2025/10/27

映画「ぶあいそうな手紙」を観て

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ブラジル南部、ポルトアレグレの街。エルネストは
78歳の独居老人。隣国ウルグアイからやって来て46年。頑固で融通がきかず、本が好きでうんちく好き。老境を迎え、ほとんど目が見えなくなった。もうこのまま人生は終わるだけ。そう思っていたある日、一通の手紙が届く。差出人はウルグアイ時代の友人の妻。エルネストは、偶然知り合ったブラジル娘のビアに手紙を読んでくれるように頼む。「手紙の読み書き」のため、一人暮らしのエルネストの部屋にビアが出入りするようになるが……それは、エルネストの人生を変える始まりだった。

映画「ぶあいそうな手紙」公式サイトより一部引用

 

自宅を見にきた不動産購入者が帰った後、息子が「家を早く売って」と言う。エルネストは「お前が決めるな」と言う。この場面から映画は始まる。

彼が抱えている目の不自由さはいろいろな場面に出てくる。薬を一粒落としても他の何錠かを捨てて新しくセットしないといけない。紙幣を家政婦に渡してもまた確認する。家を出て垣根や塀を手で触ってレストランに行く。目は見えないが色彩は分かるので50レアル紙幣と20レアル紙幣を銀行で赤と青の小袋に分けて入れてもらっている。目は見えないが年齢相応の賢さはある。。

上の階の住民の犬の世話をしているビアと知り合ったエルネストは目が不自由なので手紙の読み書きを頼む。友人の妻からの手紙の読み書きを手伝うピアとのやり取りを家政婦が心配する。郵便局員がエルネストのお金の出し入れを心配する。隣に住む同年代の友人ハビエルとは朝の新聞のシェアをして良い距離で付き合っている。2人がチェスをしながら血圧や血液検査のH ba1cPSA(前立腺の値らしい)、クレアチニン、などの数値を言い合っている。

友人の妻ルシアは夫が亡くなり手紙を書いてきた。そのやり取りは若い出逢った頃を想像させる。

ピアは手紙の読み書きを手伝ううちに、エルネストの才能に気付いたようだ。ピアは本が好きだ。しかしお金のことではずる賢いやり取りもする。エルネストも金銭などのやり取りは騙されぬよう考えている。ボケてはいない。

ピアの仲間との夜の集会でエルネストは詩を読む。そして踊る。独居老人だったエルネストに青春の光が差し込んでくる。ビアがエルネストにルシアからの返信を読む時が私もエルネストになったように嬉しい。そしてルシア宛のエルネストの手紙も心打つ。

隣人ハビエルは妻が急死してしまいサンパウロに住む娘と暮すことになる。そしてピアは金が必要とエルネストに言う。彼女には悪い男が着いている。ビアは孤独を埋めるためだったとエルネストに言う。エルネストは水道の工事費と偽って息子に金を頼み込む。息子はエルネストの様子を見に来ながら金を届ける。工面してもらった金をピアに渡す。そしてピアは「別のところに住む」とエルネストに別れを告げる。そしてエルネストも旅の支度をする。

ビアに書いて貰った最後の手紙を息子ラミロが読んでいる。そしてエルネストは………

 

2019年のサンパウロ国際映画祭で批評家賞、同年のウルグアイ・プンタデルエステ国際映画祭で男優賞と観客賞を受賞した[3]。オエターノヴェゾールの名曲が素敵。

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2025/09/19

映画「イル・ポスティーノ」を見て

イル・ポスティーノ

チリの政治家であり、詩人のパブロ・ネルーダは亡命してイタリア、ナポリ湾の島に移り住む。たくさんのファンレターが届き、島の若者マリオがその郵便物を配達をすることになる。ネルーダは妻を愛し時にはタンゴを2人して踊っている。その様子を垣間見ながらマリオは詩が書けたらいいなと思い始める。詩が書けたら女性に愛してもらえる。郵便を配達しながらマリオはどうすれば詩人になれるかネルーダに聞いた。

