2024/01/12

バベットの晩餐会

バベットの晩餐会

19世紀後半のデンマークの漁村にプロテスタントの牧師を父に持つ姉妹は出会った男たちとは結ばれず時が経つ。フランスパリコミューンの革命で父と息子を殺された調理人バベットは逃れてその姉妹のもとにどり着く。教会を中心に漁村の人々は信仰熱く暮らしていたが年を経て気短く怒りっぽくなる。バベットはくじに当たりその資金を使って牧師の記念日のために晩餐会を催す。隣人である村人たちは美味なフランス料理とワインを心から楽しみ、次第に敬虔な信仰心を取り戻していく。デンマークの漁村、プロテスタントの奉仕の精神、年老いていく中での気持ちの持ち方などがそれぞれの言葉で編まれていくのが心に沁みた。

一軍人から将軍となった年老いた男の言葉より

「慈悲や心と真心が今やひとつになった。正義と平和が接吻を交わすのだ。心弱く目先しか見えぬ我らはこの世で選択をせねばならぬと思い込み、それに伴う危険に震えおののく。我々は怖いのだ。けれどもそんな選択などどうでもよい やがて目の開く時が来て我々は理解する。神の栄光は偉大であると。我々は心穏やかにそれを待ち感謝の気持ちでうければよい神の栄光は等しく与えられる。そして見よ 我々が選んだことは全て叶えられる。拒んだものも捨てたものも取り戻せる。慈悲に心と真心がひとつになり正義と至福が接吻を交わすのだ」

映画の中で語られる言葉だが見てない人は漠然としていると思われるだろうが、映画を見れば理解できる。別れてからもずっと思い続けていた。これからも天に召されてもそうであると。

原作はデンマークの紙幣にも印刷されているカレン・ブリクセン

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2023/08/27

amazonプライムの映画を観て*1

久しぶりにブログに記事を書きます。最近amazonプライムで映画を見ることができることを知りました。Facebookでは全文を載せることができましたが、Twitterでは分離してしまい、うまく載せられません。そこで昔の古巣に戻ってブログに載せることにしました。何か新しい構造になってるみたいです。またよろしくお願いします。

 

今日観た「デイール美術商と名前を失くした肖像」は面白かった。フィンランド映画でフィン語が出てきて美術商という私たちには縁遠い世界なのだが絵に対しての見方が時々語られて、それでいて美術商のImg_9072 商魂もあり、徐々に惹きつけられた。

年老いた美術商ラウニョが周りの人たちに店をたたむ様に薦められているが最後を飾ってからと思っている。それはなぜかというと「金じゃない、名作に携われることがしたい」という。彼には娘と孫がいるが妻亡き後、美術商の仕事に夢中で付き合いはなおざりになっている。

孫は社会勉強をラウニョの仕事を手伝って成績として評価して欲しいと言ってくる。ラウニョはオークション会場で今までにない閃きを感じる絵に出会う。そこには名前のサインが入っていない。裏には「庭」の文字が。それを孫がおじいちゃんのためにネットで調べたり歩いて関係者を訪ねて、誰が描いたかを探りだす。オークションでは高額な額で競り落とすが、その後また大波乱!

絵の感想を孫にこう話す「モデルに媚びない潔さ」「腰の曲がった老人と手を繋ぐ幼子は命を歩んできたものと歩みゆくもの」

 

「聖画の前では画家も無、存在も無、誇示より謙遜。個人よりも全体」の言葉が残る。信仰心はこのような形で受け入れられたら素晴らしいと思う。

読んでくださってキートス!

 

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2016/09/10

「君の名は」見てきました

映画監督の出身地が長野県南佐久郡小海町ということから、どうしても見たいと夫と2人で「君の名は」を昨日見に行きました。学校は始まっていたはずですが午後2時からの席を占めるのは中高生の女の子男の子でした。孫のトモ君くらいの子たちです。
映画の宣伝で、男の子と女の子が入れ替わると聞いていましたが「それは絵空事ではないか」という固定観念が私には有りましたが、それを消しながらのららぽーと新横浜での座席着席でした。「もうすぐ70歳なんだからしょうがない」「若い時のように柔軟には考えられない」と何処からかささやく声もしました。


