2009/11/05

大倉山公園散策

昨日はあとりえの教材として紅葉した落ち葉が必要だったので、大倉山駅の横の坂を上がり、記念館、大倉山公園へと散歩した。もちろんココも一緒。Kinenkan_001

長野の川上村の山々が紅葉していたのが10月23日だったので、11月上旬では横浜は紅葉がいくらかは進んでいると考えていたのだが、もう少し後のようだった。モミジは青々していた。かろうじて桜とハナミズキ、柿の葉がきれいに色づいていた。自然薯の葉も黄色くなっていた。

久しぶりの大倉山の散歩だったが、空気も清々しく、ちょうどよいキロ数を歩いた気がした。記念館では写真展をしていたようだ。≪あとりえ・チビッコ展≫を2年に1度の来年にする巡りになっているが、母のこと、子供の数、インフルエンザ、時局に鑑みて今回は辞めることにした。いつものように子供の表彰はするが、またパワーが集まったら記念館での展覧会をするつもりだ。今回は別の形にする。

Kinenkan_005 自分自身の中で、新しい何かをしたい気持ちが小さな芽を出している。よくわからないのでこうした自然の多いところを散策するとアイデアが結集してきそうだ。逍遥学派のようにできればいいが、それにしても不勉強だ。結局その時間は人間の生活のサイクルに消えていく気がする。生活・衣食住のための時間は短時間で切り上げ精神生活や何かを作り上げていく時間に使いたい。そう言っても、柿の白和えなどを作りたくなるのですが。

子供たちは昨日の課題をした後で、切り取ったいろがみの残りを切り刻んで花吹雪にして遊んでいた。子供たちにはパワーがあるのだろう。

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2009/10/27

酔余の日記

Kawamilk

一カ月ぶりに川上に行った。やらなければならないことがたくさんあった。そのほとんどがやりたいことだった。野辺山のびっくり市で百目柿を購入。15,20,24個計59個を剥いて、紐で吊るす。そのうちの15個にT字型の木の枝が付いていなかった。ただのI字型の枝では紐が結べない。これは干し柿のお約束のはずだ。そう、だから少し安かったのですね?私は信じているから、ひっくり返したりしませんよ。うそつきね! これも脳の体操と考え直し、針金と金網で工夫をして2階の窓辺に干す。柿のカーテン。

畑の周りのススキを刈る。夏に切った木の枝の上にガシガシと乗り、ビシバシと枝を折る。台風で落とされた木の枝を拾い白樺の根方に置く。木のチップスは足裏に心地よい。その上に降り積もった白樺の葉を竹箒でパパパと散り払う。外の通りに落ちている白樺の葉をU字溝に掃き落とし、ビニール袋に詰めて畑まで持っていき、大根の畝の周りに置く。これを8回往復する。裏の家の周りの葉も箒で掃く。ベランダの下に生えている木や草を鎌で刈り、熊手で掻き集める。Kawacoco

ベランダの横の樅の木が八ヶ岳の頂上を遮り始めたので切る。鋸で木の屑が鼻やのどに入りそうになるのをふーと言いながら鋸を引く。花壇と決めてある場所に鹿が来て、また菊の花を摘むように食べていっている。来年は私が好きなヤマユリをまた再び植えたい。この冬は我が家もフェンスを巡らす。その棒や網を見積もるため、鹿目線になって家の周りを考え考え歩き回る。そうしている時も鹿は近く遠く、ヒューンヒューンと鳴いている。「来てもいいけど、負けないからね!」

私は母のことを考えていた。最良ではない方法をとらざるを得ないこのやるせない気持ちを持ちながら、なぜ、いつも、反対のことを言ってしまうのか。自分の言った言葉がこの土地の向こうにある尾根にやまびこになって私に還ってくる。家に戻ったら来週は母の身の回りを片づけ、ヤドカリのように次の老健への移動だ。皮膚科にも連れて行く。もう一度、聖書のどこかを開けようか? それともまた、深沢七郎の楢山節考を読みなおそうか。

梯子に登って梅の木を切る。黄葉した葉がはらはらと落ちる。桜切るバカ、梅切らぬバカ。今年は花が咲いたのに蜂が受粉をしてくれなかったのか、実は少しだった。

畑の周りのミントは歩くたびに匂いがする。パイナップルミントの甘いにおいとペパーミントのさわやかな匂い。鹿はついにミントもオレガノも、験の証拠も食べつくすつもりだ。花がしごくように食われている。その下にはコロコロの鹿のフンが撒かれている。

Kawaberanda2009年10月26日の畑の収穫はルッコラ と赤カブと細い大根、大根以外を鎌で切り取ってバケツに入れ外の水道で雨に濡れながら、洗う。そして家に戻りゴミの分別。あー、なんと!生きていくのは大変。

これらのすべての作業に3日半を擁した。

それでも移りゆく今年の秋を愛でて、訪ね来る鳥たちと言葉を交わした幸せな時間。それは勝ちとった時間かもしれない。

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2009/10/21

ベイブレードとWiiFitPlus

004 今、男の子の遊びでベイブレードが流行っている。親戚のとも君に教えてもらって、こんな世界があるのだと分かった。

かなりたくさんの駒があるのだが、それは星座の名前がついている。ザジタリオ(射座)、レオーネ(しし座)、ブル(おうし座)、ペガサス、ウオルフ(オオカミ座)、ジェミオス(双子座)、スコルピオン(さそり座)、ストームぺガシス、エルドラゴン(りゅう)、ライトニングエルドラゴン(りゅう)、アースアクイラなどがあるそうだ。とも君から聞いたメモのほうを書いているので、間違っているかもしれないが。 016_2

ベイゴマにも似ているが、攻撃力、機動力、持久力、遠心力、防御力、重量などの性能を競わせるとタカラトミーの公式サイトで説明があった。

私はとも君の持っていないベイブレードをビックカメラで探し、お誕生日のプレゼントに先週持って行った。7年前の雨のざんざん降る日に生まれたとも君は今日7歳になった。私に子どもの世界を教えてくれる先生だ。

ところで私はと言えば、1年10カ月前に買ったWiifitを飽きずに続けて、前にときどき起きたぎっくり腰にはならなくなった。この間、鳩山さんが圧勝した日の前後にかけて、Wiifitの中の≪サッカーのヘデイングの初級≫で2回、パーフェクトを記録した。555点だった。運動神経は開発すればするだけ、伸びるとどこかで言っていたが、まさに私はそうだと言える。このごろではWiifitプラスも準備して、新しいゲームや運動のメニューで遊んでいる。

時間がない時でも、夜でも、やる気さえあれば、運動ができるので、私には合っているのだと思う。一番のお気に入りはボール入れとヨガの三日月とフラフープだ。このゲームを教えてくれたのは希望が丘のモモコちゃんとカノンちゃんだ。私にとって、子どもの世界を教えてくれる先生たちとはいつまでもお友だちでいたい。

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2009/10/19

浜松の浜名湖立体花博

Hamamatu_029先週末は浜松に行った。千葉大スキー部OB会の集まりだ。新幹線の浜松駅に着いた頃には雨が降っていたが、何台かの車で浜名湖立体花博会場に着く頃には雨はほとんど止んでいた。9組の夫婦とシングル参加の4人計22人の中年ツアーとなった。

花博会場での出展作品の中でカナダ、モントリオール市からの「木を植えた男」(フレデリックパック)の作品が素晴らしかった。モザイカルチャーという新しい園芸の分野があることを知った。そして宿泊先は浜名湖ロイヤルホテルだった。

グループに入ることが苦手な私が35年も過ぎると、先輩後輩の奥さんと普通にお付き合いができるようになった。食事も美味で、カラオケでの演歌やダンスの得意な奥さんもいて、今回も盛り上がり、毎年カラオケを上手に歌う人を見ていると、たまには練習をして、マイクを握ってみたいと思うのだけど、結局できない。今回は特にK氏夫人がダンスを踊って盛り上がり、それを見ながら、私とF氏夫人は笑い転げていた。こんなに笑うことないわよねーと言いながら、私も酔った勢いで「ヒューヒュー」と掛け声をかけてしまった。

ところで、私が浜松から戻って開いた「内田樹の研究室」では≪配偶者の条件≫について書いている。読む間に3つの漢字が分からず漢字辞典で調べた。≪疚しい、遊弋、膾炙≫、やはり、研究室は難しい字があってこそ研究室だ。

さてその酒宴の席でも、結婚しない娘や息子についての親たちの心配の声が聞かれ、私なりの考えもあったのだが、いつもよりは言いすぎないでいた。いやー、お酒の勢いでシャッフル、シャッフル!とかいったかも?しれないが。子どもが大人になると言いにくくなる。親になると分かってもらえるのだが。

子どもが小さければ、ご飯の支度を一緒にしながらとか、車を運転しながら言いたいことを言ったりした。子どもは親が事故を起こしてほしくないから車の中では一応は話を聞いてくれるからだ。そんな時は私も冷静な気持ちで接しないといけなかったが。

あくる朝、8時過ぎにホテルの窓から雁が渡るのを見た。湧き上がるように絶え間なく群れ、飛んでいく。浜松ははなんていい所なのだろうと感じた。2日目には臨済宗の寺、方広寺半僧坊で五百羅漢、釈迦三尊像を見た、小堀遠州の庭がある龍潭寺はまた、井伊直助の井伊家の位牌などのある寺でもあった。二つの寺とも修理中で2年後には完全に直っているらしい。また来たいと思った。

車を運転していただいた竹形さん、幹事役の月花さん、倉本さん、どうもありがとうございました。楽しい旅でした。

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2009/10/15

ドイツの誘惑@きっこに会うならこんな町でⅢ

きっこの日記に紹介されたのが10月6日でその後約10日がたち、私もアクセス数がいつもの30倍も記録した日もあり、とびぬけた棒線グラフを見るのはうれしかった。いつもは40人ぐらいの人が来て50ぐらいのアクセス数なので、うれしい半面、変なコメントが付くのではないか、ウイルスが入ったらどうしようと考え始め、パソコンをしながら用心深くインフルエンザ用のマスクをして、老眼鏡をかけて、書いていました。

きっこのブログにチョコレートのことも載ったので、ひそかに贈っていることがばれてしまったけれど、60才も過ぎているのだからもういいでしょう。今まで私はいろんな人にバレンタインデーにチョコとエッセイを送ってきた。本チョコ、義理チョコ、いろいろ混ぜて、でも義理も送る段になれば、本チョコレート。

これからも送るけれど、いつだって勇気がいる、初めは義理チョコなのに、だんだん気持ちが本チョコっぽくなっちゃって、郵便局や宅急便では手続きするのに汗タラタラ。なんて自分は正直なんだ。もう来年は辞める!といって三千年。無邪気にしていてもいいのですが、どこかでもう一人の自分が「いい年をして」と言っている気がする。

私はきっこが以前書いたドラえもんの誕生日や今度の「幸せの分かち合い」を印刷して彼女の出版した本といっしょにしてとってある。そして私も、自分を親孝行な娘だと自負していたが最近は親の面倒をみることも大変で、きっこを想像すると、杞憂してしまうこともある。

しかし、生まれついての文章力の才能がきっと自分の道を開くだろう。文章の展開の面白さは、難しい、いやなことを扱っても、平易な言葉とユーモアでぐいぐいと引きつけてしまう文才は絶対凄いと思っている。

けれど、インターネットはリアルに迫っても、霧に包まれているほうがよさそうな時もあるようで、私も今までに書いた「きっこに会うなら、こんな町で」、「ドイツの誘惑@きっこに会うならこんな町でⅡ」に続いて今日の日記に想像の写真を載せます。「きっこに会うならこんな町でⅢ」(写真はシュトッツガルトのマルクトの花屋さんの前)結構気に入っている写真です。

きっこさん、どうもありがとう。あなたの幸せも祈っています。

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2009/10/11

金木犀とシクラメンと沈丁花のかおり

2 10月上旬から、金木犀が甘くかぐわしく咲いている。かつて、わが娘たちと金木犀の木の下でオレンジ色の絨毯のようになった花柄を集めて香水を作ろうと色水遊びをした。希望が丘に住んでいた時のことだ。3歳の次女はその時に金木犀を触った手で目を掻き、眼の中の角膜が腫れて、魚の目のようになってしまった。香水を作ると言いはじめたのは、母親である私が考えたことだと思う。

私はその目にびっくりして慌てて、とりあえず実家の近くの眼科の先生のところに行った。夫が運転する車の中、碑文谷の環七の交差点でこわごわと、彼女の目を見たことを今でも思い出す。休日にもかかわらず見て下さった先生が眼を洗浄し、薬を塗って、その日のうちに治った。

これだけ年月がたっても、毎年金木犀が香るとあの日のことを思い出す。

もうひとつ金木犀の香りをかぐと思い出すことがある。それは私自身のどんな年になっても思い出す記憶になるのだと思う。私たちの結婚式は11月半ばだった。そこでその年の10月初めの金木犀は結婚する前の甘い、切ない心模様を思い出すからだ。結婚までのあと2か月もない時期を一緒にいたいと思う、そんな気持ちが金木犀の匂いに象徴されている。人を心から愛した人だったらわかることだと思う。どうもこの世にはそれをわかっている人は少なそうだから、ここで私が言うことはちょっとためらわれる。しかし、もう言い始めてしまった。これを言ったからといって世の中がどうなるということでもないが、金木犀の匂いに促されて言いたくなったことは確かだ。

我が家ではその金木犀の事件が起きる2年ほど前に「シクラメンのかおり」事件がある。布施明の「シクラメンのかおり」が流行っていたころだ。シクラメンは私にはどんな匂いか分からない。匂いはない気がする。

そのシクラメンの匂いは歌詞としての思い出になった。それは夫と喧嘩をした日の思い出だ。私に喧嘩の履歴があるとすると、そのほとんどが私の性格に起因することが約40年たってわかってきた。私の理想的な気持ちが高揚して、相手が違うと感じると拒否反応として喧嘩が起きる。夫だけでなく、友人たちとの軋轢もそうだった。相手はもしかするとたまったものではないのだろうけれど。それを理解してくれる人が長続きしている。人数は少ない。

「シクラメンのかおり」事件の原因は何だったかは忘れた。30年も前だからね。でも、小さなリビングの小さな黒板に次女の粉ミルクの調合の仕方を書いて、お財布を持って家を出た。そして、希望が丘駅近くのスナックで、その頃流行っていたコークハイを何倍も飲み、生まれて初めてジュークボックス、これも流行っていた言葉だが、お金を入れて、「シクラメンのかおり」を聞いた。それでフラフラになって家に帰った。その途中には、電車の線路のわきにその後のあの金木犀事件の木もあった。蛙がゲロゲロ鳴いていた。夜になると相鉄線の踏切の信号が鳴って、狭いながらも楽しい我が家だった。若い頃たくさん喧嘩をしたけどほとんどわたしが仕掛けた喧嘩だった。

ところで秋の金木犀に対して春の沈丁花も匂いの強い花だ。じつは沈丁花にもちょっとした思い出がある。もっとずっと昔、中学生の頃、つまりはトキワ松学園中学校にいた頃、お友だちと沈丁花を<ジンチョウゲ>と呼ぶか、<チンチョウゲ>と呼ぶかで、賭けようということになった。当時学校に来ていた、五本木ベーカリーのハムカツパン1個を賭けた。皆で図書室に行って調べたら主に書いてあるのがジンチョウゲということで私が勝って、ハムカツパンを貰った記憶がある。他愛もないことだけど、自由な風潮の学校であった。それよりも旺盛な食欲の時代だったと言いなおしたほうがいいかもしれないが。母の作ってくれたお弁当を平らげてのハムカツパンだ。

私のお気に入りに入れている<暦のページ>には金木犀は10月10日の誕生花とある。そういえばこの間、次女といっしょに歩いていると金木犀が匂い始めていた。しきりと目が痒いと言っていた。わたしもこの時期にはよく眼が痒くなる。

そして私には花や木に関する記憶や、思い出がたくさんある。それが私の環境だったかとも思う。

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2009/10/06

大切な人からのお祝いメール

10月4日は「あとりえ・チビッコ」の5周年の日だったが、大安だったせいもあって、おめでたい気持ちで、一日を過ごした。夕方、パソコンのメール欄になんと、「きっこの日記」のきっこさんからおめでとうのメールがありました。うれしい気持ちとびっくりの気持ちで、舞い上がりそうでしたが、こういうときは一晩寝てから。そして、きっこさんから了解を得て、このメールをご紹介します。

恵子さま、「きっこのブログ」のきっこです。

このたびは、「あとりえ・チビッコ」のブログ開設5周年、本当におめでとうございます♪心より、お祝い申し上げます。ひとことで「5年」と言っても、義務でも仕事でもないことをコツコツと続けて行くのは、とても難しいことです。今は、パソコンの知識などなくても、誰でも簡単にブログを始められるような時代ですから、毎日、数え切れないほどの人たちが、何の考えもなくブログを開設しています。しかし、そのうちの9割の人は、わずか1ヶ月も続かずにやめてしまい、1年続けられるのは100人のうち4~5人だと言われています。ですから、恵子さんが5年間もコツコツと続けて来たというのは、100人のうちの1人どころか、数百人のうちの1人なのです。これは、本当に素晴らしいことです。

あたし自身、もう9年も続けて来て、来年で10年目になりますが、最初の5年は、何度やめようと思ったか分かりませんでした。でも、それが、自分の感覚が変わったからだと気づいたのです。最初は、「誰かのために」ではなく「自分の楽しみのために」と思って始めたWEB日記だったのに、いつの間にか「読みに来てくれる人たちのために」という義務感のような気持ちで書くようになっていたのです。

そのため、日記を書くことが重荷になってしまっていたのです。そのことに気づいたので、6年目からは、初心に戻り、「自分の楽しみのために」という気持ちで書くようにしました。そうしたら、それまで重荷に感じていたことが嘘のように、日記を書くことがとっても楽しくなって来たのです。まるで、恵子さんのところの子供たちが純粋な心で絵を描いているように。

やはり、どんなことでも、「三尺の童にさせよ」という芭蕉の言葉のように、迷った時は子供の純粋さをお手本にすべきなんだと気づきました。もしかしたら、恵子さんは、子供たちの純粋な感覚に囲まれているから、常にマイペースで楽しい日記を続けて来られたのかもしれませんね。

これからも、バラエティーに富んだ楽しい日記を楽しみにしていますので、恵子さん、無理のないように、自分の歩幅でのんびりと続けて行ってくださいね♪

きっこ拝

私は「きっこの日記」を耐震偽装問題の時から「知のヴァーリトゥード」を通して知った。きっこは病身のお母さんを支え、ヘアーメイクの仕事をして猫を可愛がって暮らしている。いつも、政治の世界や私の知らない新しい世界を紹介してくれる。多分きっこの母さんと私と同世代だと思う。私がきっこから学ばねばならないのは、調査し勉強し、勇気を持って言葉にしていく作業だ。そのほんの欠片でもがんばりたいけど、きっこさんもメールで言って下さったように、自分の歩幅で進んでいこうと思います。

きっこさんメールありがとう!これからもよろしくご指導ください。ブログ「あとりえ・チビッコ」は、これから6年目に入ります。

10月7日午後9時:追記

なんと、「きっこの日記」に紹介されて、アクセス数が600人を超え1230アクセスを超えようとしている。夢を見ている。ホッペ、ツンツン、痛い!夢じゃない!

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2009/10/02

ほかりあかねさんのコンサート

今から15年くらい前にあとりえに来ていた、ほかりあかねちゃんがコンサートをするそうです。11月6日に≪青山月見ル君想フ≫で初のワンマンライブをするそうです。あとりえチビッコの30周年のお祝いのときに集まった面々も時間があったら行ってほしいですね。(若干訂正)

この連絡があったので昔の資料を集めていたら、「第一回の森のアトリエ」の写真を探しました。デジカメでないので、すぐブログに載せられないのですが、その時参加した、久米真紀子、伊賀雅子、横川リサ、そして、保刈あかねちゃんがカメラのほうを見て笑っている。なんだか先生うるうるしちゃいました。川上村に来る時、中央線を小渕沢で乗り過ごしてまた戻ってきたりしたのよね。子供たちもそうですが、お母さんたちの顔が思い浮かんでより懐かしい気持ちになりました。あかねちゃんは展覧会の絵では、「ある日の夕食」を描きました。鯛とオムレツとご飯とみそ汁、自画像はケーキ屋さんになりたいと描いていました。

あとりえでは今でも学校の勉強の成績が上がるような指導もしていないし、予定表での子どもたちの様子を書いた連絡で、時々展覧会をするほどの、コトではありますが情操教育の一環として、また子どもの健全な成長を助けようと頑張っているわけです。真実は先生の若さと美貌とカリスマ性に寄るものが大きいと私自身は思ってもいますが。ただ単に近くの原っぱに来た子どもたちにバッタの取り方を教えるのが一番の楽しみかもしれません。

冗談はさておいて、このような先生を選んで習わせてくださったお母さんとお父さんとご縁があったのだと思います。

ほかりあかねワンマンライブ  moon1青山月見ル君想フmoon311月6日fullmoon
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「みんなきてくれるかどきどきですがぜひ応援しに来てほしいですたのしんでもらえるようにがんばります」 あかねちゃんメールです。

あかねちゃんのHP AKANE [魔法のⅰらんど]

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2009/09/22

彼岸の入り・お萩・お中日・母から聞いたこと

Kawakami090920m お彼岸の日にちがいつから始まるのかいつも分からなくなる。お墓参りやお寺さんとのことを親に聞いてすることから、聞かないで自分たちがする歳になった訳だ。まだ母は何とか頑張っていてくれているから、「いつから?」と聞いてもいいが、あまりに頼りない感じも良くないと、ウィキペデイアで調べた。20日がお彼岸の入りだ。そして23日がお中日だ。そして秋分の日だ。いつもお彼岸の少し涼しくなった台所で母があんこを煮てお萩を作っていた。そしてそれをおつまみする父がいた。それは以前のブログにも書いた。

もう都会でも秋が来たし、ましてやここ、八ヶ岳東山麓は完全な秋だ。晩秋から初冬への移ろいは白樺の落ち葉がバロメーター。そして鹿はまたしても、わたしの好きな花の芽を摘みとるように食べて行った。今度は畑だけでなく家の周囲も囲いの棒やネットを打ち、張らざるを得ない。ユリの球根も、チューリップの球根もやられた。

Kawakami090920 だが、山小屋に着いて荷物を車から出し始めるとヒューンという声がすぐそこでした。鹿も食べなければ生きていけない。昨日、今日と鹿への対策もしたかったが、白樺の根元にある家へのアプローチの道が凹んでくれてきたので、フランス産のチップスを撒いた。いい感じにできた。

さて、ここまで書いていると、中央道の渋滞が減ってきたという。もう少し言いたいことがありそうだが、帰りの支度をしないと。では。今日はここまで!

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2009/09/07

うれしい忙しさの中のカマキリ

忙しくてブログが更新できなかった。選挙の結果、民主党が大勝し015_2 たので、新しい風が吹い てきそうで、なんだか嬉しい。きっと新しい風が吹いてくると信じたい。私のカテゴリーの政治経済の欄にはわずかな記事しかないけれど、良いと思ったことが叶ってきたのだから、それを信じて応援したい。

9月3日にはドラえもんの誕生日のお祝いをし、重ねて新しい風に乾杯した。お気に入りの手巻き寿司には川上村で育てたバッタの食べ跡付きのシソの葉をふんだんに盛った。あとりえの教室の日だったのでケーキはスポンジを出来合いで、生クリームも撹拌済みで、イチゴがなかったので無花果とキウイで飾った。

また5日には来客があるので布団やシーツを洗濯して干すと、ミント026 グリーンのタオルケットにカマキリがいて、わたしのほうを見ている。カメラを取りに行く間に隠れてしまった。探すとフェンスからニョッキリと出てきた。ほんとに夏の終わりにはカマキリとよく会う。

冷蔵庫にまだ無花果とキウイがあったので、甘党の友人のためにまた同じケーキを作った。今度はトッピングを良く計算して、きれいに飾った。1_2 生徒のおばあちゃんがお庭で採りたてのブルーベリーをジャムにしたものをくださったので、それを飾りに中に入れてみた。ケーキは時間が少したったもののほうが味がしっくりとなじんで美味しくなっていた。

さて今年の夏もかなりたくさんの本を読んだけれど、「銀シャリ」「あかね雲」と続けて山本一力のものを一気に読んだ。寿司と豆腐にかかわる小説だ。結構暗さが感じられたが、時代物も現代の投影だから心に入り込んでくる。暗い小説を読んだ後は現実が明るく感じられる。

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2009/08/21

紫蘇ジュースの作り方を教わる

Ajiitiban 昨日、一昨日と2日間にわたったあとりえを集中的にしたため、少し疲れていた。そこで今日は美容院に行って髪をマニキュアし、お昼は我慢してプチ断食にしようと思った。けれど!大倉山商店街の中華料理「味の一番」の前を通ると、昔子供たちがいた頃、よく出前をとったことを思い出してフラッとお店のガラス戸をあけてしまった。

昔よく来てくれたお兄さんが店を取り仕切っていた。と言っても時間が2時少し前だったので、誰もいなかった。もう休憩時間ぽかったのだけど、お兄さんはお願いした五目そばを作ってくれた。

食べ始めたら、店の主人である、おじさんが出てきた。確か長野出身と聞いていたが、高遠の桜や、梅干しの話になり、この横浜の暑さが叶わないとも言って、店の奥に入っていった。カウンターで何かごそごそっとしていると思ったら、紫蘇のジュースを作ってくれた。飲んでみるとすごくさっぱりとして美味しい。

作り方は紫蘇が出回っているときに一束を葉だけしごいて取り。一升ぐらいの水で煮て、あとでその中に氷砂糖を好みで入れるそうだ。ビンに入った原液は甘く美味しく、ソーダで割った紫蘇ジュースも爽やかで健康的だった。私も作りたいと思ったが今年は時期的に無理だろう。

ブログを見ている皆さんにも教えたくなったので携帯で写真を撮った。シャイなオジサンはこのブログを見たといったら紫蘇ジュース御馳走してくれるかもしれない。横浜150のメニューがあったので、夏休みの大倉山商店街のねらい目かもしれない。

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2009/07/23

皆既日食と飛行機工作

Bp7227304Cp7227305Dp7227306 昨日はあとりえ・チビッコでは夏休み前半の工作である飛行機作りをした。先週の曼陀羅模様の時に教えた色彩の補色についてまた話してから始めたが子供たちは上の空。上の空と言えば部分日食を見たと口々に子供たちはしゃべり始め、高いテンションを、押さえて指導するのは大変と感じた。

この工作で大変なのは垂直尾翼を切りこんでいくのが難しいと思っていた。また割りばしほどの細い木の隙間にスチレンペーパーを通すことが難しいと予想していたが、何人かが切るのに失敗した。失敗を繰り返し、高くなったテンションが少しずつ落ち着いた。

あいか先生が自分のデザインの仕事で忙しく、来られなかったので、芳州先生に飛行機を飛ばす指導を急きょお願いした。ヒナタが最長飛行距離を記録していた。それは切り方も塗り方も落ち着いて要領よくしていたからだ。リサはリホの飛ばした飛行機をすぐに取ってきてくれた。ほんとにやさしい子だ。でも正面切ってそう言うと反対に悪いことを言ったりする。

Ep7227301 本当は色彩のことを言いたかったけど、飛ぶか飛ばぬかの方が問題になってきた。ゴムの回し方や飛ばす角度や力の入れ方をそれぞれが工夫した。体感が大切だ。

そう言えば昨日はきっこのブログで「日食とお稲荷さん」で書いている。小さい時のシールの思い出を語っていた。お母さんと一緒に部分日食を観たと書いていた。その中でやはりきっこは優しいと感じて私の目がウルウルしたところがある。

とにかく、「皆既日食」に限定すれば、今度は26年後だそうだけど、普通の「部分日食」なら、ワリとチョコチョコと観られる。あたしの住んでる東京でも、最近なら、2002年の6月と2004年の10月に「部分日食」があったみたいだし、来年2010年の1月15日にも、日が暮れる間際に「部分日食」が観られるそうだ。2012年の5月21日には「金環食」が観られるし、「部分日食」なら、2016年3月9日、2019年1月6日、2019年12月26日、2020年6月21日‥‥って、26年も待たなくても、たくさん観られる。

そうです。マスコミでは「次の皆既日食は26年先!」の言葉を何度も言っている。そりゃあ、先生だって長生きしてあとりえの子供たちの未来を見て、自分の仕事の成果を実感したい。だから次の皆既日食を見てみたい気もする。でも、ほら、ほら、美人薄命と言うでしょ!だから私には無理な気がする。ショボン!でも、きっこの優しい言葉は何だか元気を出させてくれた。

きっこと同世代のあいか先生は来られない分、子供たちにフルーツゼリーを送ってきた。昨日、子供たちは飛行機を飛ばしながらおやつに食べた。お仕事がんばってほしい。

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2009/07/10

鹿はギボシを食べていった

山小屋に来ている。あとりえで子供たちが描いた≪スイカを食べている自分≫を載せようとしたがUSBケーブルを忘れたので写真をパソコンに入れられない。今6時半だがまだ太陽は八ヶ岳の雲の間で燃えている。そしてシラカバの木を横から照らしている。こうして写真でなく言葉で表現するのも少しだけ快い。

今日の夕食はレトルトのハンバーグをメインにして、サラダ(レタス、ルッコラ、赤カブ、トマト)、付け合わせに黄ピーマンのバルサミコ酢かけ、メークイーンポテトのボイル、たらこスパゲッテイ添え。デザートはグレープフルーツ。トマトとグレープフルーツ以外の野菜はうちの畑で採ったもの。ジャガイモを茹でながら、ポテトサラダをついでに作る。空気がいいから食べ過ぎに注意だ。

今日畑の草刈をしながら、ルッコラを採り、無農薬なので葉をおつまみした。甘みと辛みと香りがえも言われず美味しい。畑を移動しながら、ミミズを取る。私が自宅の冷蔵庫から釣りの餌を忘れたからだ。

敷地の中にはやはり鹿の足跡が残っていた。この間我が家にきた、友人が気に入ったのか、昨夜も鹿がすぐ近くまで来て鳴いていた。朝起きてから庭を廻ってみるとギボシの葉が噛み切られている。また今年もあの薄紫色の花を楽しめないのかもしれない。仕方ない。畑を荒らされるよりはいい。

あっという間に20分経った。夕食の時間だ。

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2009/07/06

犬の散歩は三文の徳

コネタマ参加中: 教えて!あなたと愛犬のちょっといい話

Coco0906朝はハヨから「お散歩♪、お散歩♪、お散歩♪」

梅雨のために地面が濡れていて、散歩がしにくい。中型や大型の犬ならば、水たまりも気にはならないが、愛犬ココはトイプードルなので、水たまりは避けないといけない。

朝の散歩ではアジサイが雨にけぶって美しい。この間は四つ葉のクローバーを見つけた。今日はクチナシが芳しい。実家の梅雨時の庭の匂いがする。

今日、夕方私が美容院から戻るとお散歩を要求して騒ぐ。「お散歩♪、お散歩♪、お散歩♪」 しつけはあまり良くない。長女も次女もいなくなってから買ったので、ネコかわいがりならぬ、犬かわいがりで、しつけが行き届かない。いつも、まあいいかで過ぎている。前飼っていたコロ(マルチーズ)もしつけは良くなかったが。

教育に関わるものとしては良からぬことかもしれないが、かわいがって育てる実験をしているつもりなので、いつか良い子になると信じている。でももう8歳だ。

今日の夕方の散歩では3歳ぐらいの人間の女の子と5歳ぐらいの人間の男の子とそのお母さんとすれ違った。大きな声でおしゃべりしてた。

「小鳥がチヒロ、チヒロと鳴いてるよ」・・・・・・

なんてかわいいこと!と私は思った。そのお母さんはゆったりとしていた。男の子が「僕はちひろ」 「わたちはここ」と言う。「ええっ、ワンちゃんもココちゃんよ」 お互いに座って撫であう。ゆったりとした時間。「お兄ちゃんはアラタっていうの」・・・「そう3人兄弟なのね。」「いいですね!・・・・」

犬の散歩でかわいい子供たちに会えた。教訓!「犬の散歩は3文の徳」 私は子供が好きだ。

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2009/06/28

銀座のウィンドウディスプレイと私の小さな一言

自分の仕事以外の時間がアウトドアのために設定されているので、銀座や六本木のおしゃれな場所に行くことは少ない。華やかな都会にいる自分が願望としてないわけではないが、山の中に向かって車のアクセルを踏んでいる自分の方がしっくりする。

Ginza0906 今日は昔、夫が一緒に仕事をした出版社の写真部の友人たちの集まる会に出かけた。いつも集まると昔の失敗談が聞かれて面白い。お酒の勢いでいろいろしゃべる。笑顔が昔の顔になっている。Ginza09a_2 その会の前に一人で銀座を楽しんだ。昔女子美に行っていた大昔、ウィンドウディスプレィの勉強にと、銀座に行った。松屋の展覧会の会場係りのアルバイトもしていたが。本当はデイスプレイの仕事がしたかった。親の言うことを聞いていた従順な時代だった。

Ginza09c ルイ・ビトンのバックは昔一つ持っていた。シャネルの香水は2種類持っていた。ブランド信仰は私にはない。でもココシャネルの生き方が良いと、プードルにはココと名付けた。御木本パールのデイスプレイの中に造形のスズメバチがいた。川上村で山小屋の周りでぶんぶん飛んでいたスズメバチを思い出した。

そう言えば朝日新聞のbeエンタの≪人生の贈り物≫で作家の髙樹のぶ子がこう書いている。

「年甲斐ってほとんど意識していない。私この年になっても構わずジ-パンはいてるし、ミニスカートはいてるし。年齢による括りではなくて、その人の個性であり、好みであり、そういうもので。だからエイジレスの時代になっていったほうがいいんじゃないですか。」 

「健康寿命はあるけれど、男でもない、女でもないっていう状態って、私不自然だと思う。・・・・・・・・恋心であれ、ときめきであれ、自分は男である、女であるって意識することはすべての感性に通じるものなので、それを閉ざしちゃったら、すべての感動も自動的に閉じてくる。・・・・・・・・」

私もそう思って銀座を歩いていた。お食事をする場所の≪がんこ≫に行く前に教文堂に寄った。「介護セラピー」、「祈りセラピー」(サンパウロ)という本と、「ドイツの根底にあるもの」蓮見幸恵(新教出版社)を買う。Ginza09d まだ、「不干斎ハビアン」釈徹宗(新潮選書)が読みかけであるが、仏教とキリスト教、それとドイツは一緒に考えたい。

アジサイの花が綺麗だった。アジサイはドイツでもホテルの玄関にあった花だ。オランダではオタクサという。シーボルトの奥さん、おたくさんの名前から命名したという。

こうして今年の梅雨もアジサイとともに進んでいく。6月30日が暦では夏越の祓だ。大祓は、罪と汚れをはらい清める神事で、6月と12月の末日行われ、疫病よけの茅の輪くぐりなどの行事が行われる地方もあると、≪こよみのページ≫に書いてある。私たちがドイツに行っている間に母が転んで救急病院に入院したり、その後介護施設に入ったりして1年がたった。

Ginza09b 銀座のアジサイは並べ方が西洋的だった。帰りにもう一度見たいと思ったが、もう置いてなかった。細かな雨が降ってネオンがチリチリしていた。マイケルジャクソン死亡のニュースや、日本の政治の恥ずかしい状態がある。私は自分のブログのカテゴリーの中に政治経済の項目について、書いたことは少ないが、母の介護や教育について考えるとどうしても、この現状が続くことは避けなければいけないと感じている。

今年、ドイツに行っていて、もし日本の政治の状態が映るテレビをみていたら、恥ずかしくて、どうしようもなかったことだろう。というよりは取り上げもされないかしら。だから良いってことはない。typhoontyphoontyphoon今、私の言える小さな一言。私のカテゴリーにはないかもしれないが。世の中が変な方向に行くのが判ってきたなら、それは反対しなければならない。本当の政治をしてくれる人たちに委ねないといけないと思う。

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2009/06/09

小鹿のバンビとアリの歓迎

090608d6月の緑は何物にも代えられない美しさがある。葉の色と空気の緊張感が生まれたばかりの小鳥たちのさえずりを金色の音符に変えてしまう。

その中で私は畑の土を耕し、ジャガイモの芽掻きをし、黒い土を盛り上げ、収穫の日の料理の味を思いながら、うっとりと自然と一体化していた。

そして今回はじめて川上へ来た友人が畑の脇にいた鹿を発見した。私たちがいる場所から8メートルほどの所に小鹿を見つけた。未だかつてなかったことだった。小鹿は1分くらいの時間動かずにいた。痩せた小鹿だった。090607a

090607c

パエリヤと鶏肉、レバーの燻製が今回のおもてなしだった。あっ、塩を忘れた、なんてことはなかった。その夜のデイナーをみんなで食べているときに天井からアリが落ちてきた。始めは1,2匹と思っていたら、足もとに結構いて、お客様も一緒にアリの巣探検!そのうち、アリキンチョールを玄関の壁の穴にシュー!