「入江に向かいゆっくり岸を歩きなさい。この島の辺りは海そのもので絶えず溢れ出る。いいと言い、いやと言い、いいと言い、またいやと言う。青い波と泡の動きの中でいやだと繰り返し静かにしていない。私は海と言いながら岩にすがる。でも岩を口説けない。」

海辺でネルーダはジョルジョに伝える。

「7匹の緑の虎、7匹の緑の犬、7匹の緑の海で、岩を撫でくちづけをしぬらす。我が胸を打ち、名を繰り返す」ジョルジュはネルーダに言う。「変だ。変な気分になった。言葉が打ち寄せて海のようになった。」

ネルーダ「それがリズムだ。」

ジョルジュ「船酔いになった。なぜか説明できない。でも感じた。まるで言葉の真っ只中で揺れる小舟だ。」

ジョルジュ「この世界の海や空や雨や雲や世界全体が何かの隠喩になっているのですか」

 

ジョルジュは酒場で働くベアトリーチェを見初め恋に気づく。

「君のほほえみは羽を広げた蝶だ。君の笑いはまるでバラだ。鋭い槍溢れ出る水。」

そして次から次に熱い詩を贈る。

ネルーダはジョルジュを詩人として認める。

ジョルジュの詩をベアトリーチェが受けてネルーダが介添人となり教会で結婚式をする。

その日にネルーダの亡命が解除されてチリに帰ることが決まる。

 

そして5年の月日が経ちネルーダが島に再びやってくると男の子がいる。ジョルジュはいない。

この物語の中心の言葉は「隠喩」でもある。亡命してきた詩人と郵便配達人との友情。

ジョルジュ役のマッシモ・トロイージはこの撮影終了12時間後に心臓病で41歳の若さで夭折したと言う。ネルーダ役はニューシネマパラダイスのヒィリップノワレ。

 

詩ができるまでの精神の高まりが隠喩で表現されるのが勉強になった。ジョルジュは彼女への愛を詩にしたがその愛の気持ちを永遠に持ち続けることは日常にあっては難しいと思う。私も若い頃は詩も書いたが、最近では日常が白い波も青い海も遠くに押しやり、詩情を感じにくくなった。歳をとったからかもしれない。別離が目前に現れたら詩が思い浮かぶかと思うがそれも無理だ。詩は愛が押し寄せる時でないと浮かばない気がする。

イルポステイーノ!いい映画でした。

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2019/10/22

Power💪を変える

今年の日比谷ガーデニングショーは作品を作れませんでした。

自分自身の Power💪はありますが大切な相棒の介助には私が必要なのを十分わかっているのでそのPowerは使えませんでした。

でも去年の作品を見ると作るときに感じたトキメキを抑えることは出来ません。

Power💪はHeart❤️に変えます。Heart❤️を次に何かに変えます! 何に変わるのでしょうか?

 

ひょっとして去年私の作品を鑑賞されて、今年もと予定されてた方には申し訳ありません。日比谷という良い立地です。他の方の作品も素敵です。

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2017/02/14

空想のLiliy Chocolaを召し上がれ



今年のヴァレンタインデーはLily Chocola
花びら一枚手に取れば山ユリの香り
一口噛めばカカオの苦味とハニーの甘さ
レッドペッパーの辛さがわずかに広がり
アップルの酸味が口から脳天へと突き抜ける
テイストはあなた次第
空想と憧れをあなたの脳内でブレンドして召し上がれ


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2016/02/14

バレンタインデーのメッセージ@2016


昨夜の栄区区民センターでクラシックコンサートを聴きました。特にシューベルトの「鱒」ではドイツ旅行の時に見た川の流れを思い出し、感情が込み上げてきました。
今日は究極のバレンタインデー!

