2012/06/28

ミニ絵本を作る2012

ケント紙を折りたたみ絵本にすることを時々しているが、今回はその白いケント紙の中に色画用紙を挟み込んで小さな絵本を作った。絵だけで筋は作らなくていいものだ。筋を考えると絵に集中できず、面白くなくなる。絵のデザイン性や話の抽出力を出せるように4ページにした。写真は適当に撮っているが、子供たちは作戦どおり絵の面白さを出せた子もいる。このような絵は生活の一部なので、その日の状態が反映されていると思う。

Minihon_rikoMinihon_hirotoMinihon_asumi 左からリコ、ヒロト、アスミ。
   リコちゃんは少し前に自分のブログを通しての話があり、私がこの教室の卒業生でなく在校生から初めて褒められ感謝されて嬉しかったと伝えたので、絵の内容に幅が出て面白くなった。またヒロト君は私の宝物の昆虫の箱を見せてから絵を描かせた。Good! アスミちゃんは前々回の花をスケッチブックから見せて、ウサギの回りにもう一度描せた。
Minihon_rihoMinihon_rinMinihon_tomoya
左からリホ、リン、トモヤ。
 リホちゃんは今日はお父さんが連れて来てくれた。ご苦労様です。犬の動作を描いて周りを丁寧に肉球だらけにした。リンちゃんは一人の子が変身する様を描いた。トモヤ君は以前いたずら書きの恐竜を描いていたのを切り抜いて張った。めったに大人になっては描けない動物たちだ。

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左からマナミ、レイナ2枚。
 マナミちゃんはヒヨコとニワトリを描いた。絵が非常にシンプルなのは今回の絵を基礎にして将来パラパラ漫画を描かせる予定なのです。レイナちゃんはおばあちゃんの作る美味しいアップルパイを描いた。絵の場面も良かったが、周りにウサギ切りにしたリンゴを飾ったのが良かった。生活は隠したって出てしまう。いやそういう言いかたじゃなくて、子供が正直になればなるほど、日常は出るのでしょう。良いミニ絵本ができたのでそれはずっと取って置いてほしいです。スケッチブックを捨てる時が来ても。
ちなみに、ミニ絵本の空いている場所に今日の日、2012・6・27 6才 などと入れてあります。

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2011/12/23

子供たちが夜寝ているあいだに来たよ!森のサンタたちが・・・・・

Christmas

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2011/04/14

キャラクターを作りだす試み

Hukubuta_hinata_3Hukubuta_manami_3Hukubuta_momoka_2Hukubuta_nami_2

左からヒナタ、マナミ、モモカ、ナミ。

Hukubuta_reina

Hukubuta_rikoHukubuta_rihoHukubuta_rin 左からレイナ、リコ、リホ、リン。

Hukubuta_risaHukubuta_takeshiHukubuta_tomoyaHukubuta_ki_reina 左からリサ、タケシ、トモヤ。木はレイナ。

今回は、以前から描かせている『洋服を着た豚』シリーズの課題をした。言葉の組み合わせをイメージとして描いていくというやり方は、頭の中でそれぞれ違うアイデアを作り上げていくから真似が出来にくい。

今回は放射能に汚染された土地を改良できるというヒマワリを『土の中の毒を食べるヒマワリ』というフレーズにして描かせた。科学的なことは知らないがひまわりには土壌を変えることが出来るという。それでは土の毒を食べるヒマワリと言いかえれば絵にかきやすいかと、考えた。トモヤくんのイメージがだいぶはっきりしてきた。お家にはアイデアのためのノートがあってお母さんには見せられないって。あっ、言っちゃった。それは≪キモい種類≫だそうだ。だから今日の『土の毒を食べるヒマワリ』はやりたい種類の課題だったみたいだ。他の子も、きれいなヒマワリじゃなくて気持ちの悪いヒマワリを描くのもたまにはよさそうで、トモヤくんに刺激されていた。

