2007/07/18

きっこに会うなら、こんな町で

Doitu07063_kikko この間、現実での生活が多忙な日々に、「 きっこの日記 」のきっこかもしれない人に出会った。私の行きつけのペットショップだった。

もしかすると、夢を見ていたのかもしれないが。・・・・・・

彼女は松葉杖をついていた。

店の入り口で、正義の味方、オルレアンの少女と、私は眼が合った。 きっこ! きっこ? きっこ・・ きっこ?

「ブログの女王様にここで会うわけないでしょ!」「ヴァーチャルはヴァーチャルとして閉じ込めておきなさい!」 もう1人の自分が冷静にと指令を出した。

松葉杖をついているだけで何故きっこと思うの? 自分が毎日きっこのブログを読んでいるからと言って、あの人がきっこだと何故思うの? 

そう、私がずっと想像していた《きっこ像》は、私の学生時代の友人、水谷寿美子だ。

高校3年の春にアメリカのバークレー大学に入学し、ドイツのシーメンスで働き、ドイツ人と結婚しバウアー・寿美子・水谷という名になっていた。「バウワーはドイツ語で、百姓というのよ」、と教えてくれた。彼女が話す言葉は時として、滑らかさを欠いていたが、いつも真摯だった。そして私も真摯に人生を語っていた。その親友。今、彼女はどうしているだろう。お互いが忙しくなり、音信が途絶えてしまった。

松葉杖の女性は彼女の眼差しに似ていたから。絶対きっこと思った。

今、2007年6月のドイツの写真を整理していたら、あのペットショップにいたきっこらしい人にもう一度会いたいと思う気持ちがしてきた。そしてドイツランズフートの写真の中に、きっこに会うのにふさわしい町の写真があった。

なぜか、私の白昼夢のようなあの日の日記を書いてみたくなったのです。トラックバックはできないから、いつか、きっこがこのページに気付いてくれたらなあと思っている。そして、ヒールの高さ9センチの赤い色がチラッと見えるパンプスを履いている元気になったきっこと駐車場じゃなくて、このランズフートで会えたら、今度こそ声をかけよう。 

私は多分メレルかニューバランスの低くて、川上村の畑のどろが付いている靴だけど。

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2007/07/16

新盆の迎え火と送り火

Otetudai0707_2親戚の子を預かり、いろいろな感動があった。

ホントにささやかなことではあるが、時間の流れを感じる。

テレビニュースで、北朝鮮の核問題についてのニュースを聞き、4才の彼は、「 日本にも原子爆弾が落ちたんだよ。」 「  日本が外国に戦争をしたんだ。昔だけどね。ママが言ってた。」

私の長女は小学校3年ぐらいの時に、学校での映写会で裸足のゲンの映画を見て帰り、「 戦争はいけないことはわかっている、あんなに怖い映画を見せられるなんていやだ。」と言って、泣きじゃくった。その子が今では自分の子に「戦争はいけないこと」 と教え始めている。

この連休は、主人の母の新盆のために、部屋を片付けたり、提灯を用意したり、やりつけないことをした。本を読むと、我が家の浄土真宗はそれほど格式を重んじないようなのであったが、私は亡くなった母と一緒に住むようになってから仏壇を置くようになってからは、仏教のお盆のしきたりの迎え火と送り火を意識して娘たちに見せていた。また小さい時から実家でも、お盆には迎え火送り火をしている。実家は日蓮宗だ。

こういうことは宗教と関係なく、娘たちが日本のどんなところに嫁いでも大丈夫なように、最大公約数的なしつけとして、大事だと思っている。そのようなしきたりや約束事はこれからどんどん変わっていくだろうが。

家族や親戚は変わらずにその伝統は守っていることも多い。自分からは形を変えようがない。また、お寺での御住職の説教やお経は、亡き人を偲び、残った者を癒す言葉に満ちている。とりあえず、自分の信仰とは関係なく、亡き人たちを思えば受け入れていかざるを得ない。

