2009/10/14

「しろいうさぎとくろいうさぎ」再び

絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」は今まで、ずいぶん長いこと我が家の本箱にあった。娘二人に読み聞かせ、あとりえの子供たちにも読み聞かせ、孫にも読んでやった。あとりえの課題として、絵本の模写にも使った。この汚れた1冊の本は私とたくさんの子供が手にして読んだ絵本ということになる。もう、カバーも無いし、切れた所に貼ったセロテープは茶色く剥がれそうになっている。そこで、愛着ある絵本だが今度新しく買うことにした。

ピカピカ、ツルツルの本は今、目の前にある。以前私は<絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」に見る愛について>と<しろいうさぎとくろいうさぎに見る愛のプロセス>をブログに書いている。その二つの項目だけでもこの本への思い入れは言い尽くしているのだが、今回あまりに汚くなっているこの本を買い替えて、新しい本と見比べた。そして再び書きたくなった。お時間のある方と今、恋愛中の人は是非、2つの上述の「しろいうさぎとくろいうさぎ」をクリックしていただきたい。何かヒントは得られると思う。

新しい本は、2009年8月20日第142刷で定価は1200円+税。古い本は1975年9月25日第29冊で定価は580円だ。価格から考えても長い歴史だ。初版は1965年に発行しているが、私が女子美に入学したばかりのころだ。ユリイカなんて雑誌を読んでいたころだ。なんであの頃この本に気がつかなかったのかしら、と思う。結婚して子供が生まれて、この本を知ったのだろうか。やはり、結婚は良いものなのだ。前にも言ったけど、この本は若い人の出会いの教科書になる本だと思っている。Usagi_n_2

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さて本の扉部分には書名、副題名、著者名、出版社名が書かれているが、1975年のものには表記されてなかった、Kyoko Matsuokaの文字が2009年には書かれてとあった。訳者の著作権がしっかりと書かれている。また最後の奥付には福音館のURL、それと、<紙のはしや本の角で手や指などを傷つけることがありますので、ご注意ください>とある。世知辛いとも言えるし、時代が変わったのでしょう。私も娘たちが小さい時に読みながら、寝てしまい本を顔に落としたことがあるけれど、怪我はしなかった。こういう注意事項を言わなくてはならない世の中になっているのだと思う。

ところで私は30年もたっていると、ガース・ウイリアムズさんもどこか絵を直したくなっているんじゃないかと思い、最初のページから穴のあくほど見てみた。するとなんと、しろいうさぎの出ている2ページ目がなんだか違っている。眼がひどく違うではないか。2009年版は眼が小さい、1975年版は眼が大きくて隣のくろいうさぎと同じ眼をしている、ジッと見る。いくらなんでも眼だけ作者が変えるわけない。あれ!どうも、誰かが書き加えた感じがする。そういえば、昔誰かが、「先生このうさぎの目なんだか怖い」、そう言っていたことがあった様な気がする。模写をした時に誰かが描いてしまったのかしら。悪い子!でも結構このほうがいいかも。著作権に関わるから写真は載せられないが。

ところで2009年も、1975年の「しろいうさぎとくろいうさぎ」の扉のページには<THE RabbitsWEDDING>と書いてあった。今まで気づかなかったが、作者ガース・ウイリアムズの原題の書名は<うさぎの結婚>だったのだ。やはり結婚という言葉より、「しろいうさぎとくろいうさぎ」のほうが良いかもしれない。隠喩としての効果だ。だとすると、この方法を反対に使ってみるのも一つの方法かもしれない。愛しているのに気が付いてくれない人に、「この本の英語の書名はTHERabbitsWEDDING、うさぎの結婚なのよ」なんて。でもこれは男の子が言うともっと素敵な感じがする。「この本の英語の書名はTHE RabbitsWEDDING、うさぎの結婚だぜ」なんてね。さりげなく。本をプレゼントしたりして。