子どもにはイメージしにくい放射能というものを≪毒≫という言葉にして説明したが、美しいヒマワリが土地の改良に役立つということを考えさせたかった。おけいこが終わってから、インターネットで≪福島の被災者の子どもたちが放射能が付いていると言われ移動先の船橋でいじめを受けた≫というニュースを知った。この大倉山には被災者の子供たちを見かけないが、ヒマワリの話につけて、そのことも一緒に話すべきだった。来週話そう。孫のトモ君は船橋にいる。そういうことがあるとすれば気にかかる。

また『ブランコのある木の上の家』という絵もそれぞれのイメージが持ちやすかった。なにかの機会にこのツリーハウスを描いた絵本を描かせたい。そのため、1人だけ公開。レイナちゃんだ。子供らしい視野で描いている。モモカちゃんの木はアイデアがデザイン的に整理されていて良かった。ここで発表はまだしたくない。

今回のキャラクターはいずれ、絵本を描かせる時に登場させようと思っている。一つ一つ積み重ねていかないとね。

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2011/01/01

絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』からうさぎ年を想う

Usagi

明けましておめでとうございます。

今年はうさぎ年。私のブログ『あとりえ・チビッコ』のヒットのページ「しろいうさぎとくろいうさぎに見る愛」も年末からたくさんの方たちから検索されている。それはひとえに絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』ガース・ウィリアムズ 文、絵  まつおかきょうこ 訳(福音館書店) が絵本としての素晴らしさが1965年に発行されてからいつまでたっても変わらないからだろう。私はたまたまこの絵本を自分の子供、絵画教室に通う子供たちに読み聞かせるうちにその素晴らしさに改めて気付いてブログで書いた。

我が家の長女が子年、次女が卯年生まれで、今年次女は年女になる訳だ。そして私がこのうさぎ年を何回巡ったのだろうか。亥年生まれの私は4才の時はきっと無意識だっただろう。ということは16、28、40、52そして今年64才は覚えて通ったうさぎ年ということになる。もう5回、正確には6回ピョンピョンピョンとうさぎ年を跳んできたことになる。

16才は高校1年、中高一貫教育の中でのびのびと育っていた多感な頃だ。クラブは文芸班、同じ学年仲良し4人共同で小説を書いたこともあった。そして次のうさぎ年28才までが人生で最も変化の多い年であった。女子美術短大の生活デザインに進み、卒業の頃には専門を活かして仕事をしたいと思ったが、親の勧める出版社に勤めそして夫となったくろいうさぎと知り合い、結婚をし長女を出産をした。

そして28才のうさぎ年に次女を産んだ。 それからの12年は子供に捧げる母うさぎだった。そしてあとりえ・チビッコの絵画教室を始める先生うさぎにもなり始めた。正直言って性格は良かったが世間知らずのしろいうさぎはこの時期にたくさんの常識を学んだと言える。くろいうさぎの力もあったが。

また次の52才までの12年間は自分探しを始めたうさぎだった。山小屋での暮らしを優先する為に、子供たちが自分たちで学校に通えるように訓練して行った。メモや電話や冷蔵庫を使い、自立を促した。小さい時からキャンプ生活をし、食事は自分で作れるようにしていった。そして私たちくろいうさぎとしろいうさぎの生活を優先した。そのために子供たちは生活の手順や自立の気持ちが他の子よりは勝って育ったように思う。

そして次の64才のうさぎ年までは、親うさぎたちの生活を見守り助ける介護が優先の時代だった。それと同時にインターネットの世界が広がり、今までの生活とは比べようもない世界を見ることができるようになった。解らないことばかりだが、何とかパソコンにしがみつきながらインターネットの世界を上目使いで見ている。海外旅行に行く時は、Googleマップでそのホテルの周りだけは偵察して行ける。

