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2014/01/21

過去の展覧会のキャプション・A

自宅の整理をして、過去のあとりえチビッコ展のキャプションが出てきました。一つ一つに子供たちのことを思ってワープロやパソコンに書いた記憶が甦ってきました。何年のものかは定かでありませんが、4回分ありましたので、ブログに再びアップして自分を褒めてあげようと思います。いいでしょうか?自分を褒めても? キャーッチ!(あとりえに来ていた子はわかりますよね。)

1・森の仲間になる
私は、子供たちに森の中のできごとを話しています。キツネやタヌキ、テン、ウサギ、ネズミなどが森や草原に食べ物を探しに現れ、土や雪の上に足跡や糞を残していきます。キツネの糞にはバラの実やネズミのしっぽが入っています。ウサギの糞は森の香りがします。数年前、森の入口で会ったテンは、二本足で立ち上がり手招きをしました。 森の中のできごとに、子供たちはおしゃべりをやめ、じっと聞き入り、また自分の絵を塗り始めます。私は、子供たちが森の仲間になれるよう心がけています。

2・子どもの才能
小さな子供の絵には、思いがけない美がかくされています。美の法則を知らないのに『縦と横の比』や『色彩の量』が美しいのです。私たち指導者はその『美』を見つけだし、人前に出し、本人にもわからせたいのです。メキシコで児童美術教育にたずさわった北川民治は次のように書いています。『私がやってみたいことは、子供の美術的才能をどうかして持ち続けさせ、大人になっても失わせないようにすることです。才能を妨げる種々な抑圧を取り除くことは困難な仕事でしょう』私たちは経験を積めば積むほど、それにとらわれ、自由を失ってしまうものです。しかし、だれにも備わっている子供の才能を持ち続けさせ、それを表現する喜びを感じてほしいと願っています。

3・いろいろな表現がある
子供たちに絵を指導していて難しいと感じることがあります。動物園のキリンを写生したときのことです。キリンは草を食べようとして首を下に伸ばしました。その様子は首の短いキリンになって描かれました。その絵を見たその子のおばあちゃんは「キリンなのに短い首ね」と言いました。この例のように、私たちは何気なく子供の絵を評価していないでしょうか。大人の概念には入りきらない子供の世界があると思います。新しい観察と今までにない表現が創造力につながっていきます。絵画や造形の世界が本当の自由を知るきっかけになればと願っています。

4・望(のぞみ)と望(のぞむ) 
かつて私があとりえを始めたばかりの頃、田中望くんという子がいました。お母さんのおなかの中から生まれてくる赤ちゃんがいやだと言いだだをこねていました。ある日私は「じゃあ、絵の中の赤ちゃんをやっつけちゃおう」と彼が描いた赤ちゃんを黒と赤のクレパスでいっしょに塗りつぶしてしまいました。まわりの子たちも応援しました。望君はその後楽しく過ごせるようになりました。現在、あとりえには飯島望(のぞむ)君が兄の悟君といっしょに通っています。この間兄弟げんかをして家に帰ってしまいました。後からお母さんに付き添われてやって来た望君は、優しい色使いでシクラメンを描きました。きっと少しの時間、お母さんに甘えることができたのでしょう。絵にはこのような効果と反応があります。

5・絵の中で遊ぶ
屋外での遊びが少なくなる冬、子供たちに遊びの絵を描かせています。10年前の私のメモに遊びの絵が面白いと書かれています。相川君という子はかけっこの絵の中に自分とウルトラマン、キンニクマン、私の知らない何んとかマン、アリ、テントウムシ、クワガタを登場させ絵の中で満足していると記されています。当時は大倉山にもクワガタがいたのです。千秋君は、遊びの絵の中でファミコンをしている自分を描きました。アウトドアー派の自分としてはもっと外で遊んでほしいのですが、現在の流行が素直に表れていて良いと思います。2000年のあとりえチビッコ展では、遊びの絵はどうなっているのでしょうか。

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