(写真は大倉山記念館ツイッターアイコンより借用)
先週の金曜日に携帯の電話で次女から「大倉山記念館が梅ちゃん先生の場面に出ている」と連絡があった。それは長野と横浜の移動中だったため、昼の再放送は見ることが出来なかった。そこで夜になって見てみた。梅子さんの叔父さんが警察に入れられて面会を申請する場面だった。電話をしてきた次女は学生時代に大倉山記念館でアルバイトをした。事務的な用事や清掃の仕事をしていた。館の周りを箒で掃き、そのテレビの場所は熟知した所だった。私にはその場面は次女が小学校1年生の時の作文に書いてあった場面とオーバーラップする。大倉山記念館を通り過ぎて緑が丘幼稚園と言うところに通っていた。今はもうその幼稚園はない。
「わたしはようちえんにいくときに、大くら山きねんかんのうらのでんきがついているときと、きえているときがあるのは中におばけがいて、つけたり、けしたり、しているんじゃないかとおもっていました」と言う節を思い出すのです。
そしてそこを通って幼稚園に通っていた時の次女が今から4年前に結婚相手を紹介されたのが大倉山記念館だったことも。そしてそれはあとりえチビッコ展が記念館でするのはもう最後になるかもしれないという時でもあった。
そのような事をツイッタ―で書いたところ、大倉山記念館okurayama hallさんから「もう一つの素敵なドラマですね」と帰ってきた。「記念館は豊田さんと深く関わってきたんですね。これまでも、そしてこれからも記念館をどうぞご愛顧ください☆」
何かもう一度力を振り絞って見たいような気がしてきた。
ところで「梅ちゃん先生」の展開は予想外であり、そういうこともあったかと感じた。幼馴染と言うことで私も目黒に住んでいたKちゃんを思い出した。きっと彼も私のことを思い出しているはずだ。だからと言って私は何も新しい展開はないが、弟のメンコを取った時に喧嘩したことがあったっけ。お習字教室に一緒に通った。おせんべを噛む時にどうして人のはカリッと音がして自分のはグチャグチャするんだろうと、彼の顔に近づいたことがあったっけ。空気のような幼い日の幻。
追記:その後Kちゃんからメールがありました。メンコの事で喧嘩したことは覚えていませんということでした。実は私は母からその話を聞いて、そうだと思い込んでいたのでした。私にも記憶になかったような気がするのです。ゴメンね!
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