2014/06/18

パリからの手紙・写真を入れました。

ブログに写真をプラスしました。「パリからの手紙」@1から@5までに写真をプラスしました。時間が経っての変更のために記事に入れ込むことが出来ない様です。記事の最後に写真だけを入れてあります。小さいですがクリックすると大きくなります。
拙い写真ですが、異国の旅を苦労しつつ味わってきたつもりです。どうぞご覧ください。この後パリの総集編を載せます。それも見ていただけると嬉しいです。

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2014/06/13

食べたいものを作って食べる幸せ

パリにいてそれは正直に言えば、日本食も食べたかった。行く前に想像しているのとは違った感慨がある。
日本食の良い点は淡白な味であり、慣れ親しんだ醤油文化でもあり、上空から見える米の田んぼはご飯になる。次には大豆に表される味噌であり、豆でもある。フランスやドイツでは飛行機が降りてくるにつれて、牛が見えるのに代表される。牛乳であり、チーズであり、バターである。そして麦の広大な畑で表されるパン文化である。我が家でも最近は朝食がほとんどパンで、今まで週一のご飯食は最近では10日に一回になっている。それなのにやはりフランスに行って食事に不便だった。戻って来てつくづくと日本食の良さを感じた。そして自分が作ることができる環境に戻って感動している。なんてうまいものが作れるんだ。私ってなんて料理が上手なんだ。味は日本人に限ってのことではあると思うが。

戻って一番の夕食は鰻にした。車で15分の鰻をさばいて作って焼いている店に行って、ご飯を炊いて載せて食べた。そして戻って2日目の朝食は鯵の干物、納豆、きゆうりの糠漬け、お豆腐とネギの味噌汁、真っ白のご飯。昼はうどんのつけ麺。夜はお刺身とご飯、糠漬けと煮豆。戻って3日目の朝はパン食でコーヒー、クルミパン、サラダ、ハム。昼はランチ寿司、夜は野菜の煮物と手作り野菜餃子とご飯と味噌汁。そして4日目の今朝はもうパン食。昼はケンタッキー、夜はステーキ、トウモロコシ、ジャガイモの付け合わせにご飯。つまり食べたいものを食べたいように作ってこの4日間食べた。今回は途中でお腹を壊すというアクシデントに見舞われて、より強い日本食への 願望が出てしまったということなのだと思う。明日からは普通に、でも自分で作る楚々たる食事にします。

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2014/06/09

パリからの手紙@5→日本へ

2014・6・7(土)
パリの北に位置するシャンテイーで降り、バスでサンリスを目指して行く。シャンテイーはクリームシャンテイー(生クリームのお菓子)のできた町なので、本当はそれが食べたかったが来て早々のお腹を壊したこともあり始めから考えないことにした。パリの治安から夜について行動するのは危ないので引き算形式に時間を設定すると、サンリスには3時間しかいられないことになった。そこで、シャンテイーの駅前でバナナ2本とサクランボを買って食べた。サクランボには花がらが付いているほどに新鮮だった。2.4ユーロぐらいだったからすごい安い。
バスは郊外を進みレタスや麦の畑が広大に広がっていた。森の深さはまだ狼が潜んでいるんじゃないかと思うほどだった。競馬場はまた広々と続き、優雅な邸宅はバラの花を咲かせゆったりとした人が時々ピクニックをしていた。そして着いた街サンリスもローマ時代の城壁が所々に残りロマンチックな創りの教会があった。町のツーリストオフィースで日本人でフランス語が上手な人に会った。もう一度日本で会いたいと思う人だった。さよなら。ぐるっと回っても3時間では勿体無いほどの町だった。日差しがキリキリと輝いて、かなり日に焼けた。そして今度はクレイルという行きに止まった駅の一つ先の駅にバスは着き、また輝く日差しの中列車を待った。
こんなに黒人系の人たちが居るのかと思うほどにたくさんいた。しかも服は皆民族衣装を来ているのでここはフランスかと思うほどだった。4年前よりもその念が強いのは私がインターナショナルな感覚が失せて来たのだろうか。
戻ってからホテル近くの中華料理店で楚々たる食事。青菜炒めと餃子、エビチリと一杯のご飯これを二人でシェアする。

