2015/09/24

シルバーウイークって何時からできたの?

9月19日から23日までの4日間がシルバーウイークと名付けられていたのは知らなかった。敬老の日とお彼岸が重なる連休だからシルバーウイークというらしい。知らなかった。私の敬愛するブログの先輩和歌ログさん庄内拓明さんはプラチナウイークと言ってほしいと言っていらっしゃる。

そのことを意識もせず、初日の19日に私は家族で落語を聞く会をした。 何歳の頃だろうか、父が落語を聞かせに連れて行ってくれたことがある。もしかすると1回だけのことかもしれないし、2,3回はあるのかもしれない。1回の印象が強くて何回も行った気がしているのかもしれない。大きなホールの最上階の辺りから「座布団に座った着物を着たおじさんがしゃべることが可笑しい!」そんな記憶がはっきりと残っている。小さい時から何となく落語が好きになって、NHKの3チャンネルなどで落語を聞いたりしていた。36年間指導した「あとりえチビッコ」では虫や川上の話をするときに落語家の仕草などを真似して話をしたこともある。

そのような経験を親子と身近な親戚が集まって楽しんではどうだろうと考えた。いつもだと割安の落語会も知っているが今回の日程は浅草の演芸ホールしかなかったので、大枚をはたいてみんなを誘った。ある意味で、落語芸術協会への寄付でもある。娘たち夫婦と孫、私の弟夫婦、いとこの雄ちゃん。演目はいろいろあったが三遊亭遊雀の「悋気の独楽」が面白かった。2人の女、妾と下女の仕草がおかしかった。私もこれから困ったとき(駐車違反)はあの感じで対応しようかと、新しいネタが仕入れられた。
Silver1そのあと近くの和食やみよしでお刺身定食を食べた。 そのあくる日は川上へと来る予定だったが渋滞情報がいつにも増して酷いのでTSUTAYAに行ってビデオを借りて、午後1時過ぎに出発しいつもの圏央道を通らず相模湖から中央道に入った。渋滞はなかったが車の量が多かった。運転が怪しい人が多かったのは免許取りたてなのだろうか。いつもの長坂のキララでレタスが300円もしていた。お盆価格だ。
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私はその中で葉唐辛子を見つけた。秋になると売っている。それは葉はほんの少しで赤い実が多かった。それで葉を唐辛子の佃煮にし、青い実を南蛮味噌にした。赤い実は干して白菜漬けに使うことにする。

昨夜はロバートデニーロとダコタファニングの「ハイド・アンド・シーク」ミステリーを見た。子供は見ると夜トイレに行けなくなるという恐怖マークがついていた。私たちも別荘では見てはいけない。でも見てしまった。怖かった。
そして今夜は「ダブリンの街角で」を見た。二人の俳優があまり有名でないので、何も先入観がなく、後から余韻がジワッと来る。ラブストーリーだがさらりとして、いいと思った。

 

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2015/03/01

朝日新聞「見逃されたサイン」から川崎中一事件に関して

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私が2年前まで指導してきた、あとりえチビッコでは絵を描きながら子供の本音が聞けることも多くあったので、「もしいじめにあっていたら、先生に言ってね。助けられると思うから」と言ってきた。教室に通う子供が元気のない時によくその言葉をかけてきた。現在教室は閉じてしまったけれど、今でも私は子供が好きだから身近でいじめられている事が分かったら、その子のために何とか方法を探ってやることをすると思う。だがあの川崎の事件での上村遼太君の痣を見て、あの段階で私であったら、もし自分の子だったら、親としての行動を起こしていたと思う。まだ事件の詳細も分からないからあの子の母親のことを非難することではない。

自分だったらという理論展開をすることで、あの子には何があったのだろうと考えてみたい。私には自分の後ろに何かあったら手助けしてくれる夫もいる。彼女には同居する両親も一緒にいたようだが、強い味方だったのだろうか。離婚をしたと記事にあったが、困った時に助けてくれるようなコミュニケーションがあったとは思えない。仕事も医療福祉関係であったと朝日新聞にあるから、ハードで、物心両面で余裕のない暮らしぶりだったかもしれない。それ故に私には何も言えないかもしれない。言ってはいけないかもしれない。だがテレビで繰り返し放送される上村遼太君の顔を見ると、なぜ死なせてしまったのか。一番身近な存在の親が何故気づいて庇ってあげられなかったのかと思う。