そしてこれから先の76才までがどの様になるかは解らないのだが、年取ると若い頃に戻るということが言われているように、はじめの16才のうさぎ年までに自分が好きで選んで生きてきた生き方に回遊して行くんじゃないかと思う。身体的な飛翔は難しくなって来るが精神上の飛翔が全て善い結果をもたらすと信じたい。 そしてあとりえ・チビッコから育っていったしろいうさぎやくろいうさぎの人生がより輝かしく健康であるようにと祈らずにはいられない。少子化が叫ばれて久しいが、もしかするとウサギは多産な生き物なので、今年は国中に赤ちゃんうさぎがピョンピョンのピョーンと生まれるかもしれない。

ー今年は川上村で鹿よりもうさぎと出会いたいKeicocoの新年の抱負ですー

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2010/12/13

クリスマス工作・2010@フェルトの家

Kurisumasu_ko_hinataKurisumasu_ko_momokaKurisumasu_ko_nami 左からヒナタ、モモカ、ナミ。

Kurisumasu_ko_risaKurisumasu_ko_reinaKurisumasu_ko_riho 左からリサ、レイナ、リホ。

 

Kurisumasu_ko_riko

Kurisumasu_ko_takesi

Kurisumasu_ko_tomoya

左からリコ、タケシ、トモヤ。

Kurisumasu_ko_manamiKurisumasu_ko 左はマナミ。教室の風景。

今年のクリスマス工作は次女が無印良品で≪家を作る型紙≫を見つけ、それを基本にした工作を展開することにした。アイデアを出すことは好きなのだが毎年、オリジナルを作ろうとすると大変だ。10月から準備が始まる。私は子供たちの満足がいくようにいろいろ材料を整えている。私にとって≪学校ではできないだろうね≫という条件も大切なコンセプトだ。 今回はフエルトを使い、屋根と窓は自由にして良い、と言って進める。窓の中の家族をシルエットにして出す子もいれば、窓を大きくする子、小さくして二つにする子もいる。私の作ったお手本が子供たちのハードルを高くしてしまうと面白くないので、写真や絵本などで見せてから、制作させた。『英国のカントリーサイド』ーさまざまなパブイン、民家や町並みー増田正社員(集英社)それと『くまの楽器店』安房直子作、こみねゆら絵(小学館) 理屈抜きに楽しんで作っていたが、根気も必要だったので、息もしないで作っている子もいた。こういう時に、家、即ち子供たちの家庭が現れてくると思う。私の教室にくる子たちは、家庭が大変恵まれている。勉強やスポーツに加えて絵画教室を選ぶのは両親の考え方が、情操教育の大切さを解ってくれているという事で、それは言いかえれば子供の教育に熱心でもあり、愛情が豊かということになる。そうなると、黙っていても親の愛を何かの形で表す。絵画で、家を子供が描く時よりも、立体の家ではもっと表現されやすい物かもしれない。 ただ今回の場合もフェルトを切り、ボンドで貼るという工程が簡単ではなかったけれど、一生懸命に作りました。写真は一つ一つをクリックすると大きくなります。このページをたまたま見つけた方も、子供たちを想像して、ご覧になってください。

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2010/09/30

ミニ絵本・Ⅱ

Miniehon_risa 今日は写真のみです。左はリサ。

ある方法で子供たちはいつものミニ絵本より夢中になった。下はマナミ。Miniehon_manami

写真の撮り方が難しく、作品は5名だけ。リサ、マナミ、リコ、タケシ、ヒナタ。いつもの暮らし、家で話したり、家族でしていることが絵に出る。そして筋の面白さも、絵のデザイン性も平常の考えが出る。だか ら、平常の家庭での話が大切。左からリコ、タケシ、ヒナタ。

Miniehon_rokoMiniehon_takesi_2Miniehon_hinata_2

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2010/06/18

アジサイの花を描くことと絵本「きつねの窓」

Ajisai_manami_2 Ajisai_takesi_2

Ajisai_kentarou2_2 Ajisai_rikoAjisai_namiAjisai_risaAjisai_riho_2Ajisai_hinata_2Ajisai_momoka

Ajisai_reina

Ajisai_kentaAjisai_tomoya_2 上段左からマナミ、タケシ、ケンタロウ、リコ。中段左からナミ、リサ、リホ、ヒナタ。下段はモモカ、レイナ。横位置はケンタ、トモヤ。どうしても写真がうまくレイアウトできません。