2014・6・8(日)
二つのパッサージュに行く。パッサージュ・ジュフロワとーパッサージュ・パノラマだった。ホテルからの道をまっすぐに大通りを渡り右に曲がって工事中のところが入り口だった。始めのパッサージュは絵画の画商の店が多かった。日曜日のために休みだった。一軒だけ空いていた店でカードを買った。以前素敵な帽子が置いてあったブチィックがまたあった。証券取引所から、地下鉄に入った。ラファイエットは休みだった。夜は中華のお店に行くといつもの女の子が一週間後に日本に行くと言っていた。期間は2週間だという。一期一会と心得よう。
夜中にココを預けているアリス動物病院のホームページを見ると返事のコメントが入っていて、ココちゃんは元気にお散歩して居るという。先生と奥さんとスタッフのお姉さんたちに感謝と伝えた。

2014・6・9(月)
さて今日は朝、お土産を買いにデパートラファイエットに行き、時間が遅く始まるのでかなり待つ。ホテルの周りは中国の方が多かった。店に入って、今度我が家の隣に越して来た4歳の男の子そうチャンのために飛行機のおもちゃを買いに行ったけど良いのがなかった。飛行場で探そう。自分のシャツとマフラーを買う。娘たちはお土産はいいと言っていたので買わなかった。なんだか寂しかったけれど。
そして今はシャルルドゴール空港スターアライアンスのラウンジにいる。生まれて始めてのラウンジにいる! WIFIが使えるのでここで送信しよう。
まだ搭乗時間にはならない。搭乗手続き前に座った椅子の隣にいた若い方と知り合ったが、錦織の撮影をしている芳州さんの後輩の真野君と仕事仲間の方と判明。なんという偶然。
さてここでこの二日間の記録を送信しておこう。戻るとまた日常があるので。

拙い私のパリからの手紙を読んでくださった皆様ありがとう。なるべく近いうちに写真を載せます。お時間があったら見に来てください。
メルシー・ボー・クー♬Image_19

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2014/06/07

パリからの手紙@4

2014・6・5(木)
朝はクロワッサンとコーヒーの食事、何時もの席をどうぞといわれる。

腰に絆創膏を貼って出かける。昨日寝過ぎたからかもしれない。オペラで乗り換えピラミッドで降りる。なかなか地図を読めなかったが、シャンゼリゼ通りが長いのだと理解した。途中のZARA・HOMEで鳥がデザインされているプラスチックのお皿を買う。テーブルクロスは希望のものはなかった。日本にも、ZARA・HOMEができているのだろうか。あまり聞かないけれど。皿などに昆虫や爬虫類が多くデザインされているのは私には嬉しい。
凱旋門を近くから撮ったが、工事中で少し残念。通りをくぐり凱旋門の真下に出る。いろいろな人の名前が書いてある。今度は通りをまたくぐって凱旋門の反対に行く。日本人のカップルが結婚式の撮影をしていた。最近はやっているらしい。日本語メニューのある店を発見し、入る。吟味してオニオンスープとトマトサラダ、芳州はサンドイッチ、ビール。これで私のお腹も治ってきた。
地下道の帰り道でまた、ロシア民謡が流れている。慌てて地下鉄の車内に乗り込むと、私の前に向こう側に行けない様にする小柄な男、そして芳州も同じ様に囲まれた感じで大柄な太った男、私は素早くエアロビを習っていた感じで飛び抜けスルーした。振り返って芳州さんを見ると「オットット」てな異常な感じで女も一人加わって囲まれている、私が手を差し出して引っ張り上げる。心の中で「私たち日本人を!なんだと思ってるー!」次の駅が来て彼らは降りて行った。まるで示し合わせた様にすぐに出口があった。芳州さんは懐に財布があったがカメラのストラップをしっかり持って居たので、結果的にガードが硬かった。二人してその異常さに驚いた。これで私の武勇伝が増えるのかもしれない。
帰りにmonopで水やおせんべを買い、夜はイタリアンのお店でサーモンのソテーや魚介類のフライを食べる。花屋で赤いバラの花を買う。

