2017/02/12

横浜デート


今日はもう2月12日。明後日はバレンタインデーだというのに、私はランに魅せられチョコレートのことを気にもせずにここ1カ月を過ごしてきました。2月11日から東京ドームでは世界ラン展が開催されています。その会場では私が所属しているバラクライングリッシュガーデンのブースでも、ケイ山田の作品と生徒たちの作品が展示されています。HPでの表彰で私は校長賞をいただきました。明日会場で、2点出したうちのどの作品が賞をいただいたのかがわかります。楽しみです。

そのため今年もバレンタインデーは絵に描いたチョコレートになるでしよう。最近iPad で描く絵にいろいろなやり方に気が付き、そちらも楽しんでいます。


今日は横浜山手イギリス館のガーデニングの教室があり、相棒と一緒に行き、教室を終えてから車で山手と元町を見ながら、昔を懐かしみました。ランチは県民ホールの英一番館で港を見ながら、タウン誌浜っ子の取材などのことなど、執念深く昔を懐かしみました。
写真はイギリス館の「チョコの木」と横浜港。

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2016/10/16

築地江戸銀にてスキー部の会食@2016



今日は千葉大スキー部OB会の集まりで築地江戸銀にて会食。毎年1回集い、歳を重ねると不思議な連帯感がある。お寿司の前に刺身や河豚の唐揚げ、茶碗蒸し、手長海老の唐揚げ、酢の物、シジミの味噌汁、私はノンアルコールビール。




我が相棒の友の1人が「豊田を尊敬してる」と告白した。嬉しい言葉なのに照れている相棒。皆体調を心配してくれているのもよく分かった。55年の付き合いだから私も入りきれないほどの連帯なのだろう。写真を撮ってお開きになり、愛車は羽田を抜けて横浜を通り三ツ沢から自宅に戻った。ココちゃんはシート1枚に、良い子でお留守番でした。
日常と非日常の狭間で人は歳を取り、そして若さを取り戻す。運転中は情に流されぬよう外の情景のみを確認してハンドル、アクセル、ブレーキを操作していました。以外に男っぽいからね。( ◠‿◠ )

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2015/10/12

明日はブログ更新します

明日こそブログ更新したいと思っていますが、なかなか忙しくて。それは時間の配分がうまくないからだと思います。昨日は蓼科にコンペの作品を出したのを見に行き、ケイ山田先生と校長からの講評を聞きました。ここ川上からは片道1時間半かかります。それで同じ長野県でも1日の仕事になります。今日は雨だからパソコンに向かうけれどフェイスブックとタキイ種苗の冊子を読むことで時間を費やし、お昼の食事のお稲荷さんを作って外に出て、ススキを刈り、畑の草刈りして途中戻って食事して、またススキを刈って、ダリアを花瓶に生けて写真撮って、チョットテレビの映画見て、夕食作って、カラオケ(リハビリ)してもう12時が過ぎている。
明日こそ映画「バクダットカフェ」の面白い見方を伝えたい。それと、寄せ植えのコンペの結果を報告したいです。一応作品はゴールドを頂きましたが、私的にはまだまだ未熟さが出ていました。それにしても映画の感想はネタバレにしないで面白さを伝えるのは難しい。

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2015/09/24

シルバーウイークって何時からできたの?

9月19日から23日までの4日間がシルバーウイークと名付けられていたのは知らなかった。敬老の日とお彼岸が重なる連休だからシルバーウイークというらしい。知らなかった。私の敬愛するブログの先輩和歌ログさん庄内拓明さんはプラチナウイークと言ってほしいと言っていらっしゃる。

そのことを意識もせず、初日の19日に私は家族で落語を聞く会をした。 何歳の頃だろうか、父が落語を聞かせに連れて行ってくれたことがある。もしかすると1回だけのことかもしれないし、2,3回はあるのかもしれない。1回の印象が強くて何回も行った気がしているのかもしれない。大きなホールの最上階の辺りから「座布団に座った着物を着たおじさんがしゃべることが可笑しい!」そんな記憶がはっきりと残っている。小さい時から何となく落語が好きになって、NHKの3チャンネルなどで落語を聞いたりしていた。36年間指導した「あとりえチビッコ」では虫や川上の話をするときに落語家の仕草などを真似して話をしたこともある。

