2009/10/19

浜松の浜名湖立体花博

Hamamatu_029先週末は浜松に行った。千葉大スキー部OB会の集まりだ。新幹線の浜松駅に着いた頃には雨が降っていたが、何台かの車で浜名湖立体花博会場に着く頃には雨はほとんど止んでいた。9組の夫婦とシングル参加の4人計22人の中年ツアーとなった。

花博会場での出展作品の中でカナダ、モントリオール市からの「木を植えた男」(フレデリックパック)の作品が素晴らしかった。モザイカルチャーという新しい園芸の分野があることを知った。そして宿泊先は浜名湖ロイヤルホテルだった。

グループに入ることが苦手な私が35年も過ぎると、先輩後輩の奥さんと普通にお付き合いができるようになった。食事も美味で、カラオケでの演歌やダンスの得意な奥さんもいて、今回も盛り上がり、毎年カラオケを上手に歌う人を見ていると、たまには練習をして、マイクを握ってみたいと思うのだけど、結局できない。今回は特にK氏夫人がダンスを踊って盛り上がり、それを見ながら、私とF氏夫人は笑い転げていた。こんなに笑うことないわよねーと言いながら、私も酔った勢いで「ヒューヒュー」と掛け声をかけてしまった。

ところで、私が浜松から戻って開いた「内田樹の研究室」では≪配偶者の条件≫について書いている。読む間に3つの漢字が分からず漢字辞典で調べた。≪疚しい、遊弋、膾炙≫、やはり、研究室は難しい字があってこそ研究室だ。

さてその酒宴の席でも、結婚しない娘や息子についての親たちの心配の声が聞かれ、私なりの考えもあったのだが、いつもよりは言いすぎないでいた。いやー、お酒の勢いでシャッフル、シャッフル!とかいったかも?しれないが。子どもが大人になると言いにくくなる。親になると分かってもらえるのだが。

子どもが小さければ、ご飯の支度を一緒にしながらとか、車を運転しながら言いたいことを言ったりした。子どもは親が事故を起こしてほしくないから車の中では一応は話を聞いてくれるからだ。そんな時は私も冷静な気持ちで接しないといけなかったが。

あくる朝、8時過ぎにホテルの窓から雁が渡るのを見た。湧き上がるように絶え間なく群れ、飛んでいく。浜松ははなんていい所なのだろうと感じた。2日目には臨済宗の寺、方広寺半僧坊で五百羅漢、釈迦三尊像を見た、小堀遠州の庭がある龍潭寺はまた、井伊直助の井伊家の位牌などのある寺でもあった。二つの寺とも修理中で2年後には完全に直っているらしい。また来たいと思った。

車を運転していただいた竹形さん、幹事役の月花さん、倉本さん、どうもありがとうございました。楽しい旅でした。

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2009/08/14

八ヶ岳高原ロッジのキッズプレート

夏休みが来て、家族がこの川上の山小屋に集まった。11日夜には霧が濃かったけれど12日朝には霧が晴れて久しぶりの夏らしさになり、私にはうれしかった。Yatugatake1

いつも山小屋では仕事気分が多いため、自分で作って食事にしているが、夏の一日ぐらいはホテルのランチを食べようと、野辺山高原にある八ヶ岳高原ロッジに行った。トモクンはハンバーグやコロッケなどのいわゆるお子様ランチは好きでない。外に出かけると、冷たいざるそばを注文する様な子だ。今回のキッズプレートは大人のランチメニューから推察して、とても美味しそうなので残さず食べた。

私も鯛のカルパッチョもステーキも美味しくて元気モリモリになった。最後のデザートのケーキは木苺のソースが高原風だった。

Yatugatake2サービスの仕方もさりげなく車とは言え急坂を登って来た甲斐があるというものだった。

親は姉妹が仲良くしてほしいと思う。若い夫婦も仲良くやってほしいと思う。そんなことを晴れていく霧をじっと見ながら考えて本当の極上のスイーツをいただいた至福の時間だった。

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2009/07/20

「剣岳 点の記」を2度観て

この物語は明治39年(1906年)から、40年にかけて実際に起きた事実を新田次郎が小説にし、木村大作が映画化したものだ。一世紀も昔のことだ。私はこのように装備して山に登ったことはない。残念だが小自然しか知らないから。大自然は想像するだに怖い。

映画は日本山岳会ができて2年目に入っての頃の話だから装備品の進歩も今とは隔世の感があるのだろう。山岳会の面々が来ているコートなどはデザインも素晴らしいものがあったが。映画の画面の中でなにか見覚えのあるものもあった。測量隊のリュックサックは父が戦争のころに撮った写真のものに似ていたし、芳州さんが昔持っていたリュックサックも黄土色のものだったし、テントは映画の中のものと似た仕様のものがまだ我が家の物置にあるはずだ。捨てただろうか? 防寒の服も防水も今のようなものはなかったのだから大変なことである。しかも、ただの登山ではなく日本地図の完成を目指しての測量としての作業が目的だ。危険は十分承知しているがあの時代の日本軍の命令だ。無理を承知で日本の急峻な山を目指すのだ。

実は私はこの映画を2度見た。二週間前と今回また観た。その間には北海道大雪山系での遭難・10人死亡の事故が起きている。きっとこの「剣岳」を見て北海道に行った人もいただろう。この映画の中では人が死んで悲しむ場面はない。だが登山への危険を危惧する雰囲気は全編を覆い漂っていた。実はこの映画のことを知った時から私は観にいくと決めていた思い出がある。

今から42年前に小学校時代の友人が剣岳で滑落死している。転校生だった彼は東京医科歯科大学に進んだ。二十歳を記念してのクラス会を登山中とのことで彼は欠席した。だが数日あとに新聞の紙面に彼の名前が載った。松川烈(きよし)君だ。その時から、私は剣岳は過酷で怖い山なのだという印象を持ち、彼の分まで私たち鷹番小学校6年4組のみんなは生きないといけないと思ったりした。

2度鑑賞した訳だが、それほど優れた作品ということだ。そして私は小自然しか知らないが、自然は常に大自然へのアプローチだと思っている。山小屋の家の角を曲がった途端、熊に遭うかもしれない。すぐ戻ると思って出た森の散歩で道に迷い雨と雷雨と雪に見舞われ、その逃げる途中鉄砲水に遭うかもしれない。大石が転がってくるかもしれない。マムシと思って捕まえた蛇がアナコンダということはないか? 自然は常に未予知だ。こうして私の老婆心も出来上がっていくのかもしれないが。

そしてこの映画は浅野忠信と香川照之の顔がいい。精神が正しい顔をしている。やはり映画にはその主人公の人物の人選が重要だと思う。この前見た「スラムドック・ミリオネア」の主人公の若者も、監督が探しまくったという。そして普通の男の子がいいと探したという。なにもキャリアを積んでいなくとも、精神が良ければいいのだ。映画は主人公の配役、人選がすべてを決めてしまうように思う。人生の配役である夫婦も同じだ。これこれこういう筋書きのこういう人生を一緒に送れるのはどう言う人なのか? 五感を鋭くして探さないといけない。木村監督ありがとう! ああ、また横道にそれてしまったかな。

そしてYamyam町一丁目さんのブログでも書いてあったが、浅野忠信は皇太子さまに似ている。浅野忠信も真摯な感じがいい、私は香川照之の矯正していない歯が素敵だと思った。そういうところに象徴される、なにか、DNAを操作していない感じが荒削りで良い、もっとお友達になれそうな感じがした。TSUTAYAで二人の作品を探したい。夏休みのお楽しみ!

またエンデイングでは《家族に支えられている》というメッセージが流れていたが浅野忠信演じた柴崎芳太郎、香川照之演じた宇治長次郎の夫婦に言えることだけではなく、それは木村大作監督にも、作者の新田次郎も、その息子である藤原正彦(国家の品格の著者)にも映画を見る私たちにも言えることだと同感した。「何をしたかでなく、何のためにしたか。」「何物にも囚われず、なにものをも恐れず」これはこの時代を乗り切る言葉(メッセージ)に違いない。

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2009/07/19

マンダラ模様と民族模様の塗り絵

COLORING MANDALAS マンダラ塗り絵(スザンヌ・F・フィンチャー著、正木晃解説、訳)春秋社の中から1ページを子供たちが描いた。スザンヌフィンチヤーはユングの影響を受けたアートセラピスト兼カウンセラーと紹介されている。

夏休みを前にして、うきうきした子供たちを机に向かわせることは結構大変だ。今回はマンダラの塗り絵を子供たちに描かせた。その前にオストワルト色相環の相対する色を2つ組み合わせると、表現が強くなり、反対に隣りあう色同士は仲良しな感じになる。と説明。そのことはもっと高校生ぐらいになって勉強するが、今の小学生の間はこういう色の法則があるけど、楽しく描ければいいと説明する。

マンダラの規則性が嫌いなタイプの子のためにインドの文様を同じように塗り絵にして描かす。仕事の速さよりも好きなものをじっくり描いていいと説明し進める。

Mandara_risa1Mandara_ayano1                

              

              

              

左からリサとアヤノ。この二人は仕事をきっちりとした。アヤノはもともとの性格がこうしたきちんとした仕事の手順をする子だ。

リサはそうではない。いくらクーラーを入れていたとは言え、この密度に塗ることはリサの性格上大変なことだ。よほどこうしたことが好きでないとできないと思う。だが、私がこうして、性格上合っている!個性がそういう方に向いている!と力説しても、あと6、7年経って、人生の進路を考えないといけなくなったときに果たして学校ではそう言ってくれる状況になっているかは分からない。だから今から、私が言っていることを少しでも信じて進んで行ってもらいたい。

この2枚は色彩の組み合わせも仕事も満点(今いる生徒の中では)の子たちだと思う。ほかに部分的に色彩が個性的だった子もいるがこの2人はとりわけて全部描きがんばっているので、ブログの載せるのは2枚のみにした。