2014年6・6(金)
今日は予定を変えてオルセー美術館に行く。イルドフランス、サンリスは交通機関が通勤客でごった返すと思われるからだ。明日に変えた。昨日のスリの未遂体験が頭にあるので疑問の余地なく行動した。オルセーには2回乗り継いで行った。始めのコーナーで時間を使い、本来の印象派に着いた時には二人ともかなり足が重くなって居た。若い時から展覧会はハードなのだと思っているが、最近は特にそう思う。
幼稚園の年少グループが、簡単な紙に短時間で絵の模写をさせて居た、ゴーギャンの二人の女性がいる作品を描いていた。小学生の高学年の子供たちに先生が大きな声で説明していた。
昼は美術館内で簡単にした。そして、5階で、印象派の作品を見た。それが一番見たかった作品だったが足が重かった。ゴッホの特別展をしていたがもう足も疲れて失念。

夕食から戻ってくるとテレビでは今日がノルマンジー上陸作戦の日で延々と放送中。ニュースでは 《6日、フランス北西部で開かれたノルマンディー上陸作戦70周年式典会場のスクリーンに映し出されたオバマ米大統領(左)とロシアのプーチン大統領(ロイター=共同)》
日記を付けながらウィキペディアも読みつつ、映像を見ている。
今回パリに来る時に上空から見た美しい田園が爆撃され破壊されて行く。ドイツ軍の進行を食い止めるためなのだろう。そしてノルマンジー作戦が成功し、パリに凱旋する連合軍を歓迎するパリ市民、フランス国民の笑顔。
今日のこの日に来たことはもう一度深い意味を持つ。戦争は絶対にしてはいけない。


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2014/06/05

パリからの手紙@3

2014・6・3(火)
今日の目的地はカルナヴァレ博物館。行く途中で、以前果物屋を写真を撮ろうとしてカメラを向けているとお店のお兄ちゃんがすごい勢いでこちらに向かってきたので、カメラを見せて、「はい消しました!」とやったその店が、地下にもかかわらず木で固定された店になっていた。うつむいていて分かりずらかったが、あのお兄ちゃんだった。
また地下つながりで次の駅に行こうとすると、音楽が聞こえてきた。ポルシカポーレと力強く歌っている。人数は8人ぐらいで地下道にこだましていた。寄進をしてから、CDを持っていたのでそれを買った。その人たちも以前に見た。横浜に戻って聴くのが楽しみだ。セントポールで降りて地図を頼りにカルナヴァレ博物館を探す。学生の社会見学が多く、入り口で先生や案内人の説明を聞いている。荷物の中身を見たり、リュックサックを預けたり、厳しそうだが無料だった。貴族の館を改修して作った博物館で、道順が分かり難かった。藤田嗣治の名前がFoujitaになっている。確かに発音はそうだ。子供が犬と遊ぶ絵の、額の木の部分に犬のラベルが装飾的に付けてあった。よほど犬も子供も可愛いのだろう。
若い人向けのフランスガイドブックに出ていた中近東のお料理ハンバーガーを食べ、そのあとトイレに行きたいためにアイスクリームとコーヒーを飲んで帰途に着く。
夜寝てから急に腹痛を起こす。ビオフェルミンを飲んで寝る。朝は頭や足が重い。

2014・6・4(水)
今日は朝から雨なのでパサージュとデパートで過ごす予定。足の重さが気がかりだ 。Facebookが繋がった。窓の写真をいれる。
お腹を夜に壊して様子を見たが熱も出てきた様なので寝ていることにした。小学生の頃に腎臓病になって、ずっと寝ていた記憶が蘇った。雨だれの音がする。なんで石造物のホテルでこの様な音がするのか。窓を開けようと思うがそのまま寝るという様なことを繰り返し繰り返しボンソワール。
芳州さんは一人で午後遅くまで戻って来なかった。博物館に行ったという。ベーグルを食べたという。途中の駅で「スリがいるので気をつけてください」とまず日本語で、次に英語で言っていたと言う。日本人が狙われているのか? 日本人にすきがあるのか? 最後まで気をつけよう。
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2014/06/04