7月13日にお迎え火を焚いて、仏様が来て、7月16日に送り火を焚いて、また、あの世に戻られるという。

ちなみに私はマンションのベランダで、浅い植木鉢に土を入れてその上でおがらを燃やす。そしてその上を3回跨ぐと、仏様が来たり、帰ったりするのだそうな。

さきほど長女のすおみが来て送り火を一緒に焚き、皆で 「おばあちゃん、また来年ね」 と、魂を送った。ちなみに迎え火は次女あいかと一緒に13日にした。

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2007/07/15

重なる2枚の絵

KasanaruemoenaKasanaruekentarouKasanaruemomoko左からモエナ、ケンタロウ、モモコ。

ある方法で2枚の絵を描き、重ねて1枚の絵にした。描画材料を研究している人ならば、どのように描いたかは、この写真でいくらかわかるだろう。

実はもっと色彩感覚もよく、独創性のある絵もあったが、私が台風旋風の気圧のせいか、元気が出ず、これ以上写真を撮れず、この7人の子の作品の紹介のみにします。

KasanarueerinayuiKasanarueshoukikanon  左は上からエリナと下がユイ。水泳がショウキと下がカノン。

これらの作品がこのページをつくるときれいと感じたので、これ以上は写真を紹介していません。

どの子も、真似をせずに自己表現をしていました。

あいかが八ツ橋幼稚園教室に一緒に行ったせいか、また別の空気が流れて、指導がしやすかった。

                  

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2007/06/21

こうのとりのゆりかご・雑感・3

Doitu0706_post 左の写真はドイツ、ミュンヘンのシュヴァービング病院の赤ちゃんポスト(ドイツではBABY NEST)です。

今回、ドイツに行く旅の目的の一つになってはいた赤ちゃんポストを見てくることが出来たが、物見遊山で行くようで、ためらわれてはいた。そしてミュンヘン駅から、Uバーンで5つ目の駅を降りたが、病院が近づくにつれ、私の足は重くなった。

途中、クラインガルテンを通りかかり、中から出てきたおじさんがそのお庭に招いてくださった。そのことも、前から希望していたことなのでとてもうれしかったが、赤ちゃんポストのことがあったので、そこを出るとまた足は重かった。

シュヴァービング病院は緑の木立Doitu0706_kurink3ちに包まれ、玄関の前のパラソルの下で憩う人もいる。入り口には年取ったおばあさんが受付をしていた。カボックに水をやりながら。ベビーポストというと、場所を教えてくれた。

それはシュヴァービング子供病院の中にあった。すぐに探せたのDoitu0706_kurinkでは無いので、病院敷地内を見ることになった。一見して病気の子供を見かけることもあり、昔、私が子供を育てているときに時々あった、アクシデントに見舞われたときのことを思い出し、胸が痛くなった。どこにだって、病気はある。大変でもいつかは治る。親はその時がんばる。

Doitu0706_kurink2  ベビーネストは、生まれた赤ちゃんが病気でなくても、育てることが出来ず、親が行き着くところだ。

私は、30分ぐらい探すうち、もうここに来られたことだけで終わりにしようと思った。そして、入り口に戻ってみると、シュヴァ―ビング子供病院の看板があったのでよく見ると一番下に《BABY NEST》と書いてあった。

病院を覆う塀を少し開けたように入り口があり、その場所はあった。私がそこに入ろうとすると、そのそばにいたおじいさんが、「入り口はそこじゃない!あっちだ!」としきりに言う。そのおじいさんにはその場所がドイツの恥だと思っているように感じた。言葉が分からないし、通じないから、「うろちょろ怪しいやつめ」と思ったのかもしれない。

すだれで被われているが、病院内のほかの施設より無味乾燥とした感じがした。つまり、子供病院内は楽しい絵や風車や子供向きの彫刻が置いているのに、そこは味気ない感じだった。赤ちゃんを置いていこうとする人に対して最後のメッセージをこめているように感じた。

(こうのとりのゆりかご・雑感1.2はドイツに出かける前に書いたので、文章の不備があります、これも不肖ながらの実力で仕方がありません。気が付きましたが直しませんので、3を読んで真意をお汲みください。またドイツ語も、英語もほとんど勘に頼っていますのでその辺もよろしく。でも、心と背筋だけは成田を飛び立ってからは日本代表なのでそれもよろしく!)