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2014/02/14

ヴァレンタインデーのメッセージ2014

       ヴァレンタインデーのメッセージ2014

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八ヶ岳東麓の2月は雪に覆われて、昨年の晩秋に見たテンはどこかに隠れている。小海線の冬の車窓は人影がまばらだ。ましてや夕刻の列車は銀河鉄道999。線路は滑走路になり、暗い空に向けて離陸しそうだ。

 冬には夏の写真を懐かしく見て、農作業の成果を反省し、次の収穫を夢見る。標高1400mの森に出来た1400gの梅の実は梅干になり、去年の馬鈴薯北明かりはホカホカに蒸して食べられた。トマトも苗から予想以上に実り、朝のサラダの決め手になった。森の中では鹿がまわりの植物を食べることが永年深刻な問題になっている。

垣根を巡らしてある我が家ではフジバカマが食されずに咲いているので、アサギマダラは蜜を吸いにひらひらと遊びに来る。標高が高く涼しいこの地でも夏の午後は気だるいが、そんな時にふと窓の外にアサギマダラが女王のような気高さをもって飛んでいると、こちらも居住まいを正し、「女王陛下に敬礼!」と挨拶する。                  

東日本大震災からもう3年が経つが被災地の復興が遅れていて、仮設住宅で寒い思いをしている人たちがまだいるという。私はと言えば去年は自宅の断捨離に精を出し、捨てるものを見ながら、もったいないと思いつつ、自分のことだけしか出来ていない。その矛盾を申し訳なく思っていた。

かっこよく、都会に別れを告げて草原の少女Lauba Ingalls Wilderになってしまいたい気もあるのだけれど、≪映画と落語≫という趣味も抑えがたく、当分は横浜と八ヶ岳東麓のスイッチターンを繰り返すはずだ。

そして今年から、ヴァレンタインデーは若干の本チョコだけにして、義理チョコ予算を被災地支援(去年と同じJIM‐NETのイラク、シリア、福島支援)に回すことにした。義理チョコ60個が私にとって社会性をもって来たという、この理屈もおかしいかもしれないが。(期待していた人がいたらチョコット悪いけど)

チョコレートを贈り続ける私の愛を受け止めてくれてありがとう。そしてチョコレートを贈る時の高揚感を今年もありがとう。そして問題はあっても平和な日本に乾杯! 地震、雷、異常気象、放射性物質、DNAに負けずに生きていきましょう。

2014年2月11日           豊田惠子

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2014/02/08

バレンタインデーの義理チョコ、へーンシーン!

今朝、早朝からロシアのソチでの冬季オリンピックも始まり、若い活気が漲っている。日本では雪嵐になり、今までにない雪が日本中で降り、交通が乱れている。Orinpik_3

バレンタインデーまで、あと6日となり、例年の私のバレンタインデーのメッセージが不調で、なかなか気にいったものが書けていない。それとは別に、去年暮れに決めたことだが、バレンタインデーのチョコレート送付はもう終わりにして、今まで送っていたその分をJIM‐NET(シリア、イラク、福島へ支援)へ寄付することにした。鎌田實先生が代表を務めるJIM-NETだ。Orinpik_2

いつも、義理チョコと分かっていて、それでも喜んでいた君! ごめんね!いや、めんどくさいのが来なくなってせいせいした人もいると思う。本来はここでこのようなことを言うのはおこがましいのだが、私も人間。可愛いブーツをアマゾンで売っていると聞けば→欲しい→チョコをやめたあの金子一両→の図式には弱いので、こうして前もって宣言し、誓約することにした。
JIM=NETのラナ・サポーター年会費一万円(年会費3000円とイラクの子供たちの癌治療のワクチン代7000円にまわす)と今年だけの寄付二万円、計三万円。JIM-NETに寄付するぞ!でも私も本チョコはお肌をきれいにするためには必要のようなので10個は用意した。

Orinpik_1そこで今年チョコが来なかった約60人の皆さまは『ああ、やっぱり義理チョコだったのね』とお怨みください。でも、それがイラクの子供たちの癌治療のワクチン代や福島の子供たちの検査代になります。義理チョコ連合がいるお陰で私が寄付できるのです。義理チョコ連様は神様です。でも14日の夕方までには何とかメッセ-ジを載せるのでブログをご覧ください。もしかして仲間の一人にチョコが届きあとの何人かにはチョコがいかないことがあっても仲間割れしないでね。義理チョコ連こそが社会的には優位な立場なのですから。

でも私には大切なバレンタインデーの本チョコレート!フォーエヴァー!

