2020/09/05

トキワ松学園の三木先生(能村堆子)

最近中学高校時代のことを思い出すことが増えたのは何故だろう。大学受験する孫に進路について聞いたからなのかもしれない。

私は61年前に中学受験して目黒のトキワ松学園中学、高校に6年間通った。小学校4年の時に腎臓病になり半年間学校を休み、中学に行く時に母は公立の男女共学校では体力が大変ではないかということから、実家から近くのトキワ松学園に進むことを選んでくれた。碑文谷の丘の上にあり、のんびりした校風は私にあっているようで特に中学の3年間は学年3クラスしかなくフレンドリーな空気の中で勉学に励むことができた。

何故かこのところ急に懐かしさが募っている。それは孫が大学に向けての進路の話になり、私も自分の中高時代を思い出し、あの頃の気持ちを反芻したからではないかと思う。

たくさん出会った教師の中でも生物の三木(能村)先生の授業が好きだった。確か生物は午後の授業だった。印象に残っているのは花か葉をケント紙に描写することがあった。普通だとノートの中に書くのに特別にケント紙だった。ケント紙は画用紙と違い表面が固く滑らかで消しゴムを使っても毛羽立たず、鉛筆でもインクでも滑らかな書き心地がする。次に私が進んだ女子美短大造形科でのグラフィックや製図など作品提出はケント紙を使い、その時にかつて中学でのケント紙を使ったことを思い出した。一言でクールな使い心地というべきか。多分その頃は三木先生御自身がウニの研究の論文を書く上でケント紙を使っていたのではないだろうか? それを私たち中学生にも使わせてくれたのかもしれない。その当時は街の文房具屋でも、学校の売店でも売っていたのかもしれないが、私はそういうアイテムを知らなかった。

かつてあとりえチビッコではケント紙を使って折りたたみの絵本を作り子供たちに描かせていた。ケント紙は厚く滑らかなのでマーカーを使い、滑るように描ける。また両面で描いても透けて滲まない、筆圧の弱い子が描いても鮮やかに見える。子供たちに自信を持たせられる気がした。

今までブログに自分のトキワ松学園時代を書いたことはあったが三木先生のことは初めて書く。自分が造形絵画を教えていた者としての立場で、三木先生のことはどうしても書かないといけないと思う。でも卒業してから同窓会やクラス会ではお会いするチャンスは無かった。友人たちと先生の話はした記憶は無い。

 

話は変わるが、私はブログの他にツイッターもたまに書いている。見ていると言った方が正しい。その中にミゾイキクコさんという方がいられる。86歳でお茶の水女子大学理学部卒。この方の存在が三木先生を確実に思い出させてくれた。

ツイッターではご自分の人生の歩み方を書きつつ、女性はこれからも好奇心や向学心を持って進んでいかないといけないと啓蒙している。かつての嫁姑の立場の悲喜こもごもとした様など。そして毎日の食事の写真を載せている。この間は朝日新聞に載ったようです。昭和の時代を生きてこられた大先輩として尊敬して読んでいます。その溝井さんの存在から三木先生を思い出した。先生は今お幾つなのか? どうしていられるか?ネットを検索してみた。

 

ウイキペデイアには名前は能村(旧姓三木)堆子。現在90歳。お茶の水女子大学理学部生物学科、東京都立大学生物学科卒を経てお茶の水女子大学理学部生物学科教授になられている。現在は名誉教授となっている。私が中学で教わったのはもう60年も昔のことになる。先生の教師人生の中ではたくさんの人と遇われているであろうから、私などを思い出すこともないと思われる。だから私から何らかの行動を起こすことは躊躇いがある。このブログに記するのは私のmemory記憶として書きたかった。

そして生物の授業の時間がその後の私の創作的な時間、花や生物への関心に多大な影響を与えたことを感謝している。そしてオマージュとしてここに記しました。三木先生ありがとうございました。

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2015/03/25

豊田芳州 ネットギャラリー「沈黙の森から」

人生の相棒、豊田芳州氏がWebで写真展をしています。
「厳寒のざわめき」八ヶ岳山麓 冬の森からのレポート
今日3/25から3/31までです。
ご来訪頂いてもコーヒーもお茶もお出しできませんが、雪の森の中に迷い込んだような気持ちになるでしょう。
標高1400メートルの冷涼な空気をお召し上がりください。
「豊田芳州のTheme」