パリからの手紙@2

2014・6・1(日)
日本では奥さんと言われるがフランスではマダムと呼ばれる。今日は私の持っている服でも若干セクシーな黒のオーガンジー風のブラウスにした。マダムを意識するが、隙を見せずに、女性としての主張はしたいからです。
フランスの地下鉄は自分が行きたい先の終点の駅名を見定めて電車に乗る。私たちの最寄り駅カデは7番線で一方はlvryとvilleulf-Louis Aragonに枝分かれしている。そしてもう一方はLa Courmeuve-8 Mai 1945 という駅だ。その1945・5・8を調べると、フランスの終戦記念日ということがわかった。何となく興味深く感じて、今日地下鉄に乗って行って見た。予想外の所だった。地下で地図を見ると、お墓があって、学校が多そうだった。エレベーターで地上に出るとそこは中近東風とアフリカ風のバザールだった。浅草ほどの賑わいだった。残念ながら、あまり欲しいと感じる物はなかった。布地を買っている黒人のご夫婦がいたので、これはデイナーのテーブルクロス?と聞くと、ベット用の布だと言った。ご主人がサイトシーイングでパリにどの位いるの? 10デイズ。すると、リュックサックのファスナーを指差して、気をつけてという。そこでリュックを赤ちゃん掛けにした。親切な人たちだった。
そこからまたカデを通り過ぎてパリの中央部ノートルダムを目指して地下鉄をいく。シャトレで降りて橋を二つ超えてつまりシテ島を渡り、花市場と鳥市を見る。鳥を買って喜んでいる男性が多かった。そして私たちは目指す所を勘違いしていたことが判明。途中昼食をケーキとコフィーですます。川風が冷たく私の皮下脂肪も冷たくなった。目指した市庁舎ではテニスの中継はやっていなかった。広場に大道芸がいて、シャボン玉をスキーストックを使って上手に大きな玉を作っていた。子供たちに作り方を教えたり、いたずらそうな男の子が来るとたくさんのシャボン玉を作って、割らせていた。2度、寄進をして、いいジョブしていますねと言い、帰ろうとするというと、あなたもやって御覧なさいよという。一度は失敗したが、もう一度挑戦すると、長く大きなシャボン玉が出来た。面白かった!
橋の上のジャズの大道芸も良かった。風が寒くホテルに戻る途中に花屋を見つけ黄色いバラを買う。そこからぐるっと回ると、近くのユダヤ教会で結婚式が執り行われ、今まさに新婚旅行の車がきて、花嫁が乗る所だった。あの場面は何度見ても良い。幸せになってねー。相手には言葉は分らないのに日本語で叫んでいた。一休みしてから、近くのピザ屋に夕食を食べに行った。
所でFacebookはいつもと違う所からアクセスしているのでパスワードと自分が知っている回答を求めるのだけど、間違っていて繋がらない。Twitterはいつもどうりに出来る。
そしてホテルでいつもどおり薔薇の花を描く。

2014・6・2(月)
今日はやはり良い天気なのでエッフェル塔に行くことにした。前回、シティーバスで通り過ぎて写真を撮ったが、ちょうどエッフェル塔を撮る段になって、電池切れになり、「ああこういうことはまたエッフェル塔に来て欲しい運命だからよ」と勝手に解釈して、お絵描きの子供たちに何度も話して「先生何回言うの」と言われたこともある。エッフェル塔に近い都下鉄の駅トロカデロで降り、階段を上がり逆光の中のエッフェル塔を見た時は嬉しくて自分の眼の中にくっきりと写しこんだ。芳州さんがCAPAの創成期に人の手に建造物を乗せる遊びの写真のページをよく作ったが、観光客が皆その手の遊びをしていた。ところで、芳州さんは写真雑誌の創設にがんばっていた。私がこのブログで言うのもなんだが、日本の若者の写真の発展に、芳州さんは多大な貢献をしていることを知っている。私だけが知っていることになるかもしれないが、CAPAが出る前に若者向けの写真雑誌は少なかった。いつでも世の中は肘を張ってしゃしゃりでる者が得をしているが、私だけは彼を理解し、尊敬し愛してる。こんなことを考え始めたのはもしかするとエッフェル塔の下を通って脳みそがミキシングされたのかもしれない。