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2009/03/08

Wonderful town Gengenbach !(素敵な町ゲンゲンバッハ)

今日でドイツから戻り1週間がたった。今回はドイツの原始的な香りのするカーニヴァルを見てきた。前述のとうり、ゲンゲンバッハのウェブカメラの前でそばにいたアニー(ANNIE)さんとご主人と、アニーさんの友人が一緒に日本に向けて手を振ってくれた。ところが私は興奮して彼女たちの写真を撮らず、ごめんなさい。でも日本に帰ったら私はブログに書くと言い、URLを教えたので、もうそろそろ見てくれるのではと思い、写真だけ更新します。

このところ、戻ってからの所用があり、あとりえの方も準備があって忙しくしています。でもあの時の興奮が冷めぬうちに、少しでも早く伝えたいと思います。彼女に話しかけたのは私とおなじデビル(Devil)の角の髪飾りをしていたからです。ゲンゲンバッハには2軒ほどのおもちゃ屋があり、そこで私はデビル、芳州さんは怪傑ゾロのマスクを買って付けました。天使になっている人や、ケーキになっている人、海賊、猫みな楽しんでいました。

写真だけ載せますが、芳州さんのブログにはもっと上手な写真がありますので、写真関係の方はそちらを見てくださいね。では。

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追記:この記事を書いて一日経ちましたら、なぜかかわいい写真が消えました。かわいすぎる子たちだったなので、心配になったジェームズボンドかルパン三世がウェブの中でお仕事をしたのでしょう。早いうちにごらんくださった方はラッキーということで。

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2009/02/20

私は今ここにいます。Gengenbach!

私たちはドイツの黒い森のゲンゲンバッハ(Gengenbach)にいるでしょう。ファスナハトというお面を被った鬼や面白い人の面を付けた行列が続くお祭りを見ているでしょう。簡単に言えば日本のなまはげのようなもののようです。

出発前にはそのゲンゲンバッハの市庁舎の前の広場をインターネットでWEB CANという映像で見ていました。同じ時刻で映っています。しかし時差があるので、日本が昼間ならあちらは夜です。椅子に座っている人もみえます。雪の路面を滑らないように歩いている人もみえます。私が初めて見た時は大きなトレイラーがいて、材木を積み下ろし、そのあと見た時は広場に小屋ができていました。飛行機で13時間かけてつく場所が同時にパソコンで見えるなんて感動でした。

そこで私のちょっとしたいたずらな心がおきました。

beerドイツ時間の2009年2月22日午後2時2分、

fuji日本時間の2009年2月22日午後10時2分。

私は市庁舎前にいて日本の皆さんに手を振ります。「えっ、この日が何かの記念日なのですか?って」いいえ、何の記念日でもありません。覚えやすい日ですしその時刻が日本時間とドイツ時間で合わせやすい時間だからです。そしてたぶん広場に太陽がある時間だからです。ネット上で見る前に何かの手続き画面が出る場合もあるので、事前に見ておいたほうがいいでしょう。

たぶん、手か、ハンカチーフを振りますが、お祭りの最中で人ごみの中で分かりにくいかもしれません。5分間は手を振ります。それ以上することは少し怪しいと思われてしまうといけないので、WEBCANのカメラの方を見たいと思います。そしてKeicoco先生がいたと思う方はブログの方もクリックしておいて下さい。

とにかく私はいつでもドイツに行くと心に「日本代表」の日の丸のゼッケンを付けて行動しています。通訳もいないけど、ドイツ語もアウフビーダーゼンくらいだけど、英語もヒヤリングがやっとだけど、がんばっています。疲れるのなんのって!多分ね。

それなのに!今回、日本の中川財務大臣のイタリアでの醜態は、本当に本当に!恥ずかしいことです。ですから、ゲンゲンバッハがワインの産地で私たちはグラス一杯飲んだって、顔が曲がったり、目がうつろになったりしないように頑張らなきゃいけません。それって大変だと思うけど公人としては当たり前のことです。ましてや国の大臣ならば!話がそれちゃった。

ゲンゲンバッハの映像はココです

先生がんばっていってきます。(2009年2月18日記)

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2009/02/08

冬の旭山動物園

Pengin1Pengin2千葉大スキー部OB会の有志で富良野に行った。芳州さんはじめ、スキーの好きな人たちが集まったのだから、白銀にシュプールをあげて、滑りまくっていた。私はこれからの2月、3月のスケジュールがいっぱいで、もしも骨折をしたらという考えに支配されてどうしてもスキーには参加はできなかった。

そこで、ペンション・ラベンダーで絵を描いたり、富良野のチーズ工房に行って、チーズ作りとバター作りをしていた。チーズ作りは牛乳2本と生クリーム120g、それと乳酸1mlが材料で100gできる。子供の手のひらにのるほどのチーズが牛乳2本分くらいの水分を捨てて出来上がる。それがホエーというものだと知った。私が「そのホエー捨てちゃうのもったいない」と言い続けたので、ご指導くださった土田さんという方が一口飲ませてくれた。なんだか、飛びぬけて栄養がありそうだった。バターは生クリームと水を混ぜて出来るのでいつかあとりえの課題でしてみたい。そこの場所で、生バターキャラメルを買った。花畑牧場のキャラメルはきっと買えないだろうと思っていたから。昨日北海道から帰ってきてから母のところにお土産として持って行った。。母の同室の栗田さんは母と仲良しだけど糖尿病があるからあげられない。

また別の日には旭山動物園に行った。富良野からバスで1時間半くらいかかる。メインのペンギンウォークに合わせて園内を見るという方法を、何度も今回の旅のコーディネィターの藤井氏が教えてくれたのだけど、アザラシ館を出て、外の人の波を見て、

「きゃあ、ペンギンを見そこなったらいけないわー!」と波に揉まれて列に並んでしまった。待つこと10分で、ペンギンたちが来た。遠くから見ても、ズンタ、ズンタ、ズンタ!近くで見ても、ズンタ、ズンタ、ズンタ。私の前でポーズをとってくれた。そしてこの波が行くと、何だか大きな人がペンギンの後ろを歩いていた。ズンタ、ズンタ、ズンタ。誰かが、・・・・・・・・「西田さーん」と言った。見上げて見ると、釣りバカ日誌の濱ちゃんがそこにいた。そして私も大きな声で「ハマチャーン」と呼んでいた。もうすぐ上映になる「旭山動物園物語」(ペンギンが空を飛ぶ)の宣伝を兼ねていらしたのだろう。

ますます私は困ってしまう。脇道にそれてしまうが、面白い映画が目白押しだ。「旭山動物園物語」(ペンギンが空を飛ぶ)、「マンマ・ミーアー」、「007 慰めの報酬」、「ベンジャミン・バトン」こうなると、私はペンギンの着ぐるみをつけたメリルストリープになって、ABBAのダンシングクイーンで登場し、007のテーマにのって、バキューンバキューン、着ぐるみを脱いだら皺のない20歳の惠子ちゃんになっている。なーんてね。また、また先生どうかしたかしらと言われそうだけど、この頃アクセスが減っているから誰も見ていないに近いから、おかしなこと言ってます。

ところで旭山動物園の飼育係を25年していたあべ弘士さんがあの「あらしのよるに」の絵を描いていらっしゃったのです。最近小学館文庫から小説「あらしのよるに」も出ています。本を読んでまた感動を新たにしました。動物園の中にあべ弘士さんの絵もありました。園内のオオカミの森近くを歩いている時、あの物語を考えていました。おおかみとやぎが暗闇の中で出会ったことを。本物のオオカミはガブと同じく優しそうでした。

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2008/10/12

長崎は今日も平和だった

Nagasaki_71長崎に行って来た。以前からいろいろな方に誘われていたのだが、今回は時間ができたので、長崎くんちに合わせ行って来た。

長崎くんちはテレビで細かいところまで知ることができた。今年は7年に1度の大祭のようで、檀尻という山車が神社の境内で観客が注目する中、回転させる。 『もってこーい!』 の掛け声に応えて力いっぱい動かす。神社境内に満ち、満ちる両者の引き合うコミュニケーションがなんとも言えず良い! それが桟敷席でなく、テレビの画面でも理解できたのがすばらしかった。

Nagasaki_65 私たちの泊まった ホテルは長崎新地中華街の中で、結果的に行動しやすかった。長崎名門校、活水女子大学への坂道は横浜のフェリス女子大学への道とオーバーラップして感じた。まわりの木々のソテツなどの植生がやはり南の国を感じさせた。かの有名なオランダ坂を通ると銀木犀が薫っていた。

Nagasaki_61_2

東山手住宅郡の中に紛れるようにベルハウスという老人ホームがあった。窓越しにお年寄りが歩いていた。クリスマスの飾りのようなコラージュが貼ってあり、目黒の母を思い出した。孤独という字が湧き上がってきた。年を取るにつれ湧き上がる孤独感を何かに置き換えてはならないと思う。その時忘れたり、紛らわす分だけ後から押し寄せる。だからといって深刻になってどうする。どうする。心の中で自問自答。私なりの答えは出ているけれど。

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『 春真昼 ここの港に寄りもせず 岬を過ぎて ゆく船のあり 』 と、短冊に書いてあった。作者は誰か書いてあったようだが、分からない。

東山手地球館では日替わりで世界の家庭料理が食べられた。この日はタイカレーだった。そばで英会話のグループが先生を囲んで楽しそうに話していた。宮崎駿のアニメ映画の話題だった。そこからは私は芳州と別行動で、原爆資料館にいった。路面電車が4系統あり、乗り換えするとき切符を貰うと100円で市内を動き回れる。車が混雑する時は路面電車の方がタクシーよりも動きが早いようだった。

Nagasaki_49_2 原爆資料館内は撮影禁止のためそこに入るらせん階段を下りるときに撮った。まるでゼロ地点に下りていくように造られていた。入ってすぐに、爆心地から800メートルの民家の柱時計があり、時刻は11時2分を記していた。