「朝、目が覚めると、なぜか泣いている。そういうことが、時々ある。見ていたはずの夢は、いつも思い出せない」映画「君の名は」の始まりは夢に対しての言葉でした。「絵空事だわ」という気持ちも少し減りました。夢を見て泣く事は私も小さい時にありました。それは小学生から中学くらいまででした。そして今も長野の山小屋に行くと不思議な夢を見る。標高が高いせいです。私は主人公の三葉と違います。私は夢を見て覚めた後、思い出して泣く。夢は現実の生活以上に大切だと思っている。私の「絵空事だわ」という疑わしい気持ちが少しずつ減りました。「今この映画館で見ているあの中学生の子たちはそのような疑うこともしない無垢な気持ちで見ているんだろうなあ」と私の胸がモゾっとしました。
山深い田舎に暮らす女子高生、三葉は古い風習や人の目が気になる田舎を出て都会へ行きたい憧れがありました。都会で暮らす男子高校生、瀧はある日行った事もない田舎の町で女子高生になっている夢を見ます。それから何度も2人は入れ替わることになるのです。三葉の住んでいる糸守町での風習や伝統を守りながら、入れ替わっている内、ある時2人は連絡が途絶えてしまう。三葉が教わっている組紐をムスビつかせるように糸を手繰り寄せ始める。そこには千年ぶりの彗星を待ち受ける人々もいる。まるで予知夢のように決定してしまった現実を回避しようとする若い魂がある。全てが終わったように音のない現実の中、まだ探し始める、求め合う魂がある。これから先は映画の中で見て気づいて欲しいから内容は言えません。
男女が入れ替わるというのは一つの論法(ロジック)であって、ロジックをかき回して得られる新しいカオス(混沌)のようなものがこの映画には漂っている。
若い君たちが愛する人、自分にぴったりの人を探し続ければきっときっといつか出会うでしょう。
真面目に69年生きてきたおばあちゃんとしてこの映画は良いと感動しました。初めに抵抗を感じたのが幸いしたのだと思います。

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2016/03/14

自転車を巡る映画3本

「365日のシンプルライフ」
この映画のスタートは何もないカラの部屋から全裸で駆け出す男。
失恋してからペトリは毎日がなんとなく嫌になり、家の中が片付かないので、どうしようもなくなって、ある日貸し倉庫に自分の家の持ち物をすべて預けてしまう。そして、決めたことは1日1つだけ必要なものを持ち帰る。それを一年間続ける。食事以外に物は買わない。その一つを選ぶために熟考する。
自転車を持ち出してから、アウトドア好きのガールフレンドが出来る。フィンランド映画で原題は「Tavarataivas」。主演、監督、脚本がペトリ・ルーッカイネン。「この世界では何が大切か」と「できるだけシンプルに生きよう」ということが伝わってくる。ツタヤで2ヶ月待って借りることができた作品だ。

「自転車泥棒」は。1948年のイタリア映画だ。役所のポスター貼りの仕事をするため、質に入れた自転車をやっとのことで出す。ところが仕事中に自転車泥棒にあい息子や友だちと自転車泥棒を探すお話。戦後のイタリアも、日本と同じで一面焼野原で閑散広々としている。私は戦後の大森駅を母の手に繋がれて歩いた時を思い出した。「赤いリンゴ」のレコードが何処からか聞こえてくる初めて出かけた繁華街だった。団塊世代の人たちがこの映画を見ると今まで言葉や文章化が出来ていなかった自分自身のあの頃がフッと思い出されるのではないかな。そして日本の親たちの戦後の苦労や貧困のあの頃の空気を吸いことができる。そんな気がした。ビットリオデシーカ監督の作品で、出演者は俳優でなく一般の人を使っているという。ネオリアリズムの作品ということでハッピーエンドというわけではないが、見終わってからこういう親子もいいし、幸せはハッピーエンドだけじゃないって気もして来る。

「あこがれ」短編
「大人は判ってくれない」
同じDVDに入っていて、トリュフォー監督の自伝でもある。「あこがれ」は町の美しい女と少年たちと彼らの先生を巡る青春の心模様。それにしてもおませな少年たちと憧れる女の子の自転車をこぐ脚が綺麗。
「大人はわかっていない」はトリュフォーの少年時代の不良化して行くプロセスでもあるが、少年鑑別所の制服がやはりフランスだなと納得のいくデザインでカッコいい。主人公のドワネル役のジャンピエールレオはトリュフォーに似ている。「大人は判ってくれない」はまだ私の鑑賞が未消化なので感想はないがトリュフォーの作品はもっと観たい。

