« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月の記事

2013/10/31

イドメシは丸亀製麺の釜揚げうどん

最近イタメシとかサラメシとか聞くと、チャーハンをそう言うのかと思っていたし、さらさらのご飯て何? と思ったら、イタメシは「イタリアの飯」、サラメシは「働く大人の昼ごはん」という意味があるらしい。そこで私はいつも川上と横浜を移動する時に食べる食事は移動の時に食べるからイドメシと言っていいんじゃないかと考えた。そろそろ密かに流行らせたいとも思ってる。

朝のetcサービス9時までに相模湖インターに乗ろうとすると、6時半に家を出ないといけないのだが、何かの具合でうちを9時半にでたりすると微妙に相模湖の丸亀製麺をお昼時に通ることになる。私が好きだからそうするのではなくて自然とそういう段取りになってしまっている。正直言って私はあの釜揚げうどんが好きだ。人を待たさずにすぐ出てくるし、店の構造が同じなので勝手知ったる我が家のテーブルになり、渋滞や車の運転時の胃に負担を与えない食事としてはぴったりなのだ。

それと、あそこのお店の中に来る人が皆庶民的だから好き。老若男女それぞれがどれにしようとメニューを思案して首を上げて見ながら真剣に考えている。私は入ってすぐの回り込んだ席に座って自分のうどんを食べながら、みんなが考えている顔を見るのが好きなのだ。小学生ぐらいの子供はおばあちゃんと手をつないで考える。おばあちゃんはメニューを見るよりも、「それそれお願いします」とか言って指差している。会社の同僚ときた人たちはかってにそれぞれ選んでいる。高校生が来ると釜揚げうどんだけで、それほどではない量を注文している。どうもそれはお小遣いとの相談で、もしかするとおやつなのかもしれない。かなりのボリュームを食している肉体労働の人もいる。おじいちゃん達数人で囲碁の集まりかなという人たちも来ている。土曜のお昼時には若いカップルが嬉しそうに食べている。二人の笑顔には違う意味が有りそうに感じるが、それはここでは言わない。親子連れはお父さんが赤ちゃんの面倒を見ているうちに、お母さんが急いで、でも嬉しそうに食べている。あそこにいるだけで真剣に考えたら小説が一本書けそうな気もしてくる。でも自分が食べるのに真剣なkeicocoはそこまで行かない。

お客を支える、店で働く従業員の人たちも仕事の張り合いを感じているようで、そのある種の緊張感の中にお昼時の勝負タイムを苦しんでいるんじゃなくて楽しんでいる。仕事はそうでなくちゃいけない。私が頼むのは釜揚げうどんとイカとカボチャの天ぷらでだいたい確か480円だ。うどんの味の美味しさの他に店の活気や来客の飾らなさが良い味付けになって、私の私見ではミシュラン星2つの店だ。最近他の地方でイドメシタイムに差し掛かり丸亀製麺を利用したが、雰囲気は相模湖の方が良かった。どうしてなのかと考えたが《いつも行く店》だからかというところに落ち着いた。
たかが、イドメシ。されどイドメシ!

| | コメント (2)

2013/10/25

お詫び:個人情報を一部削除しました

Hanakazari_1

本日、あとりえチビッコのブログの中に個人情報が掲載されているとのご指摘がありました。急ぎ、その部分を削りました。そしてまた検索し直してみました。がその部分は削除されていず、その記事をすべて削除しないといけないことが解りました。そこで記事を全部削除しました。ご指摘されたことを変更するようにしましたのでしばらくお待ちください。

また、お電話の始めに、私や家族への気遣いをされてから話し始めてくださった優しさに感謝しています。これからこのようなことがないように十分気を付けます。私のいたらなさがここで表出したのです。反省してお詫びいたします。

| | コメント (0)

2013/10/23

アップルのワークショップ

今日はアップルのワークショップに「iPadの基本を学ぼう:iBooks、インターネット、メール」を勉強しに行った。今まで分からないでいたことが次々に理解できて戻ってからもう一度やり直して、試行錯誤を繰り返している。写真のサイズを圧縮することは送信で直せるそうだが、それをこれからやって見る。Facebookには載せることができた写真があとりえチビッコのページには載せられなかったので、今から試してもみるが、iPhotoから先がよく分からなくなったぞ。????

