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2016年3月の記事

2016/03/29

「死んでいない者」を読んで

「死んでいない者」滝口悠生
川上村の図書館はとてもシンプルだけど使いやすい。今回も入口に芥川賞、直木賞、泉鏡花賞の作品が展示してあり私は2月新刊の「死んでいない者」を借りてきた。今年の芥川賞作品だ。読み始めて、どうも葬儀の様子を書いた小説のようだとわかった。故人には5人の息子と娘とその配偶者があり、そのまた子供がいて、その数は10人に及ぶので、末端で生まれた子たちは誰が誰の子だかが分からなくなる。

場面に1人が出てくるとその親戚関係を説明する。また1人が出てくると親戚関係を説明する。全体の相関図はなかなか分からない。後で考えれば作者はその葬儀に参列する1人の客として分かっていくように書いていたのかな、と感じる。孫の中にはアメリカ人ダニエルと結婚した紗重もいる。酒に溺れ借金を重ねている寛、不登校からいつの間にか故人である祖父と暮らすようになった美之、その美之の妹知花は親たちよりも兄の気持ちを理解できている。しかし世間の人にはキモイなどと分かってもらえないだろうと口に出しては言っていない。
故人の長女と次女の連れ合い同士が血縁は無いのに歳を経るにつれ顔付きが似てきたことを書いている。そういえば我が家の法事で私の父とその叔父さんが似ているので長女が間違えたことがあった。法事では何か同じ親族の空気が漂いもしかすると同じDNAが浮遊しているのかもしれない。

アメリカ人のダニエルが義理の関係について妻の父親を温泉に入りながら考える場面があった。 Father in law(法律上の父=義理の父) 「義理は感じるのではなく義理を果たす」 しっかり噛み締めて咀嚼して味わいたいフレーズでした。義理であるがゆえに「理解しようと努力する関係」を築くことが「義理を果たす」のだと。義理とは日本独特の物なのかもしれない。

また故人の幼馴染はっちゃん86才が故人と昔行った旅行を思い出すのだけれどどうして行ったのか思い出せない。実は敦賀に彼らの友人、車田春治が40才を過ぎて所帯を持ち若い細君に子供が生まれたそのお祝いに行ったのだけど、もうはっちゃんも思い出せないでいる。この小説の中でフルネームで出ているのが車田春治の名前だけだ。また故人の妻はしのぶさんとわかったが、故人の名前は服部なにがしでしか無い。太郎だか次郎だか分からない。私の読み忘れだろうか。

物語を牽引しているらしき知花はおじいちゃんのことを一緒に暮らしていた美之を通じて偲んでいるように感じた。「川の流れに身を任せ〜あなたの色に染まるの〜」酔った勢いで川に浸かりながら故人が好きだった歌を口ずさみ年下の従兄弟たちと滅多にしない川に浸かるという儀式をする。

読み終わり、私はこの登場人物の関係を書き出してみた。「家系図を書くこと」でも言っているが「私が知る自分の親戚は誰も掛替えの無い大切な人たちだったと思えてくるのです。」の感慨に似たものがこの「死んでいない者」でも湧いてきた。

ところでお寺の鐘を鳴らしたのは誰だろう。

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2016/03/14

自転車を巡る映画3本

「365日のシンプルライフ」
この映画のスタートは何もないカラの部屋から全裸で駆け出す男。
失恋してからペトリは毎日がなんとなく嫌になり、家の中が片付かないので、どうしようもなくなって、ある日貸し倉庫に自分の家の持ち物をすべて預けてしまう。そして、決めたことは1日1つだけ必要なものを持ち帰る。それを一年間続ける。食事以外に物は買わない。その一つを選ぶために熟考する。
自転車を持ち出してから、アウトドア好きのガールフレンドが出来る。フィンランド映画で原題は「Tavarataivas」。主演、監督、脚本がペトリ・ルーッカイネン。「この世界では何が大切か」と「できるだけシンプルに生きよう」ということが伝わってくる。ツタヤで2ヶ月待って借りることができた作品だ。

「自転車泥棒」は。1948年のイタリア映画だ。役所のポスター貼りの仕事をするため、質に入れた自転車をやっとのことで出す。ところが仕事中に自転車泥棒にあい息子や友だちと自転車泥棒を探すお話。戦後のイタリアも、日本と同じで一面焼野原で閑散広々としている。私は戦後の大森駅を母の手に繋がれて歩いた時を思い出した。「赤いリンゴ」のレコードが何処からか聞こえてくる初めて出かけた繁華街だった。団塊世代の人たちがこの映画を見ると今まで言葉や文章化が出来ていなかった自分自身のあの頃がフッと思い出されるのではないかな。そして日本の親たちの戦後の苦労や貧困のあの頃の空気を吸いことができる。そんな気がした。ビットリオデシーカ監督の作品で、出演者は俳優でなく一般の人を使っているという。ネオリアリズムの作品ということでハッピーエンドというわけではないが、見終わってからこういう親子もいいし、幸せはハッピーエンドだけじゃないって気もして来る。

「あこがれ」短編
「大人は判ってくれない」
同じDVDに入っていて、トリュフォー監督の自伝でもある。「あこがれ」は町の美しい女と少年たちと彼らの先生を巡る青春の心模様。それにしてもおませな少年たちと憧れる女の子の自転車をこぐ脚が綺麗。
「大人はわかっていない」はトリュフォーの少年時代の不良化して行くプロセスでもあるが、少年鑑別所の制服がやはりフランスだなと納得のいくデザインでカッコいい。主人公のドワネル役のジャンピエールレオはトリュフォーに似ている。「大人は判ってくれない」はまだ私の鑑賞が未消化なので感想はないがトリュフォーの作品はもっと観たい。