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2016/02/24

シニアが元気になるDVD3本

テレビ番組が面白くない金土にかけてTSUTAYAでDVDを借りるという傾向が我が家にはあります。今回は最新作の「マイ・インターン」準新作「陽だまりハウスでマラソンを」旧作「舟を編む」の3本でした。
「マイ・インターン」
仕事もプライベートも大成功を収めたファッションサイト会社のCEOのジュールズ(アンファサウエイ)、そこにシニア・インターンとして勤める事になった70歳のベン(ロバートデニーロ)との仕事とプライベートでの交流を描いた映画。
ベン(ロバートデニーロ)は電話帳の印刷会社で部長をしていた経験を生かしジュールズがCEOをしている会社に入り、経験を生かして彼女を補佐する。紳士であるベンのファッションへのこだわりを会社の若者に説く。また彼らとの橋渡し役としてプラス思考のベンは会社に無くてはならない存在になる。ジュールズは家庭と仕事を完璧にしていくように見える。しかし30歳の彼女が全て問題無くできるはずはない。問題も起きる。しかしそれをベン、彼女の夫、ベンのガールフレンドを巻き込みながら問題点を解決していく。インターネットではアンファサウエイのファッションや行動へのコメントが多く見つかったが、私たち中高年が見るとデニーロの方を注目してしまう。このDVDはネタバレにならない程度に紹介しましたが、絶対見る価値のある映画です。お茶とお菓子を用意して春の気配が感じられる夜に夫婦で観たい映画です。

「陽だまりハウスでマラソンを」
りんご農家の老夫婦が仕事を続けることができなくなり、老人ホームに入る。周囲の住人との軋轢を感じて、以前自分がベルリンオリンピックでマラソンでメダルを得ていたことからマラソンをすることに再び目覚める。夫婦で工夫をしてその老人ホームの庭で練習を始めるが、団体生活を壊すからと、止めるように言われ、老人性の体調の悪さや妻の病気もあってなかなか思うように練習ができない。だが彼は諦めない。続きは映画を見て下さい。印象に残った言葉「来る時も一緒。帰る時も一緒」

「舟を編む」
三浦しおんの小説の映画化で、私は本を半年くらい前に読んでいる。辞典を作る工程を1人の不器用な男を通して描いた小説だ。私は先に本を読んでいるから、いろいろな場面で自分が想像していた感じと同じ場面が出てきて、その度に想像や妄想が当たっていたと膝を叩いて納得した。
オタクとも言える人付き合いの下手な主人公の馬締光也の人生での出会いが縦糸になってもいる。言葉の持つ意味を伝えるにはどう表現するかを映画の中でも「右」や「恋」に例えている。恋というのは「ある人を好きになってしまい寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなるような心の状態。」ところが我が家にある他の辞書にはまた違う表現を見つけました。こうして本を読むのと映画という媒体を通してその本「舟を編む」の内容を知るのとはかなり違う面に気がつくということを感じました。やはり本より映画の方がわかりやすいとも言えます。
しかし私は本を先に読んでイメージしていた場面と登場人物の俳優の設定が合っていると感じると、それは監督と同じ立場に立ち、共有感が得られるので、より深い鑑賞ができ、感動も得られると実感しました。
いい映画でした。Image


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2016/01/06

TSUTAYAのかきコメ

最近ツタヤのかきコメにはまってます。
去年の暮れからツタヤでカキコメカードにビデオやCDの作品の感想を書くとお米のパックが貰えます。私は5枚のカードに書き込みをしました。初めはバグダッドカフェと真珠の首飾りの少女。次にル・アーブルの靴みがき、鑑定士と顔のない依頼人、パリよ永遠に。
12月から始まったかきコメですが、ツタヤ大倉山店に行くと展示のスタンドにはたくさんの作品にかきコメカードが付けられている。なんと私の書いた《バグダッドカフェ》はもう誰かが借りていた。そして平常のアイウエオ順の棚の3作品も借りられていた。つまりは私が書いたのが功を奏しているとも取れる。ところがツタヤで発行しているシネマハンドブックの著名人おすすめで、いとうせいこうさんがバクダッドカフェを推薦しているから100パーセントとは言えないが、25パーセント位は私の功績もあるかも知れない。その作品へのコメントの下書きをここで披露させていただきます。(*^_^*)とにかくお米パックを戴いたので私が書いたものでも著作権が自動的にツタヤの方に帰属しているので同じことは書けないのです。ですから下書きを載せます。