芳州さんも「こうなったら外に出てやる鹿ない!?」と言って懐中電灯とアリキンチョールを銃のように持って夜の闇に出て行った。待つこと10分、サンダース軍曹は戻ってきた。その後、アリは数えるほどに減った。やーほっとした。

アリと鹿で小学校時代に見た映画を思い出す。一つは以前もブログの中で書いたが「小鹿物語」。もう一つは題名が思い出せないが、ボートに乗っている人がアリで真っ黒になるのだったが。思い出したらまた書きます。≪6月9日記:黒い絨毯でした≫川上ではそんなことはありえないけれど。

090608b

6月の風は爽やかだけれど、梅雨の前後のアリの登場がよくある。それにしても初めて川上にきた友人は鹿とアリの訪問を受けたわけだ。私たちはそのあくる日、友人たちを清里まで送り、戻ってきて野辺山のビックリ市で南高梅を買い、所定の約束どうり漬けてみた。きれいな黄色い色だった。ちなみに我が家のベランダの日除けも黄色。テント用のフライシートを使っている。黄色は紫と同じくらい私の好きな色。

≪6月9日記≫昨夜川上から4時間かけて戻りこの記事を更新していたので、疲れと眠気で誤字が多く失礼しました。そう、ブログって時々、なぜこんなこと書いているんだろうと思うこともある。この時間早く眠って疲れをとればいいのに、パソコンに向かってしまう。その答えは分かっているけれど、今、うまく言えない。

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2009/05/31

私の大切な言葉

コネタマ参加中: あなたのTOUCHING WORD(大切な言葉)を教えてください!

小さい時に、プロテスタントの教会の日曜学校に行っていた時、牧師さんが聖書の一節を教えてくれました。「今日の苦労は、今日にて足れり、明日はまた自ら思いわずらわん」です。

いままで、幾度となくその言葉を心の中でつぶやきました。私は幸運にもいろいろな人に守られて生きてきました。ほとんど苦労もなく過ぎてきましたが、その言葉が出る時はもう本当の苦労が過ぎ去って平穏になっている時なのかもしれません。

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2009/05/14

今日は何の日?温度計の日

Tak1 昨日のおけいこ日には3日遅れの母の日の花束をあいかから貰った。アレンジを大倉山駅前のデルフィで頼んだが、私の好きな花、ブバリアと黄色のバラとガーベラに黄緑のカーネーションが組み合わさっていた。

今日は暦のページによると、温度計の日だそうだ。そして今日は私の弟の60歳の誕生日だ。

小さい時はお友達を招いて良くお誕生日をしたが、大人になってから落ち着いて誕生日を祝うことなどなかった。母の介護で頻繁に連絡が必要になり、今回はお誕生日をすることにした。還暦でもある。今弟は新しい仕事のプロジェクトを立ち上げている。うまく成就してくれればと応援の気持ちもあって、今日は私もあとりえが終わったら、急いで都心に出かける。

思い出せば、私は弟をとてもかわいがった。でも母に聞くと、弟が生まれたばかりの頃に寝ている弟の耳にかみついたことがあるそうだ。それは私が2歳の頃のことだから覚えていない。でも正直言っていつも弟を、母に可愛がられてうらやましいと思っていた。若干の激しい気性はそのころあらわれていたともいえる。

今朝犬と散歩しながら、自分の記憶をじーっとたどっていったら、胸の奥の方にそんな記憶のかけらがころっと、石けりのかけらのように出てきた。良く見るとそれはうちの実家の前でしていた≪いっけにけ≫の時のお気に入りの石のかけらのようでもある。

たぶんそのかけらのことが今日の会での話のネタの一つになるだろう。それよりも、きっと、弟の大事にしていたボブディランや、ジョーンバエズの話になるのかもしれない。いやーそれよりは海外での連戦練磨の民間外交の話でしょうか。それとも慶応経済学部の話でしょうか。麻布中高の友人たちの最近のことでしょうか。予約したレストランAが音楽が流れる素敵なところなので私も楽しみ。

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2009/05/12

連休と蟲師と人の命

長野から戻ると自宅マンションの通路に消防自動車と救急車がいた。何事かと思い、住んでいる人の顔を思い出して、どなたがあの担架に乗るのであろうと心が痛んでいた。我が家のマンションはもう30年も住むため、始めから住む人や、子供会、自治会を一緒にした人の何人かはよく知っている。

あくる日の昼に玄関で、Iさんの息子さんとご主人に会う。やはり奥さんが救急車で運ばれたことを知ったが、もう亡くなられたことを聞いた。何と言って慰めたらよいか分からなかった。連休前にやはり玄関で息子さんにお会いした時、買物の袋を持っていて、お母さんが具合が悪いと言っていた。その時にお見舞いをしておこうという、予感めいた気持もあったが、実家の母の老健への移動とその後の私自身の疲れのため、躊躇していた。ひと月前位にお会いしたのが最後となった。息子さんは母の日にお母さんのお葬式をした。

話は戻って、きっこのブログでは、連休中無料動画Gyaoで、「蟲師」を紹介していた。私はときどきGyaoの映画を見ている。アニメは初めてだったが連休後半に見てみた。絵がシンプルではあったが、オドロオドロしさに引き込まれて4話を続けて見た。漢字の象形文字,あるいは表意文字が絵に生かされているようで、あとりえの指導のヒントのアイデアをいただいた。病気や病のもとは心の中がきっかけになっているのかとも考えたけれど、私が今までに見た映像の種類の中では異質な感じがしてもっと見ないと感想が書けない気がした。

寝言と会話してはいけないとか、夢が枕を通してやってくるとか、雪が降る中で、音を食いつくす虫など、森の中の自然の中に頻繁にいると何となくそういう言葉が信じられる感じが理解できた。感覚的なことなのだけど。そして、おばあちゃんが孫を大切にしている気持ちを表した「緑の座」が印象的だった。それを明快に私の言葉で説明ができないが、面白いアニメーションだった。そんなに深く考えないで「面白い」でいいのかもしれない。

そんな気持ちを持って川上から帰ってきたのだが、着いた日の消防自動車と救急車に続いて、また3日後にも消防自動車と救急車が我が家のマンションに来た。10日の日曜日の夜のことだった。

今度はどなたが具合が悪いのだろうと思っていると、その肝心なおうちは昼間異臭がしたと言う。またいろいろな情報も錯綜していて、ますますマンションの住民は≪家政婦は見ていた≫状態になった。そして、私も気になるので時々覗いては、≪家政婦は見た状態≫になっていた。そのうちパトカーまで来た。だんだん事情が読めてきたが、そこに住んでいる体調を崩した女の方が亡くなっていたらしいと思っていた。

そして、私はあくる朝に犬の散歩中、亡くなっていたのは男の人だったと言うことを知った。

散歩の道のくさはらを右に折れて、マンションの日の当たるベランダ側に回れば、何事もないように平和な家庭が80戸ほどウサギ小屋の如くコアを成す。私はそうは思ってはいないが、ウサギ小屋と言って謙遜しておこう。でも好きな場所だから30年も住んでいるし、特別問題もなかったから30年も居られたのだけれど、今、マンションの後ろに回ると、ブルーシートにその家近辺は覆われている。その階段には進入禁止の黄色いひもが渡されている。この連休明けの緑色濃い皐月の季節のはかない出来事だ。ちなみにはかないは漢字で儚いと書く。にんべんに夢だ。夢の字を蟲師の中では、草で表意していた。草冠だからね。平和で、何事もなくいられるのが幸せなのかもしれない。

ところで、この出来事はいつ説明がなされるのだろう。どれもこれも個人情報なのだろうか。連休明けの日曜の夜に160軒近い家の住民が騒がしい思いをしていても、事件性がなければそのままになってしまうのだろうか。警察は何らかの説明をするのだろうか。ちなみに現在では階段のひもも、ブルーシートも取り払われて、窓も閉められていて、異臭はしない。

まずは Iさんの奥さんのご冥福を先に祈ろう。

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2009/04/20

野毛山動物園写生会は無事終わりました。

2年に一度の野毛山動物園写生会を無事終えた。レッサーパンダのお食事は笹の葉、ライオンは静かに木の台で寝ていた。オラウータンやゴリラの周りの池にはオタマジャクシがいっぱいいた。トラはうらの檻から見た。以前いたゾウの檻にはベンチが並んで日だまり広場。

エリマキキツネザルは金属系の音がすると、ギャー、ゴアゴア、ギャーゴアーと鳴く。そして面白いのだけど、落ち着かない動きをして、絵を描くのには困ったモデルだ。キリンは大きくて、模様も描きよくて、最高のモデルさん。

ツキノワグマは動きがなくて観察のみ。白いクジャクが池の近くで白い羽根を大きく広げて「わたしきれいでしょう!」とファッションショーをする。その池のそばで11時20分ぐらいに昼食にする。

食後にはなかよし広場で子どもたちはモルモットやひよこやネズミと遊ぶ。25センチほどのお座布団を使って動物を移動したりする。あとりえチビッコの子たちが動物を独占しがちだったので注意しながら遊ばせる。手をしっかり洗ってデザートのアイスを配る。知らない子がアイスを持っていこうとする。芳州さんがあとりえの子と思って渡したからね。。「ごめん、知らない子よ、返してね。」

集団で子供たちがどこかに行くことが、年々大変になってはいるが、動物園に連れ出すことは大切に感じる。野毛山は動物の数は少なくなっているが、身近で動物を観察できるのでそれも大切なことだと思う。作品の描き方は時間も少なく、移動しながら描いているので、まとまりもなく雑然としているが、あの場所に行ったことは何か別の形で作品に反映することもあると思う。ミズキちゃんがキリンなどでいいデッサンが描けていたようだ。

ところで、途中の桜木町で大道芸のパフォーマンスを見ることができてラッキーでした。カホママ、ハルキママ、リホママ一緒に引率ご苦労様でした。

私は子供たちの安全に注意を払っていたので、デジカメはわずかしかとれませんでした。とにかく無事帰りました。

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2009/04/16

今日は私の誕生日

昨日の朝、川上を出て、ETC通勤割引の時間で戻った。休む間もなく写生会の保険を頼みに行ったり、母の介護施設での知人のフルートコンサートを考えたりした。川上で使った農作業関係の筋肉痛は車の運転でプラマイゼロ。ただ茂みの藪こきで、薬指に薔薇の小さい棘が刺さり、虫眼鏡で取ろうとしても取れず、そのままにしておくと飛び上るほど痛いので、定期的に消毒しカット絆を巻いている。

今日は素晴らしく良い天気の朝で、こうした日が誕生日なのがうれしい。

朝から好いことがあった。この間のあとりえでのモチーフの筍を買った大倉山レモン通り商店街の≪八百芳≫のおじさんに、子どもたちが描いた筍の写真を預けておいた。その中で気に入った絵があったら選んで置いてと言っていたのだが、二人の子に採りたてタケノコがプレゼントされた。そしてもう一つは私にくださった。そこで健太が2枚も描いて頑張ったので、あとの一本は健太にあげることにした。

今夜はそとで誕生日をすることにした。新横浜のツバメグリルでスパークリングワインを飲みたかったので、それに合わせてメニューを選んだ。ほとんど少量のおつまみだ。7時までに注文すると、ハーフサイズのおつまみが約半額だった。これはちょっとバースデーっぽくないセリフ。ニシンの酢漬けの下にザウエルクラートとホワイトチーズの和えたものが添えてあり、それは美味だった。ツバメグリルで北欧風のオードブルを食してから、少し家に近く戻って、高田屋の蕎麦を食す。黄色いコサージュを持って、62歳の誕生日を謳歌した。

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2009/04/12

山に来ると、また早春がやって来る

Kawa090412y昨夜川上に来た。中央道の長坂インターを初めてETCの1000円表示で降りた。

山小屋近くの森の脇道に小さい鹿を見る。車のライトに照らされてすぐシラカバ林に入りこんだが、私たちが車を止めて懐中電灯の明かりで合図を送ると、こちらを見て動かない。

ああ、また私たちのそばに来ているのね、先週に芽が出たチューリップは食べられたのかしらと思う。

今朝ココと散歩のときに、チューリップは健在。私は芳州さんのマネをして地面に這いつくばって写真を撮る。Kawa090412そのそばでココも這いつくばっておしっこをする。

そしてあとりえの子供たちは今週、新筍を描いた。いい作品が描けた。山に登るとまた、季節が戻って早春が来る。秋はその逆に山から都会に戻ると秋が来る。川上村に今桜は咲いていない。桜は連休ごろに咲く。季節を逆行するのも贅沢な幸せ。

昨日は長坂インターを出て、キララで食材を買いに寄ると、外がビニールを燃やした匂いがした。また中央道から八ヶ岳を見ると霞んでいた。また妙な煙の出ているところもあったので、朝インターネットで調べると、山梨の須玉と勝沼の2か所で山火事があったと出ていた。須玉ではタイヤも燃えたそうだ。そういえば朝6時ぐらいに上空を自衛隊のヘリらしき機体が3機飛んで行った。

そこで、今日午前中は農作業を兼ねて、ススキの刈り込みをした。枯草を片づけておきたかった。汗をかいて農作業をしながら青い空を見ると、「シラカバ~青空~南風~」のフレーズが口からぽろっと出る。演歌は苦手だが風の温もりは心を解放させる。

お昼に筍ごはんを食べてから、ひとりで清里大橋を渡り、花松園に行く。途中の清里の牧場の林縁に鹿が数頭いたのを確認。道路が坂道になっているのでスピードが出るのでわき見は禁物。

石灰や乾燥牛フン、堆肥など20キロを超える重さを車に積む。山吹の苗木を買う。大切なジャガイモの種イモも買った。今年は北明かりとメークインにした。連作を嫌うので去年と一昨年、全く作らない地面があり、その場所には今年は作ることができる。北明かりは初めてドイツのアウグスブルグで知った。そのずっと前にハーメルンで食べて、バターで黄色くなっているかと思っていたがジャガイモの一種であると後で知った。

Kawa090412b 山吹の木はこちらに来る途中の森の中にもたくさん自生している。以前3本ほど失敬してわが庭に植えてある。あえて買うことよりまた採って植える方がいいとも考えたが1本の木を買ってそれがある程度になるのを待つより、早く我が家の春を黄色い色で飾りたくなったからだ。

母が小さいときによく太田道灌の話をしてくれた。

「七重八重花は咲けども山吹の蓑一つだに無きぞ悲しき」太田道灌は武士であり歌人だったという。私はいつもその話を聞いているとき、その娘の立場になっていた。私は小さい時はさっと無造作に道灌に渡す自分を想像していた。大人になって茶道を習っているときに目黒の先生のおうちの庭でその花を見つけ、また掛け軸の脇に活けてあるのを見た時は茶道の作法の渡し方で道灌に渡す自分を想像してた。

道灌が雨が降ったので、雨宿りをし、貧しい小屋にいた娘が山吹を一枝手渡し、この句を言ったという。蓑は今でいえばレインコートだ。いくら私が今、思い出してもそのころに外見は戻りはしないけれど。心は戻る。

黄色は森の中で光が差し込んでいるような印象がある。この季節に黄色い花は多い。私が生まれた日に近づく四月の上旬が四季の中で一番好きだ。そして黄色もいろいろある色の中で一番好きかも知れない。この山吹はたぶん連休の後に咲くだろう。

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2009/04/06

朝日新聞4月5日の社会欄の一記事に関して@今日は清明

今日は暦では二十四節気の一つ、清明で、清く明らかなこととある。桜も遅めの満開、あたたかと言えど地面近くには冷たい空気も漂っている。そしてあと10日もすれば、私のxx才の誕生日になる。こんなに気持ちの良い朝に辛い記事を見つけた。

今日(45日朝刊)の朝日新聞社会欄に

息子自殺―なぜ」痴漢容疑で聴取の23歳、「すべてがめんどう」メモ残しとある。

こうして木の芽どきになると、少しおかしい人も出てくる。そういう私も陽気な空気に愛犬ココとお散歩しながら、ジャズダンスの振り付けを思い出し、くるっとまわってしまったりする。誰もいないかを気にもせずにやっていると、シラッと通り過ぎる人もいて、「あー、またやちゃったかな。」と反省。そんな季節でもある。

新聞の記事ではその青年の友人や恋人、会社の上司が彼の日常を伝えている。まじめな人だとあった。

私の親しくしていたご近所のお嬢さんが駅の自転車置き場で痴漢に遭い、上半身を触られたことがある。私はその時、警察に電話し、いろいろ質問した。結局抵抗して闘うことより逃げることを教わった。またある時はアトリエに来ていた女の子が同じような目に遭ったと聞き、子どもたち全員に笛を首から下げて持たせた。助けを求める大きな声が出せなかったからだ。

昨年私は41日に≪ あるセンサーの開発 ≫という記事を書いている。もちろんそれは41日のエイプリルフールの記事だったのだが、そのことをもっと社会で働く男性は本気で希求してほしいと思う。結局自分の身の潔白は証明できないのだと思う。だから私が言ったように痴漢感知センサーが必要だと思う。もしくは嘘発見器をつけて時間を遡って証明する。携帯にそれをインストールしておけば、センターがデーターを出してくれる。以前書いた時はそれを爪に装着しておけばいいと言った。日本は人口密度が高い。電車に乗ったらいやでも人と触れ合う。

新聞の記事に戻ると、その最後に、若者の父親がその女子高生に手紙を託したという。そしてその親から、

《 ・・・・この部分は私の美学上書きたくないので、新聞を購読の方は新聞を読んでください。・・・・・男のイヤホンを取ったら、へらへら笑っているだけだったのでけりを入れた 》

けりを入れることができるほど強い女の子と、自分の無実を証明できずにビルから飛び降り、逝ってしまった男性。

この記事と、その女子高生の親の話の聴く方法と、その子自身がどう言ったかの詳細は分からない。

女子高生の立場になったら、気持ちが悪くて許せないことに違いない。また仕事に熱心な男性の立場で言えば,電車の中で寝ぼけていたかもしれない。自分自身を釈明することに気がつかないほど追いつめられたのかもしれないし、自殺することでしか解決法を見いだせないほどに疲れてしまったのかもしれない。死を選ぶことが負けだということを教えられていなかったのか。死ぬほどにがんばればなんとかなるのに。そのために生きる方法として勉強をしてきたのではないのか。、

だから、ここで、より客観的な痴漢感知センサーの開発が待たれる昨今であることには違いない。

そして私は子供たちに絵を描きながら教えることがある。書いた線が嫌いだったら消しゴムで消せばいい。描いたクレパスが失敗だったら別の色を塗るか、違う形に塗りなおせばいい。描いた絵が嫌だったらスケッチブックから切り取ってもう一枚別の紙を出せばいい。これから生きていくうちに嫌になることがあっても死んではいけないと。

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2009/04/01

介護はロボットに任せた

母の介護施設から移動の勧めを受けている。1年は大丈夫という説や3カ月までで移動という説がいろいろ入り乱れて、こんなに元気なKEICOCOも心にダメージを受けて鬱になりそうだ。もうすでに鬱になっている人は親の介護に無関心でいられていいなあと声を大にして言いたい。

こんなにまじめなKEICOCOが鬱になったら子供たちを守れないじゃないか。そこでここ一週間考え続けて、遂に今日介護はロボットに任せることに決めた。金属を扱う会社に依頼して、まあ、マテリアルな会社ですが、そこで、介護のノウハウを現場の人に直接そのロボットに指導してもらった。一週間でできたことが何だか変な感じもするが、昨日試作ロボットに対面した。これは親の介護をしている団塊の世代の朗報となり、なおかつ自分たちの将来を明るくすることにつながる。

とりあえず、どんな仕事をしてくれるのかというと、介護施設で記入された身体精神アンケートの内容に合わせた仕事の内容になる。お食事を自分でできない人にはスプーンで食べさせてくれる。一つの惣菜だけでなく、甘辛を理解して口に運んでくれるようにプログラムされている。衣類を着せること。トイレの世話、投薬。また介護の一つには話を聞くという非常にレベルの高い反応も求められる。

「あの食事のときにいつも、前に座っている人がいじわるするのよ。何でじっと見つめるのかとか、見てもいないのにしつこく言うのよ。」と、母が言った時に、私だと人間ができていないので、「またそんなこと言って、誰もそんなこと言うわけないでしょう。おばあちゃんの気にしすぎよ。」と言ってしまう。だが今母の入っている施設の介護福祉士の人たちは、「そんなことは僕たち分かっているからね、心配しないでいいからね、今度時間があるときにゆっくり聞いてあげるからね」と答える。

ロボットにそこまでできるかと思ったが今相談している開発部長のKO氏は何とかやってみましょうと快諾してくれた。ここんところが一番のネックだったから、私もとても心配だった。昨日その試作ロボットに、とりあえず私の悩みを聞いてもらった。「最近夫がとてもうるさいの、どうしたらいいかしら、特に消しゴムとかボールペンをどこかに持って行ったってことを言うのがしつこくなったの。」「それはKEICOCOさんが本当にどこかに持って行ってしまっているんでしょう。自分用にご主人と同じものを袋に入れて持ち歩きなさい」 図星の答えに、納得。もうひとつ質問したけど、ここには書けません。

また前述の母の質問と同じ質問をすると、「認証が一致しません。質問者が違います。」と言う。すごい。なんだかわかんないけど。すごい。

今日私は介護施設への書類の作成は止めにして、介護ロボットを母に見せに行く。もう名前は決めてある。アトムだ。でももしかすると母はヒサオがいいと言うかもしれない。そうしたらその時はヒサオにする。ところでそのアトムは特別にお姫様抱っこもしてくれる。金属だと体に当たって痛いので、クッション材が金属部分からエアバックのように出てくる。それは自動車会社のノウハウを活かして作ってある。これはいっぱい作ろう。次世代の子供たちに負担を強いないために。

もちろん私は年取った母の介護に当たってくださる医師、介護福祉士、介護職員の人たちへ、常に尊敬と感謝の気持でいっぱいだ。だがしかし、構造的におかしいところ、無駄がある。それは年末になると道路の工事で、道を穴だらけにするやり方と同じ感じがする。あっちこっちに移動することで書類が作られ、どこかがお仕事したことになる。何も創造的でなくて、どこかその場限りの無駄だ。

介護ロボット≪アトム≫は第一号が我が家に導入され、2号はいずれ目黒区に寄贈となり介護職員の休日を増やすことになるだろう。

追記:ちなみにこの記事はエイプリルフールですから、お分かりですね。私の知人でやはり親の介護に携わっている方がこのロボットを購入したいと連絡がありました。もう名前を決めてあって、ウランちゃんだそうです。フフフ。 ちなみにこのブログでのエイプリルフールはカテゴリー≪4月の馬と鹿≫でお探しくださるとよろしいかと思います。

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2009/03/02

業務連絡@無事戻る

先生は無事ドイツから戻りました。今までにない経験や一緒に持っていった本の感想などを書きたいです。ドイツの子供たちは元気でした。そしてまたウィルヘルマ動物園にも行ってきました。

留守中の事務的な処理すべき用事があり、これからもう一山お仕事を抱えているのでがんばります。でもはるかかなたのドイツでも子供たちのことを考えて画材など買っていました。いいパステルがあったので重たかったけど持ってきました。春の花やデザイン的な表現にもあいそうですよ。

向こうではじめてお腹を壊したのは大誤算でしたが、一日プチ断食をして今は治っていますから安心してね。

明後日のおけいこの時にはみんなにおみやげを渡します。ドイツらしい日常品です。

ヒント:ババンババンバンバン、ババンババンバンバン~~~~smile

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2009/02/15

父を思い出す大瀧詠一の≪カナリア諸島にて≫

2009年のバレンタインデーの私のイベントは終わった。2008年の時には大瀧詠一のことを織り込んで書いたので、ここずっとCDを流している。≪A LONG VACATION≫ そして、また父を思い出している。

父はよく私に「いい曲が流行ってきたよ。」とか「カセットテープに入れておいたよ。」と言って、「聞くか?大瀧詠一だよ。」と言った。そしてコーヒーサイホンを出して豆を挽きを、時間を楽しむようにコーヒーを入れていた。なぜだろう、この音楽というものは聞いただけでその日に戻れる。

母は父のことを今いる老人保健施設で、思い出すときもあるようだ。私が父を思い出しているのが大瀧詠一のカナリア諸島にてと言ったとしても、母は呆けていないけど、わからないだろう。 「大瀧詠一?ああ、そういえばS医大病院に行った時、大滝秀治がいたわ!」になってしまうだろう。母の世界と父の世界は違っていた。

母は台所仕事を終えて父が見ている映画を見ると必ず「どっちが悪でどっちがいいの?」と聞いていた。いつも私は黙って聞いていたが、なぜだろうと思い始めたのは五十才を過ぎてからだと思う。家族と言うのはなんでもひっくるめて許しあっているからだ。自分の家庭を作り始めるとその違和感に気が付く。但し父と母も私が5,6歳の時はロマンチックだった。私は今、自分の家庭を作り、そして太陽に衛星があるように、子どもたちは独立していった。きっと私たちにもその違和感はあるんだろう。子供たちが小さかった時が懐かしい。中高年の誰もが使う決まり切ったフレーズさ。

なんという時間、なんという太陽の寂しさ、自分が月になっているような感じ。バレンタインデーに時間を使ったことの副作用か。バレンタインブルー。次に進まねば。

ところでウィキペデイアで調べると大瀧詠一について、私の知らないことが大変詳細に書かれてあった。音楽についてのこともさることながら、直感的にだけど、今またみんなが心ウキウキになる曲を作ってほしいと思った。こんな時代だからこそ、こんな日本だからこそ。

風立ちぬ、君は天然色、さらばシベリア鉄道、幸せな結末、恋するカレン。父はカナリア諸島にてが好きと言ったのはなぜだったのだろうか。ことろで大瀧詠一はクレージーキャッツともお仕事をしたと書いてあった。そうかそうだ。母はいつも父のことを、無責任男と言っていたから、そういう流れがあって、感覚的に彼の音楽が好きだったのだろう。

チョコでも持ってお墓参りでもしましょうかね。きっと境内の梅が香り始めているでしょう。

追記:ところで、黒猫ヤマトのメール便はやはり、以前とは違って、どの地域も表示しているとおりの3日で着くことになったようだ。今日届いたという電話が3件あった。去年は早すぎて一日前についてしまい、何だか間が抜けていた。でも一日遅いのも、フェイントをかけているようでまずい。来年にまたバレンタインデーを祝うことができるなら、ピッタリにしたい。ああ、そんなことを言うと鬼が笑うかもしれない。近いうちに鬼がいっぱいいるところに行くからね。

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2009/02/12

絵に描いたチョコ❤バレンタインデーまであと2日

Cocolog_oekaki_2009_02_12_21_09もうすぐセントバレンタインデー! ココログのお絵描きツールを使っていたずらしてみました。去年約束したように、今年からウェブの上のバレンタインデーにしました。本チョコはほんのちょこっと贈ります。これは絵に描いた餅じゃなくて絵に描いたチョコレートです。

チョコッと送る本チョコは今年も黒猫ヤマトのメール便です。遠方は昨日、そして今日送りました。明日は近場に送ります。明後日は自分が飛脚になって、つまり佐川急便のスタイルでご近所のマンションのX階まで上がります。

そういうことで、私はこの2週間ほど、メッセージを選び、だいぶスリムにしたバレンタインデーの会員ナンバーを操作し、心から「罪なことだ」と思いつつも、自分の体力にも限界を感じてチョコの数を減らしました。それでも今年はXX個にした。また送る相手の方たちも、私個人の友人は少なく、夫のお友達やお世話になった人がほとんどなので、血糖値や、コレステロールも気がかりで、ホンの気持のチョコになった。ささやか過ぎでごめんなさい。本当にごめんなさい。

毎年恒例の≪バレンタインデーのメッセージ≫は2月14日の朝にブログに載せますのでよんでください。ネットやパソコンをしている方にはこのページ≪あとりえ・チビッコ≫に来ていただきたかったので絵に描いたチョコで、重ねて悪しからず。

そしてこのブログやインターネットを通じさせてて、くださってる niftyGoogleの方々にこの 「❤絵に描いたチョコ❤を贈ります。いつも御苦労さまです。

そして何かの間違いや、何かをたどってこのあとりえ・チビッコを覗かれた方にも、このチョコをプレゼントします。毎日悪いニュースや聞きたくない情報ばかりが続く毎日ですが、いつだって川は流れ、濁流ばかりじゃなく、いつかきれいな流れのほとりにたどり着くこともあります。それまで、少しの間、自分の力を信じて、お金を使わないで、人のためになることを考えよう。いつか時が来たら、それが叶うかもしれないから。もしかすると時間はたっぷりあるかもしれないから。自分を信じて。愛する人を信じて。

このチョコはじっと見ているとそんな力が湧いてくるチョコなんです!

