2016/02/08

過去ログ再登場! 私は今ここにいます。Gengenbach!

過去ログ再登場 。アクセス解析にこの記事が載っていました。2009年2月20日の記事です。懐かしくて堪らないので、皆さんにも再び読んでいただきたくなりました。ドイツのゲンゲンバッハのライブカメラが町を写していきます。7年前のことです。特に最後の方の「ココです」を絶対クリックしてね! 【私は今ここにいます。Gengenbach!】

私たちはドイツの黒い森のゲンゲンバッハ(Gengenbach)にいるでしょう。ファスナハトというお面を被った鬼や面白い人の面を付けた行列が続くお祭りを見ているでしょう。簡単に言えば日本のなまはげのようなもののようです。

出発前にはそのゲンゲンバッハの市庁舎の前の広場をインターネットでWEB CANという映像で見ていました。同じ時刻で映っています。しかし時差があるので、日本が昼間ならあちらは夜です。椅子に座っている人もみえます。雪の路面を滑らないように歩いている人もみえます。私が初めて見た時は大きなトレイラーがいて、材木を積み下ろし、そのあと見た時は広場に小屋ができていました。飛行機で13時間かけてつく場所が同時にパソコンで見えるなんて感動でした。

そこで私のちょっとしたいたずらな心がおきました。

ドイツ時間の2009年2月22日午後2時2分、

日本時間の2009年2月22日午後10時2分。

私は市庁舎前にいて日本の皆さんに手を振ります。「えっ、この日が何かの記念日なのですか?って」いいえ、何の記念日でもありません。覚えやすい日ですしその時刻が日本時間とドイツ時間で合わせやすい時間だからです。そしてたぶん広場に太陽がある時間だからです。ネット上で見る前に何かの手続き画面が出る場合もあるので、事前に見ておいたほうがいいでしょう。

たぶん、手か、ハンカチーフを振りますが、お祭りの最中で人ごみの中で分かりにくいかもしれません。5分間は手を振ります。それ以上することは少し怪しいと思われてしまうといけないので、WEBCANのカメラの方を見たいと思います。そしてKeicoco先生がいたと思う方はブログの方もクリックしておいて下さい。

とにかく私はいつでもドイツに行くと心に「日本代表」の日の丸のゼッケンを付けて行動しています。通訳もいないけど、ドイツ語もアウフビーダーゼンくらいだけど、英語もヒヤリングがやっとだけど、がんばっています。疲れるのなんのって!多分ね。

それなのに!今回、日本の中川財務大臣のイタリアでの醜態は、本当に本当に!恥ずかしいことです。ですから、ゲンゲンバッハがワインの産地で私たちはグラス一杯飲んだって、顔が曲がったり、目がうつろになったりしないように頑張らなきゃいけません。それって大変だと思うけど公人としては当たり前のことです。ましてや国の大臣ならば!話がそれちゃった。

ゲンゲンバッハの映像はココです

先生がんばっていってきます。(2009年2月18日記)

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2015/10/02

横浜オクトーバーフェスト

Octoberf2
芳州先生の写真教室シャトロー会のお仲間と一緒に赤レンガ倉庫で始まったオクトーバーフェストに行って来ました。ドイツに行ったときに美味しかったパウラナーが飲めたのが今日の収穫です。

Octoberf3本来は撮影会でしたが、ビール好きな私たちが楽しむ会になったようです。足元が暗い時間になりましたが横浜の夜を楽しむことができました。

最近は天候が爆弾低気圧などという激しい気象情報があるので、年を重ねると外出にブレーキがかかり易くなります。困ったことです。けれど、今夜はお仲間の方たちがいらっしゃるので心強く外出ができました。叉、風なども涼やかで、ドイツのミュンヘンを思い出しました。

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2013/01/18

シャガールを模写するbyキッズ

Chagall_asumiChagall_hirotoChagall_manami 左からアスミ、ヒロト、マナミ。

今回は去年行ったドイツのツエレで買い求めた「kunst-malbuch Marc Chagall」という本を元に指導した。画家の絵の一部分(デイテール)を線画に直してあり、それを自由に模写し描かせた。つまり高級な塗り絵と言える。