ところでたくさんの子供たちが生まれた、私たち団塊の世代の頃は賑やかでよかったけれど、いまは少子化が続いている、子を産む、産まぬの前に、誰かと出会うことが大切だ。だから、この絵本しろいうさぎとくろいうさぎをもっとたくさんの子供たちが読んで、いつか人を恋する頃になったら、「野原でかくれんぼをしたり、クローバーくぐりをしたり、馬跳びをしたり、どんぐり探しをした、いろんなことを一緒にしたあの人と私は(僕は)(おれは)(おいらは)結婚しよう」そんなことを言うきっかけの本になるといい。

我が家にあって、たくさんの子供たちがお世話になった、古い「しろいうさぎとくろいうさぎ」の本は私の大切な宝物入れの中にしまいましょう。そして142刷目の新しい絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」のページをめくることにしましょう。

そして目を丸くして、「これからさき、いつもきみといっしょに いられますように!」「いつも いつも いつまでも!」

 

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2009/08/04

「人生に乾杯!」 KONYEC を観て

父は映画が好きな人だった。幼稚園の頃,連れて行ってもらった映画館では、リンゴを手で割ってくれたし、アイスクリーム(スマックという四角いアイス)を誰よりも早く売り子に声をかけて買ってくれた。父は映画館のヒーロー!私も映画が好きだ。そこがすごく父に似ている。これからの人生は映画をたくさん観ることにしようと思っている。

この間のお盆に父とご先祖の墓の前でそのことをお願いしてきた。これは私のBucket risut(棺桶リスト)だからだ。こんなことを言うのも、7月29日の早朝、豊田の仕事仲間のYさんが亡くなった。確か60才ぐらいだ。結婚をしていなかったから、うるさい奥さんもいなかったのだけれど、うるさい奥さんがいればそんなに早く天国には召されない。うるさい奥さんのいない未婚の男たちが心配だ。ところで、やさしい奥さんKeicocoは終身雇用。ある見方では怖カワとも言われているが。

ところで、この「人生に乾杯!」はハンガリーの映画だ。上映期間が迫っていそうだったが、どうしても映画館で観たかった。ビデオでも観れたが、やはり映画館の方が良かったと思う。だいたい、強盗をして、逃走するときたら、ビデオじゃなくて映画館でしょ。あらすじを聞いても、観れば余韻の残る映画だ。あらすじは少しだけ紹介しよう。

電気代も払えず、借金とりが来て、奥さんのヘデイはイヤリングを差し出してしまう。夫のエミルはたくさんの蔵書と愛車は渡さなかったが。そしてついにエミルは意を決して銀行強盗を実行に移す。あらゆる場面で幸運がある。それは長い年月の阿吽の呼吸で生き抜いてきた二人だから。またこの夫婦を追跡するにいたった警官カップルも、その愛の形をうまく伝えられないでいる。その4人の織りなす愛の形が見終わると、あぶり出される。

「人生に乾杯!」をほとんどの人は年金生活者の反抗の潔さと言っている。でも私は見終わっての余韻は違う。年金ではない。「誰にも、どんなに年取った老夫婦でも、若い恋の時はあった。思い出してほしい。あの金色に輝いていた、森の小道を二人で歩いていたあの時を。」「そして何かを二人が我慢をして行けば、最後まで添い遂げることができる」「若い二人よ!勇気を出して進め!難関を越えろ!」と言っているように感じた。

最後の展開が希望に満ちたものであるからそういうことも言えるのだ。絶対見ると良い!❤がほっこりとするし、❤がじんわりする。見終わるとhappy01がニッコリしてくる。そして映画はいつだって人生の示唆がある。