子供たちは今回アジサイの花を描いた。シーボルトが日本に来て美しい花と感じて、自国オランダに持ち帰った際に奥さんの名前おたくさん「Otakusa」と名付けている。その話をすると少女サッカーチームに入っている、ヒナタちゃんが「土曜日は日本とオランダが戦うよ!」と目を輝かす。そして、久しぶりに教室に来た子たちは嬉しそうだ。アジサイの花は園芸店で見つけた名前が≪パリ≫と≪アリラン≫と言った。濃いピンク系と青系だ。

リサちゃんは描いているうちに手が紫色になってきた。そうだ!確かあの本!探したら、あった!随分、読んでいなかった!≪きつねの窓≫文・安房直子 絵・織茂京子(ポプラ社・おはなし名作絵本)リサ、レイナ、リホの3人しか来ていなかったけど読み始めた。きつねの窓。

ぼくが青いききょうの花畑の中を白い子ぎつねを追っていくと、ふいに小さなそめものやの前にでました。店から一目で子ぎつねとわかる男の子がでてきてテーブルに案内してくれました。「お客さま、指をそめるのはとてもすてきなことなんですよ」というと子ぎつねは青くそめた自分の指でひしがたの窓をつくってみせました。「ねえ、ちょっとのぞいてごらんなさい」ぼくはしぶしぶ窓の中をのぞきました。そして、ぎょうてんしました。指でこしらえた小さな窓のなかには白いきつねのすがたが見えるのでした。

本の中ではききょうの花だが、今日のモチーフはアジサイ。でも子供たちに読みながら良い本だと思った。設定を考えると私の大切な長野の山小屋のようでもあるし、私が育った目黒区の清水町の戦後の平屋の縁側が出てくる絵なのだ。昔、娘たちに読んでやった時も感激して私は泣いてしまった。自分の小さい時が思い出されるからだ。まあ脇道にそれてしまいました。このぐらいにしておきましょう。

モモカはアジサイよりも周りが強すぎて花の美しさが出ないので、白で塗り重ねて消すようにさせた。リコは説明的に描くのが好きのようだが、それを徹底的にしないので、もっと!、もっと!と言って描きこませる。リホはこのごろ美しさを描くことが出来るようになった。説明も大切だけどきれいなのはどういうところなのかを感じてそれを描き表すことが大切だからね。

絵も描きたいけど原っぱのトカゲも気になる梅雨の合間のお絵かき教室でした。絵本は少しずつずれて子供たちに読み聞かせました。

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2009/10/14

「しろいうさぎとくろいうさぎ」再び

絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」は今まで、ずいぶん長いこと我が家の本箱にあった。娘二人に読み聞かせ、あとりえの子供たちにも読み聞かせ、孫にも読んでやった。あとりえの課題として、絵本の模写にも使った。この汚れた1冊の本は私とたくさんの子供が手にして読んだ絵本ということになる。もう、カバーも無いし、切れた所に貼ったセロテープは茶色く剥がれそうになっている。そこで、愛着ある絵本だが今度新しく買うことにした。

ピカピカ、ツルツルの本は今、目の前にある。以前私は<絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」に見る愛について>と<しろいうさぎとくろいうさぎに見る愛のプロセス>をブログに書いている。その二つの項目だけでもこの本への思い入れは言い尽くしているのだが、今回あまりに汚くなっているこの本を買い替えて、新しい本と見比べた。そして再び書きたくなった。お時間のある方と今、恋愛中の人は是非、2つの上述の「しろいうさぎとくろいうさぎ」をクリックしていただきたい。何かヒントは得られると思う。

新しい本は、2009年8月20日第142刷で定価は1200円+税。古い本は1975年9月25日第29冊で定価は580円だ。価格から考えても長い歴史だ。初版は1965年に発行しているが、私が女子美に入学したばかりのころだ。ユリイカなんて雑誌を読んでいたころだ。なんであの頃この本に気がつかなかったのかしら、と思う。結婚して子供が生まれて、この本を知ったのだろうか。やはり、結婚は良いものなのだ。前にも言ったけど、この本は若い人の出会いの教科書になる本だと思っている。Usagi_n_2

