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2013年1月の記事

2013/01/27

婿殿の自動車教習

今年の気温は全国的に低いようだが、ここ、川上も私たちの今までの経験からは毎年の平均よりは低いと思う。おおよその見当ではある。BSテレビではロシアやシカゴで寒波のためにすごいことになっている。川上の日中の昨日の外気温はマイナス10度だった。夜になって室内も寒くなっていったので、ストーブを弱から中に上げた。今朝調べると夜間外気温はマイナス14度だった。

正月に私たちが風邪をひいて、キャンセルにしていた次女夫婦が来た。賑やかになった分、我が家の体感温度は3度は上昇したと思う。夕食は私の得意料理ビビンバにした。寒いからと生姜やにんにく、ネギをたっぷりいれて作り始め、途中で胡麻油がなくなっているのに気がついた。そこで外の階段の雪かきをしていた彼らにお使いをお願いした。胡麻油のないビビンバはりんごのないアップルパイに等しい。調味料などをしっかり把握していればよかったのだがセカンドハウスだから仕方ないか。

自動車関係の仕事をしているお婿さんが、私たちが11月から使っている新しい車の仕様マニアルについて、昨夜と今日の午前中にかけて教えてくれた。雪道での脱出の仕方や、滑る道を通った時に表示される《ヨレヨレ車のマーク》や芳州さんが自分流で設置するマットは危ないなどと優しく冷静に指摘してくれた。カーナビの画面で車庫入れの仕方を、ピンポンパンと画面を出して教えてくれた。私も主人も若い人に指導される事を素直に受け入れ、そして従った。

皆で遅いお昼を食べに、清里のRockに行きカレーを食べた。車は彼が運転してくれたので私たちの念願だった、Rockのビールを頼んだ。デユンケルとピルスナー。Rockの地ビールが飲みたかったので酔いすぎないように慎ましやかに飲んだ。そりゃあ ドイツのビールは美味しいけれど、外で飲んでホテルに帰るまで日本のゼッケンを背中につけて、危険に会わぬように帰るので安心もできない。

彼らはお風呂の窓枠が入っている内に湯気がどんどん凍って行くのを見てびっくりしたようだ。他にもいろいろお話ができて嬉しかった。だから、今日はとにかく母はうれしかった。最近、いや、昔から私は涙もろくはなっているので。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

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2013/01/24

今年始めて山小屋に

新年始めて山の家に来た。
昨日はいつも通りに16号線で、相模湖から中央道に乗り、問題の笹子トンネルを通って、ここ川上村にきた。平日だったので談合坂サービスエリアも空いていた。
1月14日に降った雪がまだだいぶ残って、駐車場の前の雪かきで30分は使った。年末に横浜でココが足の捻挫をしたので、凍っている雪に足を滑らしてまた同じようなことにならないか、時々彼女を見ながら、雪を取り除いた。
川上村はこのように雪が降るとすぐに除雪車が来てくれて、本当に心強い。村長がしっかりしているのだと思う。だが除雪車は道が通れるように雪をかくわけで、うず高い駐車場の入り口の雪までは取ってはくれない。だから、昼間に着かないと大変なことになる。この間の横浜の雪でも、川上村を念頭において雪かきし、体力の維持向上に務めている。

こうしてセカンドハウスや標高の高いところでの山小屋暮らしをしている人たちは往々にして奥さんがいい意味で強い。ご主人一人で暮らしている人もいるが、夫婦でいる人、来ている人は暮らしが楽しそうだ。
書いているうちに気づいたが本当にそうだ。例えばKさんのうちは奥さんがパン作りと植木や草花の手入れが上手だ。その前のMさんの奥さんはやはり植木の手入れが上手だ。Nさんの奥さんはログハウスを作る時に屋根に乗っていたお転婆さんだ。Tさんの奥さんは私と同年輩だがスクーターを乗りこなしている。まだあまり親しくしていない人も多いがきっとみんな強いはずだ。
でも、私の例で言えば、始めからこんなに強かったわけでは無い。ジョジョに、徐々に強くなった。楽しいことをしたいから、掃除洗濯調理は早く、スピードを出しながら、初めはいい加減で、そのうち完璧に。すると些細な困難を気にしないで優先順位を付けて片付ける上手さを身につけて、心もついでに強くなった。これを言うと、誰かが、「それは我慢している偉い人が居るからですよ」といいそうだが。最近では私の実行力や行動力にタジタジとなり、そばで感心して見ているようになった。
今日は朝食の後の散歩では、昨夜降った雪の上にたくさんの動物の足跡が付いていた。ウサギが一番たくさんあった。痩せた狐もいた。テンも太い足跡を残していた。リスが一匹いた。鹿もいたようだ。その足跡の上をココが何の目的も持たず、フラフラと小さな肉球で足跡をつけている。
去年夏に熊の鳴き声を聞いた、野原のステージの脇でまた何かがゴトンと音を立てた。咄嗟に私は、熊がステージの脇の小部屋で冬眠から目覚めて、ひどくお腹がすいていて、何か食べたいなーと出てくるんじゃないかと想像し、40センチはある雪だまりを慌てて走った。撮影で後ろからきた芳州さんに家についてから言ったところ、そういえばひどく慌てていた足跡があったねと言う。
もちろんいつも言っているとおり、そんな時はココは人身御供ヒトミゴクウに。でも芳州さんいわく、「痩せたココより肥ったケイココ、美味そうだって追いかけて来るぞー。」大丈夫!私って結構強いですから! 
エイヤー!トウター! バキューン!ドターン!

