松が取れてからの行事いろいろ
年明け早々のマンション全体での窓交換工事があるため、落ち着かぬ年明けとなっていた。我が家の室内の準備も粛々とし、再び書籍や書類のゴミを出し、工事の受け入れ態勢を万全にしていた。はたして心がけが良かったからか、その日は温かい晴れの日になり、予定通り工事は終了した。隙間風も無くなりかなりの密閉性がある。2月に入って玄関ドアの交換をして終了です。
また豆まき前に商売繁盛の一陽来復のお札をいただきに穴八幡に行った。穴八幡の女坂が以前は工事中だったが、今回くねくねと階段が柔らかく造ってあったので、行きには男坂を登り、帰りは女坂にした。こういう時は必ず芳州さんが、一言あっていつもは男坂を下るような気がするが、今回は私を気遣ってくれたのか自分が心配になったのか、自ら女坂を勧めてくれた。その気持ちを俳句にしたいと一日中考えて、もう一つのブログ≪旅歌ノート≫に書いた。
ルーテインワークのように蕎麦屋で天丼を食し、父を思い出した。父に報告したいことが三つだけある。『娘たちが良い伴侶を得て幸せであるということ。それと大瀧詠一が父のエリアに行ってしまったこと。母が94の齢を得て、なんとか元気でいること。その他エトセトラ。惠子は元気でいますよ。』
母のお誕生日を介護施設でした。弟と姪と私たち夫婦とで色紙を持ち、弟はiPadの中に入っている写真を母に見せた。母はかなりの写真の人を理解して頭の方は明快だった。
あくる日は親戚の法事が飯能であったので、次女の家に前日に泊まり、越生の冬の朝を楽しんだ。法事の前に少しの時間があったので高麗神社にお参りした。神社の祈りは二礼二拍手一礼が気になって必要最小の願いの≪元気でいること≫しか祈っていない。
法事はたまに会う親戚がいたり、だんだんと親しくなっていく親戚もいる。上手に紹介し、永い眼でお付き合いしていけることが大切に感じる。帰りには2回ほどETCのナビを間違えてうろついたけど、飯能から16号を通って福生に出て横田基地の脇を通っていつもの橋本を通過した。福生は大瀧詠一の住んでいるところなので、心が少し動揺したけれど、安全運転第一で帰途に就いた。
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