「人生に乾杯!」公式サイトはココ

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2009/04/01

しろいうさぎとくろいうさぎにみる愛のプロセス

私は以前 「しろいうさぎとくろいうさぎに見る愛について」 を書いた。

絵本の中で黒いうさぎが寂しそうな顔をしていると、どうして寂しいのかと、しろいうさぎが聞くと、『いつも、いつも君と一緒にいたいから』と言う。

『ねえ、そのこと、もっと一生懸命 願ってごらんなさいよ』と白いうさぎが言う。

『いつもいつもいつまでも』と二匹は見つめ合い、手を握り合い、森の仲間たちと一緒に結婚式のダンスを踊る。そして結婚をする。

そして、私も白いうさぎみたいな恋をして、結婚した。だからこのうさぎたちの愛のプロセスは同じだと思ってきた。そして結婚のための教科書になるとも言った。だが、この物語としての愛の過程はこれから先が違っていくこともあると思う。それは人間の世界では離婚だ。なぜ、『いつもいつもいつまでも』と言い合ったのに、一緒に居たくなくなるのか。

それは一緒にいるよりも他に楽しいことができてしまったのかもしれないが。くろいうさぎはひなぎくや、きんぽうげの咲いている野原でかくれんぼをしていたけど、かくれんぼをしながら、くろいうさぎは灰色のうさぎとも遊びたかったのではなかったか?とか。また、くろいうさぎは黒いちごのしげみで、かけっこをしながら寂しそうな顔をしたのはずっとクローバーくぐりをしていたかったのではなかったか?とか。できるだけ、メルヘンチックに考えたいものです。

私は離婚をしたことがないが、以前離婚した複数の友人の悩みを聞き、その時、親身になって考えた。いや親身には程遠いかもしれないが、自分とは違う『愛のプロセス』を歩んでいく人にこのうさぎの愛が別の意味での教科書にならないかと考えた。だからこの、絵本、『しろいうさぎとくろいうさぎ』を教科書として考え続け、離婚の傷を広げたりしないで、何とか良いアドバイスをしてあげたいものだと思ってきた。

人はもし離婚を経験したら一瞬はこの物語『しろいうさぎとくろいうさぎ』は全くの絵空事になるだろう。一緒に住んで居たくはなくなることだ。その信じたことすら、ウソくさく、愛はなかったのかと、考えるようになると想像する。多分それは長い人生の中では一瞬の時間に違いないが。

その友人カップルの二人をよく知っていれば、同じようにつらく悲しい。そしてそのカップルの間に子供がいればもっと悲しさが増えるだろう。

愛すると言うことは自分の心も体も相手に寄せることだ。だから『いつもいつもいつまでも君と一緒にいたいと』と言ったのだ。その言葉にはウソはないのだ。離婚になる前には喧嘩があるだろう。その喧嘩を我慢できるかできないかも大切だ。私も若いころはよく喧嘩した。だいたいが私が喧嘩をふっかける。自分の理想と違う彼の姿に苛立っていやになる。それを面と向かって言う。そこで相手が興奮する。プロセスはだいたいどこでも同じだろう。いつもと同じぐらいの喧嘩の程度であれば離婚まではいかないのだろう。うさぎの世界にはこうしたことはない。

この黒いうさぎが別の寂しさに耐えられず、考え込んでいたのを白いうさぎが、勘違いしたこともありうる。寂しいのは別のことで寂しかったのに、自分と一緒の人生を歩けば幸せになると白いうさぎは勘違いし、思い込んだ。そんなことはないだろうか。黒いうさぎは白いうさぎと一緒になっても、いつかまた寂しくなって、自分の道を歩き始めているかもしれない。もっと哲学的なことかもしれない。

それと反対にしろいうさぎが今度は寂しくなって悲しい顔をするかもしれない。

その時にはあの教科書『しろいうさぎとくろいうさぎ』はまた復活する。過去の愛の形にとらわれることはない。だが、過去の間違いを繰り返すのじゃないかとトラウマに囚われるだろう。だから、離婚したその失敗はなんだったのかとよーく始めの離婚の時に考えておくべきだ。たしかにくろいうさぎが寂しい顔をしたのが何だったのか。少しの時間、待って考えよう。その答えは日記に書いておこう。詩でもいい。気持ちの変化はいつも流動する。自分の気持ちをしっかりと書いておけばその地点に戻れる。