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2014/11/26

カラスの地震予知

長野県北部地震は震度6弱というにも関わらず怪我人のみで犠牲者が出なかったのは幸いでした。まだ余震も続いているので被災地の方々のご苦労が大変ですね。お見舞い申し上げます。

我が家ではあの時から愛犬ココの様子がおかしいのです。最近トイレ(小)に行きたくなるとお風呂場の戸の方に行って鳴いたり、ノックしたりするのですが、特にあの日ココは慌てて入り、シートに吐きました。吐いたものが赤かったのでビックリしていると、テレビの地震予知速報がピロピロンと鳴りました。その時私は犬を抱えて地震と吐瀉物の両方で慌てていました。あくる日も何も食べないので午後アリス動物病院に行って症状やその前後の様子を話しました。何らかのストレスがあるのだろうということになり栄養剤を打ってもらって戻りました。後からよく考えると、部屋の隅の方に行って以前遊んでいた骨のオモチャで遊んでいたので、それがお腹に傷をつけたのではないかとも思われますが、とにかく地震から落ち着かなくなったのです。近所の親しいワンちゃんと会わないので他の犬の様子が分からず、情報交換ができていませんが、もしかすると「動物の地震予知」「地震予知犬」じゃないかなあなどの言葉もよぎります。あれ以降とにかく落ち着かないのと余震も続いているので、それはココが何かを感じているからではないかとも考えられます。
ココは以前からてんかん発作をよく起こしたのですが、それは地震の前が多かったのです。ところが東日本大震災の半年前は全く何も起こらなかったのです。ですから地震予知が何時でもできるとは言えません。
話は違いますが、東日本大震災の時に私は確定申告をやり終えて、試験のあとの中学生のように映画を観に行こうかと思ったのですが、iPadで映画館の情報を検索すると面白そうなのが無かった、そこでまた他の情報にインターネットでアクセスしようとするが中々繋がらなかった。じゃー、しょうがない母の介護施設にでも行くかと、外に出ました。すると近くのゴミ捨て場の前を通るとカラスが急降下をしてきて私の目の前を横切った。顔にぶつかりそうな位だった。地震の後、あのカラスは私に地震が3時間後にあると教えたかったんじゃないかと思うようになりました。
それは今までにない程の危険な飛び方だった。

私は川上村の山小屋に行くと小鳥たちが飛んできて「餌ちょうだい」と言われるほど森の中ではセント・ニコラス的存在なのです。鳥たちともコミュニケーションが取れるという優しいおばちゃんって感じでしょうか。
その大倉山のカラスは朝のいつものお散歩の時にゴミ捨て場などにいて私が「悪戯するなあ!」と睨んだり「こっちに来るなあ!」ってマイナスなコミュニケーションも取っていたのです。私にとっては不快でもカラスはもしかすると話のわかるオモロイおばちゃんって思っていたかもしれません。だから東日本大震災の前に「これからたいへんなことがあるよ」と教えてくれたのかも知れない。と都合よく私は思っています。

ココの体調不良からとんだことに話が飛躍しましたが、前からそのカラスのことは書きたかったので、カラスに敬意を表しての題名にしました。

ココは去年も同じ時期に体調不良を起こしてます。もう13年8ヶ月の年で人間だと70歳位で、私より年上だ。前の犬のコロが亡くなった時に私はペットロスになり、我慢できずこのココを飼った。今度はもう諸般の事情で犬は飼えない。強い精神を養っておかないといけない。

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2014/07/19

新江ノ島水族館・ペンギンストーリー

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写真教室シャトロー会の撮影会に参加して、新江ノ島水族館に行ってきた。

夏休みが明日からという日のためか家族連れや保育園や幼稚園の子供たちは2組程来ていた。戻り写真を整理するとピントがぼけているものが多く、私がその場で感動したのは何だったのかと思う。芳州先生に聞くと、撮った写真の数が少ないのが、いい作品が撮れてないということになっているのだという。