Usagi_o 

さて本の扉部分には書名、副題名、著者名、出版社名が書かれているが、1975年のものには表記されてなかった、Kyoko Matsuokaの文字が2009年には書かれてとあった。訳者の著作権がしっかりと書かれている。また最後の奥付には福音館のURL、それと、<紙のはしや本の角で手や指などを傷つけることがありますので、ご注意ください>とある。世知辛いとも言えるし、時代が変わったのでしょう。私も娘たちが小さい時に読みながら、寝てしまい本を顔に落としたことがあるけれど、怪我はしなかった。こういう注意事項を言わなくてはならない世の中になっているのだと思う。

ところで私は30年もたっていると、ガース・ウイリアムズさんもどこか絵を直したくなっているんじゃないかと思い、最初のページから穴のあくほど見てみた。するとなんと、しろいうさぎの出ている2ページ目がなんだか違っている。眼がひどく違うではないか。2009年版は眼が小さい、1975年版は眼が大きくて隣のくろいうさぎと同じ眼をしている、ジッと見る。いくらなんでも眼だけ作者が変えるわけない。あれ!どうも、誰かが書き加えた感じがする。そういえば、昔誰かが、「先生このうさぎの目なんだか怖い」、そう言っていたことがあった様な気がする。模写をした時に誰かが描いてしまったのかしら。悪い子!でも結構このほうがいいかも。著作権に関わるから写真は載せられないが。

ところで2009年も、1975年の「しろいうさぎとくろいうさぎ」の扉のページには<THE RabbitsWEDDING>と書いてあった。今まで気づかなかったが、作者ガース・ウイリアムズの原題の書名は<うさぎの結婚>だったのだ。やはり結婚という言葉より、「しろいうさぎとくろいうさぎ」のほうが良いかもしれない。隠喩としての効果だ。だとすると、この方法を反対に使ってみるのも一つの方法かもしれない。愛しているのに気が付いてくれない人に、「この本の英語の書名はTHERabbitsWEDDING、うさぎの結婚なのよ」なんて。でもこれは男の子が言うともっと素敵な感じがする。「この本の英語の書名はTHE RabbitsWEDDING、うさぎの結婚だぜ」なんてね。さりげなく。本をプレゼントしたりして。

ところでたくさんの子供たちが生まれた、私たち団塊の世代の頃は賑やかでよかったけれど、いまは少子化が続いている、子を産む、産まぬの前に、誰かと出会うことが大切だ。だから、この絵本しろいうさぎとくろいうさぎをもっとたくさんの子供たちが読んで、いつか人を恋する頃になったら、「野原でかくれんぼをしたり、クローバーくぐりをしたり、馬跳びをしたり、どんぐり探しをした、いろんなことを一緒にしたあの人と私は(僕は)(おれは)(おいらは)結婚しよう」そんなことを言うきっかけの本になるといい。

我が家にあって、たくさんの子供たちがお世話になった、古い「しろいうさぎとくろいうさぎ」の本は私の大切な宝物入れの中にしまいましょう。そして142刷目の新しい絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」のページをめくることにしましょう。

そして目を丸くして、「これからさき、いつもきみといっしょに いられますように!」「いつも いつも いつまでも!」

 

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2009/06/01

谷川俊太郎の詩・いろはにほへと・を描く

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谷川俊太郎の詩、「いろはにほへと」を私が読み、それを描かせた。作品は左からカノン、ケンタ、ケンタロウ。

いたいくりのいが  ろぼっとがころんだ  はくしょんくしゃみ  にじにさわりたい  ほろあなくらい  へたでもへいき  ときどきおねしょ  ちきゅうもおほしさま  りっぱなうんこ・・・・・・・・・・