とここまで書いていて、何か外で音が?
ガー!
ガーガー、ゴーゴー、ドーン、ドーン!

雪だあ!
屋根から雪が落ちたのであります。お終い。

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2013/01/20

トイザらスLazooで遊ぶ・Ⅳ

今回のトイザらスでの≪プチlazooあとりえチビッコ≫はipadでの「グルグル」と英字はんこを使った教室をした。すべてが小さな空間での指導のため、ささやかだ。ハンコは私の私物で海外で求めた大切なものなので、本日日曜日の私の助手の教室では使わない。その点はよろしく。


Toysrus_119c 子供たちの中にはリピーターの子、ユズちゃんもいた。配色を説明したが、自分の近況を話すのに夢中になっていた。絵を描くことは今まで言い続けていることだが、子供の心を開くので、作品の出来不出来よりは精神的解放の方が益が多い。ユズちゃんは明日キッザニアにおじいちゃんと行くそうだ。何のお仕事をするの?と聞いたが、意味がわからなかったようだ。こんどもしかすると報告に来るかもしれない。Toysrus_119b

あと、ハナちゃんとナナちゃんも一緒に描いた。お別れする時、さようならをしっかり目を見てさせた。「おめめ、ごっつん」

Toysrus_119a 視力を回復中の女の子は始めは、目の事が心配で描く事を躊躇っていたが、描きはじめると楽しくなっていった。あとりえチビッコには目が悪くてお絵かきをしていたミチルちゃんもいる。彼女は牛乳瓶の底のような眼鏡で絵を描いていたが、学年が上がるにつれてピアノに夢中になりオーストリアに留学した。数年前、あちらの方と結婚し眼鏡をはずした美しい姿の写真をいただいて驚いた。

私はこうしてお絵かき教室をしているけれど、何かの形で子供のための事がしたいと思っていたのが小さな力だけど実現できている。この仕事を下さった方々に感謝している。

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2013/01/18

シャガールを模写するbyキッズ

Chagall_asumiChagall_hirotoChagall_manami 左からアスミ、ヒロト、マナミ。

今回は去年行ったドイツのツエレで買い求めた「kunst-malbuch Marc Chagall」という本を元に指導した。画家の絵の一部分(デイテール)を線画に直してあり、それを自由に模写し描かせた。つまり高級な塗り絵と言える。

Chagall_reinaChagall_rihoChagall_rin
左からレイナ、リホ、リン。

日本の岩崎書店の「名画の秘密をさぐる・シャガール」の本を菊名図書館で読んでもいたが、丁寧に落ち着いて読んではいなかった。その内容を次回子どもたちに説明をする。模写した作品は1933年の「孤独」と1938年の「エッフェル塔の夫婦」などだ。

Chagall_tomoya 左はトモヤ。

描いていて子どもたちが疑問に思ったあの乾電池のようなものは、ユダヤ教の経典の巻物だった。子どもたちが疑問を持ちながら絵を描くことは、絵の記憶が強くなる。

ユダヤ人であるシャガールがロシアのユダヤ人居住区で親戚の音楽好きのおじさんたちと暮らした事や、パリに移り住み、詩人たちと暮らしたことや、ナチスに追われてアメリカに行き、また戻るという事と、教義で肖像画を描いてはいけないユダヤ教を離れて、キリスト教を信じ、聖書の場面を挿絵に描いた事などがあった。また奥さんのベラを愛していて、それらがすべて絵の材料にもなっている事がその本には書いてある。

そして実は私は暮れからずっと、「ヒトラーの秘密図書館」ティモシ―・ライバック著(文芸文庫)を読んでいた。ヒトラーは画家になりたくて美術学校の試験を受けて落ちたという経歴もあるのに、芸術関連の書物はその残された蔵書館には無かったという。ある説によればアメリカ軍が持ち去ってしまい真偽のほどはわからないらしいが。シャガールはすんでのところでアメリカに逃げる事が出来、命を奪われずにその後99才(1998年)まで生きて世界中に感動を与える絵やステンドグラスを描くことが出来た。