そう言えば暗かったので中で写真を整理せず、まるで子供のように早く出口に来てしまい、お土産のぬいぐるみを物色した。我ながら恥ずかしい子ども帰りかと、いや赤ちゃん帰りかとネットで調べると、≪子供帰り、認知≫などの言葉が並ぶ。まずい。でもそれには訳があったのです。
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その前に水族館の展示がなかなか面白かったことをお知らせしたいと思います。海に波が押し寄せている設定があり、深い海の様子がぐるっとフロアごとに違ってくる。群れなして泳いでいるイワシの中にエイが羽を広げて泳ぐ様子、黄色い魚、青い魚、黄土色の海藻がリズミカルに揺れている。ガラスの面が凹凸になっていて魚の世界が広い世界から縮小した世界に早変わりする。幻想的なクラゲはいくら見ていても飽きない。海の中にこんなに珍しい造形をしたクラゲがいたのかと思う。その後の売店コーナーにクラゲのパンがあって、それを分解して食べていたおばあちゃんがいたのには驚いた。私はどんな味なのか興味も出たが、今回は我慢して次のコーナーへと行った。

≪ペンギンストーリー≫のショーがあった。ペンギンはまず、動作が可笑しい。ガラス越しに観ていると、始めはボ――――ッとしている。ところが水族館のスタッフの人が後ろに表れると『オシゴトダヨ、オシゴトダヨ』と落ち着かなくなった。そして手順が分かっているらしく、体の向きを変えて、ペンギンがその準備をし始めるから面白い。ご褒美の餌を食べすぎるといけないので個別にアジを何匹食べたか、お客さんに聞く。『さあ、今度は何色のペンギンが食べましたか?』と聞くと、観ている私たちがそのペンギンのリボンの色を『黄色!』『緑!』と答える。スタッフの人はメモにチェックを入れている。

フンボルト君は動きは素早い。ところが何匹か何もしないで後ろ向きの寂しいペンギンがいる。背中に白い毛が付いている。素早く動いているペンギンは黒々としている。それは今が換羽の時期で防水効果が下がってしまうために水に潜れないのだ。ということを戻ってネットで調べて理解できた。ちなみに換羽にはホルモンや繁殖などの生理的なことが深く関係しているようです。そして1週間ぐらいの期間しか換羽の時期はないそうだ。ちょうどレアな時期に遭遇したのでした。

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そこで、お土産のぬいぐるみのコーナーに行ったら、換羽の最中のようなぬいぐるみペンギン発見!私は家に戻ってからそのペンギンを手に持ち腕を大きくSの字を書いて海に潜って魚を採る様子をシューンとやると、なんだか元気が出てくるのです。シューン、シューン!
もう一度行ってみたい新江ノ島水族館でした。

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2014/03/11

ピラカンサ町の原っぱの廃止

私の住んでいるマンションの隣にある、≪ピラカンサ町のはらっぱ≫は3月31日で廃止となり4月からは保育園整備用地となるそうです。あとりえチビッコの子供たちがお絵描きを終えてから遊んだ広場でもありました。歴代の子供たちの顔が思い浮かびます。

そして今日、ココとお散歩中にアラヤマチナミさんのお母さんとお会いしたら、チナミちゃんが多摩美術大学に入られたと聞きました。どちらの学科かを聞き忘れてしまいましたが、小さい時に彼女の方向性を決めていたことにかかわれたことは指導者としてうれしいことです。おめでとう。

Mati_004 そして原っぱは最近ピラカンサがバッサリ切られて、悲しい感じがしていました。でも、大雪が降ればその重みで折れたりするよりはいいかなとも、考えて、時間の推移は仕方がないとも思います。夏には葛が生い茂り、ススキも生えて、カマキリやトノサマバッタ、コオロギまでが捕れる、子供の自由な遊び場でした。やはり、待機児童を減らすことが大切なのでしょうか。

そしてそろそろ私があとりえチビッコを終えてから一年が経ちます。まだ工作用の木の欠片も捨てず、描画材料や色画用紙も捨てずにあり、気持ちはまだコンティニューなのですが。