そのような経験を親子と身近な親戚が集まって楽しんではどうだろうと考えた。いつもだと割安の落語会も知っているが今回の日程は浅草の演芸ホールしかなかったので、大枚をはたいてみんなを誘った。ある意味で、落語芸術協会への寄付でもある。娘たち夫婦と孫、私の弟夫婦、いとこの雄ちゃん。演目はいろいろあったが三遊亭遊雀の「悋気の独楽」が面白かった。2人の女、妾と下女の仕草がおかしかった。私もこれから困ったとき(駐車違反)はあの感じで対応しようかと、新しいネタが仕入れられた。
Silver1そのあと近くの和食やみよしでお刺身定食を食べた。 そのあくる日は川上へと来る予定だったが渋滞情報がいつにも増して酷いのでTSUTAYAに行ってビデオを借りて、午後1時過ぎに出発しいつもの圏央道を通らず相模湖から中央道に入った。渋滞はなかったが車の量が多かった。運転が怪しい人が多かったのは免許取りたてなのだろうか。いつもの長坂のキララでレタスが300円もしていた。お盆価格だ。
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私はその中で葉唐辛子を見つけた。秋になると売っている。それは葉はほんの少しで赤い実が多かった。それで葉を唐辛子の佃煮にし、青い実を南蛮味噌にした。赤い実は干して白菜漬けに使うことにする。

昨夜はロバートデニーロとダコタファニングの「ハイド・アンド・シーク」ミステリーを見た。子供は見ると夜トイレに行けなくなるという恐怖マークがついていた。私たちも別荘では見てはいけない。でも見てしまった。怖かった。
そして今夜は「ダブリンの街角で」を見た。二人の俳優があまり有名でないので、何も先入観がなく、後から余韻がジワッと来る。ラブストーリーだがさらりとして、いいと思った。

 

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2015/08/05

今年の横浜みなとみらい花火

Hanabi5_2昨夜はみなとみらいでの花火ショーを見ることができた。芳州先生の教室の生徒さんたちとの暑気払いのお誘いがあったからです。ちょうど去年も同じ日にこの同じ中華レストラン「大陸」で花火を見た。美味しいお食事も花火も一瞬と思うと美味しさは増す。過ぎていく時間を意識して今を大切に思います。
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今回は人混みを歩くことが大変と感じていたので車で出かけ、私は大好きなビールをジンジャエールに替えてグビグビと飲んだ。美味しいお食事に加えて路面電車への情熱を語るひと、ヒマラヤへの夢を語る人のバックには花火の爆音が遠くから近くへと鳴っていた。
早めに始めた暑気払いは花火帰りの人たちより早く帰ろうと記念写真を撮ってお開きになった。私たちは二人で駐車場に行き金網越しに次から次へと打ちあがる花火を見た。
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いつも花火には心を捉えられる。一瞬に咲き一瞬に消えていく空の画面に酔いしれた。

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2015/08/03

中学1年生の夏休み@2015

夏休みの前半、7月の10日ほどの期間、孫の知之(トモ君)が私たちのところに来た。まだ中学生なので預かっているということかもしれない。横浜に大きなリュックサックを担いで船橋から来た。小さい時から預かっている。あれは何才の時から来たのだろうかと思う。幼稚園前の子を預かっているのを見て、ママが居なくとも大丈夫なのを周りの人たちはビックリして見ていた。

トモ君と今回は横浜で3日間、あと1週間は川上で暮らした。娘たちが中高生の頃、夏休みは初めは計画を立てて居たが、最後の頃にはくたびれ果てていた気がする。それをまた繰り返すのだろうか。
来てすぐに横浜の美容院でカットをして貰い、次には本屋に行き課題図書を探した。小学生用の本ではあったが「僕とテスの秘密の七日間」を選んだ。娘も仕事をしているので、宿題や勉強を見てやろうと私は手ぐすね引いていた。私の脳の活性化のためではあるが。

まず、前から字が汚いのをトモ君に指摘した。その人の理解のバロメーターにもなると話す。英語の筆記の際にアルファベットは分かりやすく綺麗に書いていたが日本文字はヨレヨレしている。シャープペンが悪いのかと鉛筆に替えさせる。線をフリーハンドなどと生意気なことを言っているので、定規を使ってキッチリと書かす。これを見るとうるさいばあさんに思われそうだが、宿題をして4日にはトモ君のノートはかなり整然とした。それに関しては相棒はもっと自由にと言い、意見が違う。
川上の図書館に行って「バスカービルの犬」と、「ワンピース」を借りてくるが後者は速攻で読み終わる。算数の宿題はもうやり終わった。今は英語の写しと意味調べの清書。あと自由研究と読書感想はまだ残っている。

