2009/08/24

期日前投票は「YES I CAN!」の精神で!

投票日当日に用事があって行けないので、今日期日前投票のために港北区役所に行った。私が7年位前に行ったときと同じ場所がその投票の設置場所だった。12時ちょうどのお昼時だったが、かなりの人がその部屋に来ていた。結構若い人もいたので、何だか私はうれしくなった。今まで政治がマンネリ化して機能的にも現実的にも面白くなかったがこれからは面白くなると感じた。実際、介護のことや保険のことで行き詰ることも多く、母の思いどうりにしてあげられないことにいらだちを感じているから、今日の一票はもしかすると生かして使えるかと感じた。でも世の中の趨勢が一つのことに集中することを生まれつき疑問に思う性格のKEICOCOだからちょっとだけフェイントをかけて投票をした。

オバマさんが「イエス、ウイ、キャン!」(YES WE CAN!)と言ったけど今日私はそれをもじって「イエス、アイ キャン!」(YES I CAN!)と思いました。みんな自分がこの一票をどうともできるのだからね!

今日、私がもうひとつうれしい電話をもらった時にも「YES I CAN」だなと思った。

それなのに、麻生さんは「金のない若者は結婚するなって!」おいおい!このレデイにこんな乱暴な言葉を出させるの!もっと言いたいことがあるけど、日頃、人を批判する言葉を持たない深窓の令嬢、時代がすすんで深窓の老嬢、(自分で言ってどうするの!)今日はここまでですよ。

無駄なことに税金を使うような政治や形式だけの役所仕事の政治で世の中が回っていくことはもう終わりにしたい、それを知っているのは子を育てている母親たちかも知れない。私も昔は金のない若者の一人だったけどやりくりして、夫と一緒に働いて二人の娘を育てた。母親として美味しいオムライスを作る平和な社会にしていきたい。という気持ちを大切にしたい。

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2008/11/09

オバマ氏がアメリカ大統領選に勝利した

先週水曜日の午後はあとりえの日だった。デジカメを忘れたので教室から自宅に戻り、テレビのスイッチを入れると、オバマ氏が大統領選の勝利宣言をしていた。数分私はテレビの画面に釘付けになった。高揚した口調、理想を実践しようとしている真の政治家の姿を見た。その後のいろいろなメディアの反応は正直ではないという感じがする。それ程何かを畏れるものがあるのだろうか。わたしには解らない。だが、あの演説を瞬間聞いた感想は『すごい!』のだ。

かつて、私の弟が英語の勉強にとケネディ大統領の演説をテープで繰り返し聞いていた時があったがそのケネディ大統領を彷彿と思い出す響きもある。日本にもこのような理想の実現をしてくれる人はいつになったら登場するのだろうか。

インターネットのgooニュースにオバマ氏の公式演説の動画があったので落ち着いて見ることにした。日本語訳をコピーしたので、いつも持ってこの理想の精神で行動したいと思っているが、私のことだからわからない。訳もgooニュースから掲載します。

gooニュース2008年11月5日(水)20:57
黒人指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が「私には夢がある」と演説してから45年。米民主党のバラク・オバマ候補が4日夜(日本時間5日午後)、米国初の黒人大統領になることが決まった。地元イリノイ州シカゴの公園で約20万人を前に行われた、オバマ次期大統領の勝利演説全文を、複数メディアの生中継をもとに翻訳します。解説を含めた要旨はこちら英語全文はこちらですオバマ公式サイトの演説動画とテキストはこちらです。(gooニュース 加藤祐子)

シカゴのみなさん、こんばんは。

アメリカは、あらゆることが可能な国です。それを未だに疑う人がいるなら、今夜がその人たちへの答えです。建国の父たちの夢がこの時代にまだ生き続けているかを疑い、この国の民主主義の力を未だに疑う人がいるなら、今晩こそがその人たちへの答えです。

この国が見たこともないほどの大行列が今日、あちこちの学校や教会の周りに伸びていました。並んだ人たちは3時間も4時間も待っていた。人によっては生まれて初めての経験でした。今度こそは違うと信じたから、今度こそ自分たちの声が違う結果を作り出せると信じたから、だからみんな並んだのです。そしてそうやって並んだ人たちが今夜、疑り深い人たちに答えを示したのです。

老いも若きも、金持ちも貧乏人も、そろって答えました。民主党員も共和党員も、黒人も白人も、ヒスパニックもアジア人もアメリカ先住民も、ゲイもストレートも、障害者も障害のない人たちも。アメリカ人はみんなして、答えを出しました。アメリカは今夜、世界中にメッセージを発したのです。私たちはただ単に個人がバラバラに集まっている国だったこともなければ、単なる赤い州と青い州の寄せ集めだったこともないと。私たちは今までずっと、そしてこれから先もずっと、すべての州が一致団結したアメリカ合衆国(United States of America)だったのです。

私たちは今まであまりにも長いこと、あれはできないこれはできないと言われてきました。可能性を疑うよう、シニカルに恐れを抱いて疑うように言われ続けてきました。けれども私たちは今夜、アメリカに答えをもらったおかげで、手を伸ばすことができたのです。歴史を自分たちの手に握るため。より良い日々への希望に向けて、自分たちの手で歴史を変えるために。

ここまで来るのに、ずいぶん長くかかりました。しかし今日と言うこの日、この夜、この決定的な瞬間に私たちが成し遂げたことのおかげで、アメリカに変化がやってきたのです。
・・・・・・・・・・・・ココから先は上の全文の翻訳をクリックしてご覧下さい。

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2008/10/12

長崎は今日も平和だった

Nagasaki_71長崎に行って来た。以前からいろいろな方に誘われていたのだが、今回は時間ができたので、長崎くんちに合わせ行って来た。

長崎くんちはテレビで細かいところまで知ることができた。今年は7年に1度の大祭のようで、檀尻という山車が神社の境内で観客が注目する中、回転させる。 『もってこーい!』 の掛け声に応えて力いっぱい動かす。神社境内に満ち、満ちる両者の引き合うコミュニケーションがなんとも言えず良い! それが桟敷席でなく、テレビの画面でも理解できたのがすばらしかった。

Nagasaki_65 私たちの泊まった ホテルは長崎新地中華街の中で、結果的に行動しやすかった。長崎名門校、活水女子大学への坂道は横浜のフェリス女子大学への道とオーバーラップして感じた。まわりの木々のソテツなどの植生がやはり南の国を感じさせた。かの有名なオランダ坂を通ると銀木犀が薫っていた。

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東山手住宅郡の中に紛れるようにベルハウスという老人ホームがあった。窓越しにお年寄りが歩いていた。クリスマスの飾りのようなコラージュが貼ってあり、目黒の母を思い出した。孤独という字が湧き上がってきた。年を取るにつれ湧き上がる孤独感を何かに置き換えてはならないと思う。その時忘れたり、紛らわす分だけ後から押し寄せる。だからといって深刻になってどうする。どうする。心の中で自問自答。私なりの答えは出ているけれど。

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『 春真昼 ここの港に寄りもせず 岬を過ぎて ゆく船のあり 』 と、短冊に書いてあった。作者は誰か書いてあったようだが、分からない。

東山手地球館では日替わりで世界の家庭料理が食べられた。この日はタイカレーだった。そばで英会話のグループが先生を囲んで楽しそうに話していた。宮崎駿のアニメ映画の話題だった。そこからは私は芳州と別行動で、原爆資料館にいった。路面電車が4系統あり、乗り換えするとき切符を貰うと100円で市内を動き回れる。車が混雑する時は路面電車の方がタクシーよりも動きが早いようだった。

Nagasaki_49_2 原爆資料館内は撮影禁止のためそこに入るらせん階段を下りるときに撮った。まるでゼロ地点に下りていくように造られていた。入ってすぐに、爆心地から800メートルの民家の柱時計があり、時刻は11時2分を記していた。

  • 原爆を落とすまでの過程を記してあった。照明を落とした資料館の中で、気が付く事をメモした。多少の間違いがあるかもしれない。
  • 1944年 ルーズベルト、チャーチルが日本と決める。
  • 1945年4月 東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、    下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保を候補地とする。
  • 1945年7月 ニューメキシコで実験
  •     7月20日 パンプキン爆弾を広島、小倉、京都、新潟で実施
  •       23日 広島、小倉、新潟が目標となる
  •       24日 長崎が加えられる
  •       25日 トルーマン指令を承認
  •       26日 ポツダム宣言
  •              31日 テニアン島で原爆組み立て完了、連合軍捕虜収容所の存在連絡する  が目的変更無しとなる。
  •     8月6日 1:45 エノラゲイが原爆を搭載してテニアンを出発
  •          8:15 広島に原爆を落とす
  •       9日 2:49 原爆搭載機ボックスカーがテニアン離陸。焼夷弾の煙のため小倉に落とせず3回旋回し、長崎に変更
  •       9日 10:58 長崎上空も雲のため視界不良、燃料不足で帰還検討
  •       9日 11:02 一瞬の雲の切れ間に原爆投下

原爆が悲惨なことは分かっているが、こうして落とされることになったのを忘れてはいけない。戦争に反対しなさい!とトキワ松学園の笹尾菊枝先生は世界史の授業中に話された。そして、子どもを育てるお母さんはいつでも戦争に反対をしないといけないとも。戦争っていつ始まるの? 誰がその時を教えてくれるの?

遡って行けば、長崎にとってこの一瞬の雲の切れ間がなければよかったのに。広島に落とされたときに日本政府がすぐ降参すればよかったのに。原子爆弾は造られなければ良かったのに。戦争を始めなければよかったのに。

ところでこの長崎旅行中に3人の日本人がノーベル化学賞を取ったというニュースが報じられた。それも忘れられない思い出になった。そして、その夜の長崎くんちの庭先まわりでは、芸者さんの舞や邦楽が歌われ、三味線が流れ、太鼓も響き、だんじりも繰り出し、町中が賑わった。そこで私は 『長崎は今日も平和だった』 と感じた。Nagasaki_94