Chagall_reinaChagall_rihoChagall_rin
左からレイナ、リホ、リン。

日本の岩崎書店の「名画の秘密をさぐる・シャガール」の本を菊名図書館で読んでもいたが、丁寧に落ち着いて読んではいなかった。その内容を次回子どもたちに説明をする。模写した作品は1933年の「孤独」と1938年の「エッフェル塔の夫婦」などだ。

Chagall_tomoya 左はトモヤ。

描いていて子どもたちが疑問に思ったあの乾電池のようなものは、ユダヤ教の経典の巻物だった。子どもたちが疑問を持ちながら絵を描くことは、絵の記憶が強くなる。

ユダヤ人であるシャガールがロシアのユダヤ人居住区で親戚の音楽好きのおじさんたちと暮らした事や、パリに移り住み、詩人たちと暮らしたことや、ナチスに追われてアメリカに行き、また戻るという事と、教義で肖像画を描いてはいけないユダヤ教を離れて、キリスト教を信じ、聖書の場面を挿絵に描いた事などがあった。また奥さんのベラを愛していて、それらがすべて絵の材料にもなっている事がその本には書いてある。

そして実は私は暮れからずっと、「ヒトラーの秘密図書館」ティモシ―・ライバック著(文芸文庫)を読んでいた。ヒトラーは画家になりたくて美術学校の試験を受けて落ちたという経歴もあるのに、芸術関連の書物はその残された蔵書館には無かったという。ある説によればアメリカ軍が持ち去ってしまい真偽のほどはわからないらしいが。シャガールはすんでのところでアメリカに逃げる事が出来、命を奪われずにその後99才(1998年)まで生きて世界中に感動を与える絵やステンドグラスを描くことが出来た。

ドイツを旅している時に入った本屋でこの本(kunst-malbuch)を見つけ子供たちに今回、試すことができた。子どもの空想を刺激するようなシャガールの絵はとても良かったと思っている。描画素材が色鉛筆とク―ピーのため、若干迫力に乏しく少し残念ではあったが。

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2012/12/13

クリスマス工作@2012≪森の中の小さな家≫

Morinoie_tomoya2 12月に入り、教室では子供たちにヨーロッパのアドベントのように工作を教えていた。今年も去年に続き森の中の小さな家であるが今回は円錐の木と雪に似た細かい石を使った。家はその木のサイズに準じたのでかなり小さい作品になる。昨日2回目で出来上がった。

その家を想像するために、「英国のカントリーサイドーさまざまなパブ・イン、民家や町並みー」写真・増田正(1990年集英社刊)を子どもたちに見せてすすめた。「私がドイツに行きたい」という気持ちの原点になっているかもしれない本だ。イギリスでありドイツではないが、昔この本を本屋で見つけた時から総じてヨーロッパをこの写真のイメージで想像し憧れていた。子どもたちにはドアや窓枠、壁、屋根の色の美しさを写真を見せながら話した。そして、いつかヨーロッパに行くことが出来て街を見たとき、先生が言っていた意味がわかるとも話した。そのような希望を持ってほしいともしつこく言った。

私は工作の試作を作りながら、2006年12月に行ったドイツ、ランズベルグのクリスマスマルクトの情景を思い出していた。子どもたちは作品を作り、写真を自分で撮らせた。大人の手のひらに載るほどに小さい作品だが、延べの時間でいうと、5時間かかった子もいた。そういう作品は印象にも残るし、結果として楽しい作品になったんじゃないかと思う。