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2009/02/08

冬の旭山動物園

Pengin1Pengin2千葉大スキー部OB会の有志で富良野に行った。芳州さんはじめ、スキーの好きな人たちが集まったのだから、白銀にシュプールをあげて、滑りまくっていた。私はこれからの2月、3月のスケジュールがいっぱいで、もしも骨折をしたらという考えに支配されてどうしてもスキーには参加はできなかった。

そこで、ペンション・ラベンダーで絵を描いたり、富良野のチーズ工房に行って、チーズ作りとバター作りをしていた。チーズ作りは牛乳2本と生クリーム120g、それと乳酸1mlが材料で100gできる。子供の手のひらにのるほどのチーズが牛乳2本分くらいの水分を捨てて出来上がる。それがホエーというものだと知った。私が「そのホエー捨てちゃうのもったいない」と言い続けたので、ご指導くださった土田さんという方が一口飲ませてくれた。なんだか、飛びぬけて栄養がありそうだった。バターは生クリームと水を混ぜて出来るのでいつかあとりえの課題でしてみたい。そこの場所で、生バターキャラメルを買った。花畑牧場のキャラメルはきっと買えないだろうと思っていたから。昨日北海道から帰ってきてから母のところにお土産として持って行った。。母の同室の栗田さんは母と仲良しだけど糖尿病があるからあげられない。

また別の日には旭山動物園に行った。富良野からバスで1時間半くらいかかる。メインのペンギンウォークに合わせて園内を見るという方法を、何度も今回の旅のコーディネィターの藤井氏が教えてくれたのだけど、アザラシ館を出て、外の人の波を見て、

「きゃあ、ペンギンを見そこなったらいけないわー!」と波に揉まれて列に並んでしまった。待つこと10分で、ペンギンたちが来た。遠くから見ても、ズンタ、ズンタ、ズンタ!近くで見ても、ズンタ、ズンタ、ズンタ。私の前でポーズをとってくれた。そしてこの波が行くと、何だか大きな人がペンギンの後ろを歩いていた。ズンタ、ズンタ、ズンタ。誰かが、・・・・・・・・「西田さーん」と言った。見上げて見ると、釣りバカ日誌の濱ちゃんがそこにいた。そして私も大きな声で「ハマチャーン」と呼んでいた。もうすぐ上映になる「旭山動物園物語」(ペンギンが空を飛ぶ)の宣伝を兼ねていらしたのだろう。

ますます私は困ってしまう。脇道にそれてしまうが、面白い映画が目白押しだ。「旭山動物園物語」(ペンギンが空を飛ぶ)、「マンマ・ミーアー」、「007 慰めの報酬」、「ベンジャミン・バトン」こうなると、私はペンギンの着ぐるみをつけたメリルストリープになって、ABBAのダンシングクイーンで登場し、007のテーマにのって、バキューンバキューン、着ぐるみを脱いだら皺のない20歳の惠子ちゃんになっている。なーんてね。また、また先生どうかしたかしらと言われそうだけど、この頃アクセスが減っているから誰も見ていないに近いから、おかしなこと言ってます。

ところで旭山動物園の飼育係を25年していたあべ弘士さんがあの「あらしのよるに」の絵を描いていらっしゃったのです。最近小学館文庫から小説「あらしのよるに」も出ています。本を読んでまた感動を新たにしました。動物園の中にあべ弘士さんの絵もありました。園内のオオカミの森近くを歩いている時、あの物語を考えていました。おおかみとやぎが暗闇の中で出会ったことを。本物のオオカミはガブと同じく優しそうでした。

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2009/01/12

アバウト40年前の成人式と新しいパソコンVaio

今日は昭和から平成になった頃に生まれた子供たちが20歳となった成人式の日だ。私はアバウト40年前に成人式をした。着物は苦手な性格だったが、母がだいぶ前から中振袖を呉服屋さんに注文していて、半ば無理やりに着物を着て成人式に出た。だがその式場は日曜学校に通っていたプロテスタントの教会での成人式だった。いやいや歩いていたのをその道の情景まで一緒に覚えている。そしてその着物は呉服屋さんの説明によればソニーの井深さんのお嬢さんと同じ柄だと言っていた。その後我が家の二人の娘の成人式に使われて十分元をとったと思う。

ところで私は最近パソコンを新しくした。私は今日どうしても、この新しいパソコンでココログ≪あとりえ・チビッコ≫の更新をしたいと思っていた。このパソコンというからにはあのパソコンがある。

そしてあのからこのになるには私のの滲むような努力をしないといけないと分かっていた。けれどもあのパソコンLavieは2007年の夏にテーブルから落ちてスイッチや蝶つがいがゆがんでいた。犯人はプードルのココだ。パソコンを新しくすると慣れるまでにかなりの時間がかかるだろうと考えていた。Windows XPからWindows Vistaに替わるのは年齢と反比例して大変そうだと感じていた。そこで、日本の政治と同じく、先送りし、騙し騙し使っていた。ところが去年の暮れには怪しいモードに突入し、スイッチの中のほうまで見えそうなほどイカレテいた。(まあ、お行儀の悪いお言葉ですが、私的にはぴったりなのです。)よく持ったものだ。Lavie! 君はすごいよ!

そこで意を決して暮れにはビックカメラに日参し、気に入ったパソコンを探し、ついにSONYのVaioを購入した。今、Vaioのキーは少しずつ私に慣れてきた。案ずるより産むがやすし、SEEING IS BELIEVING、果報は寝て待て?いや違うか。

そして今日は成人式!そこで思わぬ偶然を思い出した。着物のことだ。そして40年たって私もなんとかパソコンでブログを更新している。それがSONYのVaioとはね。007のジェームスボンドが使っていたのはVaioだったのが、選んだ理由だったけど、偶然とはいえどうしても今日中に更新しなければとこじつけをしている。あの成人式のころ、新鮮で、初々しかった惠子ちゃん、願わくばあの頃に戻りたい。その1年後、芳州ちゃんと出会った、オウ、マイ、ゴッド! 20歳になられた皆さん、これからの出会いを大切に! オウ、マイ、ゴッド!

ところで、今朝アクセス数が50000を超えていました。これからもばんがります!

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2009/01/03

おせち料理のテーブルセッティング

Oshougatu1 今年のおせち料理は我が家で一番美的な皿で飾り付けをした。写真の四角い大皿は次女が以前、お世話になりましたとプレゼントしてくれたものだ。フランス製の陶器だ。お正月のおせち料理はすべてを御重に入れてしまえばめんどうでないのかもしれないが、料理が混ざってしまわぬようにするには大皿に少しずつ盛る方が美しい。またコンポートにのせて立体感のある飾りも楽しい。今年は次女をまじえて一緒に気楽に食べた。

おせち料理を食べてから八杉神社に初詣をした。八杉神社から細い小道を通り抜けてお寺があった。ブッタの涅槃像を安置してあり、このように近くに親しみを感じるお寺があることにびっくりした。ご住職がさばけた感のある人だった。その足で家の近くからバスでララポート横浜に行き娘のショッピングに付き合う。車でなくバスで行くのは初めてだったが、それ程遅くはなかった。朝のワインがきいてほとんど寝て行った。

Oshougatu3 そして、2日には実家の母を皆で、介護施設に送ってから、昨夜からこちらの長野に来ているのだが、今日は正月3が日なのでお腹のために川上村産の山芋でとろろ汁にした。芳州先生がすりおろし味付けをしてくれたが、今は亡きおじいちゃんのとろろ作りをを思い出してとろりとしていた。

世の中が不況で食事もつつましくしなければならないのかもしれないが、どこかでだれかが、風穴を開けて進んで行かねばならないこともある。老後も気にはなるけれど。今年もメリハリをつけて食生活を楽しもう。まあ我が家も、納豆と鮭一切れの夕食の日もあるけれど、リッチな日もある。

今夜の月は上弦の月だ。月の写真を撮りながらベランダでカメラをOshougatu2_2 持ってくるっとまわったらまわりのシラカバが動いて写った。パソコンで見ると月がヘビのようになっていた。なんだか面白い。今愛犬ココのトイレタイムで外に出ると月はさっきより地に横たわるように上弦の月になっていた。とてもロマンチック!

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2009/01/01

あけましておめでとう@2009年元旦

09shougatu あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします

新しい年が皆様にとって希望と安寧に満ち溢れたよい年になりますようお祈り申し上げます。

また新しい年もこのブログ  《あとりえ・チビッコ》  にご訪問くださいますようお願い申し上げます。さてあとりえ・チビッコでは子供の絵などの作品を掲載していますが、子供というものはまだまだ世の中のためにはなにも出来ません。それでも時折大人がびっくりするようなかわいい絵を描きます。また皆様の子供の頃に忘れてきた幼い純粋な心を思い出すような作品も作ります。そして絵を描きながら開放的になっておしゃべりをし、それはある時は詩であり、また哲学的な真実を述べています。それはただのおしゃべりと一笑に付してしまうにはもったいなく、私はこのようなブログという形で記録しています。

またプロフィールにも書いている長野の山小屋を中心とした自然の中での生活 《田園の誘惑》も楽しんで更新しています。ハーブの匂いのする清涼な空気を都会で暮らす人にもお届けしています。ちなみにもうそろそろアクセス数5万になろうとしています。 

今年もつかの間の時間、心洗われる子供たちの絵をご覧になり、皆様の日々の糧となればと、このブログを発信していきますのでよろしくお願いいたします。taurus

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2008/12/31

お煮しめはもう煮た

08nenmatu毎年、おせち料理の中のお煮しめは自分で煮ている。八ツ頭は早めに皮を剥き表面を乾かしてから煮る。八つ頭、人参は面取りする。牛蒡は皮を包丁の峰でこそぐ。干し椎茸は早めに水に漬けてから軟らかくし、その漬け汁も出汁として使う。筍は先の方と輪の方と別に切る。蓮根は輪に切ってから大きさに応じて半分にする。蒟蒻は短冊状に切ってから真ん中に少し包丁を入れてクルットまわしてねじり蒟蒻にする。毎年作る慈姑は今年は煮なかった。もう十分芽は出ている。

出汁は鰹節を惜しげもなく入れてたくさん取っておき、しょうゆ、みりん、砂糖(ザラメ)、酒などを用意して、きれいな色に煮たいものから煮ていく。

今年はハンズメッセで買ったシャトルシェフの鍋で煮た。ある程度煮てから30分ほどもう一つの鍋に入れ子状にセットすると味がしみ軟らかくなる。エコな鍋だ。

今年は介護施設から戻って実家でお正月を過ごす母のためにもう一セット作り今日の朝届けた。そして、その施設に弟と昼に迎えに行った。御餅は長女の嫁ぎ先のご両親の実家の岡山の《姫の餅》だ。喉につまらなそうだ。それでいて美味しい。私は弟が大変ではあるが今年はどうしても母を家に戻してお正月を過ごして欲しいと願っていた。介護施設の方々の大変さを軽減したいとも思ったが、御餅をハンペンに変えると聞いたからだ。まだ母の歯は御餅も噛み切れる。なんとしても噛み切れる。

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2008/12/28

トモとシラカバの木を切る

年末になり、気ぜわしいのだが、長女の子供、トモクンを伴って山小屋に来た。目的は芳州さんの自然風景の撮影のお供だが、トモクンは朝から、私たちをお友だちのように誘って、サッカーゲーム、野球ゲーム、オセロをやりたがる。そしてさぞや、娘も毎日ヒステリーも起こすと思えるほどにトモクンは『なぜ?』『どうして?』が多い。

私も可愛さばかりで対応するとあとで彼女が大変になるといけないと思い、しめるところは締めて遊んでいる。だが気が合うのか何をやってもお互いに笑い転げてしまう。もうだいぶ前から預かって、トモクン一人で来ることが多いのだが、結構それって大変なことらしい。子供なりの社会性を身に着けてきているのかもしれないが。

そして相変わらずこちらは氷点下の世界だから、じっとしていると寒い。朝の寒暖計は27日はマイナス13度、28日はマイナス8度だった。そして夜通し石油ストーブを焚いていても室温は早朝7度と10度だった。今日は昼間、寒かったので、前から切ろうと思っていた木をトモクンと切ることにした。

手始めに2メートルの高さで10センチ径ほどのシラカバに挑戦。木を見てどちらに倒れそうかを判断させ、自分が一番良い位置からノコを入れる。説明してから手を添えて一緒に挽いた。だがいろいろな角度で切っているのでなかなか切れない。手伝いながらやっと一本切った。もう一本はひどく曲がって、蔓が巻きついた木だがトモクンが半分ほど切り私が交代して切った。切り口は切ってあるのだがなかなか倒れなかった。私が木に飛びついて倒したのだがトモクンは大喜び! こうして娘や娘婿に継承できないことがMAGOに伝えられるということが生じてきたことは単純に嬉しい。

ところでこのブログではMAGOのことを今まで《親戚の子》と表現してきたがそれなりに考えるところはあるのです。あの《子》と《系》の字をつなげて言う《孫》はどうも言いたくないのです。私の美学に反するから。なんだかあの言葉を使うと急に私が白髪だらけでシワだらけの正真正銘のおばあさんになってしまいそうなので。ですから今日は意味を伝える表意文字的にMAGOと書いておきました。このニュアンスわかってもらえるだろうか?

木を切り終ったトモクンは『ばあば、曲がった木もリスさんが登るには登りやすいよ』と言った。そうだね、なんてトモクンは優しいんだ。明日は早朝帰るので、もう寝よう。トモと芳州さんと私と川の字になって。

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2008/12/23

★ドイツを想いクリスマスのグリューワイン

母の介護施設での打ち合わせのために家をでたのだが、なかなか、足が向かないので、『そういう気分の時は、無理してもしょうがない』と中目黒駅近くをウロウロとする。そこで、輸入雑貨店を見つけ、コーヒーとワインを行きに見定めて、帰りに買った。ワインはドイツのクリスマスで飲んだグリュ-ワイン(ホットワイン)だ。以前自分で作って、似た感じに出来たが、今回は香料などが入っている1リットル入りを試しに買ってみた。Xmasd_009

今日は芳州ちゃんがクリスマス期間中では、落ち着いた時間が取れたので、うちで食事にした。ちょっとだけ、メニューがメチャクチャだが、さっぱり系とこってり系を混ぜている。牡蠣のオーロラソース焼は細かくニンニクが刻んで入れてある。パラッとパン粉をかけてある。オーブントースターに入れて10分、食べる直前にまた5分焼く。簡単に出来て美味である。鶏の手羽先はオイルで焼いてから、しょうゆ、砂糖、オイスターソース、スープの中で煮て味を絡めている。白髪ねぎを添える。そして刺身盛り合わせ、あとはガーリックトーストだ。愛犬ココのコーナーをツリーで隠して写真を撮る。

グリューワインはワインのカテゴリーでいうと民族的なものかもしれないが、温めて一口飲み、目をつぶるだけで、クリスマスマルクトの明かりがまたたいてくる。そして、アルコール分も強くなさそうで、こうして今ブログも書ける。

今日は大倉山駅でも気が向かず、本屋に入り、2階の文庫本コーナーを探す。探していた本はまだ入荷していなかったが、『嵐の夜に』の絵本ではない文庫の本があった。それを東横線の中で行きと帰りに読んだ。ビデオは以前親戚の子と見ているが、本は読んでいるうちになんだか心も体もフフフとしてきた。年末に彼を預かるのだが、この本を読んであげようかしらと思ったら明るくなってきた。

そして母のところに行くと、母の歯が抜けたのは1本で、3本ではなかった。その顔を見るのが憂鬱で今日、足が向かなかったのだ。ホカロンを手でちぎることが出来ず、歯で引っ張ったためと聞いたが、難儀なこと!でもホッとした。奥から3本目の歯だったのだ。またホカロンを置いてきたが、切り口のところにマジックで線を印してきた。

今日の気分が悪かったのは気候のせいかもしれない。18度とは異常な高温だ。

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2008/12/14

始めての雪@川上村/バレンタインデーまであと2ヶ月

Kawa0812 早朝愛犬ココがトイレに行きたいと起すので、外に出しそうとすると雪だった。階段に雪が2センチほど積もっていたが、辺りはまだ真っ暗だった。一昨日から川上に来ている。

やはり天気予報どおりに雪が降った。朝食を作っているときも降り続き、朝のお散歩が出来ないココは家の中をウロウロ歩いて落ち着かない。昼前にコーヒーが切れているので村のスーパー・ナナーズに行く頃には雪も止んでいた。私にとって今年初めての雪だ。

村役場から除雪車が来てきれいにラッセルしてくれた。ご苦労様です。・・・・・・・? 

ところがまたもや樹木の頂上は雪の重みで折れやすく、共同溝の櫟(イチイ)の木が折れていた。別荘地に永住している人たちは、今年の春の雪による倒木を心配してか、薪にするためか、家にかかる木を伐採している。もう住んで20年経つから木も成長し、家を暗くしてしまうから、切ったり薪にしても罰は当たらないかも知れない。近くで新しくまた木は育ってくる。Kawa0812co

家を暗くする木を切って、太陽の日差しを入れて暖かくし、木を暖炉にくべて生活することをエコの考えからと、地球温暖化で考察するとどうなるのだろう。私たちは《暖炉に薪》というスタイルではなくて《灯油でストーブ》なのだが。この寒さを暖かさに変えるものには物理的な日や火も必要だが、顔を見合わせた時の人の笑顔や擦り寄ってくる犬や猫の暖かさも心を暖かくする。

ここ1週間の間に日本も不穏な空気が漂ってきている。今本当の暖かさを太陽のように振りまくことが出来る人こそ指導者たりうる人であり、人の上に立つ資格があるというものなのだが。少なくとも私はあとりえの子供たちの前では子どもの心を支えられる大人でありたい。

今現在(12月14日午後4時30分)の長野県川上村の気温マイナス3度。多分今夜はほんとに冷える。それはそうと、あと2ヶ月でバレンタインデーだ。今年からウェブ上だけのバレンタインデーにすると前回お約束をした。でもなんかの間違いで私からチョコが届いたとしたらそれは本気かもしれない。なんて言って見たりして。

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2008/12/11

八ツ橋学園のチビッコランド

Yatuhasi2 今年のクリスマス工作は希望が丘の八ツ橋学園のチビッコランドの園舎(子育て支援センター)をお借りして仕上げた。ちょうど幼稚園の作品展の準備があるため、いつものバラ組のお部屋を使えなかったからだ。

午後からの明るい光がさす中で、制作ができた。いつもより静かで時折聴こえるピアノの音がここが幼稚園だと感じさせた。そうだサッカーの練習の音が聞こえないからだ。天井から自然光もさしてくるので作品の色がきれいに見える。同じ敷地でこんな空間があるのだ。Yatuhasi3

篠崎真由美先生やご主人である、篠崎事務長さんの幼児教育の念願の空間なのかもしれない。春に園舎が出来たのであるが、2才から3才の幼児教室と聞いている。

可愛らしい八つ橋学園のホームページはこちらです。

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2008/11/19

心穏やかな日々を過ごすには

Kawakaki_2川上に来て、母の一時帰宅に向けての諸々の用事をしている。戴いたお見舞いのお返し(追記:母の年代ではこういうことが常識であるので私は代理でしている。)や、それに添える母の近況を書いた手紙などを準備している。 合間にまた、141号のびっくり市で干し柿を買ってきた。この間皮を剥いた柿は1個300グラムほどのものもあり、季節も早めだったのでカビ゙が生えているのではないかと心配だったがかなり冷え込んだ日もあったようで、無用の心配だった。今度の柿は小さく体積は半分ほどなので早く出来上がるだろう。皮を舐めたら10分間は口が渋くなった。

そして今年のクリスマスの工作に使うフェルトを助手のあいかが私の試作に合わせて用意してくれている。なにかと心強い。今回の工作には私の幼い日の思い出を反映した。

昔多分5歳ぐらいの時に母と手をつなぎ買い物帰りに鷹番小学校のそばを通ると、紙芝居屋さんが来ていた。ほかの子がなめている飴も、紙芝居も見たかったけれど、母にいけませんと言われて、どうしてなのかも考えず、従順に後ろを振り向きながら帰ってきた。今度の工作を準備しているうちにその時の心の騒ぎみたいなものがフー と思い出された。大変でもがんばってみよう。そう考えるとなんてことはない。

最近は接着にはいろいろな教材がある。東急ハンズやUniartを散歩道にしているKEICOCO先生としては子どもの力量と満足度を天秤にかけて考える。今年のクリスマスの工作はクリスマスの光景を作るのだけど、2つの物語を作れるようにする。そんな感じ。

お蔭さまで《クリスマス、工作》でのアクセスが増えている。皆に公開している作り方だが、まだあとりえの子どもたちに教える前は非公開だ。楽しめる作品が作れると良い。

母のいる中目黒の施設で、今後のことを話し合う打ち合わせの折に、ケアマネージャーさんが、『心穏やかな日々を過ごすには』というフレーズを言った。なるほどと後になればなるほどその言葉が浮かぶ。もしかすると母よりも私が心穏やかな日々を過ごすようにしないといけないのかもしれないが。今の母にとって、私たちが目標にしてあげる言葉だ。

Kawakaki_1午後遅めの散歩をすると手ががちがちになった。夏よりも家の真正面の方向に夕日が落ちる。信州峠のほうだ。時計は4時45分だった。鳥たちはシラカバの木の間をぬっては群れとなって家路に向っている、家路があるとすればの話だけれど。私はがちがちの手で畑の赤カブを抜いた。葉はもう凍っていた。自分の皺のある手を見て、ふっと母のことを思い出した。気温はマイナス3度、多分今夜は天気予報どうりに今年一番の冷え込みになるだろう。予測はマイナス7度。青い空からちらちらと雪も舞っていた。

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2008/11/09

オバマ氏がアメリカ大統領選に勝利した

先週水曜日の午後はあとりえの日だった。デジカメを忘れたので教室から自宅に戻り、テレビのスイッチを入れると、オバマ氏が大統領選の勝利宣言をしていた。数分私はテレビの画面に釘付けになった。高揚した口調、理想を実践しようとしている真の政治家の姿を見た。その後のいろいろなメディアの反応は正直ではないという感じがする。それ程何かを畏れるものがあるのだろうか。わたしには解らない。だが、あの演説を瞬間聞いた感想は『すごい!』のだ。

かつて、私の弟が英語の勉強にとケネディ大統領の演説をテープで繰り返し聞いていた時があったがそのケネディ大統領を彷彿と思い出す響きもある。日本にもこのような理想の実現をしてくれる人はいつになったら登場するのだろうか。

インターネットのgooニュースにオバマ氏の公式演説の動画があったので落ち着いて見ることにした。日本語訳をコピーしたので、いつも持ってこの理想の精神で行動したいと思っているが、私のことだからわからない。訳もgooニュースから掲載します。

gooニュース2008年11月5日(水)20:57
黒人指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が「私には夢がある」と演説してから45年。米民主党のバラク・オバマ候補が4日夜(日本時間5日午後)、米国初の黒人大統領になることが決まった。地元イリノイ州シカゴの公園で約20万人を前に行われた、オバマ次期大統領の勝利演説全文を、複数メディアの生中継をもとに翻訳します。解説を含めた要旨はこちら英語全文はこちらですオバマ公式サイトの演説動画とテキストはこちらです。(gooニュース 加藤祐子)

シカゴのみなさん、こんばんは。

アメリカは、あらゆることが可能な国です。それを未だに疑う人がいるなら、今夜がその人たちへの答えです。建国の父たちの夢がこの時代にまだ生き続けているかを疑い、この国の民主主義の力を未だに疑う人がいるなら、今晩こそがその人たちへの答えです。

この国が見たこともないほどの大行列が今日、あちこちの学校や教会の周りに伸びていました。並んだ人たちは3時間も4時間も待っていた。人によっては生まれて初めての経験でした。今度こそは違うと信じたから、今度こそ自分たちの声が違う結果を作り出せると信じたから、だからみんな並んだのです。そしてそうやって並んだ人たちが今夜、疑り深い人たちに答えを示したのです。

老いも若きも、金持ちも貧乏人も、そろって答えました。民主党員も共和党員も、黒人も白人も、ヒスパニックもアジア人もアメリカ先住民も、ゲイもストレートも、障害者も障害のない人たちも。アメリカ人はみんなして、答えを出しました。アメリカは今夜、世界中にメッセージを発したのです。私たちはただ単に個人がバラバラに集まっている国だったこともなければ、単なる赤い州と青い州の寄せ集めだったこともないと。私たちは今までずっと、そしてこれから先もずっと、すべての州が一致団結したアメリカ合衆国(United States of America)だったのです。

私たちは今まであまりにも長いこと、あれはできないこれはできないと言われてきました。可能性を疑うよう、シニカルに恐れを抱いて疑うように言われ続けてきました。けれども私たちは今夜、アメリカに答えをもらったおかげで、手を伸ばすことができたのです。歴史を自分たちの手に握るため。より良い日々への希望に向けて、自分たちの手で歴史を変えるために。

ここまで来るのに、ずいぶん長くかかりました。しかし今日と言うこの日、この夜、この決定的な瞬間に私たちが成し遂げたことのおかげで、アメリカに変化がやってきたのです。
・・・・・・・・・・・・ココから先は上の全文の翻訳をクリックしてご覧下さい。

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2008/10/19

ユイちゃん 久しぶりにあとりえに来た

夏休みに国立成育医療センターで肝臓の移植手術をし、2週間ほど前に退院したユイちゃんは、久しぶりにあとりえに来た。学校の授業は始めは2時間、次には4時間と普通の生活に戻しているようだ。

この日のあとりえの課題は《造花を描く》だったので、ユイちゃんの好きな赤や紫のガーベラをテーブルの席に置き、椅子に座って描くようにしておいた。久しぶりに来たので、ユイちゃんも嬉しそうで、絵を描くよりはこの席に座っていられることを楽しんでいたみたいだった。

始めにショウキ君が来た。いつだってニーッと笑う子だけど、いつもよりもっとニーッと笑った。はにかみながら、ユイちゃんが戻ったことを噛み締めていた。

次にカノンちゃんが来た。アーっと言って、嬉しそうに笑った。

次にアヤノちゃんが来た。ユイちゃんを見て、優しく嬉しそうに笑った。

次にモモコちゃんが来た。私が指導のために座っていた場所が、モモコを仰ぎ見る位置だった。ユイちゃんを見て、一瞬黙って嬉しそうに笑った。モモコちゃんの瞳にキラッとしたものが見えた。子どもだから、なんと言って良いのか分からないんだと思うけど、全員『ユイちゃん良かったね!』と言いたかったんだと私は感じた。この子たちは本当に良い子だと思った。

ユイちゃんは何気なく、手術の痕のチューブや切った痕を見せてくれた。逆T字だった。この特異な経験を見せることが、今のユイちゃんにとって、自分が乗り切った試練をはっきりさせることのようにも感じた。けれど、ショウキ君がそれを怖がって、目をふさいだことや、私が静止したことは取るに足りないことなのかもしれない。ユイちゃんが学校でもみんなが応援してくれているようなので、安心だ。術後のお父さんも会社に出られたと聞き、お母さんも元気そうなので、もう、山は越したんだと言える。

あとりえでは、ゆったりとして課題を仕上げさせ、楽しいあとりえを提供したい。それにしても、今回の写真を撮れなかった。後日載せることにしたい。

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2008/10/14

八ヶ岳の秋は鹿の鳴き声にのって@2008

Kawa081012_akiiro2 久しぶりに行った川上は山々に秋の色がつきはじめていた。ナナカマドの実も葉も赤くなり、ダンコウバイも黄を増して、もみじも赤や黄色に変わり始めていた。

遠くで鹿の鳴き声も秋らしく感じられ、ヒューンと鳴けば、百人一首のあの歌が思い出される。

「奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声 聞くときぞ 秋はかなしき 」 猿丸大夫

子どもたちとお正月にそのゲームをするときには、その作者の後に(猿丸大夫、ハゲツルケ)と言って、絵を思い出せるようにと、取り易くしてあげたっけ。遠い昔もあっという間に現実になる。エッツ誰のことですか。

山小屋に行ったときの健康維持のための散歩を芳州さんとココとした。このところ、暗いニュースが多い。株や景気というよりは、同世代の人の死だ。以前「Bucket list」について書いたがそういうことを意識せざるをえない年令になっている。私は最近シミも取ってかなり若返ったが、現実は厳しい年令になっているらしいのだ。私たちはそれを払拭するほどの笑いと親父ギャグで、高原の湖の湖面を波立たせてきた。あまりにいろいろ話して、よく消化して、もう忘れた。持って行ったオムスビもコロリンとしそうだった。

2日間の滞在だったので、我がクラインガルテンの作物の整理に追われた。ところがなんと、2日目の朝、少なくなったルッコラを朝食のサラダ用に採りに行ってビックリ! 偶蹄目の足跡が無数にある。前日雑草が生い茂っていたが採らなかったのが幸いしていた。その雑草を食べていた。鹿は首を低くするのが辛いんだ。ところでいつ来たのだろう! ココちゃん! いつもささみをあげているんだから、教えなさいよ!と言ったって無理。

また芳州さんと畑の回りのフェンスの針金を高くする。そういえば、庭側の花壇の菊が花を摘まれていたし、畑のまわりに絡み付いているカボチャの茎が齧られていた。やはり来ているんだ! 鹿は! 帰り間際の夕暮れに、青々とした春菊や、緑濃いター菜、細い大根、きっこの日記にも出ていた紫蘇、イタリアンパセリなどを収穫する。遠くで鹿が鳴いている。ヒューン、ヒューン。

私は赤カブを見て摘む。作物を採った後に土を鍬で寄せる。隣のログハウスの軒にできたスズメバチが収穫した青菜の葉の上の青虫を食べに飛び交っている。もうすぐ来る冬を感じている。私もスズメバチを気にせず、ルッコラの根をそっと引き抜く。横浜のマンションのベランダに移植するからだ。また、春菊の根をそっと引き抜く。それも、移植したい。地面を見続けて腰が痛い。腰を伸ばし、立ち上がりながら夕日を見る。美しい夕日だ。だから長野が好きなんだ。また近くで鹿が鳴く。ヒューン、ヒューン。ヒューン、ヒューン!

私はもう猿丸大夫の句は思い浮かばない。小鹿物語の母さんだ。早く鹿を撃ちなさい!鹿がもっとそばで鳴いた。ヒューン、ヒューン もう、怖い、なんだか混乱してきた!シェ-ン、カンバーック! ハイヨー、シルバー! インデイアンうそ言わない! バキュン、バキューン

Kawa081012_akiiro「恵子!もう帰る仕度しなさい!」 芳州ちゃんの声に我に返ったKeicocoだったのです。 THE ENDもしくはFINです。

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2008/10/12

長崎は今日も平和だった

Nagasaki_71長崎に行って来た。以前からいろいろな方に誘われていたのだが、今回は時間ができたので、長崎くんちに合わせ行って来た。

長崎くんちはテレビで細かいところまで知ることができた。今年は7年に1度の大祭のようで、檀尻という山車が神社の境内で観客が注目する中、回転させる。 『もってこーい!』 の掛け声に応えて力いっぱい動かす。神社境内に満ち、満ちる両者の引き合うコミュニケーションがなんとも言えず良い! それが桟敷席でなく、テレビの画面でも理解できたのがすばらしかった。

Nagasaki_65 私たちの泊まった ホテルは長崎新地中華街の中で、結果的に行動しやすかった。長崎名門校、活水女子大学への坂道は横浜のフェリス女子大学への道とオーバーラップして感じた。まわりの木々のソテツなどの植生がやはり南の国を感じさせた。かの有名なオランダ坂を通ると銀木犀が薫っていた。

Nagasaki_61_2

東山手住宅郡の中に紛れるようにベルハウスという老人ホームがあった。窓越しにお年寄りが歩いていた。クリスマスの飾りのようなコラージュが貼ってあり、目黒の母を思い出した。孤独という字が湧き上がってきた。年を取るにつれ湧き上がる孤独感を何かに置き換えてはならないと思う。その時忘れたり、紛らわす分だけ後から押し寄せる。だからといって深刻になってどうする。どうする。心の中で自問自答。私なりの答えは出ているけれど。

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『 春真昼 ここの港に寄りもせず 岬を過ぎて ゆく船のあり 』 と、短冊に書いてあった。作者は誰か書いてあったようだが、分からない。

東山手地球館では日替わりで世界の家庭料理が食べられた。この日はタイカレーだった。そばで英会話のグループが先生を囲んで楽しそうに話していた。宮崎駿のアニメ映画の話題だった。そこからは私は芳州と別行動で、原爆資料館にいった。路面電車が4系統あり、乗り換えするとき切符を貰うと100円で市内を動き回れる。車が混雑する時は路面電車の方がタクシーよりも動きが早いようだった。

Nagasaki_49_2 原爆資料館内は撮影禁止のためそこに入るらせん階段を下りるときに撮った。まるでゼロ地点に下りていくように造られていた。入ってすぐに、爆心地から800メートルの民家の柱時計があり、時刻は11時2分を記していた。

  • 原爆を落とすまでの過程を記してあった。照明を落とした資料館の中で、気が付く事をメモした。多少の間違いがあるかもしれない。
  • 1944年 ルーズベルト、チャーチルが日本と決める。
  • 1945年4月 東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、    下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保を候補地とする。
  • 1945年7月 ニューメキシコで実験
  •     7月20日 パンプキン爆弾を広島、小倉、京都、新潟で実施
  •       23日 広島、小倉、新潟が目標となる
  •       24日 長崎が加えられる
  •       25日 トルーマン指令を承認
  •       26日 ポツダム宣言
  •              31日 テニアン島で原爆組み立て完了、連合軍捕虜収容所の存在連絡する  が目的変更無しとなる。
  •     8月6日 1:45 エノラゲイが原爆を搭載してテニアンを出発
  •          8:15 広島に原爆を落とす
  •       9日 2:49 原爆搭載機ボックスカーがテニアン離陸。焼夷弾の煙のため小倉に落とせず3回旋回し、長崎に変更
  •       9日 10:58 長崎上空も雲のため視界不良、燃料不足で帰還検討
  •       9日 11:02 一瞬の雲の切れ間に原爆投下

原爆が悲惨なことは分かっているが、こうして落とされることになったのを忘れてはいけない。戦争に反対しなさい!とトキワ松学園の笹尾菊枝先生は世界史の授業中に話された。そして、子どもを育てるお母さんはいつでも戦争に反対をしないといけないとも。戦争っていつ始まるの? 誰がその時を教えてくれるの?