島根の西之島に居たのであったのならばこのようなことにはならなかったのではないか。あのような痣を作られて戻った子を見て母親は携帯で写真を撮ることしかできなかったのか。私だったらブログを通して我が身を守ろうとするし、家族も守ろうとしたと思う。あのように素朴な笑顔を見せている子が何故悲惨な殺され方をしてしまったのか。私の孫が遼太君のような痣を作って戻ったら、本人が何と言おうが、その犯人を呼び出し、理由を聞かせてもらう。それも無理だろうか。そして、それにまともに対応ができなかったら、島根のだれか知り合いに事情を話して少しの間預かってもらう。昔だったらお寺に預けたりできたのではないだろうか。このような発想は出来ても現実に移すことは難しいだろうか。

もう亡くなってしまったけれど、朝日新聞の「見逃されたサイン」を続けて読み、この問題を身近に考えて上村遼太君の無念さに報いてあげたい気持ちでいっぱいだ。

写真は島根県西之島摩天崖

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2015/02/07

寄せ植えの芸術展&創造

Meijikk2_2バラクラの寄植えの芸術展は2月3日から2月5日まで明治記念館で開催されました。花材選びに3日使い、植え込みに2日費やし、やっと作品展に漕ぎ着けました。作品を作る期間の楽しさは花好きならば、たとえようもない程なのです。水を撒き可愛いがって花を咲かせ、そこで自分も癒されてLove floraがある。上級の賞を頂いたがそれは二の次の事で、寄せ植えのアレンジのプロセスを200%楽しみました。

私が植物を相手に寄せ植えの世界に没入している2週間程の間に、イスラム国に捕らえられていたらしい後藤さんは処刑されてしまった。またヨルダンのパイロットとその引き換えにするイスラム国の死刑囚も処刑された。明日またもっと混乱するかもしれない複雑な中東情勢がある。私は世界情勢や政治批判は苦手でほとんど文章化した事は無いが、情勢を判断し考えてはいる。自分が見て聞いて調べた範囲で言うことが出来ればブログで言っていかないとと、思っている。

Meijikk3_2私の身近なアトリエの生徒やその両親、親戚の子たち、近所の可愛い駆け回っている子供たちが戦争的な出来事に巻き込まれるようなことがあってはいけないし、遠い国のシリアを含めた中東の地で子供たちが飢え寒さに震えていることも可哀想でならない。なんとかしたいという思いはいつもある。

花を植えて美を作り出す創造の作業はあの動乱と混乱と破壊の対極にある。美を感じれば感じるだけ助けたい気持ちが湧く。

写真は明治記念館では写真撮影が上手くできなかったが、新しいダイナブックのフォト編集で幾らか改良を試みた。
ガーデニングスクールの資格の基準もあるのだが、資格を目指してというよりは植物の知識を増やしながら自分の周りを花で美しくしたい。今回いただいたゴールド賞新人賞がこれからのやる気に続くような気がする。

明治記念館での作品の一部は横浜山手イギリス館において芸術展の会場に2月16日まで飾られています。私の作品は鉄の鉢に植わった蘭の作品と緑の鉢に植えられたクリスマスローズの作品の2点です。お時間のある方は横浜山手散策にお寄りください。

上級者の作品をこちらに載せたいと思いましたが、著作権に触れると気づいたので載せません。山田校長のレクチャーでもおっしゃいましたが、「大胆な発想と繊細な植物選び」「植生を大事に」がどの作品にも感じられます。

また、八王子教室の西野先生の作品「雛の宴」(私が勝手に名付けた作品名)はこの場で終わりにするにはもったいないほどで,外国からの人たちが立ち寄る成田空港や銀座の和光のウインドウデイスプレイにしたいと思うほどでした。

