紙粘土でマグネット
もう夏休みはあとわずかですがまだ今年の異常な暑さは続くのでしょうか。我が家の娘たちは「夏休みはあとわずかてす」などとテレビで言うと、酷く嫌がったものです。娘たち、孫の「夏休み」は私には遥かに遠くなりました。
あとりえチビッコでは夏休み前半に作ったマグネットを今日、ニス塗りなどして渡しました。
粘土の乾燥で歪みができてマグネットの装着が完全ではありませんが、暮らしの中で使用するものを子供が作り、実際に使うことは大切です。
もう夏休みはあとわずかですがまだ今年の異常な暑さは続くのでしょうか。我が家の娘たちは「夏休みはあとわずかてす」などとテレビで言うと、酷く嫌がったものです。娘たち、孫の「夏休み」は私には遥かに遠くなりました。
あとりえチビッコでは夏休み前半に作ったマグネットを今日、ニス塗りなどして渡しました。
粘土の乾燥で歪みができてマグネットの装着が完全ではありませんが、暮らしの中で使用するものを子供が作り、実際に使うことは大切です。
1・エピソードⅠ
あとりえに入ったばかりの幼稚園児は落ち着かず、駈けまわったり、疲れたといって、描きかけの絵を投げ出したりすることがよくあります。創作的な楽しさを知らず。ママのそばにいつまでもいたいからです。そこで私は描く時間を15分、20分、30分、40分、50分とおけいこに来るたびに、少しずつ延ばしていきます。ある時はもう少しがんばらせたら描くかもしれないと思えるときにも、ママとの約束の40分だから帰りなさいと『さよなら』します。そういうときは次のおけいこの時はりきります。丁寧に絵の具を塗ったり、落ち着いて描きます。またつまんないと言って描かないときは何か気になることがあるのです。すこし描けると『良い子』と言って頭をなでてあげます。目と目が合って、ほっとして描いていきます。 その積み重ねがとても大切です。
2・エピソードⅡ
私は子供の描く絵には心が出ると考えています。『筆圧』や『筆のタッチ』、『色の組み合わせ』や『もののとらえ方』にその子のその日の気分が出てきます。その子の絵を毎週、続けて見ているとその子の言おうとしている気持ちがなんとなくわかります。 静かにしていたい子は淡い色で安定感のある絵を描きます。 明るく元気な子はダイナミックな表現と濃い色を使います。 エネルギーがありあまっている子はスピード感のある力強い絵を描きます。 かわいいのが好きな子はかわいい動物や人形を好んで描きます。 素直な子はモチーフをよく見て描きます。 マイペースでいたい子は自分が興味があることを描き続けます。そういう時間を作ってあげることで、子供たちはほっとします。絵を通して自分を出せるからです。私は指導者として、その子と心を通わせたうえで、次のステップを踏むのです。
1・花と窓
私は子供たちに花の描写をさせる時にいっしょに窓も描かせます。すると、窓の外のいろいろな風景が描かれます。『元気な太陽と丘』を描く子『雨は降らないでねと、てるてる坊主』を描く子『窓の外の一輪の花』を描く子『すてきなお城』を描く子そこに子供の素直な気持ちが表れてくると考えています。
2・音楽を聴いて描く
あとりえでは時々、音楽を聴いて描かせます。最近では『ケルトピアノ』『女子十二楽坊』『クイーン』などのCDを流して描かせました。子供たちはどこかで聴いたことがあると思いながら、リズムに乗って、楽しく手を動かします。どんなに幼い子でも、その音楽の表情をとらえて描きます。ですから、この作品はだれが上手でも下手でもなく、みんなが良い作品なのです。時間と体力がある子は何枚も描きます。この作品はクイーンの『ボヘミアン・ラプソデイ―』です。
3・子供の悩み
ある日、おけいこに来たS君が『先生、僕やんなちゃうんだ。僕は外で遊びたいのに友だちがみんな、ゲイマー(ゲームが大好きな子)なんだ。どうしたらいいか困っちゃうんだ』私も子供たちに絵を教えていて、よくその問題に直面します。子供が体を動かして遊ぶことが少なくなり、それが絵に表れてくるのです。そのため、私は外で遊ぶ楽しさを少しでも伝えたいと、私の子供の頃の話をしたり、長野の山小屋の話をしています。シカに大根を食べられたこと、サルと出会ったこと、キツネの糞のこと。 その日もS君には山の話をし、彼も家族で行く山と自分を描きました。彼の疑問は片付かなかったかもしれませんが、満足して絵を描き、少し機嫌が直って帰ったように感じました。
4・やさしさと厳しさを学ぶ・豊田芳州
森の中では樹木が光を求めて厳しい競争をしています。これはライバルとの競争です。しかし、森の中に入ると何もないかのようにやさしさが漂っています。樹木の力強い頼もしさでしょう。一方草原でも草花がやさしく迎えてくれます。気を許せる温かさと言えます。しかし、草花は自然環境と過酷な闘いをしています。少ない水分と栄養分に耐えるがまん比べです。森や草原は厳しい競争の場所でありながら、やさしさをたたえています。子供たちが成長する時にもこの二つが必要ではないでしょうか。私は森や草原で撮影しながらこのようなことを学んでいます。