日本政府の統計では

《 平成18年の婚姻件数は732000組で、平成17年の714265組より18000組増と推計される。婚姻率(人口千対)は5.8となり、平成17年の5.7を上回る。
 また、離婚件数は258000組で、平成17年の261917組より4000組減と推計され、離婚率(人口千対)は2.04となり、平成17年の2.08を下回る。》  つまり平易に解釈すれば、62、要するに313組結婚して1組は離婚することになる。

だがまわりを見回してうまくいっていない場合も離婚はしないで一緒に生活をしている。だとすれば、11対1。うまくいっていないほうが2対1で多いということになる。緑色部分はあくまでも適当な統計だけど。

うさぎの話に戻ろう。森の中にはよくうさぎの糞が転がっている。触って潰すとハラハラと植物性の葉の削りかすのようなものになる。笹の匂いもする。白いウサギと黒いウサギが出会った話は、恋の始まりとしていつでも森の中に入ると思いだす。糞を見つけると思い出す。

うまくいかない小さな愛をずっと背負って生きていくより、悲しく辛くても、ゼロに戻って愛がない生活をしたほうが明快でいいと思う。私は離婚はしたことないし、これからの予定もないけど。でも、人生の中で離婚した人やうまくいっていない人のために、もう一度シャッフルしてみるのもいいとは思っているが。

どちらにしてもしろいうさぎとくろいうさぎの物語のようには人間の世界は単純ではない。だから愛という形はそれを押し通したかったらなるべく簡単な形、つまり絵本の世界のように単純な形で愛し合っていれば、うまく添い遂げられるのじゃないかと思う。このしろいうさぎとくろいうさぎにみる愛についての記事もアクセスが多いので、あえて、「しろいうさぎとくろいうさぎにみる愛のプロセス」を書き加えた。

愛は壊れやすいものでもあるらしい。だとすれば私たち夫婦の間もまだ分からないと言えると言っておこう。

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2009/02/14

バレンタインデーのメッセージ@2009

友情  《ロブライナー監督から学ぶ》

昨年6月にドイツを旅行した時、往路の飛行機の中で、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン主演の映画 『最高の人生のみつけ方』(Bucket List) を見た。ちょうどその2人の雰囲気に似ている4人のライダーとフランスのアルザスのレストランで隣り合った。国境近くをオートバイで旅行している仲良しの仲間と見た。ドイツ語で水とピザを注文し、なんだかとても楽しそうだった。 Bucket List)は日本語に直訳すると『棺桶リスト』となる。

Image001実業家エドガー(JN)と自動車整備の仕事をするカーター(MF)は病気入院し医師に余命半年と告げられる。お互いにないものを持っている性格に惹かれて親友になる。そこで、財力のあるエドガーと知識力のあるカーターは、人生でやり残したことをしようと、リストを作る。始めは落ち込んでいる二人だが、次第にリストを行動に移し、気持ちが前向きに明るくなっていく。               

スカイダイビングをする。サーキット場で好きな車に乗る。世界一の美女にキスをする。タトウーをする。アフリカでライオン狩りをする。ピラミッドに登る。万里の長城を歩く。エヴェレストに登る。チョイ不良のエドガーと信仰心の強いカーターはそれぞれ違うリストであり、違うデッサンになる。映画では愛の線は違う角度から出てきて一緒に交わる。

人はいつ何があっても愛の線、愛を感じる線が自分の人生の中に書かれていないと天国には召されない。監督が言いたかったのはそんな気もする。

私の好きな映画『スタンド・バイ・ミー』のロブライナー監督が作ったのですから。ジャック・ニコルソンはどこの国でも原題で紹介されたいと言っている。(ここまでは以前のブログで紹介・2008・7・13の日記)

このことをバレンタインデーの手紙に書くなんて、非常識と、お叱りの御言葉をうけそうなのだが、映画はネタばれしても面白く、観ると勇気がわく。最近はいつ何が起きるかわからないので、老若関係なくリストを作って行動に移したい。私のリストは、マジな話、恥ずかしいので四字熟語にした。