Morinoie_hiroto ヒロトは全くマイペースで作っていった。ビルやはためくポールがはちきれんばかりの世界に広がっていながら手のひらサイズに縮小されて乗っている。ちょっとだけ手伝ったのは旗の布を切るくらいだった。Morinoie_reina1
レイナはイギリスの写真をみて、小さな家々の窓を工夫して描いていた。 誠実に真面目に取り組んでいく姿勢は私の小さい時に似ている。
Morinoie_riho リホは自分が住みたい家を決めて、最後に鳥の巣を作って楽しんで作っていた。昨日は他の子より早く来て、クラスや学年の中の問題点を指摘しながら作っていった。彼女は以前「リホが虐められないのは体が不自由なことがあるけど、知的な障害は無いからだと思う。」とか「ハハハ、先生、リホが体が不自由って言っても、みんながまわりで心配するほどじゃないよ。生まれた時から慣れているから全然大丈夫よ。」こんなことを言う。あの夜、芳州に話しながら泣けてきた。お母さんと時々お父さんが送り迎えをして、教室に来ている。
Morinoie_asumi1 アスミはまだ1年生なのだけど、工作も絵を描くことも好きだ。そして教室の中で一人っ子を解消しながら物づくりを楽しんでいる。レイナがお姉さんになり、アスミが妹になっている。Morinoie_manami_2
マナミはクリスマスの作品は何回も作っている。自分流に考えて屋根の色を赤く塗ってから雪を付けた。最近年頃なのか口数が減って寂しいが、おばあちゃんを大切にする心優しい子だ。
Morinoie_rin1_2リンは作品を作ってから写真の撮り方が上手だった。不思議な教会も作った。昨日は遅れてきたので、少し急いで作らせました。

トモヤ
は私の作品を撮って、このほうが良いよと言った。本当に住んでいるみたいなアングルから撮ってくれた。森の中の工場や他にも一つ一つを丁寧に作った。この年頃の男子Morinoie_tomoya1にこのような、作品に取り組ますのはめったにないことだ。だがいずれ家庭を作っていく人間には大切なイメージ作りでもあると思う。
Morinoie_keicoco1
トモヤも作品を作りながら自分が小さい時にあったことを言って、心理的な洗浄をしている。それでこそ造形教育は情操教育につながらないと意味がない。 最後は私の作品

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2012/10/16

ひまわりと私の好きな色とドイツ国旗

Kawa_himawari 白樺の木の葉がだいぶ落ちたので、太陽の日差しがかなり入り込んでくる、10日ぶりに来た川上だ。快晴の今朝の気温は6度だった。昨夜来た時から石油ストーブを微弱でつけている。朝食のサラダにはルッコラとセロリとイタリアンパセリを我がクラインガルテンから採ってきた。これらは真緑だ。

私たちが来たとわかるとすぐ羽音をたててシジュウカラ、ゴジュウカラ、サンジュウカラがマズワオトモダチカラと来る。もうひまわりの種が無くなったからと彼らに言った。またあとで来て頂戴と言う。
それなら来年は畑でひまわりを植えて育てて種を採ろうかしらと相棒にに言う。私は映画『ひまわり』のテーマ音楽をハミングしながらヒマワリ畑をかいくぐって来るソフィアローレンになったつもりで踊る。『ところで、あの映画なんて名前だったっけ』『???』『ひまわりでしょう!』と大笑い。こうして活字にするとなんでもないけど、私たちは可笑しかった。こんな時間がたくさん積み重なって、結婚記念日は出来上がってくる。
『ひまわり』の映画の中のソフィアローレンとマルチェロマストロヤンニを思い出す。音楽はヘンリーマンシーニで始めから悲しさを約束した旋律だ。その哀しさがひまわりの黄色い色に象徴されていたように感じる。東日本大震災の津波の跡に植えられたひまわりを私は実際に見ていない。また放射性物質を吸うと言って植えるといわれていたひまわりも見ていない。震災の跡に植えられたひまわりは被災した人たちを元気づけるためのものだ。みんながそう言っている。Kawa_himawari2
私は黄色が好きだけれど、私には黄色は孤独を表す色のように感じる。それは私がそう感じているだけかもしれない。色彩が人に与える印象は人それぞれかもしれないが、その使いどころで意味が出てくるのだろう。ちなみに私は赤も好きだ。きっと太陽に近い色が好きなのだろう。紅葉していく色も黄色と赤だ。黒も好きだからドイツ国旗になる。
川上村の紅葉はまだ探さないと見つからないほどだ。山々の紅葉が段々と下におりて、都会の紅葉に移っていくまで結構長い時間楽しむことができる。

