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2015年3月の記事

2015/03/25

豊田芳州 ネットギャラリー「沈黙の森から」

人生の相棒、豊田芳州氏がWebで写真展をしています。
「厳寒のざわめき」八ヶ岳山麓 冬の森からのレポート
今日3/25から3/31までです。
ご来訪頂いてもコーヒーもお茶もお出しできませんが、雪の森の中に迷い込んだような気持ちになるでしょう。
標高1400メートルの冷涼な空気をお召し上がりください。
「豊田芳州のTheme」

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2015/03/12

快適な隠れ家を作るために

Kago1今年は雛祭りの10日前に雛人形を押入れの天袋から出して飾ることができた。雛祭りが終わって、いざしまう段になり、力が足らず段ボールを持ち上げられなかった。そこで違う場所への収納法を考えついたので、そこをどけようと片付け始めたら際限もなく拡大。亡くなった母の手紙や衣類、ケアマネージャーとの連絡の書類を紙のゴミに入れていく。紛れ込んでいる記念写真にうっとりとして暫し見入る。「若い」

造形教室をやっていた時に溜まったクレパスや用紙類を取り敢えず分けていく。地道な分別作業が延々と続く。ゴミの中にはリサイクルのため布と金属に分けていく。

もう6789日(ブログ前述)の4日が過ぎたのだから自分の関心を持つもの以外は放棄しようと思うのですが、捨てがたいものも出てきてまた使うかもしれないと箱に入れていく。着ないと思われる服の類は即ゴミ! 的確な判断と決断、それ以外は何も頭の中に入り込ませてはならない。

昔10才位の時に、ハンカチの会社に勤めていた叔父さんに貰った金の糸が縫い込まれている一枚のハンカチを大切にずっとしまっていたことがあった。結婚した時もそのまま持って来ていて今も確かタンスの中にある。思い出に象徴されるものはひっそりと10個くらいは持っていたい。
今また再び部屋の片付けを始めたのは雛人形の件もあったが、自分の城を築きたいからでもある。思い立った時にやりたい事が出来る、過ごしやすい自分の部屋はアトリエであり、書斎でもある。昨日、一昨日と2日使った。そのためにあと数日を使うことは許せるかもしれない。
いくら仲の良い夫婦でも、自分の時間を持つ空間は大切にしなければならない。

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2015/03/08

人の人生はほぼ30000日というフレーズ

Kazari
「人間の人生は平均して30000日しかないということをあなたは知っているだろうか?」

フェイスブック(TABI LABO)にこのフレーズを見つけて、私は少し考え込んだ。

 

今日で母が亡くなって1か月が経った。1週間経つことがこんなに早いと驚いているのに、この1か月はひどく長く感じている。3か月は経っているはずだと思えるのだけれど。一週間が短いのに、何でまだ1か月なのだろうという感覚。「記憶異常」ではないだろうかと思い、この語句を調べてみたが、それほど私は病的な状態でははないから、時間の感覚が鈍っているのだろうと一人でフムフム納得している。

 

そしてこの30000日を365で割ってみたら82.19になる。82才ということか。欲張って、私は日本の女性の平均寿命で計算すると365×86.631609 私はもうすぐ68歳になるので365×6824820 31609248206789日になる。妙にわかりやすい「あと6789日生きる」という数。

以下は「TABI LABO」から
毎日忙しく過ごしていると「生きているうちにこれがやりたい」って思っていることや「これからはこうしよう」と決心したことを結構忘れてしまいがち。このままずーっと走り続けて、人生最後の日が来てしまったら・・・・?

ここで海外のサイトで話題になっている、人が最後に後悔することを紹介したい。やり直しのきかないタイミングでの後悔とあって、どこかに胸に突き刺さるものがある。今日からライフスタイルを見直したくなるかも。

そこでフェイスブックの記事の中の項目を箇条書きにします。

 

1・もっと自分が生きたい人生を生きればよかった

2・残業やお付き合いの毎日…働きすぎなければよかった

3・大切な友だちと一緒に過ごしておくべきだった

4・直観に従えばよかった

5・もっと自分の世界を広げる努力をすればよかった

6・家を買わなければよかった

7・怖がらずにもっとリスクをとればよかった

8・健康ならば何でもできるから体を大事にすればよかった

9・恥ずかしがらずに「愛してる」って言えばよかった

10・明日からやろうをやめればよかった

 

この項目を私がお絵かきを教えていたまだ若い10代の子供たちがすべて実行してしまうことは問題もあるけれど、心しておくことはいいんじゃないだろうか。特に40代からは十分意識して進んでいけば実り多い中高年を迎えられると思う。

最近はやりたいことがあると、自分が今まで不得意なことであっても躊躇せずにやることにしている。本も不得意な直木賞受賞とかをパスしていたが、そういう先入観を持たないで選ぶようにしている。一昨日は「フェルト羊毛で作るブローチ」に挑戦した。ただしそれが上手にできるとは限らないけれど。

写真は白鳥スワンのつもりで作り始めたけれど、別の個性を表してしまった白いコンドル。(笑)

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2015/03/01

朝日新聞「見逃されたサイン」から川崎中一事件に関して

Matengai1
私が2年前まで指導してきた、あとりえチビッコでは絵を描きながら子供の本音が聞けることも多くあったので、「もしいじめにあっていたら、先生に言ってね。助けられると思うから」と言ってきた。教室に通う子供が元気のない時によくその言葉をかけてきた。現在教室は閉じてしまったけれど、今でも私は子供が好きだから身近でいじめられている事が分かったら、その子のために何とか方法を探ってやることをすると思う。だがあの川崎の事件での上村遼太君の痣を見て、あの段階で私であったら、もし自分の子だったら、親としての行動を起こしていたと思う。まだ事件の詳細も分からないからあの子の母親のことを非難することではない。

自分だったらという理論展開をすることで、あの子には何があったのだろうと考えてみたい。私には自分の後ろに何かあったら手助けしてくれる夫もいる。彼女には同居する両親も一緒にいたようだが、強い味方だったのだろうか。離婚をしたと記事にあったが、困った時に助けてくれるようなコミュニケーションがあったとは思えない。仕事も医療福祉関係であったと朝日新聞にあるから、ハードで、物心両面で余裕のない暮らしぶりだったかもしれない。それ故に私には何も言えないかもしれない。言ってはいけないかもしれない。だがテレビで繰り返し放送される上村遼太君の顔を見ると、なぜ死なせてしまったのか。一番身近な存在の親が何故気づいて庇ってあげられなかったのかと思う。

島根の西之島に居たのであったのならばこのようなことにはならなかったのではないか。あのような痣を作られて戻った子を見て母親は携帯で写真を撮ることしかできなかったのか。私だったらブログを通して我が身を守ろうとするし、家族も守ろうとしたと思う。あのように素朴な笑顔を見せている子が何故悲惨な殺され方をしてしまったのか。私の孫が遼太君のような痣を作って戻ったら、本人が何と言おうが、その犯人を呼び出し、理由を聞かせてもらう。それも無理だろうか。そして、それにまともに対応ができなかったら、島根のだれか知り合いに事情を話して少しの間預かってもらう。昔だったらお寺に預けたりできたのではないだろうか。このような発想は出来ても現実に移すことは難しいだろうか。

もう亡くなってしまったけれど、朝日新聞の「見逃されたサイン」を続けて読み、この問題を身近に考えて上村遼太君の無念さに報いてあげたい気持ちでいっぱいだ。

写真は島根県西之島摩天崖

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