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2015/01/27

経済論理が表現の自由でコーテイングされたチョコレート

「バレンタインデーのチョコレート準備オーケー」の記事を何年か前に書いたことが夢のように思われるほどに私は遊び心が失せてしまっている。1月下旬なのに、どうしたのだろうか? ここ立て続けて海外の事件を考えると心が塞ぎそうになる。自分の家の中では明らかに高齢と認めざるを得ない夫婦が肩寄せ合い、支え合って暮らしている。せめて家の中が暗くならないように冗談を言いお互い親父ギャグでも傷つけないでニコニコ笑っている。 今年に入って1月10日 フランスの風刺週刊紙シャルリー·エブド(Charlie Hebdo)本社襲撃で12人が殺され、パリ(Paris)の郊外と市内で人質を取って同時に立てこもるという事件は9日、治安当局の特殊部隊が現場に強行突入し、容疑者2人の射殺で終わったが1人が逃亡した。その事件がニュースに乗らなくなったと思ったら、またしても日本人ジャーナリスト後藤健二氏のイスラム国人質事件が起きた。昨年のうちに起きていたらしいがイスラム国が公表したのは安倍さんが中東歴訪のタイミングで発表したということらしい。 島国日本にいる私に何かできないかと、思っていたが、「あなたの変えたい気持ちを形にする」というchange.orgという団体がある。以前国会での女性蔑視のヤジに対して抗議するという時点で登録したのだ。今回の後藤健二氏の事件を「イスラム国周辺国への2億ドルの人道支援を留保し、日本人人質の人命を救ってください」とある。私も賛同して署名した。それは23日の時点だ。そして今度は26日の時点では湯川さんが殺害された写真を持ち声明文を語っている。そしてイスラム国は連続自爆テロ事件の女性のテロリストを開放すれば後藤さんを釈放すると言っている。一方ではヨルダン軍のパイロットが去年拘束されているので、そちらと交換するという情報もあるという。 金銭で人質を交換することと、自爆テロ事件の犯人を交換釈放するということは全く違うことだ。自爆テロ犯を自由にしてはいけない。 でも、よくあるシネマの1シーンでは不都合な真実をわざわざ言ってしまい、とんでも無いことに展開していくというお決まりのコースだけは避けなければいけないのだから、今ナゴシエイターたる日本の外務省の方たちは本当のことは言わないで、上手く演技して人質を結果的に助け出して欲しいものだ。 このように書き慣れない抗議の文章は昨年パリの郊外の街歩きをしたから、また年賀状にそのことを書き留めたからだ。懐の広いフランスに敬意を表したけれど、シャルリー・エブドの風刺画はあまりに彼らを刺激しすぎていると思う。部数をひどく伸ばしたらしい。群れて買っているフランス人は尊敬できなかった。 そうだ今年のバレンタインデーのメッセージは「経済論理が表現の自由でコーテイングされているチョコレート」でも描きましょうか? そういうのが風刺画じゃない? そう考えたらなんかやる気が出てきたみたい。

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2013/02/08

長崎ベルハウスの火災に憂うる

今夜、ニュースで長崎のベルハウスでの火災と聞き、2008年10月12日のブログ記事を読み返したところ、やはり長崎くんちの観光のために通りかかって、窓越しに和歌が書かれているのを見た、施設だと分かった。亡くなられた方もいるという。何も書いていなければ知らずに忘れられてしまうことだが、こういう形で、つまりブログで書いておくことで、その記憶が留められるということにその重要性があるということに今更ながら感じた。亡くなられた方々のご冥福を祈ります。以下はその時の記事です。

Nagasaki_71長崎に行って来た。以前からいろいろな方に誘われていたのだが、今回は時間ができたので、長崎くんちに合わせ行って来た。

長崎くんちはテレビで細かいところまで知ることができた。今年は7年に1度の大祭のようで、檀尻という山車が神社の境内で観客が注目する中、回転させる。 『もってこーい!』 の掛け声に応えて力いっぱい動かす。神社境内に満ち、満ちる両者の引き合うコミュニケーションがなんとも言えず良い! それが桟敷席でなく、テレビの画面でも理解できたのがすばらしかった。

Nagasaki_65 私たちの泊まった ホテルは長崎新地中華街の中で、結果的に行動しやすかった。長崎名門校、活水女子大学への坂道は横浜のフェリス女子大学への道とオーバーラップして感じた。まわりの木々のソテツなどの植生がやはり南の国を感じさせた。かの有名なオランダ坂を通ると銀木犀が薫っていた。

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東山手住宅郡の中に紛れるようにベルハウスという老人ホームがあった。窓越しにお年寄りが歩いていた。クリスマスの飾りのようなコラージュが貼ってあり、目黒の母を思い出した。孤独という字が湧き上がってきた。年を取るにつれ湧き上がる孤独感を何かに置き換えてはならないと思う。その時忘れたり、紛らわす分だけ後から押し寄せる。だからといって深刻になってどうする。どうする。心の中で自問自答。私なりの答えは出ているけれど。

