2025/06/01

メグレ警視の妻へのラブレター

Amazonプライムのローワン・アトキンス演じるメグレ警視はフランスが舞台のイギリスのテレビドラマで4話しか作られていない。今まで見ていた刑事ものは銃による撃ち合いが多かったがメグレ警視はそれらが少なく、バリの街が出てくるので期待してデジャブ感がある。

特に妻との会話が何気なく素敵だ。Mr.ビーンのコメディアンの印象とは全く違う。彼の履歴を読むとこの頃は人生の転換期だったようでそれがメグレ警視の深みを出しているのかと頷ける。ストーリーの中では

「私の手紙本当に全て燃やしたのか?」

「怒らせたからよ」というシーンがある。

そして事件が解決しメグレが食卓のテーブルの上の大切な箱に目を止める。これは?………

「私の手紙だ」

「さすがに燃やさないわよ」

「これより特別なものは思いつかない」


私も夫からの手紙はとってある。今日が記念の日ではありますが、どうしようかと迷ってます。さすがに燃やさないわよ❤️

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2025/04/27

獣医ヤコブス

ドイツの片田舎シュバニッツでの事件簿だ。人間嫌いで、獣医、元警察官のヤコブスがこのシュパニッツ村にクルーザーを停留させた。殺人事件が起き、動物病院の院長が亡くなったのでヤコブスが継ぐことになり、女性警察官のローナ、その友人のユーレ、彼の愛犬ボリーが村人に起きる不可解な殺人事件を解決していく。事件の解決方法が少し素人っぽいのは村という最小組織のせいらしいがインターネットの使い方が見る方にもわかるように解説してくれる。

シュパニッツ村をGoogleマップで調べたが解らない。トラベミュンデやリューベック、ハンブルグ警察、ノルデイックレースなどの言葉が出てくるからドイツ北部の村であるに違いない。我が家のドイツ全図も虫眼鏡で見たが判らない。

ヤコブス、ローナ、ユーレを中心に動物(犬、馬、鳥、)への温かい眼差し、人間同士の愛、嫉妬、心遣いが優しく見える。またローナの父親が過去に何らかの秘密があるのも気になる。6話で終わっているがまだその事の真相は判らないから、多分「To be continued 」なのでしょう。

私は2000年を相前後して10回は夫とドイツを旅行している。ドイツ語はグーテンターク、グーテンモルゲン、チュースぐらいしかできなかったけれど列車での旅だったからリアルな思い出がある。この映画「獣医ヤコブス」はサスペンス映画だが,映像の中の菜の花畑はバイオガソリンを作っているのであるし、麦畑の中でピクニックをしてたのはビールやパンの材料大麦、小麦がドイツらしい。

この手のサスペンスものはイギリステイストが多いがドイツものは初めて見た。ちょっと違う。私にはハンブルグ、ミュンヘン、オーバーアマガウ、ツエレ、ゲンゲンバッハ、メーアスブルグなどの都市の家々のドイツの空気みたいなものが感じられて楽しい映画でした。

シーズン1の6話で終わっているがシーズン2が待ち望みます。

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2025/03/06

映画「グランドジャーニー」を観る

グランドジャーニー

南仏の田舎町カマルグで雁の研究をしている鳥類研究家で気象学者のクリスチャンと、ネット好きの息子トマ。父親は絶滅が危惧される渡り鳥に安全な飛行ルートを教えるという無謀な計画を息子トマに話す。まずはマントを着て鳥たちが殻から出て初めて見る人を父親と思って付いてくるように刷り込みをさせるところから始まる。パラグライダーに似た超軽量飛行機の操縦も教える。フランスからラップランドまでの飛行と帰りの飛行で雁たちは渡りを覚えられるのだろうか。

見終わって調べると映像はCGは使わず撮影し、実話に基づくという2020年の作品。

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2025/03/01

名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN


「名もなき者」では「アメリカの若者ボブ・ディラン」は
1950年後半アメリカを旅をして、詩を書き、曲を作り、ギターを弾き、ウッデイーガースリーを尊敬し師と仰いでいた。デイランは病に侵されているウッデイガースリーを見舞う。そしてピートシーガーに出会う。そこから映画は始まった。

60年前、我が家にはボブディランの曲が多分レコードから流れていた。もしかするとカセットからの音源かもしれないが。弟が高校1年でギターを弾き「風に吹かれて」を歌い。そしてケネディの演説を声を出して暗唱していた。あの頃がボブデイランの歌を通して蘇る。