  • 原爆を落とすまでの過程を記してあった。照明を落とした資料館の中で、気が付く事をメモした。多少の間違いがあるかもしれない。
  • 1944年 ルーズベルト、チャーチルが日本と決める。
  • 1945年4月 東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、    下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保を候補地とする。
  • 1945年7月 ニューメキシコで実験
  •     7月20日 パンプキン爆弾を広島、小倉、京都、新潟で実施
  •       23日 広島、小倉、新潟が目標となる
  •       24日 長崎が加えられる
  •       25日 トルーマン指令を承認
  •       26日 ポツダム宣言
  •              31日 テニアン島で原爆組み立て完了、連合軍捕虜収容所の存在連絡する  が目的変更無しとなる。
  •     8月6日 1:45 エノラゲイが原爆を搭載してテニアンを出発
  •          8:15 広島に原爆を落とす
  •       9日 2:49 原爆搭載機ボックスカーがテニアン離陸。焼夷弾の煙のため小倉に落とせず3回旋回し、長崎に変更
  •       9日 10:58 長崎上空も雲のため視界不良、燃料不足で帰還検討
  •       9日 11:02 一瞬の雲の切れ間に原爆投下

原爆が悲惨なことは分かっているが、こうして落とされることになったのを忘れてはいけない。戦争に反対しなさい!とトキワ松学園の笹尾菊枝先生は世界史の授業中に話された。そして、子どもを育てるお母さんはいつでも戦争に反対をしないといけないとも。戦争っていつ始まるの? 誰がその時を教えてくれるの?

遡って行けば、長崎にとってこの一瞬の雲の切れ間がなければよかったのに。広島に落とされたときに日本政府がすぐ降参すればよかったのに。原子爆弾は造られなければ良かったのに。戦争を始めなければよかったのに。

ところでこの長崎旅行中に3人の日本人がノーベル化学賞を取ったというニュースが報じられた。それも忘れられない思い出になった。そして、その夜の長崎くんちの庭先まわりでは、芸者さんの舞や邦楽が歌われ、三味線が流れ、太鼓も響き、だんじりも繰り出し、町中が賑わった。そこで私は 『長崎は今日も平和だった』 と感じた。Nagasaki_94

写真は上から1.長崎グラバー亭から平和公園方面を見て、2.大浦天主堂、3.オランダ坂通り、4.ベルハウス、5.原爆資料館、6.庭先まわりをする芸者さんのご挨拶の腰の角度が美しかった。

  

           

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2008/09/14

『世界のみんなの笑顔』を考えた

日本製粉が小学生を対象としている「夏休み!子ども絵画コンクール」のテーマは『世界のみんなの笑顔』だったが、子どもたちは夏休み明けにその課題を描いた。そして締め切りギリギリに提出した。

子供たちが作品を1点出すことで、日本製粉が日本ユニセフに100円を寄付し、それによって、ワクチン7人分とビタミンA50錠になるという。私は子供たちへの予定表にその旨を書いておいたところ、あとりえに来ると、さっそく 『ワタシがこの絵を出すとかわいそうな人たちが薬とワクチンで助かるなら、ごほうびなくてもいい!』 とモエナちゃんが言った。そしてたくさんの子どもの笑顔を描いていった。

今までの子供の絵のコンクールとはまた違う趣旨のようで、子供たちがそのように感じて描くのは絵以上に大きな教育が出来るというものだ。

そして、モエナちゃんの言葉に刺激を受けて他の子たちも、私が出しておいたナショナルジオグラフィックを見て、外国の人の笑顔を描いた。笑うと言うことがどういう場面で起きるかを考え、また、顔の色を換え、笑っている幸せなことはどういう風に起きてくるかを考えた。子どもたちは人が失敗をした時にも笑っちゃうし、お食事をするときも笑うし、兄弟でも笑うし、結婚式でも笑うと言った。

黒人の人の顔の色については、日本人と違うねということから、昔ははだいろという名前をクレパスに書いてあったときもあったし、今でもうちの使い古しの絵の具箱やクレパスの巻き紙の中にあるけど、あれは差別用語だからいけないのよねと話す。(あとりえチビッコも厳密には問題はあります) 黒人の人の肌の色を思い出して塗ろうと言った。人の肌の色は血の色、肉の色、日焼けの色。いつも人を描くときに言っている言葉。

カノンちゃんはデイズニーランドで外国の人にいっぱい会ったときのことを思い出した。髪の色も換えた。また、外国のお人形を描いたときの目の色を思い出して描いた。子どもたちは積み重ねた課題のそれぞれを糸を紡ぐようにまとめていく。カノンちゃんは人を描かすといつもありきたりの絵を描いているので、何とかそれを打ち砕いて面白い発見につなげたいと考えていたが、今回の外国の人から少し違う発見と感動が出来た。

どちらにしても、今日のような自分の絵が人のためになるという経験は子どもにとって忘れられないだろう。良い経験をさせていただいたと思う。でも、それに子どものためのメセナととして、消しゴム一個くらいごほうびに付いてくると、指導者的にはうれしいんですが・・・・。

今日は未発表の作品にしておかないといけないので、ブログ上には出しません。でも写真は芳州先生に撮ってもらってありますので、後日生徒さんには印刷してお渡しします。

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2008/08/26

ドイツの誘惑@きっこに会うなら、こんな町でⅡ

Herenberug ドイツ、シュトッツガルトに近いヘレンベルグは教会の鐘の町だ。そして、近くには自然公園があるため、坂も多い。地図どおりだった。

ヘレンベルグでは毎月第一土曜日に教会で鐘のコンサートがある。私たちはそれを予定に組み込んで、旅行の計画をたてた。特にキリスト教への信仰心が強いわけではなく、鐘の音を聞くのが目的だった。そして信仰心の厚い人たちが来る場所は住んでいる人もそれを誇りにしているのではないだろうかと思っていた。

子供たちが市庁舎の前のアイスクリーム屋に来て、広場に集っている。写真を撮る度にその家族にOKかと聞いて撮った。ブログに載せるのは憚れることもあるが、国が違うということで、お許しをいただきたい。国を知る一つのバロメーターには子供の表情がある。Herenberug2

学校帰りの子供たちは歩き方がかっこいい。足が真っすぐ伸びている。ジーパンの長さも着ているカーデガンの色も似合っている。制服でなくても学生らしさがきりりと伝わってくる。

そういえば、私が中学校時代に制服の是非についての ディベートをしたことを思い出す。まじめな中学生で、違反もせずに長いスカートをはいていた。そういえば弟が行っていた麻布中はもうずっと前から制服は無くなった。私はあの麻の葉の入った制服のボタンがきれいと思っていたっけ。Herenberug3

左の写真は鐘のコンサートを聴きに来た親子。お父さんが子供に鐘の聞き方を説明していた。ドイツ語で、私には解らないのだけど、そう感じた。教会の城壁の周囲には遠く平野が広がり、鐘の音が時にはリズミカルに、時には厳かに、そして時には敬虔にならざるをえないほどに響きわたり、流れていた。

日本に帰ってきて、またインターネットをつないでブログを読んでいるが、『きっこの日記』 のきっこに会うなら、この町ヘレンベルグで会いたいと思っている。ちなみに2007年7月18日にも『きっこに会うならこんな町で』を書いている。それはオーストリーに近いドイツのランズフートだった。

きっこさんはブログの中では難しい情報をいろんな喩えに満ちて、誰にもよく解るように説明し、それでいてサラッとリズミカルに話してくれる。何かたくさんのお仕事をしているようで、毎日毎日脳味噌を休む間もなく動かしている。少しは休んだらどうかとは・・・・私は言わない。私が言えるのは、

若いから自分の力をその時、その時出し切ってがんばってほしい。 

でも健康には気をつけてね。

シングルの物足りなさをつぶやいていたように感じたこともあったけれど、いつかまじめで優しくて、きっこさんのことを大切にしてくれる人に出会えますように祈ってます!

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2008/08/25

ドイツの誘惑@花束を持つ男性はすてきⅡ

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今から2年前にも《ドイツの誘惑@花束を持つ男性はすてき》http://atchibi.cocolog-nifty.com/tk/2006/06/post_0d96.htmlという記事を書いている。

今回も花束を持つ男性を意識して探したが、撮影するのは肖像権にかかわることなので、やはり簡単にはできない。そのため、シュトッツガルトとヘレンベルグのマルクト(朝市)で何度かすれ違って、出来るだけ女性と一緒にいる男性の方に、コミュニケーションが取れたと感じてから写真を撮らせていただいた。Hanaya3

左は多分お嬢さんとお散歩中のお父さん。真ん中は東洋的な面立ちの奥さんと一緒の男性。右はなんだか少し私の父に似ていたので撮らせていただいた。真ん中がヘレンベルグでお会いした方だが、日本ではめったに夫が花を買ってきてくれないと私が言うと、『まあ!』と言って、芳州先生を見て、ダメね!というポーズをとった。魅力的な表情の方だった。

左の方はお花をこちら向きに見せてほしかったが、二人の目線と会い、表情を変えたく無かったので戸惑ったが、やめた。包装紙の中の花はローズ色だった。この1枚の写真を良い感じにグレードアップする色だったのだが。ちょっと残念。

それぞれ花のアレンジとその持ち主が似合っていた。だからドイツの男性はすてきなんだけど。日本の男性もたまには奥さんに花束をプレゼントして下さればいいんですが! ねっ、聞いてる?smile

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2008/08/23

ドイツの誘惑@コウノトリの父母の愛とエト・セトラ

Kounotori2ドイツ・シュトッツガルトのウィルヘルマ動物園ではコウノトリがヒナたちに餌を運び、巣の中を掃除し、かいがいしく世話していた。

巣はかなり高い場所にあり、他の木や建物があるため、私の首を伸ばして曲げて見続けるのは骨が折れた。そのため、観察はしにくかった。だからどちらがオスでどちらがメスかは解らない。だが、とにかく2羽で、一生懸命交代で跳び、世話をしていた。

