トキワ松学園の三木先生(能村堆子)
最近中学高校時代のことを思い出すことが増えたのは何故だろう。大学受験する孫に進路について聞いたからなのかもしれない。
私は61年前に中学受験して目黒のトキワ松学園中学、高校に6年間通った。小学校4年の時に腎臓病になり半年間学校を休み、中学に行く時に母は公立の男女共学校では体力が大変ではないかということから、実家から近くのトキワ松学園に進むことを選んでくれた。碑文谷の丘の上にあり、のんびりした校風は私にあっているようで特に中学の3年間は学年3クラスしかなくフレンドリーな空気の中で勉学に励むことができた。
何故かこのところ急に懐かしさが募っている。それは孫が大学に向けての進路の話になり、私も自分の中高時代を思い出し、あの頃の気持ちを反芻したからではないかと思う。
たくさん出会った教師の中でも生物の三木(能村)先生の授業が好きだった。確か生物は午後の授業だった。印象に残っているのは花か葉をケント紙に描写することがあった。普通だとノートの中に書くのに特別にケント紙だった。ケント紙は画用紙と違い表面が固く滑らかで消しゴムを使っても毛羽立たず、鉛筆でもインクでも滑らかな書き心地がする。次に私が進んだ女子美短大造形科でのグラフィックや製図など作品提出はケント紙を使い、その時にかつて中学でのケント紙を使ったことを思い出した。一言でクールな使い心地というべきか。多分その頃は三木先生御自身がウニの研究の論文を書く上でケント紙を使っていたのではないだろうか? それを私たち中学生にも使わせてくれたのかもしれない。その当時は街の文房具屋でも、学校の売店でも売っていたのかもしれないが、私はそういうアイテムを知らなかった。
かつてあとりえチビッコではケント紙を使って折りたたみの絵本を作り子供たちに描かせていた。ケント紙は厚く滑らかなのでマーカーを使い、滑るように描ける。また両面で描いても透けて滲まない、筆圧の弱い子が描いても鮮やかに見える。子供たちに自信を持たせられる気がした。
今までブログに自分のトキワ松学園時代を書いたことはあったが三木先生のことは初めて書く。自分が造形絵画を教えていた者としての立場で、三木先生のことはどうしても書かないといけないと思う。でも卒業してから同窓会やクラス会ではお会いするチャンスは無かった。友人たちと先生の話はした記憶は無い。
話は変わるが、私はブログの他にツイッターもたまに書いている。見ていると言った方が正しい。その中にミゾイキクコさんという方がいられる。86歳でお茶の水女子大学理学部卒。この方の存在が三木先生を確実に思い出させてくれた。
ツイッターではご自分の人生の歩み方を書きつつ、女性はこれからも好奇心や向学心を持って進んでいかないといけないと啓蒙している。かつての嫁姑の立場の悲喜こもごもとした様など。そして毎日の食事の写真を載せている。この間は朝日新聞に載ったようです。昭和の時代を生きてこられた大先輩として尊敬して読んでいます。その溝井さんの存在から三木先生を思い出した。先生は今お幾つなのか? どうしていられるか?ネットを検索してみた。
ウイキペデイアには名前は能村(旧姓三木)堆子。現在90歳。お茶の水女子大学理学部生物学科、東京都立大学生物学科卒を経てお茶の水女子大学理学部生物学科教授になられている。現在は名誉教授となっている。私が中学で教わったのはもう60年も昔のことになる。先生の教師人生の中ではたくさんの人と遇われているであろうから、私などを思い出すこともないと思われる。だから私から何らかの行動を起こすことは躊躇いがある。このブログに記するのは私のmemory記憶として書きたかった。
そして生物の授業の時間がその後の私の創作的な時間、花や生物への関心に多大な影響を与えたことを感謝している。そしてオマージュとしてここに記しました。三木先生ありがとうございました。
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