私がよく歌っていたのは「朝日のあたる家」だったと思う。あまり意味を介せず歌っていたように思う。ボブ・ディランよりはバエズの方を聞いて歌っていた記憶がある。「風に吹かれて」「Don’t think twice it’s all right 」「時代は変わる」「ミスタータンブリンマン」「Tom thums Blues」など聞き覚えて歌っていた。今では申し訳ないが鼻歌ほどだ。

弟は有栖川記念公園の近くの高校だったから大使館も多く赤ちゃん連れの西洋人と友達になり英会話力を高めていった。私は美術系の受験だったので英語は筆記試験をこなせるようにという程度だったのだろう。とにかく団塊の世代だったから。

あれから70年は経ったが私たちは日々、普通の日常を過ごしている。時々ボブデイラン旋風が吹く。来日していると聞くと胸が騒ぐ。ノーベル平和賞を取った、友人恋人であるバエズが来日すると聞くとまた旋風が吹く。30年は前だがバエズが来日した時は神奈川県民ホールに子供たちと聴きに行った。その日の次女の日記には「ジョーンバエズの音楽会私はバエズさんが歌っているのを見ていたらどうしてか涙が浮かんできました。私はお母さんが言っていた戦争反対ということを歌にしたらぴったりです。私は英語もわからないのにそれが頭にうかんできました。ジョーンバエズの声はものすごくたかいきれいな声でした。」

その日のことは娘たち2人の忘れられない記憶になり、今回のボブ・デイランの映画も見に行きたいと言っています。

 

「名もなき者」は私の青春時代の1ページを紐解くようです。映画では政治的な発言も場面もあったがそれより詩的な表現がボブディランを取り巻く人たちから聞くことができた。ピートシーガー、彼の妻トシ、ボブデイランの最初のパートナー、シルビールッソ、バエズも、彼の周りに居た演奏家たちは日常的に詩的表現をしていたと感じた。彼らはそのように日々を大切に生きていたのかもと思う。デイランの作品のデイスコグラフィー目録の素晴らしさもあるが彼を取り巻く人々は彼を守り、本質の優しさ(kindness)が感じられた。それはデイランの繊細な神経を気遣う注意深さからなのかもしれない。

 

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2024/01/12

バベットの晩餐会

バベットの晩餐会

19世紀後半のデンマークの漁村にプロテスタントの牧師を父に持つ姉妹は出会った男たちとは結ばれず時が経つ。フランスパリコミューンの革命で父と息子を殺された調理人バベットは逃れてその姉妹のもとにどり着く。教会を中心に漁村の人々は信仰熱く暮らしていたが年を経て気短く怒りっぽくなる。バベットはくじに当たりその資金を使って牧師の記念日のために晩餐会を催す。隣人である村人たちは美味なフランス料理とワインを心から楽しみ、次第に敬虔な信仰心を取り戻していく。デンマークの漁村、プロテスタントの奉仕の精神、年老いていく中での気持ちの持ち方などがそれぞれの言葉で編まれていくのが心に沁みた。

一軍人から将軍となった年老いた男の言葉より

「慈悲や心と真心が今やひとつになった。正義と平和が接吻を交わすのだ。心弱く目先しか見えぬ我らはこの世で選択をせねばならぬと思い込み、それに伴う危険に震えおののく。我々は怖いのだ。けれどもそんな選択などどうでもよい やがて目の開く時が来て我々は理解する。神の栄光は偉大であると。我々は心穏やかにそれを待ち感謝の気持ちでうければよい神の栄光は等しく与えられる。そして見よ 我々が選んだことは全て叶えられる。拒んだものも捨てたものも取り戻せる。慈悲に心と真心がひとつになり正義と至福が接吻を交わすのだ」

映画の中で語られる言葉だが見てない人は漠然としていると思われるだろうが、映画を見れば理解できる。別れてからもずっと思い続けていた。これからも天に召されてもそうであると。

原作はデンマークの紙幣にも印刷されているカレン・ブリクセン

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2023/08/27

amazonプライムの映画を観て*1

久しぶりにブログに記事を書きます。最近amazonプライムで映画を見ることができることを知りました。Facebookでは全文を載せることができましたが、Twitterでは分離してしまい、うまく載せられません。そこで昔の古巣に戻ってブログに載せることにしました。何か新しい構造になってるみたいです。またよろしくお願いします。

 

今日観た「デイール美術商と名前を失くした肖像」は面白かった。フィンランド映画でフィン語が出てきて美術商という私たちには縁遠い世界なのだが絵に対しての見方が時々語られて、それでいて美術商のImg_9072 商魂もあり、徐々に惹きつけられた。