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『 春真昼 ここの港に寄りもせず 岬を過ぎて ゆく船のあり 』 と、短冊に書いてあった。作者は誰か書いてあったようだが、分からない。

東山手地球館では日替わりで世界の家庭料理が食べられた。この日はタイカレーだった。そばで英会話のグループが先生を囲んで楽しそうに話していた。宮崎駿のアニメ映画の話題だった。そこからは私は芳州と別行動で、原爆資料館にいった。路面電車が4系統あり、乗り換えするとき切符を貰うと100円で市内を動き回れる。車が混雑する時は路面電車の方がタクシーよりも動きが早いようだった。

Nagasaki_49_2 原爆資料館内は撮影禁止のためそこに入るらせん階段を下りるときに撮った。まるでゼロ地点に下りていくように造られていた。入ってすぐに、爆心地から800メートルの民家の柱時計があり、時刻は11時2分を記していた。

  • 原爆を落とすまでの過程を記してあった。照明を落とした資料館の中で、気が付く事をメモした。多少の間違いがあるかもしれない。
  • 1944年 ルーズベルト、チャーチルが日本と決める。
  • 1945年4月 東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、    下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保を候補地とする。
  • 1945年7月 ニューメキシコで実験
  •     7月20日 パンプキン爆弾を広島、小倉、京都、新潟で実施
  •       23日 広島、小倉、新潟が目標となる
  •       24日 長崎が加えられる
  •       25日 トルーマン指令を承認
  •       26日 ポツダム宣言
  •              31日 テニアン島で原爆組み立て完了、連合軍捕虜収容所の存在連絡する  が目的変更無しとなる。
  •     8月6日 1:45 エノラゲイが原爆を搭載してテニアンを出発
  •          8:15 広島に原爆を落とす
  •       9日 2:49 原爆搭載機ボックスカーがテニアン離陸。焼夷弾の煙のため小倉に落とせず3回旋回し、長崎に変更
  •       9日 10:58 長崎上空も雲のため視界不良、燃料不足で帰還検討
  •       9日 11:02 一瞬の雲の切れ間に原爆投下

原爆が悲惨なことは分かっているが、こうして落とされることになったのを忘れてはいけない。戦争に反対しなさい!とトキワ松学園の笹尾菊枝先生は世界史の授業中に話された。そして、子どもを育てるお母さんはいつでも戦争に反対をしないといけないとも。戦争っていつ始まるの? 誰がその時を教えてくれるの?

遡って行けば、長崎にとってこの一瞬の雲の切れ間がなければよかったのに。広島に落とされたときに日本政府がすぐ降参すればよかったのに。原子爆弾は造られなければ良かったのに。戦争を始めなければよかったのに。

ところでこの長崎旅行中に3人の日本人がノーベル化学賞を取ったというニュースが報じられた。それも忘れられない思い出になった。そして、その夜の長崎くんちの庭先まわりでは、芸者さんの舞や邦楽が歌われ、三味線が流れ、太鼓も響き、だんじりも繰り出し、町中が賑わった。そこで私は 『長崎は今日も平和だった』 と感じた。Nagasaki_94

写真は上から1.長崎グラバー亭から平和公園方面を見て、2.大浦天主堂、3.オランダ坂通り、4.ベルハウス、5.原爆資料館、6.庭先まわりをする芸者さんのご挨拶の腰の角度が美しかった。

  

           

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2012/12/03

中央道笹子トンネルの崩落事故

今日中央自動車道の上り笹子トンネル内で天井の崩落事故があった。今は横浜にいるが、頻繁に横浜と八ヶ岳を行き来をしているので、私たちも確率としてはこの事故に遭遇する事もあり得たわけだ。このニュースを聞き、まだ不明者もいるようなので一人でも無事に早く救出されますようにと祈っていたが、3台の車に乗っていた人たちが事故にまきこまれて生存は難しいようだ。

私がいつも車を運転して笹子トンネルを通ると、下りの出口から6分の1くらいの所でいつも水が落ちてくるのでワイパーを回す。それが合図のようにもうすぐトンネルの出口だと認識している。下り車線は上りより高度が上になり、あのようにいつも水が落ちてくるトンネルはよく考えるとおかしいのではないか。今度の事故の修復が多少時間がかかっても完全にして、安全に通過できるトンネルになるようお願いしたい。(追記:原因究明も専門家を交えてお願いしたい、日本中のトンネルの点検も急務ではないか。サービスエリアや、ドックランなど二の次だ。)
人は事故があって始めて、気を付けるべき『点』に気づく。それは想像力でもあるし、時には愛かもしれないが、人は常に最小公倍数と最大公約数で動く。
もっと細かい説明をしたいけれど、今日は眠いのでもうおやすみなさい。心配をかけた人たち、有難う!(追記:これからはしばらくの間、別ルートを走るでしょう。)