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2012/07/15

花束を持つ男性は素敵@2012

今回もドイツに行って「花束を持つ男性は素敵」を撮れるようにカメラを構えていた。いつでも、肖像権もあるし、プライバシーを侵害することにもなるので気をつけないといけない。ドイツではマルクト(市場)で花を売っている。開放的な空気の中で生活を楽しんでいるのでこちらのリラックス度が相手に伝われば問題ないと思っている。

Doitu12_hanataba1 日本の内田裕也的な人に歩いて出くわしたときは焦って斜めになってしまった。写真として正しくはないだろうが私のその時の思い出度はベターだった。

Doitu12_hanataba3_2実はツエレでは悪いことを企んでいた。花屋で花束を買って用意して、この花束にふさわしい男性に差し上げて、写真を撮らせてもらおうという計画を立てていた。私は歩きながらイメージを積み上げていた。計画は不純ともとれるし、はっきり言えばヤラセだ。でも花束をプレゼントすればいいかしらと考えていた。

まず花束を持つ人は1・優しさのオーラがあること、2・知性的であること、3・容姿がかっこいいこと。4・衣服や持ち物にはこだわらない。5・動きが機敏であること。そう考えていると向こうから来た人がやや当てはまる。優しさ5、知性5、容姿4、衣服や持ち物5、動き3。何と私の相棒でした。さっそく花束を持たせてガシャー。

Doitu12_hanataba4ところがすぐそばにオール5の男性が通りかかったのです。ひどく焦って言葉が出ない。つまり英語が出ない。でもそれは私のコミュニケーションの上手さでなんとか乗り切り写真は撮った。私はその計画を相棒には話してなかったので私たちの間には不穏な空気が流れた。不自然なことは嫌いだからね。ドイツイケメンパパに花束は辞退されて、私の計画は失敗したことになる。まずは英語力ですね。その方はお子さんをどこかに連れて行く途中のようでした。ありがとうございました。

Doitu12_hanataba5 それに引き換え、ハンブルグの朝市ではまるで撮ってよとばかりに階段を上がってきた男性に驚いた。
Doitu12_hanataba2 またマルクトでごく自然にポ-ズをとって下さったおじ様にはほっとした。こういうシチュエーションが一番良い。不自然な設定は今回これきりにしよう。

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2012/07/13

ドイツからの旅メール@4

Doitu12_mati3 ドイツにいる時にiPadで更新のため、写真を入れていませんでした。今入れましたので、ドイツに興味のある方は覗いて下さい。

あとりえチビッコの絵のブログと並行してドイツの記事も今書いています。写真を見ながらつくづくと国の違いに感じいっています。

またあとりえチビッコ35周年の集いについても粛々と参加の皆様からメールやファックスが届いています。成長した子供たちと会うことを楽しみにいろいろな仕事をしています。今しばらくお待ちください。

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2012/06/28

ドイツCelleのBook project

ドイツ北部ツエレはおとぎの国のように町が出来ている。旧市街には古い木組みの家々が並んでいる。その町の中の本屋さんには今から13年前にも来たことがあった。日本では探している本の検索などということが無かった当時、ツエレのその本屋ではそれが可能だった。確か、不思議な動物の本についてお聞きしたと思う。あれから13年がアッという間に経ち、今回またツエレに行くことにしたのです。

D_bp1D_bp2jpgD_bp3 その本屋に立ち寄ると中学生ぐらいの女の子が数人で絵を囲んで何か相談をしていた。そして、気がつくと外に出て何か相談をしている。何だろうと私も外に出てみると、さっき見ていた絵や工作のようなものを飾ったりしている。そばにいた先生らしき人がいろいろ指図している。お聞きすると『ブックプロジェクト』と言う。あとは先生が時間が無いからとおっしゃったのでただ見るだけにした。子供たちの中には私に英語で説明してくれた子もいた。

D_bp5D_bp6 午後になって本屋に行って、ウィンドウの中に完成されたデイスプレイがあった。こんなチャンスがあったら私もうちの子供たちを連れてブックプロジェクトに参加したいものだと思った。

