新型コロナから見えること
愛知県ではスポーツジムと福祉施設でのコロナ感染が広がり、2つのクラスター感染が広がっていると1週間前のニュースで言っていた。私が行っているスポーツ教室は特に希望者は一対一の個人レッスンの設定をしてくれている。部屋の窓を開けて空気を入れ替えて1人だけで指導してくれている。先生はマスクをし、私は苦しくなったらマスクを外している。ゆったりしたエアロビクスだ。
クラスターが増えているらしい。これからも情報はしっかりと収集していかないといけない。マスク以外にも外出する際の場所によっては使い捨て手袋などでガードしないといけないだろうか?
このような時に私の教えた子たちはどうしているかと思う。よく絵の指導をしながら、「算数の1+1=2だけど絵は3とか5の時もあって100の時もあるのよ」と教えた時もあったけれど、これは想像力の世界でいろんな場面にも通用すると教えていたつもりだけど、このような感染症の対策も想像力を生かして対応しないといけないと思う。みんながどうしているかと思う。
そして多くの人がコロナの感染症に打ち勝ったとしても、経済が崩れ破綻して平和時の経済学が通用しなくなるかもしれない。私は芸術的な世界で生きてきたから経済的な世界はあまり考えないできたけれど、経済が破綻してしまったらリッチもプアもも同じスタートに立つのだろう。ただ私たち高齢者はたちあがるよりは崩折れるかもしれない。それは厚労省が問題にしている保険や年金の差し迫った状況にいい答えが出るのかもしれない。それは私たち団塊の世代には良くない、バッドなことでも国には良いこと、ラッキーといづれは言えることかもしれない。団塊の世代はサバイバルなのだ。勉学、結婚、墓に入るまでサバイバルなのだ。
それは日本国内での話であって全地球でのスケールで言えば、どうしようもない悲劇かもしれない。でも現実には買い物や自分だけの旅行をしようと思えばまだ出来ているから、平和は続いているのかもしれない。パンデミックを恐れて経済が破綻すれば、どこかで喜ぶ人がいるかもしれない。経済の破綻を恐れて自由気ままに動き回れば自分のすぐそばにコロナ感染者が出て自分も新型コロナになってしまうかもしれない。そのギリギリの瀬戸際で最小公倍数?最大公約数?のどこかに着地ができるようにしたい。どこかで誰かが旗を振って🚩「おーいこっちだ!」と言ってくれる公人がもしかすると出てきるかもしれない。
それもある意味で楽しみとしたい。
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