《バクダッドカフェ》
パーシーアドロン監督、マリアンネゲーゼブレヒト主演
2人の国籍が違う女がアメリカの砂漠で出会い、素敵なカフェを作っていく。彼女たちを愛する人たちの個性も素敵、ドイツカラーの映像が綺麗で、どこかできっと聞いたことがあるフォーリングユーが心に残る。ジャスミンの豊満な肢体とおおらかな顔が開放的で素晴らしい。絶対お薦め!

《真珠の耳飾りの少女》
ピーターウエーバー監督 コリンファース、スカーレットヨハンソン主演
フェルメールの作品から発想された小説の映画化。一つの絵画がこの世に生まれるまでにはこのような少女の存在を連想することができる。目線だけのスカーレットヨハンソンの演技が良い。絵画を通して中世の町を想像したい人にはうってつけの作品です。

《ル・アーブルの靴みがき》アキカウリスマキ監督
全体には暗いパリのル・アーブルの港町を描いているが密航者を助けるマルセルと病気の妻の存在もアキカウリスマキ的だ。今ヨーロッパの難民たちに関心を寄せるならば、この映画はリアルに感じるでしょう。あなたは見終わって心がほっくりしてマルセルになりたくなるでしょう。

《鑑定士と顔のない依頼人》
ニューシネマパラダイスのジュゼッペトルナトーレ監督
中年の天才鑑定士が姿を見せない謎の依頼人と美術品の宝庫の家の不思議さに惑わされるミステリー。美術作品、特に美しい女性の姿。カキコメカードには書けない大ドンデン返し!映画館の宣伝では2度目に行くと割引になるという代物ですから、分かりにくいミステリー。

《パリよ永遠に》
ブリキの太鼓のFシュレンドルフ監督
ノルマンデイー上陸後、ヒットラーのパリ壊滅作戦が実行されようとしていた時、フランス領土にいたドイツ軍司令官とスウエーデン総領事が激しく話し合いのバトルをしてパリの歴史的建造物が守られた。客観的に歴史を読むならば、いつもしぶとく生き残っていかなければいけないと思わせる映画だ。

とまあ、こんな感じです。自分が書いたものでも著作権が生じるために文章を修正して見ました。結構面白い作業でした。
私はだいぶ前にこのブログで父と行って見た映画の印象や映画館の思い出を綴っています。もちろん映画館に行くのも大きな画面で迫力のある映像や音響効果のある音声で迫ってくるのも大好きです。ビデオはちょっとお茶を入れたい時も席を立ってトイレに行きたい時にもストップさせてまたスタートして見られるので便利です。そんな訳でこのような形で自分の見た映画を多くの方にお薦めするお手伝いができるのは嬉しい限りです。かきコメ万歳!こんなことが続くといいな。ちなみに私のペンネームはKeicocoです。


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2015/10/12

映画「バグダットカフェ」を見て

映画「バグダットカフェ」のDVDをこの夏休みに見てから、大変気に入り、もう3回見た。映画のお気に入りは人それぞれで自分が良いと言ったものでも友人も良いと感じるとは限らない。と、ことわったうえでこの映画をお勧めしたい。

1987年アメリカで公開され日本では1989年に公開されたドイツ映画です。日本ではその5年後に完全版を再び公開し、テーマ音楽の「コーリングユー」はアカデミー賞最優秀主題歌賞にノミネートされ、80人にカヴァーされている。音楽のアンニュイな雰囲気は主人公ジャスミンの豊満な肉体と共に、アメリカのモハーヴェ砂漠の中のカフェ「バグダット」の雰囲気を醸し出しているといえる。