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2012/06/23

ハンザ同盟のハンブルグとリューベック.de2012

D_hum 今から18年前の1994年に行った始めてのドイツ、ハンブルグの旅は寒かったが今回も同様に寒い旅だった。北ドイツの都市、ハンブルグ、リューベック、ツエレを2週間かけて旅をした。ハンブルグに近いリューベックにはドイツ映画『ブリキの太鼓』の作者ギュンターグラスハウスがあり、行きたいところだった。また近年青魚が好きになり、北ドイツのニシンのマリネが食べたかったというのが本音かもしれない。

ハンブルグ港周遊をして分かったが観光という点では横浜港より勝っていた。運河を巡るタグボートと湾内を就航する観光船と、積み荷を出し入れする各国の貨物船が集まっているところがある。ぶつかるのではないかと思われるほど混雑していた。『Hahenrundfaht』(ハ―フェンドウルーファー!と聞こえた)という掛け声で船に乗る客を集めていた。ドイツ語事典で調べたら『港の遊覧船』だった。日曜の朝早くから港の朝市がある。私たちは旅の終わりの6月10日の日曜日午後にハンブルグ空港から飛び立つ予定だったので午前中にの朝市に行くことにしていた。朝市では花や魚、ハム、チーズ、果物、野菜などが大きな冷凍車で来て、大きな声で売り買いがある。私たちは旅人ではあるが、普通に住んでいるような旅がしたいと思っている。
Doitu12_046 港ではランチを食べた時にそばにマドロス帽のご主人と大きな帽子の奥さんが楽しそうにビールを飲んでいたのが印象的だった。私が「いいなあ、あの夫婦」そう思っていたのが伝わったようで、二人はカメラを向けるとちょっとポーズをとってくれた。ありがとうございます。

D_b_mon_2  ハンブルグからリューベックまでの町は南ドイツの景色を見慣れている私には明らかに違いに気付いた。シュットッツガルトからゲンゲンバッハそしてミュンヘンからオーバーアマガウはたまたミュンヘンからランズベルグなどは町の一つ一つに教会の塔が見えた。それが無い。そうか前の日に見たハンブルグの聖ミヒャエル教会の脇にマルチン・ルターの像があったから、こちらはプロテスタントが多いのだろうかなどと考えた。リューベックは駅近くのホテルに泊まり、そこから10分ぐらいで有名なホルステン門に行けた。緩やかな坂を上り、ギュンターグラスハウスはあった。

D_gurasu_o_2D_maria グラスについては知る人は知っているが知らない人は知らない。独特な映画「ブリキの太鼓」は10年ぐらい前に見て、不思議な映画と感じた。最近ビデオを求めて、再び見たがかなり際立った表現もある。不思議ではあるが子供と一緒に見る映画ではない。グラスハウスではきれいな画面で映像が流れていた。グラスは長編の小説を書くと同時にドイツ社会民主党の活動と政治活動もし、彫刻、デッサン、作詩と手掛け、多彩な人だ。そして1999年にノーベル文学賞を受けている。2006年に「玉ねぎの皮をむきながら」で、自身がナチ武装親衛隊に入っていたことを告白した。たくさんの著書の中で、「玉ねぎの皮をむきながら」(2006年)と「箱型カメラ」(2008年)しか読んでいない。
彫刻をハウスの庭で見た。箱型カメラの中の主人公マリア・ラーマらしき人の彫刻像が右わきにいたのが印象的だ。彼女はギュンターグラスの私生活をカメラで映し続け、彼の晩年を支えてきた人である。そして「箱形カメラ」では私生活を吐露しているが、妻、愛人など4人の女性との間に8人の子供たちがいる。著書から感じるのは彼が愛した最後の女性はマリアであり、カメラでグラスの仕事の写真を撮り、支えていた。