上映我家  巴里在住 散策紐育  探検愛舗 吸引脂肪  美顔削身  百花咲園 語学堪能  耳飾打込 洋菓全食  自掘自墓

私のことだから、するしないはわからない。とにかく男の友情は素晴らしい。ロブライナー監督は映画「恋人たちの予感」(When harry met sally)の中では男女の友情の有無を問うている。メグ・ライアンとビリー・クリスタルを登場させて、「セックスが邪魔をして男女は友達になれない」と言う。だが彼らの友情は愛情に変わり、彼は、「残る一生、誰かと居たいのなら、早く始めるほうがいい。」と彼女にプロポーズする。

「最高の人生のみつけ方」と「恋人たちの予感」は私の心に輪を広げ、「スタンド・バイ・ミー」の少年たちの友情も時がたつと輝く。私は男女の友情を信じたい。

でもこうしてブログで好きなこと言っているのが、私にとってのBucket Listの一項目かもしれない。

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2009/02/12

絵に描いたチョコ❤バレンタインデーまであと2日

Cocolog_oekaki_2009_02_12_21_09もうすぐセントバレンタインデー! ココログのお絵描きツールを使っていたずらしてみました。去年約束したように、今年からウェブの上のバレンタインデーにしました。本チョコはほんのちょこっと贈ります。これは絵に描いた餅じゃなくて絵に描いたチョコレートです。

チョコッと送る本チョコは今年も黒猫ヤマトのメール便です。遠方は昨日、そして今日送りました。明日は近場に送ります。明後日は自分が飛脚になって、つまり佐川急便のスタイルでご近所のマンションのX階まで上がります。

そういうことで、私はこの2週間ほど、メッセージを選び、だいぶスリムにしたバレンタインデーの会員ナンバーを操作し、心から「罪なことだ」と思いつつも、自分の体力にも限界を感じてチョコの数を減らしました。それでも今年はXX個にした。また送る相手の方たちも、私個人の友人は少なく、夫のお友達やお世話になった人がほとんどなので、血糖値や、コレステロールも気がかりで、ホンの気持のチョコになった。ささやか過ぎでごめんなさい。本当にごめんなさい。

毎年恒例の≪バレンタインデーのメッセージ≫は2月14日の朝にブログに載せますのでよんでください。ネットやパソコンをしている方にはこのページ≪あとりえ・チビッコ≫に来ていただきたかったので絵に描いたチョコで、重ねて悪しからず。

そしてこのブログやインターネットを通じさせてて、くださってる niftyGoogleの方々にこの 「❤絵に描いたチョコ❤を贈ります。いつも御苦労さまです。

そして何かの間違いや、何かをたどってこのあとりえ・チビッコを覗かれた方にも、このチョコをプレゼントします。毎日悪いニュースや聞きたくない情報ばかりが続く毎日ですが、いつだって川は流れ、濁流ばかりじゃなく、いつかきれいな流れのほとりにたどり着くこともあります。それまで、少しの間、自分の力を信じて、お金を使わないで、人のためになることを考えよう。いつか時が来たら、それが叶うかもしれないから。もしかすると時間はたっぷりあるかもしれないから。自分を信じて。愛する人を信じて。

このチョコはじっと見ているとそんな力が湧いてくるチョコなんです!

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2008/03/20

バレンタインデーとホワイトデー雑記

Wasi長野から帰る道、芳州とがんばるという意味の四字熟語を言いながら帰ってきた。私は結構この語句を使ってしまう。その是非を二人で話しながら車にゆられていた。清里大橋から八ヶ岳は見えなかった。春霞と霧と雲が混じっていた。私も花粉症が急に出てきて、標高差による鼻詰まりと一緒になって、中央道の双葉で鼻をかんだら、やっと開通した。プッシュー!