ネタバレにしない程度で紹介すると、バイエルンのローゼンハイムから来たドイツ人夫婦がアメリカの砂漠の町で夫婦喧嘩を起こし、主人公のジャスミンは疲れ切ってバクダットホテルにたどり着き宿泊する。そのホテル兼カフェ兼ガソリンスタンドのオーナー、ブレンダも家族の問題を抱えている。そのために常に不機嫌だ。そして周りにいる人間もなぜか変わっている。ジャスミンのドイツ人気質が初めは受け入れられないが、それでも次第に理解され彼女はある方法でその地に居着く。小道具としてのコーヒーポットはドイツ人の夫が捨てていったものだが、ある時は店の装飾のように、ある時は物語のスタッキングをするようにカウンターに置かれている。

「フォーリングユー」のメロディーは物語の展開が変わる時に流れる。私が3回目のDVDを見ている時に気付いた。きっと映像制作の手法なのだろう。また撮影をしたのがドイツ人カメラマンだが、私が気に入った場面がある。まだジャスミンがバクダットカフェの風変わりな連中に受け入れて貰えない時に、カフェのドアを開けて入ってくる場面だ。店は夕方で暗く、全体は黒、ジャスミンの服に赤いスカーフ、入ってくる夕陽が黄色だ。いや、スカーフが黄色? スカートが赤? ここの所は私のメモにドイツ国旗と書いてあるので、記憶があやふやだ。取り敢えずスルー。確かなことは全体がドイツ国旗にイメージされていることだ。2008年に監督が映像を直してデイレクターズカット版を公開したというので、私が見たDVDは最新のものなのかもしれない。

そして1つだけ問題があるのはなぜ初めの日本公開1989年の5年後に完全版を再び公開したのかは映像に過剰な描写があるからだ。今では成人だったら常識内であるが、今から20年前では微妙だったのかもしれない。もちろん今では日本も進んだから新聞に映倫カットの文字も見かけないが。終盤に近いあの場面はもしかすると困った場面かもしれない。思春期の子供と見ることはちょっと憚れる。私は美しい人間的表現だと思う。性的ではあるがツタヤの成人映画のコーナーに置かれるようなものでは無い。と思う。人間賛歌として美しい場面だ。ただもしかして私のあとりえチビッコの子供たちでまだ人間的に熟していない感受性がどちらにも向く人たちは、もう少し後になってから見た方が意味がわかるでしょう。ただもう今でも写真や映像に芸術的興味を持っていたら早くは無いでしょう。
この映画の特質とも言えるジャスミン役のマリアンネゲーゼブレヒトはかなり豊満な肉体の持ち主だ。舞台に出ている時に監督に気に入られ採用されたという。日本でも世界中でも、最近は肥ったことは罪悪のように言われてダイエットを目指している人が多い。が彼女の体を同じ同性で見ていると太っ腹な包容力を感じる。そういう意味でもこの映画は時代を超えていい映画だと思う。

秋の陽にコーリングユーが耳に残る。まだ女性のヌードなどのシーンを見たく無い子供らしさを持った人はこの「コーリングユー」の英語の訳を勉強しておくことをお勧めします。そしてDVDを見るのはもう少し大人になってから、でもいつか絶対に見て欲しい。黒人のピアノマンの弾くクラシックも格調高い。
因みにこの映画の原題は「Out of Rosenheim」です。

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2015/06/03

あなたに降る夢 "It Choud Happen To You"

今日はニコラス刑事主演の映画。おっと文字変換間違え。ニコラス・ケイジ。でも警官役のニコラス刑事。コラ!iPad! ニコラス・ケイジ!