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2007/06/16

こうのとりのゆりかご・雑感・2

日本ではこうのとりのゆりかごが出来たが、3才の子が入れられていたという。育児放棄にならぬように、こういった施設は望ましく無いと政治家は言っている。

インターネットで 《 裁判所、養子縁組 》 で検索すると、養子をもらうための手順が出ている。養子は子供が物心着く前にと、6歳までにと決められている。熊本のこうのとりのゆりかごに置かれていた子が3歳だったということが、心に傷を残すと、騒がれていたが、日本の法律では6歳までにと言うことになっている。日本の法律だから多分、大昔からなのだろう。

私は昔、養女に貰われてきた方を知っている。確か、1年生になったときから、そのお家に来た。弟と同じ学年で、近所であったため、大変仲良く、幼少時代を過ごした。

一緒にご飯を食べたり、一緒に夏休みを過ごし、一緒にお風呂にも入ったりした。お互いの家で遊んだが、私の母は私に輪をかけて子供の面倒見が良いので、その子はまるでうちの子のように育った。或る時、母がその子から、《私にはホントのお母さんがいる。今のお母さんは違うの》 とお昼寝のあとで打ち明けられた。私たちもそれを聞いてビックリしたが、なにかの物語のような気がして、ことさらその友情に変化はなかったと思う。子供だったから。

だが、噂によれば、本当のお母さんはある地方の芸者さんで、子供がいると仕事ができないので、養女に出したのだと聞いた。そういえばその子はよく言うお人形さんのような子だった。そして、母は或る時とてもきれいでその子に似ている女の人とその子が一緒に歩いているのを見たと言っていた。

お互いに大人になり、進学や結婚を経て、現在も《その子》と行き来している。

つい最近、実家の母が頂き物の筍を届けてと言われ、彼女の家に行った。世間話や、介護の話になったが、最近の赤ちゃんポストやこうのとりのゆりかごを彼女は意識していたかはわからないが、

『 私は両親にすごく感謝している。本当にやりたい事をさせてもらった。今の私がいるのは母が自由にさせてくれたからだと思う。』と言っていた。つまり養母への感謝の気持ちだ。

彼女は昔から音楽関係の仕事をしている。そのために、ご両親は日本の音楽大学、ドイツの音楽大学にと留学させている。現在もある楽器の演奏もし、その指導もしている。私は彼女と小さい時から暗黙の了解のもと、そのことは知っていたが、一度も聞いたり、話したりしたことは無い。

私は赤ちゃんポストのニュースを聞くたびに、彼女の言葉を思い出し、うなずいている。そして、彼女の人生のことがスポットライトを当てたように光り輝きだすのです。舞台で光り輝いているように。 でもこの友人のようにうまくいくばかりではないかもしれない。それでも、虐待や子殺しなどになってしまうより、選択技を増やし、子供を育てる力や心がある人のところに、こうのとりが運んでくれるようにするのも善であり、注目すべきことのように思うのです。いろいろ紆余曲折があったとしても。

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2007/06/12

こうのとりのゆりかご・雑感・1

Kounotori 最近日本でも、熊本の慈恵病院で《こうのとりのゆりかご》が出来たが、そこに始めて置きざりにされた赤ちゃんが3歳だったことで、また新しい波紋があった。

私としては、関心があることだったので、ウイキペデイアで赤ちゃんポストについて調べてみた。荷の重い記事ではあるが、少子高齢化について、考えることも多く、少しずつ進めてみたいと思います。写真はドイツで買ったポストカード。

まず、日本での《こうのとりのゆりかご》が出来る以前には、1986年に群馬県大子町で5年ほど、《天子の宿》という施設があったそうだが、1人の赤ちゃんが凍死する事件で、閉鎖されたそうだ。

日本の熊本の慈恵病院ではドイツをお手本にしたが、各国の設置状況について書いてある。オーストリアは2005年までに6つの都市に設置。ベルギーでは2000年に設置、3年たったが置かれた子は0人。チェコでは2005年に設置、2006年までに3人。ドイツでは2000年に設置、2005年までに80ヶ所に設置。ハンガリーでは1996年に12ヶ所。インドでは1994年設置。イタリアでは2006年12月に設置、翌年2月に1名保護。オランダは2003年設置が予定されたものの反対で取り止めとなる。パキスタンが260ヶ所。フィりピンも設置。南アフリカ2000年設置2004年6月までに30名保護。スイスでは2001年5月設置。アメリカは1999年設置。

私たちが好きな国、ドイツでの《赤ちゃんポスト》が日本のお手本にもなっているようなのでチャンスがあったら見学もしてみたいと思い、調べたところミュンヘンのシュヴァービング病院に設置されているとあった。