家に戻って郵便物の整理をして、ホワイトデーの贈り物があった。私に一番館のポムダムールもあった。自分で贈っているけど、いただく気持ちが分かった。あまり、このようなことを書くとおねだりするようで、はしたないけれど、もう終わりにするので良いかと思って書く。

中に和紙の贈り物もある。私は字を書かなくなったが、このような和紙をいただくと、字を書かないといけないなと思う。この袋の 《夢》 という字が良い。私は以前、主人の母の面倒を見ているときに、心に起きる煩悶をどうしても取り去ることが出来ず、悩み、実家の母に教わり写経をした。その時 《夢》 という字が写経のちょうど真ん中で一文字だけ出てきた。

《夢》があるから、《夢》があるからと、《不》や《無》や《空》の字を書いていた。それを思い出させてくれたので、この袋も写真にとった。ありがとう拓明さん。

そしてインターネットの点検をしていると、なんと、ヤフーの「内田樹の研究室」で「あとりえ・チビッコ」が約1390000件の5件目に検索されていた。こんなことはめったにないことなので、印刷しました。でもすべて、ヴァーチャルな事なのです。

もう一つ、私が昔秘書をしていた時のG社の人事部長からもお手紙があった。私の贈るチョコのお陰で若返ったという、そして愛と希望を贈り続けてくれたことに感謝するとあった。

自分で自分にご苦労様! 

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2008/03/14

ホワイトデーに乾杯!

Photo

おいしいチョコレートや、マシュマロ、素敵な身につけるもの、お花、本,そしてお手紙やメールをありがとう!

 皆様の気持ちをしっかりと受け止めました!

 Thank You! Danke! ありがとう!

今年の永く、寒い冬は終わり、もう春。元気を出して行きましょう!今まで、私のバレンタインデーの遊びにお付き合いくださった皆様、今年をもって、終わりにします。ありがとう、そしてごめんなさい。

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2008/02/26

きっこさんからのメール&出会いの記念日

じつは一昨日何気なく、メールを開けたところ、『きっこの日記』のきっこさんからのメールが入っていた。cat

一瞬信じられなくて、どうしようと考えてしまった。迷惑メールで、いたずらしてるのではないかとか、別人が成りすましているのでは、とか本当に失礼な気持ちを持ちながらメールを開いた。

私がバレンタインデーに送ったチョコレートのお礼とメッセージ(1年に1度の心を込めたメッセージ)へのお褒めの言葉が書かれていたが、私はだいぶ考えてから返信した。いつもたくさんのお仕事をこなし、寝る間もないほど忙しい方なのに申し訳ないという気持ちと、ちゃんとしたお手紙書かなきゃ!と焦った。

そこに、『きっこの日記R』の感想を少しだけ書いた。今度の辰巳出版から出した本には毎日読んでいるようでも読み落とした日記もあったようで、やはり、形になっているほうが残って良いと感じた。特に原爆の日の俳句はコピーをとっておこうと思っていて忘れてしまっていたものだった。また父さんのビールも心に残るお父さんへのオマージュで、すばらしいエッセイだと感じた。

そして、なんときっこさんの写真も入っていた。実は以前、ある場所で松葉杖を付いた方に会ったことがあり、その人が猫関係の商品を買っていたので、てっきりきっこさんだと思っていた。それに、その人はお母さんと一緒だったから。でも今回のメールに添付されていた写真は違っていた。以前会った人も理知的な人だったけど、きっこさんはすごい魅力的な人です。

ところで今夜は出会いの記念日、きっこのことやココログやあいかやすおみのことを話をしながら、今夜は芳州さんと出会った記念日を大倉山駅近くのカヴァヌーラでお祝いした。今夜で40年になった。カヴァヌーラの梅のパスタのディナーを注文して、ビールで乾杯。

昔、結構私たちも喧嘩をした。大きなのが1回。小さなのは年に2,3回だったかしら。特に初めはよくしたと思う。ほとんど私がきっかけを作っていた。喧嘩をするのは私が彼を理想的に見たりした後に起きた。理想と違うと私が線路を軌道修正していた気がする。軌道修正できたのはどうしてだろう。修正できなければ、脱線する。芳州さんが我慢をしたのかもしれない。こうして自分たちの生活をさらけ出すのも、若い人たちに結婚や愛の形を学んでもらいたいから。40年も経てば仲良く大倉山のギリシャ料理店で美味しいもの食べながら結婚について話せると。でも、結局は子はかすがいだったのかもしれない。だからといって子供がいなくても仲の良い夫婦もいる。

と、ここまで書いてきて、『きっこの日記R』の中の、恋愛遍歴について、チラッと見ると、きっこさんがえっというような思いをしたんだというようなことが書かれてある。なんか辛いな、でも読もう!