ところで、あとりえに通うユイちゃんはこの夏休みに小さい時から懸案の肝臓の手術をした。今は国立成育医療センターに入院をしている。私は以前お母さんからそのことをお聞きし、また今年の夏休み前にも聞いて、さぞかし大変な思いを胸にしまっているのだろうと思い、多くは聞かなかったが、実は心配していた。

一昨日、夏のあとりえの教室をしていたら、ユイちゃんのお母さんがいらして、《手術は終わり、今少し食欲が出てきた》 と聞いた。《まだ点滴の機械につかまって腰を曲げてがんばって歩いている》という。まだまだ、ご家族の気持ちは心配もあると思うが、一つの山を乗り越えたのだ。《ユイちゃんはお父さんから肝臓を3分の2貰い移植し、脾臓は取った》という。《お父さんは1週間入院し、その後は自宅での療養をした》と聞いた。私は医者ではないが、あとはユイちゃんの生命力の強さを信じたい。あとりえでの作品のユイちゃんの画素数は確かいつも多い。画素数は生命力のシンボルだ。そして私は医療関係の心配事があると、いつも漫画の手塚治虫《ブラック・ジャック》を読んでいる。なんだか、聖書を読むような力が湧いてくる。そして国立成育医療センターにはブラックジャックがいると信じている。Kounotori1

とにかく、家族が一丸となって病気に立ち向かったのだ。ユイちゃんには中学生のお兄ちゃんがいる。小さい時からユイちゃんとご両親のことを見続けている。あとりえには通わなかったが、時々お迎えに来たときに会っている。ユイちゃんはこのお兄ちゃんのことをとても大切に思っているのを知っている。余った教材があると、お兄ちゃんに持っていってあげたいと言ってたからだ。きっとお兄ちゃんもほっとしたことだろう。

ところで、この写真のコウノトリたちも成鳥になれば親元を飛び立ち、自由な大空に翼を広げて飛んでいく。そして、ドイツやフランスのいろいろな場所に、自分たちのテリトリーを作っていく。私たちは今まで、ノルトリンゲン、コルマール、エギスハイムでコウノトリを見た。そして、コウノトリは幸せの象徴。

今はユイちゃんの生命力の強さを信じて順調な回復を待ちたいです。また、木で作る工作を考えておくからね!

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2008/08/02

ドイツの誘惑@独仏国境近くアルザスのエギスハイム(Eguisheim)

Mariazou2008年6月の10日から14日まではドイツ国境近くのフランスのアルザス地方エギスハイムにいた。4年前の同じ6月にその近くのコルマールに滞在していたのだが、帰りの列車から小さな村々を見て、もう一度この辺りに来たいという思いを強くしたので、また来ることにした。

この旅行中に母の転倒を知ったのだが、戻って病院通いが続く中、自由が丘の駅近くの古本屋で大谷暢順著『聖ジャンヌ=ダルク』・河出書房新社を見つけた。約1ヶ月かかってその本を今日読み終えた。

そのジャンヌ・ダルクが生まれたドンレミ村が写真のちょうど後方の彼方になるようなのだ。距離としてはヴォ-ジュ山脈を越えるので100キロは離れていると思うが、その本を読むうちに私が撮ったこの写真が意味あるものに感じられてきた。とにかくこの丘の向こうなのだ。

エギスハイムは城壁に囲まれた町でそのまわりに造り酒屋が数多くあり、旧市街はブドウ畑に囲まれていた。Mariazou2コウノトリが巣を作っている教会の中は献金をすると会堂の明かりがついてフレスコ画が見れた。町の所々にマリア像があって、昔から信心深い人が住んでいるのだとわかった。

ジャンヌ・ダルクは映画やお話では華々しいが、事実は極めて、悲惨な最後になったようだ。 イギリス軍が割拠する中でフランスの国王シャルル7世の戴冠式にまでこぎつけ、フランス中を戦い抜いたのに最後にはイギリス軍に宗教裁判に掛けられ、一番苦しい火あぶりの刑に処せられた。また裁判の最中にはキリスト教への信心を試されることなど、また牢獄の中での拷問にも近い、女性としての尊厳を打ち砕かれることもあったようだ。そして20年後に再び復権裁判があり、フランス国からも、ある程度は正しい評価が下されたようだが、真に宗教的に評価が下されたのは1920年にローマ法王庁が『聖ジャンヌ・ダルク』と認めたので、他界してから489年後のことなのだそうだ。そして、彼女が救国の少女として戦い、周りの人に利益をもたらしたにもかかわらず裁判の時に彼女に不利なことを言ったり、陰謀を画策したほとんどの男たち(司教、裁判官、判事)はその後、結構要領のよい生き方をし、良い人生を送ったのだという。

Pinoguriこの本は1986年が初版で書いている、大谷暢順氏は浄土真宗の僧侶であるようだ。そして本の最後にキリスト教の受難や殉教が大事なことだと書かれていた。悪人ではなく、善人に苦しみが必要なのだと。

私はこの町エギスハイムで100キロ程先にジャンヌダルクが生まれたドンレミ村があることもその時は知らず、ワインのピノグリをレストランで飲んでいた。するとウェイターが私に車の絵を描いて欲しいと言ってきた。食事中ワインの絵を描いてはいたが、ちょっとビックリ!言われるままに車の絵を描きましたが。あとでワインや飲み物代がサービスになっていました。

雨で席の移動をしたのでそのお詫びなのでしょうね。フランス人の機転といおうかセンスといおうか、心にぐっと来るものがありました。だからといって誘われてもその車には乗りませんけど。そばに芳州先生がいたのですし、貞操堅固なオルレアンの?女ですから。

注・ドイツ旅行から行ったフランスなのでカテゴリーはドイツにしてあります。

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2008/06/03

夢の実現

先月5月26日に三浦雄一郎さんがエベレストの登頂に成功し、5月31日にはスペースシャトルが打ち上げられて、日本人星出彰彦さんが宇宙に飛び夢を叶えた。2つのニュースは最近にない明るい希望のあるニュースだ。

三浦雄一郎さんは『夢に向かって1歩を踏み出す、踏み出したら諦めない』と言っている。75歳でエベレストに挑戦するというのはアンチエイジングを通り越している。凄すぎる!

また、星出さんの4歳のときの絵には宇宙を旅する自分を描き、そばに、《ME》と書いている。この絵を見て私は、子供たちにいつも自分の夢が何であるかを意識させないといけないと思った。絵はそれを意識しやすくさせる道具だと思う。

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Kawa0806_yume ちなみに私の夢は以前にも書いたが、植木職人だ。『おばさん、お茶が入りましたよ!』って言われるのが夢と、高校の友人のデラに言っていた。多分その点では私は夢を実現できていると思う。まだまだ別の可能性への夢はを捨ててはいないけど。

ただしこの夢を追う人たちは帰ってくるまで目が離せない。

そして人にはいろいろな夢があると思う。その夢は時としてわからなくなるときもある。夢を実現したい時に出会った人とその同じ道を歩き、手を携えて一緒に行ければ良いけれど、時としてその線路の分岐点に来てしまうときもあるかもしれない。遠くに見えるものが違って見えるかもしれない。めざしていることは同じでも、そこに行く道には花の咲いている道と険しいがけを通る道があるかもしれない。そこで、考え込んでしまうかもしれない。夢を実現するには一人でがんばることも大切だがサポートする人も必要だ。その一人になれる人となれない人がある。雄一郎さんの息子さんも途中で高山病になりサポートを断念した。そんなことはよくあるのだろう。父の雄一郎さんは自分が登頂に成功したことより息子がベースキャンプに戻れたほうがうれしかったと言っていた。親心はそんなもんだ。夢の実現は現実をしっかりとしておかなければ実現しない。きっと息子さんも父親のために、下働きをして疲れきって登頂に同行したのだろう。

本当の自分の夢がなんなのかをよーく考えよう。人によってはごく身近に普通の家庭を幸せに築いていくことが夢である場合もありそうだが。先に良い家庭を築いてから、夢を築くことは出来ないものだろうか。上の写真は私の夢が実現している畑の作物。オーマイ ルッコラ!

当分《あとりえチビッコ》より、《旅歌ノート》の更新が多めになると思います。ダンケシェーン!

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2008/05/19

地方都市のすばらしさ@上越高田

Nisidake

             

             

              

               

             

           

             

             

             

一昨日、上越高田に行った。私は信越線に沿って建ち並ぶいろいろな宗派のお寺を見、新緑と丹精込めて作っている花々を見た。町がきれいだった。

あくる日は街の知識人、藤野氏とそのお仲間と一緒に戸隠、鬼無里と軽い散策をした。私たちが上越にまで行くには上信越道を通るのだが、その小さな旅の足として国道18号を使って行った。芳州さんが若い頃からずっとスキーをしていた妙高や赤倉、燕を見ながら通った。若い頃芳州を育ててくれた大地が、中高年になっても再び生業の基となる。そのことに本人以上に妻である私が感激していた。そして、小自然が好きな私の胸は有り余る大自然の感動とマイナスイオンで一杯になっていた。

ドイツに行くと《自然》が大きな都市にも間近にありうらやましいのだが、日本でも地方に行けば自然を上手く取り入れている。18号の道沿いにはシュットッツガルトの道路に似て、黒い樅の木があり、外の空気の匂いも似ていた。こちらで暮らす人たちは幸せだと思った。

NiigatajNiigataNiigataj_3jpg  

撮影や散策の後で、戸隠蕎麦をいただいた。例によって夢中で食し画像なし。その後、お蕎麦のザルが根曲がり竹で出来ていることを聞き、普通のザルと違い竹のツルツルした表面を表に使っていると知った。そこで、近くの笊屋で、ザルを購入する。川上のお蕎麦を盛ってみよう。

そして私の専門外ではあるが、国は中央集権ではなく、地方分権をこの機にこそ、推し進めていけばよいと思うのだが、このような私の記事ではまだまだ説得力がない。でもいつか、誰もが納得できるように地方分権について書いてみたいものだ。上越高田に行くといつもそう思うから。

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2007/11/13

上越高田は虹の町

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上越高田に仕事があり、川上村の山小屋から出発した。141号線を小海線に沿って北上する。途中の八千穂、小海はカラマツを中心とした紅葉がすばらしかった。うっとりと紅葉を見続けて写真撮らず。佐久平から上信越道に入った。

浅間山は冠雪で白く化粧していた。東部湯の丸SAで運転を代わり、私の運転になった。数ヶ月前より、年令相応な安全運転を心掛けている。黒姫、妙高辺りから雨が降り始め、上越高田のインターを降りると細かな雨と午後の斜めの陽射しが感じられた。きっと虹!きっと虹!やはり虹!前方に大きな虹が出て私たちを歓迎してくれた。

夜は高田ターミナルホテルで3度目の宿泊のため、慣れているからと、強くもないのに雪中梅と朝日山の冷酒を飲んで酔う。体調も少し疲れ気味だったなのに、いけない私。

明くる日は直江津の朝市に出かけることにした。車は駅に置き、信越本線に乗って10分で行ける。高田の朝市は2と4の日だそうで、直江津は3と8の日にするそうだ。朝市というのを一度は見てみたいと行った。潮の匂いが間近にして、規模は小さかったけれど、この地方独特のものを売っていた。ちなみに上越高田の朝市はもっと規模が大きいそうだ。次のチャンスには行ってみたい。

上の写真のおじいさんに青いイチジクの煮方を教わり、買った。1キロで400円だった。おじいさんのお店で赤い菊を買う。他の店で、渋柿を7個300円2山、モッテノホカの食用菊、赤唐辛子などを求める。

Jouetu_060Jouetu_065  イチジクはまだ緑で硬いものを一度写真のように湯がき、砂糖で煮るとあり、インターネットで詳しく調べると、ワイン煮と酢で煮るものがあったので、家にちょうどあった、コニャックとアップルサイダー(ビネガー)の2種類で煮てみた。大人用と子供用だ。楊枝で刺して煮るとよいとあったのでそうしたのだが、まだ味が滲みこんでいなかったようなので、早めに食べよう。新しい挑戦は楽しい。

そして帰りも上信越道に入ったとたん虹が出た。過去の記事で、上越高田は花の町、上越高田は寺の町、上越高田は酒の町と書いてきたが、「になった。

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2007/10/23

ミュンヘン旅情

Doitu0706ebijpgDoitu0706raionjpg  今年の初夏にドイツに行ってからもう4ヶ月が経った。いつだって思い返せばいろんな出来事があって月日が経っている。

今年の《初夏のドイツ》は去年の《クリスマスのドイツ》から半年を経て行ったため、贅沢なことではあるがどことなく感動が少ないように感じていた。

ところが今日写真を見て考えが変わった。実は今日はどうしても、家にいないといけない事情があり、朝から写真の整理をしていた。私の写真はピントも露出もいい加減で、写真家の妻として恥ずかしい限りではあるのだが、思い出が秋の深まりとともに熟してきたようで自分の撮った写真に癒された。ただし思い入れと思い込みが入り混じっていて、他の方が見ても感動を呼び覚ますようなものではないと思うが、私には極めて優れた写真なのだ。

ドイツ、ミュンヘンでの散策はすばらしい時間だった。今まで8回夫婦でドイツに行ったうち、5回ミュンヘン空港を使って出入りしている。自分たちでプロデュースしているので、慣れない所からでなく、慣れた所からスタートしていこうと考えているからだ。

Doitu0706hanajiijpg 写真は上がミュンヘンのマルクトのシーフード屋さんと花屋の前のデコレーション。下のおじいさんは帽子にも花、胸にも花。ニコニコして幸せそうだった。私に何か話しかけてきたけど、言葉が解らず、残念!

なぜ、ドイツが好きなのだろう。環境に厳しく対処していて、空気が澄んでいるからなのか。何も分析できていない。私は今まで行った外国はドイツだけなので、比較しようもないが、私の周囲には海外に行くチャンスに恵まれた人が多かったため、その人たちの話を聞いては漠然とドイツに行きたいと思っていた。今日あらためてドイツへの旅情が募ってきた。

Danke ! この言葉が使いたい! Guten Morgen ! 耳に心地よい響き。Bitte schon !

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2007/10/13

清里KEEPのポール・ラッシュ祭に寄せて

Paul_rusch 10月13日、14日と続けて八ヶ岳南麓清里清泉寮ではポールラッシュ祭が催されている。

私はこの夏の終わりに 「清里の父 ポール・ラッシュ伝」(山梨日日新聞社編)を買い求め、10月始めに読み終えた。いつも清里の萌木の村のロックで食事をしている私たちを優しそうに見ているおじいさんだ。実はこの本を読み終えて、ポール・ラッシュはなかなかの人物なのだと判った。そして、関東大震災が起きた後に日本の復興に寄与し、また第2次世界大戦の後の疲弊した日本のために力を尽くしてくれた人だったのだとわかった。

それはどう考えても、大変なことなのだ。今では日本は世界に名だたる経済大国になったが、今から90年前、つまり、私の母が生まれた頃の日本では衛生状態、教育の普及もお粗末な状態だった。それはラッシュが関東大震災の時に来日した時のことではあった。

ラッシュが日本に来たのはキリスト教の聖公会派の普及のためでもあった。そして、アメリカの富裕層の寄付金を集めては、立教大学、聖路加病院、野球やフットボールの普及、また何度も寄付金をアメリカに募っては、第2次世界大戦前には、聖アンデレ教会、清泉寮を築いた。それらは、日本の著名な政治家や大使館、宮内庁の人々を交えながら進めていった。

大戦前にはもちろんアメリカの寄付金も集まりにくく、清泉寮の建設は並々ならぬものがあった。そして戦時中ポールははやむなくアメリカに戻り、GHQというアメリカ軍の中枢に位置し、すでに日本の敗戦を予定して行動していた。それは日本から移住していた人々の日系二世の人たちに戦後の敗戦日本国を助けるためのプログラムを作っていたのだ。ポールは日本軍が日本人全体を戦争に巻き込んでいると考えていた。

この本の第一刷は1975年に山梨日日新聞の連載「ポール・ラッシュ伝」をまとめて編集されている。山梨日日新聞社 井尻俊之氏が担当している。それから32年が経っている。ポール・ラッシュが《キリスト教の伝道》のために清泉寮を築いたのであるが、ラッシュ亡き後28年たった今では、《教育と環境の清里プロジェクト》となっている。

今日と明日に催されているポール・ラッシュ祭はカンテイ(郡)フェア(祭り)とも言い、収穫感謝祭となっている。清泉寮と国道141号で離れている萌木の村のロックの店内ではポール・ラッシュの写真が飾られ、大きなカボチャが置かれハロウィンのお祭りをしているはずだ。

私たちは清里の隣りの川上村に山小屋を持ち八ヶ岳の自然を愛している。また、幼稚園、小学校、中高と教会の日曜学校で聖書を読んだ女の子として、ポール・ラッシュさんの業績を私のブログで僭越ながら読後感として紹介しないといけないと思ったのです。

今度川上に行ったら夜空を見上げてうちの父のそばにきっとあるポール・ラッシュおじいちゃんのお星様も探すからね!

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2007/08/31

ヨコハマ・Motion Blue&MarineRouge

Motionblue_2_2 昨日のMotion Blue YOKOHAMAでのエピゾ・バングーラの演奏はすばらしかった。アフリカギアナのネイティブなパーカッションは腹に響く。また繊細で力強いインディアンハープのようなもう一つの楽器 (名前は知らない)が奏でる、哀愁あるメロディーは夏の終わりに心地よかった。

小川正人君はエピゾ・バングーラの演奏の準備に忙しかったようで、春に会った時よりはスリムになっていた。

私のとって、Motion Blueのある赤レンガ倉庫はかつて、壊れかけたルウインとも言うべき蜘蛛の巣だらけの廃屋の記憶から、このような華やかな場所に生まれ変わっていたのだ。Motionblue_1_2

正人君の夢がパーカッションへの熱い思いへとつながるようにと祈りながら、華やかさの中で、KEICOCO先生も仕事の後(夏休み工作の成功)の疲れを癒した。そして、結婚3X年も経っているけど、相変わらず10時が門限を守って、帰ってきた。写真の階段には脱げたガラスの靴は映ってない!

Curues

そして今日、8月最後の日は2人の娘たちが私の誕生日プレゼントにチケットを用意してくれた、マリンルージュのランチクルーズに行った。4月からもう4ヶ月も経ったなんて。感謝還暦雨あられなんてね!

エコロジーの風車や、下から見るベイブリッジを見ながら、美味しいお食事を食べ、ノスタルジックな音楽を聴きながら進む。リチャードクレーダーマンのピアノ曲が流れる。

リチャードクレーダーマンはかつて県民ホールで芳州が展覧会をしていた時、最終日に上の階でコンサートをした。「横浜が見える時間Ⅰ」の写真展をしていた時だ。

最終日に、額や、パネルを片付けシャッターを下ろしたとき時、「ピンピン、ピピピピピン、ピン、ピピピピピピン、ピン、ピピピン、ポロロ、ポロロロン、ロン、ロン、ロンロンロン」ってピアノが流れてきた。あの日から何年経ったのだろう。Curues2

音楽はミスターロンリー、タンゴ碧空、ファシネーション、プリテイーウーマン、愛さずにはいられない、プロコルファルムの青い影、ジョージアオンマイマインドと続く。Crues3

マリンルージュはつばさ橋をくぐり、乗船した山下公園に着いた。

私たちにとっては思い入れのあるヨコハマだけど、ここに住んでいる人だったら、このクルーズは思い出作りに良いと思う。そして地方に住んでいるご両親に、ヨコハマを紹介するのにも良いと思う。

陸に近づきながら、山下公園に海からの波がぶつかっているのが見えた。人生って、大変だった波も離れて見てみれば、白い波頭がきれいに見える。少し時間が経ってみれば、きっと何だって大丈夫なんだろう。ダイジョウブ!そんな気持ちが持てる時間だった。

いつもと違う極上の時間・ヒトトキをくれた人たちに感謝!