ドイツを旅している時に入った本屋でこの本(kunst-malbuch)を見つけ子供たちに今回、試すことができた。子どもの空想を刺激するようなシャガールの絵はとても良かったと思っている。描画素材が色鉛筆とク―ピーのため、若干迫力に乏しく少し残念ではあったが。

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2013/01/15

♡バレンタインデーまであと1ヶ月♡

毎年のバレンタインデーがあと1ヶ月に迫っている。
雪かきしている場合じゃないほど、年月が早く過ぎる。
良い歳をして、Laveについて語るのはもうやめようと思っていたけれど、世の中が暗くなるとどうしても、働く男にシワ寄せが来るので、みんなに元気になって欲しいからまたチョコとLoveletterを贈りたくなる。義理チョコ、本チョコ、接待チョコ、ファンチョコ、柔軟取り混ぜて送ると、もうそれだけで幸せな時間が持てる。それにはそのための心のこもったお手紙が重要です。今年の手紙の中身のヒントは簡単。言おうかな? やっぱりやめようかな? やっぱり言えない。
「詠画じゃなくて、映画がヒントです」とだけ言っておきましょうか。
因みにメール便で2月14日必着で届くでしょう。ブログにはその一日後の2月15日に絵に描いたチョコとお手紙を載せます。よろしく。

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2013/01/14

トイザらスLazooで遊ぶ・Ⅲ

トイザらスのLAZOO造形教室はipadの無料アプリ「グルグル」を使い実験的に進めている。子供たちが、ハード面でつまずかないで楽しむための助手としてそばにいる。子どもたちが袖を画面に付けて、絵面が飛ばないように、コートやシャツの袖口をまくり、手の動きでスイッチオンせぬように、私の指でカバーしたり、手が滑らかに動かない時にハンカチで湿気を拭いたり、子供たちが風邪やウイルスの菌をipadで媒介せぬように除菌テイッシュを使って拭き、準備している。この時期は神経質になっても仕方がない。 不特定多数の子供の中に天才がいるかもしれないという夢を指導者として心の中に持つことは自由だ。そして、自由に指導しても良いと言われている。有り難いことだが、LAZOOのコンセプトを思い出して指導している。保護者の方にはこのグルグルを使っての教室はメセナとしてLAZOOがしていることと私は説明している。


Toizarasu_112今回はお子さんの中に一人とてもはにかみ屋さんな子がいた。ipadが充電中だったので絵を描くことをさせた。2才半のその子は私の事をジッと見ていたので、絵を描くことをもっとできるはずだと私は感じていた。クレパスも逆さまに持ってしまっていた。でも、私はその子が何かもっと違う表現をしそうだと感じたので、あきらめず、クレヨンを変えたり、折り紙を出したりしていた。2才半では無理かと気づき、ドローイングが嫌いになったり、悪い印象を与えるトラウマになってはいけないと、やめようとした。そのような感じが続き、昔の生徒田中望君を思い出させた。そこでお父さんとその話をした。子どもは私とお父さんが仲良くお話しする、その空気の中でクレパスをしっかり持って描き始めた。私が初めにピンと感じたように年子の弟がいた。子どもは自分の心のわだかまりをなくすと素直に描きはじめる。

Toizarasu_112a またもう一人楽しい子がいた。確かソラちゃんと言った。「ぐるぐる」がすべて出来てしまったので、次にLAZOOの「おえかき」を開いてあげた。そしてipadのシールのロボットを出すとそれをいろいろなところに出して遊び始めた。言葉でこのように言っても分かりにくく、その臨場感を表せないが、とにかくLAZOOのぐるぐるで楽しんでくれた。

遊んでいく子は2才から4,5才の未入学児がほとんどだ。私も娘たToizarasu_113bToizarasu_113c ちが幼かったころの新鮮な気持ちをたどりながら教えている。いや、もしかすると子どもたちから教えられているのかもしれないが。

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雪の成人式@2013

Yuki_004 今日は2013年の成人の日だ。何日か前から、今日が大荒れの天気になると言っていたが、その通り、大粒の雪が降ってきている。芳州は千葉大スキー部の同輩の友人が昨年暮れに亡くなったので、数人の友人と連れ立って弔問に行っている。その友人Kさんは私たちと同じ位夫婦仲が良くて、スキー部の年に一度の会ではお酒を酌み交わしあい、言葉や仕草の節々にその夫婦を労わる気持ちが感じられた。永いこと癌を患っていたと聞いたが、去年の浅草の会でお会いできなかった時にあれっと、思ったがそうであったのかと頷く。白い雪が舞う中、私の友人ではなかったが寂しさがよぎる。人は永遠の命をもらえていない。一緒の時間を共有するのであったら仲良く楽しくしていたい。