そとでは雨の音がひどい。天気予報どうりだ。

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2008/02/15

2008年のバレンタインデーのメッセージ

昨日はセントバレンタインデーでした。《2008年のバレンタインデーのメッセージ》をここに載せます。チョコレートはないけれど。

                                                        『一本の樹 』  

 今日も清里大橋を渡り川上村の山小屋へと向かっている。八ヶ岳山麓の深い谷を跨いで渡る清里大橋。その深く黒い谷を見下ろして遥かに8つの峰が聳え立つ。今夜は宵月、真上からの月が森の木々を照らす。付近の別荘からの灯火がちらつく。月光のなんと強い力か。2月14日も今月今夜のこの月。膨らみ始めた蕾のような月は、影以外を平等に照らしている。国道141号の野辺山の温度表示は-11度を指していた。  

 小海線はカタコトと2両で平地を走って行く。乗客は5人。空には月と星が同時に瞬き、私は車のウインドウを開ける。走り去った列車の妙に懐かしい響きを聞きながら天空の瞬きにため息が出る。大瀧詠一のCDを入れると、《カナリア諸島にて》が流れてきた。父が好きだったのが頷ける。束縛しないゆったり感のメロディーに詩の率直さが合っている。小海線を渡るとなんだか涙が出てきた。山小屋に近づくにつれ今日降ったと思う雪がギシギシと鳴る。車のギアを4から3にして坂道を登っていく。曲は《さらばシベリア鉄道》に変わる。白樺の樹影がダンスを踊り、車のライトが雪の結晶を一粒一粒照らし出し、見る間にダイヤモンドに変っていく。 

 森の木々はまっすぐに天に伸びる木もあれば、斜めに傾斜して他の木に寄りかかる木もある。樹齢を数えられぬほどの古木には苔が付き、その樹種も分らぬほど神さびている。若い木は細いがしなやかに、雪の重さに耐えている。 私は2006年冬にミュンヘンから列車で4,50分のランズベルグに行った。レヒ川がそばを流れているので《Landsberg am Lech》。 列車で走りながらミュンヘンから遠ざかるにつれて、ヒットラーも通ったはずだと感じていた。街はクリスマスマルクトの明かりが灯り、忘れられない情景だった。4泊し、街の周囲にある城壁に沿い、遠くに広がるバイエルンの平地を眺め、マルクトの屋台を楽しみ、教会で祈った。

 日本に戻りブログ《あとりえ・チビッコ》にランズベルグの旅の様子を書いたところ、第一次世界大戦についてのホームページの中にヒットラーがランズベルグの刑務所に収容されていたことが分った。1924年12月に出所し、写真家のホフマンが車で迎えに来たとある。この場所は12月13日に私たちが写真を撮ったところだった。自分の写真と地図を照らし合わしてみると、あの樹は右の写真の手前にある太い樹ではないだろうか。詳しく調べたわけではないが、太さから樹齢を考えて、間違いないように思う。私はあの日、あの場所で 「この樹は太いがいつから植わっているのだろうか」と、この事実を知らずに樹に聞いていた。

インターネットを10年前には使えなかった私も、今では知識や情報のためになくてはならぬものになっている。こうして何気ない『一本の樹』が、歴史の証明の舞台装置として今も存在し、それにリアルにもヴァーチャルにも体験できたことに不思議な感慨を感じているのです。                                                         

                2008年1月19日              Keicoco

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