ここから先はどうも著作権にかかわるといけないので、消します。あとは詩集を買って読んでね。 

この3人の作品はアイデアがほかの子と少し違った視点から出発しているので選択した。そして全体の絵としてまとまっている。カノンのテーブルの上のものはハンバークかと思っていたが下手でも平気な絵のようでもある。 ロボットが転んだは描いた子もいたが、くしゃみや眠らない目玉焼きを描いた子はいなかった。カノンはどちらかというと、細かい表現が多く、それが今まではうまく描けなかったので面白みに欠けたのだが、このごろほかの子との視点の違いがはっきり出てきたようだ。

ケンタはたんぼにかかしだけを描いたのだが全体として樹木が大きな位置をしめて夢でも見ているような絵になっている。大きくクリックしてみると筆のタッチの至らなさが見えもするが、絵として面白い。アクリル絵の具でキャンバスにこのレイアウトで描いたらいい絵になると思う。夏休みにもう一度描いてみようか。健太!

ケンタロウはかかしが表情を出し、またロボットも動きを出していて、こういう絵は得意だ。

ほかの子も面白く描いたがこの3人は特に自立した感じがあったので取り上げてみた。ひいきはしていないがこういう表現になるとどうしても自分を持っている子の方が強い絵を描く。谷川俊太郎さんの詩を読んで絵を描くのは「あとりえ・チビッコ」が昔からしていることだ。よく≪うんこ≫ が出てくる。子供たちはやはり絵を描きながら言っていた。「描けるけど描いちゃいけないよね、何だか嫌だよね、お母さんに怒られちゃうよね」 などなど!

そういえば今から18年前ころに公則くんが来ていたが、彼はどうしているだろう。谷川俊太郎の「えをかく」を展覧会で描いて、すばらしい作品だった。 谷川俊太郎は創作の感性、特に子供たちの感性を刺激する詩を書く人だと、私は思っている      

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2009/04/01

しろいうさぎとくろいうさぎにみる愛のプロセス

私は以前 「しろいうさぎとくろいうさぎに見る愛について」 を書いた。

絵本の中で黒いうさぎが寂しそうな顔をしていると、どうして寂しいのかと、しろいうさぎが聞くと、『いつも、いつも君と一緒にいたいから』と言う。

『ねえ、そのこと、もっと一生懸命 願ってごらんなさいよ』と白いうさぎが言う。

『いつもいつもいつまでも』と二匹は見つめ合い、手を握り合い、森の仲間たちと一緒に結婚式のダンスを踊る。そして結婚をする。

そして、私も白いうさぎみたいな恋をして、結婚した。だからこのうさぎたちの愛のプロセスは同じだと思ってきた。そして結婚のための教科書になるとも言った。だが、この物語としての愛の過程はこれから先が違っていくこともあると思う。それは人間の世界では離婚だ。なぜ、『いつもいつもいつまでも』と言い合ったのに、一緒に居たくなくなるのか。

それは一緒にいるよりも他に楽しいことができてしまったのかもしれないが。くろいうさぎはひなぎくや、きんぽうげの咲いている野原でかくれんぼをしていたけど、かくれんぼをしながら、くろいうさぎは灰色のうさぎとも遊びたかったのではなかったか?とか。また、くろいうさぎは黒いちごのしげみで、かけっこをしながら寂しそうな顔をしたのはずっとクローバーくぐりをしていたかったのではなかったか?とか。できるだけ、メルヘンチックに考えたいものです。

私は離婚をしたことがないが、以前離婚した複数の友人の悩みを聞き、その時、親身になって考えた。いや親身には程遠いかもしれないが、自分とは違う『愛のプロセス』を歩んでいく人にこのうさぎの愛が別の意味での教科書にならないかと考えた。だからこの、絵本、『しろいうさぎとくろいうさぎ』を教科書として考え続け、離婚の傷を広げたりしないで、何とか良いアドバイスをしてあげたいものだと思ってきた。

人はもし離婚を経験したら一瞬はこの物語『しろいうさぎとくろいうさぎ』は全くの絵空事になるだろう。一緒に住んで居たくはなくなることだ。その信じたことすら、ウソくさく、愛はなかったのかと、考えるようになると想像する。多分それは長い人生の中では一瞬の時間に違いないが。