久しぶりに行った銀座は渋谷のように変わっていないのでホッとする。ところが色々な野暮用が控えていたので重心を低くして転ばぬように急ぎ戻ってきた。松屋の地下でウインドウデイスプレイを直している場面を見て、若い時に憧れたっけ!とは思ったけれど、もうあの日には戻れないと、心が疼いた。そしてお気に入りのの口紅が切れていたので松屋で購入。iPadに関して新しい道具を使うことへのドキドキワクワク感がたまらない。
この記事を書いてから、2時間が経ち、謎が解けたとばかり喜んで今夜ビールを飲んでしまった。写真を載せるのは時間がかかりそうです。

| | コメント (0)

2013/10/08

iPadでココログ更新できるかな➕写真?

Tonakai

ドイツのマルクトで買い求めたクリスマス用ト ナカイを選んだ、念願のiPadでの完全更新なるか。多分写真は部分縮小されてしまうのではないかと。トリミングは無理ではないか。
これができたらいいんだけれど。まだまだ分からないことだらけだけどこのように決めたのです。
画像が可笑しくても当分このままにしておきます。ココログとiPadの両方に分かってもらいたいからです。エイ!
写真修正しました。

| | コメント (0)

2013/10/07

パパと作るハロウインカード

Toizrus_haro1
10月はハロウインの季節なので、Lazooでもジャックランタン(かぼちゃ)のシールを貼ってウェルカムカードを作っています。

Toizrus_haro2Toizrus_haro3 姉と弟で一緒に作ったり、お父さんも飛び入り参加で楽しんだ。

ほのかちゃんもパパと一緒に楽しんでいた。
Toizrus_haro6
Toizrus_haro5Toizrus_haro4大人も一緒に描いたり塗ったり作ったりすると、子供たちがバランスよく塗っていると気づく時がある。無心さが現われているからバランスが良い。お父さんが参加して楽しそうに無邪気に描いているのを、私は良いと思いました。上手も下手も無いのです。パパと一緒に絵を描いたりすることが子どもにはとてもうれしいのです。写真では緊張して笑顔が消えてるけど楽しそうでした。

| | コメント (0)

2013/10/01

「あるロマ家族の遍歴」を読んで

私たち夫婦が2度目にドイツ旅行をしたときは2000年の6月だった。旅の終盤でツエレからハンブルグ空港に戻る列車の中で起きたことはいつまでも忘れられない。
ドイツで列車の切符を買う時は英語もドイツ語も不得手なので、間違いのないように、メモを見せて買うことにしている。ところがドイツでの指定席・リザベーションの取り方が分かりづらく、いつも明快でない。乗車券も持っているのだが、いざ、列車に乗ってみると半信半疑で目的地まで乗っていることもある。そばに親切な人がいれば指差して、「ここに座れ」と言ってくれて安心できる。番号はあっているのに違う人が座っている時もある。押しが効かない我々はモソモソと違う空いている席に座ったこともある。
その日は2等の席だったので自由に空いている席に座った。前を見るとバイオリンを持ち、買い物の籠を持ったおばあさんがいた。私たちは市場で買い物をしているとよくバイオリンで音楽を奏でている人を見かける。彼女も演奏して今は帰途に着くのかしらと観察していた。次の駅で中高年の男の人が家族と乗って来た。そしてそのおばあさんに目で合図して「どけ!」と言ったと思う。風格はあったが映画ベンハーの中のポンテオ・ピラトに似ていた。映画の中の悪役はその列車の中でも悪人に見えた。その光景は日本ではあまり無い感覚だった。我が夫は、かわいそうと思い、空いてる席を教えてあげて座らせようとした、でも彼女は避けるように他の席に移った。私たちでさえ、疑心暗鬼で乗っていることが多いのに。その時私は夫を見直した、というより今までの君の嫌いなところ許そうと思った。あとでそのおばあさんがジプシーではないかと気付いた。風貌や、バイオリンを持っていたことと、その国の中では暗黙の了解が成り立つその場の雰囲気からそう思った。
ジプシーと感じたことが他にもある。パリの地下鉄で親子の切符売りがいて、小学生の男の子に体を触られたことがある。大声を出したので助かった。私の声に逃げたのだ。ギャーギャー!ある人は同じように触られてポケットに手を突っ込まれたとも聞いたことがある。それはジプシーではないかもしれないが、私たち他国の部外者には分からないことではある。
最近、新横浜の本屋の片隅で「あるロマ家族の遍歴」を見つけて少し前に読み終わった。著者ミショ・ニコリッチは自分の両親の出会いから、自分が生まれ、ナチス占領下、冷戦時を潜り抜けてきた仲間や家族との結束や離散、定住せずに、いかに仕事をして暮らしてきたかを正直に赤裸々に語っている。占い師もいればスリもいる、楽器を奏でグループで演奏してお金を得る者もいる。彼もその仕事を生業としていた。
 「あるロマ家族の遍歴」を読んで行くうちにそのようなことはいつもドイツに行って感じることがそうだったのかと、合点がいった。街角の演奏者に「あなたはロマですか?」などとは聞けない。しかし日本のように島国でなく、陸続きのヨーロッパではあることなのだ。