遡って行けば、長崎にとってこの一瞬の雲の切れ間がなければよかったのに。広島に落とされたときに日本政府がすぐ降参すればよかったのに。原子爆弾は造られなければ良かったのに。戦争を始めなければよかったのに。

ところでこの長崎旅行中に3人の日本人がノーベル化学賞を取ったというニュースが報じられた。それも忘れられない思い出になった。そして、その夜の長崎くんちの庭先まわりでは、芸者さんの舞や邦楽が歌われ、三味線が流れ、太鼓も響き、だんじりも繰り出し、町中が賑わった。そこで私は 『長崎は今日も平和だった』 と感じた。Nagasaki_94

写真は上から1.長崎グラバー亭から平和公園方面を見て、2.大浦天主堂、3.オランダ坂通り、4.ベルハウス、5.原爆資料館、6.庭先まわりをする芸者さんのご挨拶の腰の角度が美しかった。

  

           

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2008/10/10

明日から『あとりえ・チビッコ』は五年目にはいります。

Hanataba081010 『あとりえ・チビッコ』4周年おめでとう!自分で自分におめでとう!

時間がなかったので2年前の花束をペイントでチョコッと塗り替えました。これからも、現実に負けずに、人生を楽しみ、子供たちのためにアイデアを搾り出していきたいです。

それからもう一つ、ゆいちゃんが退院し、今週から学校に2時間だけ行けるようになったそうです。あとりえにも、来週から来れるそうです。重ねておめでとう!

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2008/10/05

あとりえ・チビッコもうすぐ四周年!

もうすぐあとりえ・チビッコはブログ開設をして四周年目になる。2004年10月4日から書き始め、10月10日にスタートしている。まだ現在アクセス数も5万に満たない弱小ブログだけど、子どもたちのためにがんばりたいKEICOCO先生だ。

前にも言っているが、ブログの始めは室井佑月さんのブログと庄内拓明さんの『知のヴァリトゥード』と『うるわしのブルターニュ』に憧れて始めた。常に基本はその3人がいつもある。そしてそれから派生し、いろいろな方のブログがお気に入りに入っている。

そして、『あとりえ・チビッコ』が看板になっているように、子供たちの造形絵画教室での指導と子どもの作品を展示することが主な目的だ。そして私のアイデンティティを記すためと、同じような考えを持って指導していく人たちが増えることで、幸せな子どもが一人でも増えると良いと思い発表をしている。

本当は、この子がこの絵を描いたのですよと、写真も作品も一緒に載せたいが、ネットの常識が、阻むものがある。

巣立った子供たちがときどき何らかの情報をもたらしてくれることがとてもうれしい。

今もう少しキチンとまとめたことを書きたいのだが時間オーバー。何かと忙しい。もしかすると旅歌ノートに季節の歌が更新できるかもしれません。俳句も和歌も難しいけど。不勉強ではいくら日本人でも無理かもしれない。

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2008/09/30

明日のリンゴジャムの準備OK

Jamu明日のあとりえはリンゴジャム作りだ。身の回りには怪しい食品ばかりなので、子供たちに手作りの正しさを教えたいので、急遽この課題をすることにした。

リンゴはつがるだ。大倉山駅前の横山フルーツで購入したが、横山さんからは姉妹であとりえに通って来ていた。美穂と由美だ。由美は美術が好きで、今もその方面に進みたそうだとお母さんから聞いた。商店街での買い物はそんなおしゃべりがうれしい。

明日は包丁を使い、コンロも使うので、動線に気を使わないといけない。子どもたちも楽しみにして来るから、事故のないようにがんばろう。

ところで、全く違う話題なのですが、明日、先生のホッペに黒いマークがあります。転んだのでもありません。喧嘩で殴られたのでもありません。実は永年の懸案だった、シミ取りをしたのです。

母の入所した中目黒の介護施設の同じ敷地の病院の美容成形科でしみ取り(正式には光治療)をしているのを知り、ちょっとだけやってみたい気がしたのでした。畑も芳州先生の助手も日光に当たることが多いので仕方がないのですが、そんな美容成形が母の事をしながら知ったのもラッキーと考えて、挑戦することにしました。先週金曜日にしたのですが、アチイタイwobblyって感じ! 今は4日目で、少しカサブタが取れてきたって感じ!です。治療代も思ったより少なく、これで肌がきれいになれたら、うれしいけれど。

そのため外に出ないで、お家の中にいて、読書三昧と考え難しい本を3冊ほど買って読んでいるけど、辞書と首っ引きでなかなか先に進まない。しっかり日用品は準備したはずなのに牛乳を忘れていたり、レタスが切れたりして、買い物に出ると、最近めったに会わない人に会ったりする。そしてホッペの説明はしないと駄目そう。 なんだか気のせいか、ホッペが痒くなってきた。ボリッ、ボリボリッhappy02 あっれー血だーheart  なーんてね!うそ!

あいちゃんがジャムにあわせてパンを焼いてきてくれるそうだ。あとりえでは作ったジャムのビンに絵を描いたシールを貼ります。安全第一、手作りジャム! 今部屋の中にはリンゴの良い匂いが匂っている。

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2008/09/28

母のこと

実家の母は先週初めに川崎の医療療養病床、鹿島田病院から介護老人保健施設(老健)に移った。自分では歩いてトイレにいけないのと、家に戻っても自分で食事の支度などができにくいため、そのように決断した。リハビリの甲斐あって皆が励ましてコルセットをして歩くことは少しできるようになった。

鹿島田病院では院長を始めとして、看護士さんから、リハビリの先生始め、皆きびきびと惜しみなく働いていた。母だけでなく、他の方々にも手厚い看護をする様子が見られ、このような形の病床を政府が削減していくことが信じられない思いがした。私は以前医療療養病床について8月2日の日記に書いている。

母は鹿島田に入院中、隣のおばあさんが『おねえさん、おねえさん』と四六時中言い続けるので、眠れないと苦情を言ったこともあったが、かわいそうな気持ちがして話し相手になってあげたという。夜になって看護婦さんがいなくなると、子守唄を歌って寝かしつけたことが多々あったようだ。年は母より4歳上と聞いたが、母が『ねんねんころりよ♪、おころりよう♪』と歌うと、昔自分が小さい時のことを話したそうだ。そして、母は車椅子に乗って、そのおばあちゃんの方を向いて食事をしてあげていた。母が移動する日、そのおばあちゃんは『ねえ行っちゃうのー。寂しいなー、寂しいなー』を繰り返していた。でも本当に母がその部屋を出る時に彼女は寝ていた。寝たふりをしたのかもしれないが。

今母は別の場所に来たのだが、そのおばあちゃんのことを懐かしんでいる。集団生活をしたことがないので、今度のところは戸惑いもありそうだが、鹿島田病院の院長であり、外科の医師でもある川田忠典先生が色紙に書いてくださった言葉が母を支えているかもしれない。

『人間到処有青山』です。どこに在ってもにこやかに。 川田忠典

この新しい施設も3ヶ月の期間しかいられぬため、考えて対処していかなければならない。しかし国の方針には、あちこちでぶつかるが、現場で働く人たちは、プロとしての経験を積み、真面目に優しく対応してくれている。その人たちの努力や、生きがいや、働き甲斐に私たちはむくいられるのだろうか。

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2008/09/25

交差点近くの木や草は事故に影響しないだろうか

080924_kusamusiri我が家のマンション街の一画で最近2度の交通事故があった。7月15日と9月23日だ。それほどの事故ではなさそうだが、今朝の犬のお散歩の時にチョーク跡があった。立て看板が出ていたから二つの事故の日にちが判った。。カレンダーで確かめると2度とも火曜日だ。それと、対オートバイの事故のようだ。

そして私は最近ずっと、この写真の歩道際の草が生えすぎて汚いと思っていた。確かに子供たちの遊べる自然がなくなってきたので通学路にはネコジャラシがあっても良いと思う。でも、草丈が高くなって横断歩道を渡る子どもが見えにくくなってくることもある。

この歩道の前の建物は港北スポーツセンターだ。以前の館長さんは、朝の掃除をいとわずしていたが、人が替わり、もう10年は掃除をしなくなった。そのため、草が生え、枯葉が腐葉土になり土になり、平気で草が生えてきている。草むしりをしていない。建物に沿って設置している潅木の刈り込みは業者が入ってしているが、歩道際への配慮はない。

私も散歩の時は気づくが、一応公共の建物でもあり、あちらが掃除するのが筋でしょ、と言う気もあったが、電話も手紙も多忙にかこつけて出さずにいた。しかし、今日2回の交通事故の看板を目にして、即!草むしりをした。ビニールの大きな袋5個になった。

私が草むしりをしていると、交通課のおまわりさんが違反者の取締りのため近くの警察署から、どんどん出て行き、私の前を通っていく。まるで、ミツバチのようだ。時にはスズメバチのようにも感じる。私は一人の警察官も、このことに気が付かないのかと思った。こういうことが合って、同じ公共の組織として『あそこ2度も事故あったから、あの草伸びすぎでしょう、刈って下さいよ』の連絡があって、すぐ刈ればいいのに!とも思います。

『 二度あることは三度ある。』そういった危険な出来事に家族やあとりえの子どもたちや近所の人が巻き込まれて欲しくない。後で、ああすればよかった!と後悔したくない。

そこで、私は草刈をした。もしかすると独断と偏見かもしれない。でも、私が草の入ったビニール袋を持ってマンションの中のゴミ捨て場で、管理人さんに会って、このことを話した。そのあと、私はあとりえの教室があって室内にいたのだが、外で草刈の音がした。ちょうど消毒のための造園業者さんが入っていたが、予定を繰り上げて草刈をしてくれたようだ。いつだって、言わなきゃいけない時がある。言わなくて気持ちが通じればもっと良い!

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2008/09/20

いわきに出没した恐竜は温暖化の影響か?

Iwaki1 毎日伝えられるニュースで、地球温暖化の影響であろうと言われぬ日はないほど、頻繁にその言葉を聞く。今日も、テレビ朝日では《~列島異変2008~異常気象&生物大発生》をやっていた。たまたまつけた時にどこかの牧場に鹿が入り込んで牛のための牧草を食べていた。そういえば今年の夏の朝早くに、清里の牧場で白いお尻の動物がいっぱいいたのを見たことがあり、あれ以来私はその場所を注目している。中央道の長坂から行って清里大橋の渡りきった左手の牧草地だ。その番組が、私の疑問点を解明してくれた。あれはやはり鹿に違いない。

ところで私たちはお彼岸のお墓参りを少し早めだが、福島のいわきまで行って来た。車でいわきに行ったのは久しぶりだった。ちょうど3年前に父の訃報を聞いたときだ。そしてまた実家の母が病院から老人保健施設に移動するのを控えており、何かと心騒ぐ。そして、毎日聞くニュースがいくらかでも楽しく明るくあればと思うのに、未来が暗くなる政治情報と、厳しい現実に負けて悪に走ってしまう人たちの起こす事件が続いている。Iwaki2

何とか楽しい事を言いたいと思っていたら、いわきの『海竜の里センター』に行って、面白い写真が撮れました。いわきでは昔、フタバスズキリュウが発見されているので、今だって化石が取れそうな地層が山肌から覗いている。

私たちともう一組ぐらいしか家族はいなかったけど、なんだか楽しい時間でした。そのすぐそばの川には蛍がいると書いてあった。私たちがいる時、遠足の申し込みの電話が合った。ちょっと地味ではありますが、ほっとする所でした。

なんだか4月1日が待ち遠しくなりました。ふふふ。

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2008/09/04

2つのお誕生日のケーキ

Keiki2 今日は9月3日の芳州さんのお誕生日だったので、ショートケーキを作った。川上村のスーパー、ナナーズで材料を調達。小諸の高峯鶏卵の《初卵たまご》という小さい赤い卵でスポンジを作った。失敗するとといけないので、卵の攪拌は白身と黄身の別立てで作った。

実は川上村で作りたかったが、ちょっとしたアクシデントがあり、横浜に戻ってからケーキを作った。イチゴは川上村が最近力を入れている、《チキル信州》のイチゴを購入、サマープリンセスはこの夏の季節でも高冷地なので収穫ができ、宅急便で購入ができるという。お寿司は、芳州さんの大好物だが、今日はどうしても手作りしたかったので、ちらし寿司にした。ただ、母の病院に行って、戻ったら結構時間が経っていて、ケーキの泡立て器が見当たらなかったり、大あわてで作り、テーブルコーデイネイトもメチャクチャで、一応デジカメだけ撮った。本当は載せるのがはばかられる写真だが、とてもショートケーキの味がよく出来たので載せることにした。

Keiki1

そしてもう一つケーキをいただいた。アンテノールのケーキだ。きれいに飾られてしかもローソクが細くて、おしゃれだ。昔、あいかが初めてお給料をいただいた日に私たちに感謝のケーキをプレゼントしてくれた。それを忘れていたらあいかが思い出させてくれた。それがアンテノールのケーキだったと言う。普通には持つことが出来ないくらいの大きさで、姉のすおみと車で取りに行った。妙に凝ることがある、子供たちだ。私たちの子だからね。

この写真のケーキを下さった方たちのなかには最近、芳州先生がブログを作るのをお手伝いしてあげている人がいるようだ。お歳は私の父の年に近く、病気の奥様の看病もしなければならないらしいが、写真とブログのことで、少し張り切っていると噂に聞いている。もう少したったら、そのブログを私も紹介したい。

そう言えば、もうすぐ敬老の日だ。

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2008/08/26

ドイツの誘惑@きっこに会うなら、こんな町でⅡ

Herenberug ドイツ、シュトッツガルトに近いヘレンベルグは教会の鐘の町だ。そして、近くには自然公園があるため、坂も多い。地図どおりだった。

ヘレンベルグでは毎月第一土曜日に教会で鐘のコンサートがある。私たちはそれを予定に組み込んで、旅行の計画をたてた。特にキリスト教への信仰心が強いわけではなく、鐘の音を聞くのが目的だった。そして信仰心の厚い人たちが来る場所は住んでいる人もそれを誇りにしているのではないだろうかと思っていた。

子供たちが市庁舎の前のアイスクリーム屋に来て、広場に集っている。写真を撮る度にその家族にOKかと聞いて撮った。ブログに載せるのは憚れることもあるが、国が違うということで、お許しをいただきたい。国を知る一つのバロメーターには子供の表情がある。Herenberug2

学校帰りの子供たちは歩き方がかっこいい。足が真っすぐ伸びている。ジーパンの長さも着ているカーデガンの色も似合っている。制服でなくても学生らしさがきりりと伝わってくる。

そういえば、私が中学校時代に制服の是非についての ディベートをしたことを思い出す。まじめな中学生で、違反もせずに長いスカートをはいていた。そういえば弟が行っていた麻布中はもうずっと前から制服は無くなった。私はあの麻の葉の入った制服のボタンがきれいと思っていたっけ。Herenberug3

左の写真は鐘のコンサートを聴きに来た親子。お父さんが子供に鐘の聞き方を説明していた。ドイツ語で、私には解らないのだけど、そう感じた。教会の城壁の周囲には遠く平野が広がり、鐘の音が時にはリズミカルに、時には厳かに、そして時には敬虔にならざるをえないほどに響きわたり、流れていた。

日本に帰ってきて、またインターネットをつないでブログを読んでいるが、『きっこの日記』 のきっこに会うなら、この町ヘレンベルグで会いたいと思っている。ちなみに2007年7月18日にも『きっこに会うならこんな町で』を書いている。それはオーストリーに近いドイツのランズフートだった。

きっこさんはブログの中では難しい情報をいろんな喩えに満ちて、誰にもよく解るように説明し、それでいてサラッとリズミカルに話してくれる。何かたくさんのお仕事をしているようで、毎日毎日脳味噌を休む間もなく動かしている。少しは休んだらどうかとは・・・・私は言わない。私が言えるのは、

若いから自分の力をその時、その時出し切ってがんばってほしい。 

でも健康には気をつけてね。

シングルの物足りなさをつぶやいていたように感じたこともあったけれど、いつかまじめで優しくて、きっこさんのことを大切にしてくれる人に出会えますように祈ってます!

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2008/08/25

ドイツの誘惑@花束を持つ男性はすてきⅡ

Hana_dansei1Hana_dansei2Hana_dansei3                           

今から2年前にも《ドイツの誘惑@花束を持つ男性はすてき》http://atchibi.cocolog-nifty.com/tk/2006/06/post_0d96.htmlという記事を書いている。

今回も花束を持つ男性を意識して探したが、撮影するのは肖像権にかかわることなので、やはり簡単にはできない。そのため、シュトッツガルトとヘレンベルグのマルクト(朝市)で何度かすれ違って、出来るだけ女性と一緒にいる男性の方に、コミュニケーションが取れたと感じてから写真を撮らせていただいた。Hanaya3

左は多分お嬢さんとお散歩中のお父さん。真ん中は東洋的な面立ちの奥さんと一緒の男性。右はなんだか少し私の父に似ていたので撮らせていただいた。真ん中がヘレンベルグでお会いした方だが、日本ではめったに夫が花を買ってきてくれないと私が言うと、『まあ!』と言って、芳州先生を見て、ダメね!というポーズをとった。魅力的な表情の方だった。

左の方はお花をこちら向きに見せてほしかったが、二人の目線と会い、表情を変えたく無かったので戸惑ったが、やめた。包装紙の中の花はローズ色だった。この1枚の写真を良い感じにグレードアップする色だったのだが。ちょっと残念。

それぞれ花のアレンジとその持ち主が似合っていた。だからドイツの男性はすてきなんだけど。日本の男性もたまには奥さんに花束をプレゼントして下さればいいんですが! ねっ、聞いてる?smile

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2008/07/25

おやまのおうち

Kawa0807tomo昨日から親戚の子、トモくんを預かっている。彼は夏のおやまのおうちには虫やチョウがたくさんいるので楽しみにして来た。そして4月から描いている自分の本『おやまのおうち』の続きを描いた。

トモくんが花火をしているとシカやキツネが遊びに来て、一緒に遊ぼうと仲間になる、入り口にはチケットを売る人がいるというお話の筋。夜の星を描き、お祭りを描き、見せに来る。

ところで、あとりえにはトモくんと1才違いのハルくん(小1)がいるが、彼は元気な子で、入ったばかりの時は元気過ぎで少し困るほどだった。私は人の子という意識を捨てて、うちの親戚の子の一人と意識して接し教えた。それは当たり前ともいえるが、その時だけしっかり意識してみた。

その心が通じたのか、最近ではとても良い絵を描く。Kawa0807tomo2こうして親戚の子のトモクンを山に連れて来ているようにあとりえの子も連れて来たいのだけど、常に人の子を預かると、心配が付きまとう。かつて山のあとりえを1回だけ開催したが、今ではその勇気は出ない。飛び交うスズメバチや、子供たちが持つある種のアレルギーに対しての心配の種は尽きないし、最近の理由のつかない極悪な事件に対しての防衛の護りも万全とはいえない。時々、マイナスな考えばかりが浮かぶと、そんなら、洞爺湖サミットの時の警官の護衛を2人一組貸してよ!といいたくなるが・・・・・・・

そして今日午前中トモクンにはトンボの採り方を教授する。一度私の採り方を見せ、トンボに網を見せないように後から迫り、すばやく網を地面にふせるというやり方を教える。トンボを籠に入れるときに逃げることや、捕まえる時にかまれることは教えなかった。自分で経験してから失敗しないように努力するように学ばせたかったから。

また、朝早くコクワガタを見つけにいったがいなかった。前回私が見つけたコクワガタ夫婦を続けて観察しよう。明日は野辺山のSLランドに行こう。トモクンの乗り物に対しての興味はいつまで続くのだろうか。あとりえの子供たちも各家庭で今年の思い出をつくるのだろう。

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2008/07/21

川上村との出会い

Kawa080719_yuuge昨日、朝のニュースで梅雨が明けたと言っていた。川上村ではレタスの出荷が忙しくなるだろう。我が家の次女がレタス畑でのアルバイトをしたのは高校一年生の時だった。

その7年前、まだ子供たちが小学生だった時に川上村の隣の南相木村で家族でキャンプをした。その帰り道、暑中見舞いのはがきを出そうと川上村のタバコ屋に立ち寄った。今枝はるさんの店だ。はるさんは小さな体で、腰も曲がっていたが、もんぺやジーパン、エプロンなどの雑貨を売っていた。

『どこから来なすった。おう、横浜から来なすった。この間の地震はえらいことだったずら』 と言うような会話を記憶している。そのはるさんの好印象から翌年、川上の別荘地を買うことにした。そして数年の後に山小屋を建てた。

Kawa080719_1 そして由井幸憲さんと奥さんと知り合ったのは別荘地近くのレタス畑でだ。由井さんは環境問題の祖とも言えるレーチェル・カーソンの『沈黙の春』について教えてくれた。また次女は由井さんの畑でアルバイトをしたのだが、道具の使い方や、雑草、空の雲のことなど、毎日新鮮な自然の情報を聞いてきた。そして由井さんの奥さんが農作業とアルバイトの住み込みの学生の食事の面倒を見ているのを印象強く感じたと当時言っていたのを思い出す。

その時、次女は一人前にアルバイト代をいただき、車で送ってもらい、その上レタスやキャベツや白菜を持って帰って来た。親としてはこんな戦力にもならない子が、過分にいただいて申し訳ないと思い、仕出しの弁当とまではいかなかったけれど、コロッケや、ロールキャベツを長女と作った。いただいたもので作るのが楽しかった。それも今では懐かしい思い出になっている。

由井さんは現在、『川上村誌・民族編』の資料の編纂にも携わり、最近は『梓久保金山発掘調査報告書』の調査、編集にも携わっている。Kawa080719_rento昨日、久しぶりにお家に伺って、幸憲さんにお会いした。確か私の父と同じとしだと思うが、元気でいる上にいつも世事に詳しく私たちが教えてもらうことばかりだ。そして病気で大変だと聞いていた奥さんが元気になって車椅子で出てこられた。ご長男の奥さんを始め、家族の支えがこのように病気を治すのだろう。脱帽!

でも、もしかすると家族の中心になっているのは飼っている川上犬のレント君かもしれない。オオカミの血を引く証拠の足の脇にある爪を見せてもらった。ところが我が家のトイプーのココとレント君が興奮状態で写真取れず。

私たちが行った時ちょうどお庭の梅を採った所で梅をいただいた。私は今年ドイツから戻ったら作ろうと予定していたが母の病気見舞いで梅干を作り損ねていたので、ありがたく頂戴し昨日水につけあくだしし、今日塩に漬けた。

こうして川上村とはご縁があった人たちと今もお付き合いをしながら、自然の享受も受けている。本当にありがたいことと思っている。

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2008/07/13

映画『BUCKET LIST(棺おけリスト)』最高の人生のみつけ方より

今年6月にドイツを旅行した時、往路の飛行機の中で、ジャックニコルソンとモーガンフリーマン主演の映画 『最高の人生のみつけ方』を見た。ちょうどその二人の雰囲気に似ている4人のライダーとアルザスのレストランで隣り合った。独仏国境近くをオートバイで旅行している仲良しの仲間と見た。皆で水とピザを注文して、なんだか楽しそうだった。下の写真が彼らだ。

Risutojpg この記事のタイトルにある、BUCKET LISTは日本語表示にすると『 最高の人生のみつけ方 』だが、直訳すると『 棺おけリスト 』となる。その表題の写真に使って大変申しわけないが、この映画を紹介すれば、分かってもらえる。

映画のあらすじを紹介するが、それを聞いたからとて、映画への感動は減りはしないと思う。

実業家エドガー(ジャック・ニコルソン)と自動車整備の仕事をするカーター(モーガン・フリーマン)は病気入院し医師に余命半年と告げられる。お互いにないものを持っている性格に惹かれて親友になる。そこで、財力のあるエドガーと知識力のあるカーターは棺おけに入らないで人生でやり残したことをしようと、リストを作る。

始めは落ち込んでいる二人だが、次第にリストをチェク出来ると、前向きに明るくなっていく。スカイダイビングをする。荘厳なところに行く。サーキット場で好きな車に乗る。世界一の美女にキスをする。タトウーをする。アフリカの自然公園でライオン狩りをする。ピラミッドに登る。万里の長城を歩く。エヴェレストに上る。次から次へとかなえて行く。

そして、監督が言いたいことはなんなのかを考えると、男2人を対照的に違う男としてとらえることで抽出できたもの。それは愛だ。信仰心の強い男カーターが家族揃って食事をして、妻との愛の予感を感じさせて倒れるシーン。そして、エドガーが世界一の美女とキスをするシーン。それは絵画でたとえれば、デッサンの黒い濃いペンの軌跡のように感じる。最後の場面はこの映画の予想外の場面だった

人はいつ何があっても愛の線、愛を感じる線が自分の人生の中に書かれていないと天国には召されない。監督が言いたかったのはそんな気がする。私の好きな映画『スタンドバイミー』の監督ロブライナーが作ったのですからね。私がもう少し暇になったらもう一度見てみたい映画だ。日本名は『最高の人生のみつけ方』だが、ジャック・ニコルソンのインタビューの中で、どこの国でも原題で紹介されたいと言っていたので、私は敢えて『BUCKET LIST』にしました。

ところで、1000人の人に自分の死ぬ日を知りたいかと聞くと96パーセントはノー、後の4パーセントはイエスだそうだ。私はどうだろうかと考えたが、今のところはイエス。

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今日はお盆の入り

今日はお盆の入りだ。私の過去ログにはお盆についての記事(新盆の迎え火と送り火)が入っているが、そこへのアクセス数が徐々に増えている。ここ7日間にアクセスの30パーセントに達している。

今日は入院中の母から、これこれこういう風にお寺のことをして欲しいといわれていたが、事業を起こそうとしている弟が何から何まで一人でするのが大変そうなので手伝った。

思ったよりは家の仏壇をきれいに掃除してあったのでほっとした。私はお盆の飾りを置き、お花を活けて、提灯をセットし、お線香をともし、日蓮宗の南無妙法蓮華経を唱えた。仏壇のおじいちゃんは私を見てニコッと笑ったので、私も笑った。

病院にいるおばあちゃんとの話をおじいちゃんに報告した。おばあちゃんに昔の寿雄さんとの馴れ初めを聞いたら、『始めは4才の歳の差をみんなに反対されたわよ。でもおじいちゃんはいい加減で無責任で苦労したわよ。ママはおじいちゃんを尊敬しているみたいだけど。』と言っていた。そう父に報告。そしたら、父は『お盆でそっちに行くけど、まだまだ照子はそっちにいて欲しいよ。この自由はたまらん!』と言っていた気がする。私はおばあちゃんの腰の痛みを軽くしてあげてと父に頼んだが。

そして弟を車に乗せて、摩耶寺に行った。行く途中、介護保険のこと、社会保険のことをお互いに口角泡を飛ばして話す。そしてこの国はどのようになっているかとか、肝心のことを話しかけているうちに摩耶寺に着いてしまった。なんと無力な私たちであろうか。あっという間に着いてしまうのはお寺だけじゃない。人生もそうだ。ボブディランも、ジョーンバエズも、ビートルズも、振り向いてみればはるか彼方に行ってしまった。青春は心の中で甘酸っぱく疼いている。弟が行っていた麻布中高の面々、そして私の友人たち、女子美やトキワ松の面々の顔が浮かんだ!

きっと皆の中の何パーセントかの人は親の病院のお見舞いや、介護や、お寺のことをしているのだろう。日本を背負っていた団塊の世代、ベビーブーマーたちだ。そのやり方がその人の人格を物語るものかもしれない。

私もこれから、芳州先生の家のほうのお盆の行事をする。お迎え火だ。おがらを焚いて3回跨ぐと言うのをする。それが終わったら《BUCKET LIST》の感想でも書こうか。そうだそうしよう!

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2008/06/10

二丁目の朝日@Google map

もうすぐ、六月の父の日が近づいているが、私は父が亡くなって3回目の父の日が来る。今年の四月に父絡みの不思議な体験をしたので過去のことだがそれを報告したくなった。

数日前に、グーグルマップで、私の実家の場所を検索したところ、父が亡くなってすぐの2005年12月にマップを見たことがあったが、今回は近くの薬品会社が建て替えで取り払われている写真になっていた。コンクリートのビルはなく、地面が見えていた。あれはあの道路側からから見ると50年ぶり位に夕日が見えた光景なのだ。そして実家の前の私道に白い車がある。赤い点もついている。なんと、救急車だ。父が亡くなる前には何度か救急車で病院にいったことがあったが、何とその日の写真がグーグルマップに写っていたのだ。

庭にはモッコクの丸い木があり、ベランダには白いバスタオルが干され、前のSさんの駐車場には息子さんの白い車も止まっている。裏のMさんの庭にはやはり緑が色濃い、8月末ではないか、だとすれば一度目の早朝に救急車に乗ったときだ。そしてその救急車には父が乗っているのだろうか。人の出入りは見えない。あまりの映像に驚いてしまった。『三丁目の夕日』ならぬ『二丁目の朝日』が見えていることになる。

「おじいちゃん!その救急車から出て来てよ!」思わず私は叫んでしまう。

ファザコンをこの歳になって自認している私なのだが、このような映像こそ心に残る場面と言うのだろう。驚きと同時にグーグルマップが約2年を経て更新されているのを知った。悲しいことだが、皆に見てもらいたいが、個人情報もあり、目黒区のナニガシ町何丁目何番地と言えないのが残念で悔しい気持ちもある。

気分を変えて長野の川上をグーグルマップで検索した。いつも行っている川上村に行く途中の山や川が見てみたかったから。大きな川はめったに変わることはないが小さな川は流れが変わることもある。山も時々地滑りを起こして、竹林が山肌をさらけ出すことも在る。高速道路に面した崖に樹齢を重ねた桜が咲いていることもある。いつも通っている道も脇にそれるとどうなっているかが分かるから、仕事が立て込んで行けない時にはそれを見て楽しんでいる。

ドイツ関係では知人の住所を入れて探したこともある。ドイツは屋根の色が微妙に違うので、その色を目に焼き付けて現地で探した。壁の色は分かるが上空から見た屋根の色はわからないので、それを目当てには探せなかった。またドイツから戻り、面白いことがわかった。私が宿泊していたホテルから外の景色を写生した。日本に戻ってグーグルマップでその出窓のデザインを見て、反対側の私が泊まったホテルの位置が分かった。

いつか年を取ってドイツに行けなくなっても、グーグルマップを検索してその臨場感を楽しむことが出来るだろうとも思っている。もっとも、ドイツは古いものを大切にしているので日本のように極端に変らないだろう。ただし私がパソコンのハード面での変化や操作についていけるか、対応できるかが問題だ。私の脳味噌がマルコメでも信州一でも歯を食いしばってついていきたいと思っている。

ところで、前述の実家のある場所だが、時間と暇のある方は目黒区の救急車の停まっている家を探してほしい。私の不思議な感動を追体験して欲しいから。そして私はこの奇跡的な事実を記録してくださったGoogleに感謝を込めて「二丁目の朝日」という形でブログに残しておきたい。    (2008年4月1日の日記より)

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2008/04/03

あとりえ・チビッコ展は無事終了しました

Kawa0804_yuki 展覧会を終え、その日のうちに娘の住む埼玉奥地に行き一泊し、温泉と蕎麦と野菜買いの小旅行をした。川上に着くと雪が降ったばかりだった。

今日で4日も、頭を空っぽにして心と体を自然にゆだねている。

ここ1年ほど山小屋の寒冷地用のトイレが故障して困っていたが村の大工さんに修理をお願いしてあったが、最新式の形になっていた。約20年はもったことになる。

展覧会の最中に起きたことや、出会った人や、あとりえ・チビッコの子供たちへの気持ちはいつもどおり、望ましいものになった。最終日に子供たちに話していてはっきりと気付いたことがあった。教えている子供だけでなく、以前教えた子供たちからの連絡がくることが楽しくなってきたことだ。今回は助川さんが東京工芸大学のデザインに決まったと展覧会場に来てくれた。無口な子が坂を登ってきてくれたのはうれしかった。また会期中に江藤さんのお母さんとすれ違ったら、横浜国大中学から明治大高校で、大学は農学部を目指しているとも聞いた。最終日には森屋萌ちゃん(三菱絵画コンクールで日本一になった)のお姉ちゃんの葵ちゃんが武蔵野美大の基礎デに入ったと報告を兼ねて来てくれた。最終日の表彰式などのあとで、かなり私もエキサイトしていて、姉妹を間違えて話していた。ごめんね。確か、お姉ちゃんのほうがデザインに向いていると私は以前言っていた。萌ちゃんは虫愛ずる姫だったから、もしかすると自然科学かなとも思っていたが、確かお母さんが理科系に進むと言っていたようだ。展覧会場の片づけで混乱していて失礼してしまった。お母さんが作ったケーキとパンはしっかり食べました。

Kawa0804_027 カスミちゃんとメグミちゃんが冨井先生を訪ねてきてくれたけど、来られなかったので会えなかった。heart03

表彰式の3年以上来ている子たちはいつでも入ったばかりの頃の小さい姿を目に焼き付けているから、それだけで胸がいっぱいになってしまう。3ヶ月かけて良い作品が描けて好かったという気持ちがheart01子供と私の共通の感動heart01

表彰式に出られなかった、モモコとモモカちゃん残念でした。でもお父さんやおじいちゃんおばあちゃんに会えて良かった。

でも、ブログを通じて私の近況を知り以前からの心の交流が再び復活しているから、展覧会にプラスしてリアルな感慨があるのです。山小屋では親戚の子と積み木をしたり、ラジコンをしたり、美味しいご飯を作ったりゆったりして、英気を養っている。乞うご期待!

