銀座のウィンドウディスプレイと私の小さな一言
自分の仕事以外の時間がアウトドアのために設定されているので、銀座や六本木のおしゃれな場所に行くことは少ない。華やかな都会にいる自分が願望としてないわけではないが、山の中に向かって車のアクセルを踏んでいる自分の方がしっくりする。
今日は昔、夫が一緒に仕事をした出版社の写真部の友人たちの集まる会に出かけた。いつも集まると昔の失敗談が聞かれて面白い。お酒の勢いでいろいろしゃべる。笑顔が昔の顔になっている。
その会の前に一人で銀座を楽しんだ。昔女子美に行っていた大昔、ウィンドウディスプレィの勉強にと、銀座に行った。松屋の展覧会の会場係りのアルバイトもしていたが。本当はデイスプレイの仕事がしたかった。親の言うことを聞いていた従順な時代だった。
ルイ・ビトンのバックは昔一つ持っていた。シャネルの香水は2種類持っていた。ブランド信仰は私にはない。でもココシャネルの生き方が良いと、プードルにはココと名付けた。御木本パールのデイスプレイの中に造形のスズメバチがいた。川上村で山小屋の周りでぶんぶん飛んでいたスズメバチを思い出した。
そう言えば朝日新聞のbeエンタの≪人生の贈り物≫で作家の髙樹のぶ子がこう書いている。
「年甲斐ってほとんど意識していない。私この年になっても構わずジ-パンはいてるし、ミニスカートはいてるし。年齢による括りではなくて、その人の個性であり、好みであり、そういうもので。だからエイジレスの時代になっていったほうがいいんじゃないですか。」
「健康寿命はあるけれど、男でもない、女でもないっていう状態って、私不自然だと思う。・・・・・・・・恋心であれ、ときめきであれ、自分は男である、女であるって意識することはすべての感性に通じるものなので、それを閉ざしちゃったら、すべての感動も自動的に閉じてくる。・・・・・・・・」
私もそう思って銀座を歩いていた。お食事をする場所の≪がんこ≫に行く前に教文堂に寄った。「介護セラピー」、「祈りセラピー」(サンパウロ)という本と、「ドイツの根底にあるもの」蓮見幸恵(新教出版社)を買う。
まだ、「不干斎ハビアン」釈徹宗(新潮選書)が読みかけであるが、仏教とキリスト教、それとドイツは一緒に考えたい。
アジサイの花が綺麗だった。アジサイはドイツでもホテルの玄関にあった花だ。オランダではオタクサという。シーボルトの奥さん、おたくさんの名前から命名したという。
こうして今年の梅雨もアジサイとともに進んでいく。6月30日が暦では夏越の祓だ。大祓は、罪と汚れをはらい清める神事で、6月と12月の末日行われ、疫病よけの茅の輪くぐりなどの行事が行われる地方もあると、≪こよみのページ≫に書いてある。私たちがドイツに行っている間に母が転んで救急病院に入院したり、その後介護施設に入ったりして1年がたった。
銀座のアジサイは並べ方が西洋的だった。帰りにもう一度見たいと思ったが、もう置いてなかった。細かな雨が降ってネオンがチリチリしていた。マイケルジャクソン死亡のニュースや、日本の政治の恥ずかしい状態がある。私は自分のブログのカテゴリーの中に政治経済の項目について、書いたことは少ないが、母の介護や教育について考えるとどうしても、この現状が続くことは避けなければいけないと感じている。
今年、ドイツに行っていて、もし日本の政治の状態が映るテレビをみていたら、恥ずかしくて、どうしようもなかったことだろう。というよりは取り上げもされないかしら。だから良いってことはない。![]()
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今、私の言える小さな一言。私のカテゴリーにはないかもしれないが。世の中が変な方向に行くのが判ってきたなら、それは反対しなければならない。本当の政治をしてくれる人たちに委ねないといけないと思う。



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