この本の中では訳者金子マーチン氏の注意書きが後ろに本文の6分の1占めて書いている。その中にロマが中世以来、多数派ヨーロッパ人に差別意識を持たれている原因は
(1)中世以来綿々と続く偏見と差別意識の未克服。
(2)ナチスによるロマ殲滅計画の史実が一般的に未認識。
(3)ほとんど多数派ヨーロッパ人は直接ロマと交流したこともない。
(4)ドイツやオーストリアでネオナチ活動に対する取り締まりが1990年代初頭から強化され、中心的活動家の多くが逮捕拘留された。指導層を失った極右組織はその活路を欧州諸国に求め、体制崩壊で不安に苛まされていたそれら諸国の若者たちをオルグした。
(5)旧社会主義国における極端で暴力的な「人種主義」を規制する法的な不備、および人権教育の欠如。
(6)体制変革やEU加盟にもかかわらず東欧諸国の一般民衆の生活は改善されず、旧態依然のまま、あるいは、国営企業の倒産などによって多くの労働者が失職し、民衆の生活はむしろ悪化した。その大衆の不満は為政者にではなく、社会的弱者の少数民族ロマに向けられている。(訳者金子マーチン氏あとがきより抜粋)

世の中にはニワトリと卵のように対立の始めは以外とくだらないお互いの偏見もある。生活様式の違いであったり育った世界観や宗教観の違いもある。かなり年月が立ってそれに気づき、人一人ぐらいの50年ぐらいの年月だったら後戻りできるが、中世から続いている差別や偏見を覆すことは難しいと思う。だがこうして金子マーチン氏のようにロマを取り上げて著述を通して少しづつ理解の輪を広げている。少なくとも私たちはドイツのマルクトやパリの地下鉄でスリにあったりして恨むような憎しみの元を作らないように注意深くし、街角や地下鉄の中で演奏している人たちには応援を送りたいと言うのは浅慮であろうか。
ロマという言い方は最近10年ぐらい前からで日本ではジプシー、ドイツではチゴイナー、フランスではジタン、ボヘミアンなどという蔑称を含んで言われている。他にも鍛冶屋などの金属加工を生業とするカルデラッシュ、楽器製造を生業とするスウイントなどがいると今回知った。ウィキペディアで調べるとロマはインドからいろいろな地方に何回にも亘って移動したのだという。そしてユダヤ人と同じように差別を受けているという。ところでジプシーは差別用語で正しくはロマという言葉が使われるべき言葉です。その時の日記にはまだロマという言葉を使っていなかったのでそう表記しました。

私たちがドイツでの滞在中にマルクトや街角から流れてくるバイオリンの音は郷愁・ノスタルジーを誘うものであり、香料や花の匂いまたパンや料理の匂いと共に五感を刺激して旅の強烈な思い出となる。それは時には音大生であることもあるが、老人であればロマであることも想像に堅くない。

いつの日かロマという存在も忘れられる日もあり、差別がなくなる日も来るのかもしれないが、極東の、島国の日本人には理解できないことかもしれない。ただ一つ私には列車の中で起きたことはロマという存在を考える入り口になったということだと思う。

| | コメント (0)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »