2020/03/20

新型コロナから見えること

愛知県ではスポーツジムと福祉施設でのコロナ感染が広がり、2つのクラスター感染が広がっていると1週間前のニュースで言っていた。私が行っているスポーツ教室は特に希望者は一対一の個人レッスンの設定をしてくれている。部屋の窓を開けて空気を入れ替えて1人だけで指導してくれている。先生はマスクをし、私は苦しくなったらマスクを外している。ゆったりしたエアロビクスだ。

クラスターが増えているらしい。これからも情報はしっかりと収集していかないといけない。マスク以外にも外出する際の場所によっては使い捨て手袋などでガードしないといけないだろうか? 

このような時に私の教えた子たちはどうしているかと思う。よく絵の指導をしながら、「算数の112だけど絵は3とか5の時もあって100の時もあるのよ」と教えた時もあったけれど、これは想像力の世界でいろんな場面にも通用すると教えていたつもりだけど、このような感染症の対策も想像力を生かして対応しないといけないと思う。みんながどうしているかと思う。

そして多くの人がコロナの感染症に打ち勝ったとしても、経済が崩れ破綻して平和時の経済学が通用しなくなるかもしれない。私は芸術的な世界で生きてきたから経済的な世界はあまり考えないできたけれど、経済が破綻してしまったらリッチもプアもも同じスタートに立つのだろう。ただ私たち高齢者はたちあがるよりは崩折れるかもしれない。それは厚労省が問題にしている保険や年金の差し迫った状況にいい答えが出るのかもしれない。それは私たち団塊の世代には良くない、バッドなことでも国には良いこと、ラッキーといづれは言えることかもしれない。団塊の世代はサバイバルなのだ。勉学、結婚、墓に入るまでサバイバルなのだ。

それは日本国内での話であって全地球でのスケールで言えば、どうしようもない悲劇かもしれない。でも現実には買い物や自分だけの旅行をしようと思えばまだ出来ているから、平和は続いているのかもしれない。パンデミックを恐れて経済が破綻すれば、どこかで喜ぶ人がいるかもしれない。経済の破綻を恐れて自由気ままに動き回れば自分のすぐそばにコロナ感染者が出て自分も新型コロナになってしまうかもしれない。そのギリギリの瀬戸際で最小公倍数?最大公約数?のどこかに着地ができるようにしたい。どこかで誰かが旗を振って🚩「おーいこっちだ!」と言ってくれる公人がもしかすると出てきるかもしれない。

それもある意味で楽しみとしたい。

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2016/10/14

おにぎりアクションで子供たちを救えます

おにぎりひとつで貧困国を救える、『おにぎりアクション2016』について。
記事コピーより
この取り組みは、「食」を通じて世界の食料・健康問題の解決に取り組むTABLE FOR TWO(テーブル フォー ツー)という機関が主催していて、10月11日(火)~11月30日(水)までの間に、Twitter、Instagram、Facebookにて、『#OnigiriAction』をつけておにぎりの写真を投稿するだけ(もしくは、サイトに直接投稿するだけ)で、協賛企業から1投稿につき100円が、アジア・アフリカの貧困国に寄付されるというもの。
この100円は、アジア・アフリカの給食5食分に相当します。投稿する写真は、おにぎりなら何でもOK!手作りのものであろうと、コンビニのものであろうとかまいません。また、投稿は期間中、何度でも可能。
コンビニのおにぎりでもいいそうです。

早速Facebookに投稿しました。
🍙『#OnigiriAction』を付けて投稿しましよう。🍙







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2015/04/02

桜を愛でる平和が一番

Sakura1家の前では桜が満開になっている。昨夜は窓を開けて夜桜のお花見にしようとしたが、ライトアップされていないので諦め、今日昼間のお花見にした。セブンイレブンで助六寿司など用意し冷蔵庫のオレンジとリンゴを切りタッパーに詰めて新横浜公園に出かけた。近所の介護施設からは車椅子に乗ったおじいさんおばあさんとヘルパーさんたちがたくさん来ていた。

私はこの桜を見て平和はなんといいことなのだろうと思い続けている。

この季節,日本で 電車に乗ればどこでも車窓に薄桃色の桜を見ることができる。それに比べていま中東のシリアやイラクでは砲撃の音が止まず、子供たちが逃げ惑い、父親たちは戦いに出て行方のわからないことになっていると言う。死んでいく人を身近で見る毎日、薄桃色でなく赤い火、赤い血を見る毎日であるとニュースでは告げている。

このように桜の薄桃色の情景を見ることを夢に描けないのは悲しい。あちらの中東ではアーモンドの花が桜の花に位置付けられるのではないだろうか。

なぜ戦い続けるという負なことをし続けるのだろう。神を信じて戦うことを選ぶのだろうか。私たち日本人は恥ずかしいほどの多神教だ。多神教ゆえに無神論につながっているかもしれないが。宗教論には程遠い私の浅学さではあるが、素朴に「そんな喧嘩は止めなさい!一抜けた!」をどちらの国もすればいいのに。

今日ポストにJIM-NET便りが届いていた。私は今年もバレンタインデーの義理チョコを止めた分のささやかな金額の寄付をJIM-NETにしたのだが、お便りの中の鎌田實先生のつぶやきでは
「暴力には暴力を、憎しみには憎しみを、という連鎖を断ち切って、憎しみには愛を」
そして「イスラム国の戦闘員になりたがる若者は多いが、彼らを思いとどまらせるには暴力ではない、愛の力が必要だ」

とつぶやいておられる。戦争によって足を切断された若者たちに義足を作り、難民キャンプでも診察をして来られるとも述べられている。ところが今夜のニュースではまたしてもシリアでの砲弾の嵐が起きている。難民支援施設をイスラム国が大半を支配したという情報もある。鎌田先生気を付けて!

Sakura2_2ところで桜を見ると4年前に母が中目黒の介護施設にいる時に目黒川の桜を一緒に観に行った時のことを思い出す。
遠い昔のような気もするし、つい最近のような心持ちにもなる。それは桜の花のお花見気分がそうさせるのかもしれない。「皆んなで賑やか」が母も好きだった。桜の花は咲いているときはどこから見ても綺麗だ。集団が美しい。桜を愛で続けている日本は平和があるからだ。桜を見るとそう思う。

鶴見川がカーブしている広い視野に立てる場所がある。そこからは第三京浜の小机の方の桜までが薄い桃色の帯を描いていた。

アーモンドの花がチグリス・ユーフラテス川に咲き、アーモンド吹雪の中を人々がカバブやナンを持って皆で仲良くお花見をすることができるのはいつのことになるのだろうか?

追記:今日、深大寺植物園に撮影に行きました。アーモンドの花が濃い桃色で咲いていました。
Ammond2Amond1






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2014/05/22

久しぶりに研究室のドアを開けた

「内田樹の研究室」のドアを久しぶりに開けたらかなりの長文の手紙が書かれて置いてあった。

今世の中を動かしている政治の言葉は何一つ書かれていなかったが、心に沁みる文章だった。私は自分の孫がそれに則って生きて行ってくれることを想像した。きっと内田樹は自分の娘、ルンちゃんがそういう子を育てて行くことを想像して書いていると思った。

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2010/10/13

平川克美 『移行期的混乱』出版記念講演会

昨日はアゲインでの平川克美出版記念講演会に行った。著書 『移行期的混乱』(筑摩書房)に関しての講演だ。著者は経済学者でないが、別の視座から日本経済を読んでいて、どちらかといえば平易な文体で、経済だけではなく、日本が置かれている場所を意識できるように解説してくれている内容の書籍であり、講演会だった。

日本の経済成長を戦後3つの時期に分けることが出来るという。GDPの平均値の変化を高度成長期中心時代(1956~73)の9.1、オイルショックから変動相場制間(1974~90)で3.8、牛肉オレンジ輸入枠撤廃、ソ連崩壊からリーマンショック(1991~2008)までが1.1、つまり戦後17,18年単位で成長鈍化が起きている。家族形態と人口減少で経済を読むことが出来るという。

この3つの変化は私自身の大きな出来事にも一致する。自分が育った時期、結婚して子供を育てた時期、夫が会社から、子供が家庭から独立し始めた時期と一致する。

そして平川氏は最近のマスメデイアは≪その時々の正義≫を振りかざしていて非常に問題がある、私たちはメデイアに頼らない自分の頭で考えることをしないといけないと言っている。これから先どのように移行していくかは本文には書いていないと言う。

しかし、書いてはいないがこの本を読めば、頭の良い人は何かわかると思う。たくさんの資料が載っているからだ。

もう一つ、この団塊の世代がいなくなった後の世の中はすべての問題が解決すると言っていた。(それに過剰に反応した別の制度などが出来ていなかったら)とも言っていた。

さて著者平川氏は私のブログのお気に入りに入っている思想家・内田樹の友人だ。アゲインの代表の石川茂樹さんも友人だ。私はこの≪男の友情≫をブログから垣間見てはいつも、『良いなあ、良いなあ、男の友情は!』と思ってきた。そうした関係の中でのこの著書であり、講演会なのだ。そして我田引水になってしまうが、私は子供たちに絵を教えているが、絵がただ上手になることを目指しているだけではない。絵を通して自分自身を考え、世の中を考えられるような子にしたいと思っている。

昨日講演会から帰ってきてこのブログを書きながら私は私で考えた。団塊の世代が消えていなくなったら世の中の全てのことが解決するって?団塊世代には私も平川氏もその友人も皆含まれる。だとすると、その平川氏はその時点では展開していないが『団塊の世代がいなくなった時にすべての問題が解決する』ということは戦争の影響の問題が無くなってピラミッドでない人口表が出来るということからの日本社会なのか。

私は今から15年前につまり1995年に夫が出版社を辞めてフリーになるという人生の新しい選択をした。夫52歳だった。その時は急にその年に辞めたわけではなく、その何年か前からそういう流れになるようなことが起きていた。具体的なことは今は省く。その時私は思った。こう言う流れは戦争があったからじゃないかと、今もって戦争の影響があるのではないかと感じた。団塊の世代が人口ピラミッドを作り、それが社会の中で何かの不協和音を起こしている。そうだったら、今も流れている戦争の爪痕で夫が困っているならを私がその爪痕を消してやろう。ジャンヌダルクのように。とまでは話していないが、そして今に至っている。

ベビーブーマー、団塊の世代は結局は戦争が引き起こしたことではある。自分たちが望んでいたことでもない。アゲインではこの企画でまた講演会をするという。私はこれから先の私たちがいなくなった時の未来を平川氏にチョコット語ってもらいたいと思った。

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2010/08/15

あの日・昭和20年の記憶(NHK再放送)を見て

昨日8月14日に NHKで≪あの日・昭和20年の記憶≫(2007年制作・再放送)を見た。新聞記事を通して作家や俳優、ジャーナリストなどの著名人が第二次世界大戦終戦記念日前後について、さまざまな出来事を一日ずつ語っていた。私は部屋の掃除をしながら気づいたので、8月4日のから8月20日までを見た。実は以前にも見ていたが、何度でも見ておかないといけないと思う。

なかにし礼の体験が胸を打った。満州で家が酒屋をしていたが、ソ連参戦の連絡を聞き、早く脱出しなければと、母親がつてを頼りに、軍部の列車に乗り込むことが出来た。だが満州にいた同胞を見捨てて先に軍人たちと列車に乗ることで、その列車内には重苦しい空気があり、その後も複雑な気持ちを持ったと話していた。人は究極自分だけを守る、と考えていて正解のようだ。私はテレビの再放送を、掃除機を止めて見た。

高見順が8月19日(確かではないが8月15日以降だったと思う)の日記には、「戦争終結と言い続けていた新聞社が8月19日に敗戦と言いはじめた」と、書いていた。それぞれの人たちが日記に軍部や新聞社に対する疑問や厳しい批判も書いている。こうした人たちが戦後を担ってきたからこのような豊かな時代を築くことが出来たのだとも感じた。私たちも国や権威あるものが言うことを真面目に聞きすぎないことがちょうど良いのだと肝に銘じておかないといけない。あの当時は権力を持っていた軍部が怖く、本当のことが言えないでいた。いまでは誰も平等で言論の自由がある。ただ日本民族的慎み深さは底辺に漂っているが。そして政治家こそが一般庶民の自由や幸福を守る人になって欲しいと思うのは簡単だが選ぶのは難しいことなのである。

番組を見ていて、父と母が戦争について話していたことを思い出した。軍隊にいる父に母からの手紙が来るとその中身を検閲されて、みんなの前で往復ビンタをされたという。母は今でも字がきれいで文章もきちんとして書いているから、今の若い娘のメールのような自由気ままなことは書かないはずだが、父と母のその誠実さに軍隊の上等兵は頭に来たのだろう。母は千葉の田舎に疎開していて、東京の方で空襲があり空が赤くなっていたこと。その千葉の地ではアメリカ軍が日本に上陸したときのために、竹槍の稽古をしていたことなど、母から聞いたことを思い出しつつ、戦後65年たって、一般庶民の中には変な自由や平等も植え着いてしまっている気もするが、庶民の義務を遂行しての幸福や自由であると思う。

また、私にとって母の兄の伯父さんも「仏領インドシナに行っていた」と、よく話してくれた。小さい子供だったころは「インドシナで象に乗った」と話してくれた。きっともっとつらいことがあったはずだがそれはあまり話してくれなかった。奇しくも父と母の結婚式の日、昭和21年5月26日、つまり、戦争が終わった明くる年に伯父は日本に帰って来て、母が大森の家から父の学芸大学の家に嫁いで来る途中、品川あたりですれ違ったらしいと親戚が集まると話していた。今となってこの話の主人公の母しかこの世にはいない。

父が母のことを思って往復ビンタを食らったことは私にとって後世に話せる戦争の話だと思う。そして母たちは戦後の配給時代の苦難をよく話してくれた。結局アフリカの地域戦争の難民や地震が起きた中国での難民への援助物資を争って取り合うようなことを軽蔑することはできない、人間の本性丸出しの部分もあったと聞く。そのような場面には遭遇したくない。

とにかく第二次世界大戦で日本が負けてから65年が経ち、それは日本の軍部が潔く負けを認めないために、長引いて無駄死をしてしまった人がたくさんいるということを時間が経っても考え続けなければいけないと思う。先ほど川上村やNHKの放送で、昼12時に 『65回目の終戦記念日に亡くなられた方たちへの黙祷を捧げましょう』 と流れた。私も2010年を生きている日本人として黙祷を捧げた。

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2010/04/08

スペースシャトルを描く@子どもたちの記憶

Shatoru3 スペースシャトルのディスカバリーが5日に打ち上げられた。あとりえ・チビッコでは展覧会から初めての教室でもあり、新学年になったので、はりきってこの話題を取り上げた。このような絵は想像では描きにくいから参考になるものを用意して進めた。ロケット打ち上げの記事をコピーし、グルグル回る地球儀を置き、芳州先生の愛読書ナショナルジオグラフィックの宇宙関係をピックアップして臨んだ。この記事について子供たちの中には家族で話題にしているようで、楽しく考えて絵を描いた。山崎さんが女性であり、またスペースシャトルが引退するようであるのも悲しいが、≪時事についての絵≫を描いたのはわが教室ではもしかすると初めてかもしれない。

Shatorumanami2ShatorutomoyaShatorukentarou 左からマナミ、トモヤ、ケンタロウ。

描き方は漫画的、デザイン的、科学的、説明的のどれでもよしにし、画材はクレパスでも、マーカーでもOKという設定で描かせた。

ところどころに描かれたUFOが新しいキャラクターになりそうな感じだったのはマナミちゃんだ。ケンタロウくんのお友だちトモヤくんはたくさんのユーホ―を描いていた。そこから今度の映画「第9地区」は見るかどうか話題になった。私は怖いけど見るでしょう。ケンタロウがナショジオの、ロケット発射の写真のそのまた中にコウノトリが噴射の前に映っているのを発見した。子供の目は凄い!彼は空の色を工夫して塗り重ねた。

Shatoruriho

ShatoruhinataShatorumomoka 左からリホ、ヒナタ、モモカ。

リホちゃんは星や地球やUFO、ロケットがしっかり描けていて、将来の絵本作家を目指し始めた感じがする。まあこう言っても厳しい道のりだけど、自分が満足する絵を描くのも自分の心にとって大切だから楽しんでやっていきましょう。ヒナタは地球を自分の好きな緑と青のマーカーで丁寧に塗った。4年生からは自然科学(理科)クラブに入るという。そこで私は今度部屋の書棚の中にナショジオを定位置にたくさん置き子供たちに見せよう。環境悪化の怖い写真もあるが現実を見る強さも大切だ。モモカちゃんはなんとなくデザイン的な宇宙だ。

ShatorurisaShatorunamiShatorukenta 左からリサ、ナミ、ケンタ。

リサちゃんの水金地火木と太陽も図鑑丸々写しだけど、本人にとって良い課題となったと思う。ナミちゃんは模型の宇宙ステーションやロケットを良く見て描く。夜の暗さをマジックで塗ったが少し光を反射して写真がテカってしまった。健太は相変わらずダイナミックに描いた。

Shatoruriko_2  新しく入ったリコちゃんはきちんと描いたが筆圧が弱いので何度か描き足すことをする。

今回のスペースシャトルは新しい試みをしたのだが、子供たちも満足して描くことができたと思う。またこのような時事に関するものを取り上げて、子供たちの記憶に留めさせたい。

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2010/04/01

マグロの代わりにシカ肉を検討

マグロの代わりにシカ肉を検討 (NO水産省の検討委員会のお知らせより)

3月25日に太平洋クロマグロ国際取引禁止案が回避されたが、NO水産省は日本へのマグロやクジラの漁獲規制が厳しくなることに憂慮し、或る筋の話ではそれに代わる蛋白源としてシカ肉の導入を検討しているらしい。最近鹿が日本の各地で繁殖、増殖し、農業関係者を悩ませている。その被害が甚大なので、銃砲以外の狩猟方法を使って捕らえることも推奨するらしい。今のところ、寿司ネタとしてのマグロをどのようにしてシカ肉で替えて使うかということが一番の悩みらしいが、フランスから、ジビエ料理研究(狩猟によって食材として捕獲された野生の鳥獣)のシェフを招いて検討しているという。

その事を聞きつけた、シー・シェパードの仲間のマウンテン・シェパードたちが日本の山の中に入って鹿たちを山奥に誘導しているということが、登山家の中では囁かれているという。シカ肉の売り出しにスーパー関係で流すCDはクラシック音楽に詳しい豊田芳州氏は「小鹿のバンビがいいんじゃないでしょうかねえ」とコメントしている。

よくわかりませんが、動物愛護と貪欲な食欲と、クラインガルテンを大切にする私の精神からは一応NO!と言っておきましょう。ふふふ。

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2010/03/30

ゼブラ・ハイマッキーにあとりえ・チビッコのロゴマークが!

Zebra 明日で今年の3月も終わりになると言うのに気温は低い日が続き、ラジオのDJの若者までが、昨日は寒くてダウンのコートにマフラーを巻いたけど、まだ寒かったと言っていた。私がホカロンを使うのも無理ない。そしてあっという間の三月も終わる。

ホワイトデーのお返しにはお花や、お菓子、ワインやCDを頂いてうれしいようなくすぐったいような気持ちでいたのだけれど今年の極めつきは由井達さんから頂いたゼブラのハイマッキーにあとりえ・チビッコのロゴマークが付いたものだ。私は今までにゼブラのハイマッキーを<重なる2枚の絵>で子供たちに使用させている。画用紙にクレパスやパステルで絵を描き、その上にプラバンを載せてマッキーでまた描く。下が色彩構成したものにして、上は線描でも、また色彩構成でもよく、現実の動物やキャラクターでもいい。その二つのことをすることで、絵に強さが出てくる。密度の濃さが出る。それを子どもたちに意識させたい。マッキーはインクの色のきれいだ。太さがあるので、塗りこむときに時間がかかりすぎない。

今回はゼブラのハイマッキーに私のあとりえチビッコの3人の子のロゴが入っていた。インターネットでゼブラの会社の公式ホームページを見るといろいろなゼブラの商品にマークを入れてくれるようだ。今回展覧会を終えてあとりえ・チビッコも新しいお友だちが入った。4月からは新学期のような感覚でこのロゴ入りマッキーで描き始めると、いいアイデアの絵が描けそうだ。

ところでロゴの中の3人の子は、娘二人と孫のトモクンを同じ次元で並べている。パソコンのお絵かきツールで描いている。

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2009/08/24

期日前投票は「YES I CAN!」の精神で!

投票日当日に用事があって行けないので、今日期日前投票のために港北区役所に行った。私が7年位前に行ったときと同じ場所がその投票の設置場所だった。12時ちょうどのお昼時だったが、かなりの人がその部屋に来ていた。結構若い人もいたので、何だか私はうれしくなった。今まで政治がマンネリ化して機能的にも現実的にも面白くなかったがこれからは面白くなると感じた。実際、介護のことや保険のことで行き詰ることも多く、母の思いどうりにしてあげられないことにいらだちを感じているから、今日の一票はもしかすると生かして使えるかと感じた。でも世の中の趨勢が一つのことに集中することを生まれつき疑問に思う性格のKEICOCOだからちょっとだけフェイントをかけて投票をした。

オバマさんが「イエス、ウイ、キャン!」(YES WE CAN!)と言ったけど今日私はそれをもじって「イエス、アイ キャン!」(YES I CAN!)と思いました。みんな自分がこの一票をどうともできるのだからね!

今日、私がもうひとつうれしい電話をもらった時にも「YES I CAN」だなと思った。

それなのに、麻生さんは「金のない若者は結婚するなって!」おいおい!このレデイにこんな乱暴な言葉を出させるの!もっと言いたいことがあるけど、日頃、人を批判する言葉を持たない深窓の令嬢、時代がすすんで深窓の老嬢、(自分で言ってどうするの!)今日はここまでですよ。

無駄なことに税金を使うような政治や形式だけの役所仕事の政治で世の中が回っていくことはもう終わりにしたい、それを知っているのは子を育てている母親たちかも知れない。私も昔は金のない若者の一人だったけどやりくりして、夫と一緒に働いて二人の娘を育てた。母親として美味しいオムライスを作る平和な社会にしていきたい。という気持ちを大切にしたい。

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