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2007/08/13

トモ君とみたペルセウス流星群と新しい小海線の車両

Kawa0708koumisen2 山小屋は仕事場でもあるのだが、今は夏休みで親戚のトモ君が遊びに来ている。私たちもしばしの間、お仕事モードから旅モードに切り替えた。

小海線では小淵沢駅と野辺山駅間を、新しいハイブリッド車が走っている。いつもは141号線沿いのSLランドのお子様用乗り物で満足していたトモ君も今回は「小海線!」と言って、乗りたがっている。鉄道好きの少年を《鉄チャン》と言うのだそうだが、彼は正にそのようだ。

途中、昼食を清里の睦で食べる。睦はうどんが美味しいが、家族で行くと、昔からの定番メニュー、《田舎ピラフ》を必ず誰かが注文する。安心な変わらぬ味だ。犬を連れて入れるのがいい。

小海線の時刻表で、甲斐大泉駅を午後2時23分に出るのに乗る。いつもの車両より滑らかな乗り心地だったが、新しい車両独特の臭いがあった。車の通る141号が時々見えて、森の中を進む。2両編成の列車を見回すと、もっと年のいった鉄ちゃんが何人も乗っていた。トイレも付いていたので、野辺山までではなく、小諸駅までの長い時間乗る車両にこそ、この車体を使用してほしいと思う。

Kawa0708koumisen  野辺山駅で芳州先生が車で待っていて、山小屋に戻った。

夜には食後、服を1枚はおって空を見た。時間は8時、9時だったが、5分に一度は流星が見えた。細かい動きをするものがペルセウス流星群らしいが、天空を4分の一ほど動くような星もあった。薄雲が出てきてしまったので、部屋に入った。

トモ君には感激の一日だったようだ。

ハイブリッド車の時刻表はココです。

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2007/07/18

きっこに会うなら、こんな町で

Doitu07063_kikko この間、現実での生活が多忙な日々に、「 きっこの日記 」のきっこかもしれない人に出会った。私の行きつけのペットショップだった。

もしかすると、夢を見ていたのかもしれないが。・・・・・・

彼女は松葉杖をついていた。

店の入り口で、正義の味方、オルレアンの少女と、私は眼が合った。 きっこ! きっこ? きっこ・・ きっこ?

「ブログの女王様にここで会うわけないでしょ!」「ヴァーチャルはヴァーチャルとして閉じ込めておきなさい!」 もう1人の自分が冷静にと指令を出した。

松葉杖をついているだけで何故きっこと思うの? 自分が毎日きっこのブログを読んでいるからと言って、あの人がきっこだと何故思うの? 

そう、私がずっと想像していた《きっこ像》は、私の学生時代の友人、水谷寿美子だ。

高校3年の春にアメリカのバークレー大学に入学し、ドイツのシーメンスで働き、ドイツ人と結婚しバウアー・寿美子・水谷という名になっていた。「バウワーはドイツ語で、百姓というのよ」、と教えてくれた。彼女が話す言葉は時として、滑らかさを欠いていたが、いつも真摯だった。そして私も真摯に人生を語っていた。その親友。今、彼女はどうしているだろう。お互いが忙しくなり、音信が途絶えてしまった。

松葉杖の女性は彼女の眼差しに似ていたから。絶対きっこと思った。

今、2007年6月のドイツの写真を整理していたら、あのペットショップにいたきっこらしい人にもう一度会いたいと思う気持ちがしてきた。そしてドイツランズフートの写真の中に、きっこに会うのにふさわしい町の写真があった。

なぜか、私の白昼夢のようなあの日の日記を書いてみたくなったのです。トラックバックはできないから、いつか、きっこがこのページに気付いてくれたらなあと思っている。そして、ヒールの高さ9センチの赤い色がチラッと見えるパンプスを履いている元気になったきっこと駐車場じゃなくて、このランズフートで会えたら、今度こそ声をかけよう。 

私は多分メレルかニューバランスの低くて、川上村の畑のどろが付いている靴だけど。

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2007/05/21

野毛山動物園の写生会お疲れ様でした

Nogeyama1Nogeyama2_2  昨日、野毛山動物園の写生会を行った。前日の天気予報も、当日の予報も雨になりそうで、心配をしながら出発した。動物園への道を登る時に黒い雲が一面に広がり、雨が降り始め、皆で雨具を着ながら歩いた。 動物園では他の団体が集合していて雨も少し降っていたが、注意事項を話し、まずはレッサ-パンダのところからスタートする。かわいいと声を上げていたのは始めだけで、すぐ夢中になって描いていった。Nogeyama3

雨が降ってもにじまぬように、油性の名前ペンで、デッサンさせる。スケッチブックも子供たちが持ちやすいサイズを選んだ。

動くものを描くのは大変そうだったが、徐々に慣れていく。どうしても、ゆっくり描く子にペースを合わせて、私も移動のコツをつかんで指示していった。短い時間で特徴をつかませるのは、人間とどう違うかを描けば良い、と指導する。そう言ったとたんに、アツシはマントヒヒの頭と尻を別々に描きながら、曲げてひねって一体化させた。

フサオマキザルの所ではサルたちが、突然、全員で叫び声を出した。子供たちではない。フラミンゴの辺りでは日が射して暑くなり、子供たちのコートを脱がした。園内のところどころにはクジャクが歩いていた。

団体が多く来ていたので、予定を繰り上げてお昼にする。そして30分休み、また描き出す。子供たちは、疲れたと弱音をはくかと思ったが、歩き回りながら感動していた。途中スケッチブックを見たが、なかなか良い作品が描けていた。

デザイナー垂涎のデフォルメされた形があった。ケンタロウのキリンだ。あれは発表したいけど、もったいなくて出来ない。他の子もスピード出して描いたので、よく特徴をとらえていた。コウタロウはライオンの目と鼻だけで百獣の王が表現できていた。

絵はまだ落ち着いて見ていないが、子供たちが時々話していた感動の言葉が素敵だった。「今日の日のことはこのスケッチブックを見ればわかる」(もえな)、  「この私が描いたレッサ-パンダかわいくてかわいくてチューしちゃう。」(はなか)

子供を連れての写生会は無事終わった。今までで一番楽しい写生会だった気がする。私も写生会をここ3年間、したかったけれど、二人の親の不安定な日々があったからね。そんなこともあるさ! 

きっと子供たちも疲れたと思う。お付き添いを最後までしていただいた、カホママとコウ・マリママ、そして途中までだったけど岡田ママ、モエナママのおかげで私も余裕を残して帰ってこられた。希望が丘のほうは以前のように横浜で返すことが出来ないでごめんなさい。みなとみらい線になって、複雑なので、ホントにフォローできないでごめんなさい。

そして事前にかけた保険はお守りとして、役に立った。Nogeyama4 ただ、参加予定の3人の子供たちが連絡ミスで来られなかったことが残念だった。ごめん!

追記:コウ・マリママからスナップ写真が送られてきたので、追加しました。上のレッサ―パンダの前で皆が描いている所と、左はあいか先生と子供たちです。

            

  

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2007/03/21

野辺山高原の竜巻

Tatumaki2Tatumaki1  風邪と花粉症の混ざったものに罹り、ダウンと思いきや、かろうじて用事はこなしていたが、限界ぎりぎりでいたため、ブログまで手が伸びなかった。

一日一日の所要を書くと、言い訳になるが、やりおおせぬ仕事を持って山小屋に来たけれど、それも出来ずにいる。

ブログに載せたいと思っていた写真を、うっかり家のパソコンに入れてきてしまったので、時間はあるが、更新できずにいる。また、久しぶりに親戚の子に会えたので、子供好きの私は流され、遊んでいる。

今日は野辺山のSLランドに行こうと車を走らせていたところ、いつもと違うところに煙が上がっていた。なんだろうと見ていると、道路の向きが変わると、それは竜巻だった。空の上に白菜の皮が干からびて何枚も飛んでいた。こんな風に竜巻が起きるのかと思って、急ぎカメラを向けた。

SLランドはまだ、冬の間は開かぬそうで、がっかりしながらも、この寒い野辺山原で、ゴーカートは無理よと、ほっとした。そして予定変更し、甲斐小泉に出来た風林火山館を見に行った。

まだ閑散としているが、テレビの画面でも映った居城の楚々とした感じは、16世紀の頃の城なんだろうと、納得して見てきた。こちら甲州と、信州は今や風林火山の旗のないところはなく、本屋に行けばすべて、その手のものが置かれている。昨日も、小海に用事があり、《山本勘助とは何者か》 江宮隆之著(祥伝社新書)を買い求めてしまった。

まだまだ、読後感を書かないといけないと思っている本があるのにだ。その本は読んだけど、読後感が書けてない。子供の絵と同じで構えてしまうといじけて、素直にかけない。大人だから、子供以上にいじけるかもしれない。

そして帰りの道でも竜巻が2つほど出てきた。ニュースになるほどのものはめったにないが、少しひやりとした。

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2006/12/25

ドイツの誘惑@メリークリスマス

Germanyjpg6

                              

                                     

                         

皆様の幸せを祈ります

風邪を引きませんように

病気になりませんように

より良いドイツの写真は

豊田芳州のTheme》 を

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2006/12/24

ドイツの誘惑@本当の宗教心

Germanyjpg15_1 Germanyjpg16_1 ミュンヘンには教会がたくさんある。ここは大通りに面していて人が入りやすい、ビルガザール教会だ。ドアノブが人々の宗教心で磨かれて光っている。