その友人カップルの二人をよく知っていれば、同じようにつらく悲しい。そしてそのカップルの間に子供がいればもっと悲しさが増えるだろう。

愛すると言うことは自分の心も体も相手に寄せることだ。だから『いつもいつもいつまでも君と一緒にいたいと』と言ったのだ。その言葉にはウソはないのだ。離婚になる前には喧嘩があるだろう。その喧嘩を我慢できるかできないかも大切だ。私も若いころはよく喧嘩した。だいたいが私が喧嘩をふっかける。自分の理想と違う彼の姿に苛立っていやになる。それを面と向かって言う。そこで相手が興奮する。プロセスはだいたいどこでも同じだろう。いつもと同じぐらいの喧嘩の程度であれば離婚まではいかないのだろう。うさぎの世界にはこうしたことはない。

この黒いうさぎが別の寂しさに耐えられず、考え込んでいたのを白いうさぎが、勘違いしたこともありうる。寂しいのは別のことで寂しかったのに、自分と一緒の人生を歩けば幸せになると白いうさぎは勘違いし、思い込んだ。そんなことはないだろうか。黒いうさぎは白いうさぎと一緒になっても、いつかまた寂しくなって、自分の道を歩き始めているかもしれない。もっと哲学的なことかもしれない。

それと反対にしろいうさぎが今度は寂しくなって悲しい顔をするかもしれない。

その時にはあの教科書『しろいうさぎとくろいうさぎ』はまた復活する。過去の愛の形にとらわれることはない。だが、過去の間違いを繰り返すのじゃないかとトラウマに囚われるだろう。だから、離婚したその失敗はなんだったのかとよーく始めの離婚の時に考えておくべきだ。たしかにくろいうさぎが寂しい顔をしたのが何だったのか。少しの時間、待って考えよう。その答えは日記に書いておこう。詩でもいい。気持ちの変化はいつも流動する。自分の気持ちをしっかりと書いておけばその地点に戻れる。

日本政府の統計では

《 平成18年の婚姻件数は732000組で、平成17年の714265組より18000組増と推計される。婚姻率(人口千対)は5.8となり、平成17年の5.7を上回る。
 また、離婚件数は258000組で、平成17年の261917組より4000組減と推計され、離婚率(人口千対)は2.04となり、平成17年の2.08を下回る。》  つまり平易に解釈すれば、62、要するに313組結婚して1組は離婚することになる。

だがまわりを見回してうまくいっていない場合も離婚はしないで一緒に生活をしている。だとすれば、11対1。うまくいっていないほうが2対1で多いということになる。緑色部分はあくまでも適当な統計だけど。

うさぎの話に戻ろう。森の中にはよくうさぎの糞が転がっている。触って潰すとハラハラと植物性の葉の削りかすのようなものになる。笹の匂いもする。白いウサギと黒いウサギが出会った話は、恋の始まりとしていつでも森の中に入ると思いだす。糞を見つけると思い出す。

うまくいかない小さな愛をずっと背負って生きていくより、悲しく辛くても、ゼロに戻って愛がない生活をしたほうが明快でいいと思う。私は離婚はしたことないし、これからの予定もないけど。でも、人生の中で離婚した人やうまくいっていない人のために、もう一度シャッフルしてみるのもいいとは思っているが。

どちらにしてもしろいうさぎとくろいうさぎの物語のようには人間の世界は単純ではない。だから愛という形はそれを押し通したかったらなるべく簡単な形、つまり絵本の世界のように単純な形で愛し合っていれば、うまく添い遂げられるのじゃないかと思う。このしろいうさぎとくろいうさぎにみる愛についての記事もアクセスが多いので、あえて、「しろいうさぎとくろいうさぎにみる愛のプロセス」を書き加えた。

愛は壊れやすいものでもあるらしい。だとすれば私たち夫婦の間もまだ分からないと言えると言っておこう。

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