「死んでいない者」を読んで
「死んでいない者」滝口悠生
川上村の図書館はとてもシンプルだけど使いやすい。今回も入口に芥川賞、直木賞、泉鏡花賞の作品が展示してあり私は2月新刊の「死んでいない者」を借りてきた。今年の芥川賞作品だ。読み始めて、どうも葬儀の様子を書いた小説のようだとわかった。故人には5人の息子と娘とその配偶者があり、そのまた子供がいて、その数は10人に及ぶので、末端で生まれた子たちは誰が誰の子だかが分からなくなる。
場面に1人が出てくるとその親戚関係を説明する。また1人が出てくると親戚関係を説明する。全体の相関図はなかなか分からない。後で考えれば作者はその葬儀に参列する1人の客として分かっていくように書いていたのかな、と感じる。孫の中にはアメリカ人ダニエルと結婚した紗重もいる。酒に溺れ借金を重ねている寛、不登校からいつの間にか故人である祖父と暮らすようになった美之、その美之の妹知花は親たちよりも兄の気持ちを理解できている。しかし世間の人にはキモイなどと分かってもらえないだろうと口に出しては言っていない。
故人の長女と次女の連れ合い同士が血縁は無いのに歳を経るにつれ顔付きが似てきたことを書いている。そういえば我が家の法事で私の父とその叔父さんが似ているので長女が間違えたことがあった。法事では何か同じ親族の空気が漂いもしかすると同じDNAが浮遊しているのかもしれない。
アメリカ人のダニエルが義理の関係について妻の父親を温泉に入りながら考える場面があった。 Father in law(法律上の父=義理の父) 「義理は感じるのではなく義理を果たす」 しっかり噛み締めて咀嚼して味わいたいフレーズでした。義理であるがゆえに「理解しようと努力する関係」を築くことが「義理を果たす」のだと。義理とは日本独特の物なのかもしれない。
また故人の幼馴染はっちゃん86才が故人と昔行った旅行を思い出すのだけれどどうして行ったのか思い出せない。実は敦賀に彼らの友人、車田春治が40才を過ぎて所帯を持ち若い細君に子供が生まれたそのお祝いに行ったのだけど、もうはっちゃんも思い出せないでいる。この小説の中でフルネームで出ているのが車田春治の名前だけだ。また故人の妻はしのぶさんとわかったが、故人の名前は服部なにがしでしか無い。太郎だか次郎だか分からない。私の読み忘れだろうか。
物語を牽引しているらしき知花はおじいちゃんのことを一緒に暮らしていた美之を通じて偲んでいるように感じた。「川の流れに身を任せ〜あなたの色に染まるの〜」酔った勢いで川に浸かりながら故人が好きだった歌を口ずさみ年下の従兄弟たちと滅多にしない川に浸かるという儀式をする。
読み終わり、私はこの登場人物の関係を書き出してみた。「家系図を書くこと」でも言っているが「私が知る自分の親戚は誰も掛替えの無い大切な人たちだったと思えてくるのです。」の感慨に似たものがこの「死んでいない者」でも湧いてきた。
ところでお寺の鐘を鳴らしたのは誰だろう。
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