フランスの旅の本に出ていたお弁当屋に寄りセットを買う。地下鉄でホテルに戻り夜のコンサート(マドレーヌ教会)のために仮眠を取る。かなり怖い夢を見て目が覚めた。勿論攻撃的な夢だが私が勝った。この旅の緊張感がこの様な夢を見させたのだろう。本心は至って優しい! 5時間は寝たような気がしたが実際は1時間ほどだった。また支度をしてマドレーヌ教会へと向かう。チケットを買ってから時間があったので、C&Aが近くにあったので探していた青のセーターと男物ハンチングを買う。どちらも安いけれど私に似合っていた。
コンサートは《アベマリア》《分らないが有名な曲》《ビバルデイの四季全部》をバイオリンとコントラバスで演奏した。8時から9時半位までで、荘厳な教会堂の中で聴くことができた。バイオリンの奏者がカッコ良かった。
オーケストラの名前は《Les Violons de France》CDを買ってサインをしていただいた。
帰る途中地下鉄の中で胸をはだけ乳房を出したおじいさんがお菓子を食べていた。パリは何でもありなのだ。
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2014/06/01

パリからの手紙@1

2014・5・30(金)
飛行機内で観た映画はミケランジェロ・プロジェクト《The Monument Men》だった。ナチスに盗られた美術品の奪還のために動いた兵士ではないが戦争に参加した非軍人7人の物語だ。
そして飛行機は無事飛び立ち11時間半ののちにパリに着いた。シャルルドゴール空港からタクシーでホテルに着くまで、パリの北駅付近は労働者と思える人たちがたくさん居た。右翼の政党が伸してきているフランスでは他民族の人たちは今までよりも仕事がしにくくなっているのだろう。いつもの光景と違っていた。車の運転手は黒人で、アフリカ1と言う放送を聞いて居た。ボコハラムのニュースも流れて居た。4年前に泊まったホテルは11区で、今回は9区なのでいくらか近かった。渋滞があったがナビを見ながら運転するので不当な回り道はしていないと分かる。ホテルは螺旋階段を廻って2階の奥、カード2枚を渡されたので基本的には別行動ができる。私は今回しないつもりだけど。
ドアを開けると赤いカーテンが下がり、窓辺には飾りのフェンスが見えた。第一印象が大切なので、落ち着いてからスケッチする。

2014・5・31(土)
身近な地下鉄の駅カデから束の切符のカルネをカードで買う。3つ先のオペラで降り、マドレーヌ花市に行く。2軒しか空いていない。ぐるっと回って教会の前に行くと花がたくさん植えてあった。中に入るとやはり荘厳で気持ちの落ち着く教会だった。蝋燭に照らされたマリア像は宗教を特別持たない私にも膝まづかせるほどの美しさと心の安らぎを持たらす力がある。モーツアルトレクイエムの宣伝がいたるところにある。夜にコンサートがあるらしい。今日は足慣らしの日なのだ。慣れないうちは危ないことはしない方がいい。オペラ座を通り見上げると空の青さが眩しい。
昼近くになったので戻る道すがら《マドレーヌ7》と言うカフェで食事にした。日本語で今日のオススメはある?と聞くとメニューを示してくれたので17ユーロを指差すとローストチキンとフライドポテトとサラダと言う。OK、メルシー!前席にとも君と長女位の同年代の親子が一緒に食事をしている。お母さんのマニキュアの赤が綺麗だった。オレンジ色のパンツを履いた男性が目立つ。やはりフランスは男女ともおしゃれのセンスがいい。後からのコーヒーと一緒で40少しなので、42にしたら?と言って払う。
そしてこの食事の後ですれ違った中年のおじさまが若い女の子を3,4人従えてオレンジ色のパンツとグレーのハンチングで歩いていた。そのセンスの良さに心惹かれてカメラを向けかけたが、あまりにはしたないと辞めかけたが、以前も似たような経験があり、後で後悔したので、今回は彼らが角を曲がってから追いかけ後ろから写した。始めにすぐ写すより怪しいかもしれない。
パリは朝の気温10度位、昼が22度位。メルシー!
そして芳州、恵子の二人旅は続くのです。これから終戦記念日1945・5・8と言う駅に向けて出発!