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2013/02/14

バレンタインデーのメッセージ@2013

Choko_web 今年、007ボンドシリーズは生誕50周年を迎え、今回の「スカイホール」で23作品になった。
初めてジェームスボンドを見たのはたぶん1964年の「危機一髪」(ロシアより愛をこめて)であったと思う。

上映館が渋谷の東急文化会館で、現在はヒカリエとなっているが、入場を待つ階段の辺りで切符を買う両親と一緒に、子供心にワクワクしていた事を思い出す。テーマ音楽も然りながら、映像は子供にはかなり際立つものがあったように思う。あの当時17才の私は恋愛を遠くの方から憧れ眺める少女だったと思う。年月が経ったので、少し美化してしまうけれど。だからその当時の家庭教師のお兄さんに「あの映画は子供が見るものじゃないですよ」と言われたこともあった。だが、もしかすると親たちはこういう形で性教育をしようと思ったかもしれない。ショーン・コネリーのボンドが熱い胸板で胸毛がわさわさとしていたのを見て、驚いていた。きれいな女優さんとのラブシーンは、親の期待を背負って、想像巧みに一生懸命見ていたかもしれない。

そして最近のボンド役のダニエル・グレイクはショーン・コネリーを凌ぐほどの渋さがあると思っている。彼の年齢は1968年生まれで45才という。老成ではないですか、困るじゃないか、憧れにくい。私の中学生時代からの友人D女は「あんなおじさんいやだわ」と言っていた。そうかな? 私はボンドと言う役柄にはピッタリだと思う。そして実はまた憧れている。

世界中でソーシャルネットワークが発達し、その気になったら怖いものなしにも見えるが、これは両刃の剣なので、私は少しあとずさりしている。007の映画の世界でもこれからは今以上にITに強いボンドが必要のようで、今回Qというリアルな青年が登場した。セーターなんか着て、どこにもいそうだ。これからの007が楽しみだ。

渋いダニエルボンドにチョコを食べさせても似合いそうだけど、なんといっても今を生きる日本の男たちにチョコを贈りたい。そしていつものように、地震があっても、ゲリラ豪雨があっても逃げて、平均寿命に届くまでは生きて下さい。もう平均寿命を越した? それはおめでとう! 

私は来世はフランスに生まれてアルザスに住む予定で、DNAはダニエルボンドに憧れているという設定ですから、よろしく。どこかでばったりお会いしましょう。
2013年2月14日                 豊田惠子

PS:なお、長い年月続けていたあとりえチビッコ造形教室をこの3月で終わりにします。35年8カ月続きました。4月からブログ「田園の誘惑」を主に書けたらと思っています。

また今回のチョコは かまたみのるの公式ブログ 八ヶ岳山麓日記で取り上げていたJIM-NETで購入しました。 290円がイラクの子どもたちの医療教科書費に、50円が福島の子どもたちを放射能から守るために使われる、チョコ募金にしました。

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2012/11/26

11月22日はどのように過ごされましたか?

Yamagara 今、八ヶ岳に来ている。11月25日はマイナス8度になりいよいよ冬到来だ。35周年の日のあくる日から始めた次女の作文集がやっと出来上がった。私は以前、今から15年程前に実家の母がくれたはがきの手紙を綴って本のように作り3巻を母にプレゼントした。こんどは次女の作文をまとめたのだが、所用の間に作っているのでなかなか完成にならなかった。今の世の中、自炊だ、アプリだという中に逆らうように無駄なものを作るのではないかとも考えたが、この形が一番良いと決めた。大豆戸小学校でお世話になった結城秀子先生にもお送りした。先生の一日一日の読後感がすばらしい。Sakubun004 (写真はヤマガラ)