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2008/03/20

バレンタインデーとホワイトデー雑記

Wasi長野から帰る道、芳州とがんばるという意味の四字熟語を言いながら帰ってきた。私は結構この語句を使ってしまう。その是非を二人で話しながら車にゆられていた。清里大橋から八ヶ岳は見えなかった。春霞と霧と雲が混じっていた。私も花粉症が急に出てきて、標高差による鼻詰まりと一緒になって、中央道の双葉で鼻をかんだら、やっと開通した。プッシュー!

家に戻って郵便物の整理をして、ホワイトデーの贈り物があった。私に一番館のポムダムールもあった。自分で贈っているけど、いただく気持ちが分かった。あまり、このようなことを書くとおねだりするようで、はしたないけれど、もう終わりにするので良いかと思って書く。

中に和紙の贈り物もある。私は字を書かなくなったが、このような和紙をいただくと、字を書かないといけないなと思う。この袋の 《夢》 という字が良い。私は以前、主人の母の面倒を見ているときに、心に起きる煩悶をどうしても取り去ることが出来ず、悩み、実家の母に教わり写経をした。その時 《夢》 という字が写経のちょうど真ん中で一文字だけ出てきた。

《夢》があるから、《夢》があるからと、《不》や《無》や《空》の字を書いていた。それを思い出させてくれたので、この袋も写真にとった。ありがとう拓明さん。

そしてインターネットの点検をしていると、なんと、ヤフーの「内田樹の研究室」で「あとりえ・チビッコ」が約1390000件の5件目に検索されていた。こんなことはめったにないことなので、印刷しました。でもすべて、ヴァーチャルな事なのです。

もう一つ、私が昔秘書をしていた時のG社の人事部長からもお手紙があった。私の贈るチョコのお陰で若返ったという、そして愛と希望を贈り続けてくれたことに感謝するとあった。

自分で自分にご苦労様! 

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2008/03/14

ホワイトデーに乾杯!

Photo

おいしいチョコレートや、マシュマロ、素敵な身につけるもの、お花、本,そしてお手紙やメールをありがとう!

 皆様の気持ちをしっかりと受け止めました!

 Thank You! Danke! ありがとう!

今年の永く、寒い冬は終わり、もう春。元気を出して行きましょう!今まで、私のバレンタインデーの遊びにお付き合いくださった皆様、今年をもって、終わりにします。ありがとう、そしてごめんなさい。

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2008/03/09

今日の地震とココの発作と業務連絡

今朝地震があったようです。不思議なことですが、いつでも地震が起きる半日前ぐらいに我が家の愛犬ココが発作を起こします。ココはプードルの女の子でもうすぐ7歳。発作というのは体が硬直して歩けなくなって、しばらくすると涎が垂れてきます。

私が抱っこして「ココ!ココ!」って呼んでも首を振って目が虚ろになるだけです。いつでもこのまま死ぬんじゃないかと、思います。でもしばらくすると足をひくひくさせて歩き始め、たまにおしっこやウンチをして、一連の具合の悪さが収まります。

そのようなことがあった後にほとんど必ず地震の情報があるのです。昨日のは軽いものでした。これから、ココの発作があったら、このブログで発信したいけれど、本来の《あとりえ・チビッコ》や《田園の誘惑》を書くのが目的なので、今のところどうしようかと思っています。

そんな折、今宅急便が届いて、あとりえ・チビッコの展覧会のDMが出来上がりました。あいか先生がデザインしたものです。箱を開いてみるとなかなか良い出来上がりです。今週のおけいこの時に渡します。彼女は昨年末から、教科書のデザインと女性企業家のための小冊子作りに携わっていました。公私とも忙しい中がんばっていました。親子で一緒の仕事をしているとお互い反発もあるけれど、ツウと言えばカアと答えてくれてくれる面もあります。とくに彼女自身、子供たちに教わることも多いようで、自分の幼い日と重ね合わせて観察していることが私にはうれしく感じます。

そういえば、以前あいかがおけいこのあとはパリパリ焼きそばかチェロカバブーが食べたいって言っていた。

よーし、久しぶりに、芳州直伝のイラン料理、チェロカバブーにしよう! 元気出して展覧会の準備だ!

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2008/03/05

『きっこの日記』に紹介されて

heart きっこさん、貴ブログでのご紹介ありがとうございます Hanataba061010

いつもあとりえチビッコはブログのアクセス解析での訪問者数は、ささやかな数でしたが、紹介してくださったお陰で、今日は今10時30分現在で580人、830ものアクセスがありました。こうしてきちんと人を立てて、お仕事を進める気持ちのよさがみんなの人気者になるのでしょうね。このところ、野暮用で忙しくしていたので、一瞬の夢でもうれしかったー。ありがと!

またきっこさんにあとりえ・チビッコの記事を教えてあげてくださった方ありがとう!

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2008/02/29

今日2008・2・29からオリンパスμ830使い始め

Sutorapu 写真家の妻でいながら、写真が下手なのだが、生意気にもっと近くに迫って細かいところまで撮りたいと言っていたら、芳州先生がオリンパスμ830を買ってきてくれた。しばらく中身を空けずにいたのだけれど、今日が閏年の2月29日でめったにない日なので、今日初めて設定をし、撮ってみた。

携帯のストラップに付いているギンミドリウリハ虫系の顔までよく撮れた。『きっこの日記R』にはきっこは虫が嫌いと書いてあり、きっこだけでなく、虫嫌いな人もたくさんいそうなのでほかのストラップと一緒にアップで撮ってみた。面白いほどにクローズアップできる。写真が撮りたくなってきそうだ。

今日は閏年の2月29日なので、次は4年後にしか来ない。私は約4年前にブログを勉強し始めている。次の4年後にはどんなKEICOCOになっているかと思う。ココもどんなココになっているかしら。Coco229

ここ数日前に《地磁気》で調べているうちに『りょうの部屋』という小学5年生から、科学について勉強している男の子のホームページを見つけた。ちょうど今日の日記のトップページは大学の試験を受けてきたところだった。小学校の5年生の時の日記はとても子供らしい文章で、東工大に入りたいと願っていた。現在の受験をしてきた彼の文章は少し大人っぽい。でも学究肌の真面目さが漂っている。ブログでその人の進化がわかるのは面白い。ずっとこの子の日記を見続けたい。

あとまた4年後に私はどんな進化を遂げているだろうか。あえて進化と言っておきたい。

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2008/02/26

きっこさんからのメール&出会いの記念日

じつは一昨日何気なく、メールを開けたところ、『きっこの日記』のきっこさんからのメールが入っていた。cat

一瞬信じられなくて、どうしようと考えてしまった。迷惑メールで、いたずらしてるのではないかとか、別人が成りすましているのでは、とか本当に失礼な気持ちを持ちながらメールを開いた。

私がバレンタインデーに送ったチョコレートのお礼とメッセージ(1年に1度の心を込めたメッセージ)へのお褒めの言葉が書かれていたが、私はだいぶ考えてから返信した。いつもたくさんのお仕事をこなし、寝る間もないほど忙しい方なのに申し訳ないという気持ちと、ちゃんとしたお手紙書かなきゃ!と焦った。

そこに、『きっこの日記R』の感想を少しだけ書いた。今度の辰巳出版から出した本には毎日読んでいるようでも読み落とした日記もあったようで、やはり、形になっているほうが残って良いと感じた。特に原爆の日の俳句はコピーをとっておこうと思っていて忘れてしまっていたものだった。また父さんのビールも心に残るお父さんへのオマージュで、すばらしいエッセイだと感じた。

そして、なんときっこさんの写真も入っていた。実は以前、ある場所で松葉杖を付いた方に会ったことがあり、その人が猫関係の商品を買っていたので、てっきりきっこさんだと思っていた。それに、その人はお母さんと一緒だったから。でも今回のメールに添付されていた写真は違っていた。以前会った人も理知的な人だったけど、きっこさんはすごい魅力的な人です。

ところで今夜は出会いの記念日、きっこのことやココログやあいかやすおみのことを話をしながら、今夜は芳州さんと出会った記念日を大倉山駅近くのカヴァヌーラでお祝いした。今夜で40年になった。カヴァヌーラの梅のパスタのディナーを注文して、ビールで乾杯。

昔、結構私たちも喧嘩をした。大きなのが1回。小さなのは年に2,3回だったかしら。特に初めはよくしたと思う。ほとんど私がきっかけを作っていた。喧嘩をするのは私が彼を理想的に見たりした後に起きた。理想と違うと私が線路を軌道修正していた気がする。軌道修正できたのはどうしてだろう。修正できなければ、脱線する。芳州さんが我慢をしたのかもしれない。こうして自分たちの生活をさらけ出すのも、若い人たちに結婚や愛の形を学んでもらいたいから。40年も経てば仲良く大倉山のギリシャ料理店で美味しいもの食べながら結婚について話せると。でも、結局は子はかすがいだったのかもしれない。だからといって子供がいなくても仲の良い夫婦もいる。

と、ここまで書いてきて、『きっこの日記R』の中の、恋愛遍歴について、チラッと見ると、きっこさんがえっというような思いをしたんだというようなことが書かれてある。なんか辛いな、でも読もう!

そとでは雨の音がひどい。天気予報どうりだ。

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2008/02/24

明後日は何の日?2・26、咸臨丸、脱出の日。

こよみのページには月や星のことや、暦についてのことが書かれている。私はよく24節気や潮の満ち引き、今日は何の日、今日の花などを覗いている。それによると明後日は・・・・・・・

明後日は2・26の日だ。1936年に起きた日本のクーデターで、1500名の陸軍皇道派の青年将校が3人の政府要人を殺害したにもかかわらず、無血で鎮圧された事件だ。第二次世界大戦が起きる5年前に起きたことだ。

それと明後日は咸臨丸が1860年太平洋横断をして、サンフランシスコに着いた日だ。100年経った1960年には日米修好条約記念の碑を立てたという。それから48年が経っている。つまり咸臨丸がサンフランシスコについてから約150年しか経っていない。150年では何代の世代が生き過ぎているのだろう。

また明日は脱出の日だ。それはナポレオンがエルバ島を脱出してパリに向かった日だと言う。へーえそうだったのか。地球上の太陽が冬至を経てグルグルッと廻っているが、なんとなく新しい事への挑戦をしたくなる日なんだ!そういえばこの頃の朝日の色、昼の日差し、夕べの心温まる日の光。どれを見ても新しい予感がする太陽の光だ。

それに2月26日はパナマ開通の日。血液銀行の日とある。

それと私事ではあるが、私と芳州さんが出会った日だ。当時G社の写真部長、中村都夢さんがスケートに行こうと私たちを招待してくれた。あの日がご縁のあった日だ。

ここまで私事をさらけ出して私が敢えて言いたいことは2・26は変化を起こすのに良い日ということ。いつも現状の生活に流されることはない。新しい新天地を見つけるのに良い日ということかもしれない。

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2008/02/21

アクセス30000回記念、明日早朝か

最近アクセス数が増えていましたが、30000にやっとなりそうです。巷の人気ブログと比較するとささやか過ぎて、言うほどないかと思いつつ、一応記念日があったほうが楽しそうなので、ご連絡します。

30000をアクセスした人はコメント欄でご連絡ください。粗品進呈します。

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2008/02/16

次の記念日に向けて発車オーライ

バレンタインデーのチョコを送り、ホッとしたのもつかの間。昨日は有明の額屋さんに展覧会の額を注文しに行った。前回は緑色ですべて整えたが今回は前回との調和を考えて、4色で揃えることにした。

この場所は以前、冨井君が働いていたところだ。お店で版画や、額装された作品を見ていたら、フッと、若い頃の彼の笑顔とあいかの笑顔が私の前をよぎった。目の前にチョコレートケーキの絵があった。実はバレンタインデーのチョコを送る行事を今年で終わりにするので記念にその絵を買った。美味しそうなお店からいい匂いもしたが、目黒の実家に用があるため、足早に有明を後にした。

臨海線、大井町線、東横線と乗りついて、学芸大学の母の家に行く。頼まれた用事を済ますためにタクシーで動き、徒歩で戻り、介護のことで、3人の人と打ち合わせをする。母は父が亡くなってから、秋の夕日のようにガタガタと衰えている。人は様々に年を取る。それに加えて、介護保険の見直しで、介護度1の母には酷と思われる状況がでてきた。人が年をとるということをどれだけの人が理解しているだろう。私の太陽のような大きな包容力も最近ではスーパーの風船のように家に持ち帰るとしぼんでしまう。

でも私には、子供用のまだまだアンパンマンぐらいにホッペの大きいまん丸太陽のような包容力のある風船がとってあるのでダイジョウブ! それは子供たち用にとってある。どんなことがあっても使わない。

そんなことで昨日は母の用事が終わると学芸大学の駅への道を歩く。昔の小学校の親友の家のそばを通った。仲良しの彼女のお兄さんは常石敬一、私のブログの中でお気に入りに入れてある。お誕生日のたびにお互いに招待しあった。彼女の家には弟もいて、二人ともよく勉強していた。弟は蜘蛛が好きでよく研究していて、遊びに行くと家の外の柱についている地蜘蛛を引っ張り出して私に見せてくれた。虫好きな恵子ちゃんと気があった。お兄さんはいつも学生服を着ていた思い出がある。彼女とは鷹番小学校の正門から下校する時いつも一緒だった。虫好きの弟に比べ、彼女は蝶が苦手で、よく男の子に蝶をそばに持ってこられて逃げていた。私は他の虫は平気だが毛虫が苦手で、学校の門のそばの桜の樹に毛虫が湧く頃には怖がっていた。だから仲良し二人組みは5月ぐらいはいつも学校の南門を逃げ回っていた気がする。お母さんが生粋の江戸っ子という感じで、普通のお母さんとは違っていた。私はお母さんと話しをするのが好きだった。お兄さんは都立大学へと進学した。

なんだか今日は昔のことを思い出す。もしかすると私の脳の海馬が昨日歩き回って活性化されたのかもしれない。そんなことないか! ところでバレンタインデーが終わったらもう私には次の記念日のあの日しかないんだけれど、それを見透かすように、きっこの日記は『嘘つき村』という記事になっている。きっこの日記Rは一昨日届きました。きっこはお母さんの病気を治すために、本を出版しがんばっている。私も若いときから親のことを心配してきた。きっこが一人っ子でがんばっているのを見ると、応援したくなる。

親のためにがんばる子もいれば、子のためにがんばる親もいる。きっとそれはなにか、神様みたいな存在が、その人に与えた課題ではないかと思う。私は小さい頃、美空ひばりの苦労した話を聞いて、どうして私は豊かな家に生まれたんだろうと思っていた。いつか、うちが貧乏になれば、私は力を発揮して何か出来るようになると、よく思っていた。コドモだったのよね。

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2008/02/15

2008年のバレンタインデーのメッセージ

昨日はセントバレンタインデーでした。《2008年のバレンタインデーのメッセージ》をここに載せます。チョコレートはないけれど。

                                                        『一本の樹 』  

 今日も清里大橋を渡り川上村の山小屋へと向かっている。八ヶ岳山麓の深い谷を跨いで渡る清里大橋。その深く黒い谷を見下ろして遥かに8つの峰が聳え立つ。今夜は宵月、真上からの月が森の木々を照らす。付近の別荘からの灯火がちらつく。月光のなんと強い力か。2月14日も今月今夜のこの月。膨らみ始めた蕾のような月は、影以外を平等に照らしている。国道141号の野辺山の温度表示は-11度を指していた。  

 小海線はカタコトと2両で平地を走って行く。乗客は5人。空には月と星が同時に瞬き、私は車のウインドウを開ける。走り去った列車の妙に懐かしい響きを聞きながら天空の瞬きにため息が出る。大瀧詠一のCDを入れると、《カナリア諸島にて》が流れてきた。父が好きだったのが頷ける。束縛しないゆったり感のメロディーに詩の率直さが合っている。小海線を渡るとなんだか涙が出てきた。山小屋に近づくにつれ今日降ったと思う雪がギシギシと鳴る。車のギアを4から3にして坂道を登っていく。曲は《さらばシベリア鉄道》に変わる。白樺の樹影がダンスを踊り、車のライトが雪の結晶を一粒一粒照らし出し、見る間にダイヤモンドに変っていく。 

 森の木々はまっすぐに天に伸びる木もあれば、斜めに傾斜して他の木に寄りかかる木もある。樹齢を数えられぬほどの古木には苔が付き、その樹種も分らぬほど神さびている。若い木は細いがしなやかに、雪の重さに耐えている。 私は2006年冬にミュンヘンから列車で4,50分のランズベルグに行った。レヒ川がそばを流れているので《Landsberg am Lech》。 列車で走りながらミュンヘンから遠ざかるにつれて、ヒットラーも通ったはずだと感じていた。街はクリスマスマルクトの明かりが灯り、忘れられない情景だった。4泊し、街の周囲にある城壁に沿い、遠くに広がるバイエルンの平地を眺め、マルクトの屋台を楽しみ、教会で祈った。

 日本に戻りブログ《あとりえ・チビッコ》にランズベルグの旅の様子を書いたところ、第一次世界大戦についてのホームページの中にヒットラーがランズベルグの刑務所に収容されていたことが分った。1924年12月に出所し、写真家のホフマンが車で迎えに来たとある。この場所は12月13日に私たちが写真を撮ったところだった。自分の写真と地図を照らし合わしてみると、あの樹は右の写真の手前にある太い樹ではないだろうか。詳しく調べたわけではないが、太さから樹齢を考えて、間違いないように思う。私はあの日、あの場所で 「この樹は太いがいつから植わっているのだろうか」と、この事実を知らずに樹に聞いていた。

インターネットを10年前には使えなかった私も、今では知識や情報のためになくてはならぬものになっている。こうして何気ない『一本の樹』が、歴史の証明の舞台装置として今も存在し、それにリアルにもヴァーチャルにも体験できたことに不思議な感慨を感じているのです。                                                         

                2008年1月19日              Keicoco

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2008/02/12

バレンタインデーまであと2日@発送済

present 毎年送っているバレンタインデーのチョコレートは今年はX個用意し、黒猫ヤマトで昨日発送した。今年は母の病院通いや展覧会の準備もあるため、明らかに14日前に着いてしまうが、もう送った。毎年メッセージを自分の文章修行の糧にしているため、結構エネルギーを使う。

ところが今日、朝早く、電話がなった。また千葉に住む娘のところで親戚の子が風邪でも引いたかな。と思ってでたら、『もしもし、Fです。今日はチョコレートありがとう。文章も読みましたよ。がんばってますね。私もヨーロッパに行くと、教会に行って撮影してますよ。』 なんと私が若い頃秘書をしていた出版社元社長からだった。ビックリうれしかった。

私はこのチョコへの反応については私が勝手にしていることなので、お送りしても何の連絡がなくとも、全く気にしていない。これ神に誓って本当。そしていわゆるファンチョコも送っている。その方に手紙を書くときは、芳州さんが撮影に行って、家にいないときに書いている。いけないことをしているからではなく、自分の美学を干渉されたくないからだ。私は自分が詩を書いたりしているときは人に見られたくない。鶴の恩返しの場面と思えば解ってもらえるだろうか。父は心臓が弱かったが、私も父に似ているのか、若いときから、興奮すると心臓がドキドキする。顔に出てしまう。そこで鶴の恩返し。

『この戸は絶対に開けないでくださいませ』

ある時期は100人を越えたこともあったかもしれない。本当のチョコは神戸一番館のポムダムールと決めている。でも、中には甘いものが苦手ではないかと思うと、苦味の多いダークチョコに代えるときもある。

このような行動に対して、哲学的、もしくは心理学的、もしくは宗教的に何らかの説明が出来るのであろうと思われるが、私自身は以前も書いたが『山之内一豊田』の家訓(私の代で考えたことだけど)を押し通していると思っている。『殿の御為』でも、もう今年で、家訓からは自由になろうと思っている。この家訓は結構我が家の娘たちに示して暮らしてきた。私がここから自由にならないと娘たちを縛り付けてしまいそうな気がこの頃やたらとする。

ところで14日が過ぎたら、メッセージをここに出します。またご訪問ください。私の身近な方々がブログを通じてこれからはメッセージを出すと言ってあるので、年配の方々がパソコンの勉強をがんばっているようです。須永さんがんばって!

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2008/02/08

展覧会に向けて・№2

展覧会に向けての制作が進んでいる。一昨日と昨日はいろいろな窓を描いた。家だけでなく、電車や飛行機でもいいと言ったら、ほっとしたようで、リラックスして描いていった。大倉山ではおたふく風邪が流行り始めているようだ。子供たちの健康状態が気がかりだが、伝染ってしまったら仕方がない。余病を併発せぬように速やかに治すことだ。

1週空けてのあとりえの日なので皆張り切っていた。漠然と自分たちの毎日を描こうと言っても、考えにくいが、窓の中に自分たちが見ていることの出来る『今日』を描くことは可能だ。独楽にしても、窓にしても、その子がそこにいるように感じるのは私の思い込みではない。子どもたちに自分たちの生活を意識して考えさせることが重要だ。

度々言っているが、お母さんやお父さんも子供たちと時間があったら一緒に絵を見ながら話しあったらどうだろうか。そういうことが出来るような絵がいっぱい描けたと思う。でもその中の何点かを選ぶため、全員の窓の絵が展覧会場に載るわけではない。だから展覧会が終わってから、お母さんは自分たち親と子供のために喫茶の時間を作り窓の絵を一緒に鑑賞して欲しい。

さて話は変るが、私も永年の運動不足に悩んでいたが、思い切ってWiiFitを購入しバランス感覚を取り戻そうとがんばっている。それはあとりえのモモコちゃんからWiiスポーツの面白さを言葉で教えてもらったからだ。また、カノンちゃんのパパはやはり運動不足になりがちなお仕事なので、WiiFitで遊んでいるという。サッカーでは150点を出したそう。私もおとといまでは60ぐらいだったのだが、昨日136を出した。バーチャルではあるが、コツがつかめると面白くなってはまりそう。

だが、私も一週間のある時間を実家の母のために使わなくてはならないため、朝早くにWiiでエネルギーを使いきってしまうと困る。でも、車の運転が多いと運動不足になる。そこで、今のところ夜寝る前にWiiFitでイライラした気分 (母の繰言を聞いて充満する心のもやもやと、国の介護保険に関する考え方に対する憤イキドホリ) をサッカーでボールを打つことで気分を晴らし、ヨガの三日月で精神の屹立を体に感じさせ、ボール入れで体のバランスを柔軟にさせ、穴に入れるという満足感を満たし、スキーでスイスイ滑り、最後は座禅で神経集中させて、合計3、40分励んでいる。夜も熟睡し、朝の目覚めが良い。

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2008/02/05

バレンタインデーまであと9日とココログの絵文字

Barentain heartバレンタインデーまであと9日となりましたheart

ところで、記事を書きかけて気が付いた。今日ココログのメンテナンスで、絵文字が記事の作成のツールに加わった。ココログさん、ありがとう beercarouselpony present snowdog 楽しく使わせていただきます。 birthday tulip apple pig heart01 いつも、絵文字がチョコッとあるといいなと思っていて、ハートは文字で入れてから変換していました。❤→heartheart01 こんなに可愛くなっちゃう。

こんな風に絵文字いっぱいの文章にすると、年令をチョコッとごまかせそうね。ところで写真のチョコレートはドイツ、ミュンヘンのシュヴァービングで、病院とクラインガルテンを見て、散策している時に見つけ、おいしそうと思って撮っておいたもの。event

私は去年の2月にも、一昨年の2月にも「ヴァレンタインまで・・・・・日」の記事を載せた。そして毎年私の昔のボーイフレンドと今のボーイフレンドにチョコをチョコッと送っている。最近では、ボーイフレンドなどという言葉は死語に近く、もしかすると元彼などという言葉を使用するのかもしれない。元彼よりは元枯れ枝かもしれないなどといったら、すごい怒られちゃいそう。cancer

本当はあとりえ・チビッコ展の準備やアイデアの検討や額を買いに行くことなど、目白押しなのだけど、毎年の行事にかまけています。メッセージを書くのが楽しくて、人の迷惑を省みずチョコを送りながら文章修行をしているが、最近は体力の限界を感じている。でも、義理チョコ、営業チョコ、本チョコ、カモフラージュチョコなどいろいろで、疲れるといっても、若さを保つのには良いかもしれない。cat

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2008/02/02

展覧会に向けて・№Ⅰ

あとりえでは展覧会に向けての制作を進めている。1月半ばには独楽にアクリル絵の具でペイントし、その次の週に独楽を廻す様子を絵に描かせた。独楽の塗り方はアクリルの重ね塗りの強さを出させたかった。また、子供たちが大人になっても独楽もずっと、永久不滅に、残ってほしかったから丁寧に塗らせ、ニスも塗って、簡単には色が退色しないように指導した。もちろん無垢の木の美しさもあるが、それは今回は無しにした。廻って美しく、飾って美しい色を、基本とした。だから大掃除やお引越しでお母さんに捨てられないように、美しく描かせたつもり。

次の週には独楽を廻す体の動きや、目付きや、腕の廻し方を教えて実際に独楽を廻してから、絵を描かせた。予想どうりそれに夢中になっている子がでた。また想定外の子、男女1人ずつが独楽廻しが上手だった。それを公表するのは展覧会でのお楽しみにしよう。

独楽の写真は芳州先生が空いている時間に頼み、子どもたちに作品を還す前に撮影した。まるでそこに子供たちが存在するように感じられた。

このようにして、1枚1枚大切に制作しているので、子供たちが風邪や行事と重なって制作が出来ずに選ぶ作品が少なくなるのはとても困る。だからインフルエンザはいつもより以上に流行らないで欲しい。いつだってそうだけど。

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2008/01/20

OBOGからの年賀状・その2

なかなか時間がとれず、ブログの更新が出来にくかった。また川上での接続が思うようにできず、困っていた。今少し前から、いろいろ操作したせいか、つながりやすくなった。

外は雪が降り始めた。田中望君からのメールがだいぶ前から来ていて、なかなか面白いことを書いてあるので、ご紹介します。きっと札幌も雪が降っているでしょう。



KEICOCO 先生

ご無沙汰しております。突然のメールで失礼します。
ブログにも数回登場させて頂きました田中望です。
年賀状ありがとうございました。
早速拝見いたしました、ブログ。
ハハハ・・・ハッキリ覚えていますよ、ヨード卵光!
(彼がメニューブックに貼ったもの)
あぁ、こういう視点でご覧になっていたんですねぇ。
恥かしかったですね、私の母親。庶民派丸出しですからね。
ブログ拝見していて、とても懐かしくて、とっても温かい気持ちになりました。
なんですかね、心と体もフ~っと20年前のあの頃の小さな私に戻ったような・・・。

夢中になってスケッチブックに向かっていた、当時の情景と全身の感覚が
一瞬で甦ってきました。(作品づくりに全く集中できず、先生を困らせたこと
が何度もあったこと、それもハッキリ覚えてますが)

私の場合は、その後芸術に携わっているわけではないですが、あの頃
養われた「夢中で取り組むこと」=「集中力」が、その後の20年に大きく
影響していると思います。小さかったあの頃は、週に1回木曜日に絵を
描くことが、とにかく楽しみでした。楽しいから夢中でした。その後、思
春期から青年期にかけて、大学まで体育会で野球を続け、ひたすら白
球を追いました。
そして今は、化粧品業界の営業マン。こうして書くと、なんだか何も共通
項がないような人生ですが、いつも目の前にあるものに、夢中で一生懸
命に取り組んでいることには全くブレがありません。

いま仕事に向かっている時の眼差しは、あの頃スケッチブックに向かって
いた眼差しと 変わらないのかなぁ、と思ったりしまして(たぶん)。
他の立派なOBさんやOGさんと違い、フツーの会社員としてフツーに過ごし
ていますが、 自分の仕事にやり甲斐を持って、お陰様で充実した日々を
送っております。イイ意味でバリバリ働いてますよ。心身ともに元気です。

そんな私も今年で30歳を迎えます。
私が幼稚園児だった頃、私の両親は32か33歳くらいだったはずです。
あぁ自分もそんな年齢なんだな、と再確認しました。
子供でもできそうになったらまたご連絡します。

先生もお元気で、アトリエとブログ続けてください。北の大地から楽しみに
拝見させて頂きます。
田中 望

あと、西富亮介君がフランスで結婚式を挙げたとのこと。相川貴文君からの楽しい年賀状も来ました。

特に偏差値を上げるための造形教室ではなかったのだがなかなか皆、私の趣旨を理解し、成長してくれたようで、このようにメールをいただくとうれしいです。

これからも、OGOBのメールが着いたら載せていきたいと思います。恥ずかしながらやっと、コピー&ペーストが出来るようになりました。うれしくて載せましたが、文字のサイズが違います。ごめんなさいね。また、勉強します。

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2008/01/07

バレンタインデーまであと39日@2007のメッセージ

German1sky 2006年のドイツ、クリスマス・マルクトの旅はまた、新しい収穫がありました。

ミュンヘンとミュンヘンから小一時間のランズブルグではおとぎの町の様な、クリスマスを見ることができました。クリスマス・イブに向けてのアドベントと呼ばれる期間、子供たちは広場でくじ引きがあり、サンタからプレゼントをもらいます。大人たちはグリュ-ワインというホットワインを飲み、主婦は広場で気に入った樅の木を選び、リースの材料を探します。夜になると若い夫婦は子供たちを乳母車に乗せて、友だちといっしょに屋台でおしゃべりを楽しみます。ドイツは子供たちがいっぱいいました。教会では信仰心厚い人たちが祈っていました。電飾が飾られていながら厳か、ロマンチックでいながら静か。

リースや、ウインドウ・デイスプレイのアイデアが楽しくて、私は町を歩き、竜宮城の浦島太郎のように、時間が過ぎていきました。帰りの飛行機の席に着いたときは、窓の景色には夕辺の色がありました。

行きは11時間半、帰りは10時間半、偏西風に乗って戻ります。食事をして外を見ようと窓を開けると、星がすぐ近くに瞬き、地上にはロシアの基地とおぼしき規則だった光が見え、日本に帰るんだと思いました。ドイツにはまた来られるかしらとも考えました。楽しかった。・・・・・・・・

ウトウトとして、また、外を見ようと窓を開けると星だらけの中にいた。いつも、八ヶ岳の満天の星を見ていたがその中にいる自分がいた。星の王子様の作者、サンテグジュペリがすぐ隣に飛行しているんじゃないかと思った。北斗七星、北極星、オリオンを見つけた。星の王子様の1節、バラの言う台詞が思い浮かんだ、

「あなたが私を飼いならすと、もうお互いに離れちゃいられなくなるよ。あなたは私にとって、この世でたった一人の人になるし、私はあなたにとってかけがえのないバラになるんです。」 戻ってから本を読み直したら、それはバラじゃなくて、キツネの台詞だった。

古びた本の裏表紙には1967・5・8とあった。40年たっている。15歳のときに読んだのだもの、記憶が定かじゃないはずだ。フフフ。でもちょっと危ない台詞!