チャーリーラングは下町クイーンズに住み、近所の子供達と草野球をするのが趣味の真面目で心優しい警官だ。「宝くじを買って」と妻のミューレーに頼まれ、その日たまたまランチに寄った店で出会ったイボンヌにチップをあげようとしたがお金が足りなかったため、宝くじが当たったら半分ずつにしようと約束する。その宝くじはなんと当たり、そこから奇跡の物語が始まる。
たちまちに有名人になり、チャーリーは約束通りイボンヌに進呈する。妻のミューレーは嫌々ながら承諾し、お気に入りのシャンプーのCMを期待し、買い物をしまくり、資産をもっと大きく運用しよう、家のリホームをしようと、野心家の心を露わにしていく。でも2億もの宝くじが当たったら正直に言ってそうなる人がほとんどだと思う。また回りの人間の中にもそれにたかる人も出てくる。チャーリーはそれでも前と同じように警官の職務を遂行する。宝くじに当たった人のミリオネアクラブの招待で、再会するチャーリーとイボンヌ、投資家のジャックグロスと意気投合するミューレー。こうしてラング夫妻は別の道を歩み始める。二人の亀裂はある日の大げんかを機に修復不可能になる。イボンヌも前の夫が再びたかりに来たため家を出る。そして運命の赤い糸はジリジリとチャーリーとイボンヌを近づける。最後の3分の1はご自分で見てください。TSUTAYA大倉山のラブストーリーのコーナー「あなたに降る夢」です。
とここでプチ英語レッスン。
① 原題は「It Chould Happen to You」(それはあなたに起こりうること)
② 映画の中での決めゼリフ「promise is promise」(約束は約束さ)
③ エピローグの風船に描いてある言葉「Cap weds Weiter」(警官はウエイターと結婚します) marryでない、wedは新聞用語。ジェンダーとしての言葉でウェイター。これは男女を含む。
結婚記念日の日の番号で宝くじを購入したミュレー夫妻は結婚記念日の解釈を26日と27日と違っていた。その愛の力を弁護士が試すところが面白かった。もちろん登場人物たちによって織られる人生のアヤトリはさりげなくGodの存在を感じる。ニコラスケイジも若くかなり古い作品だが、いつ見ても良いと思える。私は結構ニコラスケイジの作品を気に入っている。「月の輝く夜に」も素敵だ。
「あなたに降る夢」のエンデイングで流れるジャズが素敵だった。(上記の若干部分、記述を変えました。6/5)

おとぎ話は本当に起こる 心若ければ ♫
エゴイストは一人もいなくなる 心若ければ ♪
不可能にも挑戦できる 夢が砕けても笑い飛ばせる♫
人生はときめき毎日が楽しい 恋は軽やか思いのまま ♫ 🎶
きらめく愛は最高の贈り物 心若くする ♪
金持ちよりずっと幸せ 心若ければ ♫
あなたが105才まで長生きしても 誰よりもキラキラと輝く ♫
いつだってスタートもできる。若い心を持っていれば。♪

1週間ほど前、BSでこの映画を見ている時に、急ぐ相棒を車で送らなければならなくなり、最後のチャプターを見ていなかったのでもう一度と思いTSUTAYAでレンタルしてじっくり見ました。実話だそうです。

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2015/04/01

ツイッターで映画の日

明日、四月一日は映画の日だそうです。ツイタチ・ツイートチ・ツイッターと語呂を合わせてTwitterで#を使って映画の感想をツイートをすると運のいい人はプレゼントが当たるという。昨夜の朝日新聞に載っていたけれど日本語が分かりにくかった。そこで前々から観たいと思っていたベネデイクト・カンバーバッチの「イミテーションゲーム」(エニグマと天才数学者の秘密) を見に行って、感想をツイートしようと思っている。

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2013/05/13

母の日@2013年

Hahanohi2Hahanohi1 土曜日にトイザらスの仕事を終えて帰ると大きな箱が届いていた。やや! 次女夫婦からのカーネーションが届いていた。何だか心の中に暖かい血がわ―んと流れて来る。

そしてもう一つ、私を母と慕う50年来の友人からだ。そこでドキドキワクワク。お茶の席に出すとよさそうな干菓子、秋田開運堂の平成暦だ。かつて、東大の5月祭を思い出す。最近私は昔の事がはっきりと思い出される微妙なお年頃なのです。

日曜日が本当の母の日なので、映画を見に行った。スピルバーグの『リンカーン』。大変いい作品だった。この2週間前にはアキカウリスマキ(フィンランド人)の『ルアーブルの靴磨き』もビデオで見た。二作品とも、とにかく良い映画でした。アメリカと一緒に仕事をする人は見た方がいいです。そしてフィンランドを愛する人も。ちなみに大倉山TSUTAYAの入り口入って突き進んでのひざ丈位の場所に『ルアーブルの靴磨き』はあります。確か2本はあります。

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