ある1日はチョコっと山梨の方角の鷺山を見に行った。またグーグルマップで詳細な地図と航空写真で現場の道路を確認してから出かけ、前回とは違った視野で見ることができた。トモ君も感激だった。
その間ジャガイモ掘りとその運搬、スーパーからの買い物の荷物運びなどのお手伝いをして貰う。それはあとでアルバイト代になる予定だ。
またある1日はいつものパスタ屋モリモトに行った。トモ君はモリモトのカルボナーラのカリカリベーコンに感激して美味しいを4回ぐらい連発して、食後のアイステイーを飲み始めた時だった。トモ君のどこかがぶつかってグラスが倒れテーブルから床までがミルクテイーだらけになってしまった。私はああ来たー!と思った。お店のウェイトレスさんが片ずけてくれたのだけど、とても困った。そして片付けているそばで、「ごめんなさい」と言いつつも「もう一杯新しいのをお願いします。お支払いしますから」と私は言っていた。こうした時にいろいろな反応があると思う。一緒に雑巾を探して拭くこともすべきだったかもしれない。あとから車の運転をしながら反省しきりの私に相棒は「いいんじゃないの、ママじゃないんだから、もう一杯くださいと言ったって。おばあちゃんにはおばあちゃんのやり方があるんじゃないの。気楽にやっていいんだよ。」そう言われてすごくホッとした。私はすかさず「じゃあもう宿題も辞めようか、ママじゃないんだから。」と言うと後ろの方で「イヤ〜、やっぱり一緒に」とか言う声が聞こえた気がした今年の夏の前半戦。
もう一つのアクシデントは使い始めたスマホが故障したことだ。娘から聞いてはいたがyoutubeの見過ぎか、ゲームのし過ぎらしい。男の子という違いと時代の激しい変化は別の心配を産んでいるようだ。でも私はおばあちゃん、気楽にいきたい。
「僕とテスの秘密の七日間」は2人で交代に読んだ。読後感を引き出すためにいろいろ話し合ったが、かなり面倒くさがっていたので今流のやり方にすればいいかと思い、このiPadのメモ欄に書くようにさせた。最後の結論をまだ書いていないが、トモ君は「最後の恐竜になる気持ち」が気がかりだと口で言っていた。それって子供らしい重要な感想だと思う。
最終日は野辺山から小海線を上に行き長野新幹線で大宮まで行き、武蔵野線に乗り換えて帰って行った。

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2015/07/16

母の新盆

「新盆の迎え火と送り火」でアクセスが多い。7月13日から7月16日までお盆の期間だ。今年は実家の母の初めてのお盆になる。母はあの世に逝ってしまったが、初めてのお盆でこの世に戻ってくる。それで仏壇には亡き人が乗ってくる馬に見立ててナスや胡瓜におガラを刺して飾ったりする。そして好物を供えて亡き人を偲ぶ。

夫の実家は浄土真宗で、私の実家は日蓮宗だ。親たちの葬儀をし、親戚の法事に何回か出席やお手伝いするうちに仏教の仕来りや作法のような物を理解できるようになった。娘たちには迎え火と送り火で書いたように、「お盆には婚家の宗教に合わせてする行事があるのよ」とおガラを跨ぎながら話していた。

家の中を仕切るのは母親だからどうしても母から子へと伝えやすい。特に娘への方が親も話しやすいのか、また娘は結婚すればなおのこと、これはどうしたら良いかなどと、人に聞きにくいことを聞きに来る。そういったことから、私は暮らしの習慣や文化の継承は母から娘が伝えやすいと感じている。男の子一人の家では違ってくるだろうが。
だが仏事も亡き人を思って丁重にしたいが、自分たちの生活の時間もあるからおいそれと簡単にはいかない。それと最近はお墓の考え方も変わってきている。先祖の墓を守っていくのはエネルギーがいる。

母の仏前には新盆にふさわしく白い提灯と飾りの絵模様が美しい廻る提灯の2つが飾られていた。クルクル回って綺麗な色であの世の楽しさが感じられる物だ。おじいちゃんと2人でダンス踊っているのかなあとも後から想像する。

母が亡くなって5か月ほどしか経っていない。
もっと時間が過ぎているように感じるが。
私は今をできるだけ昇華させたい。

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2015/05/19

土浦霞月楼の屏風

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写真教室シャトロー会の撮影会で、茨城県土浦に行きました。私も最近は撮影会に同行し、いろいろ見聞を広めさせいただいています。