D_hutari 私はそのマリア像を見て結構感動していたのです。私は夫がそのような(たくさんの女性を愛する)希望を持つとしたら、その全部の立場を一人で持っていたいと思う。
またグラスのような才能ある人物が第一次、第二次世界大戦の中で生きていくために自分の意思を貫くために、あらゆることを試み、信じる物を掴み取っていくことは、誰も何もあとからは言えないんじゃないだろうか。それにまた翻弄されていく家族たちもなにも過去を否定はできない。
ウィキぺディアには大変詳しくギュンターグラスに着いて書かれている。件のカミングアウトから、現在のドイツでは7割の人がグラスへの信頼を表明しているという。今回ドイツに来る前にまたインターネットで調べたところ、ブログ「明日うらしま」ではギュンターグラスの最近の詩の翻訳をしている梶村太一郎氏が、グラスは歳をとっても国の政治に抗議していると教えてくれている。現在ドイツベルリン在住の梶村太一郎氏は日本の原発事故についても次々とドイツの地から情報を発信してくれているフリージャーナリストでもある。岡山県津山出身だ。

D_sutend リューベックの観光用の地図には今は閉鎖されているシナゴーグ(ユダヤ教D_s の教会)があった。通り道で気づいた。ツエレでも不思議な墓地があった。花も少ししか植えられていず、大きな石が置かれていてウサギがたくさんいた。調べれば調べるほどドイツの中に不思議な部分があるようで歴史的に調べても門外漢の私が何か言えることでもない。ただその墓地には今までと違った感触があり、そこを出ると何かほっとした感じがあった。
ハンブルグもリューベックもハンザ同盟の都市だ。商売で築いた富が長い年月が経っても簡単には壊れないで石造りの建造物に反映されて底力のある都市を維持しているのだろう。ハンブルグの外アルスター湖周辺の豪邸を観光バスで巡っている時にそれに気づいた。

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2012/06/15

新しい絵の具

ドイツから戻りあとりえチビッコの指導をして、ここ川上に来ています。
白樺林の中で春ゼミがジージーカナカナと鳴き、時折さす陽の強さに標高の高さを感じます。
今回の課題は水彩による静物画です。絵の具をもっと子供たちに使わせたいという考えから、固形絵の具12色をセットした描画道具をドイツからのお土産に用意して、描かせました。子供たちが絵の具をチューブから出し色を混ぜて描き、その後の片付けでどうしても絵の具を敬遠しがちになるのです。そのことは私の指導法も関係してくるのかもしれませんが、その論議に時間を使っている余裕もないようなので、この方法を選びました。色彩も日本と違った発色なので、子供たちも良い反応をしていました。使いはじめに、大切に扱うことを言ったために、子供たちが節約して、若干色が薄くなる傾向もありました。徐々に慣れてくれることを願っています。今までよりも課題として多く使用して、1年持てばいいかなと考えていま。Seibutuga_asumi
Seibutuga_hirotoSeibutuga_manami               




左からアスミ、ヒロト、マナミ。

Seibutuga_reina

Seibutuga_riho

Seibutuga_riko

                

                
              

左からレイナ、リホ、リコ。

Seibutuga_tomoya 左はトモヤ。今回リンはお休み。
それぞれの感じ方で隠れた色を探すように言う。塗ることができる色彩に限りがあるため、ない色をある色で描くことを考えないといけない。また、写実の仕方を間違えて、困っても、子供たちが何とかバランスを考えて持ち直すことが良くある。と言うより間違えて描いてバランスを取ることが「絵を描くことだ」と言っていいようなことばかりだ。私はそれは学術的に何も証明されていないが、脳にとって大切なことじゃないかと思っている。

今回ヒロト君は塗り方が上手にできなかったので、もう一度一緒に塗り直しをさせた。色彩の際立ちを覚えさせるために、黄色の部分を時には一緒に塗った。本人の意思と違って嫌だったかもしれないが。私は時には指導としてやっていかなければならないと信じている。子供の持って生まれた性格の中には伸ばすものと、取り払って治して、そしてまた自由に伸ばしていかなければならないものとがある、と思っている。子供は反抗も時には大切だが、素直に聞いて治していくことも、大切です。今回だけの指導ではないので、教える側も教えられる側も時には辛抱も大切です。

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