その送付などをして、ここ八ヶ岳に来た。いつも初日は寒いのだけど今回は案外暖かかったので助かった。横浜のようにすぐ近くに生協があるという環境ではないので食料品の買い出しは大変だ。初日は食料品の買い出しに野辺山のびっくり市に行き、渋柿を買った。かなり安くなっていた。この間は17個で1300円、今度は39個で800円、小さめではあったが。そこから大泉のひまわり市場に行き4日分の食料を買う。、二日目にはロング散歩をしながら付近を撮影、私は放射線量を測った。別荘地の主要道路に近い場所の苔を測ったら0.24あった。そこは車も多く通るためだと思うが思いがけない数値だった。我が家の辺りは0・10~0.14だ。この辺りは地盤が花崗岩のため、もともと放射線量は一般よりは高いとされている。川上村のナナ―ズに行き白菜を買って、漬ける。帰る途中、昔キツネがよくいた場所でフクロウを見た。ハリーポッターのフクロウより毛がフワフワして小振りだった。三日目はススキを刈り取った。

Kaki_003 ススキを次女のお婿さんが刈ってくれたのは去年だったかしら? 一昨年だったかしら? ススキを刈りながらそんなことを思い出していたら娘からのメールで彼らの記念日にすてきな花束をプレゼントされたそうだ。誰だって花束をプレゼントされるのは嬉しい。夫婦だって襟を正し、花束を持って、向かい合って「愛している」と言ってほしい。11月22日(良い夫婦の日)になんかに。この日がお誕生日の人も、お父さんの命日の人も、記念日は大切ね!

ところで我が家はあの日は渋柿を剥く作業を手伝ってくれました。年齢を重ねると愛情表現は変化するようです。

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2012/08/06

梅ちゃん先生と大倉山記念館

Kinenkan_2 (写真は大倉山記念館ツイッターアイコンより借用)

先週の金曜日に携帯の電話で次女から「大倉山記念館が梅ちゃん先生の場面に出ている」と連絡があった。それは長野と横浜の移動中だったため、昼の再放送は見ることが出来なかった。そこで夜になって見てみた。梅子さんの叔父さんが警察に入れられて面会を申請する場面だった。電話をしてきた次女は学生時代に大倉山記念館でアルバイトをした。事務的な用事や清掃の仕事をしていた。館の周りを箒で掃き、そのテレビの場所は熟知した所だった。私にはその場面は次女が小学校1年生の時の作文に書いてあった場面とオーバーラップする。大倉山記念館を通り過ぎて緑が丘幼稚園と言うところに通っていた。今はもうその幼稚園はない。

「わたしはようちえんにいくときに、大くら山きねんかんのうらのでんきがついているときと、きえているときがあるのは中におばけがいて、つけたり、けしたり、しているんじゃないかとおもっていました」と言う節を思い出すのです。


そしてそこを通って幼稚園に通っていた時の次女が今から4年前に結婚相手を紹介されたのが大倉山記念館だったことも。そしてそれはあとりえチビッコ展が記念館でするのはもう最後になるかもしれないという時でもあった。

そのような事をツイッタ―で書いたところ、大倉山記念館okurayama hallさんから「もう一つの素敵なドラマですね」と帰ってきた。「記念館は豊田さんと深く関わってきたんですね。これまでも、そしてこれからも記念館をどうぞご愛顧ください☆」

何かもう一度力を振り絞って見たいような気がしてきた。

ところで「梅ちゃん先生」の展開は予想外であり、そういうこともあったかと感じた。幼馴染と言うことで私も目黒に住んでいたKちゃんを思い出した。きっと彼も私のことを思い出しているはずだ。だからと言って私は何も新しい展開はないが、弟のメンコを取った時に喧嘩したことがあったっけ。お習字教室に一緒に通った。おせんべを噛む時にどうして人のはカリッと音がして自分のはグチャグチャするんだろうと、彼の顔に近づいたことがあったっけ。空気のような幼い日の幻。

追記:その後Kちゃんからメールがありました。メンコの事で喧嘩したことは覚えていませんということでした。実は私は母からその話を聞いて、そうだと思い込んでいたのでした。私にも記憶になかったような気がするのです。ゴメンね!

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