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2010/07/10

「手」・フランス彫刻にオマージュを込めて

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にぎりあう手、からみあう手が 愛してると言っている

ささえる手、ひきよせる手が 愛しなさいと言っている

あわせる手を見つめていたのは 愛を知らない時

あわせる手を再び見つめているのは今の自分

長い時間は生身の手を斯くも老いさせている

手の向こうにある長い時間と

手のこちらに続く未知の時間が

血脈となって音を立てて流れている

いましばらくその音を聞いていよう

France_5cFrance_5dFrance_5e「手」 豊田惠子

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2010/07/04

Paris & Provins (Ile de France)の旅・Ⅳ

≪プロバンで出会った子供たち≫

パリの周りにはイル・ド・フランスという観光都市がある。その中の一つに中世の城壁が残っているプロバンというところがある。南フランスのプロバンスとは違う。パリの東駅から1時間10分ほどで着く。

France_4h パリから20分も列車に乗ると付近は菜の花や大麦、小麦のおおらかな畑が広がり始める。私たちが泊るホテルと思っていたのはいわゆるシャンブルドットと言われる部屋数が少ない、オーナーの家の部屋をホテルとして提供している場所だった。のちに知ったことではあったが、夫妻は歯科医で娘は東洋に結婚して住み、息子は二人まだ独身と言う、そして奥さんが趣味で絵を描いていて、庭にはあとりえがあり、サクランボがFrance_4g 実り、鳥たちが庭に憩い、大変裕福なおうちであった。私は山盛りのサクランボをいただいて、お礼の言葉を言ううち、私は子供に絵を教えていると話した。今まで言ったドイツのいろいろな都市の説明をした。英語が通じたけれど、私の語学力がもっとあれば、もっと楽しく過ごせたと感じた。

町の城壁に沿って歩き、街並みを見ることは楽しかった。坂や石畳を写生をしていて楽しくなった。中世の劇を城壁を舞台の後方に置いて演じるのをFrance_4f 見た。近辺の小学校の生徒たちが遠足に来ていた。私の隣には5歳くらいの子供がママと見ていて、真剣になって怖がっていた。子供たちや外国人にも分かるような筋立てになっていて面白かった。

塔の写生をしていると男の子が何してるの、と聞くので、スケッチブックを見せてあげると、そばに来た。そこは4人も来たら、転がり落ちそうな小山になっているところだったが、遠足の子供が次から次へと見に来て、私は危ないので、さあみんな下に降りてと促した。そして塔の見学を待つ椅子の所で、日本の折り紙の鶴を折ってあげた。すると一人の子が「オリガーミ!」と言って、知っていると言った。そこで3回ほど折ってあげるうち子供たちは私に興味津々になってしまい、15、6人の子供たちに取り囲まれてしまった。

France_4bFrance_4d自分の名前を言う子、マイケルジャクソン知ってるか?あなた何て名前?とかが出てきたと思う。多分彼らはフランス語で聴いてきたのだから。私はまるで百済の人と話す聖徳太子のように、一度に3人の子の話を聴いていた。凄いコミュニケーションだった。私はジャパンは日本と漢字で書いて、日は丸に点から始まって太陽だと象形文字を説明してあげた。子供たちは興味津々、また私の名前はケイコと発音して、漢字で恵子と書いた。子の字は子供と言う字だと絵を描いて教えた。