ドイツでは《赤ちゃんポスト》に赤ちゃんを置く前に、《匿名出産》というもう一つ前の段階があるようだ。血液型だけ調べて、後は不問に付して出産させるのだ。赤ちゃんポストも、匿名出産も女性が抱えている社会的問題の解決をする時間を与えるもののようだ。

つまり、赤ちゃんポストは8週間連絡が無い場合養子縁組を進めるそうだ。匿名出産もやはり、出産の後、同じ期間待ち、そのあと養子縁組をするそうだ。

ところでウイキペデイアには、日本でも、平成17年末に6人の参議院議員が少子高齢化の実態調査のためノルウェー、フランス、ドイツを訪問してる。この間、安部総理と、官房長官がこうのとりのゆりかごでは遺憾の意をのべていた。でもそれより、この訪問に出席した議員の意見もマスコミは取り上げたって良いんじゃないかしら。かなり、しっかりしたレポートだと思うけど。議員たちも「 このことについては、調べてきたから意見アリ!」って手を上げたって良いんじゃないかと思う。自信がなくて、どうぞどうぞって遠慮したのかしら。

もしかすると視察が12月に入っているから、クリスマスマルクトのグリューワインを飲みすぎていて、記憶に無いのかしら? この議員たちが意見を言ったら具体性が出てきて、問題がはっきり進展すると思うけど。どうかな? 

あの事件以来、暗礁に乗り上げた感がある。と言うより、もっと現実の年金問題を乗り越えないと赤ちゃんや少子化に取り組めないのかもしれない。それほど日本の政治って後手後手になっているし夢も無い。だれかもっと、想像力を働かしてほしい。政治に縁遠い私でさえ、そう感じるんだから!

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2007/04/16

自分で作るバースデイ料理

Tanjoubi 昨日が私のお誕生日だったが、川上への移動があったので、夕食は談合坂でささっと食べた。夕食時間が遅くなるのは体によくないので、着くまでの時間を考えると談合坂で食べるのががちょうどよい。

そして、今日午前中は我が家の小さな畑の鹿対策を本格的にするため、佐久のカインズホームに杭やネットの網を買いに行った。寸法などを測ってもう一度シュミレーションすることにして、今回は買わずに帰ることにした。

千曲川の流れは速く、時々雨が降る中をつばめが水面近く飛んでいる。芳州と夫婦でいることが不思議な気もするし、当たり前に前世から決められているとも感じたりしながら、141号の道沿いをドライブ。

さぞかし、風林火山の頃の武士たちはこの道を大変な思いをして通ってきたのだろうとも思う。時々墓の苔むした石が車窓に見え隠れする。そう言えば昔、私は車で酔うたびに、「江戸時代に生まれていれば良かった!」って言ったっけ、と芳州に言う。

宿岩というところにあるツルヤで食料を買う。かなりの食品が99円になっている。レジの人に今日だけかと聞くといつもそうだという。家族の単位が小さくなると少量で安く、多種類の食品を買える方がいい。ケーキのスポンジがパンコーナーにあったので、生クリームも買う。イチゴはあるので、ショートケーキを作ろう。今日の献立は生春巻きなので、ニラやエビを探す。大変でもお料理を作る喜びは幸せの1つかもしれない。

久しぶりのショートケーキだ。娘たちが家にいた頃はよく作った。明日は雨はやむかしら。畑に影を落としている白樺を切らなければ。それにしても娘が結婚してお婿さんが来て、木を切ったりするのをもう少し手伝ってくれるかもと思っていたのは想定外だったようだ。

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2007/04/15

幸せな時間

Yoseue今日は私のお誕生日なので、少しノンビリして 《幸せな時間》 を持とう。

母は小学校から中学校まで、毎年お誕生会をしてくれた。私は友人たちに、自分が植えた植物を見せたり、こうして庭を造ったといっては自慢をしていた気がする。垣根の木が4月15日を前後して芽吹くので、その木のその年の、芽吹き方を見て誕生会の日にちを決めていた。

葉が出て緑が多い方が庭が素敵に見える。チューリップを色分けして植えたり、石を置いたり、小川に見立てた水を流したり、他愛ないものだったが。それはそれは 《幸せな時間》 だった。