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2012/11/16

落ち葉を描く@2012

Otiba_keyaki 落ち葉を子どもたちに描かせた。
その前日、マンション内のケヤキやサクラの高木を植木屋さんが来て切った。かなり高いところまで登って切る姿は、めったに見れないすごいことだ。
そのまた前の日には雨が上がった地面に落ち葉が着いていて

「ケヤキの木にはケヤキの葉が、百日紅の木には百日紅の葉が、桜には桜の葉が落ちていた。春には新緑の若葉が出て私たちを心躍る春のワクワク感をもたらした一枚の葉が、いろいろの変化を遂げている。私たちはどんな葉になっていくのだろう。」

Otiba_asumiOtiba_riho そんなことを考えていたらニュースで森光子さんが亡くなったという。享年92歳、母と同じ年だ。今私がこの記事を書いていると追悼番組が流れている。 そして私はこのあとりえチビッコのおけいこの中で子どもに日日を入れる時になって、その日が結婚記念日だということを忘れていた。42回目の結婚記念日。

Otiba_hirotoOtiba_manamiOtiba_reina_2あくる日の15日に2人で新横浜のつばめグリルに行った。後ろの席にあとりえちびっこのOG、下谷地さんが居たのにはびっくりした、きれいになって、相変わらずショートカットが似合っている。キャビンアテンダントの仕事で、シカゴとロンドン、時々日本とのこと。道理でナプキンをたたむ後姿が美しかった。彼女の登場でプラスの幸せな時間だった。

Otiba_rinOtiba_tomoya 子どもたちの落ち葉の課題は観察と美しさを感じることを主に指導した。

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2011/08/29

夏の終わりに

T_gariba_2 『夏休みもあと、一週間もない。』 昔、この言葉がいやだと長女は言っていたが、自分の子が小学生ぐらいになれば、嬉しいフレーズになるのだろう。八ヶ岳東麓では、朝は八ヶ岳の山頂が少しだけ見え、昼近くになるとモクモクと入道雲の襲来で、ゲリラ豪雨的になり、夕方には上がるが、また夜中から朝にかけて雨が降っている。先週は親戚の子トモ君を横浜に連れて来て、あとりえ・チビッコの生徒たちと一緒に制作させた。

グーグルで募集しているドウ―ドルのデザインをさせてみた。教室ではまだレイナちゃんが夏休み欠席のため制作していない。ドウ―ドルは母の日やクリスマスなどの記念日にグーグルのホーム画面のGoogleがすてきにデザインされているもののことだ。学校単位で募集のために私塾であるあとりえ・チビッコでは審査の対象にはならない。そのため、ブログ上でいずれ発表しようと思う。

トモ君とツタヤのビデオを借りて来て一緒に見た。≪トムとジェリー(名探偵ホームズ)≫とスクール・オブ・ロックのジャック・ブラック主演の≪ガリバー旅行記≫の2本を上映。もちろん甘いポップコーンを食べながらね。笑いどころは、どうしても変なことに集中する、そう、ガリバーのお尻かな? そして、トモ君は3泊してお母さんが迎えに来て戻っていった。ココは天敵のトモ君が帰って行きほっとしたのかもしれない。そして私たちは山小屋に来た。

このところ、もう20年使用しているカーペットがココの不始末で汚れ、臭うので夏の間ならば寒くないからと前回取り払ったが、犬の足の爪にはダメージがあるようで、時々痛そうに鳴く。そのためJマートに行って新しいカーペットを買ってきた。ここでは人も動物も寒いためにトイレが近くなる。どこまでココがペットシートにしてくれるだろうか。ココは躾を失敗している。でも犬にとってのストレスは少ないかもしれない。可愛がりたいから飼ったのであって、躾をするために飼ったのではない。