年老いた美術商ラウニョが周りの人たちに店をたたむ様に薦められているが最後を飾ってからと思っている。それはなぜかというと「金じゃない、名作に携われることがしたい」という。彼には娘と孫がいるが妻亡き後、美術商の仕事に夢中で付き合いはなおざりになっている。

孫は社会勉強をラウニョの仕事を手伝って成績として評価して欲しいと言ってくる。ラウニョはオークション会場で今までにない閃きを感じる絵に出会う。そこには名前のサインが入っていない。裏には「庭」の文字が。それを孫がおじいちゃんのためにネットで調べたり歩いて関係者を訪ねて、誰が描いたかを探りだす。オークションでは高額な額で競り落とすが、その後また大波乱!

絵の感想を孫にこう話す「モデルに媚びない潔さ」「腰の曲がった老人と手を繋ぐ幼子は命を歩んできたものと歩みゆくもの」

 

「聖画の前では画家も無、存在も無、誇示より謙遜。個人よりも全体」の言葉が残る。信仰心はこのような形で受け入れられたら素晴らしいと思う。

読んでくださってキートス!

 

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2016/09/10

「君の名は」見てきました

映画監督の出身地が長野県南佐久郡小海町ということから、どうしても見たいと夫と2人で「君の名は」を昨日見に行きました。学校は始まっていたはずですが午後2時からの席を占めるのは中高生の女の子男の子でした。孫のトモ君くらいの子たちです。
映画の宣伝で、男の子と女の子が入れ替わると聞いていましたが「それは絵空事ではないか」という固定観念が私には有りましたが、それを消しながらのららぽーと新横浜での座席着席でした。「もうすぐ70歳なんだからしょうがない」「若い時のように柔軟には考えられない」と何処からかささやく声もしました。


「朝、目が覚めると、なぜか泣いている。そういうことが、時々ある。見ていたはずの夢は、いつも思い出せない」映画「君の名は」の始まりは夢に対しての言葉でした。「絵空事だわ」という気持ちも少し減りました。夢を見て泣く事は私も小さい時にありました。それは小学生から中学くらいまででした。そして今も長野の山小屋に行くと不思議な夢を見る。標高が高いせいです。私は主人公の三葉と違います。私は夢を見て覚めた後、思い出して泣く。夢は現実の生活以上に大切だと思っている。私の「絵空事だわ」という疑わしい気持ちが少しずつ減りました。「今この映画館で見ているあの中学生の子たちはそのような疑うこともしない無垢な気持ちで見ているんだろうなあ」と私の胸がモゾっとしました。
山深い田舎に暮らす女子高生、三葉は古い風習や人の目が気になる田舎を出て都会へ行きたい憧れがありました。都会で暮らす男子高校生、瀧はある日行った事もない田舎の町で女子高生になっている夢を見ます。それから何度も2人は入れ替わることになるのです。三葉の住んでいる糸守町での風習や伝統を守りながら、入れ替わっている内、ある時2人は連絡が途絶えてしまう。三葉が教わっている組紐をムスビつかせるように糸を手繰り寄せ始める。そこには千年ぶりの彗星を待ち受ける人々もいる。まるで予知夢のように決定してしまった現実を回避しようとする若い魂がある。全てが終わったように音のない現実の中、まだ探し始める、求め合う魂がある。これから先は映画の中で見て気づいて欲しいから内容は言えません。
男女が入れ替わるというのは一つの論法(ロジック)であって、ロジックをかき回して得られる新しいカオス(混沌)のようなものがこの映画には漂っている。
若い君たちが愛する人、自分にぴったりの人を探し続ければきっときっといつか出会うでしょう。
真面目に69年生きてきたおばあちゃんとしてこの映画は良いと感動しました。初めに抵抗を感じたのが幸いしたのだと思います。

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2016/03/14

自転車を巡る映画3本

「365日のシンプルライフ」
この映画のスタートは何もないカラの部屋から全裸で駆け出す男。
失恋してからペトリは毎日がなんとなく嫌になり、家の中が片付かないので、どうしようもなくなって、ある日貸し倉庫に自分の家の持ち物をすべて預けてしまう。そして、決めたことは1日1つだけ必要なものを持ち帰る。それを一年間続ける。食事以外に物は買わない。その一つを選ぶために熟考する。
自転車を持ち出してから、アウトドア好きのガールフレンドが出来る。フィンランド映画で原題は「Tavarataivas」。主演、監督、脚本がペトリ・ルーッカイネン。「この世界では何が大切か」と「できるだけシンプルに生きよう」ということが伝わってくる。ツタヤで2ヶ月待って借りることができた作品だ。