写真は上から1.長崎グラバー亭から平和公園方面を見て、2.大浦天主堂、3.オランダ坂通り、4.ベルハウス、5.原爆資料館、6.庭先まわりをする芸者さんのご挨拶の腰の角度が美しかった。

  

           

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2008/08/02

療養病床と後期高齢者

Rougo私たちがドイツ旅行中に自宅前で転んだ母は現在、介護医療療養病床の病院に入院し、手厚い看護を受けている。

まだコルセットをし、リハビリに励んではいるが痛みは相変わらずあるし、普通の生活には戻ることは不可能だ。腕の筋力もなく、車椅子を自走することは出来ない。看護師による介助がなければ生活は出来ない。リハビリ士による誘導がなければ杖を突いての歩行もままならない。

始めの救急病院とそして現在の医療療養型病院に入院しているが、これから先の生活を考えなければならなくなっている。福祉と言う面では、日本国は姨捨の時代に逆行してしまうのではないかと思う。

そのことについて分かりやすく書いた雑誌を病院関係者から教えてもらった。東洋経済新報社の8月2日発行の特集『ニッポンの老後』だ。よく読んでいると頭が痛くなるが、これでくじけちゃ看護してくださってる看護婦さんに申し訳ないと思い、がんばって読んでいる。

だが政府は母の入院しているこの介護型医療療養病床を2011年に22万床に縮小維持廃止する予定なのだ。(傍線部分が間違っていました。訂正いたします。関係者のご指摘ありがとうございます。)

人はすぐには死なない。ガンだって、脳梗塞になっても、骨折をしても若ければ何とか元に戻る。医学の進歩があるからだ。でも、歳をとればそれは違う。少しでも介護に携わってみるとよく分かる。その期間の療養こそが人の末期への道すがらとして大切なものだと思う。それをあと、2、3年で廃止すると言うのだ。母の病院で働いている人たちは身を粉にして働いている。もしかすると、それは上に立つ人が立派なポリシーを持って総指揮に当たっているからかもしれないが。それを廃止にするというのだ。団塊の世代も続くというのに。なんだかおかしい。約1ヶ月前の朝日新聞にもその記事が載っていた。

ところで、私のブログには介護のカテゴリーを作っていない。だからこの言葉はココだけの言葉ですぐ泡のように、いやシャボン玉のように消えてしまうだろう。だが自分の母のことからこのような世の中の流れを実感したので、書いておきたい。

そしてよく心の中で思っていた言葉がある。それをついでにおまけに言いたい! 《 湾岸戦争の援助より日本の老人問題がすぐ来るから、もっと日本政府は福祉に目を向けていないと大変なことになる。援助はそのくらいでいいでしょ!》 でも、私の得意分野ではないから心のなかで言っていたけど今日言いました。

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2008/05/23

日本での夏時間と裁判員制度導入は土壌が違う

私のブログの師匠、庄内拓明さんが《どうして夏時間に反対なの》の記事を書いている。思わず、ドイツを旅している時に見た光景が浮かんだので、コメントを書いた。それから同じように欧米に真似することでの裁判員制度も、専門外だが気になっている。

以前、ミュンヘンからオーバーアマガウまでの高原への道すがらバーベキューセットを庭の方へ移動している男性を二人も見た。その時間は夕方の5時少し過ぎだった。しかも平日だった。日本では考えられない光景だったのでよく覚えている。

日本では会社でも学校でも、あらゆるところで残業が多い。私の教えているあとりえの子供たちのお父さんもその激務のため身を粉にして働いている。お母さんたちはお父さんの分もがんばって父親役をしている。遅く帰るから、単身赴任で遠くにいるのと変らないという。

ドイツに限らず、欧米では個人の家庭の時間を大切にする。だが日本では会社を大切にし、城主や侍社会のままのように会社を大切にする。しかも東京、大阪と言った一極集中だ。狭い日本なのに慌てふためいて皆で同じ方向を向くから休みには渋滞する。

夏時間はドイツの緯度とも関係があると思う。夏は夕方の9時半にやっと日が沈む。10時くらいはまだ明るい。そのような背景での夏時間かもしれない。日本でテレビからよく流れる公共広告機構が 《夏時間です、お父さんはおうちに帰りましょう》 とカラスの歌を流してくれれば何とかなるかもしれない。

裁判員制度もこの頃考えていることだ。日本では昔の時代劇を見れば罪人は御白砂に並ばされて、もろ肌抜いて大岡越前が登場し裁いていた。お上が決めることに、へへーの世界だ。欧米では罪びとにはギロチンがあり、町の人々が集まって裁判をした。そして、ウエスタンに至れば裁判、引き馬があった。みな、市民が参加して裁いている。なにか土壌が違うと思う。それにしても急すぎる。私が気づいたのは2年前だ。もう少し議論があってのことでしょう。3000人に一人が選ばれるのですって?

もしこのことをすべてやっていくようにするには農業の土全部を変えてしまう《客土》をしないとできないと思う。農業に喩えればの話ではあるが、思い切り石灰の多い、欧米の土に入れ替える。

不勉強ではあるが、この頃変!と思うので、一応書いておきます。(追記:まさしく不勉強で、裁判員制度を陪審員制度と誤って表記していました。書き直しました。)

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