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2016/03/11

家系図を書くこと

我が家の仏壇には以前たくさんの位牌がありました。私や夫が知っている人が3故人、没後50年も経っているご先祖の位牌が7柱ありました。ぎゅうぎゅう詰めの仏壇のお掃除をしながらどうしたらいいだろうと思案してインターネットで調べました。そこで50年を過ぎた位牌はお寺に預けてお焚き上げして貰うと良いと知りました。それを過去帳に書くということは実家の母が生きている時に教えてくれました。

去年、お位牌はお寺に持って行き、その位牌に書かれている戒名と亡くなった没年月日、俗名、行年(享年)をレポート用紙に書き込み、鳩居堂で購入した過去帳にそれを書き写しました。それらのことをすると私は何かすっきりし、今度は御先祖についてもっと知りたかったと思うようになりました。義母はよく何度も遠い親戚のことを話しましたが私たちも準備もないままで、耳で聞くだけでしたのでこの過去帳の中の人なのかも今では分かりません。

先祖というのは大きな木が枝葉を付けて立っている木のようなものです。できれば今の自分のアイデンティティー(存在証明)が知りたくなった時に見ることが出来るようにしておくことは、子や孫のために大切なことではないでしょうか。そこで、私たちを中心にした家系図を書いてみることにしました。丁度簡易的な組み立て図があったので書き足して私たちの父母2組、その上の祖父母4組まで書くことができました。それから派生する叔父叔母、従兄弟従姉妹たち、これからその人達の物語を夫とともにメモしていこうと思っています。

このようなことは私自身の生命の蝋燭を見つめ始めているからだと思うのです。個人情報に迫るものがありますが、人生の価値を見つめる上で大切な気がします。私が知る自分の親戚は誰も掛替えの無い大切な人たちだったと思えてくるのです。

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2016/03/09

千葉旅と渋滞

ここ10日ほどの間に新しい経験と嬉しいことが4つほどありました。①娘夫婦との千葉の旅行、②渋滞にはまった時に泊まった旅籠屋、③家系図を書いたこと。④フィンランド映画「365日のシンプルライフ」の発想の転換が面白いことなどです。先に①と②について書いてみました。

最近我が家のプードル犬のココが寄る年波で旅行の時に動物病院に預けられなくなってきたので今回はそれぞれ3台の車で行きました。ココは車中泊です。そして今回は千葉にしようと計画しました。過ぎてみればどうということもない旅行なのですが親子3世代が一緒に行くという計画は簡単なようで大変なのです。それぞれ仕事や学校行事を外しお正月に集まった時に日にちだけは決めて、前回の伊豆は次女だったので今度は長女に計画を頼みました。
初めの日のランチを道の駅「富楽里とみやま」の網納屋で食べるということで集合しました。そして全員一致の海鮮丼は客が見えるところで板前が捌き、大きな切り身で満腹になりました。そこから30分ほどの佐久間ダム湖親水公園で河津桜のお花見をしました。土を踏みながらの散策にココも久しぶりに皆んなとロング散歩をしました。足の動きが悪くなった我が相棒なのですが、娘たちが居てくれると私も油断してスタスタ先に歩いてしまい子供たちに「オイオイオイ!、ママ!」何てことは言わないけどね。これも旅の良い思い出です。
ホテルは以前行ったことがあるので、手順は心得て犬連れの車中泊です。いつもの会食の時にはお酒も飲めないけれど今回は違い、皆んなで安心してビールもすすみます。ホテルが改築中でしたがお部屋はとても綺麗に広々となっていて、部屋付きのお風呂も大きく気持ちよく入れました。あくる朝の朝食のバイキングの時に意外と人が泊まっていたと気づきました。これは結構大変そうだと感じ帰りの渋滞が気がかりでした。そこで勝浦雛祭りは辞めて海際のお花を見ながらのゆったり走行に切り替えました。
ランチは房総最南端のイタリアン「オードリ・キッチン」こんな所に住みたいねなどという会話もちらついて美味しく食しました。そこを出るといよいよ渋滞の兆しあり。まず次女たちは計画の金谷久里浜フェリーで、長女は船橋に下道で渋滞にあったようです。
私たちはアクワラインの渋滞13キロがいつまでもニュースから消えないので、私1人の運転を気遣って、相棒が検索して旅籠屋というモーテルに泊まることにしました。ただし我が家はここでもココは車中泊にしたのです。
けれど明くる日に、庭で散歩をしているとホテルの方から注意を受けました。私は犬は断じて車の中に入っていたと言いましたが、犬が入れる部屋があるということでした。後でネットで調べましたがホテルの人の言っていたことがよくわかりませんでした。
もしかすると車の中で鳴いて近所の住宅から苦情が来る場合があるのかもしれません。うちは他犬の臭いが気になって絶対に室内には入れられないのですから、車中泊しかできません。ココを連れて、観光地の旅籠屋に泊まるという計画は図らずも消えました。ポワン!
もしかするとこれはお店と"相談"てことでしょうか 。ホテル代の安さとパンとコーヒーがとても美味しく、年金世代にとって侮れないものがありました。
そして明くる日は4年に一度の閏年の2月29日でその日を渋滞のためにもう一泊しちゃった何て私たちも自由になったのね〜と感慨深いものがありながらのアクアライン道でした。

家族が積み重ねていく年月には渋滞もノン渋滞もあるけれど、可能な時は出来るだけ一緒に心を重ねてその時間を共有したいと思いました。2人の婿殿は楽しい旅行だとニッコリ笑って、帰りのホテル前の駐車場で言ってくれたので老夫婦は眼から鶯の涙ほどの水滴が出たようです。

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