1・発見が好き
子供たちは、絵を描いたり工作をするとき、珍しい素材を与えると、張り切って取り組みます。 あとりえチビッコでは水彩絵の具、クレパス、パステル、粘土、アクリル絵の具、木片、アルミなど、いろいろな素材を使って制作しています。子供にとっては、『何を作るか』と同じくらい『何で作るか』が大きな問題だからです。子供たちは、初めての材料、得意な材料には目を輝かせます。これはかつて人類が初めて石器を作ったり、火を発見したときの喜びと似ていると思います。
2・絵には経験が生きている
亜理紗ちゃんは、アメリカから帰って、カラフルな『SAZAE』を描きました。麻子ちゃんは、『6年生の今が幸せ』と言って『そよかぜ』を描きました。 真紀子ちゃんは、受験を終えて久しぶりにあとりえに戻り、犬のコロを描きました。 友梨香ちゃんは木片画に『おみやげのケーキをもって帰るお父さん』を描きました。
絵には心が表れます。心を表せるなごやかな環境や豊かな経験が大切です。
3・音楽を聴いて描く
子供が絵を描くということは多分に衝動的です。その衝動を刺激する物は目から入ってくる体験だけとは限りません。耳から入ってきた音楽やサウンドからも刺激を受けます。むしろ耳からの刺激のほうが衝動的な場合もあります。 視覚的な絵画と聴覚的な音楽を結び付けることで、子供の感覚はいっそう鋭敏になります。この絵はエンヤノの『メモリ・オブ・トゥリーズ』を聴きながら描きました。
4・絵には性格が表れる
元気に友だちと遊ぶ子は、人物の絵が得意です。静かに考える子は、細かい観察をして丁寧な表現をします。 朗らかな子は明るい色で伸びやかな表現を好みます。落ち着きのない子はスピード感のある表現をします。
よい絵とは、まず、その子の性格≪個性≫が表れた作品です。
自宅の整理をして、過去のあとりえチビッコ展のキャプションが出てきました。一つ一つに子供たちのことを思ってワープロやパソコンに書いた記憶が甦ってきました。何年のものかは定かでありませんが、4回分ありましたので、ブログに再びアップして自分を褒めてあげようと思います。いいでしょうか?自分を褒めても? キャーッチ!(あとりえに来ていた子はわかりますよね。)
1・森の仲間になる
私は、子供たちに森の中のできごとを話しています。キツネやタヌキ、テン、ウサギ、ネズミなどが森や草原に食べ物を探しに現れ、土や雪の上に足跡や糞を残していきます。キツネの糞にはバラの実やネズミのしっぽが入っています。ウサギの糞は森の香りがします。数年前、森の入口で会ったテンは、二本足で立ち上がり手招きをしました。 森の中のできごとに、子供たちはおしゃべりをやめ、じっと聞き入り、また自分の絵を塗り始めます。私は、子供たちが森の仲間になれるよう心がけています。
2・子どもの才能
小さな子供の絵には、思いがけない美がかくされています。美の法則を知らないのに『縦と横の比』や『色彩の量』が美しいのです。私たち指導者はその『美』を見つけだし、人前に出し、本人にもわからせたいのです。メキシコで児童美術教育にたずさわった北川民治は次のように書いています。『私がやってみたいことは、子供の美術的才能をどうかして持ち続けさせ、大人になっても失わせないようにすることです。才能を妨げる種々な抑圧を取り除くことは困難な仕事でしょう』私たちは経験を積めば積むほど、それにとらわれ、自由を失ってしまうものです。しかし、だれにも備わっている子供の才能を持ち続けさせ、それを表現する喜びを感じてほしいと願っています。
3・いろいろな表現がある
子供たちに絵を指導していて難しいと感じることがあります。動物園のキリンを写生したときのことです。キリンは草を食べようとして首を下に伸ばしました。その様子は首の短いキリンになって描かれました。その絵を見たその子のおばあちゃんは「キリンなのに短い首ね」と言いました。この例のように、私たちは何気なく子供の絵を評価していないでしょうか。大人の概念には入りきらない子供の世界があると思います。新しい観察と今までにない表現が創造力につながっていきます。絵画や造形の世界が本当の自由を知るきっかけになればと願っています。
4・望(のぞみ)と望(のぞむ)
