汲んでいたのかとも草むしりをしながら考えていた。

Kawa_natu 激しく働くとお腹がすく。こちらでの暮らしが楽しくなるかどうかは夕食のメニューにも関わってくる。スタミナをつけ過ぎは良くないがバランスの良い食事を選んでいる。もちろん中高年用のお豆腐や煮物や干物の食事も心がけているが、夕焼けを眺めながらのビールは最高で、ビールに合わせた夕食を時間短縮で要領良く作るようにしている。そして一日の汗で出た水分をビールで補充しアルコールが会話を弾ませる。

Kawa_natu4 今回は佐久穂の町の駅の野菜直売所でスモモとプルーンとビーツが手に入ったのでそれをジャムにしたり、ビーツでスープを作った。全部真っ赤な料理だ。どれも染色ができそうだった。

それから、このブログを見にいらしてくださる方々に八ヶ岳東麓の冷気を少しでも届けられればと思っています。これからもよろしく!

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