今また日常に戻り、私はインターネットのブログ「あとりえ・チビッコ」を書き、007ジェームスボンドの映画「カジノロワイヤル」なんかを見て、ダニエルクレイグかっこいいって思ったり、夢に出ないかと映画のパンフを布団の下に置いて寝てみたり、やはりノートパソコンはボンドが使っていたソニーのⅤAIOがよかったと思ったりしています。

皆様もこの2007年、団塊の世代がまた新しく飛び立つであろうエポックの年にあたり、お元気でお過ごしください。いつかどこかでお会いできたらと淡い期待をしながら。

2007年2月14日                       KEICOCO

追記:❤昨年のバレンタインデーのチョコに添えたお手紙です。もうそろそろ今年のバレンタインデーに秒読みになりましたので、レアではないですが去年の言葉をプレゼントします。❤

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2007/12/30

明日は大晦日(おおつごもり)

2007kure_009 我が家はここ2年続けて喪中だったので、本当のお正月を忘れてしまいそうだ。

実家の母のためにささやかなリフォームをしたのだけれど、それに伴う煩雑なことが私を悩ませる。父との約束「ハハを大切にしてあげて」を実行しているのだけど、なんだか遣り甲斐を感じられない。時間は流れ星のように過ぎ去っていく。誰もが昨日の自分ではない今日の自分を背負って生きている。母のように年を取って伴侶を失うのは辛く悲しい。 

屋台の花屋で、大振りの南天を見つけたので、切って玄関に飾った。難を転じるという意味があるそうだ。大振りさが却って、小さいことにくよくよするなと感じられるフォームだ。

「きっこの日記」に『数え日』で記事が出ていたので何とか歌って見たいと思っていたが、なんだか暮なのにマゴマゴして出来ないうちに日が過ぎていく。でも、その記事の中に今日三十日が小晦日,明日三十一日が大晦日とあったので、《旅歌ノート》にハズカシナガラ書いてみた。

あしたはお煮しめを煮る。人参、八つ頭、蓮、しいたけ、筍、牛蒡を洗ったり、切ったり、面取りしたりした。慈姑は見当たらなかったが敢えて、探さなかった。

玄関の門松の飾りを付けようと戸を開けて、ちょっとしたすきにココが居なくなった、いつもの散歩コースに行ったのではないかと慌てたが、マンションの上のほうで、住んでいる人たちの声がした。「ココちゃん!ココちゃん!こっちですよ。」階段を上がっていくと7階まで行ってしまった。そこにココはいた。ココの今年最後の冒険だったかもしれない。ココはよくアヴァンチュールを楽しむ子だ。 私の体調は元に戻りました。

皆様よいお年をお迎えください。

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2007/12/24

★ サンタは子供が寝ている間に来る ★

今日、夜サンタクロースが来るので、子供は早く寝よう。空に星が輝き、風がヒューと音をして吹く。ドアは寒いから閉めておこう。夜になると、サンタは来る。子供の中には「サンタは本当はいないんだよ、お父さんがサンタなんだよ。」という子もいる。あとりえ・チビッコのKEICOCO先生はずっと子どもたちにサンタはいると言って来た。今日も言います。『サンタはいる』と。 そして、けっしてあとりえの昔の生徒の相川貴文君がやったようなことはしてはいけない。

それは、『先生、僕、サンタが来るのを今夜絶対に見ているよ、ブラックブラックガムを食べて、寝ないでいるよ。』 と言っていた、やんちゃな子がいたから。その後、彼にサンタのことを聞いていないけど、何も言っていないから、きっと昼間に遊びすぎて鼻ちょうちんを出して寝ていたのだろう。きっと!

今年の30周年の集まりには来られなかったが、彼は大人になってもブラックブラックガムを食べて今夜も寝ないでいるのだろうか。

我が家でも昔は不思議なことがいっぱいあった。サンタが子供が起きている間に来たこともあった。子供部屋の窓が開いていて外では鈴の音がしていて、クリスマスプレゼントが子供たちの机に置いてあった。ある年のクリスマスイブには、ドアの外に子どもたちが欲しがっていたポンポンポップコーンのおもちゃや、きのこののおうちが置いてあった。家族皆で一緒にご馳走を食べていたのだからお父さんやお母さんが置けるわけがない。

このブログはあとりえチビッコのパパやママが見ている。子供たちにこのことをよーく話してあげてほしい。

我が家にはもうサンタは来ない。子供がいないからだ。でも、今夜から親戚の5歳の子が来るので、もしかすると、またサンタが来るかも知れない。今夜はイブだから。・・・・・・そして私はサンタがいることを信じて、クリスマスソングを聴きまくっている。

♪ メリメリークリスマス・・・・・♪デインドンデインドン・・・・♪

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2007/12/09

ドイツのグリューワインを作ってみました

Guryuwain 1年前の今日、ドイツに出発した日だ。私はその時、初めて冬のドイツを見た。もっと寒いと思っていたのに、例年にない暖冬だったようだ。

人は体の中に季節が埋め込まれることがあるようで、ここ数日ドイツのミュンヘンのマルクトが恋しい。そこで、グリューワイン(ホットワイン)の作り方を調べておいたので、生協の赤ワインで作ってG_gryuwainみることにした。

でも、味見をして適当に良い気持ちになったところでデジカメを撮ったので、写し方はよくない!

ワインに少し水を入れて、暖めてから、チョウジとシナモンを入れて、本当はオレンジを入れるらしいのだが、なかったので、良い香りのするリンゴを薄く切って入れてみた。本当のとは違う感じもあったけれど、今日の私には十分満足だった。味付け香り付けに入れたリンゴはデザートとして食べた。

ワイン自身がお酒なので、水で薄めても、お酒です。子供は飲んではいけません。でも、風邪の時だったら薄くしたら飲めるかも。

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2007/12/02

高木め里♪ピアノ弾き語りライブ♪

今日は高木め里の♪ピアノ弾き語りライブ♪がある。会場は横浜グランドインターコンチネンタルだ。彼女はトキワ松の同級生であり、オールディーズと大人のJ-POPを聴かせるエンターテイナーだ。十数年前に大病(乳がん)を患うが、それを克服して、現在も活動を続けている。

ところが私は4日前から風邪を引き、それも最悪、お腹にきた。こんな風邪は初めて引いた。言うと恥ずかしくて、言わないとわからないから言うけど、自分じゃないみたいな感覚になった。でも、レディーのたしなみとしてこれ以上は言えない。

私はいつでも風邪を引くと「用事が山ほどあるから、1日で治す」と言い続けていたが、どうもそれは効かなくなったのかもしれない。それでも丸三日寝て、朝の食事はパンにジャムをつけて食べられた。今はこうしてパソコンに向かえるぐらいに治った。こんな時、男性だったら行けるかもしれないが、レディはちゃんと前日にお風呂に入って、ヘアメイクして、顔をパックして、マニキュアをして、風邪の薬の臭いなんかさせないで行きたいからね。だから行けない。美学はここでも、押しとうす!

彼女のコンサートに行って写真を撮りブログで紹介したいと思っていたのに残念だ。きっと今日の2時ごろ、彼女の低いながらも声量のある声が、ホテルのフロアに響きわたり、皆を懐かしい70年代の世界へと誘うことだろう。

私めといたしましては、インターコンチネンタルにはいつものジーパンじゃなくて、セクシーなスカートで行く予定だったのに残念!その後みなとみらいの夜景を見ながらお食事するつもりだったのに残念! もう少し治ったら、クリスマスの工作の記事を更新しますね。

追記:はじめてブログパーツを付けました。

     シショウ走るクリスマスイェイ 

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2007/11/26

連休はエキサイトした日々だった

連休は我が家のリビングで、親戚の子、トモクンと一緒に「レミーのおいしいレストラン」を見た。あとりえのモモコちゃんが 「レミーのおいしいレストランは絶対見てね」 と言っていたからだ。台詞の中に、《 一つの食材ともう一つの食材が一緒になるともっと別のおいしい世界が拡がるよ 》と言っていたのが、印象に残った。でもやはり、ネズミに抵抗感はあった。子供のように頭をリセットしにくいのはなぜかな? 言いたくないな!

あくる日は鶴見川の河川敷の整備された土手の芝生で、草スキーもどきのダンボールスキーをした。前日に散歩で出かけ土手でスベッテコロンデ、発見した、というより思い出した。昔、娘たちとそんな遊びをしたことを。

ダンボールに紐を付けて、ビスケットとオセンベと目薬と、お茶を持って出かけた。土手の坂をトモクンと、ココと3人で干草だらけになって何度も滑った。前日にジーパンのお尻に穴が開いた。そのジーパンでまた滑った。若者の真似の穴あきジーパンがお尻だけでは洒落にもなんねー、でもそんなの関係ない!でもそんなの関係ない!

昨日はまたヨネヤマに熱帯魚を見にも行った。そばに斑入りで新種のポインセチアが咲いていてもうすぐクリスマス!イルミネーションも新種がきれい! 今日トモクンは西船橋に帰っていったけど、彼と一緒に遊んで、体脂肪が1減った。それと注文していた新しい訳の聖書が教文館から届く。文字のポイント数が大きい。

夕方、「内田樹の研究室」を見たところ、ビックリしたことがあった。私にはなんだか難しいプロセスを経て、コメントを入れさせていただいた。私の過去がちょこっとわかります。

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2007/11/20

父の三回忌、仏教とキリスト教が混在した日々

11月22日は良い夫婦の日で、父の命日でもある。今年でまる二年がたつ。そしてそれに先立ち、18日の日曜日に荏原の摩耶寺で三回忌をした。

ご住職のお経とお説教を聴いた。またお経は聞くだけでなく自分たちも本を読み、お経を唱えた。法要のあとは木曽路で会食。母が準備するのを手伝ったが、来し方行く末が案じられた。こうして人は年を取っていく。

住職のお話は近所の小学校の道徳(市民科)の標語についてと法華経12章、罪福相についてのお話だが、また解らない箇所があったが、法事の席でお焼香もしなければならない中で質問はできなかった。家に戻り調べているがまだ解らない。

「今日のお言葉」という意味の本の中で18日の言葉が気になった。まるで父があの世から、私たちの親族の誰かに語りかけているような気がした。また、従兄弟のYは、いつのまにか、爺臭くなって、ほれ、次は誰がお焼香しろとか、終わったと、住職に言えとか、指図した。昔のKおじさんとそっくりだった。ありがたいおせっかい。

帰ってからも、そのずっと前からも、最近聖書のあるフレーズが気になっていた。それは「死が近づく前に備えなさい」というような言葉だった。昔日曜学校に行っていたときの聖書を出して、ルカによる福音書を読んだけど、解らなかった。聖書を読んでいるうち、心が落ち着いてきた。それにしても昔の聖書は字のポイントが小さい。

あくる朝、起きてココと散歩しようと、外に出たら、ご近所の今村さんと会った。聖書の会社で編集をなさっていた方だ。さっそく、最近の聖書について聞いてみた。いろいろなスタイルの聖書があるという。私の持っているのは40年くらい前のものだ。教会に行く気は無いけれど、ドイツという、キリスト教圏の国に行くからにはもっと勉強しないといけないので、新しいのを購入してみようと思っている。

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2007/11/14

今日は結婚記念日

Jouetu_061 37回目の結婚記念日をここ、川上の山小屋で迎えた。

上越の朝市で買い求めた菊の花が馥郁と咲き、祝福してくれている。

あとりえの30周年を今年春に祝ったので、結婚について何かを言いたくなって、いろいろ考え、でも消しました。

自分たちで創ってください。

宮崎君、木崎君、森崎君、相川君、西富君、田中君、岡田さん、富井さん、久米さん(秋田県)、大島さん、橋本さんがんばってね。他に連絡はないけど結婚しそうなあとりえのOB,OGの子たちにもエールを送ります。

いい人と出会えますように!

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2007/10/23

男の子の七五三

753_14 この間の日曜日に親戚の子、トモクンの七五三に呼ばれて行った。よく晴れた日曜日で、船橋大神宮の境内には早い七五三をする子どもたちとお宮参りの赤ちゃん家族で賑やかだった。

10組ほどが名前を呼ばれて、神主の祝詞は「かしこみーかしこみー」「あめつちのー」「・・・・がおのこ」などなど、神社系の言葉にうれしくなった。ここ1、2年仏教系の言葉ばかり耳にしていたので、不謹慎かもしれないがマジでにんまりした。

やっぱり日本人だ。

二礼二拍手一礼を皆でした。トモクンが頭を下げる時、ケイコバアバは思い出したぞ。娘が結婚を決めて私に話した時、「結婚式はしない」とかなんとか言ったときに、「結婚すると必ず、自分より偉大なのもに対して拝みたくなるような時が必ずあるから、そういう場所で結婚式をしてね。」と言った。どちらの方の娘に言ったか忘れたが。一人は山手聖公会の教会、一人は明治神宮で結婚式をしてくれた。

私は二人の娘の母親だったので、男子の七五三に出るのは始めてだ。着付けの面倒さはなく、シンプルに成長を喜べる。まあ母親でなく親戚の子だから、気も楽なのだけどね。

式の後、お婿さんのお父さんとお母さんと久しぶり会い、船橋で有名な東魁楼本店の個室でお食事をご馳走になった。中華料理が何品出てきたかわからぬほど出て来て、遠慮もせず、むしゃむしゃと心からトモクンの成長と両家の弥栄を寿ぎ、食べつくした。若い人たちと一緒だとスケールが違う。その後の夕食一食は断食した。

写真はトモクンが千歳あめがどんなものかと袋を覗いているところ。

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2007/10/04

今日はブログ開設三周年!

Shoujo3 早いもので今日でブログ開設をしてから3周年を迎えた。初めてウェブ上に載せた写真はフランス、コルマールの少女の後姿だった。

最初のブログのタイトルは「はじめましてこんにちは」

初心にもどって今日も発信したい。左はオーストリー、ザルツブルグの子供祭りの写真だ。初夏にドイツから戻り、写真を小さく載せたと思うが気に入っているのでまた、ブログを飾りたい。

もう戻らない子供時代に思いを馳せ、そして、この今こうして自由に表現が出来る幸せをかみしめて。自由というよりは自在にと言う方が正しいかもしれない。まあそれほど自在では無いのだが、少しずつWEBを学んでいるという意味で進歩しているから。私のブログの先輩の皆様、これからもよろしくお願いいたします。

そしてこれからもあとりえで教えながら、ブログで自分の意思を表して生きたい。3年前に言っている、あとりえを巣立っていった子供たちとの交流も今年の春に実現できた。

もう少し、あともっと、MORE! 子供たちの守りとなって、造形絵画の指導をしていきたい。出来うるならば! 

今日は希望が丘教室がある。少人数だが、皆まとまって楽しく表現している。今日の課題は「音楽を聴いて描く」。課題は18世紀の頃の楽器を使った音楽で奏者の沼尾美和子氏はチェンバロをザルツブルグで学んでいる。

自分で自分におめでとう!

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2007/09/30

コスモスと月夜

2 久しぶりにペイントを使って、絵を描いてみた。

雨降りの日に塗り絵をした幼い日が思い出された。マンションの通路にはデンデンムシが何匹か歩いていた。私は久しぶりに降っている雨に傘をさして、クルクル回してみたりした。

今日は寒いと思った。地球も帳尻を合わせるのに大変だ。

もうすぐ、ブログ開設記念日だ。そう思ったらなんだか暑くなってきた。

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2007/09/26

あとりえの更新は明日になります

Kawayasude_001 《秋の花》の作品の講評は明日になります。今日書くつもりでしたが、朝から畑の収穫物を洗ったり、調理しているうちに時間がなくなりました。

紫蘇の実がたくさん取れたので、他にブログをのぞいて、紫蘇の味噌煮を作ったり、ルッコラをうろ抜いたり、洗ったり、とにかく商品みたいにするのは時間がかかります。そのため、標高差10メートルを息を切らして登ったり降りたり。登るついでに駐車場においてある肥料を床下に運んだり、降りるついでに木酢液入りのじょうろに水を入れて畑に撒いたり。

これで体脂肪が下がるといいけど。オー、タイムオーバー。

これから、ETCの通勤割引時間で帰りまーす。

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2007/09/18

昨日の敬老の日と今日のうれしいメール

昨日は敬老の日だったが、私にとっては気持ちの上で 《毎日が敬老の日》 と思っているから、ことさら、そういうニュースを聞くと、「シャラクセー」なんて、汚い言葉が心の上っ面に漂ってしまう。そして、私も結局シャラクセーと思いつつ、実家の母に前日から用意したおはぎを朝作り、一週間前に注文したダイニングコタツが届く日だったので、母の部屋を片付けて生活がしやすいようにしてあげた。

母が私に感謝していると言い、いつまでもいろいろやってもらって悪いと言った。いつものパターンで泣きそうになって言うから、私は言った。

「親孝行をしていれば、自分がどうやって年をとっていくかがわかるから、それは自分に帰ってくる、ダイジョウブだからね。」 よく考えれば冷たい台詞だ。

人はいつから、自分一人だけで生きてきたのかは解らないように、いつから人に助けられて衰えていくかは解らない。母はいつも一緒だった父が今は居なくなって、心は完全に一人では生きていない。誰かが、そばにいるか、支えていると確約してくれなければ安心していない。そして、足がかなり、弱っている。掘りごたつに入るのが苦しくて、全くのバリアノンフリーだった。

車で、碑文谷のダイエーに行き、コタツ敷きとワゴンを選びまた実家に戻り、掃除をしてセッテイングなどをした。途中で、芳州先生から電話があり、あちらはあちらで、親戚の叔母さんの台所のリフォームで、家を片付けている。こんな日は一生の中でめったにはあるまいというほどの日だ。

年を取り、面倒を見る人が居ても居なくても、簡単には老人ホームには入れない。そして、できるだけ自分の家に居たいのが心情だ。特に痴呆になっていなければ。だから、ベストな暮らしをそばに居るものがしてあげる。ただ、このことを子どもたちにはさせたくない。絶対させたくない。自分たちで決着していきたい。

なんてね!暗い話題はごめんごめん。 

うって変わって、今日は前から待ちに待っていた横浜市市民利用施設からのメールが来た。当の一文字。希望していた来年の 《あとりえ・チビッコ展2008》 が大倉山記念館ギャラリーで出来ることが決まった。3月25日から1週間だ。前回は3ヶ月にわたり抽選に手こずったが、今回は1回で決まった。がんばりまーす!

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2007/08/31

ヨコハマ・Motion Blue&MarineRouge

Motionblue_2_2 昨日のMotion Blue YOKOHAMAでのエピゾ・バングーラの演奏はすばらしかった。アフリカギアナのネイティブなパーカッションは腹に響く。また繊細で力強いインディアンハープのようなもう一つの楽器 (名前は知らない)が奏でる、哀愁あるメロディーは夏の終わりに心地よかった。

小川正人君はエピゾ・バングーラの演奏の準備に忙しかったようで、春に会った時よりはスリムになっていた。

私のとって、Motion Blueのある赤レンガ倉庫はかつて、壊れかけたルウインとも言うべき蜘蛛の巣だらけの廃屋の記憶から、このような華やかな場所に生まれ変わっていたのだ。Motionblue_1_2

正人君の夢がパーカッションへの熱い思いへとつながるようにと祈りながら、華やかさの中で、KEICOCO先生も仕事の後(夏休み工作の成功)の疲れを癒した。そして、結婚3X年も経っているけど、相変わらず10時が門限を守って、帰ってきた。写真の階段には脱げたガラスの靴は映ってない!

Curues

そして今日、8月最後の日は2人の娘たちが私の誕生日プレゼントにチケットを用意してくれた、マリンルージュのランチクルーズに行った。4月からもう4ヶ月も経ったなんて。感謝還暦雨あられなんてね!

エコロジーの風車や、下から見るベイブリッジを見ながら、美味しいお食事を食べ、ノスタルジックな音楽を聴きながら進む。リチャードクレーダーマンのピアノ曲が流れる。

リチャードクレーダーマンはかつて県民ホールで芳州が展覧会をしていた時、最終日に上の階でコンサートをした。「横浜が見える時間Ⅰ」の写真展をしていた時だ。

最終日に、額や、パネルを片付けシャッターを下ろしたとき時、「ピンピン、ピピピピピン、ピン、ピピピピピピン、ピン、ピピピン、ポロロ、ポロロロン、ロン、ロン、ロンロンロン」ってピアノが流れてきた。あの日から何年経ったのだろう。Curues2

音楽はミスターロンリー、タンゴ碧空、ファシネーション、プリテイーウーマン、愛さずにはいられない、プロコルファルムの青い影、ジョージアオンマイマインドと続く。Crues3

マリンルージュはつばさ橋をくぐり、乗船した山下公園に着いた。

私たちにとっては思い入れのあるヨコハマだけど、ここに住んでいる人だったら、このクルーズは思い出作りに良いと思う。そして地方に住んでいるご両親に、ヨコハマを紹介するのにも良いと思う。

陸に近づきながら、山下公園に海からの波がぶつかっているのが見えた。人生って、大変だった波も離れて見てみれば、白い波頭がきれいに見える。少し時間が経ってみれば、きっと何だって大丈夫なんだろう。ダイジョウブ!そんな気持ちが持てる時間だった。

いつもと違う極上の時間・ヒトトキをくれた人たちに感謝!

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2007/08/17

山百合は白い恋人

Kawa070817_yuri ここ、八ヶ岳山麓ではユリの球根を土に植えても、動物の餌になってしまう。今年の春、凍った土が溶けてから植えたが、6月になっても6個の球根は芽が出なかった。

以前には花を10個ほどは咲かすユリがベランダの脇にあったのだが、それも動物に食べられてしまい、もう咲かなくなってしまった。

写真のユリは3年前に植えたものが動物に食べられずに出てきて、8月14日に咲いた。朝のうちはあの山百合の匂いはしなかったが、翌日の昼頃に、深山に迷い込んだような香りがあたり一面に漂った。

幸せな気持ち!私にとっての白い恋人だ。

今、チョコレートの《白い恋人》が、賞味期限の改ざんで問題になっているようだ。私は毎年チョコレートを吟味して、私の今の男友達、かつての男友達に贈っているので気になる事件だ。今までに《白い恋人》も選択しようかとと考慮したことがあったが、贈ったことはない。私の本チョコは神戸のポムダムールだ。

チョコレートはイメージが大切な商品なのだから、こんなことはあってはならないことだと思う。でも、主婦としてはこんなことはよく遭遇する。

「ゲッ、この牛乳賞味期限切れ?」とか、「マヨネーズ、少し使いたいけど、賞味期限切れだけど、舐めたら大丈夫そうだから、使っちゃえ。」「ほらやっぱりお腹壊さないで、平気だった。」

《白い恋人》は賞味期限の設定を4ヶ月から、6ヶ月になおし、甘い設定にしていたということだが、他のことは忘れても、チョコレートというロマンを贈るものとしての、美学を忘れちゃ、君、困るよ!

ところで、来年のバレンタインチョコレートまで、半年になる、多分私は《私の美学》を貫くでしょう。

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2007/08/13

トモ君とみたペルセウス流星群と新しい小海線の車両

Kawa0708koumisen2 山小屋は仕事場でもあるのだが、今は夏休みで親戚のトモ君が遊びに来ている。私たちもしばしの間、お仕事モードから旅モードに切り替えた。

小海線では小淵沢駅と野辺山駅間を、新しいハイブリッド車が走っている。いつもは141号線沿いのSLランドのお子様用乗り物で満足していたトモ君も今回は「小海線!」と言って、乗りたがっている。鉄道好きの少年を《鉄チャン》と言うのだそうだが、彼は正にそのようだ。

途中、昼食を清里の睦で食べる。睦はうどんが美味しいが、家族で行くと、昔からの定番メニュー、《田舎ピラフ》を必ず誰かが注文する。安心な変わらぬ味だ。犬を連れて入れるのがいい。

小海線の時刻表で、甲斐大泉駅を午後2時23分に出るのに乗る。いつもの車両より滑らかな乗り心地だったが、新しい車両独特の臭いがあった。車の通る141号が時々見えて、森の中を進む。2両編成の列車を見回すと、もっと年のいった鉄ちゃんが何人も乗っていた。トイレも付いていたので、野辺山までではなく、小諸駅までの長い時間乗る車両にこそ、この車体を使用してほしいと思う。

Kawa0708koumisen  野辺山駅で芳州先生が車で待っていて、山小屋に戻った。

夜には食後、服を1枚はおって空を見た。時間は8時、9時だったが、5分に一度は流星が見えた。細かい動きをするものがペルセウス流星群らしいが、天空を4分の一ほど動くような星もあった。薄雲が出てきてしまったので、部屋に入った。

トモ君には感激の一日だったようだ。

ハイブリッド車の時刻表はココです。

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2007/08/06

仕事と遊びの境界線

P8010002 今日は収穫したジャガイモを選別し、日陰で干した。ハート型のメイクイーンがあった。ラッキー!

昨日カインズホームで長い鎌を買ったので、勾配を利用して草も刈った。森の中の仕事は忙しい。

木を切るのは葉が茂っていない冬が良いと聞いているが、細い木の場合は、小枝の出具合を見て、今の方が良いと考えている。鋸や、斧を用意して切った。白樺を切っていたら、芳州さんが出てきて、手伝ってくれた。基本的には畑や庭の作業は私の仕事だが、たまに時間があると手伝ってくれる。一人より二人の方が楽しいけど。

通りに面したところにズミが3本生えているが、キングサリを植えたのに、日差しを遮ってしまう。ちなみにキングサリはドイツのネルトリンゲンで黄色い房を下げて咲いていた樹木だ。始めて,かの地でそういう樹木があるのを知ったのだが、川上にも植えたいと思っていた。ネルトリンゲンは隕石が落下して出来た町だからだ。この八ヶ岳の麓、大泉の 《花松園》 で販売していたので、この辺りでも植えられると知った。

そしていつも、私が園芸用品やペットの餌を買っている、《ヨネヤマプランテイション》 で、去年の秋に丈夫そうなキングサリの苗が思ったより安く売っていたので、横浜の家のベランダで一冬越させ、今年春に川上に植えた。ところが、肥料としてコンポストのゴミを50センチ掘って入れ、植えたところ、狸かアナグマが掘って木をひっくり返していた。そのためまた、移動して植えたのだ。

いわく因縁が付いてはいるが、是非定着させて、きれいな花を咲かせたい。

3本のズミの木は夕方までに切り終え、私の砲丸投げで、無事、時間も短縮して片付けた。

Kawasigotoato 明日からまた横浜の生活になる。夏の工作はララポート横浜Uni artで調達した素材で作る工作だ。もうこちらで試作を作り、私自身、幸せな時間を持った。私が幸せを感じない工作を指導したって子供たちに幸せを与えられない。私が楽しい時間を過ごしてこそ、子供に幸せな時間を与えることが出来る。だから、私はよく遊ぶ。遊びと仕事、仕事と遊びの境界はつけ難い。どちらにしても、身を粉にして動き、働くということだ。

都会に戻ったら別のお仕事がある。ペットショップや園芸店、ビデオ、映画館まわり、本探し。そろそろ、木の剪定をしたあとの体の節々の痛みが出てきた。明日からは静の仕事、静の遊びを心がけよう。写真は食事の支度準備中に撮ったもの。

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2007/07/16

新盆の迎え火と送り火

Otetudai0707_2親戚の子を預かり、いろいろな感動があった。

ホントにささやかなことではあるが、時間の流れを感じる。

テレビニュースで、北朝鮮の核問題についてのニュースを聞き、4才の彼は、「 日本にも原子爆弾が落ちたんだよ。」 「  日本が外国に戦争をしたんだ。昔だけどね。ママが言ってた。」

私の長女は小学校3年ぐらいの時に、学校での映写会で裸足のゲンの映画を見て帰り、「 戦争はいけないことはわかっている、あんなに怖い映画を見せられるなんていやだ。」と言って、泣きじゃくった。その子が今では自分の子に「戦争はいけないこと」 と教え始めている。

この連休は、主人の母の新盆のために、部屋を片付けたり、提灯を用意したり、やりつけないことをした。本を読むと、我が家の浄土真宗はそれほど格式を重んじないようなのであったが、私は亡くなった母と一緒に住むようになってから仏壇を置くようになってからは、仏教のお盆のしきたりの迎え火と送り火を意識して娘たちに見せていた。また小さい時から実家でも、お盆には迎え火送り火をしている。実家は日蓮宗だ。

こういうことは宗教と関係なく、娘たちが日本のどんなところに嫁いでも大丈夫なように、最大公約数的なしつけとして、大事だと思っている。そのようなしきたりや約束事はこれからどんどん変わっていくだろうが。

家族や親戚は変わらずにその伝統は守っていることも多い。自分からは形を変えようがない。また、お寺での御住職の説教やお経は、亡き人を偲び、残った者を癒す言葉に満ちている。とりあえず、自分の信仰とは関係なく、亡き人たちを思えば受け入れていかざるを得ない。

7月13日にお迎え火を焚いて、仏様が来て、7月16日に送り火を焚いて、また、あの世に戻られるという。

ちなみに私はマンションのベランダで、浅い植木鉢に土を入れてその上でおがらを燃やす。そしてその上を3回跨ぐと、仏様が来たり、帰ったりするのだそうな。

さきほど長女のすおみが来て送り火を一緒に焚き、皆で 「おばあちゃん、また来年ね」 と、魂を送った。ちなみに迎え火は次女あいかと一緒に13日にした。

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2007/06/19

ただいま!

昨日ミュンヘンから日本に戻りました。日本に戻ってうれしいのは日本語でジョークが言えること。YCATからのタクシーの運転手さんに、「xx警察の裏まで」って芳州先生が言った後 「警察の中じゃありません」って言ったりして。フフフ

向こうで聞いたジョークで傑作なのは、ミュンヘンのデパートで、トイレに入る時50セントの小銭を用意してたらジーパンのポケットから落ちて隣のお部屋にコロコロ入っていちゃったときに、「You are well come!」って声がしたこと。そして、そっとその小銭が戻ってきたのがうれしかった。私はいつでも 「ダンケシェーン!」って答えていたけど。

今日はこれから、いろんな野暮用があるので、おいおいドイツのこと話していきます。旅行中、腰は少し痛かったけれど何とか大丈夫でした。ご心配おかけしました。

また留守中誰かは分からないけど、芳州先生のブログからアクセスしてくださった方たちありがとうございます。アクセス数が激減するかと思っていたけど助かりました。ドイツのベビーネストを見てきましたので、お話できると思います。

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2007/06/02

ぎっくり腰とパソコンとココ

心配をおかけしたかもしれませんが、ぎっくり腰はだいたい治りました。あとちょっとだけ心配はあります。朝早いときはとっさの行動がしにくいことです。

一番の原因は八ヶ岳の庭に夏ツバキという木を植えようと土を掘った時にシラカバの根があったので、それを切ろうとスコップで掘る時に腰を痛めたのが始まりでした。大倉山の志村整形外科の若先生は、こういう体のトラブルはその時急に起きるのではなく、徐々に起きていて、あることが引き金になって、大きな痛みが起きると説明してくださった。

ホントにそう思います。そして、パソコンにむかう時間と体重と筋肉との間にも数学の方程式が出来るくらいの関係があると、自分でも分かります。

そして、愛犬ココも私とお散歩できないでいたので、それが、多少の反抗となってパソコンをひっくり返したのです。それも考えてしたのではなく、偶然でしょうが。それにしてもNECのパソコンはすごい。今もこうして使えている。

きっと、この出来事を 「風が吹くと桶屋が儲かる」 式に並び替える事も出来そうです。そこまでしっかりと書けば、グーグルのページランキングも上がるのでしょうが、今日の私にはできません。眠いから・・・・・・・ ・ ・ ・

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2007/05/23

大仕事を終えて山小屋に来た

Kawamay 野毛山の写生会は子供たちに怪我や事故や迷子もなく、無事に終わった。

ここ1ヶ月ほどの間、私は下見や予定表作り、保険会社を探したり、電車やバスの時間表、子供の歩く時間、早さなど、頭脳で考えることと、体で考えること、それと危険に対しての想像を毎日シュミレーションして暮らしていた。

ともかく、最近は人間の頭部をバックに入れて歩いている人とすれ違っているかもしれない。想像力を超えたところの想像をして、子供を守らねばならない。そのリスクは、考えすぎるとノイローゼになってしまうだろう。

だが、本来の目的は、《 子供たちが外に出て面白いものを描く 》ということだ。なんで、危ない人たちにたいして、このKEICOCOが怯まなければならないのだ。なんてね!急に写生会が終わったら強気になっちゃった。

そう、私は小さいときから、オルレアンの少女、そして、今では、山内一豊田の妻、自分の持てる力で周りの者をお守りするのがお仕事。それがたまたま、造形絵画の先生だっただけ。だから、いつだって、悪者には向かっていく気力と体力は維持している。たとえ、例えば!大嫌いな毛虫だって!

昨日は、朝から目黒の母の病院の検査に連れて行き、愚痴を聞き、一緒に昼食をとり、戻ってから遠い親戚の子にお見舞いの手紙を書いた。Kawamay_004

久しぶりに便箋を出して手紙を書いたので緊張してしまった。自分が素に戻って手紙を書こうとすると、自分の娘に書くようになってしまい、ローバシンだらけなのに気づく。この部分創作のため、削除しました。いい子だから、早く結婚してからその仕事を続ければと思っているのは、やはりローバシンかな。 ローバシンひっくりかえしてバージンロード。

山の空気は清々しく、白樺は黄緑色、カシワやクヌギは薄緑、カラマツはエメラルドっぽい緑で、グラデーションしている。ときどき啼くクロツグミ、ハルゼミもちらほら、静かさを打ち破る雉。「雉も鳴かずば撃たれまい」と芳州と合唱。私にとっての大仕事をやり終えてほっと一安心の山小屋。

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2007/05/08

写生会の下見に行く

Nogeyamasitami 久しぶりの写生会を野毛山動物園でするため、今日は下見にいった。ここ3年ほど、父や義母の病気のために予定がたてられず、できない年が続いていた。

昨日川上村から戻り、実家の母の様子を見て、今日は張り切って、みなとみらい線のみなとみらいで降り、道をきょろきょろしながら歩く。

こうした行事はもっと実行したいと昔から考えているが、年々、日本の治安も悪く、二の足を踏むことがより多くなった。

野毛坂を上って行くと事前に調べたように園内の地図が変わっていた。ゾウとシロクマはいなかった。ライオン君は腰が痛そうで狭い折の中でやるせなさそうだった。昔、写生会で子供たちが絵を描き始めたとたん、交尾をしたライオンだ。

幼稚園の子供たちが大勢やってきて、かわいい声でキャーというと、俺はライオンだぜーとばかりに、グォー、グォーと声を出して威嚇する。目が白内障で青くなっていた。

私自身は、今日ここに来られた自由さと、来ない間に変わってしまった動物たちに心を通わせて、ほろっと涙一滴。Nogeyamasitami2

シロクマの場所はいつも私が狭すぎると思っていたが、人が入れるようにリホームされていた。歩いてみると人間でさえ怖いほど狭かった。都筑動物園は広いらしいが、写生会などの子供が行事には広すぎて、こちらの方が歩きやすく、動物の絵を描きやすいと思う。

レッサーパンダと、ペンギンがかわいかった。

追記:街の動物園こそ、癒しの空間で、これからの時代には無くてはならぬものなのに、なんだか、縮小されているようで悲しい。それは、新しく生まれた、キリンは金沢動物園に行ってしまうし、ラクダが床づれが出来ていて、(それは治療しているから大丈夫らしいけど)、とにかく、ゾウとシロクマがいないし・・・・・・・・

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2007/04/24

記事の更新400号です

P6120061 今回の記事で、400号になる。

私は小学生の頃、詩が好きだった。中学1年生の時に一度美術部に入り、2年生から文芸部に移り、高校3年では理数系の受験クラスから美術選択に移った。そして、女子美術短大の生活美術に進んだ。

そして今は造形絵画の指導をして、児童の情操教育の一助になればと、研鑽している。

こうしてブログを更新しているのはその頃に感じた絵を描く楽しさと、詩を書く楽しさ、生活の中の花や自然の清らかさを楽しむ生活をまわりの人にも伝えたいと、小学生の頃の自分が今も核となっている。

ブログの記事のリストを見てみたら、今回が400回目だと気付いた。始めての記事に添えた女の子の写真はフランスのコルマールで撮ったものだ。私の幼児期に似た後姿だったから。自分の核を意識するためにまたもう一度載せてみた。

とにかく生きていることはすばらしいことよ! 好きなことをしていられることもね! また愛する人がいっぱいいるのもね!記事の更新500めざして、楽しもう。

ときどきこのページをめくってくださる方たち、ありがとう。これからもよろしくね!