「自転車泥棒」は。1948年のイタリア映画だ。役所のポスター貼りの仕事をするため、質に入れた自転車をやっとのことで出す。ところが仕事中に自転車泥棒にあい息子や友だちと自転車泥棒を探すお話。戦後のイタリアも、日本と同じで一面焼野原で閑散広々としている。私は戦後の大森駅を母の手に繋がれて歩いた時を思い出した。「赤いリンゴ」のレコードが何処からか聞こえてくる初めて出かけた繁華街だった。団塊世代の人たちがこの映画を見ると今まで言葉や文章化が出来ていなかった自分自身のあの頃がフッと思い出されるのではないかな。そして日本の親たちの戦後の苦労や貧困のあの頃の空気を吸いことができる。そんな気がした。ビットリオデシーカ監督の作品で、出演者は俳優でなく一般の人を使っているという。ネオリアリズムの作品ということでハッピーエンドというわけではないが、見終わってからこういう親子もいいし、幸せはハッピーエンドだけじゃないって気もして来る。

「あこがれ」短編
「大人は判ってくれない」
同じDVDに入っていて、トリュフォー監督の自伝でもある。「あこがれ」は町の美しい女と少年たちと彼らの先生を巡る青春の心模様。それにしてもおませな少年たちと憧れる女の子の自転車をこぐ脚が綺麗。
「大人はわかっていない」はトリュフォーの少年時代の不良化して行くプロセスでもあるが、少年鑑別所の制服がやはりフランスだなと納得のいくデザインでカッコいい。主人公のドワネル役のジャンピエールレオはトリュフォーに似ている。「大人は判ってくれない」はまだ私の鑑賞が未消化なので感想はないがトリュフォーの作品はもっと観たい。

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2016/02/24

シニアが元気になるDVD3本

テレビ番組が面白くない金土にかけてTSUTAYAでDVDを借りるという傾向が我が家にはあります。今回は最新作の「マイ・インターン」準新作「陽だまりハウスでマラソンを」旧作「舟を編む」の3本でした。
「マイ・インターン」
仕事もプライベートも大成功を収めたファッションサイト会社のCEOのジュールズ(アンファサウエイ)、そこにシニア・インターンとして勤める事になった70歳のベン(ロバートデニーロ)との仕事とプライベートでの交流を描いた映画。
ベン(ロバートデニーロ)は電話帳の印刷会社で部長をしていた経験を生かしジュールズがCEOをしている会社に入り、経験を生かして彼女を補佐する。紳士であるベンのファッションへのこだわりを会社の若者に説く。また彼らとの橋渡し役としてプラス思考のベンは会社に無くてはならない存在になる。ジュールズは家庭と仕事を完璧にしていくように見える。しかし30歳の彼女が全て問題無くできるはずはない。問題も起きる。しかしそれをベン、彼女の夫、ベンのガールフレンドを巻き込みながら問題点を解決していく。インターネットではアンファサウエイのファッションや行動へのコメントが多く見つかったが、私たち中高年が見るとデニーロの方を注目してしまう。このDVDはネタバレにならない程度に紹介しましたが、絶対見る価値のある映画です。お茶とお菓子を用意して春の気配が感じられる夜に夫婦で観たい映画です。

「陽だまりハウスでマラソンを」
りんご農家の老夫婦が仕事を続けることができなくなり、老人ホームに入る。周囲の住人との軋轢を感じて、以前自分がベルリンオリンピックでマラソンでメダルを得ていたことからマラソンをすることに再び目覚める。夫婦で工夫をしてその老人ホームの庭で練習を始めるが、団体生活を壊すからと、止めるように言われ、老人性の体調の悪さや妻の病気もあってなかなか思うように練習ができない。だが彼は諦めない。続きは映画を見て下さい。印象に残った言葉「来る時も一緒。帰る時も一緒」

「舟を編む」
三浦しおんの小説の映画化で、私は本を半年くらい前に読んでいる。辞典を作る工程を1人の不器用な男を通して描いた小説だ。私は先に本を読んでいるから、いろいろな場面で自分が想像していた感じと同じ場面が出てきて、その度に想像や妄想が当たっていたと膝を叩いて納得した。
オタクとも言える人付き合いの下手な主人公の馬締光也の人生での出会いが縦糸になってもいる。言葉の持つ意味を伝えるにはどう表現するかを映画の中でも「右」や「恋」に例えている。恋というのは「ある人を好きになってしまい寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなるような心の状態。」ところが我が家にある他の辞書にはまた違う表現を見つけました。こうして本を読むのと映画という媒体を通してその本「舟を編む」の内容を知るのとはかなり違う面に気がつくということを感じました。やはり本より映画の方がわかりやすいとも言えます。
しかし私は本を先に読んでイメージしていた場面と登場人物の俳優の設定が合っていると感じると、それは監督と同じ立場に立ち、共有感が得られるので、より深い鑑賞ができ、感動も得られると実感しました。
いい映画でした。Image