室町時代に築かれた土浦城址、まちかど蔵などの資料館も所々にあり、歴史の町でもあると分かりました。今回は芳州先生の新しいオリンパスのカメラSH1を借りて、松傘の落ちている地面と城門を撮ったりするのがデジカメ的で、撮るのが楽しくなりました。堀の中には鯉たちが泳ぎ、素晴らしい晴天の中菖蒲も咲き、歴史的建造物が所々にあり、ゆったりとした時間を過ごせました。いつの旅も私にはほとんど昼食が目的のような小さな旅です。今回は料亭「霞月楼」がメインの旅であったとも言えます。


戻ってインターネットで調べると、土浦は土浦駐屯地が大正10年1921年に海軍航空隊として開設され、横須賀から予科練が移設され、海軍航空隊、第二次大戦で米軍に接収され、警察予備隊を経て陸上自衛隊へと変遷しています。そして現在霞ヶ浦に面して自衛隊が駐屯しているのです。


霞月楼の会席膳は身体に良い食材を使って丁寧に作られていました。お酒も少しいただいてほろ酔い加減の時に、女将が霞月楼での予科練とのかかわりを説明してくださいました。予科練とは旧日本海軍予科練習生の略です。15,6歳から入隊し、若い飛行兵が明日出征するという日の前に霞月楼に来て食事をし酒を飲んで羽目を外すのは黙認されたそうです。百畳の畳をはがして重ねて遊んだり、また、屏風に記念の言葉を書いていきたいと書き残したりもしたそうです。


折しもその日の国会の審議で安倍内閣は国際平和支援法案と武力攻撃事態法改正案などを国会に提出しました。そのことを念頭に置きながらこの屏風の説明を聞くことは意義のあることでした。霞月楼の女将は屏風の中の回天、死生一如、ヌードのデッサン、昭和19年5月、また神州不滅の字の下にある磯のサインが人づてに伝えられて、存命である事が分かり、その方は磯部利彦氏と判明し、「火だるまからの生還」(高文研)の著書を出されていることも分ったのだという。霞月楼の女将のお話は私たちに戦争について問題意識を呼び起こしてくれました。


私もこの屏風から何かを探り出したいと調べてみた。春駒と梅太郎は芸者さんの名前だろうか。戦闘機の絵は回天だろうか。回天は人間魚雷と言われている。神州とは日本の国という意味。下地にはウズラの日本画も描かれている屏風だ。征空萬
里などの文字は信じて違わぬあのころの日本の教育なのです。上方の二文字の難しい崩し文字はわからない。所々にある人物模写は恋人の絵だろうか、たまたま傍にいた仲居さんなのだろうか。花櫻の文字は散るを意味して書いているのだろうか。

一双の屏風に託された若者の気持ちを約70年経って読み解くのも、歴史や、日本の本質を考えることと同じくらい大切な事のように感じる。それは今を生きる身近な若者たち、ぶっちゃけて言えば私のあとりえチビッコの最後の男の生徒たち、健太郎や智哉、
洸人、知之の人生へと思いを馳せることになるのだと思う。

日本を守ろうと空に散っていった若者たちが居たことを身近で感じた。だが絵を通して教育をしてきた私の立場からはこの行為を美化することは出来ない。それは今中東で起きている自爆テロにも通じるからだ。だが伝えていかないといけないことではある。

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2015/04/02

桜を愛でる平和が一番

Sakura1家の前では桜が満開になっている。昨夜は窓を開けて夜桜のお花見にしようとしたが、ライトアップされていないので諦め、今日昼間のお花見にした。セブンイレブンで助六寿司など用意し冷蔵庫のオレンジとリンゴを切りタッパーに詰めて新横浜公園に出かけた。近所の介護施設からは車椅子に乗ったおじいさんおばあさんとヘルパーさんたちがたくさん来ていた。

私はこの桜を見て平和はなんといいことなのだろうと思い続けている。

この季節,日本で 電車に乗ればどこでも車窓に薄桃色の桜を見ることができる。それに比べていま中東のシリアやイラクでは砲撃の音が止まず、子供たちが逃げ惑い、父親たちは戦いに出て行方のわからないことになっていると言う。死んでいく人を身近で見る毎日、薄桃色でなく赤い火、赤い血を見る毎日であるとニュースでは告げている。

このように桜の薄桃色の情景を見ることを夢に描けないのは悲しい。あちらの中東ではアーモンドの花が桜の花に位置付けられるのではないだろうか。

なぜ戦い続けるという負なことをし続けるのだろう。神を信じて戦うことを選ぶのだろうか。私たち日本人は恥ずかしいほどの多神教だ。多神教ゆえに無神論につながっているかもしれないが。宗教論には程遠い私の浅学さではあるが、素朴に「そんな喧嘩は止めなさい!一抜けた!」をどちらの国もすればいいのに。