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2007/04/23

S氏を偲んで

Tomoko 30周年の集いに来てくれた、木崎智子さんから楽しかったとメールが届いた。素敵な写真も添付されていた。フランスのシャルトル大聖堂だ。(写真は木崎智子撮影)

自分の撮った写真をウェブで見るというのも趣あるのではと思い、了解を半分得て(メールで連絡しただけだけど)ここに掲載する。

そして話は変わるが今日は、ある方を偲んで、その義理のお兄さんと日吉のイタリアレストランで会った。芳州と共通の友人であったS氏は私たちが結婚したばかりの頃、釣りの楽しさを教えてくれた人だ。

彼は定年退職して一緒にお祝いしようと言っていたが、それから2年もたたず、亡くなってしまった。私のバレンタインデーのチョコ友では最古参だった。エイプリルフールでは彼は絶対怒らないと思い、いたずらをした時もあった。あとでネタをばらしても電話で笑っていた。ちょっとだけ、寅さんに似て心が暖かい人だった。若いときから心臓が悪かったので、独身だったとも聞いた。

今年初めにかなり具合が悪いと聞いて、芳州と病院に行ったときは父と同じ人口呼吸器が着いていた。薬のせいで朦朧としている様子は気の毒で、かわいそうだった。それから2ヶ月もたたず、亡くなった。お兄さんからはホワイトデーの2日前に亡くなったと聞いた。

現実の生活はいつも、周期的と非周期的な仕事がある。そして人はいつの間にかそれに押し流されている。そんな具合で、Sさんとも最後はあっという間だった。人生の出会いは一期一会と心得よう。

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2007/04/07

八ツ橋学園幼稚園の入園式

Yatuhasi_1 今日は教えている、八ツ橋学園幼稚園に事務的な用事があり、午前中に出かけた。 ちょうど、園の講堂では、今年入る園児たちの入園式が行われていた。

八ツ橋幼稚園は今年で四十四周年を迎えた。私はあとりえ・チビッコを始めて30年になるが、もう28年のお付き合いになると思う。

園庭の様子もだいぶ変わり、最近はサッカーの指導の声が勇ましい。一時期、私は幼稚園の指導の中で絵画指導を引き受けさせていただいたこともあった。本当に永い付き合いといえる。八ツ橋一先生とトヨ子先生が創始者であり、現在は篠崎真由美先生が園長先生になられYayuhasi3_2 ている。

我が家の長女、すおみは八ツ橋幼稚園ではなく、希望が丘幼稚園に行っていた。そして娘が4才の時に絵を習わせたいと思い、探してみたが私の考えているものと違っていた。それならば、自分が教えればいいと始めたのが、《あとりえ・チビッコ》 だ。

2年ほどして、希望が丘から大倉山に引っ越すことになり、生徒さんから続けて欲しいと言われた。そこで八ツ橋一(はじめ)先生にお願いしたところ、了解を得、始めた《あとりえ・チビッコ》 だ。篠崎家の三姉妹もあとりえ・チビッコに通った時があり、志保ちゃんは横浜美術短大(かつてのトキワ松美術短大)を出ている。

本当に永く続いたし、不思議なご縁だと思う。今日事務室で一先生にお会いし、自分の歴史が、八ツ橋学園幼稚園と重なっているのを改めて嬉しく感じた。

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2007/04/02

あとりえ・チビッコ30周年の集い

Hpp4015616 昨日、あとりえ・チビッコ30周年の集いのパーテイーを大倉山駅のギリシャ料理レストラン 《カヴァヌーラ》 で行いました。25周年の時は20人集まったが、今回は12人だった。

子供たちが、あとりえの教室で、一緒に描いた記憶はないが、指導している私や、主人、娘たちを中心に話の輪が出来た。またレストランの美味しい食事と、4階のパーテイー会場の雰囲気のよさに、話がはずんだ。

木崎T子さんは今、東京芸大、大学院で、ドラクロアの研究をしている。少し前に会った時は、自分の進路に悩んでいたが、目的を見出したようだ。

小川正人君は、ブルーノートの系列のライブハウス《モーションブルー》で仕事をし、パーカッションを勉強しているという。音楽の研鑽をつみに海外に行った時に、ピカソに感動したという。

小柴N子ちゃんは高校、大学頃はヘビメタに憧れていたが、今は実家の家業を継いで、保険の仕事をし、お兄さんのお嫁さんと、ケーキ作りに夢中になり、パリに勉強に行ったとのことです。

保刈あかねちゃんは日本工学院ミュージカル科を出て、音楽に進もうと決めて、現在はライブハウスや、ストリートミュジシャンをめざして、活躍しています。自らが作詞作曲したCDを聞かせてもらった。ホームページ更新中とのこと。

森崎K浩君は時計のデザインからカメラ関係のO社に転職し、デジカメの製作の仕事をしているとのこと、この秋に音楽好きな方と結婚されるとのことです。

北野S平君は法政大学で社会学を専攻し、環境問題に関心があるが、まだ、模索中とのこと。あとりえで培った感性で、絵画鑑賞が好きとのことです。

集まった以外に、連絡のあった方の中に、久米M理子さんが一女の母になり秋田大学医学部で皮膚科の先生をされているとのこと。また津田彩Kさんは沖縄で就職、麻Kさんは早稲田でお仕事、橋本K美さんは女の子のママになり、2人目を出産予定。朝比奈T君は法務省で少年に関するお仕事、つい最近美人と結婚。清水満さんはオーストリアウイーンであちらの方と結婚し、ピアノを続けている。すごいきれいになってビックリ。小林明Nさんはフラワーデザイン。白玉Yさんはフランス文学専攻し、自由が丘でアルバイト。大島麻由Mさんは男の子出産。宮崎みゆKさんは結婚しお仕事をしている。小川原香さんは就職活動。加藤S介くんはヨット部の合宿。礒江真Iさんは詩吟を始めたそうです。石井晴Kさんはバスケットボールを続けているそうです。ちなみに森崎君のフィアンセは晴Kちゃんと同級生とのこと。木崎英介君は精神科の医師で多忙中で欠席とのことでした。高橋有K,尚G君は元気です。久米真紀Kさんもお元気だそうです。以上欠席の連絡のあった方たちです。森田裕子さん、正野さんもお元気です。(名前を公表しないほうがいいかと思われる方はアルファベットで表示させていただきました。また、連絡したのは成人し年賀状をいただいている人たちにしました。時間の余裕が無く連絡していない人もいます。)

音楽関係に進まれた方が結構多くいることが分かりました。美術関係に行かれた方も噂に聞いて、たくさんいらっしゃるのですが、私が教えた幼児期から大学受験の画塾と結びつかないようで、残念ながら連絡はかえって遠のいています。まあ影では私の指導が正しかったと自負していますが。(笑)

さて、当日の朝,時々見ている筒井ミサヨちゃんのパパのブログ、《JoBlog》を見た所、妹さんのかなえさんの結婚式の写真が載ってました。とてもきれいなので印刷してファイルし、会場で皆で見ました。おめでとう!お幸せに!北海道で夫婦揃って獣医さんとして、がんばるそうです。筒井家は3人があとりえに通っていました。ブログを見れば分かりますがグローバルなご一家です。

4月1日という、参加者が集まりにくい日を選んでしまったが、それでも中身の濃い会話の交歓があったのは、それぞれに縁があって集まったのだと思う。これからもこうして子供たちとかかわっていきたいと感じた。

参加者の写真を表情がいいのでそのまま載せます。冨井先生が途中で抜けて写真に写っていない。次の35年の会は、あと5年先です。

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2007/03/31

あとりえ・チビッコ30周年の集い/参加者6人のようです

Jindaiji_059 明日のパーテイーにヨーロッパから帰った、北野翔平くんから連絡があり、計6人になりました。忙しい4月に急遽予定を入れたのは、ほんとに申し訳ありませんでした。

がんばってきてくれるのはうれしいです。連絡の無い方もいましたが、忙しいのだろうと、特にお電話もしませんでした。

このブログを始めてみた方は、プライベートな連絡でごめんなさい。明日は普通の記事を更新します。また明日いらしてくださいね! 絶対ですよ!

あとりえでの重複した時間はそれぞれゼロかもしれませんが、似ている課題で、絵を描いてきた仲間です。一緒にレストランの食事をいただいて、最近の自分たちの考え方や仕事を話し、意気投合できるのではないでしょうか。5年前のパーテイーではそう感じました。また参加される方はどうもグローバルな考えを持ち始めている子が集まるようです。

今夜8時までのレストランの連絡となっています。まだ参加できそうな方はご連絡ください。こちらから、重ねての連絡はしません。

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2007/03/29

あとりえ・チビッコ30周年の集い/参加者まだ5人だけど

P3140005 その後、森崎君と保刈さんが参加するので5人になりました。明日レストランに連絡するので、まだ参加したいと思っている人は連絡ください。お母さんで参加希望の方は今からでも、いいです。ご連絡ください。

今日は芳州先生の助手で、深大寺までいきました。野草園のそばで撮影をしていると、どこかでドラミングが聞こえる。あれって、啄木鳥、と思っていると、目を上げてよく見るとやっぱり、啄木鳥!

そのこと明日書きますね。今日はもう、疲れちゃった。それに、これからご飯の支度だから。

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2007/03/28

あとりえ・チビッコ30周年の集い/参加者まだ3人だけど

P3170050 あとりえの初期に入会していた小川正人君が出席すると連絡がありました。皆さんは覚えいていなくとも、課題が関係があります。それは今、彼はブルーノートというジャズグループに属し、アフリカの太鼓を演奏しているそうです。(知識不足のため、説明がよくないと思いますが)

なぜって、それは先生の推理では、あとりえで《音楽を聴いて描く》ことをしたのが、少しだけいい影響をしているんじゃないかって、気がしているので。

また、出席するという小柴Nちゃんが、「4月1日になっているのが、いたずら好きのせんせいだから?」って、FAXがあったけど、間違いありませんから。

また一番に木崎Tちゃんからも連絡あり、出席です。他にも、欠席だけど心のこもったメールもお母様からいただいています。オーストリアに住んでいる、清水満ちゃんのママからです。会場には彼女の結婚式の写真を持っていきます。

ほんとに、連絡の日は間違いありませんから、皆さんからのご連絡お待ちしています。本日です。

追記・保刈Aちゃん出席です。

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2007/03/27

あとりえ・チビッコ30周年の集い/連絡について

Whitedjpg4 《あとりえ・チビッコ30周年の集い》 は、かつてアトリエに通っていたの生徒さんで、連絡のつく方たちに電話、FAXにてご連絡してあります。出席する方は決めてある日時までにご連絡ください。

25周年の時に来られている方は是非とも来ていただきたいと、思っています。私はおかげ様で、風邪は治り、元気になっています。今年は展覧会をしない年です。でも、集いの日が皆さんの忙しそうな日になっているのが申し訳なく思っています。

長女、次女、冨井先生、芳州先生ももちろんいます。会場が前回と同じ場所なので、おわかりでしょうが、楽しい会にしたいと思います。決めた日時が皆さんの所用と重なって無理な場合は近況をお知らせください。

このブログを始めて見られた方はプライベートな連絡でごめんなさい。4月上旬には子供たちの絵の紹介をしますから、またいらしてくださいね。

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2007/03/25

記事の更新ができていません・1

Whitedjpghana3 山小屋から帰ったとたん、風邪を引きました。八ヶ岳から帰り暖かい風に吹かれて、ほっとしたとたんに、お腹が痛くなり、全く食欲が無くなり、1日半寝込みました。

きれいな花に囲まれて幸せだけど、花より団子の私らしくない状態。

ブログはその日を書くことに新しさがあり、今、《あとりえ・ちびっ子30周年のパーテイー》の連絡も思うようにいってない。

親戚のチビ君のにぎやかさも混乱の元にはなっているが。

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2007/03/11

ホワイトデーまであと3日!

Kawa_010ike 昨日の朝の散歩は思ったよりは寒かった。向かいの山の尾根筋に白さがあった。そして今朝は雪になった。

散歩中に、遠くで鹿の鳴き声が聞こえた。もう一度鹿の位置を確かめようと、耳を凝らすと、ヤマドリが羽ばたいて飛び去った。鹿とヤマドリは仲良しのようだ。共通の言語を持ってるらしい。。

芳州先生は最近流行の鈍感力を身に着けはじめたが、一応、ホワイトデーを気にし始めている。ホワイトデーまであと、3日になった。

私もバレンタインデーにチョコレートを送ったが、今ぐらいになると、照れくさいのが本音。でも何もしなければ気持ちは一生伝わらないかもしれないから、素敵な男性には送ることにしている。ただ毎年リストを作らずに送っているので、時々忘れる人もいる。あとりえ・チビッコの仕事と豊田の撮影の助手と主婦の雑事と年寄りの面倒を見ていると、どうしても、手落ちがある。気づいて今、懺悔。言い訳に近いかもしれないが。

あっ、こんなことを書くと、1ヶ月くらい先に、《あとりえ・チビッコ 鈍感力 リスト 懺悔》なんかでグーグルの検索にのってたりするかも。 それより、《主婦 素敵な男性 チョコレート》 、むむ、何!。でもまっいいか。アクセス数激減だから。Kawa_001yuki

それにしても私は《・・・デー》《・・・の日》をそれはそれは、大切にする人です。気持ちを、というか、そう育ったというか・・・・・、奥歯に物が挟まった言い方はやめましょう! 確かに確かに!ホワイトデーは楽しみです! でも昔はピチピチに若く、のんびり、ぼんやりしていた私も分別ある、皺もシミもあるおば様に成長、いいえ熟成しました。いくらなんでも、ホワイトデーにBMWが届くとは思っていませんから。ご心配なく。

ところが、私はホワイトデーを通り越して、心はもうあの日に!

雪はまだ降り続いている。ココとの散歩はしばらくお預け。

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2007/03/05

ミモザは春を呼ぶ

Mimozajpg今日の天気が下り坂と聞いて、朝からあわてて、雛人形をしまった。

先週の水曜日に出して飾り、次女が見て、3月3日の土曜日には、目黒の母を迎えにいって見せた。娘たちを育てた思いを彷彿とさせる人形たちだ。この雛の前で長女はハイハイをし、次女は学校から帰って、片付けてなくなった人形を思い、泣きべそをかいた。

だが今回初日に雛人形を飾る時、大事件が起きた。すべて飾り、うしろの隙間に箱を仕舞い、ふっと見上げると、段になった緋毛氈ごと、ぐーっと、崩れた。「ぎゃああ!」

あってはならないことが起きた。首が取れていないか、親王雛を見て、急に山内一豊田の妻になって、

「殿!大丈夫でござりまするか!」と言っていたとか、言わぬとか。春の弥生のよき日に。

3日には、母を迎えに行き、ひもんや内科・消化器科診療所では、薬と一緒に雛あられをいただいた。若い先生が熱心に診療にあたっている。隣のマンションの植木鉢にミモザが植えてあった。車からデジカメで撮ってみた。

このあと、私は母のおしゃべり光線にたじたじとなりながら、第三京浜を通り、新横浜ぺぺに行き、久しぶりに車椅子で動き回った。たいした買い物はしなかったが、春らしい色彩のお店のディスプレイを見て、うれしそうだった。

その様子をお雛様は見ていた。そして今日お仕舞いした。バイバイ、また来年ね!

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2007/02/13

バレンタインデーまで❤ あと1日❤Ⅱ

Germanpic_014 昨日、川上村のスーパー、ナナーズから今年のバレンタインデーのチョコレートを発送した。今年はやはり、黒猫のメール便だ。うまくすれば14日に届く。このことにこだわってもう何年になるだろう。20年近く続けている。

芳州さんのお仕事で協力をしてくださる方々のささやかなエネルギー源に、また潤滑油にと、はじめたチョコレートだ。本チョコをチョコっと混ぜている。カモフラージュ!

義理チョコ、営業チョコ、見栄チョコ、ファンチョコ、本チョコ、友チョコ、柔軟織り交ぜて私の人生が連なっている。と言うのは大げさだろうか。

手紙を入れて送っているが、芳州先生の編集の方も写真家の先生もいらっしゃっるので、手紙を書くつもりが、大上段に振りかざし、エッセイという気持ちもプラスされている。文章修行をさせていただいてきた。

これからはWEB上だけで、バレンタインデーをしていこうかとも思っている。絵に描いた餅ならぬ、絵に描いたチョコを同封して。

絵はミュンヘンの市場で買った花束を窓辺に飾り描いた。旅先での写生はマーカーを使うことが多い。

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2007/02/04

バレンタインデーまで❤ あと10日❤Ⅰ

あと10日でバレンタインデーです。 毎年お仕事や芳州先生の友人、知人にに私の拙い文章と一緒にチョコレートを送っている。 お正月が過ぎて、小正月も過ぎると、2種類ぐらい作った文章を1種に絞込み、校正する。そして、2月の節分を過ぎると考慮していたチョコレートを一つに決め、買いにいく。

デパートのチョコレート売り場には毎年行くのだけれど、金額だけ高くて、箱も大きすぎて私はいつも考え込む。 結構たくさんの人に送るようになるため、その送り方も考える。去年は黒猫ヤマトのメール便。その前は郵便局。

去年のメール便は一つ困ったことがあった。 郵便局だとマンション名、ビル名を入れなくても届くがメール便は届かないで戻ったものがあった。また引越しをして6ヶ月は郵便局は新しいところへ届けてくれるが、メール便は届かない。

ところが、メール便は日曜でも受け付けてくれる。速達もある。そこが私には便利だ。今年はサイズが1種類になり、料金は普通で80円、速達料金は100円プラスされる。そこを考えて、チョコレートの形態を考えないといけない。本当は味なのだけど。

郵便局も、メール便も、送料を経済的にするには、厚さ2センチ以下に納めないといけない。

今年は板チョコの★★★にした。どうしてもデパートのチョコレート専門売り場は私の心を伝えにくい気がする。よその人がデパートの売り場を選ぶのは自由だが、 どうも、私は森の動物を心の友にしているので、ちょっと違う気がする。それに今日もイラクでは自爆テロが起きているのに、不謹慎な気もする。でもね、私は自分の健康とアンチエイジングのためにしている。

それと、毎日いやなことばかり起きている日本で、子供のためにがんばって働いているお父さんや、かつてのボーイフレンド、現在のボーイフレンドに応援したいから。

昔はフォションやゴリバ、いや違う、ゴディバもつかっていたが、今の私には華美な気がする。まあ、性格は派手なのですが。でも、本チョコは神戸一番館のポムダムール(愛のリンゴ)。 横浜高島屋の地下1階の奥の方で静かに売っている。

ああ、本心を言ってしまった。最近アクセス数が激減しているから、見る人いなそうだから、まっいいか。 もしかするとこの記事は数時間後に消去されます。ふふふ。

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2007/02/01

ピザの実験はじめる

Pizajpg1 2月に入るとの粘土模型として《食べられるピザ》を作る。その試作を今日作ってみた。子供たちが待ちに待った《食べられる粘土工作》だ。

以前は、発酵にかける場所と時間が工面できず、ある場所を消毒して始めた。言ったらお母さんたちが驚くだろうが、そこしか考えられなかった。お風呂場。今から10数年前のことだ。今では発砲スチロールの箱を使っている。だがその時、誰一人お腹をこわした子はいなかったが、それをしてしばらくたってから、O157が流行り始め、狂牛病やら、ノロウィルスやらが流行りはじめ、この工作は一時ストップしていた。Pizajpg2_1

いつもいつも、衛生上の問題が起きたらいけないと、衛生上に気を配り、2年に1度くらいの割合で、ピザを課題としてとりあげたいと思っている。 自分の子供にやってあげたいことは、人の子にもする。自分の孫にやってあげたいことはよその孫にもする。

子供は決められた以外、予定外のこともするので、それに対応できるようにしておかなければいけない。今日はイースト発酵の手順を間違えてしまった時の例を考えて作ってみた。下の写真はまだ焼いていないものだ。これから時々、ピザが我が家の食卓にのぼるだろう。

楽しく手先を動かす工作、柔らかいママの胸の感触に似た生地をまとめること、出来上がった美味しいピザを家に帰って家族と食べること、子供たちにとって一石三丁の幸せになるはずだ。

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2007/01/22

遊んでいる時に脳細胞が増える?

Tree昨年 ドイツに行った時にランズベルグのレヒ川のそばにツリーハウスがあり、子供の頃を懐かしみ写真を撮った。小学生の頃よく木登りをしたことを思い出した。

私は小学校の頃、目黒の自宅の庭でよくツリーハウスまがいの木の台座を作り、木登りをした。

庭には柿の木が4本あり、そのうちの大きな木が渋柿で、渋柿は傷をつけたほうが甘くなるということで、母がナタで傷付けたのを見て、安心してイチゴの箱をくぎで打ち付け、そこに登ってよく遊んだ。足場としてイチゴの箱を探してきて打ち付けただけだったが、視野が1メートルは高くなり、前の道路も良く見えて、なんだか楽しかった。弟や従兄弟といっしょに登った時もあった。一人でノートを持って、詩を書いたこともあった。

他に桃の木にも登った。その木には、春には毛虫も出てきたが、3月ぐらいなら平気だろうとに木を伝いながら登り、あれっと思ったら、痛い!蜂に刺されていた。夜になってすごく痛かったのを覚えている。

イチジクの木は材質が柔らかく、木登りの途中で木が折れたことが度々あった。そのイチジクの木の下にはホウズキがいっぱい生えていて、それは子供がしゃがみ込むと、かくれるほどだった。

子供というものは遊びたいものなのだ。たくさん、外で遊んでいる子はきっと、後で伸びると思う。ただ私も標準的に勉強はしていたが。

我が夫、芳州先生が私より、理論的に、教育論を展開していますので、時間があったらお読みください。《豊田芳州のTheme

ちなみに私は 「遊んでいる時にこそ脳細胞が増える」 と感じています。今も。

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2006/12/29

今年から来年へ 

Kawakamiyuki1このブログはあとりえ・チビッコに入会するお子さんの保護者に理解を深めてもらうために開設しました。それと、昔の私と今の私にほんの少しの興味を持つ人が訪問してくださっています。

IT、パソコンには、たいして興味のない私がここまでブログを続けられたのはひとえに 《庄内拓明の知のヴァリトゥード》 のおかげです。

人はどうしてもやり遂げたいことがあると、苦手なことにも挑戦します。《旅歌ノート》 は海外に行って短歌のブログを更新したいと思い、携帯の設定をソフトバンクのお嬢さんに聞きました。春と冬のドイツ行きでは何とか使うことができるようになりました。短歌自体はお見苦しいものがありますが、ご容赦をお願いしますが。

そしてこのブログには、時々山内一豊田の妻が出てきます。写真家 豊田芳州の妻、また、校正者、秘書、運転手、シェフとして、縁の下の力持ちを演じております。

そして、一番のこのブログの中心は子供たちの造形作品です。日本の毎日のニュースには子供たちを取り巻く環境が、いい状態ではなくなっています。それでも、子供たちに夢を、また未来に向けての勇気を与えてあげられたらいいなと来年も努力したいと思っています。

今年もありがとう!

長野では念願通り、雪が降ったので、ココと庭駈け廻ってまーす。

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2006/12/04

NHKドラマ 《功名が辻》 来週最終回

あとりえ・チビッコでは11月末からアドヴェントのようにクリスマスリースを2週にわたり、作っている。工作の材料集めや、その試作のため、KEICOCO先生も忙しく動いている。

さて、《功名が辻》 も来週10日が最終回になったようだが、あとりえのユウキちゃんはいつも功名が辻を見ていて、毎週楽しみにしている。彼女にとって、このドラマは生涯忘れずに記憶されて、多分将来、良きお嫁さんになることでしょう。

今まで、このブログを見ていた方はご存知ですが、私も一豊の妻千代に見習い、夫を支える妻を演じ続けております。そして私どもの名前の一部含めて、《山内一豊田》などと、うそぶき、おもしろ、おかしく暮らしております。

さてさて、最近我が背の君、山内一豊田、実はなにあろう、芳州先生の《豊田芳州のTheme》でもリンクしてございますが、このたび『オリンパスE-system プロギャラリー』ならびに、『オリンパスの技術は、感動のためにある』 に紹介されました。今までフリーになって、いろいろな方々のご支援、お力添えがあってここまで参りましたが、今回このような形になり、大変身に余る喜び、光栄、感動でございます。

このあとりえ・チビッコのブログを立ち上げ、《豊田芳州のTheme》 を妻として協力して立ち上げた甲斐があった、というものでございます。ここに御礼して、紹介させていただきます。

さてまた、あとりえのお母様方、お女中の皆様方、女の鏡、『山内一豊の妻』ですぞ! 戦乱の世、ITの時代を心して、泳ぎきってくださいませ、ませ。来週12月10日夜8時、《功名が辻》 最終回でありまする!

追記// 先生、忙しすぎておかしくなったんじゃありませんから、ご心配なく。ホホホ。明後日でクリスマスリースが出来上がり、あとりえの子の家の玄関がかわいくなるでしょう。

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2006/11/26

いじめと自殺

最近の子供のいじめのニュース、そして自殺のニュースを聞き、いろいろな形でいじめをやめるよう、また自殺を踏みとどまるようにとマスコミを通しての訴えが続いている。

私自身もいじめにあったこともあるが、それは気にしないでいて、過ぎてしまった。人と違うことをしたいという私の生き方が他の人も納得したのかもしれない。また感受性は人より強いと思うが、我も強いので、自ら命を絶つという行動は考えられない。

いじめは1対1では意見の言い合いで済むが、1対2では場合によっていじめと感じるかもしれない。いじめは明快な場を持っていないときに起こりそうに思う。また軽い冗談でも、それを自分の心の中に隠しておきたい時に、妙に図星で言われるといじめと感じるかもしれない。ただ、それは意外とよくあることでそれがなければその人の中身ももよく分からないのだから、言うこと、言われることを気にすることはその人を小さくする。

だからあとりえでは失敗してもそこから脱出する方法を覚え、感じさせて、絵を通して感受性はあるが、いじめにへこたれない性格を育てたいと指導しているつもりだ。そういえるのは二人の娘もいじめにはあったと感じた時があったからだ。確かに学校のPTAでもそういう雰囲気はあった。PTAで威張ったり、徒党を組んだりしているのはその人自身何の力もない人がしていた。過ぎてみると気づく。

ただ私は12才の時、死ぬと言うことに関心を持ったことがある。それは霊とか、見えないものにも意味があると気づいたからだ。

私が今までに身近な人の自殺は3人知っている。私が高校生の頃行っていた教会での友人の娘さんだ。お互い大人になり、久しぶりにカナダから戻ってきた時に20歳の娘さんが亡くなったと聞いた。また、5年ほど前に芳州先生のかつての所属していた会社の友人の息子さんは30歳位で亡くなったと聞く。また、芳州先生のT大スキー部友人の妹さんも22歳で亡くなっている。

昨日、家の本棚に父上がまとめた追悼集があったと思い出し、探してみた。40年近く本箱にあったのだが、探してみると容易に見つかった。追悼集が届いた頃は私たち夫婦が結婚したばかりの時で、しかも主人の友人の関係の本という意識もあり読んでいなかった。昨夜一気に、読んでみたが、人の心は計りがたいものがあるということだ。しかし、20歳の人の死と10歳、12歳の人の死とは違う。

私は今世間を騒がしている子供の自殺を知る何かの手懸かりがあるかと、この追悼集を読んで見たのだが、改めて、いじめとは別の意味で採り上げなければいけないと感じた。

(11月27日追記) 追悼集を読んで、デザインを学んでいた、『あぐり』さんを身近に感じたが、私の拙い文章力で亡くなった方を40年の時を隔てて、紹介することに、自信がないので止めます。それでも、,私が40年近くたった今、追悼集を読んだことは伝えるつもりです。それは、同じ美術を学んでいた22歳の時があった女の子として。

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2006/11/12

パソコンの壁紙を換えました

Colmarjpg 先週の土曜日に目がゴロゴロして、眼科に行った。結果としてはドライアイかもしれない。その間、疲れたり、いらだつことがあったので、長い間の疲れがたまっていたのだろう。子供たちの《自転車の記事》を書けてうれしい。

元気が出れば、苛立ちもなく、人にもやさしくなれる。その間、自分のブログの更新も止め、お気に入りのブログも見ないでいた。

パソコンの画面を長い時間、見ることは目を悪くする。どうしても、続けていくのなら、環境を整えないといけないと思う。少しでも気分を変えようと、パソコンの画面を換えてみました。

あとりえもクリスマスの工作にとりかかるし、父の一周忌も近づいている。

最近、一日の平均アクセス数が30を越える時がある。これも、なにかのご縁でうれしいことです。また、Googleのページランキングが3になっていることがあり、時々2とか、1とか、0とかもありますが、これも、この世の定めととらえ、よく分からないパソコンの世界ではあります。また、同時に 《豊田芳州のThema》 もページランクが3を維持できており、私、山之内一豊田の妻といたしましては、限りなく、うれしゅうございます。これからも、精進努力を怠りなくしていく所存でございまする。

写真はパソコンの新しい画面にした、フランス、コルマールの町並み、これが初夏の夜9時位です。

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2006/11/07

夢を抱くこと!