France_4c鶴を折る間、子供たちががぎゅうぎゅうくっ付いてくるので、子供たちに「スールポン、ダビニョン、ロンニ、パス、ロンニ、ダンス、」と歌ってあげた。一人だけ分かってついて来てくれたが、あまり続かなかったのは私のフランス語がひどかったからか、それともその歌は日本で言ったら「オドンマ、ボンギリボンギリ、ボンカラサキア、オラント」みたいな、もう子供が歌わない歌なのだろうかと今になって思う。

また、他の歌も歌った。「スユーラシエルド、パリ、モナムールシャンソン、ウーウー」。あの、笑わないでください。凄い一生懸命だったんですから。子供たちは二人ぐらい大人っぽく歌う子がいた。ちらっと見たら、シャンソン歌手みたいだった。そうして恵子ちゃんは小さい時にお母さんに教えてもらう折り紙の鶴が折れないと、泣き出してくしゃくしゃに丸めていた子が、青い目のフランスの子どもたちに折り紙を教えていたのです。

France_4a アッと気が着いた時には移動の時間のようだったので、「あなたたちの先生の言うこと聞きなさい!」なんて言って。でも先生たちからはメルシーって言われていたと思う。子供たちを興奮させてしまったけど先生たちも私には好意を持ってくれたと感じた。違うかな!変なおばさんと思われたかな? 子供たちと一緒の写真を取ってくれた。

まあ最後に私もやっちゃたんだけど、「マイケルジャクソンを知っている?」と聞いていた子が、別れ際に私にムーンウォークをして、最後に手を前に合わせたので、私も、クルット廻ってやってしまった。そこを男の先生がにこっと笑って見たのです。しまった!完全変なおばさんになったかも。

その時芳州先生はその塔に登って写真を撮っていた。ホテルにFrance_4e 戻ってその話をすると、「恵子が映っているかもしれないね」 ズームしていくと、居ました、居ました。一丸となって黒く固まっていた。ところで一人、フランスの子供の中に日本のカホちゃんに似た子がいた。どの子と言わなくても、あとりえ・チビッコの子は分かりますね! 一番下の写真の子は別の場所のバラ園で出会った子でIMAGINちゃんと言う子だった。

プロバンで出会った子供たちはどの子も可愛く、元気だった。

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2010/07/02

Paris & Provins(Ile de France)の旅・Ⅲ

≪美術館と砂糖と地下鉄≫

France_3a_2 ルーブルでは、日本語の説明をイヤホーンで聴きながら歩いていた。耳元から聞こえる声の女性がこの春突然亡くなった久米佳子さんの声に似ていた。始めて聞いた時、声の甘い響きがとてもよく似ていたので、胸がドキッとした。15年前、ドイツ旅行中にフランスにいる彼女に電話して、びっくりさせたことがあった。こうして私がフランスに行ったことを、もう彼女とは話すことがが出来ない。彼女はまわりの友人にフランス語の発音は完璧よと言っていたと聞いた。

ルーブル美術館では作品よりは作品鑑賞をしている人の中に一人、とても美しい人がいた。黒人(ブラックパーソン)の女性で、朱に近い赤のドレスを着ていた。どうしようかと考えて、追いかけて写真を撮りたかったが、人混みがしだいに逆流してきて見失ってしまい撮れなかった。あまりの混雑に、モナリザを見に行くこともしたくなくなった。それよりは紅いドレスの女性こそが現代のモナリザではないかと思った。ドレスや体の線の美しさ、作品を見る目線、同行していた男性との何気ない仕草が大変美しかった。これが何故か、と思うのだが、黒いから美しいのだと気付いた。「Black is beautiful」は黒人民権運動の標語だが、私もそう思う。また違う意味合いがあるのだが。日本に戻りたまたま、病院で隣り合った黒人の赤ちゃんを連れている日本女性に聞くと、ご主人はセネガル出身でフランス人とのこと、セネガルはパリダカールラリーのダカールが首都だ。