以前にも書いたが、私はキリスト教の幼稚園に行き、その後、日曜学校の幼稚部の先生の助手を大学1年ぐらいまでしたが、集団に入りたくないという、私の気持ちの揺らぎから、教会には今では夏のバザーに行くだけの人になっている。ときどき悩みがあると新旧聖書の厚い本を「エイヤッ」と開け、そのページを読むことで心を落ち着けることがある。

Germanyjpg17フラウエン教会では聖歌隊が教会の中で 「アーアーアーアーアー」 「アーアーアーアーアー」 と練習していた。声を出すと会堂にこだましてきれいだった。

この教会でも何かこそばゆく、芳州より先に外に出た。強い宗教心のある人たちの邪魔をしてはいけない気がした。春に来た時にはそれほど感じなかったのだが。

クリスマスマルクトで手動のオルゴールを買った。最後に「イーザーホメタタエヨ」というので、小さい時に教会に行っていたときに歌っていた歌だ。今讃美歌の本で調べたら108番だった。何も疑うことなく純真な心の時に歌っていた歌だ。キリスト降誕の歌だ。

《 いざうたえ、いざいわえ、うれしきこのよい。かみの御子 あらわれぬ、いざほめたたえよ。 》

                                                 

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ドイツの誘惑@昼間のクリスマスマルクト

Germanyjpg11 今回のドイツ滞在中ずっと天気が良かった。着いた夜に雨が降り、帰る日にバスで走る時雪が舞った。

クリスマスのリースをあとりえ・チビッコでは30年ぐらい前から作っていたが、樅を使ったものは時々作っている。最近は花屋に樅を頼まずに川上の木を切って作れるので、予定が立てやすく、楽しい。今回クリスマスマルクトで見た木の種類は多種であったが、自由に木を組み合わせて考Germanyjpg13えていることに気づいた。来年のことを考えるとうれしくなってくる。鬼も笑うと思ったら、本当に鬼が出てきた。祭りの鬼が太鼓や鐘を鳴らして登場!もっと怖いのがいたけど写せなかった。私だって時々怒るとGermany_jpg14この写真ぐらいになるらしいけど、もっともっと、怖かった。きっと、中世のゲルマンの森にはお風呂に入らないうちに垢と汗と泥とで、動物と人間の間ぐらいにすごい形相になって鬼が暮らしていたんだろう。

マルクトで売っているクリスマスの飾りはハーブをつけたもの、シナモンのステック、オレンジピール、八角、ラベンダーなど。また、木の実をつけたものなど、発想が自由だった。大変参考になった。            

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ドイツの誘惑@車窓の景色と町の学生たち

Germany_jpg3 ミュンヘンから電車を乗り換えて50分程のところにある、ランズブルグ(レヒ川)にも行った。

途中の車窓の景色は一かたまりの町があると必ず、教会がある。 とがった屋根、丸い屋根の少し飛び出た教会が町や村のランドマークになっている。

車窓からの景色を見ていて小さい時からいつも思っていたこと。 う 

Germanyjpg5ランズベルグは城塞に守られるように立っている町だ。またレヒ川にも守られている。

ちょうど高校生と中学生の子たちが帰るところだった。ドイツでは学校は基本的に午前中で終わり、家に帰って昼食を食べ、小学生にはお母さんが足りない勉強を教えると聞いた。

何時だって、学校から帰るときはうれしい。私は集団生活が苦手で、小さい時から庭作りが好きだったので、こういう光景を見ただけで、嬉しそうと感じてしまう。

Germanyjpg9レヒ川は水量が多く豪快な流れだが日本の川とはまた少しニュアンスが違う。町を守り、川の美しさも守り、橋も作りすぎていない。ちなみにライン川下りをした時にもそう感じた。フランクフルトの1、2駅先のマインツを通るライン川には2本ぐらいしか橋は無かったと思う。日本で言ったら東京に近い隅田川にはもっとメチャクチャ橋が架かっている。ドイツは美を優先にしているし、自然を大切にしている。

川沿いに歩き時々写生したりしながらランズベルクを遠くから写した。夢を見ているようだった。

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ドイツの誘惑@クリスマス・マルクト

Germany_jpg2ドイツのクリスマスは夜が早いせいか、言葉が解らないからか神聖な感じがする。あちらにいる間ずっと、宗教的な重さを感じていた。

日本に戻ってから電車や雑踏の中での日本人の会話に絶望的な品のなさと、いわゆるエコノミックアニマルなエゲツナサを感じている。

こんなこと書く予定じゃなかったのだが、書いてしまう。

旅行中はいつも、背中に《日本代表》のゼッケンを付けて、背中をピッとさせて行動しているため、戻って街中での女性の中年同士や、若い男女の会話が、いやらしく聞こえる。いやらしい会話は口元が歪む。

まず日本語が解るからが、最大の理由になるが、あの、ミュンヘンの市庁舎前のマリエン広場にはそういう空気もなかったし、私の読唇術でも、そういった言葉を話している人は皆無だった。

Germanyjpg1 広場ではたくさんの店が出ているが、市庁舎テラスで賛美歌もしくはバッハの曲の合唱をしていた人たちがいた。私のそばにいた父親は女の子を肩車してそれを聞き、説明していた。私にはドイツ語は解らないが、心で「あの人たちはいつも練習して、今ここで皆に歌ってくださっているんだよ。」と聞こえた。

人形を売っている店の前で、赤ちゃんの人形をかわいいと思って見ていたら、私と同じ位の年のドイツ女性とすぐそばで目が合い、言葉は無くとも「子供たちが小さい時は可愛かったわね!」と目で話が出来た。また、今子供を育てている人がバギーを走らせ、「可愛いけど、毎日大変!」と言っていた。それは英語だったような。

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2006/11/16

きれいな町《喜連川》と忘れられないフォト

Kiduregawa_004日光のお参りの後は喜連川に行った。

喜連川神社から、見下ろすと寺町が広がり、階段を下りて行くと、足利家の菩提寺の龍光寺、御用掘りといわれる、鯉がゆったりと流れる堀が随所にあった。

日本も良い所がたくさんあるなあと思った。京都や奈良、観光を目的とした小京都といわれるところは日本各地にあるが、このような《隠れた大和》を探すのも楽しいものだ。申し訳ないが、芳州先生とは別行動の時によく巡り合う。

1年も経っているので、資料を探そうとインターネットで検索してみるが、栃木県のホームページ、さくら市(氏家町と喜連川町が合併)のホームページもあまり喜連川を美しくは表現できてはいないと思う。かろうじて喜連川商工会議所のホームページがいいかもしれない。

Kiduregawa_006Kiduregawa_016  町の中を流れる小さな川、御用堀には赤や白、黒、斑の入った鯉たちがゆったりと流れに身を任せている。刈り込まれた植木などの植栽は趣味もよく、町も塵一つなかった。

このあと、東北自動車道、常磐自動車道とぐるっとまわって、夜中に福島のいわきに行った。

あくる朝、朝食を食べている時に電話があり、父の死を知った。

《 写真を撮っている時 》と《 写真を見ている時 》と、こんなに気持ちの持ちようが違う写真もあるのだと思うと、私にとって、この喜連川は永久に忘れられないフォト になったのです。

父の命日は11月22日、いい夫婦の日だ。その日で一周忌を迎える。その日を境に私は、絶対に、気持ちをリセットする。つもりだ。

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忘れられない日光の旅

Nikkou_009私が生まれて始めて、日光に行ったのは去年、父が亡くなる前々日だった。

前にも書いたが、私は小学生の頃、乗り物酔いがひどく、日光ではいろは坂も通るので、無理だろうと考えて、修学旅行には行かなかった。本来12歳で行くはずの旅行を5X歳で行くと言うのも、おかしなものだったのに、2日後に父が亡くなるとはまたまた、妙な巡り合わせとも思える。

Nikkou_018_2写真を整理していて、心に残っている気に入った写真なのでブログに載せることにした。毎日のように病院に行くことからいくらか開放されて、あの日は青空を当たり前に青空と思っていた。                                               

見ざる、言わざる、聞かざるの彫刻も、百聞は一見にしかずと感じた。

川の水も清らかで、2日後にに父が死ぬとは思いもよらなかった。

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2006/10/02

ココとナウマンゾウとココログメンテナンス

Takada1 今回の旅の途中、上信越道の黒姫野尻サービスエリアでナウマンゾウの彫刻があった。

ココと一緒に写真を撮った。

今晩、10月3日夜中の1時から午後3時まで、ココログのメンテナンスがあります。もしかすると、すごーくつながりにくくなるかも知れないので、ご承知ください。

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上越高田は寺の町

Takada6jpg 雁木のある町と信越本線をへだてて、反対側に寺町がある。《寺院めぐり》によると、その界隈には63の寺がある。分家した塔頭も含まれているが、散策していると、お寺さんだらけの感がある。

豊田家の菩提寺はいわきの真宗大谷派だが、同じ真宗である、親鸞ゆかりの浄興寺にお参りした。

芳州が本堂の写真を撮っていると、ご門の前に車が止まり、一見お宮参りかと思う家族が来た。遠目に見ていたので、分からなかったが、近くに来て抱きかかえられているおくるみから、茶色い耳が見えた。犬の亡骸だと分かった。

豊田が写真を撮る間私はココと境内のイチョウの木の下で銀杏を摘んだ。そして、その浄興寺の塔頭や庭を見ながら歩いていると、ビックリした光景Takada8_1を見た。動物たちのお墓だった。

私が結婚前に実家で飼っていた、犬は2代飼い、2匹ともコロといい、獣医さんに頼み共同墓地に埋葬されている。お参りはしていない。また5年前に亡くなったコロの灰は今、川上の野菊の咲く下に在る。