今日ポストにJIM-NET便りが届いていた。私は今年もバレンタインデーの義理チョコを止めた分のささやかな金額の寄付をJIM-NETにしたのだが、お便りの中の鎌田實先生のつぶやきでは
「暴力には暴力を、憎しみには憎しみを、という連鎖を断ち切って、憎しみには愛を」
そして「イスラム国の戦闘員になりたがる若者は多いが、彼らを思いとどまらせるには暴力ではない、愛の力が必要だ」

とつぶやいておられる。戦争によって足を切断された若者たちに義足を作り、難民キャンプでも診察をして来られるとも述べられている。ところが今夜のニュースではまたしてもシリアでの砲弾の嵐が起きている。難民支援施設をイスラム国が大半を支配したという情報もある。鎌田先生気を付けて!

Sakura2_2ところで桜を見ると4年前に母が中目黒の介護施設にいる時に目黒川の桜を一緒に観に行った時のことを思い出す。
遠い昔のような気もするし、つい最近のような心持ちにもなる。それは桜の花のお花見気分がそうさせるのかもしれない。「皆んなで賑やか」が母も好きだった。桜の花は咲いているときはどこから見ても綺麗だ。集団が美しい。桜を愛で続けている日本は平和があるからだ。桜を見るとそう思う。

鶴見川がカーブしている広い視野に立てる場所がある。そこからは第三京浜の小机の方の桜までが薄い桃色の帯を描いていた。

アーモンドの花がチグリス・ユーフラテス川に咲き、アーモンド吹雪の中を人々がカバブやナンを持って皆で仲良くお花見をすることができるのはいつのことになるのだろうか?

追記:今日、深大寺植物園に撮影に行きました。アーモンドの花が濃い桃色で咲いていました。
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2015/03/08

人の人生はほぼ30000日というフレーズ

Kazari
「人間の人生は平均して30000日しかないということをあなたは知っているだろうか?」

フェイスブック(TABI LABO)にこのフレーズを見つけて、私は少し考え込んだ。

 

今日で母が亡くなって1か月が経った。1週間経つことがこんなに早いと驚いているのに、この1か月はひどく長く感じている。3か月は経っているはずだと思えるのだけれど。一週間が短いのに、何でまだ1か月なのだろうという感覚。「記憶異常」ではないだろうかと思い、この語句を調べてみたが、それほど私は病的な状態でははないから、時間の感覚が鈍っているのだろうと一人でフムフム納得している。

 

そしてこの30000日を365で割ってみたら82.19になる。82才ということか。欲張って、私は日本の女性の平均寿命で計算すると365×86.631609 私はもうすぐ68歳になるので365×6824820 31609248206789日になる。妙にわかりやすい「あと6789日生きる」という数。

以下は「TABI LABO」から
毎日忙しく過ごしていると「生きているうちにこれがやりたい」って思っていることや「これからはこうしよう」と決心したことを結構忘れてしまいがち。このままずーっと走り続けて、人生最後の日が来てしまったら・・・・?

ここで海外のサイトで話題になっている、人が最後に後悔することを紹介したい。やり直しのきかないタイミングでの後悔とあって、どこかに胸に突き刺さるものがある。今日からライフスタイルを見直したくなるかも。

そこでフェイスブックの記事の中の項目を箇条書きにします。

 

1・もっと自分が生きたい人生を生きればよかった

2・残業やお付き合いの毎日…働きすぎなければよかった

3・大切な友だちと一緒に過ごしておくべきだった

4・直観に従えばよかった

5・もっと自分の世界を広げる努力をすればよかった

6・家を買わなければよかった

7・怖がらずにもっとリスクをとればよかった

8・健康ならば何でもできるから体を大事にすればよかった

9・恥ずかしがらずに「愛してる」って言えばよかった

10・明日からやろうをやめればよかった

 

この項目を私がお絵かきを教えていたまだ若い10代の子供たちがすべて実行してしまうことは問題もあるけれど、心しておくことはいいんじゃないだろうか。特に40代からは十分意識して進んでいけば実り多い中高年を迎えられると思う。

最近はやりたいことがあると、自分が今まで不得意なことであっても躊躇せずにやることにしている。本も不得意な直木賞受賞とかをパスしていたが、そういう先入観を持たないで選ぶようにしている。一昨日は「フェルト羊毛で作るブローチ」に挑戦した。ただしそれが上手にできるとは限らないけれど。

写真は白鳥スワンのつもりで作り始めたけれど、別の個性を表してしまった白いコンドル。(笑)

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