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2016/01/06

TSUTAYAのかきコメ

最近ツタヤのかきコメにはまってます。
去年の暮れからツタヤでカキコメカードにビデオやCDの作品の感想を書くとお米のパックが貰えます。私は5枚のカードに書き込みをしました。初めはバグダッドカフェと真珠の首飾りの少女。次にル・アーブルの靴みがき、鑑定士と顔のない依頼人、パリよ永遠に。
12月から始まったかきコメですが、ツタヤ大倉山店に行くと展示のスタンドにはたくさんの作品にかきコメカードが付けられている。なんと私の書いた《バグダッドカフェ》はもう誰かが借りていた。そして平常のアイウエオ順の棚の3作品も借りられていた。つまりは私が書いたのが功を奏しているとも取れる。ところがツタヤで発行しているシネマハンドブックの著名人おすすめで、いとうせいこうさんがバクダッドカフェを推薦しているから100パーセントとは言えないが、25パーセント位は私の功績もあるかも知れない。その作品へのコメントの下書きをここで披露させていただきます。(*^_^*)とにかくお米パックを戴いたので私が書いたものでも著作権が自動的にツタヤの方に帰属しているので同じことは書けないのです。ですから下書きを載せます。

《バクダッドカフェ》
パーシーアドロン監督、マリアンネゲーゼブレヒト主演
2人の国籍が違う女がアメリカの砂漠で出会い、素敵なカフェを作っていく。彼女たちを愛する人たちの個性も素敵、ドイツカラーの映像が綺麗で、どこかできっと聞いたことがあるフォーリングユーが心に残る。ジャスミンの豊満な肢体とおおらかな顔が開放的で素晴らしい。絶対お薦め!

《真珠の耳飾りの少女》
ピーターウエーバー監督 コリンファース、スカーレットヨハンソン主演
フェルメールの作品から発想された小説の映画化。一つの絵画がこの世に生まれるまでにはこのような少女の存在を連想することができる。目線だけのスカーレットヨハンソンの演技が良い。絵画を通して中世の町を想像したい人にはうってつけの作品です。

《ル・アーブルの靴みがき》アキカウリスマキ監督
全体には暗いパリのル・アーブルの港町を描いているが密航者を助けるマルセルと病気の妻の存在もアキカウリスマキ的だ。今ヨーロッパの難民たちに関心を寄せるならば、この映画はリアルに感じるでしょう。あなたは見終わって心がほっくりしてマルセルになりたくなるでしょう。

《鑑定士と顔のない依頼人》
ニューシネマパラダイスのジュゼッペトルナトーレ監督
中年の天才鑑定士が姿を見せない謎の依頼人と美術品の宝庫の家の不思議さに惑わされるミステリー。美術作品、特に美しい女性の姿。カキコメカードには書けない大ドンデン返し!映画館の宣伝では2度目に行くと割引になるという代物ですから、分かりにくいミステリー。

《パリよ永遠に》
ブリキの太鼓のFシュレンドルフ監督
ノルマンデイー上陸後、ヒットラーのパリ壊滅作戦が実行されようとしていた時、フランス領土にいたドイツ軍司令官とスウエーデン総領事が激しく話し合いのバトルをしてパリの歴史的建造物が守られた。客観的に歴史を読むならば、いつもしぶとく生き残っていかなければいけないと思わせる映画だ。

とまあ、こんな感じです。自分が書いたものでも著作権が生じるために文章を修正して見ました。結構面白い作業でした。
私はだいぶ前にこのブログで父と行って見た映画の印象や映画館の思い出を綴っています。もちろん映画館に行くのも大きな画面で迫力のある映像や音響効果のある音声で迫ってくるのも大好きです。ビデオはちょっとお茶を入れたい時も席を立ってトイレに行きたい時にもストップさせてまたスタートして見られるので便利です。そんな訳でこのような形で自分の見た映画を多くの方にお薦めするお手伝いができるのは嬉しい限りです。かきコメ万歳!こんなことが続くといいな。ちなみに私のペンネームはKeicocoです。


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