その浄興寺の動物用の墓地にはコロという名のお墓があった。そして、私たちが見ていると、御住職が出てきて、これからさっき見た犬と飼い主の供養が始まるようだった。

Takada7

秋の彼岸も終わったが、まだ、父や義母の一周忌が済むまでは、ホロホロとする私です。

そしてここ高田に来たのも、何かの縁ではあったのだ。今回のお仕事を通して2人のF氏にお会いした。運転の助手をして来たから会えたのだ。

かつて、あとりえ・チビッコの展覧会は神奈川県民ホールでしていたのだが、その県民ホールの学芸員の方、F氏に偶然お会いした。現在はフリーの評論家になられていて、くしくも、婿の冨井大裕の作品の高評を仰いでいただいたこともある、とお別れしてからわかった。

もうお1人は、地元で高田をこよなく愛し、写真を愛し、日本を良くしたいF氏だ。わずかな時間のご挨拶だったが、二人のF氏に会い、新しいコミュニケーションの広がりを感じた。

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上越高田は花の町

       Takada5              Takada2            Takada4                      

           

              

           

           

             

芳州先生のお仕事の助手で、川上村を経由して上越高田まで、1泊2日の旅をした。

標高1400メートルの長野の南佐久から、小諸、長野、妙高を経て、上越高田までは約200キロの距離の移動であった。さすがに日本海に近いため、長袖では暑かった。

高田の駅前には鉄骨でしっかりした雁木が出来ていたが、アーケード形式の雁木もあった。街の中には家の軒を少し延ばした造りの雁木もあり、それは家の出窓を歩道にまで伸ばしていると形容した方があっているかもしれない。それらの、雁木が冬にはしっかり仕事をしているのだと歩くうちに感じられた。

愛犬ココが一緒の旅のため、着いてからすぐ、一緒に散歩をした。どこでも犬を連れて歩いていると、すぐ声をかけられるが、この町はいつもの他の日本の町とはともっと違う何かを感じた。ゆったりしていて、心から人に話しかける何かだ。ドイツのハーメルンや、ツエレでもそんな感じがしたのと似ている。もしかしたら、雁木がそれを育んだりしているのかしら、と思っていたら、たくさんのパンフレットの1枚にやはり、書いてあった。

Takada3jpg

ところで、高田市街地一帯では10月7日から9日まで《花ロード》が開催されるそうだ。町の中を歩いていて、花が効果的に咲いていた。そして、花が咲いている家の奥からは子供たちが楽しそうに話しをする声が聞こえた。

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2006/06/25

中華街の夜

China_002 昨日横浜中華街に出かけた。

菜香新館5階の個室は天井が高く、古民具で出来た扉で仕切られ、時折ピアノ演奏風のBGMが流れて、大変いい雰囲気のところだった。

菜香新館のお食事はとても美味しかった。

ところで、私の好きなミラジョボビッチが新しい作品《ウルトラ・ヴァイオレット》に出ている。そのキャッチコピーが、「群れない、媚びない、甘えない」となっていた。私も好きだな、その言葉。

田中康夫は長野県の知事だが、最近《日本を》という本を出して、そのキャッチコピーが「怯まない、屈しない、逃げない」とあった。この言葉、良いけど今、全部を私は受け入れられない。

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2006/06/02

ただいま、ドイツから帰ってきました

ルフトハンザで今朝ドイツから戻りました。

パソコンは持たずに行ったので、→ → →戻ってすぐに洗濯物を洗濯機に入れ、お湯を沸かして、稲庭うどんを茹でながらベランダの植木たちに水をあげて、稲庭うどんを水で晒しながら、洗濯物を干して、ゼラニウムの花ガラを取り除いて、稲庭うどんを食べながら、日本も良いなあと思い、→ → →食器をかたずけてから、パソコンのメールをチェックして、お気に入りのブログを紐解いていました。

「きっこの日記」(きっこのブログ)、 「知のヴァーリトュード」 、「うるわしのブルターニュ」を1時間かけて見ていると、時差ぼけで目がぼんやりとしてきた。

きっこの日記は今度丁寧にご紹介させていただきます。私がそのようなことを出来る立場ではないのですが、ドイツに行く前にそれをしたかったのですが、時間がなかったので。

戻る途中、成田からYcatまでの40分ぐらい爆睡するが、それだけでは、無理だ。本当はいろいろやらなければいけないことがあって、でも留守にした間にこのブログへのアクセス数の激減を心配して姑息にも、旅和歌ノートなるものを作った。発想は我ながら、いやらしかったけど、携帯で出来たのがうれしかった。私の脳みそが熟成されて、マルコメ味噌から、信州味噌ぐらいになったかしら。

これから、少し寝て、久しぶりにビックリ寿司食べて、また、ブログの更新をします。そして、芳州とアクセス数を競います。よろしくね!そうだ、次女に預けたトイプーのココを迎えに行かなきゃ、ドイツでは犬が取り持つコミュニケーションが多かった。

空気も汚いけど、やっぱり日本も好き!ドイツも好き!日本の子供も好き!あとりえチビッコの子供たち大好き!

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2006/03/13

燕温泉の湯煙

tubame_003 T大学のスキー部OB会の集まりで燕温泉に行った。今年の降雪は十何年ぶりかの豪雪で、新年早々は大変だったと聞いた。スキーをするのは芳州先生で、私は初心者のため温泉と山菜料理を目的に付いて行った。

上信越自動車道で、妙高高原で降り、赤倉を過ぎて、燕へと向かった。途中で、積もった雪の多さに圧倒された。ニュースで聞いていたことを実際に見ると、本当に大変だったろうと思われた。スキーのリフトが土日だけになるということで、スキー愛好者には困ったことになるのだと思う。私には何もできないが、このブログで、長野関係の方が見てくださって、何とかできないものかと書いてみた。

温泉はかなり濃厚な成分のようで、以前私は入りすぎて湯あたりをしたので、今回は控えめにした。温泉好きの方には堪らない秘湯だと思う。また日本海を近くに控え魚介類が美味しかった。特に説明を聞き忘れたが、牡蠣がおいしかった。また山菜が絶妙の味で、蕗や夏のミョウガや、山で採った本当のなめこを食し、スキーができなくても、楽しかった。

tubame_011 雪こそ日本の旅情であるし、つきつめて考えれば温暖化が進む今日、もっと北へ、もっと北へと行っていい。雪の多さをお伝えしたかったので、芳州先生のうしろ姿と比べてください。ちなみに私の腕時計の燕温泉の標高は1160メートルを示してました。そして私たちの泊まった旅館は針村屋さん(0255-82-3121)です。

いい日 旅立ち!

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2004/12/05

京都・常寂光寺の紅葉

一週間前の常寂光寺の紅葉です。芳州先生の写真教室のお供で、出かけた時の写真です。あれから一週間がたちました。
さて私がブログを作るまでには、結構な道のりがありました。6年前の展覧会の後に、作ると言っていたにもかかわらず、諸事情でそのことがストップしていました。今年7月のあとりえのおけいこの中で、孫のトモ君の誕生日までに絶対ホームページを作ると子供たちの前で宣言しました。トモ君の誕生日は10月21日です。私は教室にその宣言を書いて絶対と!心に誓いました。そしてお手本として、室井佑月blog,うるわしのブルターニュ、庄内拓明の知のヴァーリトュードをお気に入りにして進めました。それでもまた、8月に義母が骨折して、老人ホームから病院に入り、大変なことになりました。パソコン関係の本をいつも持ち、車に乗せて勉強しました。そうやってやっとあとりえ・チビッコのホームページができたのです。
さて、京都の話にもどります。芳州先生の教室の生徒さんに井上さんという方がいます。今回の旅行中になんと、その息子さんが室井佑月さんのマネージャーをしていることが分かりました。いままでお付き合いがありながら分からなかったのです。まったく、偶然に分かったのです。あのblogの中の井上っちのお母さんなのでした。
私は佑月さんがいつも突っ張って見せるところが好きです。そして汚い話もさらっとずばっと言いながら、私たちを笑わせるところが好きです。でも今のところコメントは控えていたので、どうご連絡していいか分からなかったのです。それと多分私と同じ、ココログのベーシックで登録しているのが心強く感じていました。まだ「どうぞよろしく」のご挨拶もせず、ずっとお気に入りに入れて、ブログを見ていました。井上さんのお母さんを通じてこのページを紹介してもらおうと思っています。佑月さん、井上っち、よろしく!

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2004/11/01

蓼科の紅葉

主人の仕事のため、川上村から蓼科中央高原に行ってきた。紅葉の撮影会の指導のためだ。私の宿泊したペンション、カラコールは窓の外に、桜と、もみじとナナカマドが赤く燃えてるようだった。付近はカラマツと、シラカバと広葉樹林に囲まれている。川上と反対の八ヶ岳山麓の西側になる。いつもは川上のスタジオでの食事作りなどがあるが、今回は運転という仕事で、しかも別行動のため、一人の慰安旅行ともいえる。昔から一人で遊べる性格のため、急に時間が空いても、すぐ何かを探して遊べる。午後になって雨が降り始めたので、宿のフロアにあった手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を読んだ。漫画とはいえ、かなりの読み応えあるもので、もう一度、購入して読みたいと思った。せっかく晴れたのに、チェックインのあと2時間近くかけて、4巻を読んだ。そのあと時間待ちのため、マリーローランサン美術館に行った。大作の油彩も高原の空気に似合うものだったが、ノートに書かれたデッサンやいたづらがきが面白く感じた。彼女のように死ぬ日まで、自分の魂を大切に生きていきたいと思った。それもどのような仕事をしたか、人に何かの感動を与えねばただの、わがまま、勝手でしかない。自分の美学を貫ければとも思うが、時間は限られている。パソコンは私にとって手段ではあるのに、いまや目的になりかかっている。ものすごく時間を使う。それはそれで大切なのだが困るのだ。そこそこの手段にしておきたいのに。
そう言いつつ、私はマリーローランサンの絵のようなエメラルドな時間をたーっぷり味わってしまった。

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