年月を重ねてくると、自分にとっての《幸せな時間》 がはっきりしてくる。ある意味では我が儘でもあるが。まずいつも言っているのは、

「まわりに3匹のチョウがいること」・・・・・・・ 「好きな音楽が流れていること」・・・・・・・「その日、その時に感動できる映画が見れること」・・・・・・・・・ 「できるだけ自然に近いところで食事が出来ればハッピー!」 「犬がいればなお良い!」となる。

そして、今では時間があると、「好きなブログを見るのも幸せの一つ」だと思っている。昨日の 「きっこの日記」 には 《Born to be Wild》 の記事が載っていた。たまたま、同じ日に私も似た感動をしていたので、私も書き出してみたが、話の膨らませ方が全然比較にならず、がっくり、やめました。きっこは娘たちと同じ世代なのに何か心が通じる、大好きな人だ。私の書きかけのへたな文章も、メモ程度に残しておこうと思い旅歌ノートに綴ることにした。

★ 仕事への道の途中に聞くジョージア オン マイ マインド 窓からの風緑なりけり

ところで昨日、「カポーティー」とジョニーデップの「リバテイーン」 のDVDを蔦屋で借りてきた。迷った時のミニシアター系だ。先週は母が風邪を引き、重ねて転びもしたので頻繁に母の面倒を見に実家に行った。自分で言うのもなんですが、親孝行をしっかりしてきたから。今日と明日は自分へのご褒美の日とします。

《幸せな時間》 は大人になると作りにくい。

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2007/04/09

《代理母》と《生む機械》とコウノトリ

Tomo 子供の成長は早く、親戚のトモ君もこの4月に幼稚園の年中になる。この写真は3才の時だ。最近は自我も強くなり、かわいいと頬摺りだけでは、コミュニケーションしにくくなった。

ところで少し前になるが、3月26日の「知のヴァーリトゥード」に「産む機械」というビジネス の記事があり、私も同感の箇所があったのでトラックバックしてみる。

代理母の裁判のニュースは少し前に採り上げられていたが、その言葉はサラッと反論も無かった。産む機械にはかなり集中した攻撃があった。どちらも、たいして違わぬニュアンスだと思えるのですが。言った人の前言や立場や国会議事堂の空気が影響していると思う。 今この言葉の論理に問題を提起する気は在りません。ただ、妙に血祭り的に攻撃していたのがいやですが。

Sigonyu それより、代理母ドットコムと言うサイトに書かれている代理母の費用だ。基本料金が2万ドルから3万5000ドル。受精卵移植や医療にかかわるもの、出産に係わるもの、代理母に支払う必要経費、弁護士費用、などを大雑把に合計すると、8万ドル以上で、日本円にすると1000万円になる。それに代理母が仕事を中断している間の保障の費用1年分だ。足したら1500万円にはなるということだ。

最近の環境は、私が子どもを育て始めた70年代頃と比べると、複雑に悪くなっている。産みにくいし、生まれにくくなっている。それでもどうしてもというのなら、養子という手もある。それでも自分たちのDNAを繫げたいと思うから、代理母の選択があるのだ。

子供たちはあとりえに来ると、絵を描き、心を開放されて、本音を言う。 子供たちはお母さんは怖いと言う。また、うるさい、静かにしろと言われるともいう。兄弟、姉妹で、かわいがり方が違うとも言う。勉強しろとうるさいとも言う。かわいがってくれないとも言う。私はそれを聞くと、

「こんなにかわいい子なのに!」と感じる。でも、お母さんたちを知っているから、弁護をすれば子供の勘違いやわがままもあるけどね。そこでですが・・・・・・・・・。

お母さんたちは代理母ドットコムに頼まずに、1500万円使わずに生んだのです。それから思えば少ない費用(出産費用と病院に7ヶ月通ったぐらいの費用、帝王切開はもっとかかるのかもしれませんが) で生めたのです。幸運にもこの環境の悪い日本で、コウノトリが子供たちを運んでくれたのです。コウノトリが飛んでいって、通り過ぎてしまうおうちもあるのですから。(棒線部分追記)

だから、その時に使わずにすんだ、エネルギーを自信をもって、子供に大らかに接して、上手く愛情を子供に注ごうと考えられると思うのですが。どうでしょう。頭の中の回路をチョコッと、無理でしょうか。無理ですか?