日本に戻ってからウィキぺデイアで調べるとフランスはたくさんの植民地を持っていた。それに関しては生活上のことでうなずけることがあった。私たちは旅先でも多く野菜を採りたいと、スーパーに行き、パック入りの野菜を買い、塩とレモンを買った。その時塩のそばにフランスの砂糖が売っていた。日本で買うと結構な値段の無漂白のブロックの砂糖が大変安かったと記憶している。戻ってから植民地を調べると、納得できた。砂糖を生産するカリブ海のハイチなどが含まれている。我が家では時々、輸入食品店でオウムの絵の描いてある箱の砂糖を買うのだがそれも確かフランス産だ。それと時々食するジャムの中にはフランス産が多い。このようなことから納得できる。生活上の疑問を調べてみるとそれからそれへといろいろ広がり、社会科も面白くなる。

ルーブル美術館では≪ルーブル美術館の秘密≫をビデオで見ていたのも鑑賞を親しくさせ ることが出来た。特に彫刻の部屋を垣間見た時、まだまだあの作品の欠片の群を合致させるのに費やす時間を考えると、とてつもないことだと感じた。そのあと、ルーブル近くの喫茶店でコーヒーとケーキを食べた。大変おいしかった。もしかすると有名なお店かもしれなかった。そのあと、もう一つ出来事があった。

France_3f_2 地下鉄を降りていくとそこには切符販売機がなかっ たので一瞬どうしようかと考えていると、男の人が近づいてきて、切符をあげるというが「ノー」と言って別の入り口まで歩いて行くと、後からその人が着いて来てまた、窓口で買おうとすると1,6×2=3.2なのを3€で良いと言う、ちょうど小銭を3€出しかけだったので渡して切符を貰うと、どこからか少年が出てきて大きな声で「マニ!マニー!」と言ってきた。体に触るように着いてきたので、大きな声で「ノ―!」と言ってその場を振り切った。あとで振り向くと男の人がいいからいいからと男の子を慰めているようだった。そこで、なんだ、結託していたのかと気付いた。そして、別に0.2を渡しても良かったんだと気付いた。その日のその時間はまだ学校がある時間だと思うから、学校に行かずにそうした仕事を少年がしていたのだと気付いた。私たちはパリの地下鉄を少しでも労を多くして乗ろうと考えていた。13日の間に切符の買い方はうまくなった。そこで起きることを楽しんだ。時には日本人が説明してくれたし、またドイツ人の家族が買うのに悪戦苦闘していたのも見た。10枚束で買うより、一回一回楽しんで切符を買った。その中にそういう出来事もあったのだ。

また多くの若者がその改札口を切符を通さずすり抜けたり乗り越えたりしてスリルを楽しんでいた。日本でも暴走族が高速の出口を強行突破するのを見たことがあったが、東横線の大倉山駅をジャンプしてすり抜ける若者は見たことがない。私たちがパリの中心部の見学をしていた時は観光バスから多くのパトカーや白バイ(フランスでは違う名称だろうが)とすれ違った、ホテルに戻って見たテレビには日本で見るBSのフランス2の司会者がプーチン首相と対談していたので彼の警護のためだったのかとも推量した。

France_3b_2 結局ルーブルではあまりにたくさんの作品群で戦意喪失気味になった。かえってロダン美術館やギュスタブモロー美術館、カルティエ財団美術館の方が落ち着いて鑑賞出来た。 カルテイエ財団美術館では、ビート北野武のFrance_3d_2 France_3e_2 展覧会が行われていて、子供たちに音を聞かせてそれをどう感じるかを絵にするという試みをしていた。私も子供の順番に並んで作品を描いた。

ギュスタブモロー美術館はフランスの古い洋館であり、そこにはいるだけで、歴史の匂いを感じることが出来た。そのあと坂道を北へ北へと歩いて行くとムーランルージュがあって、化粧の濃い人がいっぱいいた。もっときつい坂道を上がっていくと、サクレクール聖堂があって、だれもがパリに行ったFrance_3c_2 証拠のように写真を撮る、階段のスポットがある。実は私もそこで写真を撮ってもらいたかった。ミーハーな願望だったが、このたび実現された。サクレクール聖堂は太陽が強くてくらくらした。坂を一気に下りてから地下鉄に乗る前に コーラを飲んだ。

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