「イヴリー・ギトリスと素敵な仲間たち」 を聴いて
昨夜バイオリンのコンサートに行った。
「イヴリー・ギトリスと素敵な仲間たち」 Ivry Gitlis and friends
その仲間の一人は私たちと思わぬところで知り合った、小川英知香さんと言う人だ。彼女は私たちが2004年6月にドイツ、フランスの旅行中にストラスブール駅構内で、ドイツのメーアスブルグまでの切符を買おうとした時に苦慮していた私たちを助けてくれ、フランス語で通訳して下さり、無事に切符を買うことができたというご縁である。
昨日の演奏会は発展途上国の子供たちのためのチャリティコンサートであった。 11月3日に、もう本日であるが、東京文化会館小ホールでの「イヴリー・ギトリス バイオリンコンサートリサイタル」がある。
昨日の小川英知香さんの演奏はサンサーンスの序奏とロンド・カプリチョーソだった。私にはストラスブール駅構内での切符の買い方の心強かった思い出と今回のバイオリニストとしての演奏を見ることで、あらためて彼女との出会いをうれしく思いつつ聴いた。
87歳で精力的に演奏されているイヴリー・ギトリス氏とその弟子木野雅之氏による「バルトークの二つのバイオリンのための44の二重奏曲より」が私には面白い試みのように感じた。≪二つの村からやってきたバイオリニストが即興で演奏している風≫なのだ。つまりヨーロッパのマルクト(市場)で流れる音楽のような構成にしていた。もちろんそれは例えであってコンサートであるから格調高いものではある。
後半はギトリス氏を交えてバイオリニスト6人とチェリスト2名でのメンデルスゾーンの曲を演奏し、最後のアンコールの演奏になった。夫は曲名を教えてくれたが、私は申し訳ないが忘れた。でも曲は標題音楽(月光や熊蜂の飛行、展覧会の絵)ではなく絶対音楽(純粋に音の構築物として提示された概念)だそうだ。失礼なことですが、私はクラシックがあまり分かっていない。クラシックを好きな夫が部屋で流しているCDを感覚的に自分の好みで、時折耳を傾け聴いている。その程度の者があえて言うのもおこがましいく、身の程知らずで、僭越ではありますが、曲が意味する世界を感じることができた。曲名は知りませんが。
≪若者が外部の世界との研鑽そして闘争を繰り返しながら、壮年となり理想や真実の世界の頂点を極める。いくども波が来て、それは安らかな平安の世界もある。平和な幸せな時間も流れている。だがまたしても真実の世界へと漕ぎ出す。がやがてかつての壮者は年老い、まるで、コオロギやバッタのように死に近づき草原に朽ち果てていく≫
メロデイーを口ずさむことができない曲だったが、私にはまざまざとそう感じることができた。生まれて初めての遭遇といってもいいクラシック鑑賞での経験だった。
それは年老いたギトリス氏へのお弟子さんたちの尊敬し慕う気持ちがあり、また弟子たちへのギトリス師の慈愛ある眼差しが遠くからも感じられたからだと思う。それがあの難解そうな曲をこの私が感じ、察知することができたのかもしれない。
それと、私が年老いた人たちのことを身近で見てきた経験が音楽の意味を深く理解しえたのかもしれない。久しぶりに生のクラシック音楽の良さを感じた日でもあった。最後にギトリス氏が英知香さんの3歳のお嬢ちゃんを舞台に呼んだが、ママである落ち着きと慎みに満ちていて輝いていらした。





























































今回のドイツ滞在中ずっと天気が良かった。着いた夜に雨が降り、帰る日にバスで走る時雪が舞った。

ミュンヘンから電車を乗り換えて50分程のところにある、ランズブルグ(レヒ川)にも行った。
レヒ川は水量が多く豪快な流れだが日本の川とはまた少しニュアンスが違う。町を守り、川の美しさも守り、橋も作りすぎていない。ちなみにライン川下りをした時にもそう感じた。フランクフルトの1、2駅先のマインツを通るライン川には2本ぐらいしか橋は無かったと思う。日本で言ったら東京に近い隅田川にはもっとメチャクチャ橋が架かっている。ドイツは美を優先にしているし、自然を大切にしている。


























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