生まれて初めての鐘撞きと未年
私の住んでいる大倉山には大晦日から元旦にかけて歩いて初詣に行くとすると師岡熊野神社、八杉神社、歓成院、正覚院がある。今年は芳州先生の指導している教室の関係で歓成院の鐘撞きのお誘いを受けた。大晦日の11時を過ぎてから懐中電灯を持って二人して出かけた。境内には早かったせいか30人ぐらいが並んでいた。納めのお札を燃やす焚き火が赤々と篝り、厳粛ではあっても、スマホで自分の近況を打つ若者もたくさんいた。同級生たちと久しぶりに会った歓声も時々聞こえる境内だった。ご住職のお話の後11時45分になって町内会の世話役から順に鐘を撞き始めた。
私は待つ間に出来ればなるべくいい音で鳴らしたいと思った。残念なのは、どのくらいの音が出るかなと後ろに少しだけ動かして弾みをつけようとした途端に鐘に触れてしまい、小さな音でコーンとなってしまう人もいた。それでは淋しい。
思ったよりも早く私たちの番になり、私は結構思いっきり後ろに引いて力一杯撞いてみた。今年の私のパワーのような気がした。帰り道の15分ぐらいの間、除夜の鐘の百八つの煩悩って何だろうと考えた。あれから時間があると調べているけれど梵語も関係して難しい。自分が理解するのに難しい。ウィキペディアの解説には「身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。」とある。
ところで今年は未年です。シープと言えばストレイ・シープ。迷える子羊、夏目漱石。三四郎と続きます。あまり迷わないでいたいですね。
日々平穏に、大晦日に撞いた鐘の音を思い出し、迷いを無くし煩悩を振り払って静かに生きたいと思う今日この頃です。
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