Hasutya 畑では青梗菜も赤カブも急に葉が溶けてしまった。デイルと大根と紫蘇が何んとかもっている。最近Fさんご夫妻がベトナムからの蓮花茶をお土産に下さった。匂いがハーブのデイルと似ているような気がする。今夜デイルを使ってサーモンの料理をするのでその時にまた一緒に蓮花茶を飲もう。エキゾチックな匂いだ。ベトナムはフランス領でもあったから独特の文化があるのだろう。

今朝のNHKラジオで北杜市大泉町で犬に咬まれた女性が倒れた時に後頭部を打って重体とニュースが流れた。50センチの体長の雑種犬というがどうしたのだろう。そういう点では犬には良い躾が必要なのだろう。でもココは天敵のトモ君がしつこくしても軽く甘噛みする程度だ。さてこの一つ前のブログ≪都会の情報と山小屋での情報≫ではニュースや情報がここではとらえにくいと言ったが、ラジオがここでは一番良いのかもしれない。電波を拾うのに大変ではあるが。

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2011/08/27

都会の情報と山小屋での情報

最後の夏を過ごそうと山小屋に来ている。

昨日は激しい豪雨があちこちであり、ツイッターで、発信される目黒川や、神田川の水位の凄さの写真を見て本当にツイッターが新しい情報源なのだと感じた。というのはテレビもここの山小屋ではニュースが最近流れなくなった。NHKBSのニュースが以前から少なかったが、地デジへの変更で番組の編成が変わり、なおさらタイムリーなライブニュースは無い。ここで下界の事は聞かなくても良いとも言えるが、危険に対しての情報が欲しい時にないというのも、電波と私たちが可哀想な気がする。

昨日は来る途中の中央道では夜間の2時に起きたトラックと乗用車の事故で、甲府昭和と韮崎の間で通行止めがあり、渋滞が1時間ほど在った。その間の時間はともかく、夜中の2時から午前の10時30分までの間(私たちは始めに6時30分に聞いた)の情報ではトラックと乗用車の事故で通行止めが続いている のみであった。最後10時29分位の交通止め解除の時に事故車の移動は済みましたが、清掃中です。スピードを抑えて走行してくださいとはいった。もっと前にその種の情報をはっきり伝えるべきだと思う。私が運転していたのでツイッターは読めなかった。一般道に降りようと考えたが、私の勘は「中央道」だったのでそのまま走った。そして双葉近くの事故現場を通り、中央道を降りて、長坂のスーパーに行くとレジの人が「硫酸が道路に流れたそうだと」言っていた。その様な事だったらJARTICは走行している車に情報を流してもしかるべきではないか。確かにそこを通るときに変な匂いがした。そういう情報を流すと、車を運転していてパニックになる人が出ると思っているのだろうか。薬品が流れたので処理するのに時間がかかります とか、もっと前に言えるのではないでしょうか? 私は原発報道の時もそう思ったけれど、本当の事を言ってもそれぞれの人が自分で受けて自分で考えて、行動できるような教育が必要だと思うがどうだろう。

これからは「自己責任という言葉」の意味を小学生の時から教えて、「自分で考える事を常にしようとする空気を大切にしよう」という「自己責任」教育のキャンペーンをポンポンポポーンとして欲しい。「みんなで渡れば怖くない」だって車が突っ込んでくる時がある。各自に意識させなければいけないが、それには低年齢の子供たちから始めなければいけないと思うがどうだろうか。そしてそれを各自に意識させる事によって日本人としての新しい自覚が芽生えて、そういう自己責任を持つことが、 つまりは日本の新しい流れを作るって事なのだけれど。こんな巷のお絵描き教室の先生が言っても無理か?

こちらの山小屋周辺ではゲリラ豪雨はなかったけれど、途中の野辺山から川上の橋辺りでは凄かった。滝のような降り方だった。川の中を走るようだった。そして今回は車から荷物を出して鍵を開けて家に入るまでも大変だった。スズメバチが二カ所も家の壁の中に巣を作っているので、芳州先生が歩く後ろを歩兵のように私が付き従い、網を持って援護した。かなりの数のスズメバチがブンブンしていたが私が、「悪い事しなければ、私も悪い事しないからね」と心で唱えていると、蜂たちもこちらには向かって来なかった。

でもその後で近所に他の方達が来ていなかったのでスズメバチ退治に取り掛かった。家の中は芳州先生が壁にドリルで穴を開けて、外は私が7メートルの薬剤噴射をした。本当はやりたくはなかったが、もう少し玄関先をなめらかに歩きたいからなのです。ところで別荘地の方から教えてもらったスズメバチ退治の方法でペットボトルに穴をあけて、蜂蜜や酒や酢を入れて外に置き、中に導入して退治するというのは、今のところ一カ所だけ成功している。置き場所がスズメバチのテリトリーに入っていないようだ。他のペットボトルを今後移動しよう。そしてもう少し蜂蜜を足そう。蜂が蜂蜜でやられるのって、なんだかおかしくない?