かつて私があとりえを始めたばかりの頃、田中望くんという子がいました。お母さんのおなかの中から生まれてくる赤ちゃんがいやだと言いだだをこねていました。ある日私は「じゃあ、絵の中の赤ちゃんをやっつけちゃおう」と彼が描いた赤ちゃんを黒と赤のクレパスでいっしょに塗りつぶしてしまいました。まわりの子たちも応援しました。望君はその後楽しく過ごせるようになりました。現在、あとりえには飯島望(のぞむ)君が兄の悟君といっしょに通っています。この間兄弟げんかをして家に帰ってしまいました。後からお母さんに付き添われてやって来た望君は、優しい色使いでシクラメンを描きました。きっと少しの時間、お母さんに甘えることができたのでしょう。絵にはこのような効果と反応があります。
5・絵の中で遊ぶ
屋外での遊びが少なくなる冬、子供たちに遊びの絵を描かせています。10年前の私のメモに遊びの絵が面白いと書かれています。相川君という子はかけっこの絵の中に自分とウルトラマン、キンニクマン、私の知らない何んとかマン、アリ、テントウムシ、クワガタを登場させ絵の中で満足していると記されています。当時は大倉山にもクワガタがいたのです。千秋君は、遊びの絵の中でファミコンをしている自分を描きました。アウトドアー派の自分としてはもっと外で遊んでほしいのですが、現在の流行が素直に表れていて良いと思います。2000年のあとりえチビッコ展では、遊びの絵はどうなっているのでしょうか。
今回子どもたちは無垢のヨーヨーに色を塗った。
置いて美しく、廻して楽しい模様を考えた。1つでは無く2つ作るので暖色と寒色に違えるのも良い。最後には自分が描きたい物を描く。今回はアクリル絵の具とマニキュアで描いた。マナミが時間が足りず、1個が塗れていない。
来週ニスを塗ってお持ち帰りになる。子どもが上手にまわせないであっちこっちにぶつけて模様が剥がれるといけないので、きっちりとニスを塗って丈夫に作ろうと考えている。お家に持って帰ってお父さんやお母さんと一緒に遊べる、良いコミュニケーションツールになる。
今回のコラージュはトヨタの車を購入する時に見たパンフレットを使って、制作させた。
左はリン、トモヤ。
小学1年生で車好きのヒロト君がやってほしいと思っていた課題だったがインフルエンザに罹って今回はお休みだった。車パンフレットのほかには私の好きな雑誌フィガロや、芳州先生が携わっていた風景写真やフォトコンテストの古い雑誌を切って貼った。
コラージュには心理を読みとれるとして、コラージュ療法がある。だれでも絵で描くことは苦手でも、写真を切り取って貼ることでイメージを伝えることは出来る。アートセラピーともいう。私はそれで子どもの心理を読みとるということは出来ない。だが絵をかけなくても、全体のイメージを伝えたいという子どもの気持ちを表す手伝いは出来るので、この手法は好きだ。
風邪でお休みが多かったので、ケイココちゃんも仲間入り。
左からアスミ、ヒロト、マナミ。
今回は去年行ったドイツのツエレで買い求めた「kunst-malbuch Marc Chagall」という本を元に指導した。画家の絵の一部分(デイテール)を線画に直してあり、それを自由に模写し描かせた。つまり高級な塗り絵と言える。
左からレイナ、リホ、リン。
日本の岩崎書店の「名画の秘密をさぐる・シャガール」の本を菊名図書館で読んでもいたが、丁寧に落ち着いて読んではいなかった。その内容を次回子どもたちに説明をする。模写した作品は1933年の「孤独」と1938年の「エッフェル塔の夫婦」などだ。
左はトモヤ。
描いていて子どもたちが疑問に思ったあの乾電池のようなものは、ユダヤ教の経典の巻物だった。子どもたちが疑問を持ちながら絵を描くことは、絵の記憶が強くなる。
ユダヤ人であるシャガールがロシアのユダヤ人居住区で親戚の音楽好きのおじさんたちと暮らした事や、パリに移り住み、詩人たちと暮らしたことや、ナチスに追われてアメリカに行き、また戻るという事と、教義で肖像画を描いてはいけないユダヤ教を離れて、キリスト教を信じ、聖書の場面を挿絵に描いた事などがあった。また奥さんのベラを愛していて、それらがすべて絵の材料にもなっている事がその本には書いてある。
そして実は私は暮れからずっと、「ヒトラーの秘密図書館」ティモシ―・ライバック著(文芸文庫)を読んでいた。ヒトラーは画家になりたくて美術学校の試験を受けて落ちたという経歴もあるのに、芸術関連の書物はその残された蔵書館には無かったという。ある説によればアメリカ軍が持ち去ってしまい真偽のほどはわからないらしいが。シャガールはすんでのところでアメリカに逃げる事が出来、命を奪われずにその後99才(1998年)まで生きて世界中に感動を与える絵やステンドグラスを描くことが出来た。
ドイツを旅している時に入った本屋でこの本(kunst-malbuch)を見つけ子供たちに今回、試すことができた。子どもの空想を刺激するようなシャガールの絵はとても良かったと思っている。描画素材が色鉛筆とク―ピーのため、若干迫力に乏しく少し残念ではあったが。
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