Getijoujpg2 私の弟は海外に出かけることが多い。大学時代から交換留学生として、フィンランドに行き、今も仕事上出かけぬ月はないほどよく行く。芳州先生も仕事上行くことが多かった。二人の話を聞きながら、私はいつも、『いいな、いいな、』と思っていた。

芳州がフリーになって良かったのは仕事上で海外に行く時に助手としてついて行ける事だった。彼自身、海外では1人での撮影もしてきているが、安心して機材を確保したりする人間がいるにこしたことは無い。

Getijoujpg 写真は上が今年5月にドイツに行ったときの帰りのシベリア上空。下は行きのミュンヘン上空だ。この菜の花畑が見える写真は私のパソコンの壁紙にして毎日見てきた。ちょっと厭きたのでそろそろ変えようと思っている。

私は仕事の仕方を芳州に教わってきた。しなければならないことを紙に書き出しておくということもその一つだ。若い頃は実現しないことが多く紙に描いて見えるように、貼っていた。例えば、《県民ホールで展覧会》とか。最近ではいろいろ実現できるほど私自身、歳も経てきたので、ちょっとしたメモ程度に手帳の片隅にかいてあるほどになった。

私はあとりえで子供たちに絵を教えているが、通ってくる子のお母さんにも《夢》をもっていきいきとしてもらいたいと思っている。

このように、写真を見ていると、その意志がはっきりしてくる。

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2006/10/08

トキワ松学園文化祭にいく

最近、あとりえの時間外でデッサンを教えている。小学生までのあとりえは自由に絵や工作をしているが、今度デッサンを希望してきたのは、カスミの姉、メグミだ。中学3年生で、美術系を視野に入れて高校を受けるかもしれない。小さい時はメグミもずっとあとりえに来ていた。

そのため、私の母校に美術コースがあるため、今回の文化祭に行き、学園風景を見学した。美術の作品などや、学校の雰囲気などを見学した。目黒の碑文谷にある、トキワ松学園だ。

私たちが通っていた時も明るいイメージだったが、数年前に、校舎が新しくなり、より一層明るい開放的な雰囲気がした。私は中高生やその父母たちの若々しい世代の方たちの中に入り、久しぶりに気分が若やいだ。相変わらずのトキワカラーというか、節度のある、自由な空気を持っていると思う。メグミは一緒に連れてきたかったが、都合が悪く、こられなかった。

ちなみに、トキワ松は小学校からある。そして、女子だけの美術短大があったが、2001年にに男女共学の横浜美術短期大学に変わっっている。

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2006/10/05

変化する子供の顔と肖像権

Tomo0610jpg 子供の顔は日々変化する。

夏休みや学校行事、運動会や演奏会の練習などで、少しずつ、脳を使い、周りの友だちと歩調を合わせる事をするうちに、その年齢なりの、社会性を身につけていく。

そして、顔つきも変化する。あとりえでは指導している時の笑顔など、かわいい子供たちの顔を、写真を撮って掲載したいと思うが、個人情報につながる不安もあり、正面からは撮れない。

先週あとりえの課題を、私も一緒に制作した時に、楽しい空気が流れた。メグミやカスもここに掲載したくなるほどだった。

それに人物は写真撮影をすると、肖像権が生じる。そこで、私は手身近な親戚の子を使うことにした。

幼稚園や小学校のホームページが子供の顔を隠し、後姿になっているのは悲しい感じがして、何のためなのかと思ってしまう。

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2006/09/26

お彼岸のおはぎが思い出になる

Ohagi06jpg 去年の日記を見返してみたら、「おはぎ作ったが失敗」とあった。そう、まだ酸素吸入器を付けて、自宅にいた父に、あわてて、作っていったっけ。

あんこを作ろうとしたら、あるはずの砂糖が足らず、買いに行けばいいのに、ほんの少し足りないからと、角砂糖を入れた。あんを煮詰めるうちに、妙に硬くなって、最後には羊羹の端っこみたいになってしまった。ここ数年、母が作る味に近づいたと父から、免許皆伝といわれていたのに、なんたること。

それでも、日記にはどうしても、その日しかいけなくて、失敗のあんこを付けて、おはぎを持って行ったとある。たった、1年前のことだけど、あの頃は、義母のことも大変だったので、日記を見ないと思い出せないことが多い。

私の実家では父がおはぎが好きで、あんこは漉し餡と決まっていた。母は私に見せながら作り、

「こういうものは今、作らなくても、そばで母親の作る後姿を見ているだけで、作れるようになるのよ。」とか。

「大森のおばあちゃんもいつもそう言っていたわ。」と話していた。

そばで父は出来上がるのが待てず、よくおつまみしていた。私も父にならっていた。

はじめに、小豆は前日、水に入れておき、あくる日になって煮始める。粒が柔らかくなったら、火を止めて、すり鉢で軽くたたいて竹ざるで漉し、その下にある胚乳の部分を木綿の漉し布に入れて水で晒す。ぎゅっと絞って、鍋に入れて、砂糖を入れて焦がさぬように練り上げる。

私がやるやり方が母と違うのはポットで豆をふやかすこと、すり鉢をミキサーですること、砂糖はブラウンシュガーを使うことなどだ。下の写真の金ざるに入ったのはカスの皮で、餡は金魚の袋の中です。

Ohagi061jpg_1 今日午前中に作り、1つは義母の仏前に、あと一セットは主人の叔母にもって行ってもらった。あと一セットは目黒の母に持って行った。

主人の母も生前は私がおはぎを作って、グラニーに持っていくとほんの少しなのに、同じテーブルの人たちに分けてあげると言って、嬉しそうにしていた。お干菓子が入っていた小さなお重に入れたおはぎだったが。それも過ぎてみれば良い思い出となった。

夏の暑さが引き、冷たい雨がふり、金木犀がオレンジの花びらを散らしながら最後の香を振りまく時。おはぎを作りながら、感傷にひたっています。涙がポロポロでたので、ココがそばで鳴きました。

「ママ、ナカナイデ、ダ、ワン」 「ウー、ナカナイデ、ダ、ウフー」「ウフー」「ウー」「ウフー」

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2006/08/19

梅干とおばあちゃん

Doyoubosijpg 毎年、梅干を漬けているが、いつから漬けるようになったのだろうか。この長野に山小屋を持ってからやり始めたのだから、平成の年号とおなじだけの18年の歴史があると思う。

はじめは実家の母に教わり、見よう見まねに作ってきた。そのうち、芳州の母が山小屋に来ると、土用干しを手伝ってくれた。

その頃は娘二人が中高生で、お弁当に入れるために作っていた。はじめの頃はうっかりカビを出してしまうこともあった。少しずつ上手になってきたと思う。去年はここの畑の脇の1本の梅の木に実がたくさん生り、時期もずれていたので、カリカリ梅に挑戦した。南紅梅で作るとほとんどうまくいった。梅を買う場所も、その年年で違い、食べ終わって美味しいと、どこのが美味しいということになる。今回は確か津久井湖のそばの生産物のお土産所で買った。梅酒用のだ。南紅梅でつければうまくいくのは、当たり前すぎて面白くない。

今年は親戚の子の、幼稚園のお弁当用として、重宝するはずだ。いつか彼と一緒にこのベランダで梅を干す日もあるだろう。

ところで、私の尊敬し、敬愛する、《きっこの日記》のきっこさんが一昨日と昨日の日記にお母さんのこと、おばあちゃんのことを書いている。涙無しには読めなかった。

私もそんなおばあちゃんに、いつかなってみたいものだと思った。まだまだ先のことでしょうし、そうなったとしても、私は永遠のおばおねえさんなので、それを認めはしないけどね!その論理は言いたいのだけど、言うと一気に、浦島太郎の玉手箱がパカッと開いてしまいそうなので、言いません。

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2006/08/15

終戦記念日と笹尾先生のこと

Ge_104

かつて私が高校生だった時、目黒の実家のすぐ近くのトキワ松学園に通っていました。小学4年の時に腎臓病で半年休学したため、男女共学の公立より、家から近くの私立の方が良いだろうと、母が考えて決めたのです。中学高校と自由な校風と勉学に力を入れる教育プログラムの中で私は育ちました。ちなみに写真家の大石芳野さんも同じ高校出身です。

高校では世界史を指導する笹尾先生がナポレオンについて講義してくださったのが印象的でありました。また、たびたび笹尾先生は戦争反対についてのお話をなさいました。

「あなたたちはいずれ結婚して、子供たちを育てていく時に、もし戦争が起きそうになったら、絶対に反対して、夫や子供を守らなければなりません」と何度も言った。

私は生まれてから今まで、日本で戦争が起きそうになると感じた時はなかった。しかしそれとは違う形でこれは戦争だと思った時があった。それは、豊田が編集の仕事で徹夜が続き、毎日朝、タクシーで帰ることが続いたときだった。外でタクシーのドンという戸を閉める音がして、家の鍵を開ける音がする。そして、私は豊田が隣にいないのに気付く。

このような生活は今もどこかであるかもしれない。私は笹尾先生のあの言葉をその時、いつの間にか思い出していた。そして、ある時決意した。夫を取り戻そう!戦場に行っている夫を取り戻さねばならない。できるだけ早く。そうだ、援護射撃があるうちにはじめねば!パパ!死なないで!

そして私は、夫がその言葉を切り出したときに、すぐ、「うん、いいわよ」と言った。会社を辞めるということ。でもそれは、写真をやめると言うことではなかった。彼が写真の雑誌を企画し、計画書を作っていたことを知っていたし、写真への情熱が人一倍あるのを理解していた。・・・・・・

・・・・・などと言う、山之内一豊田の妻の独り言はこのくらいにして、私もあとりえのお母さんたちに笹尾菊枝先生の言葉を語り伝えます。61回目の終戦記念日に、敬意を表して!

「戦争が起こりそうになったら、夫や子供のために、戦争に反対をしましょう。爆弾や銃でかわいい子供、大切な夫の命をとられないように戦いましょう!」「何をしたらいいのかって?それは、いつでも勉強しておいてそれに備えましょう。知は力です。」

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2006/08/14

謎の飛行物体か?

Nazo003 朝から、母の葬儀の片付けや、身の回りの片付けに追われる中、あとりえの工作の材料の手配にも時間を使った。

私のアイデアを、どの学年まで許容範囲があるかを、永年の勘で探り、準備する。浜松のアイスタジオに一部は見積もりを出したが、あともう一歩、アイデアがまとまらないでいる。

そして、暑い一日も終わりに近づき、ベランダの植物に水をやり、ふと西の空を眺めた時だ。得体の知れぬ飛行物体発見!

このところの世界のニュースはイスラエルとヨルダンの爆撃、そして、イギリスのテロ未遂、不穏なことがメジロ押し。

肉眼で見れば、飛行船と見えても、なぜか今日、エキサイトしたくなった私はデジカメを持ち、外に出た。南側のベランダから北側のベランダに出るまでの数秒間にこれが違う物体だったら、どうだろうと、またしても、考えた。

Nazo007_2 飛行物体は裏のマンションの屋上を通り、小さなうなり声をだして、ふんわりと、目的もないように、通り抜けていった。エキサイトした私はセミの抜け殻のように一瞬たたずんで、そばにいた男の子二人と空を見ていた。「結構早いね。」と言う声がした。セミも鳴いていた。

Nazo_010_1  私は家に戻り、芳州に写真を見せると、10枚中半分もぶれていた。ぶれないように撮るには、デジカメのファインダーを覗いて、眉毛をくっつけて固定するように撮るといいと教わった。

今日は朝から、停電もあったようですが、

平和な一日が終わりました。

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2006/03/30

桜のようにパッと咲いて、パッと散る

Sakura_001 先生、あの人工呼吸器をはずしてはもらえませんか。」

「父の苦しい様子を見てられません、もっと楽にしてあげてください」

私は父のいた病院で、その言葉を言ったことを今もはっきり思い出す。富山県射水市民病院の人工呼吸器をはずした事件は私にとってまたしても、池に石を投げた後の波紋のように心と頭と心臓に広がっている。

ここ数日、気分がすぐれない。

「父はパトリシア・コーンウェルを読む人なんです。父は銀座でコーヒー飲むのが好きなんです。いまはこのパジャマを着ているけど、もっとかっこいいんです。」 ナースに必死で言った。人工呼吸器は、喉に穴をあけて、付けられるものだ。医療器具の中では全くかっこ悪い。そのままでいたら死んでしまうが、付ける事によって死にはしないし、かなり永らえることもできる。人の話しではかなりのお年で、8年も生きた人もいるという。それでも、機械と自分の呼吸と合わせられず、苦しい思いをする。苦しいからそれを取りたがってしまうので、拘束の手袋もつける。紐で縛る。私は病院にお見舞いをして帰りに紐で縛って帰ってきた。手袋はかなり硬いから血が流れにくくなり、しびれる。ああ、ああ、思い出したくなかったが、思い出している。父は私に目で合図してこれを取ってくれと言った。何度も言った。何度も言った。最後まで認知症ではなかったからなおさら辛かった。

今マスコミではこの事件について、いろいろ論議されている。私の父のことでは家族は一致した考えだったが、場合によっては違う意見が出る家族もあると思う。親戚に違う考え方の人も出てくれば、今回のようなことになるやも知れぬ。父は日記に書いていたようだが、正式には書いていなかった。ただ、病院はその装置を急に説明することがある。家族全員が賛成するとは限らない時もある。

子供の頃、忘れていた宿題を思い出してドキッとしたことがあるが、ひどい点を取った答案用紙を隠していて、それを親に聞かれたときもドキーンとする。今の私はそんな気持ちの日々だ。

我が家からは今満開の桜が見える。さてさて、私は桜のようにパッと咲いて、皆にきれいって言われて、パッと散りたい。4832、もう無理か! 

(ココログの不具合で3月31日8時まで記事の更新ができず、お見苦しい画面だったと思います。昨夜はいつもの3倍の時間がかかりました)

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2006/03/26

3月の渋滞

juutai ★ あとりえ・チビッコの絵は5月の展覧会までこのブログに載せません。

今日はお互いの仕事がらみでお台場にいく。行きの湾岸は空いていたが帰りの首都高速銀座線はまた渋滞だった。一昨日も野暮用で出かけた湾岸は渋滞、行きと帰りで4時間も車に乗っていた。本来だったら2時間でOKのはずなのに。

朝のカーテンを開けた時に日差しが柔らかく、春めいてどうしても車で出かけたくなる時がある。一昨日はそんな日だった。一人で出かけたかった。海をちらっと見ながら、春の風を感じるのがお気に入り。春の天気は変わりやすい。朝の明るい青空は午後になると曇りがちだ。

今日の朝日新聞の《 病院「医師が延命中止」 》のニュースが車の渋滞の中で何度か流れていたので考えていた。人はその知識が必要にならないと考えない。延命治療は言葉を変えれば、「一発で死なないで、長く生かしていく」 とも言える。初めて、このブログをよんで、キツイお言葉と思われる方は以前書いた、05年11月の「父の死」の記事を読んで欲しい。今も父を心から尊敬し、思い出さぬ日はない。それでも自分が自分の命に対して何も出来なくなっても、後のものが、困らぬようにきちんとしておかないといけないんじゃないかな、と思う。

家の前の咲いたばかりの桜がヒヨドリについばまれて花びらが落ちていく。桜はいつか風が散らすのに。

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2006/02/15

今年のバレンタインデーのメッセージはこれです。

「2006love.doc」をダウンロード 

おかげさまで、あとりえ・チビッコの訪問者数は平均の20を上回る、3倍、4倍の数を3日続けてカウントしました。勝手にやってるブログですが、訪問者数は、やる気につながります。これからもどうぞよろしくお願いします。

一応、山内一豊田(ヤマノウチ カズトヨダ)の妻として、殿の  「豊田芳州のTHEME」 こそ、よろしくお願い奉ります。

★あとりえ・チビッコの子供の絵は5月の展覧会までこの中には載せません。

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2006/02/14

今日こそバレンタインデー!黒猫対郵政省

今日も実家の父の年金の書類関連の事務のため、目黒に行った。日曜に手配したチョコがもうとっくにみんなに着いてると思うとうれしい。気が付くとあれ、あの人に出してない。と気づく。私のパソコンの知識不足は時々つまずく。リストがしっかりできていない。それで忘れることになる。

車の中で「漫画をインターネットにのせて儲けて、著作権に違反」というニュースを聞いた。ドキッ!今年のチョコのメッセージはブラックジャックに関係している。あのぐらいは大丈夫かしらと思う。手塚治虫の作とも書いたから平気と運転に気をつける。

夜になって、ピンポンがなり、宅急便のお兄さんが、編集長のⅠさんのチョコが戻ったと聞いた。よく見ると、住所にビルの名前を入れてなかったので、解らなくて戻ったらしい。もう一度その場で書き直して送ってもらう事にする。黒猫は柔軟な対応だ。多分あのトラックにはしっぽが生えてるはずだ。

ところで昼間、目黒の実家の用事で、郵便局に行った。何通かの書類のことをしている私が、大変と思ったからか、郵便局の人が最後に可愛い紅い箱をくれた。それを戻ってから、開けてみるとびっくり、中から赤いポスト型のマグネットが出てきた。箱は切手入れだという。最近郵便局で何ももらったことも無く、又あまりにも私のお気に入りの赤なのでうれしくなった。どんなに小さくても、いいデザインはうれしくなる。

バレンタインデーのメッセージは明日の昼に載せます。ワードに入ったままですが。そして私にとって、今日はバレンタインデーでもあり、黒猫と赤い郵政省のサービスに浴した日でもあります。

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2006/02/12

チョコレートは黒猫メール便で送りたい

haru_021 バレンタインデーのチョコレートは黒猫メール便で手配した。

たくさんの友人知人に贈るとなると、あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てれば、あちらが建たない、マンション偽装問題になってしまう。チョコは会ったことがある人に贈ることにしている。近況報告のお手紙を書いているうちに、チョコの数が足りなくなっていたりする。さっき、黒猫のお兄さんにメール便の手配をしてほっとした。ところで私はいつも、クロネコより黒猫の字のほうが、なんかすてきと思っています。

送り終わって、ほっとして、「こんな風にするなんて、私って、やっぱり、山内一豊の妻よね。」 と 言うと「山内 一豊田でしょ、」と夫がいつものを言った。プッフ! ちょうど、NHKで  「功名が辻」 をやっていた。山内一豊の妻は空腹を我慢して倒れた。そこがそもそも基本的に違う。今日、山内一豊田の妻は冷凍庫の整理をしながらカニ鍋にした。

玄関ではフリージャが春の香を漂よわせている。バレンタインデーは節分の次に春を感じるお祭りだ。営業と言いながら、義理チョコと言いながら、もしかすると?と思いながら、私はにっこり笑って楽しんでいる。もしかすると、チョコ明日届くかもしれませんよ。

★ あとりえの子供の絵は5月の展覧会まで、ブログに載せません。 ★

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2006/02/11

バレンタインデーのチョコレート準備OK

keikokoukaskyan私のバレンタインデーのチョコレートは芳州先生のお仕事関係に送ることから始まった。営業と言っては元も子もなく、義理と言ったら、私の美学に反する。なんて言いながら、下手なエッセイを書いては直し、書いては直して、チョコを混ぜながら、チョコでも一緒にしておかなければ、見てはもらえぬと思い、送り続けた。仕事の関係で編集の人もいるし、写真家の先生もいる。無い力を精一杯出してエッセイを書いている。

基本は長野の川上の山小屋の自然を書くことだ。都会の喧騒を忘れて、山のさわやかな空気を書いてきた。 私にとっては文章修行になったし、送られるかたには2月のお楽しみになったらしい。 一昨年には100を超えたので、止めると宣言したが、去年やはり、復活してしまった。私の健康には良いと感じたからだ。

1月末から、チョコレートを選び、買う作業と、エッセイを書く作業の二つを準備し始める。郵送方法は封書の形式で送るので、数年前までは郵便局に持っていき、2月14日に届けるというシールを張って送っていた。最近ではメール便を使っている。どちらも厚さが2センチ以内でないといけない。そのため、チョコレートはおのずと限られてくる。 美味しい、でも郵便で送れることが条件。 わざわざ出かけて贈る勇気は無い。

以前はフォションを買っていた時期もある。板チョコや、コインチョコがあるからだ。最近はモロゾフのコインチョコが送りやすい。でもいつの時も、夫である芳州には神戸一番館のポムダムールをあげている。リンゴをチョコでコーテイングしてある。阪神淡路大震災ではポムダムールが手に入るか心配した。ちなみにポムダムールはフランス語で 「愛のリンゴ」

贈っていることに厭う気持ちは無いのだが、何も言ってこないのは、迷惑しているのかと、最近考えるようになった。悪女の深情けなのかと気づいたからだ。 来年からは、うれしいと表明してくださった方だけに贈ることにするつもりだ。とにかく私が勝手にしていることなので。

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2005/10/25

めざましテレビの「福知山線事故から半年」を見て

rose_004 今朝フジテレビのめざましテレビで、「福知山線事故から半年」のニュースを取り上げていた。 中でも事故現場のマンションに住んでいた、子供さんがたまたま事故の悲惨な様子を目撃し、その2ヵ月後に描いた絵を国際医療福祉大学の堤邦彦氏が説明されていた。

阪神大震災、同時多発テロでの心の傷を負った子供たちの絵にも、つらいことや悲しいことを描くことで癒される経過があると説明されていた。それはトラウマプレイというそうである。

かつて私は子供に絵を教え始めた頃、その心理状態まで読めたときがあり、 そのことを展覧会などで話したこともあった。 しかし、私が何かを言うことで親子共に絵を楽しめなくなると感じたのでやめた。子供の心は母親や父親が生活を共にしながらまちがっても、へたでも、理解し、何かの働きかけをするのがいいとも思う。絵を手段にはしたくない。 このニュースの中の記事に対して抵触するのではなく、この記事を見てたまたま思い出した。 これから私も参考にして詳しく勉強していきたいとは思った。佑月さんにこの記事でトラックバックしてみようかな。

さて、このバラの花は芳州先生の90歳の叔母の卒寿の会のプレゼント。我が家の玄関で今、甘く匂っている。私たちがこれから90歳まで元気で生きていくのは難しそう。

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2005/09/21

ディルの収穫

nagano_018 魚料理にふさわしい、ハーブのディルを収穫した、たぶん9月終わりになると霜が降りて、茶色になると思うので早めの収穫とした。茎からしごいて、緑の葉のみを、箱に入れて山小屋の二階に置いてきた。乾燥すると香りがまたよくなるように感じる。

ドイツに行けない残念さをディルを加えた料理で思い出したい。この日、じゃがいもを茹でて作ったコロッケにも入れてしまった。

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ミントとカモミールのお茶

nagano_017 おやつのドーナッツにはミントとカモミールをミックスしたお茶が似合う。後ろのビンには出来上がったルバーブのジャム。ミントは畑で採れたもの。

秋の風が白樺の葉をふわりと落とす。

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ルバーブのジャム

nagano_009 軽井沢の帰り、浅間山の噴煙は結構白くあがっていた。平和ななだらかな土地だ。

途中、臼田のツルヤでルバーブを見つけた。洗っただけで、80%の砂糖とレモンを加えてジャムを作った。ほうれん草と同じ蓚酸があるので、大量には食べられないが、このジャム作りは、秋の訪れを感じる作業だ。

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2005/08/16

パソコンが壊れていました。

P6170147 7月半ばよりパソコンの不具合があり、壊れてしまっていました。今日やっと修理から戻り、私のデスクトップを出した。ドイツのボーデン湖畔、メーアスブルグのホテル、アルテポストだ。不本意にもブログが更新できず、残念でした。

それでも、その代わりに私は読書ができた。パトリシア・コーンウェルの「真相」と「検屍官」だ。実家の父がこのミステリー作家の作品を多数読んでいたのがわかり、もう読んだからと本をもらってきた。昨夜、雷で起こされたのか、眠れぬままに、検屍官のラストの怖い場面を読み、本を閉じた。このようなミステリーばかり読んでいるから、父は心臓を悪くして、ニトロな生活をしているのではないだろうか?

ところでこの夏も畑を鹿にやられてしまった。大根は葉をみな食べられてしまった。網は役にたたなかった。かろうじて、デイルと紫蘇、ミント、オレガノはきれいに残っている。そして今年はドイツにもいけなかったので、デイルを使って魚料理をしよう。少しはドイツを懐かしめる。

さてあとりえ・チビッコのブログも再開します。またどうぞよろしく!

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2005/04/24

麻実ちゃんの結婚式・エピソードⅡ

event_007 昨日、15年前に、あとりえに来ていた、麻由実ちゃんの結婚式に招待されて行った。私は彼女を自分の娘のように思っていたので、行くだけで、とてもうれしかった。日比谷線の広尾駅を5分ほど歩くとその会場はあった。

すべて手作りの結婚式のようで、麻実ちゃんと太朗君は作品を仕上げるように、結婚式のプロデュースをしたように感じた。自分の家に招待されたように、おもてなしをうけました。

お色直しのドレスの色を当てるクイズをしたのはかわいいアイデアでした。黄色を当てられず、先生残念!

今私の机の上にあなたの2年生の時に描いた自画像の写真があります。今までも、これからも、この幸せが続きますように。そして、たくさんの友人の祝福の中、私と、芳州先生も、あなたの幸せを心から祈りました。

お幸せに!!!

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2005/04/17

川上の遅い春

katakuri 去年の夏に芳州先生が植えたカタクリが、今回川上に来たら咲いていた。ススキや白樺、枯れ草の中に、カタクリのピンク色は眼をみはるものがある。単純なピンクではない。少し紫色が入っている。

畑の作業をしながら何度もカタクリを見た。夕日が沈む少し前に写真を撮った。後ろの緑は去年、畑の回りに囲った鹿除けのネットだ。土を耕し、また畑に種をまくが、今年も鹿と戦うことになりそうだ。土を耕しているときに、もう、私たちを見ているような気がした。。

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2005/03/25

義母の入院

life_009老人ホームに入居していた主人の母が病院に入院した。食事がむせて、摂れなくなり、肺にも誤飲性の影が見え、点滴による栄養補給になった。時々タンの除去を器具でしている。
あとりえのかつての生徒たちのことを書く予定だったが、あの楽しい子供たちの様子を思い出して書くことが出来ない。地震のニュースも心配の元で、空の雲が気になる。友人からの贈り物の花束とココがが心を癒してくれる。

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2005/03/14

2005年のバレンタインデーのメッセージ

今日はホワイトデーでした。バレンタインデーに今年は60人の友だちにチョコレートとメッセージを贈りました。毎年の年中行事です。もう13年は続いているでしょうか。去年、止めると宣言しましたが、やはりまた書いてしまいました。このブログを見ている方、niftyの方へ、またあとりえ・チビッコのパパ、ママへメッセージだけ贈ります

森の木々の葉がパラパラと落ち始めると、山の上から紅葉が始まる。都会に紅葉が届くころには、山に雪が降り始める。そんなときには車のタイヤをスタッドレスにしておくと心強い。横浜の家の駐車場で、タイヤ交換をする。我が夫、芳州は若い頃から、車のタイヤ交換を自分でする。40才で免許を取った私は、毎年タイヤを物置からもって来るだけだ。すごいなあと思って見ている。機械に弱いからできないし、力もないので無理だと思っている。さて機械に弱い私が昨年秋、パソコンを動かし、ホームページを作った。念願の作業だった。去年からはやりだしたブログと言う、簡易的なホームページだ。「誰でも簡単に作れます」と言っている。しかし私の脳は去年のエアコンほどにフル回転して、壊れそうになったりしながら、やっと作った。老眼鏡をかけ、ウインドウのはじに置いたパソコン用語集をクリックし、簡単ホームページの本に鉛筆でメモをし、うるさい犬にボーロをやってから、受話器を取って、niftyに電話をし、なんと1時間半もの時間、質問をした日もあった。豊田は「君って結構、おたくだったんだよ。」と言った。私も実際そう思った。いろいろな設定をし、10月の孫の誕生日までに作ると宣言した予定日の11日前の10月10日にスタートできた。私の造形絵画教室、「あとりえチビッコ」のホームページでもあり、川上村での生活も書いている。私にとって、あまりに脳を使ったせいか、そのあと漫画(コミック)に夢中になった。脳ミソのクールダウンをしたのだと思う。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」や「ブラックジャック」。その登場人物が好きになってしまった。また時間は数ヶ月さかのぼり、クイーンの音楽にも心を動かされ、あとりえの子供たちに聴かせ、絵を描かせた。そして小説「ドリームキャッチャー」、「アトランティスの心」と読み進み、スチィーブンキングにまたもや夢中になった。これはきっとブログをつくるという硬い意志の気持ちが脳を刺激して前頭葉が元気になったのだと思う。さて下線を引いたところにお気づきですか。10、ジャック、クイーン、キング、まだ一つ足りないのがエース。こうなるとどうしてもつじつまを合わせようと、考えるのがシンプルな脳細胞!恵子ちゃんの脳細胞! いつまで待ってもエースがないので、ハートのエースだったら何とか探せそう。そしてハートのブローチを横浜中華街で見つけた。今結構気に入り、街の中も、森の中でも着けている。曲がった黒のハートに贋物のダイヤが散りばめられている。さて去年バレンタインデーのチョコレートをやめると申し上げました。が、やはり続けることにしました。「 もうあのうるさい手紙が来なくてほっとしたよ 」と言う方には、ここまで読ませてしまい、申し訳ないのですが、まだ1,2年は続けます。私の健康にこの方が良いようです。私の勝手なわがままを聞いてくださってありがとうございます。わがままついでに、私のURLは下記です。 あとりえ・チビッコ http://atchibi.cocolog-nifty.com

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川上から急ぎ戻る

kawakami05_008芳州先生は孫にスキーのための雪ならしを今年のうちにしようと考えていた。友人,にその手順を聞いていた。
キッズ用のヘルメットを付け,はじめはソリで遊ばせ、次にスキーを装着して一緒にすべるという計画だ。今回川上にはその準備もあり行っていた。もちろん仕事の原稿も抱えていた。
ところが老人ホームに入っている義母が風邪のため高熱が出て、戻ることになった。残念だがトモ君のソリ遊び、および、スキーデビューは今年の年末までお預けになりそうだ。
心を少し川上に残し八ヶ岳を見て、車を走らせていた私たち・・・・・・・・

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2005/03/04

子供の遊び・雪だるま

0503_019天気予報どおりに雪が降った。お母さんと坊やが雪だるまを作っていた。雪合戦もしていた。学校の子が戻る前に雪遊びができてよかった。温暖化で、都会に降る雪は徐々に減ってきた。それでも集めれば何とか、作ることはできる。子供たちの記憶の中に残してあげたい遊びだ。

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2005/02/23

富井君盲腸になる

kawakami05_0065日前の土曜日に富井君は盲腸の手術をした。あとりえの助手であり、次女の娘婿でもある。私は芳州先生の写真教室の運転手で塩尻まで行っていた。気がかりながら病院にすぐにいけない.他の用もあり、川上で過ごし、昨日帰りに成増の外科医院に行った。顔色は良かったが、いつも元気な富井君がお腹を押さえて痛がっている様子はいくら盲腸でもかわいそうだった。この写真は富井君と次女あいかのことを思って見ていた景色。インターネットで調べると盲腸も最近では手術のやり方が変わったようだ。
さて今日のあとりえの課題は彼に向く指導課題だったのだが。各自の靴を描かす。静物描写が上手になってきている高学年の子たちの作品を紹介したいと思っている。

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2005/01/10

あとりえはもうすぐ始まります

kawakami05_025川上は昨日と一昨日に降った雪で2,30センチ積もっています。ココちゃんのお散歩も、私はコートを着て手袋をしていってきました。日差しがあると暖かですが、曇ってくるととても寒いです。昨夜はストーブをつけていて室温はマイナス3度でした。たぶん外はマイナス15度ぐらいだったと思います。そういえば昨日芳州先生が燻製の油を家の階段の脇に捨ててあったけど、さっき見たら狐が引っかいた跡がありました。そして狐の足跡がいつにも増してうちの庭にありました。自然は厳しい。ガンバレッ!コンコン!
横浜のあとりえはもうすぐ始まります。おけいこはじめの課題は「冬の花」です。

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2004/12/31

今年の苦労は今年にて足れり

life_008新しい年があと6時間で来る。いつものようにおせちを作り、もうお重にも詰めた。大きなお重1つ、小さなお重2つ、余裕のタッパー1つに入れた。娘たちの分があるから。私が作るように娘たちは作っていくだろうか。見せるだけでもいつかは真似して作るだろうと期待している。
今年は新潟中越地震に続き、スマトラ沖地震と天変地異の多く起きた年だった。新しい年が平和であるように祈るばかりだ。昔、小さいときに教会の幼稚園に行き中学、高校と、日曜学校に通った。そのときに教わった聖書の言葉が今でも気に入って心の中でつぶやく。どの章だったかは忘れたが「今日の苦労は今日にて足れり、明日はまた自ら思い煩わん」と言う言葉がある。年の暮れにそれを「年」に代えて、「今年の苦労は今年にて足れり。来年はまた自ら思い煩わん」新しい年の平和を心よりお祈りいたします。

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2004/12/26

八ヶ岳の雲

kawakamimura04_002
八ヶ岳に雲が出た。朝から川上村にあられのような雪が降った。朝の気温はマイナス3度、昨日はマイナス9度、天気予報は当たっていた。雪は昼には消えかかったが、シラカバの落ち葉の上にパラパラと砂糖のように降っている。ケーキの上の飾りのようだ。目を遠く、上方を見れば八ヶ岳の上に天気を乱しそうな雲がもくもくと湧いている。都会の用事をすべて済ませ、年賀状を用意してここ川上に来た。
 二都を行ったり来たりするのはかなりのエネルギーを使うが、清らかで冷たい空気は精神を高揚させる。今回この記事をはじめて川上から発信することになる。トイプードルのココと散歩しながら樹木の音を聞き、自然からのメッセージをこのような形で届けるようになれるとは、思っても見なかった。私にとって2004年後半は前頭葉が刺激的な不思議な日々でした。

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2004/10/10

あとりえ・チビッコスタート!

自分で、自分におめでとう。2004年の8月からよくがんばりました。10月21日にスタートするという目標ですすめてきましたが、何とか皆さんに公開しても良さそうなスタイルができて来ました。秒読みに入ります。peint1.bmp

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2004/10/08

野原の草花を描く

私は子供の頃から、犬と散歩をするのが好きだ。朝夕プードルのココと散歩をしている。アイデアを浮かべたり、季節の移ろいを感じたりできるのもうれしい。一昨日は鶴見川沿いに久しぶりに歩き、アトリエのモチーフの野原の草を摘んだ。ススキやミチシバは大きなガラスの花入れにいれ、カヤツリグサやツユクサ、エノコログサ、アカマンマは大きなコップに入れた。他に名前を知らぬ草もあった。子供たちは草むらで隠れんぼするように描いた。PA060010

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2004/10/04

フランスの女の子

6月に訪れたドイツの国境に近いフランスのコルマールで、パパとお散歩中の女の子。ドームの中で演奏している楽器の音に引き込まれるように、スキップしていた。自分を表現するのが上手だ。
P6120061.JPG

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はじめまして こんにちわ

はじめまして、こんにちわ 「あとりえ・チビッコ 」のkeicocoです。イチロウが新記録に挑戦する中、私はココログを立ち上げるため、同時進行でがんばっています。一昨日、イチロウは259本を達成しました。私も10月21日までににこのブログがスタート出来るように、パソコンをがんばって操作しています。そして私のかわいいたくさんのあとりえ・チビッコの子供たちとのコミュニケーションや作品を皆さんにも鑑賞できるよう、「KEICOCOギャラリー」をパソコン上に建設中です。そしてもう巣立っていった子供たちもこのギャラリーに集ってほしいと思います。どうぞこれからよろしくね。10月21日までにはログアウトします。

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