ところで夜夢を見た。《手が痛くて、泣きながら、何かをはがしたらそれが蜂だった》 SF映画のように、手のひらからスズメバチが湧き出て来た。読んでいた本で手を挟んでいたかららしい。夢から覚めてほっとしたのなんのって!

一夜開けて朝のうちは青空が出ていたが、正午は黒雲出現になった。そして雨も降り出した。今日もゲリラ豪雨になるのかしら。インタネットのニュースでツイッターでは書き込みで、人を傷つける事件が起きていると出ている。結局道具を使う人のモラルがどこでもネックであり、プライバシーは情報の中でも秘なるものも含まれているということをどこかで学習させないといけないものですね。鬼の首を取ったように芸能人のことを暴いたりするマスコミも悪いお手本になっているのでしょうね。私も気をつけよう。ついサービス精神がもたげるから。

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2010/04/08

スペースシャトルを描く@子どもたちの記憶

Shatoru3 スペースシャトルのディスカバリーが5日に打ち上げられた。あとりえ・チビッコでは展覧会から初めての教室でもあり、新学年になったので、はりきってこの話題を取り上げた。このような絵は想像では描きにくいから参考になるものを用意して進めた。ロケット打ち上げの記事をコピーし、グルグル回る地球儀を置き、芳州先生の愛読書ナショナルジオグラフィックの宇宙関係をピックアップして臨んだ。この記事について子供たちの中には家族で話題にしているようで、楽しく考えて絵を描いた。山崎さんが女性であり、またスペースシャトルが引退するようであるのも悲しいが、≪時事についての絵≫を描いたのはわが教室ではもしかすると初めてかもしれない。

Shatorumanami2ShatorutomoyaShatorukentarou 左からマナミ、トモヤ、ケンタロウ。

描き方は漫画的、デザイン的、科学的、説明的のどれでもよしにし、画材はクレパスでも、マーカーでもOKという設定で描かせた。

ところどころに描かれたUFOが新しいキャラクターになりそうな感じだったのはマナミちゃんだ。ケンタロウくんのお友だちトモヤくんはたくさんのユーホ―を描いていた。そこから今度の映画「第9地区」は見るかどうか話題になった。私は怖いけど見るでしょう。ケンタロウがナショジオの、ロケット発射の写真のそのまた中にコウノトリが噴射の前に映っているのを発見した。子供の目は凄い!彼は空の色を工夫して塗り重ねた。

Shatoruriho

ShatoruhinataShatorumomoka 左からリホ、ヒナタ、モモカ。

リホちゃんは星や地球やUFO、ロケットがしっかり描けていて、将来の絵本作家を目指し始めた感じがする。まあこう言っても厳しい道のりだけど、自分が満足する絵を描くのも自分の心にとって大切だから楽しんでやっていきましょう。ヒナタは地球を自分の好きな緑と青のマーカーで丁寧に塗った。4年生からは自然科学(理科)クラブに入るという。そこで私は今度部屋の書棚の中にナショジオを定位置にたくさん置き子供たちに見せよう。環境悪化の怖い写真もあるが現実を見る強さも大切だ。モモカちゃんはなんとなくデザイン的な宇宙だ。

ShatorurisaShatorunamiShatorukenta 左からリサ、ナミ、ケンタ。

リサちゃんの水金地火木と太陽も図鑑丸々写しだけど、本人にとって良い課題となったと思う。ナミちゃんは模型の宇宙ステーションやロケットを良く見て描く。夜の暗さをマジックで塗ったが少し光を反射して写真がテカってしまった。健太は相変わらずダイナミックに描いた。

Shatoruriko_2  新しく入ったリコちゃんはきちんと描いたが筆圧が弱いので何度か描き足すことをする。

今回のスペースシャトルは新しい試みをしたのだが、子供たちも満足して描くことができたと思う。またこのような時事に関するものを取り上げて、子供たちの記憶に留めさせたい。

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