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2013/12/31

大瀧詠一の訃報

大瀧詠一が亡くなったというニュースを今日、大晦日、おせち料理を重箱に詰めながら聞いた。私は大瀧詠一を父から教わって好きになった。2回ほどあとりえチビッコのブログで書いている。

私は3回彼あてにバレンタインデーのお手紙を書いている。出しそびれて出しそびれて、いい年をしてまるで失恋でもしたようにその手紙をつい最近捨てた。田園の誘惑では≪オールデイズを聞きながらⅡ≫でもその思いをチョコット書いた。今亡くなったなんて信じられない。このブログ上に昔書いた過去ログを載せることで哀悼の気持ちを表したい。

父を思い出す大瀧詠一の≪カナリア諸島にて≫ 2009・02

2009年のバレンタインデーの私のイベントは終わった。2008年の時には大瀧詠一のことを織り込んで書いたので、ここずっとCDを流している。≪A LONG VACATION≫ そして、また父を思い出している。父はよく私に「いい曲が流行ってきたよ。」とか「カセットテープに入れておいたよ。」と言って、「聞くか?大瀧詠一だよ。」と言った。そしてコーヒーサイホンを出して豆を挽きを、時間を楽しむようにコーヒーを入れていた。

なぜだろう、この音楽というものは聞いただけでその日に戻れる。母は父のことを今いる老人保健施設で、思い出すときもあるようだ。私が父を思い出しているのが大瀧詠一のカナリア諸島にてと言ったとしても、母は呆けていないけど、わからないだろう。 「大瀧詠一?ああ、そういえばS医大病院に行った時、大滝秀治がいたわ!」になってしまうだろう。母の世界と父の世界は違っていた。母は台所仕事を終えて父が見ている映画を見ると必ず「どっちが悪でどっちがいいの?」と聞いていた。いつも私は黙って聞いていたが、なぜだろうと思い始めたのは五十才を過ぎてからだと思う。家族と言うのはなんでもひっくるめて許しあっているからだ。自分の家庭を作り始めるとその違和感に気が付く。但し父と母も私が5,6歳の時はロマンチックだった。

私は今、自分の家庭を作り、そして太陽に衛星があるように、子どもたちは独立していった。きっと私たちにもその違和感はあるんだろう。子供たちが小さかった時が懐かしい。中高年の誰もが使う決まり切ったフレーズさ。なんという時間、なんという太陽の寂しさ、自分が月になっているような感じ。バレンタインデーに時間を使ったことの副作用か。バレンタインブルー。次に進まねば。

ところでウィキペデイアで調べると大瀧詠一について、私の知らないことが大変詳細に書かれてあった。音楽についてのこともさることながら、直感的にだけど、今またみんなが心ウキウキになる曲を作ってほしいと思った。こんな時代だからこそ、こんな日本だからこそ。風立ちぬ、君は天然色、さらばシベリア鉄道、幸せな結末、恋するカレン。父はカナリア諸島にてが好きと言ったのはなぜだったのだろうか。ことろで大瀧詠一はクレージーキャッツともお仕事をしたと書いてあった。そうかそうだ。母はいつも父のことを、無責任男と言っていたから、そういう流れがあって、父は感覚的に彼の音楽が好きだったのだろう。チョコでも持って父のお墓参りでもしましょうかね。きっと境内の梅が香り始めているでしょう。

2008年のバレンタインデーのメッセ-ジ 2008・2

昨日はセントバレンタインデーでした。《2008年のバレンタインデーのメッセージ》をここに載せます。ブログにはチョコレートはつかないけれど。

『一本の樹 』   
今日も清里大橋を渡り川上村の山小屋へと向かっている。八ヶ岳山麓の深い谷を跨いで渡る清里大橋。その深く黒い谷を見下ろして遥かに8つの峰が聳え立つ。今夜は宵月、真上からの月が森の木々を照らす。付近の別荘からの灯火がちらつく。月光のなんと強い力か。2月14日も今月今夜のこの月。膨らみ始めた蕾のような月は、影以外を平等に照らしている。国道141号の野辺山の温度表示は-11度を指していた。  

小海線はカタコトと2両で平地を走って行く。乗客は5人。空には月と星が同時に瞬き、私は車のウインドウを開ける。走り去った列車の妙に懐かしい響きを聞きながら天空の瞬きにため息が出る。大瀧詠一のCDを入れると、《カナリア諸島にて》が流れてきた。父が好きだったのが頷ける。束縛しないゆったり感のメロディーに詩の率直さが合っている。小海線を渡るとなんだか涙が出てきた。山小屋に近づくにつれ今日降ったと思う雪がギシギシと鳴る。車のギアを4から3にして坂道を登っていく。曲は《さらばシベリア鉄道》に変わる。白樺の樹影がダンスを踊り、車のライトが雪の結晶を一粒一粒照らし出し、見る間にダイヤモンドに変っていく。  森の木々はまっすぐに天に伸びる木もあれば、斜めに傾斜して他の木に寄りかかる木もある。樹齢を数えられぬほどの古木には苔が付き、その樹種も分らぬほど神さびている。若い木は細いがしなやかに、雪の重さに耐えている。

私は2006年冬にミュンヘンから列車で4,50分のランズベルグに行った。レヒ川がそばを流れているので《Landsberg am Lech》。 列車で走りながらミュンヘンから遠ざかるにつれて、ヒットラーも通ったはずだと感じていた。街はクリスマスマルクトの明かりが灯り、忘れられない情景だった。4泊し、街の周囲にある城壁に沿い、遠くに広がるバイエルンの平地を眺め、マルクトの屋台を楽しみ、教会で祈った。 日本に戻りブログ《あとりえ・チビッコ》にランズベルグの旅の様子を書いたところ、第一次世界大戦についてのホームページの中にヒットラーがランズベルグの刑務所に収容されていたことが分った。1924年12月に出所し、写真家のホフマンが車で迎えに来たとある。この場所は12月13日に私たちが写真を撮ったところだった。自分の写真と地図を照らし合わしてみると、あの樹は右の写真の手前にある太い樹ではないだろうか。詳しく調べたわけではないが、太さから樹齢を考えて、間違いないように思う。私はあの日、あの場所で 「この樹は太いがいつから植わっているのだろうか」と、この事実を知らずに樹に聞いていた。インターネットを10年前には使えなかった私も、今では知識や情報のためになくてはならぬものになっている。こうして何気ない『一本の樹』が、歴史の証明の舞台装置として今も存在し、それにリアルにもヴァーチャルにも体験できたことに不思議な感慨を感じているのです。                                                                         2008年1月19日              Keicoco

このようなことが起きてしまうことも予測できない過去に書いたブログのため哀悼の文章にふさわしくありませんが、すぐに気持ちを表しておきたい衝動に駆られ載せることにしました。

皆さまの新しい年のご健康を心よりお祈りいたします。

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