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2015/12/14

篠原勝之「骨風」を読んで

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私は自叙伝のような書物はあまり読みたいとは思ったことがなかった。

知り合いの人からその人の自叙伝をもらって読むこともあったが、その人と同じ体験を積んでも、私は私だからと拒絶反応が出て、読み切ることは無理だろうと考えてしまう。今回篠原勝之の「骨風」も初めからそのように感じていたので読む気には為らなかった。


私はツイッターで篠原勝之さんをフォローしていたので、そこからフェイスブックにつながって、毎日彼の仕事や呟きを覗くともなく見ていた。初めはとても安穏な雰囲気が漂っていた。ところが「骨風」の原稿を書き上げて印刷物になり、多方面から彼に応援が来るうち、何かだんだん力が満ちてくるのをフェイスブックの≪近況≫の中に感じてきた。そして泉鏡花賞を取るに至ると俳句を頻繁に載せるようになり、その句に鋭さが溢れてきた。過去にはいっぱい俳句を載せていたのかもしれないが私は知らない。大変失礼な言い方を承知で言うが、どうしてこんなに上手なのだろう。

そして泉鏡花賞を取った時の受賞の挨拶の原稿(http://yaplog.jp/kuma-midokoro/archive/4141)がフェイスブックに載り私は心を打たれた。よし、読もう。


そこで私は彼の行動圏にあるはずの長坂の本屋でその本を買いたいと思い、行ってみた。だがそこには売っていなかった。でもそれにこだわってアマゾンで頼めばすぐに手に入る「骨風」をその本屋から取り寄せてもらった。「ここには篠原勝之の新刊本、骨風はないのですか、ここから多分10分足らずの甲斐駒ケ岳山麓に住んでいる地域のゲージツ家ですよ!」と言いたかった。私の感性としてそれは言えなかったが。


そのようにして読んだ「骨風」はフーガのような構成になっていた。彼の現在と過去が同じカテゴリーの中で出てくるのでクラシックの音楽を聴いているようなリズムを感じてくる。きっと人生が追いかけたり追いついたりの流れの中にあるのだと思う。このように自叙伝を毛嫌いする私も感動した「骨風」を読むことをお勧めします。骨という字から、武骨でもあるのだと思う。しかし心は清く澄んでいると思う。そして読んだ後に富士山を見るとまたいつもの富士山とは違う暖かい富士山を感じてくる。骨風を読むとそれは分かる。在りきたりな概念論でなく心のこもった篠原勝之の言葉で書いているからだと思う。それが心を打つのだと思う。内容については書かないがこれが同じ甲州と信州の地続きの山暮らしのゲージツ家へのお祝いのメッセージ兼感想文にしたいと思います。泉鏡花賞受賞おめでとうございます!

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