ところでそのような気持ちを心「ハート」の半分に持ちながら、今日はあとの❤の半分は成人式への気持ちが湧きおこる。自分の1967年のことを思い出し、2013年の成人たちへの気持ちと、あと2023年には親戚の「あの子」も成人式だ。今年の成人式は身近では横川ラミちゃんがいる。この雪の中、振り袖は大変だろうと思いつつ、あの子が生まれた日の事を思い出す。姉のリサちゃんがお絵描きに来ていて、お母さんが出産だと、お父さんが迎えに来たことがあったような気がする。若干記憶は怪しいが。お父さんがとても若く、若者だった。この間会った時、お母さんはお父さんが今では太ったおじさんだとおっしゃっていた。年月が感じられるエピソードだ。

では成人の日に一言。この雪が降ったように、これからの人生は結構大変だ。でも私たち団塊の世代はずっと「あなたたちは人数が多いから大変。」「結婚も大変、赤ちゃんを産んだらその子も大変」「お墓に入るまで大変」と言った人もいた。だが真面目に、人にやさしく正しい事をしてきて、現在幸せになったと思っている。だから、心情を正しく生きて行けばきっと、幸せになれるはずだ。天変地異は抗しようもないけれど。

まあ、とにかくおめでとう。はたち君たち! 今日から正しくビールもシャンパンも飲めますよ~ 乾杯!

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2013/01/10

花と洋ナシと子どもたち

クリスマス、お正月と続き、子供たちはあとりえチビッコに来ない日があったので、今日は久しぶりに普通の静物描写にするとほっとして絵を描く。モチーフがそこにあるだけで創作的な発想をしないで表現できる。それはそれで子供たちには安心して描くことが出来る。課題の中には驚くほどの創造性を要求されるほどの時もあるのだけれど。今回は安心して描く課題だ。モチーフはグロリオサと金せん花と洋なし。子どもたちがどんな様子で絵を描くのか、「昔子供だった大人」の方も子供のほっとして絵を描くあとりえの空気を味わって下さい。今回はちょっと長いです。

Hana_yonasi_horotoHana_yonasi_reinaHana_yonasi_asumi

             左はヒロト、レイナ、アスミ。

女の子にとっては好きな花の静物画だが、男の子、特に低学年の元気な子、ヒロトにはどうかと思う課題だったが、対象をよく見て描くようにもなった。
レイナは夢中になって全体を見ない傾向があり、花瓶や洋なしはどうするかと思っていたが、花の描写を素直に表現していたので、洋なしを描いていないのを見落とすほどだった。
アスミは初めて描く洋なしをリンゴっぽく描いていびつさを出した。ヒロトは洋なしの上に何かがついているという説明ができるデッサンをした。これは興味深い2人の描き方だと思った。またアスミは特に花は好きなようで夢中で描きバックを窓のように枠取りした。
マナミは花をよく見て描いていた。後ろの空間をいつもと違うように描くように促す。

Hana_yonasi_manamiHana_yonasi_riho 左はマナミとリホ。

絵を描きながら以前来ていて大阪に引っ越した奥健太郎君からの年賀状のことを話す。随分お兄さんぽくなったとか、弟は変わりなかったとトモヤは言う。私もそう思った。そしてマナミ本人は幼稚園から自分は顔が変わらないと言っているが、背はとても高くなった。この学年の子たちは同じ高木学園幼稚園出身が多く何かと話題が多い。年賀状には同学年の変わらない堀切華穂ちゃんもあった。

リホは今日も静かに描いていた。絵本作家になりたいと言っていたこともあるから、ほかの子に無いような特別な個性を引き出してあげたいとずっと思ってはいたが、目の前にある対象をじっと見つめて描くことが時間内に出来ることぐらいしか、私はまだ伸ばせていない。子どもの個性を花開かせるにはどうしたらいいんだろう。最近思うことだが絵を描きながらリホは「人に無い物の見方」をすることがある。絵で描くことで無く、文章で様子を表せられればそれは絵本作家になれるかもしれない。絵を描くように積み上げていけば。どちらにしても子供たちはまだまだ発展途上中なのだから。

Hana_yonasi_tomoyaHana_yonasi_rin左はトモヤとリン。

トモヤはジンマシンが出たことを来るなり、私に訴えた。子どもの頃はよくそういうことがあると話す。私の弟は青み魚のジンマシンがあった。花や花瓶がバランスが悪くても元気に描いて画用紙から飛び出しそうになっても良いと話す。トモヤは動きのある絵を描いたと思う。私が若い頃に作った手びねりの花瓶の全体の形を描いてくれた。質感はレイナ、エメラルドグリーンはアスミが良かった。
リンは今、歯の治療中で、皆に遅れて来る。静かに集中して丁寧に描いた。グロリオサが気にいったのかも。
私はリホの描いた洋なしが食べたい洋なしだった。

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