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2014/02/23

大倉山梅林と不思議なデジャブ感

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今日は大倉山梅林に梅見に行きました。東急東横線に沿って上る記念館坂が急斜面なので、アソカ幼稚園の脇を通るオリーブ坂から上っていきました。次女を梅林の先の山の上の緑が丘幼稚園に送っていった時のことを思い出したりしながら歩いていました。当時はうっそうとした雑木林だったところに今では新しい一戸建ての洒落た住宅が建ち、もうあの頃のようにツマキチョウはこの辺りを飛びそうもないような気がしました。春になれば飛ぶのかしら。飛んでほしいけれど。

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坂の上には、梅見の人が多く歩いていました。ぐるっと回って梅林の上に立ち、谷を見下ろすとお花見でお弁当を広げている人たちや写真を撮る人たちで賑やかでした。ここは今から60年前に鷹番小学校1年生の遠足で来ている。はじめての遠足だったからか、大倉山の駅の辺りの光景を覚えていてその後6年生最後の卒業前の遠足でもまた来た。その時、1年生で来た時を思い起こし不思議なデジャブ感を感じた。そして、その20年後にここに住み始め、娘を連れて幼稚園への坂を上る時に同じデジャブ感を感じた。縁ある場所なのだろう。今日は本気で写真を撮った。
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2013/11/29

クリスマスリース&山帰来&柊

Riisu 11月も最終週となり、あとりえ・チビッコをしている時にはアドベントのように子供たちにクリスマスの工作を指導していました。それはいつも怪我をしないように、どの子もその学年の力で出来るように、達成感が感じられるように、美しさを感じるようにということを念頭に試作を重ねていたのです。今年はもう、自分だけの満足感で良いと思っていたのと、特に計画もしないでいました。

昨日、お買い物に行く道すがら、庭師が入って剪定をしているお家があり、ちょうどヒイラギを切ってました。今までお絵描きでは子供が手がチクチクしそうなのでヒイラギは使ったことがなかったのですが、私は閃いてそのヒイラギをいただくことにした。そして駅の花屋でサンキライ(山帰来)を買って、ここ長野に来てリースにしました。今のところリボンがないので少し野性的な感じもしますが、飾ってみると何もない森には合っていると思います。Riisu2

残ったサンキライと樅の木、松ぼっくりでもう一つ作ってみました。先ほど、Facebookにipadで写真を撮り載せました。似た記事になりますがパソコンのvaioを使ってこちらのブログにも載せることにしました。

田園の誘惑に重なる記事ではありますが工作なのでこちらにしました。長野はとても寒いです。今朝はマイナス7度、我が家は薪ストーブではないのでほっこりとした温かさは無理ですがいろいろ工夫して温めています。

Yuuyake 初日の夕食は鍋物にしていますが、昨日はキムチ鍋でした。年を重ねると、日々の食事は健康の元になるので、一応気を使っています。このような過酷な土地に来ている時は、メタボも糖尿も若干の緩みを持って、がつがつ食べるようにしています。基礎代謝も多くなるのでね。 ガツガツ、パクパク、ワシワシ!

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2013/09/15

鶴見川にススキが無かった

2013年の中秋の名月が9月19日になるので、今週のLazooはススキを子供たちに描かそうと思っていた。私はあとりえチビッコで指導していた時にも、季節の行事を取り入れて課題を設けていた。

そこで、家の近所の《原っぱ》にススキを探そうと外に出たのだけれど原っぱは前日に区役所の人が来て草刈りをしてしまっていたんだった。一カ所だけにススキがあるはずだったのだけど、取り払われていた。

そこで、新横浜公園に行き、鶴見川の土手にあるススキを取りに行った。ススキだと思っていたが近くに行き、よく見ると違っていた。どこにもススキは無かった。ススキに似た草が生えていたので持ち帰った。山渓の《日本の野草》で調べると、ミチシバもしくはイナゴツナギではないだろうか。よく考えると5年前にはススキはあったと思う。夕日にススキの穂が揺れていた。写真にも撮っている。