追記:下の写真はドイツと国境近く、アルザス地方のコルマールの教会の屋根の上に出来ているコウノトリの巣です。旅行していたフランス人のおじいちゃんに指さして聞くと「シィゴーニュ!」と教わりました。

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2007/04/02

あとりえ・チビッコ30周年の集い

Hpp4015616 昨日、あとりえ・チビッコ30周年の集いのパーテイーを大倉山駅のギリシャ料理レストラン 《カヴァヌーラ》 で行いました。25周年の時は20人集まったが、今回は12人だった。

子供たちが、あとりえの教室で、一緒に描いた記憶はないが、指導している私や、主人、娘たちを中心に話の輪が出来た。またレストランの美味しい食事と、4階のパーテイー会場の雰囲気のよさに、話がはずんだ。

木崎T子さんは今、東京芸大、大学院で、ドラクロアの研究をしている。少し前に会った時は、自分の進路に悩んでいたが、目的を見出したようだ。

小川正人君は、ブルーノートの系列のライブハウス《モーションブルー》で仕事をし、パーカッションを勉強しているという。音楽の研鑽をつみに海外に行った時に、ピカソに感動したという。

小柴N子ちゃんは高校、大学頃はヘビメタに憧れていたが、今は実家の家業を継いで、保険の仕事をし、お兄さんのお嫁さんと、ケーキ作りに夢中になり、パリに勉強に行ったとのことです。

保刈あかねちゃんは日本工学院ミュージカル科を出て、音楽に進もうと決めて、現在はライブハウスや、ストリートミュジシャンをめざして、活躍しています。自らが作詞作曲したCDを聞かせてもらった。ホームページ更新中とのこと。

森崎K浩君は時計のデザインからカメラ関係のO社に転職し、デジカメの製作の仕事をしているとのこと、この秋に音楽好きな方と結婚されるとのことです。

北野S平君は法政大学で社会学を専攻し、環境問題に関心があるが、まだ、模索中とのこと。あとりえで培った感性で、絵画鑑賞が好きとのことです。

集まった以外に、連絡のあった方の中に、久米M理子さんが一女の母になり秋田大学医学部で皮膚科の先生をされているとのこと。また津田彩Kさんは沖縄で就職、麻Kさんは早稲田でお仕事、橋本K美さんは女の子のママになり、2人目を出産予定。朝比奈T君は法務省で少年に関するお仕事、つい最近美人と結婚。清水満さんはオーストリアウイーンであちらの方と結婚し、ピアノを続けている。すごいきれいになってビックリ。小林明Nさんはフラワーデザイン。白玉Yさんはフランス文学専攻し、自由が丘でアルバイト。大島麻由Mさんは男の子出産。宮崎みゆKさんは結婚しお仕事をしている。小川原香さんは就職活動。加藤S介くんはヨット部の合宿。礒江真Iさんは詩吟を始めたそうです。石井晴Kさんはバスケットボールを続けているそうです。ちなみに森崎君のフィアンセは晴Kちゃんと同級生とのこと。木崎英介君は精神科の医師で多忙中で欠席とのことでした。高橋有K,尚G君は元気です。久米真紀Kさんもお元気だそうです。以上欠席の連絡のあった方たちです。森田裕子さん、正野さんもお元気です。(名前を公表しないほうがいいかと思われる方はアルファベットで表示させていただきました。また、連絡したのは成人し年賀状をいただいている人たちにしました。時間の余裕が無く連絡していない人もいます。)

音楽関係に進まれた方が結構多くいることが分かりました。美術関係に行かれた方も噂に聞いて、たくさんいらっしゃるのですが、私が教えた幼児期から大学受験の画塾と結びつかないようで、残念ながら連絡はかえって遠のいています。まあ影では私の指導が正しかったと自負していますが。(笑)

さて、当日の朝,時々見ている筒井ミサヨちゃんのパパのブログ、《JoBlog》を見た所、妹さんのかなえさんの結婚式の写真が載ってました。とてもきれいなので印刷してファイルし、会場で皆で見ました。おめでとう!お幸せに!北海道で夫婦揃って獣医さんとして、がんばるそうです。筒井家は3人があとりえに通っていました。ブログを見れば分かりますがグローバルなご一家です。

4月1日という、参加者が集まりにくい日を選んでしまったが、それでも中身の濃い会話の交歓があったのは、それぞれに縁があって集まったのだと思う。これからもこうして子供たちとかかわっていきたいと感じた。

参加者の写真を表情がいいのでそのまま載せます。冨井先生が途中で抜けて写真に写っていない。次の35年の会は、あと5年先です。

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