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2015年1月の記事

2015/01/27

経済論理が表現の自由でコーテイングされたチョコレート

「バレンタインデーのチョコレート準備オーケー」の記事を何年か前に書いたことが夢のように思われるほどに私は遊び心が失せてしまっている。1月下旬なのに、どうしたのだろうか? ここ立て続けて海外の事件を考えると心が塞ぎそうになる。自分の家の中では明らかに高齢と認めざるを得ない夫婦が肩寄せ合い、支え合って暮らしている。せめて家の中が暗くならないように冗談を言いお互い親父ギャグでも傷つけないでニコニコ笑っている。 今年に入って1月10日 フランスの風刺週刊紙シャルリー·エブド(Charlie Hebdo)本社襲撃で12人が殺され、パリ(Paris)の郊外と市内で人質を取って同時に立てこもるという事件は9日、治安当局の特殊部隊が現場に強行突入し、容疑者2人の射殺で終わったが1人が逃亡した。その事件がニュースに乗らなくなったと思ったら、またしても日本人ジャーナリスト後藤健二氏のイスラム国人質事件が起きた。昨年のうちに起きていたらしいがイスラム国が公表したのは安倍さんが中東歴訪のタイミングで発表したということらしい。 島国日本にいる私に何かできないかと、思っていたが、「あなたの変えたい気持ちを形にする」というchange.orgという団体がある。以前国会での女性蔑視のヤジに対して抗議するという時点で登録したのだ。今回の後藤健二氏の事件を「イスラム国周辺国への2億ドルの人道支援を留保し、日本人人質の人命を救ってください」とある。私も賛同して署名した。それは23日の時点だ。そして今度は26日の時点では湯川さんが殺害された写真を持ち声明文を語っている。そしてイスラム国は連続自爆テロ事件の女性のテロリストを開放すれば後藤さんを釈放すると言っている。一方ではヨルダン軍のパイロットが去年拘束されているので、そちらと交換するという情報もあるという。 金銭で人質を交換することと、自爆テロ事件の犯人を交換釈放するということは全く違うことだ。自爆テロ犯を自由にしてはいけない。 でも、よくあるシネマの1シーンでは不都合な真実をわざわざ言ってしまい、とんでも無いことに展開していくというお決まりのコースだけは避けなければいけないのだから、今ナゴシエイターたる日本の外務省の方たちは本当のことは言わないで、上手く演技して人質を結果的に助け出して欲しいものだ。 このように書き慣れない抗議の文章は昨年パリの郊外の街歩きをしたから、また年賀状にそのことを書き留めたからだ。懐の広いフランスに敬意を表したけれど、シャルリー・エブドの風刺画はあまりに彼らを刺激しすぎていると思う。部数をひどく伸ばしたらしい。群れて買っているフランス人は尊敬できなかった。 そうだ今年のバレンタインデーのメッセージは「経済論理が表現の自由でコーテイングされているチョコレート」でも描きましょうか? そういうのが風刺画じゃない? そう考えたらなんかやる気が出てきたみたい。

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2015/01/13

コンペに向けてのランの寄せ植え

Ran1
昨日は山手の寄せ植え教室に行くまでに芳州先生を都築の教室に送り、途中に成人式の車の渋滞があり自分の成人式の頃を思い出しながら、横浜山手の教室に着き、可愛らしくも品性のあるランを見て心が落ち着いた。


こうして一日経って自分の作品を見ていると次のコンペティションの作品をどう仕上げていこうかと意欲が湧いてくる。こうしたプロセスは私が女子美を受けようとデッサンを始めた17歳の頃の精神構造に似ている。苦ではなく心が華やぎ、なにか成就しそうという期待感に包まれている。こうして歳も重ねていると期待感にプラスして必ず成し遂げられるという自信も体の奥底に感じられる。幸せなことだ。そのことは施設にいる母に一昨日伝えてきた。

今回のランはミニカトレア、アングレカム、オンシジウムを使いミズゴケベースになる。 今回でまだ7作品目なので、長いこと作品を作っている方々には及ばないのだが、カトレアやその他のランの華やかさと植物としてのランの持つ「起源を感じられる作品」作りが出来たらと感じている。

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2015/01/08

生まれて初めての鐘撞きと未年

Joya2

私の住んでいる大倉山には大晦日から元旦にかけて歩いて初詣に行くとすると師岡熊野神社、八杉神社、歓成院、正覚院がある。今年は芳州先生の指導している教室の関係で歓成院の鐘撞きのお誘いを受けた。大晦日の11時を過ぎてから懐中電灯を持って二人して出かけた。境内には早かったせいか30人ぐらいが並んでいた。納めのお札を燃やす焚き火が赤々と篝り、厳粛ではあっても、スマホで自分の近況を打つ若者もたくさんいた。同級生たちと久しぶりに会った歓声も時々聞こえる境内だった。ご住職のお話の後11時45分になって町内会の世話役から順に鐘を撞き始めた。
Joya1
私は待つ間に出来ればなるべくいい音で鳴らしたいと思った。残念なのは、どのくらいの音が出るかなと後ろに少しだけ動かして弾みをつけようとした途端に鐘に触れてしまい、小さな音でコーンとなってしまう人もいた。それでは淋しい。
思ったよりも早く私たちの番になり、私は結構思いっきり後ろに引いて力一杯撞いてみた。今年の私のパワーのような気がした。帰り道の15分ぐらいの間、除夜の鐘の百八つの煩悩って何だろうと考えた。あれから時間があると調べているけれど梵語も関係して難しい。自分が理解するのに難しい。ウィキペディアの解説には「身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。」とある。

ところで今年は未年です。シープと言えばストレイ・シープ。迷える子羊、夏目漱石。三四郎と続きます。あまり迷わないでいたいですね。
日々平穏に、大晦日に撞いた鐘の音を思い出し、迷いを無くし煩悩を振り払って静かに生きたいと思う今日この頃です。

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