桜を愛でる平和が一番
家の前では桜が満開になっている。昨夜は窓を開けて夜桜のお花見にしようとしたが、ライトアップされていないので諦め、今日昼間のお花見にした。セブンイレブンで助六寿司など用意し冷蔵庫のオレンジとリンゴを切りタッパーに詰めて新横浜公園に出かけた。近所の介護施設からは車椅子に乗ったおじいさんおばあさんとヘルパーさんたちがたくさん来ていた。
私はこの桜を見て平和はなんといいことなのだろうと思い続けている。
この季節,日本で 電車に乗ればどこでも車窓に薄桃色の桜を見ることができる。それに比べていま中東のシリアやイラクでは砲撃の音が止まず、子供たちが逃げ惑い、父親たちは戦いに出て行方のわからないことになっていると言う。死んでいく人を身近で見る毎日、薄桃色でなく赤い火、赤い血を見る毎日であるとニュースでは告げている。
このように桜の薄桃色の情景を見ることを夢に描けないのは悲しい。あちらの中東ではアーモンドの花が桜の花に位置付けられるのではないだろうか。
なぜ戦い続けるという負なことをし続けるのだろう。神を信じて戦うことを選ぶのだろうか。私たち日本人は恥ずかしいほどの多神教だ。多神教ゆえに無神論につながっているかもしれないが。宗教論には程遠い私の浅学さではあるが、素朴に「そんな喧嘩は止めなさい!一抜けた!」をどちらの国もすればいいのに。
今日ポストにJIM-NET便りが届いていた。私は今年もバレンタインデーの義理チョコを止めた分のささやかな金額の寄付をJIM-NETにしたのだが、お便りの中の鎌田實先生のつぶやきでは
「暴力には暴力を、憎しみには憎しみを、という連鎖を断ち切って、憎しみには愛を」
そして「イスラム国の戦闘員になりたがる若者は多いが、彼らを思いとどまらせるには暴力ではない、愛の力が必要だ」
とつぶやいておられる。戦争によって足を切断された若者たちに義足を作り、難民キャンプでも診察をして来られるとも述べられている。ところが今夜のニュースではまたしてもシリアでの砲弾の嵐が起きている。難民支援施設をイスラム国が大半を支配したという情報もある。鎌田先生気を付けて!
ところで桜を見ると4年前に母が中目黒の介護施設にいる時に目黒川の桜を一緒に観に行った時のことを思い出す。
遠い昔のような気もするし、つい最近のような心持ちにもなる。それは桜の花のお花見気分がそうさせるのかもしれない。「皆んなで賑やか」が母も好きだった。桜の花は咲いているときはどこから見ても綺麗だ。集団が美しい。桜を愛で続けている日本は平和があるからだ。桜を見るとそう思う。
鶴見川がカーブしている広い視野に立てる場所がある。そこからは第三京浜の小机の方の桜までが薄い桃色の帯を描いていた。
アーモンドの花がチグリス・ユーフラテス川に咲き、アーモンド吹雪の中を人々がカバブやナンを持って皆で仲良くお花見をすることができるのはいつのことになるのだろうか?
追記:今日、深大寺植物園に撮影に行きました。アーモンドの花が濃い桃色で咲いていました。
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