仕方が無いので《雑草》という課題で描かそうとトイザらスに持って行った。ところが、Lazooではこの日には雑草を描こうというような、絵が好きな子で小学生以上の年齢の子は来なかった。iPadグルグルで遊びたがる2才から5才の子が多かった。そしてなぜか、この日はよだれを垂らす子が多かった。

私はあとりえチビッコをお終いにしてから半年が経ち、いろいろ断捨離をして落ち着いたせいか、つくづくと子供たちのことが思い出されてきた。なんだかまたもう一度少人数でもやり直してみたい気がした。
それと、長野の畑のススキを取り除くことがどんなに大変なことかを知っているので、鶴見川にススキが無くなったということ(新横浜公園辺りでということではあるが)は、あとりえチビッコへの私的思い入れよりも重大な気付きには違いない。

この最後のまとめを朝になって少し書き直した、台風の影響からか、ベランダの窓が軋む。ココが落ち着かない。

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2013/04/10

太尾堤緑道を歩く

Hanamizuki 大倉山の桜も一重から八重に移り、春は毎年急ぎ足だ。入学式も過ぎ、私があとりえチビッコを終えた3月13日から1カ月にそろそろなるのだが、気持ちとしては2か月以上に感じる。

部屋の片づけをしまくり、ゴミを出し、絵を描く事をして、といっても小品を7枚描いただけではある。そうそう読みがいのあったのがマークスの山・上下(高村薫)を読んだ。芳州先生の運転手で八王子に行った時の待ち時間に近くのブックオフで探した本だ。川上に行って枯れ草を片づけ掃除し、それと並行して≪田園の誘惑≫をどうするか考えた。

このような事を言っても、タレントのブログじゃないのだから、面白くも何にもならないのだけれど、同じ場所に長く住んでいるので知り合いは多いから、自分と知人の間のご無沙汰の時間を埋めるのには、ブログを見てもらうのがてっとり早い。フェイスブックも知人との距離を埋めるのには良さそうだけど、今は自分にはこちらの方が合っていると思っている。それこそタレント並みに「ブログ見てね」なんて軽く言っているから責任も感じてブログを書いている。
きっこのブログ≫や安部譲二の≪あんぽんたんな日々≫のように面白おかしく書くコツはその人間性からほとばしってくるのだろうから、まだまだ私には勉強が足りない。

そして、春の一日ダイエットのため、鶴見川に沿う土手と、太尾公園、太尾堤緑道を散歩した。デジカメでハナミズキの木を上から見て撮った。赤い花が蝶のようだった。考えるとめったに赤い蝶はいない。

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2012/11/16

落ち葉を描く@2012

Otiba_keyaki 落ち葉を子どもたちに描かせた。
その前日、マンション内のケヤキやサクラの高木を植木屋さんが来て切った。かなり高いところまで登って切る姿は、めったに見れないすごいことだ。
そのまた前の日には雨が上がった地面に落ち葉が着いていて

「ケヤキの木にはケヤキの葉が、百日紅の木には百日紅の葉が、桜には桜の葉が落ちていた。春には新緑の若葉が出て私たちを心躍る春のワクワク感をもたらした一枚の葉が、いろいろの変化を遂げている。私たちはどんな葉になっていくのだろう。」

Otiba_asumiOtiba_riho そんなことを考えていたらニュースで森光子さんが亡くなったという。享年92歳、母と同じ年だ。今私がこの記事を書いていると追悼番組が流れている。 そして私はこのあとりえチビッコのおけいこの中で子どもに日日を入れる時になって、その日が結婚記念日だということを忘れていた。42回目の結婚記念日。

Otiba_hirotoOtiba_manamiOtiba_reina_2あくる日の15日に2人で新横浜のつばめグリルに行った。後ろの席にあとりえちびっこのOG、下谷地さんが居たのにはびっくりした、きれいになって、相変わらずショートカットが似合っている。キャビンアテンダントの仕事で、シカゴとロンドン、時々日本とのこと。道理でナプキンをたたむ後姿が美しかった。彼女の登場でプラスの幸せな時間だった。

Otiba_rinOtiba_tomoya 子どもたちの落ち葉の課題は観察と美しさを感じることを主に指導した。

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